昭和女子大生のデザイン+塩尻の職人


信濃毎日新聞
10月7日
女性向けの木曽漆器製品を 塩尻の職人と昭和女子大生が開発

昭和女子大の学生がデザインした漆塗りのアクセサリーや食器
長野県塩尻市木曽平沢の漆器職人5人が、昭和女子大(東京)でデザインを学ぶ学生たちと、漆塗りのアクセサリーや食器計13種類を共同開発した。木曽漆器の新たな販路開拓に向け、若い女性向け商品を作ろうと2年かけて準備。今秋から木曽平沢の「木曽くらしの工芸館」で販売している。

共同開発した漆器製品は、「cocoroconcept(ココロ・コンセプト)」のブランド名で販売。同大の学生8人がデザインを担当し、ブローチには網目のような細かい模様や星を描いた。コップや皿には赤、黄といった明るい色を使っている。

工芸館を運営する塩尻・木曽地域地場産業振興センターが、職員の知人を介して同大の桃園靖子教授に協力を依頼。桃園教授の研究室の学生たちが2015年から、木曽平沢で合宿して製造工程を見学したり、デザイン案について職人と意見交換したりして商品開発を進めてきた。

携わった学生は今年3月に卒業したが、職人たちが改良を重ね、9月末に発売。手作り品を販売するサイト「minne(ミンネ)」でも同時期に販売を始めた。

工芸館で商品を担当する百瀬友彦さん(33)によると、若い女性が商品を手に取ったり、買い求めたりしているという。百瀬さんは「手応えを感じている。今後はさらにPRの仕方を考えていきたい」と話している。
(10月7日)

昭和女子大学図書館・女性文庫貴重資料展

昭和女子大学図書館・女性文庫貴重資料展

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10月4日~11月29日
女性文庫貴重資料展「西欧の女性史から〈女性解放〉の名著を中心に」:10月4日~11月29日
図書館3階コミュニティルームにて、女性文庫貴重資料展示 「西欧の女性史から〈女性解放〉の名著を中心に」を開催しています。学外の方にもご覧いただけます。メインゲートのインターフォンでお伝えいただくと、入館できます。詳しくは、ポスターをご覧ください。この機会に、ぜひ、足をお運びください。
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●昭和女子大学図書館の〔女性文庫〕は充実したコレクションである。その一部分が展示される。

ノーベル文学賞受賞、イシグロ氏

●今年のノーベル文学賞は、村上春樹氏ではなく、イギリス在住の、カズオ・イシグロ氏に決った。翻訳と言えば、なんと言っても、早川書房である。驚いたのは、早川書房の副社長の、早川淳氏の結婚の時の媒酌人は、イシグロ氏御夫妻だという。淳副社長は、イシグロ氏について、

「酒もコーヒーもまったく口にせず、自分の言葉が世界に伝わることを意識して発言をされる」人だと語っている。【朝日新聞より】
ノーベル文学賞受賞者に、媒酌人をしてもらったとは、それほど、この出版社はイシグロ氏を大切にし、深い関係を交わしていたのである。
●島本昌一先生の、媒酌人は、法政大学教授、近藤忠義先生御夫妻だった。さらに言えば、私達の結婚の時の媒酌人は、法政大学教授、林田不二生先生御夫妻だった。媒酌人は、当人にとって、一生感謝して、節目節目で御報告して、生き方を確認して頂く存在である。早川淳氏は、素晴らしい人生を頂いたと思う。島本先生も、私も同じである。
■カズオ・イシグロ氏 【朝日新聞 デジタル より】

日文研30年

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自由な知の「箱」、日文研30年 分野を横断・外国の目で磨き
2017年10月3日05時00分 朝日新聞日本文化の総合的研究と国内外の研究者の交流の拠点である国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)が創立30周年を迎えた。個性派ぞろいの研究者が集い、一見風変わりなテーマも自由な発想で切り口豊かに発信してきた。日本文化を取り巻く環境が変わる中、研究成果をどう発展させるか、模索も始まっている。
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●今日の朝日新聞で、日文研創立30年の記事を読んだ。京都を中心にして活動する団体・機関であり、多くの点で参考になり、触発され、教えられてきた。
●私にとって〔日文研〕は、〔日本文学研究会〕であり、〔日文協〕は〔日本文学協会〕である。〔日文研〕は、昭和28年(1953)の創立。しかし、平成19年(2007)の『文学研究』第95号をもって解散した。近藤忠義先生等が始められた〔日文協〕は、もっと古い歴史を持ち、現在も、月刊誌『日本文学』の刊行を続けている。
●日文研30年記念のフォーラムに、話さないか、と打診されたが、家庭の事情で、お断りした。現在の私にとって、京都は遠い。

■日文研

森鴎外自筆原稿「北条霞亭」の模写

●今日の朝日新聞に、森鴎外自筆原稿「北条霞亭」を、木下杢太郎が模写していたことが報じられた。

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鴎外愛、そっくり模写原稿 木下杢太郎、
長年自筆の扱い 震災機に「本物」確認
2017年10月2日16時30分

<自筆> 森鴎外自筆原稿「北条霞亭」=宮城県亘理町立郷土資料館保管「江戸清吉コレクション」(個人蔵)

 森鴎外(1862~1922)最後の史伝「北条霞亭(かてい)」の自筆原稿とされてきた神奈川近代文学館所蔵の原稿が、昭和前期に鑑定を依頼された医師で文学者の木下杢太郎(もくたろう)(1885~1945)がそっくり書き写したものだとわかった。宮城県亘理町立郷土資料館保管「江戸清吉コレクション」(個人蔵)
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●ここまで真似て模写するのも珍しい。かつて、横光利一の作品を、川端康成が書写した原稿が発見され、これを川端康成の未発表作品だと雑誌『新潮45』に発表した研究者が居た。当時、私は、滝沢馬琴の自筆草稿を研究していて、同じような誤りを犯すところだった。研究者は、慎重に資料を処理しなければならない。

■森鴎外の自筆原稿  朝日新聞デジタル より

さあ、後期だ

●10月になった。昭和女子大学は、今日から後期が始まる。2ヶ月間の夏季休暇が終って学生も出てくる。教員は、この間で、平素できない大きなテーマの研究をまとめ上げ、大学の紀要に発表する原稿を編集部に提出する。しかし、研究は、常に順調に進むとは限らない。まとめることが出来なかった時、実に空しい。

●私の経験では、毎年、毎年、順調に進むとは限らなかった。9月に入り、秋の虫が鳴きだす頃、焦りと、不安に襲われたことが何回もあった。大学教員にとって、8月、9月は、単なる夏休みではない。夏季休暇と研修の期間である。10月になって、学生に対して、自信を持って対応できるか、そんな試練の連続だった。
●私は、夏季休暇のうち、よく、外国旅行に出かけたが、この10日間、15日間は、文字通りの夏休みであったが、外の日々は、これ研鑽だった。現役の頃が懐かしい。

文学と挿絵

●今日、凄い論文を読んだ。文学研究における挿絵の問題を取り上げたものである。非常に教えられる点があった。近世文学においても、これまで、しばしば取り上げられ、論じられてきた。仮名草子、浮世草子、読本、草双紙。近世後期になると、作家と挿絵画家が著作権を争うようになる。私は、卒論の頃、『可笑紀』の絵入本の絵に注目して、作者の出自に迫ろうと考えたこともあった。

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挿絵 【ウィキペデイア より】
挿絵(さしえ、挿し絵とも表記する)とは、イラストレーションの一種で、雑誌や新聞あるいは書籍など文字主体の媒体において、読者の理解を助けるため等の目的で入れられる絵のこと。挿画(そうが)ともいう。雑誌や書籍の見開きにわたる大きなものから、雑誌の片隅に使われる小さなものまである。正確に説明すれば、挿絵は、本、雑誌、新聞の間にさまざまな大きさで挿入された主に白黒の版画をさして言う。[1]特に小さなものはカットとも呼ばれる。文章の傍らにあるものだけだとする考え方と、それに口絵を含むとする考え方がある。
画家、イラストレーター、漫画家などが担当するが、 専門の挿絵画家も存在する。
日本文学においては、そもそも源氏物語絵巻などの文学作品を視覚化した絵画が多く制作されている。また、江戸時代には草双紙、合巻、狂歌本などに浮世絵師などによる白黒の挿絵が描かれていた。現代では、特に児童文学など低年齢層向けの書物や、図解なしでは理解の困難な専門書などに見られるが、識字率の急激に上昇している社会では一般書物にも多く用いられる傾向にある。【以下、省略】
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●私は、大学を出て、腰掛で大衆小説主体の出版社、桃源社の編集部にお世話になったので、多くの挿絵画家とお付き合いした。作家のランクによって挿絵画家のランクもある。新聞・雑誌に掲載した小説を単行本にする時、挿絵は削除するのが通例である。
●『源氏物語』の絵に関しても、いろいろ論じられているが、あれは、時代が後の絵師が描いたものである。その資料批判を加えないで論じているものもあって、これはまずい、と思った。
●とにかく、文学と挿絵の関係は、複雑な要素が関連している。今日は、素晴らしい論文に出会って感激した。

 

つもりちがい十ヶ条

●今日の、金子先生のブログに、人見先生の実践倫理のことが語られていた。私は、長年、昭和女子大にお世話になったが、遂に、人見先生の実践倫理の講義を拝聴したことがなかった。後年、2部の学生に、実践倫理の講義を2回か3回、担当したことがある。私は、近松の『曽根崎心中』、秋成の『菊花の約』、直哉の『蝕まれた友情』を取り上げた。文学を通して、人の生き方について考えてもらった。2部の学生は、非常に熱心に、私の講義を聴いてくれた。今も、感謝している。ところで、「つもりちがい十ヶ条」のお話し、初めて聞いた。

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そもそもこの十ヶ条は、長野県飯田市にある元善光寺という寺の住職が書いたものと言われています。元善光寺は、推古天皇10年(602年)からある古いお寺で、この地の住人が大阪で見つけて持ち帰った善光寺如来の本尊が、勅令によって長野県長野市の善光寺に遷座されたため、この寺は元善光寺と呼ばれているとのこと。元善光寺には木彫りの本尊が残されているので、善光寺と元善光寺の両方を参らないと「片参り」と言われるほど由緒あるお寺だそうです。
つもりちがい十ヶ条
高いつもりで低いのが  教養
低いつもりで高いのが  気位
深いつもりで浅いのが  知恵
浅いつもりで深いのが  欲望
厚いつもりで薄いのが  人情
薄いつもりで厚いのが  面皮
強いつもりで弱いのが  根性
弱いつもりで強いのが  自我
多いつもりで少ないのが 分別
少ないつもりで多いのが 無駄

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●私など、耳の痛いことばかりである。このお話に添えられた、〔昭和之泉〕の写真がとても美しい。

昭和女子大学 図書館インターンシップ

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【図書館ブログ更新】
9月27日
図書館インターンシップについて -3-
インターンシップ生が経験してきた感想をまとめてくれました。内容が盛りだくさんなので、3回に分けてご紹介します。

今回のインターンシップは、「人間にしかできないこと」を探そうという気持ちで参加しました。中でも、選書ツアーの際に描いたポップはその人にしか描けない温かみがこもっています。(ペンネーム:M.K)

図書館の仕事というと貸出・返却、書架移動、レファレンスサービスを思い浮かべますが、今回はそれを含め秋桜祭企画・運営、経理、機関リポジトリ登録、選書会などの貴重な経験をさせていただきました。(ペンネーム:A.T)
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●図書館の担当者が、インターンシップの学生に、資料の複写に関して説明している写真が掲載されていた。現役時代のことごとが思い出されて、実に懐かしい。私は、重いニコンFとマイクロニッコール、三脚、それにマイクロフィルム、ミニコピーフィルムを持参して、全国の図書館を廻り歩いたのである。

近藤忠義先生の『近世小説』再録

●私は、菊池眞一先生と『仮名草子研究叢書』(2006年2月25日、クレス出版発行、全8巻セット定価85000円)を出した。近代に入ってからの仮名草子研究を概観し、代表的な著書や論文を複製して、仮名草子研究に役立てようと考えたのである。

●その、第7巻に、近藤忠義先生の『近世小説――その成立史――』全198頁を収録した。この著書の巻末には、
◎近世小説研究書要目
◎近世小説翻刻叢書要目
◎近世小説史年表
が収録されている。昭和13年10月20日、河出書房発行である。近世文学研究を学問として推進させたい、という近藤先生の姿勢が伺える。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。単行本 解説 深沢秋男 近世初期の約八十年間に書かれ、多くは出版された散文文芸の総称が仮名草子である。「仮名草子」の命名者は水谷不倒(弓彦)である。水谷は、東京専門学校(早稲田大学の前身)での講義録を著し、続いて、『近世 列伝躰小説史』を出版、さらに『新撰 列伝体小説史 前編』を出して、この中で仮名草子について論じた。近代的な研究も水谷不倒によって拓かれた、と言ってもよいだろう。
 もちろん、水谷不倒のみが、仮名草子の研究を進めてきた訳ではない。昭和二十年代以前に限ってみても、朝倉治彦・麻生磯次・石田元季・市古貞次・井浦芳信・潁原退蔵・片岡良一・近藤忠義・重友毅・新村出・鈴木行三・鈴木敏也・鈴木暢幸・関山和夫・高野辰之・暉峻康隆・長澤規矩也・中村幸彦・野田寿雄・深沢正憲・藤井乙男・藤岡作太郎・藤村作・北条秀雄・松田修・山口剛・山崎麓等々、多くの先学の努力が積み重ねられてきた。その研究論文・研究書と作品名の全貌は、『仮名草子研究文献目録』(深沢・菊池編、二〇〇四年、和泉書院)によって知る事ができる。
 仮名草子作品の数も、昭和三十年頃までは二百点足らずであったが、その後の研究によって、現在は三百点以上になっている。このようにみる時、仮名草子研究は活発に行われてきたように思われるが、明治以後昭和二十年、つまり、近代的な研究が始まってから、第二次世界大戦終結までの約四十年間に書かれた論文は一二〇点余に過ぎない。年間平均三論文という状況であった。
 戦後の研究は、昭和二十二年の野田寿雄の「仮名草子の世界」(『国語と国文学』7月)から始まるが、二十二年から三十五年までの十四年間に七十四論文という低迷が続いた。ところが、三十五年から七年にかけて、野田寿雄の日本古典全書『仮名草子集(上下)』が刊行されて、研究は活発化してきた。
 『仮名草子研究叢書』は、雑誌論文は、昭和二十九年以前のものを全二巻に収録し、単行本は昭和二十年以前のものを全六巻に収録したものである。
 近年の仮名草子研究は、細分化され、緻密な論文が多い。しかし、明治以降の先学の遺された研究が全く通用しなくなった訳ではない。むしろ、このように細分化され、微視的な傾向にある現在にこそ、明治以来の研究を振り返り、巨視的な観点から、仮名草子を見直し、先人の研究を吸収して、新たな研究の
出発点にすべきではないかと考える。本叢書を刊行する所以である。
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●平成16年12月、朝倉治彦先生から、この叢書の編纂を依頼され、私もかねがね、必要な事だと考えていたのでお引き受けした。ただ、実際に作業に入ってみると、かなりの労力を要する事がわかった。そこで、菊池真一氏の協力を頂く事にして実現したものである。収録内容に関しては、様々な制約があり、希望通りにゆかなかった部分も少なくない。それらの諸点については、今後の若い研究者に任せる事にして、一応出版することにした。
●この叢書に収録した先学の論文や単行本を、改めて目を通すと、私達は偉大な研究者の学恩を頂いて、ここまできたが、果たして、どこまで吸収消化できたのであろうかと、感謝と共に反省の念が強い。私個人としては、近藤忠義・重友毅・長澤規矩也・小田切秀雄の諸先生には法政大学で教えて頂いた。横山重・野田寿雄・朝倉治彦の諸先生には、仮名草子に関して多大の御指導を賜った。中村幸彦先生には九州大学で、野間光辰先生には京都大学で、井浦芳信先生には昭和女子大学で、諸本調査などの折に、それぞれお導きを頂いた。若い頃には暉峻康隆先生にも教えて頂いた。水谷不倒・山口剛・北条秀雄・麻生磯次・石田元季・市古貞次・潁原退蔵・片岡良一・新村出・鈴木行三・鈴木敏也・鈴木暢幸・関山和夫・高野辰之・深沢正憲・藤井乙男・藤岡作太郎・藤村作・山崎麓等々、論文や著書を通して多くを学ばせて頂いた。この叢書を編纂することで、仮名草子研究を振り返る事ができて感謝している。
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