鈴木棠三先生の思い出


醒睡笑三巻以胡月堂所蔵万治元年刻本一校加朱墨了
時天保十二年龍集辛丑秋九月朔日夜雨蕭々
古今園亀寿識
明治廿四年八月丗日宵暗蛩始鳴之夜
今様むかし男 抄了

●今回、底本にした、『醒睡笑』の巻末に記された識語である。鈴木棠三先生の解説を拝見すれば、わかると思うが、胡月堂所蔵本に、天保12年に、古今園が一校を加えたもので、明治24年に、今様むかし男が、この原本から抄出書写したもの、ということであろうか。その後、吉田先生の所蔵本になった、という事のようである。
●今、『仮名草子集成』第57巻収録の『醒睡笑』サブ校正を終えた。底本は吉田幸一先生旧蔵本である。その原本の複製本を、鈴木棠三先生が出された。私は、吉田先生にも、鈴木先生にも、多くの御配慮と御指導を賜った。
●鈴木先生は、棠門会を主宰され、毎年、横浜で会員一同が集まって、先生を囲んで、楽しいひと時を過ごした。私は、神田の錦正社、東京堂出版の関係で参加させて頂いたが、参加者には、出版社の編集者が多かったように思う。
●鈴木先生の御自宅は、鎌倉の小高い丘の頂きにあり、見事な眺めの豪邸だった。何回か、お伺いしたが、書斎が見事だった。原稿執筆用の机が3台並べられ、テーマ別になっていた。広い書斎の壁面は、参考図書がズラリと、天井まで埋められていた。書架は、電動式のもので、輸入品だという。何列もある書架が、ボタン1つで開閉した。蔵書は、先生の基準よって、テーマ別に配架されていた。
●私は、何人もの研究者の書斎を拝見してきたが、人それぞれであった。しかし、この鈴木先生の書斎の如き見事さは、後にも先にも見たことが無い。もちろん愛書家・蔵書家の書斎の見事さ、膨大さは、テレビや雑誌で見ているが、研究のために、これだけの蔵書を持っておられたのは、そう、多くないと思う。
●先生の原稿執筆の速度も見事であった。長距離列車の中でも執筆されたという。私など、蔵書も執筆姿勢も、とても足許にも及ばないと、ただ、畏敬の思いだけが残っている。

精神一到何事不成

●今日、山梨の原中学校の恩師、望月昭先生から、年賀状の返事を頂いた。先生は、体調を崩され、御療養中の由。先生の御健康が案じられる。御回復を念じ申し上げるのみである。

●5年前、私は、次のようなブログを書いた。その後、転居して、私の書斎は狭くなったが、望月先生から頂いた金言の額は、現在も、大切にしている。いつも、いつも、机に向かう私を見守り、励まして下さっている。
●昭和26年(1951)に書いて下さった〔サイン帳〕の書と、後年、頂いた額装の書と、見比べて、先生の人生の歴史にも思いを致し、感謝の念は尽きない。今、振り返ると、研究生活の中で、何度も何度も、壁に突き当たった。そこで、引き下がれば、身は楽である。しかし、それでは、一段上のレベルには進めない。その時、望月先生の書かれた、この言葉が、奮い立たせて下さったのである。
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精神一到何事不成

2012.12.19 Wednesday – 20:09 – – – – by 如儡子(にょらいし)

●風邪のせいで遅れていた年賀状を今、書いている。中学校の数学の先生の所まで進んで、はた、とペンは止まった。望月昭先生、私たち生徒より5歳か6歳上の若い先生。私達の原中学校が初めての教員生活だったかと思う。先生の授業は難解で進度が速く、私はついて行くのがやっとだった。
●中学卒業の時、サイン帳が流行っていて、私も望月先生に、一筆お願いします、とノートを差し出した。先生は、筆をとりサラサラと書いて下さった。高校・大学と進み、時折、ノートを開くと「精神一到何事不成  望月 昭」とあった。私は、この金言に何度も励まされて、学業を続けた。
●後年、クラス会(末広会)で望月先生にこの事を申し上げたら、先生は粟山という号を持つ書家になっておられた。改めて筆をとって額装にしてプレゼントして下さった。この金言の出典は『朱子語類』である。
「陽気発処、金石亦透、精神一到、何事不成」精神を集中して事に当れば、どんな難事でも成就しないことはない。私は、中学卒業の時に、このような古人の名言をプレゼントされていた。ただ、感謝あるのみ。

文明の利器に乗れない人々

●文明の利器は、活用すべきである。私は、仮名草子作品の諸本調査で全国の図書館を訪れた。かつては、夜中にブルートレインで東京を出た。しかし、新幹線が走り、空港が各県に開設され、移動が効率化してきた。この時代の私達は、先学の実績以上のことをしなければ申し訳ない、そう思って諸本調査を続けたものである。

●パソコンの波が、会社にも大学にも波及してきた。早稲田大学の谷脇理史先生は、大学からパソコンが全員に支給され、パソコンが出来なければ、全てが進まない、と話しておられた。昭和女子大も、その後、同様になった。
●私は、所属する教員の方々に、パソコン利用をお願いした。対応は様々であった。既にパソコンを持っていた方々、即座に購入して習い始めた方々。ボクは書き原稿で通して、パソコンはやらない、と申した御仁。大学の新聞などに、パソコンを習う前に、日本語の勉強をして欲しい、とマジメに書いていた御仁。対応は様々であった。
●それから、約10年以上が過ぎた。今の状況はどうだろう。書き原稿で受取ってくれる雑誌はあるだろうか。パソコンの習熟など、日本語の勉強などと同列に扱うものではない。日本語を勉強するツールがパソコンである。
●いつの時代にも、文明の利器の活用が出来ない人々はいる。パソコン普及の波の中で苦しんだサラリーマンの悲哀を、しばしば見た。私は、今、81歳である。同年輩の方々が内蔵する貴重なデータが、ネット界に十分に提供されていないことを残念に思う。

原稿用紙 → ワープロ → パソコン

●私は、文房具には、こだわって来た。少しでも気分良く、文章が書きたい。ボールペン、万年筆、インク、原稿用紙、便箋、封筒、印鑑、篆刻、エンボッサー、などなど。過日、整理した時、ペンたてが、18個もあったのには、驚いた。コピー機も2機種使用後、最終的には、リコーの上位機種をリースで導入した。これは、昭和女子大の教授室のものと同じ機種だった。

●原稿は、万年筆で、原稿用紙に書くもの、ということで、原稿用紙も自分のものをたくさん作った〈はいばら〉でも、〈丸善〉でも作ってもらった。『近世初期文芸』専用の、30字×22行の原稿用紙も作った。
●ワープロの出現はショックだった。最初は、大型で何百万円もした。やがて、小型のワープロが出たが、高価で手が出なかった。そんな時、昭和女子大学の国文科の学科長、原田親貞先生が、いち早く購入された。私は、原田先生の研究室に出入りして、使い方を教えてもらった。
●ワープロの世界も日進月歩で、価格も安くなって、原稿も原稿用紙に万年筆ではなく、ワープロの時代になったのである。私は、アイエス編集プロダクションが大型の富士通のワープロを導入していたので、富士通のものにした。キーボードは親指シフトだった。大学の研究室では、10万以下の安い機種を使ったが、自宅の原稿執筆用は、プロ仕様の下位機種にした。48VL,40APなどである。しかも、1台ではまずい。故障すれば原稿が書けない。私は、常に2台準備して、原稿執筆に支障のないようにした。
●やがて、時代は、ワープロからパソコンへ代わった。私もいち早く、切り替えた。ボーナスを貰った日に、池袋のビッグカメラに寄って購入。店員は、一太郎が品切れでワードしかありません、という。ワードで結構です。パソコンもデスクトップにノート、常に、2台から4台を活用していた。パソコンの不具合で原稿が書けなかったことはない。

尊敬すべき研究姿勢

尊敬すべき研究姿勢

●今日、元昭和女子大学副学長の岡村浩先生から、論文2点を拝受した。

【1】「アジア諸国への製革技術の移転経過」
農学博士・前日本皮革技術協会会長 岡村 浩

1、 はじめに   【省略】
2、 台湾、韓国への技術移転  【省略】
3、 中国への技術移転   【省略】
4、 まとめ   【省略】

(『皮革新聞』 平成28年7月25日 新年特集号)

【2】「Calf Skin によるクロム甲革(グレージング仕上げ)の
製造」

岡 村   浩 〈昭和女子大学名誉教授、農学博士、技術士〉
諸 橋 悠紀冶 〈株式会社山崎化学研究所 元技術部勤務〉

1、 はじめに

クロム鞣しによる革製品の大部分は、成牛皮を使用し、小牛皮を原料皮にする工場は非常に少ない。小牛皮は成牛皮に比較して工場における技術的な欠陥が目立ちやすく、取り扱いや管理が難しい。しかし、小牛皮より製造された革製品(靴、八ンドバッグ等)は婦人用持ち物に適しており、高級品とされている。
著者らが勤務していた山崎化学研究所(社長:山崎正一)の草加工場(技術系社員5名、作業員80余名)は、小牛皮よりスエード革の製造を専門としていた。しかし、スエード革の流行はすでに終わり、銀面を使用するクロム甲革(特に5~7IbS.)の製造への転換が急務であった。TQCの常法により、(1)工場管理の目的で可能な限りのデーターを集める。(2)各工程の特性要因図を作成する。(3)各要因の単独および前後の要因を加えた条件を実験室および現場の試験結果より決定。(4)基礎知識の確認およびヨーロッパにおける副資材メーカーによる製革情報の調査。(5)外国における鞣製工場の見学等を行った後、小牛皮を使用したクロム甲革の作業標準を
作成した。検討開始より10余年の歳月を要したが、小牛皮専門メーカーの仲間入りを果たすことが可能となった。
本資料では、小牛皮によるクロム甲革製造に関する開発記録をとりまとめた。

2、諸検査およびデータの収録   【省略】

3、特性要因図の作成および要因の検討   【省略】

4、海外への製革技術に関する研修   【省略】

5、小牛皮によるクロム甲革の製造工程標準表の作成  【省略】

6.ま と め

近年、日本における小牛皮によりクロム甲革を製造する工場が、転業や廃業により多く消滅し、非常に数が少なくなり、特にLight Calfのグレージンク仕上げが無くなる恐れも生じて来た。イタリアの皮革商が感心する日本のLight Calfのグレージンク仕上げ、このような特殊な製品にこそ日本の皮革産業の生き残る路(みち)となるのではないだろうか。特に、この生産は大規模な工場では不可能で、小回り
のきく小規模なよく精錬された工場のみが可能と考えられる。
「この総説は、療養中の柏田中病院での執筆であり、記憶もれもあるかと思いますが、おゆるし下さい。なお、クロム甲革の仕上げについては『皮革工業新聞』連載記事のクロム甲革の品質管理の実例(昭和52年より連載100回)に詳細に書いているので参考にされたい、」
(文責・岡村 浩)

(『皮革新聞』 平成29年1月10日 新年特集号)

●岡村浩先生は、昭和女子大学で、食物学科学科長、理系学科の要職を勤め、副学長になられた。御健康の問題がなければ、学長になられた方である。
●私は、平成15年6月14日の、「岡村 浩先生ご退職祝賀会」にも参加させて頂き、何と、お祝いのスピーチまでさせてもらったのである。文系の名も無い私が、このような場に出ることが出来たのも、現職の間、毎朝、大学近くの喫茶店で、岡村先生と同席させて頂き、理系の研究姿勢に関して多くの事をお教え頂いた関係からである。
●オーロラホールで行われた、岡村先生の最終講義は感動てきであった。そのような先生から、今、2点の御論文を頂き、身の引き締まるような思いである。先生は、このところ、御健康がすぐれず、入退院を繰り返しながら、この論文をまとめられたのである。

〔田舎者〕

●今、『仮名草子集成』第57巻の校正をしている。『醒睡笑』の
「躻」の2話目、藤五郎と専十郎の話が出てくる。都人と田舎人の
習慣の違いを利用した話である。
●私は、高校を卒業して、山梨から東京へ出た。まず、第一に痛感
したことは、東京の人は、時間を大切にしている、ということであった。
『醒睡笑』の頃は、京都であったが、明治維新後は、東京となる。
●学生時代に、私は、学生運動には殆ど参加せず、同志にカンパをして、
図書館に通っていた。ただ、1回だけ、安保闘争の時、国会へのデモに
参加した。樺美智子さんが亡くなった日である。その夏休みに田舎へ帰って、
驚いた。「秋男さんは共産主義者」になっていたのである。「田舎」とは、
その程度の文化レベルの「場」である。以後、私は「田舎」の基準を捨てて、
日本の中心である「東京」を基準にして研究を続けてきた。
●故郷に錦を飾る、これでは、小さすぎる。「○○県一」では、日本一には
なれない。田舎では、研究書の2、3冊も出せば、大先生と言われるだろう。
東京では、本の5冊や10冊出しても、全く問題にされない。私が、地方の大学
へ行かなかったのも、このためでもあった。
●我が県出身の○○大臣が○○国の大統領と、我が郷里で会談をした。
私の発案で生まれ故郷に桜の公園がつくられた。今年、その公園に看板が
立てられた、と写真を送ってくる御仁。これらは「田舎者」の部類に
入るだろう、そんな風に私は思っている。多謝。

謹 賀 新 年

 明けまして おめでとうございます

皆様には、お健やかに新年をお迎えのことと
お察し申上げます。私もお蔭さまでつつがなく
平成29年を迎えることが出来ました。有り難
いことと感謝しています。
どうぞ、本年も宜しくお願い申上げます。

       平成29年、2017年 元旦
              深 沢 秋 男

平成28年、2016年を送る

平成28年、2016年を送る

●今日で、平成28年が終る。1年間を振り返ると、いろいろな事があり、嬉しさもあり、悲しさもあった。まさに、これが人生だろう。
★如儡子の『堪忍記』(下) 《『芸文稿』第9号 7月》   65頁
★『百八町記』の諸本 《『近世初期文芸』第33号 12月》 24頁
★仮名草子研究の歴史 《『近世初期文芸』第33号 12月》 72頁
★武家の女性の素顔 井関隆子 《「武士の仕事」 洋泉社 6月》 
▲「近世初期文芸研究会」のHP閉鎖  8月
▲「深沢秋男の窓」サイト開設 9月
△『仮名草子集成』第55巻 2月
△『仮名草子集成』第56巻 9月
△田中宏著『仮名草子の文学的研究』  1月
△齋藤豪盛著『みちの奥の町工場物語』 6月
●ざっとながめると、こんな事があった。この年になると、リプリントのようなものが多くなる。これも、あれこれ考えてのことである。『百八町記』の諸本は、図書館へ調査に出かけられず、大変、不本意なものであった。しかし、素通りは出来ないことで、こんなことも、ある、ということである。
●田中宏氏の著書は、とても嬉しいことだった。自分の事のように、考えていた。また、齋藤豪盛氏の自分史も嬉しかった。仮名草子作者、如儡子・齋藤親盛の御子孫の著書である。
●東京堂出版の『仮名草子集成』55巻・56巻の発行は、朝倉治彦先生の始められた大企画の継続であり、先生から依頼された事を実現できたかな、と思っている。
●インターネットの件は、平成27年8月に、閉鎖したが、大変だった。図書館やネットカフェを利用して、しのいでみたが、今やネット無しでは、研究が出来ない時代である。それで、今年の1月再開。「近世初期文芸研究会」のHPは、菊池眞一先生の御配慮で継続してきたが、8月閉鎖、データは「J-TEXTS」に保存して利用できるようにしてもらった。研究上の情報発信として〔深沢秋男の窓〕を開設し、ブログは、今年の1月、JUGEMに〔老人雑録〕を開設して、何や彼や書き込んでいる。
●編集・発行していた雑誌、『芸文稿』は、安藤武彦先生・松本節子先生に継続して頂き、『近世初期文芸』は、稲栄社印刷さんの御配慮で、何とか発行が継続されている。有り難いことである。
●『井関隆子日記』も、次第に評価され、大学入試センター試験に、国語の外に日本史にも出題されていたことが、今年判明した。高校の授業でも取り上げられていた。日本の古典作品として認められた、と言っていいだろう。約40年かかって、ここまできた。
●『可笑記』も、最近では、高校の入試に出る事が多くなり、仮名草子作品として認められるようになった。この作品と作者の解明をライフワークにしてきた私としては、嬉しい。
●生活の方は、妻と2人で仮住まいに移り、庭木の剪定も、落葉掃きの必要もなく、自分たちで炊事・洗濯・掃除をして、独身時代を思い出すこともある。これもいいなア、と思う。先学・先輩・知人・友人の多くが御他界なされた。また、東京を去って、地方でゆったりと老後を過ごされる方々もおおくなった。私達は、デイサービス、お達者クラブ、など、地域の方々と交流をさせてもらい、有り難いことだと感謝する毎日である。

■『近世初期文芸』第33号

恩師・赤井須磨子先生

恩師・赤井須磨子先生
2016.12.26 Monday
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●午前中、『仮名草子集成』第57巻の校正をしていたら、
原小学校の恩師・赤井須磨子先生からお電話を頂いた。
『近世初期文芸』第33号をお送りしたので、そのことであった。
先生は、「秋男さんの書いたものだから、全部読もうと思って、
最初からみんな読みましたよ」と申された。「私の書いたものなど、
研究者でも、殆ど読んではくれません。赤井先生、本当に有難う
ございます」と心からの御礼を申上げた。
●先生は、一つ質問ですが、巻一○丁、巻二○丁、とあるでしょ。
この「丁」とはどういうことですか、と申される。私は、和本の頁の
ことで、今の本の2頁分のことです。と申上げた。こんな、私の書いた
ものを、読んでくださる。しかも、御高齢の小学校の恩師である。
涙が出そうになった。
●そういえば、身延高校の国語の先生は、石田永知先生だった。
石田須磨子先生の弟さんである。須磨子先生は、同じ原小学校の恩師・
赤井三男先生と結婚されて、赤井須磨子先生になられた。お二人は、
やがて、東京に出られて、三男先生は永年校長先生を勤められ、
先年叙勲を授与された。須磨子先生も永年東京の小学校で教育に従事された。
●私にとって、赤井三男先生も、石田須磨子先生も、そうして、
石田永知先生も、人生の根幹を示して下さった大恩人である。
石田永知先生は、身延高校の国語の時間に「深沢は、梨大の
学芸学部へ進みなさい」とアドバイスして下さった。
●1本の電話から、人生を振り返ることができた。

山崎宗鑑の真筆

2016.12.21 Wednesday

●天理大学の金子和正先生から山崎宗鑑の真筆の絵葉書を頂いた。

  風寒し 破れ障子の 神無月   宗鑑

所蔵は伊丹・柿衛文庫である。絵葉書の郵便番号は5ケタの古いもの。それだけに見事な複製である。
●私は、今、翻刻・校注・複製などで出した単行本の解説などを整理している。場合によっては、埋もれさせるのも勿体無いので、まとめて一本にするのもいいか、そのように思い出している。
●仮名草子の作品で、最初に諸本調査をしたのは、『可笑記』である。この作品はベストセラーに成ったので、伝存諸本も多い。全部で82点である。これを全国の大学図書館などを廻って、実地に調査した。その結果を近世文学会で口頭発表し、『文学研究』第28号(昭和43年12月)に公表した。原稿は80枚余である。
●実は、この大部な原稿の査読をして頂いたのが、天理大学の金子和正先生である。何日間もかけて読んで下さり、朱で訂正して返送して下さった。以後、私は仮名草子諸作品の書誌調査をしたが、お手本は天理図書館の書誌学である。
天理図書館の、木村三四吾先生、金子和正先生の御指導を頂いて、仮名草子の書誌的調査を進めてきた。
●今日、金子先生から頂いた、山崎宗鑑の真筆の葉書をしみじみながめて、金子先生の御学恩に感謝申上げた。