母校〔原小学校〕の同級生・恩師

●今回、頂いた『はら 原小学校閉校記念誌』の、卒業生名簿を見ると、私の学年は、全61名である。そのうち、17名の友が、すでに御他界なされている。

●深沢H君、望月T君、望月N君、望月M君、五味Y君、市川Y君、小菅T君、樋川T君、土橋T君、石井K君、加藤H君、佐野T君、佐野K君、樋川M君、小林Tさん、天野Tさん、佐野Tさん。
●一人一人、思い出すと、語りつくせぬ想い出がある。私の家の隣の佐野邦彦君は、中学卒業の時のサイン帳に、「9年間、一度も喧嘩したことの無かった2人だったね。秋男君も、高校へ進まず、実社会に出るとなると、つらいことと思うけれど、決して、悪に手を出すな。一度でも、手を出すと、2度と元の君には戻れないぞ。……」こんな情のこもった言葉を書き込んでくれた。9年間、一度も喧嘩したことの無い、幼馴染なんて、少ないと思う。邦彦君は、身延高校に進んで、製菓会社に入社して活躍したが、訳あって、自ら、その命を絶った。私は、彼の仏前に手を合わせて、涙が止まらなかった。
●私は、小学校に入っても、勉強は全くしなかった。成績は、61人中30番くらいのところをウロウロしていた。転機は、5年生の7月6日、父が食道ガンで亡くなった時だった。少し勉強したら、赤井三男先生が、褒めてくれた。それまでは、いたずらばかりしていた。赤井先生から「お前は、もう、原小学校では面倒見切れないので、切石小学校へ移す」と怒られた。これには、本当に心の底から反省した。そんなこともあって、学ぶ、という事の楽しさを知った。赤井先生は、人生の恩師である。
■昭和22年度の卒業記念
最後列の真ん中に立っておられるのが、赤井三男先生

母校〔原小学校〕に思うこと

●私の小学時代に教育をしてくれた学校は、明治29年、1896年に創立された。〔伊沼他二ケ村立原尋常小学校〕という。〔伊沼他二ケ村〕とは、伊沼と、八日市場、飯富の2つの村である。私は、以前、徳川時代の甲斐の国の石高を記録した写本を持っていた。石高では、八日市場が最も多く、伊沼が最も少なかった。ただ、伊沼は、地理的に真ん中にあった。それが〔伊沼他二ケ村〕になったのだという。伊沼村の字は〔原〕だった。それで〔原尋常小学校〕ということのようである。
●私の父は、深澤庫三、明治33年度、1900年の卒業である。今から、117年前である。父は、石工であったが、文人肌で、詩吟や剣舞を嗜み、若い人達に教えていたのを覚えている。父の刻んだ石仏も見たことがある。しかし、末っ子の私は、余り父に教えられた記憶がない。一つだけ質問したが、お前も大きくなれば、わかることだ、それが答えだった。詩吟をたしなみ、剣舞を趣味とし、優しい顔の石仏を刻む、そのDNAが私に流れているのかも知れない。
●御兄弟は 何人ですか?
◎ 昭和7年度卒業  深澤婦志ゑ 他界
◎ 昭和9年度卒業  深澤安男  戦死
◎ 昭和12年度卒業 深澤タマエ
◎ 昭和15年度卒業 深澤庫一  戦病死
◎ 昭和19年度卒業 深澤昭七
◎ 昭和22年度卒業 深澤秋男
これが、私の姉や兄達である。もう一人いるが、早世している。
●私は末っ子で、自分勝手な性格ゆえ、兄弟姉妹に関しても無関心だった。大分前に、急性盲腸炎で、国立西埼玉中央病院で手術した。開腹して見たら大腸が癒着していて、結果的には大手術になってしまった。手術が終わり、病室に移って、看護婦さんが、「深澤さん、御兄弟は何人ですか?」 私は、一所懸命に思い出したが、わからない。「自分の兄弟の人数位覚えておきなさいっ!」と妻に叱られた。以後、大反省して、現在は、毎朝、仏壇の前に座って、お線香を上げて、感謝の思いを申上げている。
●いま一つ、反省点を記したい。私は、戸籍上は「深澤」である。しかし、論文も著書も「深沢」で通している。新字体があることだし、簡単に済ませたい、どうせ記号に過ぎないのだから。しかし、これは、御先祖様に対して失礼ではないか、そのように反省している。
■父の使った教科書

母校〔原小学校〕閉鎖

●今日、身延町の実家から『はら 原小学校閉校記念誌』が送られてきた。少し前、同級生の正枝さんから、猿が家の近くまで出てきて、庭の柿を食って困る、と伝えられた。望月昭先生は、畑に猿や猪が入らないように、電気網を設置した、と知らせて下さった。郷里出身の歌人、若宮貞次先生は、御実家の田畑の管理に困っている歌を詠まれた。私は、昭和18年に〔原国民学校〕に入学し、昭和23年に〔原小学校〕を卒業した。振り返ってみると、人生の基礎を教えてもらった学校である。私の故郷にも、過疎化の波が押寄せ、合併統合ということになった。淋しい。

■『原小学校閉校記念誌 はら』平成29年3月19日発行■
内容は、「百周年までの歩み(1896~1996)」をはじめとして、詳細な記録、写真が収録され、関係者の閉校に寄せる、切実な思いが収められている。貴重な記録として、後世に伝えられるだろう。
●私は、この記念誌を、最初から最後まで、全て目を通し、一つ一つの記録や言葉や、写真をルーペで見せて頂いた。関係者に対して、感謝申上げる。
●私の実家を守っていてくれる、深澤勝氏は、町会議員に選ばれ、今度、副議長になった。誇らしく思う。多難な町の運営に取り組んで、立派な政治家と言われるように、努力して欲しい。〔会社の社長〕では、よい政治家にはなれないだろう。

上海交通大学「日本文化資料センター」

上海交通大学「日本文化資料センター」への書籍の寄贈

●平成7年11月、昭和女子大学の姉妹校・上海交通大学に日本文化資料センター(菁菁堂)が竣工した。その2年程前から着工していて、工事中の現場に、私も訪れた事があった。第2キャンパスの広大な敷地の中に、ひときわ高く立つセンターは堂々とした日中文化の殿堂と思われた。
●この中国旅行は、昭和女子大学の人見学長以下、77名が参加した。原田先生、大西先生、南さんなど、楽しい、14日間の旅行であった。私としては、日本文化の源流を研修するもので、今も有り難い企画であったと、感謝している。上海交通大学の、第二キャンパスは広大な敷地で、この中に昭和女子大から寄贈した、日本文資料化センター (菁菁堂)が建設された。

日本図書の寄贈(第1次)


●日本文化資料センターは、大講堂、各種研究室、教室、図書室からなり、図書室への図書の整備には、本学も全面的に協力した。教育会議の席上、教職員に不要になった図書の寄贈が提案され、全員がこれに協力した。
●ただ、私個人としては、不要な書籍は殆どなく、自分で出した3冊の本を提供したに止まった。もっと寄贈したいが、必要に迫られて購入したものばかりで、無い袖はふれない。
●思案の末、かつてお世話になった出版社、誠文堂新光社に打診してみた。話はトントンと進み、人見学長から小川社長への依頼状を書いてもらい、大学の車で練馬倉庫へ頂きに伺った。先方は、新刊書で、中国で使える自然科学関係・天文関係・植物関係・動物関係の図書を選定してくれた。全522点であった。
●さらに私は思案した。そして、これも平生お世話になっている国文学の専門書出版の新典社の社長さんにお願いして、『源氏物語』や『曽根崎心中』など、日本の古典文学の影印本を寄贈して頂く事にした。平成7年1月、全148冊を大学当局にお届けした。
●これら全ての本が、上海交通大学に届き、図書室に配架されているか否かはわからないが、2つの出版社の協力を得て、全673冊を寄贈したと、自分では思っている。

日本図書の寄贈(第2次)


●平成14年12月、大学の研究室の私物の書籍が2000冊を越え、定年も近い事だし、この種の整理は少し早い方がよかろう、そう思って整理する事にした。折角だから、これを何とか上海交通大学に寄贈できないか、と国際協力室にたずねたら、便宜をは計って下さる、という。整理して、全1000冊のリストを作って見てもらったら、内容的にもOKが出た。それで、第2次として、日本文化資料センターへ寄贈させて頂いた。全て送料は大学で負担して下さった。
●国際協力室の増沢先生、生天目氏など、皆さんの御配慮によるもので、この点、感謝している。後日、上海交通大学から連絡があり、差し上げた書籍は、既に書架に並べられているとの事であった。
●今回、寄贈した書籍には、岩波の新古典文学大系100冊、講談社の明治・大正の雑誌創刊号の複製(全100点)などもあり、少しはお役に立つかと思う。最後に、この度の書籍の処置について、妻も息子も大賛成してくれた事には、私的な事ではあるが、大変感謝している。言うまでもなく、これらの本は、私一人で購入したものでは無いからである。
●蔵書の処置については、いろいろのスタイルがあると思うが、専門書は、同テーマの若い研究者に寄贈するのが最もよいように思う。私の蔵書は現在、約6000冊であるが、今回、上海交通大学と同時に、イタリアの若い仮名草子研究者、ラウラさんに古典文庫全冊を寄贈した。外国人でありながら、日本の文学、それも、誠に地味な仮名草子研究に一所懸命に取り組んでいる姿勢と、その有能に期待しての事である。
●ただ、一般書の処置はむずかしい。区立、市立の図書館でも、まして、大学図書館でも、寄贈されても、有難くは思うが、迷惑というのが実状である。所蔵スペースの不足が原因。そこで、上海交通大学が浮上してくる事になる。第3次を考えてもよいか、と思い出している。しかし、これとても、家族の了承を得ての話ということになる。1万、2万という金を払って購入した本だからである。

定年後の講演

●私は、現役の頃は、他大学への非常勤の出講もしなかったし、千葉の市民文化大学での一件以来、学外での講演活動も一切しなかった。ただ、定年退職後は、依頼されて、都合がつけば、対応してきた。例外は、ロータリークラブで、これは、途中からお断りしている。
●調布市の市民講座は、結婚の時、調布市に、新戸籍を申請して、本籍地でもあり、懐かしく、第二の故郷と思っているので、喜んでお伺いした。ただ、私が生活していた頃とは、都市化が著しくて、市役所も図書館も、素晴らしい施設になっていた。私の講演も、「たづくり12階大会議場」という大きな会場だった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

旗本夫人が見た江戸のたそがれ
                  90分
調布市立図書館・アカデミー 愛とぴあ
平成二十年七月八日(火)午後二時~
深沢秋男

●本日は、調布市の皆様にお話するチャンスを頂き、大変ありかたく、感謝申し上げます。実は、昭和女子大学でお世話になった、萩谷さんから、この件を持ちかけられ、喜んで、お引き受けしました。
●実は私の本籍は調布市の国領町です。生まれたのは山梨県の身延町ですが、妻が世田谷の烏山だったため、結婚当時、調布市役所に戸籍を申請しました。
その後、埼玉の所沢に引越しましたが、何かある度に調布市役所のお世話になっています。そんな関係もあって、第二の故郷のように思っています。
●さて、本日は「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」というタイトルでお話し致しますが、皆さんのお手許に、十枚の資料を差し上げてあります。右下に、1、2、3、4、と番号が付けてありますので、それを使いながら進めたいと思います。年表や図版を入れましたので、少し枚数が多くなりました。
●1枚目のトップに。
一、はじめに
二、井関隆子(いせき たかこ)
三、『井関隆子日記』
四、井関隆子という女性
五、『井関隆子日記』に描かれた江戸城大奥
とあります。今日、お話しする概要です。この順序で進めたいと思います。
一、はじめに
二、井関隆子(いせき・たかこ)
○井関隆子関連略年表…………
○井関家人間関係図……………
○井関隆子の家…………………
○井関家の屋敷……………………
○井関家の菩提寺・喜運寺………
○隆子の実家・庄田家……………
○『庄田家系譜 正本』…………
○庄田家墓石………………………
○井関家墓石………………………
これらを参照しながら聞いて頂きたいと思います。
三、『井関隆子日記』
○原本の表紙・挿絵の写真…………
○『井関隆子日記』天保十一年一月一日
四、井関隆子という女性
○少し詳細に記したので、簡単に説明して進めます。
五、『井関隆子日記』に描かれた江戸城大奥
1、『井関隆子日記』の情報源
○江戸城本丸大奥の図面…………………
2、天保の改革は、家斉の側近の処罰から開始された
3、徳川家斉の没日の謎
○徳川主要人物没日一覧…………………
4、徳川家定の第一正室の実父は誰か
5、江戸城本丸全焼の実際
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●こんな内容で、90分が過ぎた。お話しが終ったあと、何人かの方から質問が出た。今、思い出すと、井関隆子という女性を、どのように評価しているのか。また、専攻の仮名草子の研究を中断して、井関隆子の研究に取り組んだというが、そのことを後悔していないか、などと、いう質問が出された。
●私は、7人兄弟の末っ子に生まれ、兄や姉に可愛がられて、やりたい放題の生き方をしてきた。親に無断で、工学部建築科から文学部日本文学科に変更して、家の出入り禁止に会うなど、そんな、自分勝手な生き方をしてきたので、こんな、非常識なことが出来たのだと思う。しかし、この選択を後悔はしていない。
そんな風に、お答えした。

学術刊行物『文学研究』

●法政大学文学部日本文学研究科、大学院修了者を母体にして刊行された研究誌『文学研究』は、昭和28年(1953)創刊された。顧問は、西尾実、重友毅、近藤忠義、片岡良一、永積安明、西郷信綱、田中允の諸先生。常任委員は、小田切秀雄、小原元両先生、実行委員は、市川通雄、大窪教海、小澤良衛、笠間愛子、菅原一記、高橋辰久、等の諸先生である。新日本文学会、日本文学協会から、創刊を祝す言葉が寄せられている。
●私は、第18号の、昭和37年から入会させて頂き、第95号、終刊号の平成19年まで、常任委員として活動させて頂いた。昭和37年には、会長が重友先生、顧問が西尾先生、近藤先生、小田切先生になった。私の研究生活の基盤は、この研究会であり、研究会を指導された重友先生であり、研究会を運営された、先輩の先生方であった。
●今日、『文学研究』に収録されている、諸先生の御論文に接し、その学恩に対して、心からの感謝の念が沸き起こった。重友先生をはじめ、一人一人の先生に、何と多くの御指導を賜ったことか。落涙に及ぶ寸前である。我儘から、失礼なことも申上げたこともあったが、それらを、あたたかく包み込んで、お導き下された。
●ただ、文学作品の内部にある、真相解明のために、そのために努めてきた、55年間であり、先生方の御指導の基準もそこにあった。

忘れちゃったッ!!!

●昨日、散歩中に、お母さんにおんぶされた、一歳半くらいの男の子の反応が、とても、面白かった。

◎きのうは、○○ちゃんと遊んで楽しかったねッ とお母さん。
◎わすれちゃったッ と男の子。
◎××して遊んだでしょ? とお母さん。
◎わすれちゃったッ! と男の子。
●その男の子の表情が、忘れられない。何か恥ずかしいことをしてしまった時のような、はにかんだ表情。
●人は、このようにして、記憶して、データを蓄積して、小学・大学と進み、司法試験にパスして弁護士になり、国会議員にもなるのだなと思う。
●このところ、国会での稲田防衛大臣の、記憶していません、という答弁の時の表情と、お母さんの背中での子供の表情との落差。人間の記憶力と品性についての寸感。 

研究計画と結果

研究計画と結果   
はじめに

 大学を卒業して間もない頃、それまで使用していた手帳を、吉川弘文館の『歴史手帳』に変更した。以後、今日まで、この手帳を使用している。日本古典文学を研究する私であるが、特に、歴史学・国語学との関連を重視する私にとって、歴史手帳は、実に便利な手帳である。
 この『歴史手帳』には、巻頭に「本年の計画」という頁があって、私は毎年、この頁を見つめながら計画を立てた。50年間を振り返って、この「本年の計画」を通覧すると、自分の歩んで来た道が眺められて楽しい。
 私は、この手帳への記入の仕方は、予定などは、青色か黒色で記入し、予定を実行した時は、赤色で囲む。予定以外の事は赤色で記入している。これで、具体的な状況がほぼ分かる仕組みである。
 この手帳を見ると、何をしたいと思ったか、その思ったことが、どの程度、実現出来たか、それがわかる。
 大学定年後、10年余が経過した。今、研究の現役から引退し、気ままな生活であるが、計画も結果も、少なくなり、寂しさがある。
                2017年3月15日 深沢秋男

【記号】
◎=研究予定のテーマ
★=公表した、編著書・論文等
●=公表した、記録・随想・講演など
◇=原稿執筆していないもの
◆=研究活動など
▲=参考事項、その他

【注】編著書の場合、共著者名は省略した。

■1965年(昭和40年)■
◎『可笑記』と『可笑記評判』
◎『可笑記』の諸本調査
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』

■1966年(昭和41年)■
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『可笑記』の諸本調査
◎『可笑記』諸本の校異
◎仮名草子諸作品鑑賞・分析
◎『可笑記』と『徒然草』
◎校正技術の修得
★『可笑記』と『可笑記評判』――現実批判を中心に――(『文
 学研究』23号)

■1967年(昭和42年)■
◎『可笑記』に及ぼす『徒然草』の影響
◎『可笑記』の諸本調査
◎貞徳百韻関係
◎国文法・国文学史
★〈研究余滴〉『可笑記』の読者(『文学研究』26号)

■1968年(昭和43年)■
◎『可笑記評判』の校訂
◎『可笑記』の諸本
★『可笑記』の諸本について(『文学研究』28号)

■1969年(昭和44年)■
◎『可笑記評判』の校訂
◎『可笑記』の本文批評
★『可笑記』の本文批評(『近世初期文芸』1号)
★『可笑記』の諸本について――補訂――(『文学研究』3
 0号)

■1970年(昭和45年)■
◎『可笑記評判』の校訂
◎『可笑記』の諸本調査
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』・『可笑記評判』の成立時期
★『可笑記評判』(12月25日、近世初期文芸研究会発行)

■1971年(昭和46年)■
◎『可笑記評判』とその時代
◎『可笑記』・『可笑記評判』の成立時期
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』の諸本調査
★『可笑記評判』とその時代――批評書の出版をめぐって――(『文学研究』33号)

■1972年(昭和47年)■
◎『可笑記』の本文批評
◎『可笑記評判』批評書としての意義
◎『可笑記』の諸本調査明心宝鑑』
◎『可笑記』の諸本調査
★『浮世ばなし 付・明心宝鑑』(8月20日、勉誠社発行)

■1973年(昭和48年)■
◎『可笑記評判』の文学的評価
◎『可笑記評判』の成立時期
◎『可笑記評判』の書誌解題
◎『新可笑記』の書誌解題
◎『可笑記』の諸本調査
◎仮名草子研究文献目録
◎『天保日記』翻刻
★『可笑記』の諸本について――補訂(二)――(『文学研
 究』38号)
●仮名草子研究文献目録(『近世初期文芸』3号)

■1974年(昭和49年)■
◎『天保日記』校注
◎『新可笑記』の書誌解題
◎『可笑記評判』の書誌解題
◎『可笑記』の諸本調査
◎『浮世物語』の本文批評
◎『江戸雀』の諸本調査
◎『可笑記大成』
★『可笑記大成――影印・校異・研究――』(4月30日、笠間書院発行)
★『新可笑記』(10月25日、勉誠社発行)

■1975年(昭和50年)■
◎『天保日記』校注
◎『江戸雀』の諸本調査
◎『可笑記評判』の書誌解題
◎『天保日記』とその著者
★桜山文庫所蔵『天保日記』とその著者について(『文学研究』42号)
★国会図書館蔵『恵美草』の書写者について(『参考書誌研究』11号)
★『江戸雀』(11月23日、勉誠社発行)

■1976年(昭和51年)■
◎『天保日記』校注
◎エッケハルト・マイ博士の『東海道名所記』
◎或る旗本夫人の日記から見た江戸の風俗
★井関隆子覚え書(『文学研究』44号)

■1977年(昭和52年)■
◎『天保日記』校注
◎『神代のいましめ』の分析
★『可笑記評判(上)』(1月25日、勉誠社発行)
★『可笑記評判(中)』(2月25日、勉誠社発行)
★『可笑記評判(下)』(3月25日、勉誠社発行)
★井関隆子覚え書(二)――新資料『神代のいましめ』の紹
 介――(『文学研究』46号)

■1978年(昭和53年)■
▲手帳紛失
★井関隆子作『神代のいましめ』について(『文学研究』47号)
★『井関隆子日記(上)』(11月30日、勉誠社発行)

■1979年(昭和54年)■
◎『机上辞典』全面改訂版完成
◎『井関隆子日記』原稿
◎井関隆子のこと(掃苔会)
◎『井関隆子日記』原稿
◎重友毅博士著述目録
●石澤先生のこと(『石澤豊追悼』5月12日、追悼文集を
 発行する会発行)
●重友先生と大洗海岸(『文学研究』50号)
●講演 井関隆子のこと(10月27日、芝増上寺、掃苔会)
●上田秋成と『源氏物語』(12月9日、日本文学研究会)

■1980年(昭和55年)■
◎『井関隆子日記』原稿
◎仮名草子研究文献目録
◎『小傘付合辞典』
◎『井関隆子日記』との出会い
◎上田秋成と『源氏物語』
★上田秋成と『源氏物語』(上)――『源語』に寄せる五十
 四首の歌――(『文学研究』51号)
★上田秋成と『源氏物語』(中)――『源語』に寄せる五十
 四首の歌――(『文学研究』52号)
★『井関隆子日記(中)』(8月30日、勉誠社発行)

■1981年(昭和56年)■
◎『井関隆子日記』原稿
◎上田秋成と『源氏物語』
◎『井関隆子長短歌』
◎長澤規矩也先生の思い出
★井関隆子研究覚え書(三)――『井関隆子長短歌』・井関
 家過去帳・昌清寺過去帳――(『文学研究』53号)
★『井関隆子日記(下)』(6月5日、勉誠社発行)
●長澤先生の思い出――『可笑記』のことなど――(『書誌
 学』新28号)

■1982年(昭和57年)■
◎菱川師宣作品集成
◎『可笑記』と『徒然草』
◎近世文学史
◎秋成・芭蕉・近松・西鶴
★井関隆子研究覚え書(四)――『井関隆子日記』と『しづのおだまき』――(『文学研究』56号)

■1983年(昭和58年)■
◎上田秋成と『源氏物語』
◎『可笑記』と『徒然草』
◎近世文学史
◎国文法
◎芭蕉・蕪村

■1984年(昭和59年)■
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』の著者
◎上田秋成と『源氏物語』
◎エッケハルト・マイ博士の『東海道名所記』
◎『可笑記』の諸本調査
◎『仮名草子集成』関係
◎『近世木活字図録』関係
◎『日本随筆辞典』関係(東京書籍)
★『可笑記』に及ぼす『徒然草』の影響(『学苑』529号)
★『近世木活図録』(5月31日、青裳堂書店発行)
●仮名草子研究の現状――付、エッケハルト・マイ博士『東
 海道名所記』の紹介――(『文学研究』59号)

■1985年(昭和60年)■
◎桜山文庫本『春雨物語』
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『古典の事典』関係(河出書房)
◎『可笑記』の読み方
◎上田秋成と『雨月物語』(千葉市民文化大学)
★『可笑記』と『徒然草』――1の2・1の4――(『学苑』641号)
★『可笑記』の読み方――「かしょうき」か「おかしき」か――
 (『文学研究』62号)

■1986年(昭和61年)■
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記評判』の成立時期
◎『浮世物語』の本文批評
★『可笑記評判』の成立時期(『文学研究』63号)
★『桜山本 春雨物語』(2月25日、勉誠社発行)

■1987年(昭和62年)■
◎『可笑記評判』の成立時期
◎『可笑記』と『徒然草』
◎近世女流文学研究文献目録
◎馬琴『水滸後画伝』考
◎『浮世物語』の本文批評
◎如儡子関係調査(二本松・酒田・鶴岡)
◎仮名草子研究文献目録
★『可笑記評判』の成立時期(承前)(『文学研究』63号)

■1988年(昭和63年)■
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(二本松・郡山・福島・酒田・鶴岡)
◎『堪忍記』翻刻と研究
◎馬琴『水滸後画伝』
◎近世女流文学研究文献目録
◎『可笑記』の諸本調査
◎「評判」について
★如儡子(斎藤親盛)調査報告(1)(『文学研究』67号)
★如儡子(斎藤親盛)調査報告(2)――父・斎藤筑後と如
 儡子出生の地――(『近世初期文芸』5号)
★如儡子(斎藤親盛)調査報告(3)――『世臣伝』・『相生
 集』――(『文学研究』68号)
●仮名草子研究文献目録(『近世初期文芸』4号)

■1989年(昭和64年・平成元年)■
◎如儡子関係調査
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『堪忍記』(松平文庫本)翻刻と研究
◎『可笑記』の諸本調査
◎仮名草子研究文献目録
◎『女仁義物語』(仮名草子集成)
◎馬琴『水滸後画伝』
◎近世女流文学研究文献目録
★如儡子の『堪忍記』(1)――松平文庫本の翻刻と解題―
 ―(『近世初期文芸』6号)
★如儡子(斎藤親盛)調査報告(4)――二本松藩諸資料――(『文学研究』70号)
★『仮名草子集成・10巻』(9月30日、東京堂出版発行)

■1990年(平成2年)■
◎如儡子関係調査(二本松・酒田)
◎『堪忍記』(内閣文庫本)翻刻と研究
◎『女式目』『儒仏物語』(仮名草子集成・11巻)
◎『怪談全書』『恠談』(仮名草子集成・12巻)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』の諸本調査
◎井関隆子研究覚書
◎近世女流文学研究文献目録
◎馬琴『水滸後画伝』
★如儡子の『堪忍記』(2)――内閣文庫本の翻刻と解題―
 ―(『近世初期文芸』7号)
★井関隆子研究覚え書(五)――桜山文庫『桜斎随筆』の記
 述――(『文学研究』72号)
★『仮名草子集成・11巻』(8月25日、東京堂出版発行)

■1991年(平成3年)■
◎如儡子関係調査(二本松・酒田)
◎『女仁義物語』の諸本
◎『堪忍記』まとめ
◎長澤本『恠談』(仮名草子集成・12巻)
◎『怪談録前集』(仮名草子集成・13巻)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』の諸本調査
◎『古典文学事典』(明治書院)
◎『桜斎随筆』
◎馬琴『水滸後画伝』
◎近世女流文学研究文献目録
★『可笑記』の諸本について――補訂(三)――(『文学研
 究』74号)
★『女仁義物語』の諸本(『近世初期文芸』8号)
★如儡子の『堪忍記』(3)――松平文庫本と内閣文庫本―
 ―(『近世初期文芸』8号)
★『仮名草子集成・12巻』(9月25日、東京堂出版発行)

■1992年(平成4年)■
◎如儡子関係調査(二本松・酒田)
◎『堪忍記』まとめ
◎『女式目』の諸本
◎『奇異怪談集』(仮名草子集成)
◎『鑑草』の諸本調査
◎『可笑記』の諸本調査
◎『可笑記』と『徒然草』
◎佐倉藩調査
◎『百人一首抄』
◎馬琴『水滸後画伝』
◎近世女流文学研究文献目録
★『女式目』の諸本(『近世初期文芸』9号)
★『仮名草子集成・13巻』(8月20日、東京堂出版発行)

■1993年(平成5年)■
◎如儡子関係調査(羽黒・酒田・鶴岡・二本松・佐倉)
◎『堪忍記』まとめ
◎『鑑草』(仮名草子集成・14巻)
◎『可笑記』解題(仮名草子集成・14巻)
◎『可笑記評判』(仮名草子集成・15巻)
◎『怪談全書』の諸本
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』の諸本調査
◎『百人一首抄』(彰考館本調査)
◎『可笑記』の作者と二本松(二本松歴史研究会)
◎『桜斎随筆』
◎菱川師宣作品集成
◎国文研・共同研究
★如儡子(斎藤親盛)調査報告(5)――如儡子の墓所――
 (『文学研究』78号)
★『怪談全書』の諸本――付、『恠談』・『怪談録』・『奇異怪
 談抄』・『怪談録前集』――(『近世初期文芸』10号)
★『鹿島則孝と『桜斎随筆』』(6月25日、深沢秋男発行)
★『仮名草子集成・14巻』(11月20日、東京堂出版発行)
◆寛永期版本の刊記に関する調査・研究(国文学研究資料館
 共同研究)

■1994年(平成6年)■
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡・二本松・佐倉)
◎『可笑記評判』(仮名草子集成・15巻)
◎『仮名草子集成・15巻』
◎『百人一首抄』
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『鑑草』の諸本
◎鹿島則幸氏と桜山文庫
★『鑑草』の諸本(『近世初期文芸』11号)
★『仮名草子集成・15巻』(12月10日、東京堂出版発行)
●鹿島則幸氏と桜山文庫(『近世初期文芸』11号)
●仮名草子の範囲と分類(9月15日、早稲田大学・複製叢
 書、月報43)
●仮名草子の女性教訓物(2月26日、講演・日本教育史学会)
●井関隆子の人と文学(12月6日、講演・昭和女子大・女
 性文化研究所)

■1995年(平成7年)■
◎如儡子関係調査(酒田・二本松・佐倉)
◎『百人一首抄』の分析
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『可笑記』の諸本
◎『可笑記評判』・『可笑記跡追』(仮名草子集成16巻)
◎『仮名烈女伝』(仮名草子集成17巻)
◎『枯杭集』・『鎌倉物語』(仮名草子集成18巻)
◎『井関隆子の研究』
◎『神代のいましめ』のモデル
◎『桜斎随筆』のマイクロ化
◎『神宮宮司拝命記』
★井関隆子作『神代のいましめ』のモデル――主人公・某少
 将は忠邦か定信か――(『文学研究』81号)
★『可笑記』の諸本(『近世初期文芸』12号)
★『仮名草子集成・16巻』(9月5日、東京堂出版発行)

■1996年(平成8年)■
◎『花山物語』・『堅田物語』・『仮名列女伝』(仮名草子集成
 17巻)
◎『かさぬ草紙』・『枯杭集』・『かなめいし』・『鎌倉物語』(仮
 名草子集成18巻)
◎『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説(長谷川強編『近世
 文学俯瞰』)
◎如儡子関係調査(佐倉・藤島・酒田……)
◎『百人一首鈔』の分析
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『井関隆子日記』の研究
◎『伊勢神宮宮司拝命記』の分析
◎敦賀屋版『可笑記』
◎『酔玉集』翻刻
★敦賀屋版『可笑記』について(『文学研究』83号)
★如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』翻刻と解題(上)
 ――(『近世初期文芸』13号)
★『仮名草子集成・17巻』(3月20日、東京堂出版発行)
★『仮名草子集成・18巻』(9月20日、東京堂出版発行)
●平成7年仮名草子研究の展望(『文学・語学』153号)

■1997年(平成9年)■
◎『葛城物語』・『河内鑑名所記』・『堪忍弁義抄』(仮名草子
 集成19巻)
◎『勧孝記』・『堪忍記』(仮名草子集成20巻)
◎『酔玉集』翻刻
◎「仮名草子」・「鹿島則文」(『日本古典籍書誌学辞典』)
◎如儡子関係調査(佐倉・藤島・酒田……)
◎『百人一首鈔』の分析
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『井関隆子日記』の研究
◎『伊勢神宮宮司拝命記』の刊行
◎鈴木重嶺関係資料の調査
★井関隆子作『さくら雄が物かたり』考(『文学研究』85号)
★如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』翻刻と解題(下)
 ――(『近世初期文芸』14号)
★『仮名草子集成・19巻』(3月20日、東京堂出版発行)
★『仮名草子集成・20巻』(8月30日、東京堂出版発行)
●「約束は雪の朝飯」(昭和女子大学『昭和学報』373号)
●仮名草子研究の思い出――思い出す恩師のことなど――
 (法政大学『日本文学誌要』56号)
◆「仮名草子研究文献目録」オンライン化

■1998年(平成10年)■
◎『仮枕』・『奇異雑談集』(仮名草子集成21巻)
◎『祇園物語』・『京童』・『京童あとをひ』(仮名草子集成22巻)
◎『酔玉集』翻刻・解題
◎『百人一首鈔』の分析
◎如儡子関係調査(佐倉・藤島・酒田……)
◎鈴木重嶺研究
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『井関隆子の研究』
◎『伊勢神宮宮司拝命記』の刊行
◎『桜斎随筆』のマイクロ化
◎井関隆子の人と文学
◎井関隆子の批評精神(証券会社、社内報)
◎鈴木重嶺関係資料紹介(『学苑』)
◎飯田竜一氏の『江戸図研究』
◎「近世初期文芸研究会」インターネットHP開設
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(『学苑』694号)
★井関隆子の人と文学(上)(『文学研究』86号)
★如儡子の「百人一首」注釈――『百人一首鈔』と『酔玉集』
 ――(『近世初期文芸』15号)
★『仮名草子集成・21巻』(3月20日、東京堂出版発行)
★『仮名草子集成・22巻』(6月25日、東京堂出版発行)
★『神宮々司拝命記』(7月25日、深沢秋男発行)
◆ネット上に「近世初期文芸研究会」のホームページ開設
●①為愚痴物語、②田夫物語、③三浦為春、④元のもくあみ、
 ⑤讃嘲記時之太鼓、⑥色音論の項目執筆『日本古典文学大
 事典』(6月10日、明治書院発行)
●井関隆子の批判精神(『証券とくらし』678号)
●飯田龍一氏の江戸図研究――飯田氏追悼――(『近世初期文芸』15号)

■1999年(平成11年)■
◎『井関隆子の研究』刊行
◎京大本『百人一首註解』の分析
◎如儡子関係調査(佐倉・藤島・酒田……)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎如儡子の俳諧
◎如儡子の『堪忍記』
◎『百人一首鈔』の分析(頭注など)
◎『百八町記』の研究
◎如儡子全集
◎『桜斎随筆』のマイクロ化
◎鈴木重嶺研究
◎『仮名草子集成』関係
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(2)――付、飯田龍一氏
 江戸図関係資料紹介――(『学苑』705号)
★如儡子の「百人一首」注釈――京大本『百人一首註解』との
 関係――(『文学研究』87号)
★斎藤親盛(如儡子)の俳諧(上)(『近世初期文芸』16号)
●①鹿島則文、②仮名草子、③瓦版の項目執筆『日本古典書
 誌学辞典』(3月10日、岩波書店発行)
●「17世紀、儒書・仏書の研究」文部省 科学研究費による共同研究
●ロダンのバルザック像(昭和女子大学『昭和学報』401号)

■2000年(平成12年)■
◎『井関隆子の研究』刊行
◎如儡子の俳諧
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』
◎『百八町記』の研究
◎如儡子の『堪忍記』
◎『百人一首鈔』の分析(頭注など)
◎如儡子全集
◎『桜斎随筆』(本の友社、第1回配本)
◎鈴木重嶺研究
◎鹿島則文と桜山文庫
◎『仮名草子集成』関係
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(3)(『学苑』726号)
★井関隆子研究覚え書(六)――『庄田家系譜(正本)』――(『文学研究』88号)
★斎藤親盛(如儡子)の俳諧(中)(『近世初期文芸』17号)
★『桜斎随筆 1巻~6巻』(11月10日、本の友社発行)
★『桜斎随筆のしおり』(11月10日、本の友社発行)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「日本文学研究所」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆文部省・科研、共同研究
◆仮名草子研究会

■2001年(平成13年)■
◎『井関隆子の研究』刊行
◎如儡子の俳諧、82枚
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』、63枚
◎『百八町記』の研究
◎如儡子の『堪忍記』
◎『百人一首鈔』の分析(頭注など)
◎如儡子全集
◎『桜斎随筆』(本の友社、第2回配本)
◎鈴木重嶺研究・④ 34枚
◎鹿島則文と桜山文庫
◎『仮名草子集成』関係
★『可笑記』と『甲陽軍鑑』(二)――書名「可笑記」の出処
 ――(『文学研究』89号)
★斎藤親盛(如儡子)の俳諧(下)――晩年、二本松時代の如儡子――(『近
 世初期文芸』18号)
★『桜斎随筆 13巻~18巻』(11月10日、本の友社発行)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「日本文学研究所」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆文部省・科研、共同研究
◆仮名草子研究会

■2002年(平成14年)■
◎『井関隆子の研究』刊行
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』、79枚
◎『砕玉抄』の研究
◎『百人一首鈔』の分析(頭注など)
◎『桜斎随筆』(本の友社、第3回配本)
◎『仮名草子の書誌学的研究』
◎『如儡子の研究』
◎如儡子の『堪忍記』
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎如儡子全集
◎『堪忍弁義抄』74枚
◎鈴木重嶺研究
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『百八町記』の研究
◎鹿島則文と桜山文庫
◎『仮名草子集成』関係
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(4)(『学苑』738号)
★『堪忍弁義抄』の版本と写本――付、写本『堪忍弁義抄』
 翻刻――(『近世初期文芸』19号)
★『可笑記』と『甲陽軍鑑』(3)(『文学研究』90号)
★『桜斎随筆 7巻~12巻』(11月10日、本の友社
 発行)
◆「日本文学研究所」HP、内容充実
◆「日本文学研究所」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆文部省・科研、共同研究

■2003年(平成15年)■
◎『井関隆子の研究』刊行
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『可笑記』と『甲陽軍鑑』まとめ、46枚
◎『砕玉抄』の研究、序説、33枚
◎『百人一首鈔』の分析(頭注など)
◎『百八町記』の研究
◎如儡子の『堪忍記』
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』
◎鈴木重嶺研究(佐渡相川)
◎『仮名草子集成』関係
◎『仮名草子研究文献目録』(和泉書院)
★『可笑記』と『甲陽軍鑑』(むすび)(『文学研究』91号)
★如儡子の「百人一首」注釈――武蔵野美術大学美術資料館所蔵『砕玉抄』(序説)――(『近世初期文芸』20号)
★近世初期文芸と近世軍書――『可笑記』と『甲陽軍鑑』――(17世紀日本における中国・韓国の漢籍受容の分析並びに総合的研究、文部省、科学研究費基礎研究(A)研究成果報告書)
●吉田幸一先生を偲ぶ(追悼文集)
●井関隆子の見た幕末(『歴史読本』2月号)
●講演・鈴木重嶺(佐渡相川)
●講演・鈴木重嶺(昭和女子大)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「近世文学研究所」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆『浅井了意全集』(共同研究)
  
■2004年(平成16年)■
◎『井関隆子の研究』刊行(和泉書院)
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『砕玉抄』の研究(武蔵野美術大学)
◎『百八町記』の研究
◎如儡子の『堪忍記』
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』
◎鈴木重嶺研究
◎『仮名草子集成』関係
★甲南女子大学図書館所蔵 写本『可笑記』について(『近
 世初期文芸』21号)
★鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説(『文学研究』92号)
★『井関隆子の研究』(11月1日、和泉書院発行)
★『仮名草子研究文献目録』(12月15日、和泉書院発行)
●重嶺と海舟〈エッセイ〉(『学苑』767号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「近世文学研究所」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆『浅井了意全集』(共同研究)
※昭和女子大学関係の整理(研究室・HP等)

■2005年(平成17年)■
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『仮名草子研究叢書』(クレス出版)
◎『源氏物語』と近世日記文学(おうふう)
◎『砕玉抄』の研究(武蔵野美術大学)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(酒田・鶴岡……)
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』
◎鈴木重嶺研究
◎『仮名草子集成』関係
◎『若輩抄』90枚
※昭和女子大学関係の整理(研究室・HP等)
★如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』翻刻
 (一)――(『文学研究』93号)
★如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』翻刻
 (二)――(『近世初期文芸』22号)
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(5)――全龍寺所蔵重嶺
 関係資料――(『学苑』773号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「近世文学研究所」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆仮名草子研究会
◆『浅井了意全集』(共同研究)

■2006年(平成18年)■
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『仮名草子研究叢書』(クレス出版)
◎『砕玉抄』の研究(武蔵野美術大学)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』
◎『若輩抄』(東京堂出版『仮名草子集成』39巻)
◎『浮世物語』・『浮世はなし』(岩田書院『浅井了意全集』)
◎鈴木重嶺研究
◎『旗本夫人の日記』287枚(文春新書)
★『仮名草子研究叢書 1巻~8巻』(2月25日、クレス
 出版)
★如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』翻刻
 (三)――(『文学研究』94号)
★如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』翻刻
 (四)――(『近世初期文芸』23号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆仮名草子研究会
●講演 幕末旗本夫人の生涯(江戸の女性史フォーラム、7月1日、江戸博)
●講演 佐渡と鈴木重嶺(全国天領ゼミナール、8月5日、佐渡市)
●講演 歴史における事実と虚構(日本文化史学会、12月16日、昭和女子大学)

■2007年(平成19年)■
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『砕玉抄の研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎『可笑記』と『徒然草』
◎『仮名草子集成』41巻~43巻
◎『浅井了意全集』1巻~3巻
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』
◎『鈴木重嶺研究』
★『仮名草子集成・41巻』(2月28日、東京堂出版発行)
★『仮名草子集成・42巻』(7月25日、東京堂出版発行)
★『浅井了意全集・仮名草子編・1巻』(8月、岩田書院発行)
★如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』と『百人一首鈔』――(『文学研究』95号)
★仮名草子作品の古書価(『近世初期文芸』24号)
★『旗本夫人が見た江戸のたそがれ 井関隆子のエスプリ日
 記』(11月20日、文春新書、文藝春秋発行)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆『芸文稿』創刊

■2008年(平成20年)■
◎『砕玉抄の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『鈴木重嶺研究』
◎『仮名草子集成』44巻~46巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』3巻~、岩田書院
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』 ?
★近世初期における 書名「可笑記」の流行(『近世初期文芸』25号)
★『桜山文庫目録 和書之部』(上)(『近世初期文芸』25号)
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(6)(『芸文稿』1号)
●自著を語る(『芸文稿』1号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆日本文学研究会
◆『芸文稿』創刊
●所沢中央ロータリークラブ 講演
●所沢ロータリークラブ 講演
●東京中野ロータリークラブ 講演
●講演 旗本夫人が見た江戸のたそがれ(7月8日、調布市
 立図書館)

■2009年(平成21年)■
◎『砕玉抄の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『鈴木重嶺研究』
◎『仮名草子集成』45巻~47巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』3巻~、岩田書院
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』 ?
◎如儡子(新書)
◎如儡子の文学碑(酒田 上日枝神社境内)
★『桜山文庫目録 和書之部』(下)――付、昭和女子大学図書館所蔵「桜山文庫」について――(『近世初期文芸』26号)
★松浦詮編『蓬園月次歌集 完』の紹介――鈴木重嶺所収歌
 を中心に――(『芸文稿』2号)
●仮名草子関係新刊書・目次紹介(『近世初期文芸』26号)
●ウェブ日記抄・1(『芸文稿』2号)
●実事求是(3月31日、『文学研究科35周年記念誌』昭
 和女子大学大学院文学研究科)
●講演 江戸城大奥と私(9月12日、東京原村会)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆近世初期文芸研究会
◆芸文稿の会
◆『芸文稿』2号発行
◆『近世初期文芸』26号発行
◆斎藤親盛(如儡子)伝記資料(記念碑の資料)
◆鈴木重嶺関係資料調査(細田賢氏寄贈分)

■2010年(平成22年)■
◎『砕玉抄の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『鈴木重嶺研究』
◎『仮名草子集成』46巻~47巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』3巻~、岩田書院
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎『如儡子(斎藤親盛)全集』 ?
◎如儡子(新書)
◎如儡子の文学碑(酒田 上日枝神社境内)
★『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』(10月25日、近世初
 期文芸研究会発行、非売品)
★如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題――父、斎藤筑
 後守は「盛広」か「広盛」か――(『近世初期文芸』27号)
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(7)(『芸文稿』3号)
★昭和女子大学図書館所蔵「翠園文庫」について――鈴木重嶺
 (翠園)旧蔵書――(『芸文稿』3号)
●ウェブ日記抄・2(『芸文稿』3号)
●仮名草子関係新刊書・目次紹介(『近世初期文芸』27号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆『芸文稿』3号発行
◆『近世初期文芸』27号発行

■2011年(平成23年)■
◎『砕玉抄の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『鈴木重嶺研究』
◎『仮名草子集成』47巻~50巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』3巻~、岩田書院
◎『可笑記』と『徒然草』
◎如儡子関係調査(藤島・酒田・鶴岡……)
◎如儡子の『堪忍記』・『百八町記』の研究
◎如儡子(新書) ?
◎如儡子の文学碑(酒田 上日枝神社境内)
★如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(2)――「如儡子」は「にょらいし」か「じょらいし」か――(『近世初期文芸』28号)
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(8)(『芸文稿』4号)
★『浅井了意全集・仮名草子編・3巻』(5月、岩田書院発
 行)』
★『仮名草子集成・47巻』(6月30日、東京堂出版発行)
★鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(9)――新収資料と細田
 賢氏寄贈資料――(『学苑』850号)
●仮名草子関係新刊書・目次紹介(『近世初期文芸』28号)
●『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』――〔書評・新刊紹介・
 コメント等〕の紹介――(『芸文稿』4号)
●「齋藤筑後守記念碑」建立〔10月23日、酒田市、上日枝神社境内〕(『近世初期文芸』28号)
●講演 旗本夫人が見た江戸(3月8日、番町文学館連続講
 演、グランドアーク半蔵門)
●講演 旗本夫人が見た江戸のたそがれ(8月20日、江戸
 連、葉月講、日本橋伊庭仙ビル)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆『芸文稿』4号発行
◆『近世初期文芸』28号発行

■2012年(平成24年)■
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎鈴木重嶺研究
◎『仮名草子集成』48巻~50巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』3巻~、岩田書院
★『如儡子百人一首注釈の研究』(3月20日、和泉書院発行)
★如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(3)――十五
 里ケ原合戦と斎藤広盛――(『近世初期文芸』29号)
●仮名草子関係新刊書・目次紹介(『近世初期文芸』29号)
●横山重先生の思い出(『芸文稿』5号)
●『井関隆子日記』、明治大学・京都大学入試問題に出題(『芸文稿』5号)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆『芸文稿』5号発行
◆『近世初期文芸』29号発行
◆重友先生と私、40頁
◆「はてなキーワード 20項目」
◆「井関隆子」(ウィキペディア立項)

■2013年(平成25年)■
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』
◎鈴木重嶺の研究
◎『仮名草子集成』49巻~50巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』4巻~、岩田書院
★如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(4)――斎藤
 広盛と藤島城――(『近世初期文芸』30号)
●仮名草子関係新刊書・目次紹介(『近世初期文芸』30号)
●重友毅先生と私(『芸文稿』6号)
●「武家の女性の素顔」(8月10日、『歴史REAL』)
◇『仮名草子集成・50巻』(11月30日、東京堂出版発
 行)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆『芸文稿』6号発行
◆『近世初期文芸』30号発行

■2014年(平成26年)■
◎『如儡子(斎藤親盛)の研究』
◎『仮名草子の書誌的研究』 ?
◎『仮名草子集成』51巻~53巻、東京堂出版
◎『浅井了意全集』5巻~、岩田書院
●国語国文学科の思い出(3月、『昭和女子大学短期大学部記念誌』)
●仮名草子研究の思い出(昭和女子大学最終講義)(『芸文
 稿』7号)
◇『仮名草子集成・51巻』(3月30日、東京堂出版発行)
◇『仮名草子集成・52巻』(9月30日、東京堂出版発行)
◆「近世初期文芸研究会」HP、内容充実
◆「J-TEXTS」HP、内容充実
◆『芸文稿』7号発行
◆『近世初期文芸』31号発行
 
■2016年(平成28年)■
★『仮名草子集成』第55巻、第56巻 発行
★如儡子の『堪忍記』(下)(『芸文稿』第9号)  
★『百八町記』の諸本(『近世初期文芸』第33号)
★仮名草子研究の歴史(『近世初期文芸』第33号)
★武家の女性の素顔(『武士の仕事』歴史REALブックス)
▲サイト「深沢秋男の窓」開設

重友先生と大洗海岸
                         
                              深沢 秋男

「あらッ!」
 お嬢さんの声に私が振り向いた時、打ち寄せる波の先端はすでに重友先生の両足に達していた。
 早速、新聞紙を砂浜にひろげ、そこに座わって頂いた。お嬢さんと私は、海水の十分に滲みこんだ靴から、水分と細かい砂をていねいに拭い取った。
「恐縮、恐縮」
 そう仰って両足を挙げておられる先生。平素、万事に慎重で敏捷な先生の、この思わぬ失策に、私は内心、いささかはしゃぎ気味であった。
「わざわざこんなとこ迄来て、足を濡らすとはねえ君、これこそ大洗海岸だね」
 先生のこのお言葉に私は許しを得たように吹き出してしまった。お嬢さんも、そして先生も一緒になって笑った。先生の黒縁の眼鏡は、やわらかい光を反射し、右頬の黒子は快活に動いた。
 昭和四十一年二月、水戸へ桜山文庫の鹿島則幸氏をおたずねして『春雨物語』など八点の御蔵書を拝借しての帰りの出来事である。大切な仕事を一つ済ませて、ほっとされた直後のこの失策。砂浜には私達三つの人影以外に動くものは無かった。そんな中で、先生は大自然の美しさにみとれて、思わず我を忘れておられたのかも知れない。
 大きく湾曲した海岸を、数条の白線が走っている。時に広く、細く、点在する岩礁の黒点に跡切られながら……。巨岩を洗う怒涛も、この路上からは緩やかな自然の息づきのように映る。
 この時の、重友先生の温かい表情をたたえた笑顔と、この景色は印象深く焼きついていて忘れられない。
 また、帰りの車中、向かいの座席で撮らせて頂いたお写真は、隣席のお嬢さんにそそがれる眼差しが、何ともやさしく、それが私にまではね返ってくる。
 私は中学時代からのカメラ狂で、先生のお写真も随分撮らせて頂いたが、初めはなかなか良いものが出来なかった。しかし、いつ頃からか、先生の自然なお姿・表情が写せるようになった。多分、先生が私の特つカメラを意識されなくなったからだと思う。先生の頌寿記念論文集の口絵に、私の撮った写真を使って下さった。これは、私の一つの誇りである。
        (『文学研究』第50号、昭和54年12月発行、より採録)
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 重友先生は、昭和63年8月11日、御他界なされた。78歳であった。御葬儀、告別式は、8月20日。葬儀委員長、山岸徳平。友人代表、谷川徹三。この時の遺影にも、私の撮影した写真を使用して下さった。今も、小さな書斎で、先生は、私を見守っていて下さる。
                                   2017年3月14日

約束は雪の朝飯(あさめし)

                                                                                    深沢秋男
 石川丈山は、近世初期の儒者である。武士であったが、仕えを辞し、京都・賀茂山に隠棲して詩歌の道を楽しんでいた。
 ある時、この草庵を小栗某が訪れる。この小栗も、もとは武士の出であったが、へつらい事の多い俗世を捨てた身である。二人は生き方も共通していたので、親しい間柄であった。
 しばらく語り合った後、別れぎわに、小栗は、所用があって備前・岡山まで行くと言う。京へ帰るのはいつ頃か、と問うと霜月(十一月)の末と言う。その二十七日は法事なので、ぜひ食事を共にしよう、と約束して別れた。   
 月日は過ぎて、十一月二十六日の夜、京都は大雪が降った。丈山は、早朝から草庵の庭の雪かきをしていた。すると、そこへ、破紙子(やぶれかみこ)姿の小栗がひょっこり現れた。
 久し振りの二人は、互いの無事を語り合ったが、丈山が、この寒空に何の用事か、と尋ねると、霜月の二十七日に食事をしようと約束したのを、お前は忘れたのか、と言う。丈山も約束を思い出し、早速、飯を炊き、柚味噌を添えただけの膳を出すと、小栗はうまそうに食べ終え、その箸を下に置くか置かないうちに、また、備前へ旅立って行った。
これは、井原西鶴の『武家義理物語』の一篇であるが、この話に、作者は、

「さては、此人、日外(いつぞや)かりそめに申しかはせし、言葉をたがへず、今朝の一飯喰ふばかりに、はるばるの備前より、京までのぼられけるよ。むかしは武士の実(まこと)在る心底を感ぜられし。」

と批評している。     
丈山も小栗も、共に風雅を好む隠棲者、二人の一飯を共にするという約束の様を、西鶴は爽やかに、さらりと描いて見せている。短い一篇ではあるが、忘れられない話である。

 同じ約束を描いたものとして、上田秋成の『雨月物語』の中の「菊花の約(ちぎり)」が思い出される。
 播磨の国、加古の宿(兵庫県加古川市)に、丈部左門という学者が住んでいた。富や地位を求めず、学問一筋に打ち込む生活をしていたが、年老いた母は機織りをして、我が子の学問を助けていた。
 ある日、一人の武士が、旅の途中、この加古の宿で急性の伝染病にかかって倒れる。人々は病気のうつるのを恐れて、だれ一人近づこうとはしなかった。
 左門は、旅の空で一人苦しむ武士を憐れみ、枕元を離れず、親身になって看病する。その甲斐があって、病は徐々に回復してゆく。
 その武士は、赤穴宗右衛門といい、自国・出雲(島根県)へ帰る途中であるとのこと。心細い旅先で出会った、左門の親切に宗右衛門は心から感謝する。
 宗右衛門は左門より年長で、中国の孔子・老子・孟子・荘子などの教えにも詳しく、左門は尊敬の気持ちが強くなり、やがて二人は義兄弟の約を結ぶ。
 宗右衛門は、義兄弟になった以上、君の母は、私にとっても母であるから是非お会いしたい、と言う。左門は感激して、早速家に案内すると、母も大変喜んで、未熟な弟と思って導いて欲しいと頼む。
 二人は人間の生き方などについて語り合い、楽しい日々を過ごすが、しばらくして、宗右衛門は、一度郷里へ帰ってきたいと思う、その後で、これまでの御恩返しをしたい、と言う。
 左門が、お帰りは何時ごろか、と問うと、菊の節句(九月九日)に帰って来ることにしよう、と言い残して旅立つ。
 季節は移り、いつしか約束の九月九日となる。左門は早朝から掃除を済ませ、菊の花を活け、宗右衛門を迎える準備をした。その子を見た母は、出雲は百里も離れているというのだから、約束通り来るとは限らない。姿を見てから準備してはどうか、と言う。しかし、左門は、相手は信義を守る武士だから、約束を違えるとは思えない、姿を見てから準備したのでは、相手を疑ったことになり、それは恥ずかしい、と答えて、良い酒を買い、鮮な魚を料理して宗右衛門の来るのを待った。
 その日は天気も良く、前の街道を、多くの旅人が通って行く。しかし、武士はいっこうに姿を見せない。日も暮れ、あたりは暗くなる。今日はこれまてとして、また明日待ってみてはどうか、と言う母の言葉に、さすがの左門もあきらめて、戸を閉め家に入ろうとした。
 その時である。何か人の気配を感じて、暗闇の方にハッと目をこらすと、それが赤穴宗右門であった。左門は、躍り上がって喜ぶ。
しかし、宗右衛門の素振りはどこか異常である。語るところによると、自分はもうこの世の者では無い。実は、出雲に帰ったところ、富田城主・尼子経久(あまこつねひさ)のたくらみによって、城中にと閉じ込められてしまった。そこで、

「人一日に千里(ちさと)をゆくことあはず。魂(たま)よく千里をゆく。」

という、ことわざを思い出し、自ら命を絶ち、霊魂となって、今宵の菊の節句の約束を果たすことができたのだ、と言って、涙をハラハラとこぼした。
 そして、これが永遠の別れだが、どうか母上を大事にして欲しい、と言い残して姿を消してしまう。
左門は、慌てて、止めようとしたが、再び宗右衛門に会うことは出来なかった。

 近世の代表的な二人の作者が約束をテーマに書き留めている。いくら約束したからとは言え、たった一度の食事を共にするために、わざわざ岡山から京都まで帰って来なくともよいかも知れない。      
 旅先で病に倒れ、助けてくれた左門は、宗右衛門にとっては神様とも思えたに違いない。また、気脈相通じた二人の間で交わした約束ではあるが、自らの命を断ってまで守らなくともよいかも知れない。
しかし、西鶴も秋成もこのように描いている。そして、今もこの両作品は私達を感動させるものを持っている。一度読んだ者は、忘れることはないだろうし、約束についての考えは変わるだろう。それが文学である。
       (昭和女子大学『昭和学報』第373号、平成9年5月1日)