昭和女子大学 志願者数

●昭和女子大学 志願者数 2017年度 A日程
        志願者数  合格者数
日本語日本文学科   370     159
歴史文化学科      303    110
心理学科        428     80
福祉社会学科      226     62
現代教養学科      381     96
初等教育学科      352     80
環境デザイン学科    478     92
管理栄養学科      395     53
健康デザイン学科    212     35
食安全マネジメント学科  60     25
ビジネスデザイン学科   509    127
英語コミュニケー学科   704    183
国際学科         457    102
合計          4875    1204
★これは、私の記録であり、正確でないものがあるかも知れない。正確には大学の掲示を見て欲しい。

●これが、2017年度の、A日程の志願者数である。私のメモによれば、2004年度の、A日程の志願者数は、2323名であった。13年前の2倍の志願者数である。少子化現象で、厳しい状況の中で、この志願者数の増加は、大学当局が、時代の変化に対応して、改革の努力を続けてきた成果だと言えるだろう。
●大学の学部学科の内容を見ても、当時の学科名で現存するものは少ない。最近の大学のフェイスブックの内容をみても、学問的というよりも、専門学校、実利教育的という傾向が強いように思う。創立者の人見圓吉先生が、現在のキャンパスに立たれたなら、いかなる感想を述べられるか。女性の活躍を願って創立された大学、時代と共に、変革、発展していることに、それも、OKOK、と仰るように思う。

■2017年度 志願者数

書籍を電子化 著作権者の許諾不要

●今日の朝日新聞で、書籍を電子化して、全文検索サービスを行う場合、著作権者の許諾なしに行えるように、著作権法を改訂するという。結構なことである。ただ、著作権者の権利が守られるように注意して進めてもらいたい。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
朝日新聞
書籍を電子化→全文検索サービス、著作権者の許諾不要に 文化庁、法改正へ
2017年2月11日05時00分
大量の書籍を電子化(スキャン)し、全文を対象に利用者が検索できるなど、作品を対象にした新しい検索サービスを始めやすくするため、文化庁は、著作権法を改正する方針を固めた。作家ら著作権者に不利益がほとんど生じないよう留意しつつ、著作物の電子化や配信を許諾なしにできる範囲を広げる。

東京の地名は江戸切絵図から

●私は、大学へ入るために東京へ出て、4年間を過ごしたが、生活圏と言えば、下宿、大学、図書館、などを往復する位で、狭かった。
●大学を卒業して、進路のこともあり、日本橋の桃源社という出版社の編集部にお世話になった。ここで、大衆文学という、全く未知の分野に出会ったのである。私は、高校時代から、日本文学、世界文学は読んでいたが、大衆文学に関しては、殆ど知らなかった。
●桃源社の編集部で読まされたのは、源氏鶏太・山手樹一郎・村上元三……などという大先生の作品で、文学に、このような世界があることを教えられた。大衆のために、挿絵を入れて、わかりやすく楽しい時間を過ごしてもらう作品。しかし、私は、これらの大衆小説や、推理小説をバカにはしなかった。真剣に原稿整理・校正・校閲に取り組み、疑問点は、先生に確認して、1字たりともミスの無い本を読者に提供したいと、努力した。
●山手樹一郎の作品は、江戸時代の江戸が舞台で、江戸の地名が出てくる。編集部では、江戸の切絵図を複製して、それで、原稿をチェックした。私は、東京の地名、町名、橋の名、などは、切絵図から学んだ、と言ってもよい。
◎『天の火柱』桃源社 1962 のち春陽文庫、桃園文庫
◎『お助け河岸』桃源社 1964 のち春陽文庫、双葉文庫
◎『青雲燃える』桃源社 1966 のち春陽文庫、富士見書房時代小説文庫
●山手樹一郎先生のお宅には何回も原稿を貰いに行った。多くのお弟子さんがいて、ジョニクロには、群がって飲んでいたことが懐かしく思い出される。楽しいエディター時代だった。

■江戸切絵図
山手作品には、筋違御門、八辻ケ原、新シ橋 などよく出てくる

江戸城最古絵図

●今日の朝日新聞によると、江戸城の慶長12年頃の江戸城の地図が発見されたという。如儡子が5歳頃で、父、斎藤広盛が川北地方の行政に関わっていた時代である。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 松江市は8日、市松江歴史館が所蔵している江戸城が描かれた「江戸始図(えどはじめず)」が、1607~09年ごろの徳川家康による築城直後を描いた最古級の図面だと分かったと発表した。最古とされる東京都立中央図書館所蔵の「慶長江戸絵図」とほぼ同時期で、専門家は「石垣や土塁の構造がより詳しく描かれ、江戸城中心部の詳細が分かる資料」としている。
江戸始図は平面図で、27・6センチ×40センチ。図面の存在は以前から知られていたが、専門家の調査で初めて年代が絞られたという。江戸城本丸内部の「詰丸(つめのまる)」や城壁の複雑な構造が描かれ、周囲の屋敷には居住者とみられる人名が記載されている。
城郭の考古学が専門の千田(せんだ)嘉博・奈良大教授によると、慶長江戸絵図も城の中心部を描いているが、ゆがみが大きく石垣と建物の描き分けも明確でない。江戸始図では、姫路城のように大天守と小天守が連立していたことや、一気に進入されるのを防ぐため南側出入り口の城壁が互い違いになっている、熊本城と同様の「5連続外枡形(そとますがた)」のようだったことが確認できる。
千田教授は「戦いを意識した城だったことがはっきり分かる。豊臣との決戦に備え万全を期したのだろう。江戸城の当時の姿を示す貴重な発見だ」と話す。江戸城は何度も改修されており、連立した天守や連続外枡形は後年にはなくなっているという。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●私は、江戸図には、早くから興味があって、この資料を是非、仮名草子研究に活用したいと考えていた。歴史資料として、文章の記録とあわせて利用すれば、効果があると考えていた。『江戸雀』や如儡子の『堪忍記』の研究に活用した。また、『井関隆子日記』の研究では、何度も何度も、江戸城へ通って、城の現状を調べた。現地にたてば、その場の高低や距離感が得られる。そこから、作品の表現の実態に迫ることも出来る。

仮名草子研究の思い出(昭和女子大学 最終講義)

  平成17年(2005)3月、私は昭和女子大学を定年退職した。昭和女子大学には、学部の日本文学科と短大の国語国文学科に所属する教員で組織する「日本文学研究会」があり、所属する教員が定年退職する場合、この研究会で「最終講義」として発表することになっていた。私も、この慣例に従ってお話させて頂いた。当日は雨天の上に、緊急の教授会が開催され、出席者は10名以下ではないかと予想して、参考資料を準備した。ところが、司会者が開催時間を調整して下さり、その上、既に退職された、名誉教授の先生方、前図書館長など、わざわざ来学して下さり、日本文学科・国語国文学科・図書館の方々、大学院生など、30名以上の方々が出席して下さった。

私は、この日本文学研究会で2回、研究発表した。
1回目は「桜山文庫本・春雨物語について」
2回目は、滝沢馬琴の草稿かとも思われる「写本『水滸後画伝』について」
実は、私のメインの研究は、近世初期の仮名草子で、特に如儡子・斎藤親盛の研究である。最後のお話しであるから、このメインのテーマでなければ、失礼だろうと、私が、生涯をかけて研究して来たことを紹介することにしたのである。

仮名草子研究の思い出――経過報告と今後の計画――

(昭和女子大学 日本文学研究会 最終講義)
平成17年2月16日 午前10時より
大学1号館、第1会議室

目 次
●はじめに
■仮名草子(かなぞうし)〔『日本古典籍書誌学辞典』〕
■仮名草子の範囲と分類〔早稲田大学影印叢書『仮名草子』月報〕
1、卒業論文のテーマ
2、作品本文の書写
3、作品の諸本調査
4、作品研究
5、如儡子という人物
6、如儡子の伝記研究
7、伝記研究の方法
8、酒田の調査(如儡子出生の地)
9、二本松の調査(如儡子終焉の地)
●おわりに(今後の課題と計画)

時間も制限されていたし、申上げる内容は膨大であったので、意は尽くせなかったが、責めは果したと思っている。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

当日の夜、東京大学名誉教授のSR先生からメールが届いた。
「……それから、先生の最終講義を聴いて、KTさんがいち早く感想をくれましたので、貼り付けてみます。
先ほど深沢先生の最終講義がおわりました。30人以上の聴衆で、資料が足りなくなったほどでした。深沢先生のご研究は本当に素晴らしいと改めて感銘を受けました。SR先生のような優れた研究者しか深沢先生のようなダイヤモンドのような輝きは評価できないと思います。本当に感動的な最終講義でした。」

KTさんは、研究助手であった。また、KTさんは後日、次のような歌を贈ってくれた。
日を重ね月を重ねて二十四年君が業績(いさをし)今ぞ花咲く
妻と子を愛するごとく教へ子を導き給ふわが師薫れり
厳しさの棘気づくまで許されし甘えの上にわが道の在り
私にとって、分に過ぎた教え子である。
この一事だけでも、私は、研究を続けてきてよかったな、と思う。

●なお、この「仮名草子研究の思い出(昭和女子大学最終講義)」は、『芸文稿』第7号(平成26年6月)に全文を掲載している。

私の最終講義の頃

 

■2005/02/10 (木) 最終講義
●この季節になると、いずこの大学も、今年度で定年退職する教員の最終講義の案内で賑わう。中にはノーベル賞候補のような世界的な研究者もいるし、そうでない、地方の大学の、全く存じ上げない方もいる。分野も、自然科学、環境、社会、歴史、哲学、文学等々、様々である。しかし、その人が生涯をかけて研究してきた事に関してのお話である事はほぼ共通しているようだ。
●かつて『最終講義』なる本で、矢内原忠雄・大内兵衛・石田英一郎・桑原武夫・中村元等々の最終講義を読んだ事がある。一人の人間の足跡として、スゴイなと感動したものである。
●本学でも、長谷川強先生の、確か京都の歴史地理と文学というお話や、岡村浩先生の皮革に関するお話を伺った事がある。いずれも、長い御研究の蓄積が感動を呼んだ。
●本学・日本文学研究会は、私の定年退職に際して、例会でお話する機会をつくってくれた。有難い事である。タイトルは「仮名草子研究の思い出」であるが、あいにく、当日、同時間に教授会が急に入り、聴講者は少人数になる模様。何か、私にふさわしいようにも思い、すがすがしい気分でもある。(深沢)

■2005/02/17 (木) 最終講義終了
●私のマンダンのような、昭和女子大学で最後のお話が終わりました。昨日はあいにくの雨、さらに緊急教授会とも重なり、話を聞いてくれるのは、助手さん位かと予想していたが、運営委員の先生の御配慮で、時間を少しずらしたため、多くの方々が出席して下さった。現役の日文・人文の先生方、図書館の方々、それに院生も掛け付けてくれた。
●さらに驚いたのは、私が昭和にお世話になった時の学科長、教務委員、元図書館長の諸先生、皆さん現在は名誉教授になられているが、これらの皆様が雨の中、お出で下さった。全体では、40名~50名はおられたのかと思う。何と幸せな事か。感謝、感激である。
●40年間に亙る仮名草子研究の思い出ばなしであったが、このように、錚々たる先生方の前で、取りとめも無い事をお話ししていて、我が身の小ささを、否という程、思い知らされた。これが客観化であり、現実である。余生は多くはないが、反省すべき点は反省して、今後に努める以外に方法は無いだろう。それにしても、有難いイベントではあった。(深沢)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●●これは、12年前の、大学のサイトの中の、私の〔日録〕である。日本文学科の大学院の長谷川強先生の最終講義には、学外からも多くの方々が来られて聴講された。当時の昭和女子大は、大学院が長谷川先生、学部が大島先生、短大が深沢、という構成だった。大学院の井浦芳信先生の後任に何方が来られるか、人事のウワサでは、ある方の名前が挙がっていた。私は、少々、困惑していた。学問的には、合わない方だったからである。私が指導した学生が、大学院へ進み、その方の講義を聴いて、困惑するのを危惧したからである。
●●新人事が発表され、長谷川先生だった。私は、4月、大学へ出て、まず、長谷川先生の研究室に伺い、御挨拶をした。以後、何と多くのことを御指導賜ったことか。先生の最終講義を拝聴しながら、感謝の念がこみあげてきたのを、今も覚えている。
●●岡村浩は、理系で副学長であった。先生の最終講義は、オーロラホールで行われ、理系の方々が多数拝聴した。私は文系であるが、岡村先生とは、特別の関係だった。平時、毎朝、大学の近くの喫茶店で、御指導頂いていたのである。昭和女子大の中で、最も多くの時間を費やして、お導き頂いた先生なのである。岡村先生の最終講義は、実に感動的だった。先生は、この最終講義のために、研究書を出されて配付された。「私は、この研究のために、4000頭の牛の皮を使用した。それに見合った成果を出さなければ、申し訳ない、その様に考えて、分析研究して来た」と申された。
●●それから15年が経過した。本年、1月、岡村先生から、2点の論文を拝受した。昨年の研究成果である。しかも、健康面が思わしくなく、入退院を繰り返す中での、御研究である。頭の下がる研究姿勢ではないか。

昭和女子大学の最終講義

 ●この時期になると、どの大学でも、今年度で定年退職する方々が、最終講義を行って、大学を去る。昭和女子大学のHPをみても、いくつかの掲示がされている。


●人間社会学部福祉社会学科
【日時】平成29年2月25日(土)
【場所】昭和女子大学 グリーンホール
○森ます美教授 特別講演「同一価値労働同一賃金原則の可能性」
○月田みづえ教授 特別講演「偶然の出会いに意思する思い」

.●人間社会学部初等教育学科
【日時】平成29年3月4日(土)
【場所】昭和女子大学80年館西棟6階 コスモスホール
○押谷由夫教授「私の歩んだ道-感謝・報恩・志を支えとして-」

●森ます美先生、月田みづえ先生は、私の現役の頃から活躍しておられたが、専攻に関しては知らなかった。今回の講演題目を見ると、なるほどと、尊敬の念がわく。
●この外にも、あると思うが、気づかなかった。日本文学科や文化史学科などはやらないのだろうか。そういえば、昨年、日本文学科は、多くの方々が退職されたけれど、そのような掲示に気づかなかった。

豆うさぎのコーヒー

●今日は、妻と2人で散歩がてら、中央公園まで足をのばした。
公園の前の 喫茶店〔豆うさぎ〕は、私のお気に入り。
ここで、昼食を済ませて、公園を一回りして帰宅した。
●いつもは、一人で、美味しいコーヒーを楽しんでいる。
夏のダッチ珈琲は、絶妙である。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
約8時間かけて水から抽出するダッチ珈琲
まろやかでしっかりとした口当たり (夏季限定)
今年のダッチコーヒーは終了しました。
当店のコーヒーは、光サイフォンで
オーダー毎に1杯づつ丁寧に珈琲を抽出します♪
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●マスターは、理系の出身。学生時代、佐藤秀工務店でアルバイトしていた私とは、ウマが合う。開店から10年になろうとしている。散歩の途中で、美味しいコーヒーを頂く、目の前には、公園の緑が楽しめる。いいなあ、と感じる。

東明学林の冬の池

●今日、東明学林のブログを見たら、佐藤さんのレポートがあった。凍った池の写真が見事である。私も何回も研修合宿に行っているが、凍った池は見たことが無い。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ここは、おそらく皆さんが想像するよりは、雪は降りませんし積もらないと思うのですが(もちろん降ることも積もることもあります)、寒さは想像通りだと思います。今年は特に寒いようで、僕の東明生活丸5年の経験では、池がいつも以上に凍っています。部分的に凍る池で泳ぐコイは、スローモーションのようで、いつもよりじっくり観察ができるので、じっくり見ていると、なぜか僕の動きまでスローモーションになります。

古典校訂作業終了

●『仮名草子集成』第57巻の担当のサブ校正が終った。これで、私は、古典の校訂の仕事を終了したいと思う。仮名草子作品の版本の校訂は、大学時代からであるから、57年間の作業であった。この仕事は、若い頃は、未熟ゆえのミスが多い。若さの克服は、いつまでも続く、ようやく、ここまで来たか、と思ったら、老化ゆえのミスを連発する。私は、この仕事は、80歳くらいまで、と予定していた。ここで辞めるのは、まずまず、と思っている。
●学生時代は、法政大学に和本が皆無の状態ゆえ、上野図書館や早稲田大学図書館に日参して、未翻刻の仮名草子作品を読んでいた。特に早稲田は一般書の中にたくさんの仮名草子の版本が入っていた。私は、3ヶ月とか、長期の閲覧願をもらって、学外といえども、自由に閲覧できた。また、貴重書は貴重書室で閲覧させてもらった。貴重書室の中沢さんには、早稲田の学生のように、たくさんの事を御指導頂いた。大学を卒業後、早稲田の聴講生になって、所蔵本を利用させて頂くことも考えたが、大学院の問題もあって中止した。
●変体仮名の判読は、かなり難しい点がある。一つの作品を研究するために翻刻校訂する以上、全部読み取る必要がある。95%くらいまでは、誰でも読める。しかし、最後の1%を読みきることは、大変むつかしい。マックスウェーバーは、『職業としての学問』のなかで、古典語の1字の読み取りに、数日間、数週間を過ごせるような意志がなければ研究者にはなれない。と言っていたように思う。本居宣長は『うひ山ぶみ』の中で、決して恣意的に読み取らないように教えていたと思う。私は、これらの教えに従って精進してきた。仮名草子ではないが、幕末の女性の日記『井関隆子日記』は、およそ64万字である。ミスはあるだろうが、全て読みきったと、今、思っている。
●ただ、歴史の古文書等には、特別のもの以外、手は出さないようにした。癖のある筆跡が多く、その割りに効果がないからである。
●古典の校訂には、莫大な知識が要求される。片手間で出来る仕事ではない。意欲と体力が要求される。老境に入った私はもう、古典の校訂をする条件に欠ける。このあたりで、古典の校訂作業から引退したいと思う。あとは、春秋に富む方々に期待したい。