徳川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ――

德川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ――

  • 2020.10.24 Saturday
「徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へー」開催中!

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「徳川将軍家を訪ねて」第 Ⅰ 部 10/24(土) 最終日です! [2020年10月23日(金)]

昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ―」

第 Ⅰ 部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍 2020年10月3日(土)~10月24日(土)

【開館時間】11:00~16:00
【休館日】日曜日・月曜日・祝日
【入場料】無料
【開催場所】昭和女子大学光葉博物館(7号館1階)
【主催】昭和女子大学光葉博物館
【共催】公益財団法人德川記念財団

早いもので、10月3日から開館した第Ⅰ部の展示も明日最終日となります。
第 Ⅰ 部では、徳川家康の肖像画「東照宮御影」や歴代将軍の書画、十三代将軍家定正室の篤姫(天璋院)と十四代将軍家茂正室の和宮(静寛院宮)の書画や愛用品などを展示しています。この機会にぜひお見逃しなく!


通称ミセスの感想

通称ミセスの読後感想

  • 2020.10.23 Friday
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通称ミセス

4,0 sur 5 étoiles 旗本夫人は意外に自由
Commenté au Japon le 19 mai 2013
Achat vérifié

この時代にも教養のある女性がいて、お酒を飲みながら風流な暮らしをしていたことがうかがえる。同じぐらいの教養がある女性は他にもいたのではないかと思うが、政府批判を含む日記をこのように残せたことをみると、旗本夫人は意外に自由だったのではないか。
また、将軍の生没等の事実に関して、時の政府にはいろいろ事情があり、正史として公表されている内容をうのみにしてはならないとが、立証されたように思う。作者の解説は読みやすくすらすら読めた。

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夜に咲く向日葵

4,0 sur 5 étoiles 近世に生きた一女性の完全な日記として評価
Commenté au Japon le 21 février 2009
Achat vérifié

近世という女性が埋没した時代背景を考えると、井関隆子のように自由闊達に生きた人がいたことに驚かされる。

現代でいうちょっとしたマダムの日記。
そこに「エスプリ」があるか否かは別問題として、井関隆子がどんな人であれ、「女性である作者が日記を残した」ということに尽きる。筆者が魅せられたのも、閉塞された時代の中に残された唯一完全な資料という点ではないか。

近世文学では、女性の手による作品はほとんど登場しない。その中で女性による完全資料(日記)が存在したこと、それを世に知らしめたところに本書の意義がある。

もちろん筆者自身「井関隆子の研究」の中で考究されているが、今後、この日記が更に研究され近世史や文学史にどのように関わってくるのか注目する。本書の位置づけはそれからでも遅くはないのではないか。

。。。。。。。。。。。

●15年以上前のコメントだろう。紙媒体では、とっくに消滅していたと思う。

渡邊恭氏の「大人の自由研究帖」

渡邊恭氏の「大人の自由研究帖」

  • 2020.10.20 Tuesday
  • 16:32

渡邊恭氏作成のブログ「大人の自由研究帖」に次の記事があった。

。。。。。。。。。。。。。

上記の「沖田総司の誕生日は7月15日か」は私がそこに載せた記事です。
ご紹介いただきありがとうございます。
ですが、事前に転載許可を出していない事、私のブログ名がこちらにはない事などから、このままでは著作権侵害となると思われます。
「大人の自由研究帖」からの転載、と冒頭に追記していただきたくお願いいたします。
上記記事を書くにあたり、先生の「井関隆子日記」は大変参考になりました。天候の記載がこの記事の鍵となっております。
ありがとうございます。
沖田総司の誕生日は7月15日か その3
2020年02月11日 09:00
『津山藩江戸日記』にあった

「五月廾八日  晴嵐」

の記載。
沖田総司の誕生日は、果たしてこの日なのか?

歴史天候データベース(以下、歴史天候DBと表記します)では、この日の天候は「晴」と「小雨」となっています。
「小雨」と「嵐」では、だいぶ違います。

他の日記等を探してみたところ、江戸の女流歌人・井関隆子日記に、雨が降り風も吹いたという内容の記載がありました。

その他、江戸の藤岡屋日記、横浜の関口日記、武蔵村山の指田日記、八王子の石川日記の5月28日を調べた結果、以下の表のようになりました。

表を見ると同じ江戸であっても、まちまちです。

歴史天候DBと津山藩江戸日記に共通するのは「晴」と「雨」。
対して津山藩江戸日記と井関隆子日記に共通するのは「雨」と「風」です。
前日から横浜に強い南風が吹いているので、江戸にもこの風が吹き込んでいた可能性があります。
風はあったとみていいでしょう。

では、雨はどうだったのか。

井関隆子日記には雨の程度は書かれていませんが、この日隆子は午前11時ごろ、仏事で寺へと外出しています。
雨のため駕籠で行ったようですが、外出できないほどの暴風雨ではなかったことがわかります。

歴史天候DBも「小雨」としているところを見ると、大雨ではないが風が強かったため、津山藩江戸日記では「嵐」と表記したとも考えられます。

藤岡屋日記には、天気の記載はありませんが
「両国夜見世開、花火有之」
とあります。

この日は、隅田川の川開きの日でした。
8月28日までの夕涼み期間のみ、日没までしか営業できなかった両国橋あたりの料理屋などに、夜半営業が許可されるそうで、その初日ということでしょう。
そして、花火もあがった、ということは、夜には晴れていたことになります。

津山藩江戸日記の天候は時系列で書かれていることが多いので、「晴嵐」は、晴が先でしょう。
とすると、この日は
晴→小雨→風も吹く(嵐)→夜には晴
であったのかもしれません。

「ひどい大暴風雨」でしたら印象も強く、記載が一致すると思われるので、
やはりこの日の雨はそれほどではなかったのではないでしょうか。
また晴もあるので、「大変に暗い日」にも一致しない可能性があります。

一方、6月8日(新暦7月15日)はこうなっていました。

八王子以外は薄曇りから大雷雨で一致しています。
広範囲で悪天候であったようです。

この日の井関隆子日記には、

「未のくだちいかづちなりふためくと思ふほど、雨ふる事いといみじう、いはほも何も打とほしぬべく、いとおどろおどろし。やり戸をもさしあへぬ間に風さへあれて吹き入り」

とあります。

大まかに訳すと
「未刻の後半(4時前くらいか?) 雷が鳴り、ひどい雨が降って来た。岩も貫いてしまうに違いないくらいの雨で、ひどく恐ろしい。戸を閉める間にも風まで荒れて吹き入ってきた」
という感じでしょうか…。

この日の雷雨ははっきりしていましたが、この日記で、かなりの強風であったことがわかります。
まさに大暴風雨です。

前回、津山藩江戸日記での「曇 晩雷雨」の「晩」を、夜と解釈してしまいましたが、
正確には「夕方」のことだそうです。
失礼しました。

夕方とすれば、井関隆子日記とも一致します。

6月8日は、朝から曇りで、夕方から大暴風雨。
「夏」 「たいへんに暗い日」 「大暴風雨」
の条件を満たしています。

以上の事から、沖田総司の誕生日は、やはり天保13年6月8日(新暦7月15日)ではないか、
と考える次第です。

【今回の引用・参考文献等】(敬称略)
・歴史天候データベース・オン・ザ・ウェブ 吉村稔
・津山藩松平家「江戸日記」 津山郷土博物館
・井関隆子日記 中巻 深沢秋男 校注 勉誠社
・藤岡屋日記 第2巻 (11~17(天保八年~弘化二年)) (近世庶民生活史料)
藤岡屋由蔵 [著], 鈴木棠三, 小池章太郎 編 三一書房
・横浜市文化財調査報告書 第8輯の9 横浜市文化財研究調査会 編 横浜市教育委員会
・石川日記 11 (郷土資料館資料シリーズ ; 第28号)
八王子市郷土資料館 編 八王子市教育委員会
・注解指田日記 上巻 武蔵村山市立歴史民俗資料館 編 武蔵村山市教育委員会
・隅田川の川開きについて レファレンス共同データベース
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• 【珈琲少憩】今日は沖田総司の誕生日?
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。。。。。。。。。。。

●最初に引用した時、作成者、ブログの出典を記すのを失念してしまった。
渡邊恭氏に対して大変失礼をした。改めて再掲載して、お詫び申し上げます。
2020年10月20日  深沢秋男

ウィキの警告 「井関隆子」即時削除

ウィキの警告 「井関隆子」 即時削除

  • 2020.10.20 Tuesday
ウィキの警告 「井関隆子」 即時削除

• 2013.03.08 Friday

• by 如儡子(にょらいし)

「井関隆子」即時削除しました。

●ウィキペディアに「井関隆子」を新たに項目を立てて、書き込んだら、ウィキのかもめーるさんから、次のようなメールが届いた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

深沢あきおさんの作成なさった井関隆子については、はてなキーワード井関隆子日記からの丸写しが明確に確認できましたので、恐れ入りますが、即時削除いたしました。悪しからずご了承を賜りますよう、お願い申し上げます。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●私は、初めての立項だったので、つい、自分の書き込んだ「はてなキーワート」をコピーしてしまった。済みませんでした。で、次のように新原稿で投稿した。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

井関隆子(いせき たかこ)

江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人・日記作者・物語作者。

【生没】

天明5年(1785)6月21日~天保15年(1844)11月1日。60歳。法号は、知清院殿悟菴貞心大姉。

【閲歴】

幕臣、大番組・庄田安僚の4女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826)夫・親興が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送った。

【著作】

1、『井関隆子日記』 全12冊。著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日~同15年10月11日、898日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある。

2、『さくら雄が物かたり』 6巻1冊、著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される。

3、『神代のいましめ』 写本、墨付28葉、昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の2面性を描いている。

4、『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉。播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる。

5、『井関隆子長短歌』『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。

【書写本】

1、桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
2、蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
3、吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写。

【参考】

●『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月~1981年6月。
●深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
●深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月。

■ウィキの警告

。。。。。。。。。。。。。。。。

●ウィキペディアに、初めて立項した時の事である。何しろ、投稿条件が沢山あって、むつかしかった。【はてなキーワード】に書き込んでいたものを、そのままコピーして投稿した。で、著作権侵害ななった。

●改めて執筆して投稿したが、スタイルが上手くいかない。何方かが助けてくれて、ようやく投稿完了した。

●ウィキペディアは、それぞれの項目の専門家が執筆投稿していると思うが、デジタルに弱いと投稿できない。その場合は、一般的な内容になってしまう。このあたりが、問題かと。  

2020年10月20日

死去ネット

死去ネット

  • 2020.10.17 Saturday
死去ネット

• 2015.08.08 Saturday

• by 如儡子(にょらいし)

●私は、毎朝、仏壇に向かって、蝋燭をともし、線香を立て、家内の祖父母、父母、私の祖父母、父母、他界した兄姉、姪など、沢村家、吉田家、深沢家、渡辺家、佐野家、など、自分の係累の他界された方々に対して、お祈りをする。次に、珈琲を飲んで、パソコンに向かって、「死去ネット」を開き、斎藤親盛、井関隆子、鈴木重嶺の霊に対して、香を手向け、花を上げる。それから、メールを確認して、研究の机に向かう。程なく眠くなり、一眠り、頭が冴えたら、また原稿を書く。

●私が、死去ネットに登録したのは、次の3名である。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

1 斎藤親盛(如儡子) さいとう ちかもり

1603 – 1674
仮名草子作者
亡くなってから341年150日過ぎました。
71歳で亡くなりました。
1603年に誕生、1674年03月08日に亡くなりました。
生誕412年が経過しました。没後341年が経過しました。
暮らした時代は、慶長 から 延宝 です。

斎藤親盛(如儡子)さんについて

近世初期、出羽の酒田に生まれた。庄内、川北奉行、斎藤筑後守広盛の長男。最上家親に仕える。最上家57万石が1万石に改易された時、浪人となる。苦しい浪人生活の中で、仮名草子『可笑記』や、『砕玉抄』『堪忍記』『百八町記』などを著作した。

齋藤家 墓所 参詣

2015年6月23日、二本松、松岡寺の齋藤家のお墓にお参りしました。
齋藤家第13代豪盛氏御夫妻と、私たち夫婦の4人です。齋藤氏ご夫妻が招待して下さいました。
第二墓誌の裏面に、その後の状況を新たに追加しました。
これで、豪盛氏と私の研究は一段落しました。
以上、御報告申し上げます。

2015.01.01 ID:137550
akiofukasawa
昨日、第13代・齋藤豪盛氏から電話があり、齋藤家御先祖の代々の上に話題が及びました。御報告致します。

2014.09.23 ID:134816
akiofukasawa
父、斎藤筑後守広盛の伝記、『世臣伝』に基づいての検証、最上家改易までまとめました。171枚、昨日、印刷所へ入稿しました。これで、父上の伝記はほぼ、終りました。御報告申し上げます。

2014.08.30 ID:134146
akiofukasawa
父・斎藤筑後守広盛の長谷堂合戦の頃の活躍の様子が、検証できました。『世臣伝』の拠り所となった、斎藤家の記録は、貴殿が書いたのではありませんか。私は、そのように考えるようになりました。

2014.05.24 ID:131154
akiofukasawa
●笠谷和比古氏が『武士道 侍社会の文化と倫理』の中で、『可笑記』の意見を取り上げています。御報告いたします。

2014.04.03 ID:93018
akiofukasawa
武州川越の豪商、榎本弥左衛門の記録『榎本弥左衛門覚書』の、正保2年の条に「心のうちに詮議仕り候らえども、合点参らず候につき、落ち着き申さざる所に、『可笑記』を読み候らいて、心落ち着き申し候也。」と書かれています。御報告いたします。

2014.03.22 ID:92738
akiofukasawa
●東京都中央区立泰明小学校の『泰明だより』平成26年3月号に、校長・和田利次先生の生徒に贈ることばで「礼儀と云うは、むかいの人によっておこない、時にしたがっておこなう、万事一ぺんに心得べからず」(如儡子『可笑記』)と書いています。これは『可笑記』巻2の48段にあるものです。貴殿の書いた言葉が現在も活用されていることを報告します。

2014.02.14 ID:92136
akiofukasawa
現在、私は、ライフワークとしての『如儡子・斎藤親盛の研究』を執筆中です。貴殿は、『徒然草』と共に『甲陽軍鑑』をよく読んで利用しましたね。尊敬します。

2013.12.20 ID:91279
akiofukasawa
『近世初期文芸』第30号に、斎藤広盛と藤島城のことを掲載しました。貴殿の伝記資料も少しずつ充実しています。

2013.11.05 ID:90466
akiofukasawa
『可笑記』が、平成22年度香川県公立高校入試、平成23年度京都府公立高校入試に出題されました。

2013.11.02 ID:90402
深沢秋男
近世初期の激動の社会を生き抜いた人生に敬意を捧げます。大学3年の時、仮名草子『可笑記』に出会えたことを幸せだと思っています。

斎藤親盛(如儡子)さんのお墓について

松岡寺
二本松市松岡77

■山形県酒田市、上日枝神社境内に「齋藤筑後守記念碑」が建立されている。

。。。。。。。。。。。。

●5年前に、こんな事を書き込んだ。今も、ネットの墓参は続けている。井関隆子、斎藤親盛、鈴木重嶺の墓には、私以外の方も、線香とお花を手向けて下さる。有難い事である。
2020年10月17日

井関隆子と新見正路

井関隆子と新見正路

  • 2020.10.16 Friday
井関隆子と新見正路

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

親 し い 家 の 庭 で 一日を 自由 に 過 ごす こ と は,ほか で も行 わ れ て い た ら し く,時代が下 るが ,天保年間,九段坂下 に屋敷の あ っ た 旗本 の 婦人 井 関 隆子 は ,親類 の 旗 本 の 下 屋 敷 に 家 族 総 出で 出か け 春 の 一日を過 ご した こ とを,そ の 日記 に 記 して い る。同 書 に よ る と,天保 11年 (1840) 3 月 21 日,「か な た よ り も花紅葉 の を り を り遊 び所 に 物せ よ と あ れ ば」,高田 の 新見正 路 の 下屋敷 に 子供 を含 め た 家族一.同 で 出か け,園内の 蕨取 りや 凧揚 げに 興 じ た 後, 亭 で 弁 当を開 き酒を飲 み ,タ方まで 遊ん だ と い うの で あ る。井関隆子 の 場 合は 親類 で あ る の で .所有者 と の 関係が 密 な場合 に 限 られ る の で あ ろ うが ,他 家の 庭を借 りて ,大勢が 自由に 過 ご す場合 が あ っ た こ とを,こ の 例 は 示 して い る。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●これは、「六義園に見る安永・天明期の「庭見物」」という小野佐和子氏の論文の一部である。この論文がどの雑誌に発表されたか、未確認。

●隆子の夫は、新見家の出で、九段下の新見正路の家と、隆子の家は近かった。そんな関係で、隆子はしばしば、正路の家に遊びに行っている。正路も文化人、蔵書もたくさん持っていた。隆子は、正路の蔵書も見ていたのだろう。

紀伊民報 〔将軍家を訪ねて〕

紀伊民報 〔将軍家を訪ねて〕

  • 2020.10.15 Thursday
和歌山県南紀のニュース/AGARA 紀伊民報2020年10月15日(木)

和歌山 紀南

創立100周年記念 秋の特別展「徳川将軍家を訪ねて — 江戸から令和へ — 」徳川記念財団と共催 将軍家で女性によって受け継がれた文化を紐解く — 昭和女子大学光葉博物館
(2020年10月05日 20時05分 更新) Digital PR Platform

昭和女子大学光葉博物館(東京都世田谷区:理事長・総長 坂東眞理子)は、学園創立100周年を記念した秋の特別展「徳川将軍家を訪ねて―江戸から令和へ―」を開催しています。
本展示では会期を第I部・第II部に分け、徳川宗家の歩みと女性たちが受け継いだ文化をさまざまな側面から紐解きます。

家康と歴代将軍の実績
 10月3日から10月24日に開催される第I部では、幕府を開いた徳川家康と歴代将軍の実績とともに、現代に受け継がれる徳川将軍家を紹介します。徳川家存続に尽力した天璋院と静寛院宮の自筆の書も展示します。

女性によって受け継がれた将軍家の文化
 11月7日から開催される第II部では、近年見直されている大奥での女性の活躍・将軍家の生活に注目し、女性たちの受け継いだ文化を展示します。将軍家の婚礼に係る調度品、女性たちが愛でた人形や愛玩品の数々を展示します。
 あわせて旗本夫人が幕末の政治・経済・風俗・文学などについて批評を交えて記した『井関隆子日記』も公開します。これは本学図書館が所有するもので、日記文学・歴史資料として高く評価されています。

日時:2020年10月3日(土)~12月5日(土) 11:00~16:00
  ※日月祝休館
  ※10月25日~11月6日は展示総入れ替えのため休館
共催:公益財団法人徳川記念財団
入館料:無料
場所:昭和女子大学光葉博物館
  (東京都世田谷区太子堂1-7-57)

▼本件に関する問い合わせ先
昭和女子大学 広報部
TEL:03-3411-6597
メール:kouhou@swu.ac.jp

【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-pre

德川将軍家を訪ねて 江戸から令和へ 特別展

德川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ―― 特別展

  • 2020.10.15 Thursday

2020/08/28
徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ— 第Ⅰ部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍
昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて —江戸から令和へ—」
第 Ⅰ 部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍
【共催】公益財団法人 德川記念財団
※新型コロナウイルス感染の状況により、日程等変更が生じる可能性がございます。
ご来館前に当ホームページ等で最新の情報をご確認ください。
※ご来館者の人数により、入場制限を行う場合がございます。
※ご来場の際には、必ずマスクをご着用ください。感染予防にご協力願います。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2020/08/28
徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ— 第Ⅱ部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記
昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて —江戸から令和へ—」
第 Ⅱ 部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記
【共催】公益財団法人 德川記念財団
※新型コロナウイルス感染の状況により、日程等変更が生じる可能性がございます。
ご来館前に当ホームページ等で最新の情報をご確認ください。
※ご来館者の人数により、入場制限を行う場合がございます。
※ご来場の際には、必ずマスクをご着用ください。感染予防にご協力願います。
期間
2020/11/07(土) 〜 2020/12/05(土)
開催時間
11:00 〜 16:00
休館日
日曜日・月曜日・祝日

沖田総司の誕生日

沖田総司の誕生日

  • 2020.10.12 Monday
沖田総司の誕生日は7月15日か その3
2020年02月11日 09:00
『津山藩江戸日記』にあった

「五月廾八日  晴嵐」

の記載。
沖田総司の誕生日は、果たしてこの日なのか?

歴史天候データベース(以下、歴史天候DBと表記します)では、この日の天候は「晴」と「小雨」となっています。
「小雨」と「嵐」では、だいぶ違います。

他の日記等を探してみたところ、江戸の女流歌人・井関隆子日記に、雨が降り風も吹いたという内容の記載がありました。

その他、江戸の藤岡屋日記、横浜の関口日記、武蔵村山の指田日記、八王子の石川日記の5月28日を調べた結果、以下の表のようになりました。

表を見ると同じ江戸であっても、まちまちです。

歴史天候DBと津山藩江戸日記に共通するのは「晴」と「雨」。
対して津山藩江戸日記と井関隆子日記に共通するのは「雨」と「風」です。
前日から横浜に強い南風が吹いているので、江戸にもこの風が吹き込んでいた可能性があります。
風はあったとみていいでしょう。

では、雨はどうだったのか。

井関隆子日記には雨の程度は書かれていませんが、この日隆子は午前11時ごろ、仏事で寺へと外出しています。
雨のため駕籠で行ったようですが、外出できないほどの暴風雨ではなかったことがわかります。

歴史天候DBも「小雨」としているところを見ると、大雨ではないが風が強かったため、津山藩江戸日記では「嵐」と表記したとも考えられます。

藤岡屋日記には、天気の記載はありませんが
「両国夜見世開、花火有之」
とあります。

この日は、隅田川の川開きの日でした。
8月28日までの夕涼み期間のみ、日没までしか営業できなかった両国橋あたりの料理屋などに、夜半営業が許可されるそうで、その初日ということでしょう。
そして、花火もあがった、ということは、夜には晴れていたことになります。

津山藩江戸日記の天候は時系列で書かれていることが多いので、「晴嵐」は、晴が先でしょう。
とすると、この日は
晴→小雨→風も吹く(嵐)→夜には晴
であったのかもしれません。

「ひどい大暴風雨」でしたら印象も強く、記載が一致すると思われるので、
やはりこの日の雨はそれほどではなかったのではないでしょうか。
また晴もあるので、「大変に暗い日」にも一致しない可能性があります。

一方、6月8日(新暦7月15日)はこうなっていました。

八王子以外は薄曇りから大雷雨で一致しています。
広範囲で悪天候であったようです。

この日の井関隆子日記には、

「未のくだちいかづちなりふためくと思ふほど、雨ふる事いといみじう、いはほも何も打とほしぬべく、いとおどろおどろし。やり戸をもさしあへぬ間に風さへあれて吹き入り」

とあります。

大まかに訳すと
「未刻の後半(4時前くらいか?) 雷が鳴り、ひどい雨が降って来た。岩も貫いてしまうに違いないくらいの雨で、ひどく恐ろしい。戸を閉める間にも風まで荒れて吹き入ってきた」
という感じでしょうか…。

この日の雷雨ははっきりしていましたが、この日記で、かなりの強風であったことがわかります。
まさに大暴風雨です。

前回、津山藩江戸日記での「曇 晩雷雨」の「晩」を、夜と解釈してしまいましたが、
正確には「夕方」のことだそうです。
失礼しました。

夕方とすれば、井関隆子日記とも一致します。

6月8日は、朝から曇りで、夕方から大暴風雨。
「夏」 「たいへんに暗い日」 「大暴風雨」
の条件を満たしています。

以上の事から、沖田総司の誕生日は、やはり天保13年6月8日(新暦7月15日)ではないか、
と考える次第です。

【今回の引用・参考文献等】(敬称略)
・歴史天候データベース・オン・ザ・ウェブ 吉村稔
・津山藩松平家「江戸日記」 津山郷土博物館
・井関隆子日記 中巻 深沢秋男 校注 勉誠社
・藤岡屋日記 第2巻 (11~17(天保八年~弘化二年)) (近世庶民生活史料)
藤岡屋由蔵 [著], 鈴木棠三, 小池章太郎 編 三一書房
・横浜市文化財調査報告書 第8輯の9 横浜市文化財研究調査会 編 横浜市教育委員会
・石川日記 11 (郷土資料館資料シリーズ ; 第28号)
八王子市郷土資料館 編 八王子市教育委員会
・注解指田日記 上巻 武蔵村山市立歴史民俗資料館 編 武蔵村山市教育委員会
・隅田川の川開きについて レファレンス共同データベース
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德川将軍家をたずねて――江戸から令和へ――

德川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ――

  • 2020.10.10 Saturday
  • 00:15

德川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ――

昭和女子大学創立100周年記念特別展

カタログ

目次

ごあいさつ 

  学校法人昭和女子大学理事長・総長     
      坂東眞理子

「徳川将軍家を訪ねて――江戸から令和へ――」展の開催にあたって

  德川宗家第十八代当主・公益財団法人徳川記念財団副理事長
      徳川恒孝 

図版・資料解説

第Ⅰ部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍

「『徳川の平和』の三つの柱」
  公益財団法人徳川記念財団副理事長館長
     徳川家広

第Ⅰ部 1章 平和を担った将軍と文化

第Ⅰ部 2章 家名存続に尽くした二人の正室

 「戊辰戦争期における天璋院と静寛院宮」

  公益財団法人徳川記念財団学芸員 岩立将史

第Ⅰ部 3章 伝統と近代化の両立を図った徳川宗家

第Ⅱ部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記

 「大奥ファーストレディとキャリアウーマン」
      東京学芸大学名誉教授  大石学

 第Ⅱ部 1章 将軍家の婚礼と大奥のくらし

第Ⅱ部 2章 大奥で愛でられた人形と小さき品々

 第Ⅱ部 3章 旗本夫人井関隆子が語る大奥のくらし

 「『井関隆子日記』と記録された江戸城大奥]
     昭和女子大学名誉教授  深沢秋男

徳川宗家ゆかりの地めぐり

徳川将軍家年表

出品目録/参考図版リスト

参考文献

謝辞・奥付

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特別展開催日時

日時:2020年10月3日(土)~12月5日(土) 11:00~16:00
  ※日月祝休館
  ※10月25日~11月6日は展示総入れ替えのため休館

共催:公益財団法人徳川記念財団

入館料:無料
場所:昭和女子大学光葉博物館
  (東京都世田谷区太子堂1-7-57)

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●昭和女子大学創立100周年記念特別展において、井関隆子を取り上げて貰えたのは、大変名誉な事である。徳川宗家の超貴重な資料と共に展示して頂けるのは、徳川家斉の御台所・広大院に、『浜松中納言物語』『萬葉集略解』を献上していた隆子にとっても、この上ない事でああろう。

●天保の井関隆子は、令和によみがえった。長年研究して来た、私にとっても大変な御褒美である。心から感謝申上げたい。