〔ジャパンサーチ〕の『井関隆子日記』

〔ジャパンサーチ〕の『井関隆子日記』

  • 2019.06.18 Tuesday
  • 06:59

井関隆子日記

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所蔵機関
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国立国会図書館
収録されているデータベース
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全国書誌
最終更新日
2019/06/15
カテゴリー
書籍等
名称/タイトル 井関隆子日記
名称/タイトルヨミ イセキ タカコ ニッキ
人物/団体 深沢秋男 校注,勉誠社
時間/時代 1981.6,1981
場所 東京,JP
資料種別 図書
著者標目 井関, 隆子, 1785-1844、深沢, 秋男, 1935-
著者標目よみ イセキ, タカコ、フカサワ, アキオ
内容細目 天保14~15年. 井関隆子関係資料(補訂):p388~393
出版者 勉誠社
出版者よみ –
出版地 東京
出版年月日等 1981.6
出版年月日(W3CDTF) 1981
注記 –
大きさ、容量等 396p ; 19cm
提供元へのリンク(URL) http://id.ndl.go.jp/jpno/81031074

NDLサーチへのリンク(URL) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001506760-00

タイトル 井関隆子日記
タイトルよみ イセキ タカコ ニッキ
著者典拠ID(URI) http://id.ndl.go.jp/auth/entity/00621867、http://id.ndl.go.jp/auth/entity/00013690

件名 井関, 隆子, 1785-1844、日本–歴史–江戸末期–史料
著者 深沢秋男 校注
出版地(国名コード) JP
NDC –
リポジトリ番号 R100000002
言語(ISO639-2) jpn
言語 jpn
ISSN –
ISSN-L –
日本全国書誌番号 81031074
資料種別(URI) http://ndl.go.jp/ndltype/Book

刊行巻次 –
刊行頻度 –
刊行状態 –
アクセス制限 S01P99U99
所蔵機関 国立国会図書館
所蔵機関コード 0000
提供元へのリンク(URL) http://id.ndl.go.jp/bib/000001506760

国立国会図書館書誌ID 000001506760
請求記号 GB391-92
所蔵巻次・年月次 –
所蔵欠号情報 –
別タイトル –
改題後誌(情報資源のURI) –

改題後誌(情報資源のURI)(label) –
ローカル請求記号 –
著者別名 –
関連資料(情報資源のURI) –

関連資料(情報資源のURI)(label) –
別タイトルよみ –
改題前誌(情報資源のURI) –

改題前誌(情報資源のURI)(label) –
巻次・部編番号 下巻
巻次・部編番号よみ –
部編名 –
部編名よみ –
出版者注記 –
別タイトル部編名 –
別タイトル部編名よみ –
所蔵注記 –
版 –
シリーズタイトル –
シリーズタイトルよみ –
対象利用者 一般
件名よみ イセキ, タカコ
別タイトル部編番号 –
内容細目注記 –
内容細目著者 –
原文の言語(ISO639-2) –
原文の言語 –
要約・抄録 –
価格 4500円 (税込)
シリーズ著者 –
NDC(8版) 210.58
ISBN –

科研費課題番号 –
SetISBN –

ISBN(エラーコード) –
ISSN(エラーコード) –
空間的範囲(JISX0402) –
空間的範囲 –
空間的範囲(UTMNO) –
空間的範囲(NCNO) –
発売番号(録音・映像番号) –
国連ドキュメント番号? –
内容年 –
別タイトル部編番号よみ –
タイトル標目 –
タイトル標目よみ –
NS-MARC番号 –
版著者 –
トーハンMARC番号 –
ISSN-L(エラーコード) –
空間的範囲(ICNO) –
CODEN –
国連セールス番号 –
規格番号 –
掲載誌情報(情報資源のURI) –

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一次資料へのリンクURL –

OCLC番号 –
LCC

〔江戸連〕の今

〔江戸連〕の今

  • 2019.06.18 Tuesday

●今日、たまたま、〔江戸連〕を久しぶりに検索したら、運営メンバーが出ていた。実に懐かしい。私は、もう、かなり前に、この会で、井関隆子のことをお話しした。その後の懇親会にも出させてもらって、楽しいひと時を頂いた。その時、お世話をして下さった、圓山稔氏が、現在、代表理事である。

●花柳寿々方さんも、頑張っておられる。寿々方さんは、井関隆子を語れないかと模索して下さったが、結果は無理だった。

●江戸の文化を愛する人々の情熱は、何時までも消えない。
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運営メンバー

圓山稔(代表理事)

代表理事の圓山謡拙です。これまで江戸連の講企画を10年程担当してきました。江戸好きが高じて、江戸文化歴史検定1級を取得したり、古文書に熱中したりしています。「江戸文化の秘訣は『連』にある」というのが持論で、「江戸連」という看板に恥じないような会にしていきたいと思っています。

白石徹(事務局長)

九州小倉の生まれ。転勤で東京・大阪・名古屋・福岡を移動、さらにインドネシアで4年2回、計8年勤務。其処での経験から、家内が「じゃがたらお春の消息」他の本を出版した関係で、長崎楽会・江戸連・オランダ友好協会他の会に所属。退職後やることのない私は「濡れ落ち葉」の如く彼女の後について回り、何故か今や江戸連事

寿々方(理事)

東京神田の商店の二女として生まれました。6歳より人間国宝・故花柳寿楽師に師事。芸名花柳寿々方として、舞台、テレビ、海外公演、リサイタルと前半は舞踊一筋の世界でした。その後体調不良につき舞踊から身をひきます。
私の稽古場が狂言師、故茂山千之丞師の東京稽古場であったことから、狂言を教えて頂きました。そんな前歴をベースに、舞台語り「江戸がたり」を始めました。最近は語りを活かして、大人むけの紙芝居を施設のデイサービスで、ボランティアしております。


文学作品の評価

文学の評価 『井関隆子日記』の場合

  • 2019.06.09 Sunday
  • 06:41

●思い出すと、当時、こんなこともあった。同じ職場の中古の担当者が、『井関隆子日記』は日記文学ではない、と言い出した。岩波の『日本古典文学大辞典』を見ても分ると、その御仁は言う。私は、その辞典が間違っているのです、よく、『井関隆子日記』の本文を読んでから、口をきいて下さい。と申上げた。その御仁も、もう定年で退職した。

●〝通念のイドラの呪縛力恐るべし、いったん「制度」と化した文学観は、まことに広くかつ長く人々を縛りつづけて、放さない。〟

かの、佐伯彰一氏の言である。

●『井関隆子日記』の評価の例 ①
「第四に挙げる作品は、旗本女性井関隆子(一七八五~一八四四)による『井関隆子日記』である。天保一一年から一五年までの五年間、変化しつつある社会を政治も含めて見聞し、また多くの書物を読み、それらについて思索しながら膨大な日記を書き続けた。その文体は町子や麗女と相違して、和文である必要性はなかった。平易でありながら行き届いたものであり、近世における女性の随想文の一つの到達点としても良いだろう。思索の内容は、政治社会論や女性論に注目すべきものがある。」(鈴木よね子氏『日本女性文学大事典』)

●『井関隆子日記』の文章は、決して、当時の国学者の多用した擬古文ではない。言ってみれば、古代語ではなく、近代語の文章なのである。これが、文学としては評価されるところだと思う。

●『井関隆子日記』の評価の例 ②
●真下英信氏「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」(『慶應義塾女子高等学校研究紀要』第29号、2012年3月刊)
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はじめに

“日は落ち全ての道は次第に暗くなっていった”。これは古代ギリシアの叙事詩人ホメロスの作品『オデュッセイアー』で七度繰り返されている一行である。筆者は夕暮れ時に散歩すると無意識にこの詩句を口ずさみ,楽しくも刺激的であったギリシア語の授業を時折思い出す。昔,辞書を引きながらホメロスの原典を読み始めた時,この一句から強烈な印象を受けたからである。その理由の一つはたわいもないことで,この詩句が現れると辞書を引くことなく容易に一行進めた喜びであった。アオリストと未完了の絶妙な対比にも魅せられた。また,主人公が海の真っただ中を航海しているときにもこの一句が使用されているのに何とも言えぬ奇妙さに襲われたからでもあった。道はどのように整備されていたのかを考えるのも楽しかった。
ホメロスの叙事詩とは成立年代も文学形態も全く異なるとは言え,『井関隆子日記』を読むと同じく繰り返し現れる語句があることに人は気付く。多少の変型があるが,“己が幼かりし頃”との一句である。これらの語句は,5年間にわたって綴られた日記のなかでも特に最初の1年,天保11年に多用されている。この語句の繰り返しから我々は彼女の日記のどのような特質を読み解くことが出来るのかを検討するのが本小論の目的である。結論として,隆子は日記を綴るにあたり常に人間ひいては自然の本性を書き留めることに努めており,この態度は5年間不変であった。変わったのは彼女が生きていた時代そのものであり,それ故に彼女が綴った日記は秀逸なる歴史書と見なせるのではないか,との主張がなされるはずである。  【以下略】

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おわりに

ツキディデスの『戦史』を一読した者なら誰しも,己の時代を未来に伝えるべく日記を綴るには自己自身の営為の確立すなわち現在への犀利な洞察があればこそ可能となる,との思いを強くするのではなかろうか。隆子は政治的亡命を余儀なくされる事もなく四季折々の変化と家族団欒を楽しみながらも日常性に埋没することなく,その背後に潜む社会の実態を鋭い眼で客観的に記述した。かかる洞察力なくしては過去並びに現在の記述は単なる懐古趣味に堕す。人間の本性に照らしあわせて過去と現在を綴ろうとした隆子の姿勢はまさに歴史家のそれと言ってよい。それ故に,『井関隆子日記』は秀逸なる文学作品であると同時に幾多の重要な史実が記載されている優れた歴史書であると評価出来る。    (2011.11.24)
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●文学研究の意義はどこにあるのか。文学研究も科学である以上、新しい発見をしなければならないだろう。新しい評価を提出しなければならないだろう。そのためには、鋭い感受性をもって作品に対し、その眼目を突き止める必要がある。そうして、その、感受した内実を文章に表現して、既存の説を修正したり、新説を提出しなければならないだろう。

●海のものとも、山のものともわからない、無名の女性の写本12冊に出会ってから、50余年が過ぎた。現在『井関隆子日記』は、このように評価されている。

『井関隆子日記』原本の古書価

『井関隆子日記』原本の古書価

  • 2019.06.08 Saturday
  • 23:42
『井関隆子日記』の原本の古書価
2015.05.27 Wednesday

● 桐箱入り全12冊の『井関隆子日記』に初めて出会ったのは、昭和47年(1972)11月、恩師重友毅先生の使いとして、桜山文庫御所蔵の『春雨物語』等を御返却するため、鹿島則幸様のお宅へお伺いした折の事である。
鹿島様の御厚意で『日記』の原本を拝借して帰り、初めからゆっくり読み進めるうちに、私はこの『日記』に強くひかれていき、離れられなくなってしまった。

桜山文庫の蒐集者で国学者の鹿島則文は、この『日記』入手の経緯を次の如く記している。
「この書は明治十あまり五とせ神道事務局の幹事てふ職にてしばし都にかり住せしころ十一月の十四日に神田淡路町壱番地斎藤兼吉といへる書商より七円にてあがなひしを……」

明治15(1882)年11月14日に神田淡路町壱番地の古書籍商(斎藤兼吉)から7円で求めたという。この斎藤兼吉について古書籍商に関する記録などを調べたが見当たらない。また現在の淡路町の斎藤姓の家々、町内の古老の家などにもお伺いして調べたが、確認する事は出来なかった。
ただ、琳琅閣・斎藤兼蔵氏の「先代琳琅閣とその周囲」(『紙魚の昔がたり』所収)によると、先代琳琅閣は斎藤兼蔵といい、福井県から東京へ出て古書店を始めた。最初浅草の蔵前で床店を出していたが、その後神田の淡路町に移り、更に池の端へ移ったという。「浅草から淡路町へ移ったのは明治七、八年の頃の様です。」「其処(淡路町)には、十余年も居りまして相当の成績を挙げて……」 初代琳琅閣が神田淡路町で古書籍商を営んだのは、明治七、八年から十余年間であるという。その店の位置も「今(昭和九年)の位置で申しますなら昌平橋を渡って突き当りの少し手前で西側です。」「今の佐柄木町の停留場の西側位の処に当ります。」と、明治11年の『実測東京全図』の「同(淡路)丁一」とほぼ一致する。また、琳琅閣の淡路町時代の華客の中に、狩野亨吉・幸田露伴・徳富蘇峯・松井簡治・大野洒竹・伊藤松宇等と共に「鹿島則文」の名がみえる。
則文は、明治15年に琳琅閣・斎藤兼蔵からこの『日記』を7円で求めたのではなかろうか。ただ、その名を「兼吉」と誤記したのではなかろうか。

● 横山重先生は『書物捜索』において、幸田成友氏の明治16年の古書価の記録「東海道名所記六冊一円、好色一代男八冊一円」を引かれ、昭和17年の推定時価を『東海道名所記』4、5百円、『好色一代男』初版3千円としておられる。昭和49年1月の反町弘文荘主宰・古書逸品展示大即売会では、天和2年荒砥屋版、初版初刷の『一代男』が550万円であった。『一代男』とこの『日記』を比較するのは無謀と思われるので、『東海道名所記」と比べてみると、明治16年に『東海道名所記』が6冊で1円、『日記』が15年に12冊で7円、昭和17年に『東海道名所記』が4百円であるから『日記』は7倍の2千8百円という事になる。昭和49年の『一代男』は約千8百倍であるので、『日記』は5百万円強という事になる。『一代男』と同率で換算するのも問題があるし、版本と無名に近い著者の自筆本とを比較するのも問題がない訳ではない。また、明治14年に河竹黙阿弥が作った『島鵆月白浪』には上級酒1合が3銭とあるので、当時の7円が直ちに現在の5百万円に相当するという事にもならない。それだけ古書価が暴騰しているという事であろう。

ただ、則文は明治15、6年に『東海道名所記』『好色一代男』の7倍の価格でこの『日記』を求めたという事は紛れもない事実であり、それは、
「男もかく長き月日をたゆみなく美はしく書いでんはいかにとおもはるに、まして女子の筆のあとには、古しへ人の清少納言紫式部にも立おとるまじう思はるゝ」
という、則文のこの『日記』に対する評価と関係があるものと思われる。

● 明治15年に桜山文庫の所蔵するところとなった『日記』であるが、その後、同文庫と深い関係にある諸先学にさえ、ほとんど着目される事がなかった。この間、公的記述としては、岩波書店『国書総目録』の
「天保日記 てんぽうにっき 一二冊 〔著〕井筒隆女 〔写〕桜山」
「井筒隆 天保日記 ⑤八七七 2」(同目録著者別索引)
にとどまっていた。

● 隆子の著作・短冊・絵などは御子孫の井関家に伝えられたが、昭和20年3月9日の東京大空襲で全て灰燼に帰してしまった。この『日記』も、

「古事記伝をみな写し、その外随筆せるもの凡三箱ほどありしと言、瓦解後みな反古に成したるべしと言へり」(鹿島則文の調査)

とある如く幕末動乱の折、何人かによって井関家から持ち出され、古書店に陳列されたのであろう。

● 昭和61年9月、桜山文庫は、昭和女子大学図書館に一括譲渡された。この時の評価者は、神田の一誠堂書店の酒井宇吉氏である。酒井氏は、この『日記』をどのように評価されたのであろうか。それは、記さないことにする。しかし、全9百余点、6千余冊についての、酒井氏の評価は、誠に誠実なものであった、と鹿島則幸氏も、私も思っている。

付記 これは、『勉誠社だより』第6号(1981年8月)に掲載した「『井関隆子日記』との出会い」の一部を改めたものである。

■『井関隆子日記』原本 第1冊~第6冊
現在は、昭和女子大学図書館所蔵

■『井関隆子日記』原本 第7冊~第12冊

『井関隆子日記』の古書価

『井関隆子日記』の古書価

2019.05.25 Saturday

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『井関隆子日記』の古書価

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『井関隆子日記』が読みたい   【江戸・東京ときどきロンドン より】

2011年 05月 04日

先日の地震九段段会館が一部崩落し 大変でしたね
見るからに古い建物だったので もう少し保存と使用方法に気をつけていればよかったのに・・・
と 残念に思います
さて今日は 江戸時代 この九段会館の真向かいに住んでいた
旗本の話にしましょう
切絵図〇のところ 井関次郎衛門と書いてあります
この家に 文化11年(1814) 同じ旗本の庄田家から 後妻に来た
隆子さんは 天保11年(1840)56才の時から60才で亡くなる5年間 丹念に日記を書き綴っています
この日記がおもしろいのは 明治2,30年代になってから 多く出版された「旧事諮問録」系の 古老に

聞く 旧幕時代の思い出と違って 江戸の天保前後の事象を 「今」の目線で書きとめていることです
そして 書き留めたのが女性であり
この日記を 出版どころか 人に見せることを想定して
書いてはいないのが 大きな特徴です
その分 自由に 当時のありのままを書き 自分の感想も
のびのびと記しているのですね
その上 この方は 絵もうまい! →
ある日見た 住職に戯れかかる陰間(男色相手)を絵に描いたもので 「卑しくて 片腹痛し」なんて 痛烈な批判も書いています
彼女の嫁いだ井関家は 代々将軍家の近くに仕える家柄で
大奥の御広敷(役所)や 小納戸などを勤め 主に11~13代の家斉・家慶・家定の時代のことが 多く書かれています
驚くのは こういう勤めの人の家族は とにかく城内の消息に詳しい!ってこと
そりゃあ 毎日おそばに仕えているんだから 当たり前かもしれませんが
当時は極秘であったことなども 隆子さんは平気で日記に書いてしまいます
大御所・家斉の死についても 公表は1月末だったものを すでに10日の日記で
「7日に亡くなられた」と書いているのです
「後の処置が大変なので 世間には秘して 普段どおり 家慶さまも(大御所が在世のように)
西の丸に通われているが 大方は世間にも漏れ ひっそりとして 物音を立てるものもない」
これは 近侍する旗本の家族でなければ わからないことですね
この他にも 当時の行事・慣習のことが詳しく書かれていて
両国よりも華やかだったという佃島の花火のこと
寒の入りの日の挨拶回りのことなど 私はこの本で初めて読みました
そして この隆子さんは 天保の改革や 水野忠邦の罷免なんて
政治向きのことも 家族から聞き込んでは すぐに日記で批判
実に 闊達で 元気な女性なんです
残念なのは これが一冊しかない日記で 過去に一回 本になりましたが
当時でも 4千5百円×3冊という結構なお値段の豪華本だったこと
部数も少なかったのでしょう 現在 古本サイトでは一冊 7万円前後です
3冊買えば 21万円ですからねー・・・・
近くの図書館には 置いてないし ほんとに残念です
私は 深沢秋男氏の書いた新書版や 研究書を読んだだけです
本は 秘蔵したり 飾ったりするものではなく 広ーく大勢の人に読んでもらうため
にあるのだよ・・・というコンセプトの元
なんとか廉価版で復刻を・・・!と願っていますよ
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●今日、〔日本の古本屋〕をチェックしたら、4点出ていた。8年前に、私の文春新書が影響したのか、勉誠社版『井関隆子日記』の古書価は非常に高かった。3冊21万円では、なかなか買えない。現在では、3冊セットで、20000~25000円というところか。発売時の定価は、各4500円だった。妥当だと思う。

●私などは、自著の、古書店での価格が、定価より安いと、非常に淋しい。儲けを目的に出しているのではないので、古書店には、評価してもらいたいと願うのである。
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■井関隆子日記 中巻
加能屋書店 ¥10,000
深沢秋男 校注、勉誠社、昭55、1冊
函、ビニカバ付

■井関隆子日記 全3巻揃
金山閣書院 ¥24,000
深沢秋男校注、勉誠社、昭53-56、3冊
函:ヤケ・並、ビニカバ、本・良

■井関隆子日記 上・中・下 全3冊揃
西秋書店 ¥25,000
深沢秋男・校注、勉誠社、昭和53年、3冊
函入 /「天保日記」(井関隆子自筆本 全12冊 天保11-15年) 翻刻・注/解説/鹿島則文と桜山文庫/索引

■井関隆子日記
黒崎書店 ¥19,000
深沢秋男校注、勉誠社、昭56、3冊
上中下3冊揃セット 函(シミ・汚れ・少破れ)付 全体ヤケ 表紙少シミ・少ヨレ 地に大学名印・日付印有り 見返し・始頁シミ
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奥様と雪隠 井関隆子

「奥様と雪隠 井関隆子」

2019.05.21 Tuesday

「奥様と雪隠 井関隆子」野口武彦氏(『週刊新潮』2004年7月29日)

●天保11年5月17日の条を取り上げている。江戸城に近い、九段坂下に、およそ500坪ほどの屋敷はあったが、それでも隣家とは接近しており、様々な悩みはあったようである。ここでは、トイレの臭いを取り上げ、特に、こちらが食事時や、来客の折は閉口する、と嘆く。このような、下ネタなどは、ほどほどに止めれば済むものを、彼女はそうはしない。古典の中の描写から、現在の江戸の糞尿の処理に至るまで、延々と記し続けるのである。ここに、隆子の好奇心一杯な性格と、書かずにいられない、作家的資質を見る事ができる。

●野口氏は、この条を軽妙な文章で紹介してくれた。そして、

「旦那様は可もなく不可もない人物だったようだが、奥様の方は古典文学の教養が深かった。読書量がすさまじい。才気溌剌とウンチクを傾け、クサイ話題を王朝物語の香りにくるむのが強みである。・・・どんな下世話な事柄でも上品になるから妙である。」

として、その文章力を高く評価しておられる。

●文学を評価する場合、まず第一に問題になるのが文章であろう。〔文学〕にとって、良い文章とはどのようなものか。美文が、絶対条件ではない。その文章に盛り込まれた、気品ある内容こそ大切だと、私は思う。

研究不正対策

研究不正対策

2019.05.15 Wednesday


●この度の、深井智朗氏の論文捏造に関して、今日の朝日新聞、文化欄で取り上げている。人文系の論文の価値評価は、とのようなシステムで対応するか。
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「 度重なる疑問の声が生かされなかったことについて、調査委は報告書で「研究姿勢を正す機会があったのに生かされることがなかった」と指摘した。研究者の良心に依拠した学問の自由と、研究者相互の学問的批判。それは本来、両立するはずだと小柳氏は思う。だが、「具体的なルールはどうしたらいいのか分からない」と、課題の大きさに戸惑っている。
不正対策はどうなっているのか。  【朝日新聞 2016年5月15日、朝刊】
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●私などの経験では、学部の卒論段階で、研究水準の確認は常識であった。研究とは、その水準の上に新説をプラスしなければならない。だから、私は「仮名草子研究文献目録」の作成に取り組んだのである。しかし、この常識が、学界共通の認識であったかどうか、それは疑問である。その後、「学界展望」などで、「△△氏の説は、もう13年も前に、〇〇氏が提出している」と指摘されたりしていた。

●研究水準の確認には、各論文のキーワードを集成して、そのデータのフルイにかけて、発表年月日、キーワードの内実を確認して、査読する必要がある。これは、博士論文の審査でも同様だと思う。コンピュータの技術が進んだ現在、かなり詳細な、キーワードの集成が可能だと思う。そのようなシステムの構築から始める必要があるのでないか。

●学問の世界に、〔なれあい〕は許されない。江戸時代末期の女性、井関隆子は研究者ではないが、国学者の論争に関連して、先学の説は、もし、誤りがあった場合、たとえ、それが恩師の説であっても、訂正すべきであると言っている。

FBのコミュニティ規定

FBのコミュニティ規定

2019.05.10 Friday


●アマゾンに出ていた、〔井関隆子日記 上巻 198000円〕 を フェイスブックに投稿したら、
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この投稿はコミュニティ規定に違反するため、あなた以外には表示されません。
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と表示された。私は、アマゾンの広告をコピーして、投稿しただけである。フェイスブックのコミュニティ規定では、この内容は違反と判断された。

●確かに、『井関隆子日記』の上巻1冊で、198000円と言うは、異常である。アマゾンの価格は、どのような経過で表示されたのか。「0」が間違って、一つ多く付いてしまったのか。現在、分からない。フェイスブックの処置は、妥当だと思う。

井関隆子日記 上巻 198000円

井関隆子日記 上巻 198000円

2019.05.09 Thursday


●今日、アマゾンに、次のように出ていた。何だろう ?
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●井関隆子日記〈上巻〉 (1978年)
井関 隆子、 深沢 秋男
¥ 198,780 (1点の中古品)

●旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記 (文春新書 606)
深沢 秋男
¥1(36点の中古品)
5つ星のうち 4.3 8

●井関隆子日記〈中巻〉 (1980年)
井関 隆子、 深沢 秋男
¥ 14,800 (3点の中古品)

●井関隆子日記〈下巻〉 (1981年)
井関 隆子、 深沢 秋男
¥ 26,900 (2点の中古品)
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お万の方(養珠院)ゆかりの地

2019.04.23 Tuesday


日蓮宗に篤く帰依した徳川家康の側室・お万の方(養珠院)が開基として創立した本遠寺から、日蓮宗信仰の源である久遠寺へと足を伸ばし、お万の方ゆかりの地を巡ります。
〇文化財巡り写経体験

心を込めて、書いてみませんか。参加者はどなたでも体験できます。身延山久遠寺にて、簡単な写経を体験していただけます。一つの写経が5分程でできるようになっており、様々な種類の写経が用意してあります。

【日 時】
5月26日(日) 午前9時30分~午後5時頃
(午前9時15分から受付開始)
【集合場所】本遠寺(身延町大野839)

【コース】
本遠寺→大野堤防遺跡→(車移動)→身延山門前町→身延山三門→久遠寺→丈六堂
【参加費】無料
【定 員】30名(長時間歩ける健康な方、小学生以下の場合は要保護者同伴)
【持ち物】昼食、飲み物、タオル、筆記用具、雨具、常備薬

【申込方法】
生涯学習課文化財担当へ電話でお申し込みください。
(☎0556―20―3017)
【申込期限】5月20日(月)まで

【主 催】身延町教育委員会
【協 力】大野山本遠寺 身延山久遠寺

お問い合わせ

担当:生涯学習課
TEL:0556-20-3017(直通)
。。。。。。。。。。。。。。

●江戸城大奥で、日蓮宗が大変な勢いだったことは、『井関隆子日記』にも書かれている。あるいは、初代家康の側室、養珠院の影響かも知れない。雑誌『歴史読本』49巻2号(平成16年2月)に、私は、井関隆子が見た幕末の江戸城について書いたが、同じ号に、望月真澄氏が、「江戸城大奥女中の信仰と祈祷所」と題して執筆しておられた。身延山久遠寺の江戸での‘出開帳’を知ることが出来た。