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昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展 (公益財団法人徳川記念財団共催)第Ⅱ部 「女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記」 について 安蔵 裕子 氏(昭和女子大学) 15:20~15:50 展覧会見学※展覧会会場にて展示資料の紹介あり 参加費:無料定員:30名先着順(コロナ対策のため)ZOOMによる視聴を希望される方は参加方法の項目で「オンラインで講演会を希望する」を選択してください。 申し込み方法:下記の申し込み用Google Formからお申込みください(新規 …

昭和女子大学 光葉博物館 に感謝

昭和女子大学 光葉博物館 に感謝

  • 2020.12.05 Saturday
  • 18:13
昭和女子大学 光葉博物館 に感謝

2020/08/28
徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ— 第Ⅰ部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍
昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて —江戸から令和へ—」
第 Ⅰ 部 徳川幕府を創った家康と歴代将軍
【共催】公益財団法人 德川記念財団

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2020/08/28
徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ— 第Ⅱ部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記
昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて —江戸から令和へ—」
第 Ⅱ 部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記
【共催】公益財団法人 德川記念財団

■ プロモーションムービー
展示資料の一部を紹介しています。ぜひご覧ください。

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●昭和女子大学 光葉博物館は、大学創立100周年の記念特別展として、上記の展示会を開催された。徳川宗家の超貴重な資料と共に、徳川家に仕えた幕臣の主婦の綴った『井関隆子日記』も展示して下さった。この日記を世に送り出した私は、冥土の土産の如く受け取り、心から感謝申上げている。

●今回の特別展で、隆子の日記は、さらに多くの人々に知られる事となり、こんなに嬉しいことは無い。かつて、昭和女子大学の国文科で、この日記を取り上げ、講義・講読の教材に採用した時を思い起こし、実に懐かしい。

●毎時間、毎時間、講義の始まる前に「井関隆子」と板書して、学生にこの女性の名前を憶えてもらった。テキストには、『井関隆子日記』上・中・下、全3巻を使い、学生には多額の出費をお願いする事になり、今も申し訳なく恐縮している。


昭和女子大学 光葉博物館 秋の特別展 第Ⅱ部 今日まで

昭和女子大学 光葉博物館 秋の特別展 第Ⅱ部 今日まで

  • 2020.12.05 Saturday

「徳川将軍家を訪ねて」第Ⅱ部 12/5(土)まで!Main

12/5(土)最終日!「徳川将軍家を訪ねて」第Ⅱ部 あと2日!!  [2020年12月03日(木)]
本学創立100周年記念 秋の特別展「徳川将軍家を訪ねて」も残すところ、2日となりました。

第Ⅱ部では、篤姫(天璋院)や和宮(静寛院宮)の所用として伝わる絢爛な着物や調度品から、大奥でのくらしや年中行事などを紹介しています。将軍家の女性たちが愛でた人形や小さき品々も展示してします。あわせて、『井関隆子日記』(本学図書館蔵)も公開しています。

11/20(金)から、篤姫(天璋院)と伝和宮(静寛院宮)所用の着物と掛袱紗2点を展示替えしております。この機会にぜひご観覧ください。

事前予約は必要ありませんので、お気軽にご来館ください。

ご来館の際は、マスク着用、手指消毒、距離をとってのご観覧など、感染防止対策にご協力願います。
大学構内への入構にあたっては、正門守衛室で博物館の見学の旨をお伝えいただき、「見学証」をお受け取り後、検温にご協力ください。

展示替え後の「掛袱紗」と「小袿」篤姫(天璋院)所用

展示替え後の「打掛」伝和宮(静寛院宮)所用(右端)

昭和女子大学創立100周年記念 秋の特別展
「徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ―」

第 Ⅱ 部 女性によって継がれた徳川将軍家と井関隆子日記
2020年11月7日(土) ~12月5日(土) 11:00~16:00

【休館日】日曜日・月曜日・祝日
【入場料】無料
【開催場所】昭和女子大学光葉博物館(7号館1階)
【主催】昭和女子大学光葉博物館
【共催】公益財団法人德川記念財団

2020年12月03日 | 未分類 | この記事のURL

「徳川将軍家を訪ねて」第Ⅱ部 12/5(土)まで!

江戸連 葉月講

江戸連 葉月講

  • 2020.12.02 Wednesday
江戸連 葉月講

旗本夫人が見た江戸のたそがれ・井関隆子のエスプリ日記(深沢秋男著・文芸春秋)

◆未知を知ることは楽しい。それが一級品の資料や日記に裏打ちされているものなら尚更のことだ。20日に開催した江戸連葉月講で講師・深沢秋男氏(昭和女子大名誉教授)が語ってくれた「井関隆子日記」はまさにそう。講演会場となった日本橋伊場仙7階ホールは「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」というタイトルに魅せられたのか、講演行事では今年最高の入りの47人が参加した。その中で深沢氏が語った要旨は次の通り。

◆1.『井関隆子日記』は幕末に生きた、バツイチで酒好きで古典に精通した豊かな教養を持った旗本夫人が残した天保年間5年間の日記である。近世仮名草子を専門とする深沢先生にとっては、全くの専門外であり不安を抱えたままの研究だったが、いつか隆子という人物に惹かれるようになり、この魅力的な女性を世に知らしめたいと決意するようなったという。

◆2.隆子という女性は、井関家に嫁いだ後も、旗本の主婦として夫に慕われ、子や孫からも尊敬され、蓄積した教養と天性の批評眼で、様々な対象に対して的確な批評・感想・意見を書き残した。「目の前にしている様々な出来事を書き留めていると・・何百年も経過すると・・貴重な記録にもなる」という隆子の歴史認識の確かさには驚かされる。また、天下祭り・四季遊び・見世物・地震などの市井や自然などあらゆることに旺盛な好奇心を示し、貴重な記録として残してくれた。

◆3.井関家は代々将軍や大奥に使える仕事柄であったため、『徳川実紀』などの公式見解とは異なった真実の情報(将軍の死亡日ほか)が『日記』に書かれているのも興味深い。子や孫は尊敬する隆子に、折にふれて城内・大奥の情報を密かに伝えていたのである。天保15年の江戸城本丸全焼の様子なども、現場に居合わせた者からの情報として臨場感あふれた記録になっている。

◆4.『日記』の文章・文字そして絵を見ても隆子の教養の深さが半端でないことを物語っており、10年以上前からいくつかの大学入試で出題されるなど『日記』の評価が高まっている。

◆講演要旨はこんなところだ。講演の中で印象的だったのは、深沢氏が語った「研究者に必要なことは何かを発見すること、そして歴史を正しく修正すること」の一言。井関日記からは知られていない江戸近世末期の世相・流行が読み取れると語った。またその日記が最近大学入試で出題されていると語った時、深沢氏のうれしそうな顔が大変印象的だった。本来研究の仮名草子から十年間も寄り道して井関日記に没頭してきた成果が評価された結果の満面の笑みなのだろう。(圓山稔)

◆会場を日本橋小舟町の中華料理店「天豊」に移しての懇親会。講師・深沢秋男先生を囲んで24名が出席。圓山事務局長の司会、新実代表理事の挨拶で会は始まった。

◆まずはいつものようにビールで乾杯。ゆったりとした雰囲気の中で前菜をつまみながらの歓談。つぎに運ばれてきた料理は、エビのチリソース煮。やがてビールが紹興酒にかわり、焼酎、日本酒、ハイボールと矢つぎ早にリクエストするウワバミ連(それにしてもよく飲みますね)。麻婆豆腐、豚肉黒酢煮、餃子と大皿に盛られた料理がつぎつぎに供される頃には談論風発。酒も食もすすむ。皆さん健啖ですね。

◆宴たけなわの中、講に初参加のゲスト紹介があり、宮田経博氏から江戸連に加入しますとの挨拶。コーンスープ、五目チャーハン、杏仁豆腐と本日の料理が出尽くしたところで宴はお開きとなる。岡安前代表理事の一本締めで閉会。

◆存分に料理をいただき、飲んで、野口英世三枚は嬉しい価格でした。(松本崇男)

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昭和女子大の名誉教授で、近世の仮名草子なんかが専門なんだそうですが、井関隆子さんの日記にぶつかってからはどっぷりと惚れ込んでしまわれたようです。

江戸連のみなさまだったら、一生懸命にやらないと評判も悪くなってまずいんじゃないかと、今日は私もリキが入りまして、そしたら資料がたくさんになって、12枚になってしまいました。

井関隆子日記ですが、この女性の大きな著作になります。昭和女子大学・桜山文庫に所蔵されておりますが自筆本で12冊で966葉、まあ2000ページぐらいの壮大な写本であります。

天保時代というのは、江戸文学の中でもあまり価値のない時代なんです。そういうように教わっていました。非常に退廃的で見るものはないと。したがって私も最初から拒否反応があったんですけれども、貴重なものですから読んでみたんですね。

1.旗本夫人が見た江戸のたそがれ
~井関隆子のエスプリ日記~(深沢秋男・文芸春秋)
2.井関隆子の研究(深沢秋男・和泉書院)
3.井関隆子日記の研究(深沢秋男)

▼井関隆子との出会い

●昭和47年、恩師・重友先生の使いとして、桜山本『春雨物語』を返却するため、鹿島則幸氏の御自宅へお伺いした。用件が済んだ時、鹿島様は「こんなものもございますが」と言って、桐箱入りの12冊の写本を見せて下さった。私の専攻は近世初期の仮名草子であり、幕末の名も無い女性の日記に手を着けるのは、憚られた。しかし、初めから読み進めるうちに、その文体と内容に、グングン惹かれていった。

●岩波の『国書総目録』は書名を「天保日記」とし、著者は「井筒隆女」から「井筒隆」へと変更していた。女性の日記か、男性の著作か、それさえはっきりはしていなかった。

●『日記』を読みながら、著者の調査も進めた。幕末の旗本の妻であり、「井関隆子(いせき たかこ)」と言う女性である事が明らかになっていった。もともと出版社の要請で原稿作成に着手したのであるが、オイルショックで企画は中止となってしまった。しかし、その時、私は、この『日記』のトリコになってしまっていた。

●勉誠社に頼み込んで、全3冊の校註を終えるまでに8年間の年月を費やした。仮名草子研究者としては、8年間の寄り道であった。
(深沢秋男研究室のHPより)

井関隆子関係講演

井関隆子関係講演

  • 2020.12.02 Wednesday
井関隆子関係講演

①、「幕末旗本夫人・井関隆子の生涯」(江戸の女性史フォーラム、平成18年7月1日、江戸東京博物館、1階学習室、)

②、「歴史における事実と虚構――『井関隆子日記』の記述から――」(昭和女子大学文化史学会、第18回大会、平成18年12月16日、昭和女子大学研究館7階講義室)

③、「幕末期の江戸城大奥―天保15年、江戸城炎上」(所沢中央ロータリークラブ・第714回例会・卓話、2008年1月28日、セレス所沢)

④、「第11代将軍・徳川家斉没日の謎」(東京中野ロータリークラブ・第1247回例会・卓話、2008年6月10日、ヒルトン東京)

⑤、「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」(調布市立図書館・アカデミー愛とぴあ、2008年7月8日、調布市文化会館たづくり12階大会議場)

⑥、「幕末期の江戸城大奥――将軍・徳川家斉・家慶と日蓮宗――」(新所沢ロータリークラブ例会・卓話、2009年2月3日セレス所沢)

⑦、「江戸城大奥と私」(東京原村会、2009年9月12日、上野精養軒日本橋店)

⑧、「旗本夫人からみた江戸」(番町まちづくり文学館、2011年3月8日、グラントアーク半蔵門)

⑨、「旗本夫人の見た江戸のたそがれ」(NPO 江戸連、2011年8月20日、日本橋伊場仙ビル7階会議室)

●まだ、あると思うが、思い出せない。

情報の波

情報の波

  • 2020.11.18 Wednesday
29. 歴史

江戸時代の結婚・家族・女性 江戸時代の人々は何を基準に嫁や婿を選び、どのような結婚式を挙げていたのか、結婚は社会的にどのような意味を持っていたのか。結婚、離婚、子育てなど、江戸時代の家族について解説する。

関連書籍を探す

大奥の女たちの明治維新 : 幕臣、豪商、大名 敗者のその後
安藤優一郎著 — 朝日新聞出版, 2017.2, 231p. — (朝日新書 ; 605)

女はいつからやさしくなくなったか : 江戸の女性史
中野節子著 — 平凡社 , 2014.07 , 254p. — (平凡社新書 ; 742)

旗本夫人が見た江戸のたそがれ : 井関隆子の批評日記
深沢秋男著 — 文藝春秋, 2007.11, 230p. — (文春新書 ; 606)

江戸の花嫁 : 婿えらびとブライダル
森下みさ子著 — 中央公論社 , 1992 , vii, 170p. — (中公新書 ; 1063)

三くだり半と縁切寺 : 江戸の離婚を読みなおす
高木侃著 — 講談社 , 1992 , 253p. — (講談社現代新書 ; 1092)
江戸時代の司法 夫婦 離婚 女性史 

三くだり半 : 江戸の離婚と女性たち
高木侃著 — 増補. — 平凡社 , 1999 , 488p. — (平凡社ライブラリー ; 296)
離婚 

江戸の親子 : 父親が子どもを育てた時代
太田素子著 — 中央公論社 , 1994 , iv,240p. — (中公新書 ; 1188)
親子 父性 

江戸の子育て
中江和恵著 — 文藝春秋 , 2003 , 206p. — (文春新書 ; 315)

遊女の江戸 : 苦界から結婚へ
下山弘著 — 中央公論社 , 1993 , iii, 180p. — (中公新書 ; 1123)
江戸時代の性風俗 遊女 

江戸のおしゃべり : 川柳にみる男と女
渡辺信一郎著 — 平凡社, 2000.1 , 245p. — (平凡社新書 ; 030)
江戸時代の男と女 江戸の庶民 古川柳、江戸川柳 

江戸の恋 : 「粋」と「艶気」に生きる
田中優子[著] — 集英社 , 2002 , 206p. — (集英社新書 ; 0140F)
恋愛論、恋愛術 江戸時代の男と女 春画 

徳川将軍家の結婚
山本博文著 — 文芸春秋, 2005.12 , 212p. — (文春新書 ; 480)
徳川将軍 

大奥の奥
鈴木由紀子著 — 新潮社, 2006.11, 205p. — (新潮新書 ; 191)
徳川将軍 

近世史講義 : 女性の力を問いなおす
高埜利彦編集 — 筑摩書房 , 2020.1, 261p. — (ちくま新書 ; 1469)
女性史 

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●ネット時代になり、保存容量も増大し、情報はいつまでも生きる。

●全て書写の時代に育った私には、夢のような世界である。スパコンも次々と開発され、人々は情報の波に押し流される。

『井関隆子日記』との出会い

『井関隆子日記』との出会い

  • 2020.11.14 Saturday
『井関隆子日記』 との出会い

●昭和47年、恩師・重友先生の使いとして、桜山本『春雨物語』を返却するため、鹿島則幸氏の御自宅へお伺いした。用件が済んだ時、鹿島様は「こんなものもございますが」と言って、桐箱入りの12冊の写本を見せて下さった。私の専攻は近世初期の仮名草子であり、幕末の名も無い女性の日記に手を着けるのは、憚られた。しかし、初めから読み進めるうちに、その文体と内容に、グングン惹かれていった。

●岩波の『国書総目録』は書名を「天保日記」とし、著者は「井筒隆女」から「井筒隆」へと変更していた。女性の日記か、男性の著作か、それさえはっきりはしていなかったのである。

●『日記』を読みながら、著者の調査も進めた。幕末の旗本の妻であり、「井関隆子(いせき たかこ)」と言う女性である事が明らかになっていった。もともと出版社の要請で原稿作成に着手したのであるが、オイルショックで企画は中止となってしまった。しかし、その時、私は、この『日記』のトリコになってしまっていた。

●勉誠社に頼み込んで、全3冊の校注を終えるまでに8年間の年月を費やした。仮名草子研究者としては、8年間の寄り道だったのである。

2006/12/13(WED) 08:09

『井関隆子日記』 とは?

●昭和女子大学図書館の桜山文庫に、桐箱入りの、12冊の写本が所蔵されている。これは、幼名・庄田キチ、後に井関隆子の自筆の日記である。天保11年(1840)から5年間に亙る日記で、隆子が55歳から60歳で没するまで書き記したものである。

●隆子は、55歳の正月、老いの身として、これと言って為す事もない、手持ち無沙汰な日々の自分の心遣りとして日記を書き始める。『日記』は年老いた女性の心の発散の場として出発している。

●しかし、生来の批評精神の旺盛な彼女の、目に触れ、耳にする天保の時代は、極めて興味深い現実の連続だったのである。そこから、『日記』に書かれる内容に変化が生じてくる。

●このように、この女性の日記には、極めて主観的な心の発散と、結果的には、その対極にある、この天保期の社会の動き、政治的な変動の裏面をも伝えることとなった。

●私たちは、この一人の幕末の旗本夫人の日記を読む時、江戸時代の人々の生活の様子を多く学ぶことになる。
2006/12/13(WED) 00:47

国会図書館所蔵『恵美草』の書写者

国会図書館所蔵『恵美草』の書写者

  • 2020.11.13 Friday
国立国会図書館所蔵『恵美草』の書写者
深沢秋男

近世後期の歌人・蔵田茂樹著『恵美草』(別名『ひなのてぷり』)は、佐渡の年中行事等を記したものである。文政十三年三月の自序と賀茂季鷹の跋をもつが、刊行されることなく、写本として伝えられたようである。
国会図書館所蔵本は、大本一冊、本文紙の巻頭・巻末の各三葉にやや厚目の紙を使い、第一葉目(前表紙)の左上に「恵美草」と墨書、全二十五葉の内、自序一葉「文政十三年春三月/藤原茂樹識」、跋一葉「八十三翁/季鷹」、毎半葉十三行、一行約二十八字、挿絵五図、「不覊斎図書記」(秋山不覊斎)の蔵書印を存す。
ここで注意したいのは、本文の終りに「天保十三年三月写之 みなもとのたか子」とあることである。つまり、この国会本は天保十三年三月に「みなもとのたか子」なる人物によって書写されたものであることがわかる。
桜山文庫(鹿島則幸氏)には『天保日記』写本十二冊が所蔵されている。これは天保十一年から十五年までの、五年間の女性の日記である。当時の社会・風俗を知る上で貴重な史料であると同時に、文学史の上でも、今後検討されなければならないものと思われる。 ■現在は、『井関隆子日記』と呼ばれている。

この『天保日記』の天保十一年三月十五日の条に、

「今日佐渡国なる人ここに来れり。さるは去年の秋貢の黄金奉れるにそひて来れる、倉多の某てふ男なり。……(中略)……佐渡なゐは藤原ノ茂樹となんいへる。其国の珍かなることを問んと、かれ是物すれど、殊にとり出て書べきこともあらず。然れどもかの国の一年のうちの事ども、所の様、はた人のうへ祭りなどよりはじめ、くさぐさ書て絵など物したる一ト巻をもてきつ。ここといと異なることも見ゆれば、それ写さむとすれば是にはもらしつ。」

とあり、八日後の二十三日の条には「かの国の事共書集めたる書はゑみ草と名づけたり。」とある。
日記の記述から推測すると、佐渡の蔵田茂樹は、天保十年の秋から職務のために出府していたが、日記の著書は、ある歌会の席上で茂樹と知り会い、十一年三月十五日に『恵美草』を借り受け、書写したものと思われる。国会本『恵美草』と『天保日記』を比較してみると、この両者が同筆であるごとは明瞭である。さらに『天保日記』が著者の自筆本であると判断されるので、この国会本の書写者は『天保日記』の著者であると断定してよいと思われる。
日記の著者は井関(源)隆子という。桜山文庫の蒐集者・鹿島則文氏は、明治十五年に調査した結果を次の如く記しておられる。

さて天保日記のかきては、文政九年にみまかれる井関(弥右衛門)氏の妻にて、親経の母刀自のよし。名は隆子とて庄田氏の女にて、智清院と謚せり。卒中にて三日ほど病て死せり。御本丸の焼しころゆへ天保十五年頃なるべし。初めはさまでよみかきをなさねど、夫死して後学問をはじめ、千蔭の書をまなべりとぞ。古事記伝をみな写し、その外随筆せるもの凡三箱ほどありしと言。瓦解後みな反古に成したるべしと言へり。日記の内の事をとふにみなあへり。やうやうに作者判然せり……。

この井関氏は、代々徳川家に仕えた旗本で、親経は天保八年より二丸留守居、同十二年より嘉永七年まで広敷用人を勤めている。持高は二百五十俵、嘉永四年に役高七百俵となる。また親経の子・親賢は天保十年より小納戸衆となり、家慶に仕えている。日記にはしばしば城中の動静が記されているが、ぞれらは主として、親経・親賢父子からの聞き書きである。住居は九段坂下(今の千代田区九段南一丁目五番地辺)にあり、当時の江戸切絵図には「井関縫殿正」とある。
さて、国会本『恵美草』の書写者が、井関隆子であることは右の通りであるが、『天保日記』三月二十三日の条には、続けて次の如く書かれている。

(『恵美草』を)見もてゆくに、その国の海辺に千畳敷とふ嶋、名の如いと広う気色あなれば、国人酒肴まうけて遊び所にすなる、と記せる所に書てそへける。
菅むしろ千重しくいそにうたげせる
佐渡の嶋人ともしきろかも

つまり、『恵美草』三月二十三日の千畳敷の条に右の和歌一首を書き添えたとしている。国会本の右の条は、
「北さまなる浦近きわた中に、千畳敷と字せる島あり。」で始まり、「此わたりのけいそく、からの絵にいとようおぼえて、目なれぬ都人などの見ましかば、中なかに興あさからまじ。」で結ばれているが、歌は付加されていない。しかし、桜山文庫所蔵本(大本一冊、にぶ青色表紙の左肩に「恵美草 完」と書題簽、全四十六葉、毎半葉九行、一行約二十四字)には、この千畳敷の条の文末に、

いづくはあれど。このあそびのいとうらやましくて、
すがたたみ千重敷そにうたげせる
さどのしま人ともしろ鴨   隆子

とある。桜山本の書風は、国会本とは明らかに別人のもので、『天保日記』の著者の書写本ではない。井関隆子は何か故あって二度書写した。そしてその一本に右の歌を書き添えだのではないだろうか。桜山本は、その転写本のように思われる。
『恵美草』自筆本の所在は、現在未詳である。明治二十八年、佐渡・中原の矢田求氏は『佐渡史林』に本書を翻刻しておられるが、その底本も、味方氏の所蔵本を斎藤氏が転写したもので、味方氏の見たのが、茂樹の自筆本であったらしい。『佐渡史林』所収のものは『ひなのてふり』という書名であるが、内容は同じで、挿絵五図も、国会本・桜山本と同系統のように思われる。ただ、岩瀬文庫所蔵本(大本三冊、はなだ色表紙の左肩に「恵美草 藤原茂樹著 天(地・人)と書題簽、全四十九葉、天の巻十一行、地・人の巻十行、一行約十九字)のみがやや異なった構図となっている。また、画者について国会本・岩瀬本・桜山本は「あだし国には、ききもしらぬ事共もあなれば、そは石井文海にはかり其くさぐさを絵がかしめてつばらかになしぬ。」(国会本・自序)の如く「石井文海」としているが、『佐渡史林』のみ「中川徹斎」としている。本書の写本は、このほか、日比谷図書館・加賀文庫、無窮会・神習文庫にも所蔵されている(『国書総目録』)が未見である。今後、さらに調査を重ね、疑問の点を明らかにしたいと思っている。

以上、国会図書館所蔵の『恵美草』について簡単に述べたが、著者・蔵田茂樹と書写者・井関隆子との交流は、天保十一年から、十五年・隆子が没するまで続いており、『天保日記』には、その様が所々に記されている。最後に、日記・天保十五年七月十七日の条を紹介して筆をおく。

十七日、はれくもり定めなし。一日涼しかりしかば、すかされたるなめり、猶わづらはしうあつかはしきに、あふぎのみ時めきて秋は名のみおくことかたし。和歌のうらの芦づつもて作れる扇ことに風すずしかればよめる。

手ならせばすずしくもあるか千鳥なく
わかの浦風こめにけらしも

たちつる水無月、かの茂樹が文に付て其嶋なる蔓藻てふめをおこせたり。そヘたるうた、
梓弓いそうつ波ま求めつつ
ひきしつる藻は君にとてこそ

かヘし
槻弓のつきのよろしく我ためと
引しつる藻のまぐはしきかも

此かへりごとつかはさむとおもふあひだに、此月の望のほど、かの国よりれいの奉る貢のこがねにそひてまうで来れる人に付て、こぞ其嶋の荒磯に打よせたる朽木して広蓋てふもの作れるおこせたり。文に此木のはだつき此国の物ならず。いたく虫ばみそこねたれど、ここは放れ嶋にて遠かる戎の国々四方にあめれば、かかる木の年月経てただよひ来たるなめり。花のあした月のゆふべ、さかづぎをとらむをりをり用ひよとて歌あり。其歌、

秋の海によせし朽木の時し有て
君に馴るややさしかる覧

よろこびねんごろに書てはしに、

みうたのかがやかしさにかへし聞えむこと葉なし。かかる朽木も所得てこそ花さく斗のさかえも侍らめ。いといふかひなき老びとの、食ものに心いれむに、此朽木おもふ心あらむかし。

月花のをりにふれつつ中なかに
朽木ぞ我をおもひくたさむ

『参考書誌研究』(第11号、国立国会図書館参考書誌部、1975年6月)

「井関隆子」即時削除しました

「井関隆子」即時削除しました

  • 2020.11.11 Wednesday

「井関隆子」即時削除しました。

2013.03.08 Friday

「井関隆子」即時削除しました。

●ウィキペディアに「井関隆子」を新たに項目を立てて、書き込んだら、ウィキのかもめーるさんから、次のようなメールが届いた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

深沢あきおさんの作成なさった井関隆子については、はてなキーワード井関隆子日記からの丸写しが明確に確認できましたので、恐れ入りますが、即時削除いたしました。悪しからずご了承を賜りますよう、お願い申し上げます。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●私は、初めての立項だったので、つい、自分の書き込んだ「はてなキーワート」をコピーしてしまった。済みませんでした。で、次のように新原稿で投稿した。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

井関隆子(いせき たかこ)
江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人・日記作者・物語作者。

【生没】

天明5年(1785)6月21日~天保15年(1844)11月1日。60歳。法号は、知清院殿悟菴貞心大姉。

【閲歴】

幕臣、大番組・庄田安僚の4女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826)夫・親興が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送った。

【著作】

1、『井関隆子日記』 全12冊。著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日~同15年10月11日、898日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある。

2、『さくら雄が物かたり』 6巻1冊、著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される。

3、『神代のいましめ』 写本、墨付28葉、昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の2面性を描いている。

4、『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉。播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる。

5、『井関隆子長短歌』『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。

【書写本】

1、桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
2、蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
3、吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写。

【参考】

●『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月~1981年6月。
●深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
●深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月。

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●自分が発見した作品を、日本の歴史、日本の文学史の上に何とか定着させたいという、切なる希望があった。

●昭和女子大学の授業ても、毎時間、〔井関隆子〕と板書して、学生に覚えてもらった。

●明治書院の『日本文学大辞典』にも。〔井関隆子日記〕の項目を設けて欲しいと、編者の先生にお願いした。しかし、願いは叶わなかった。現在、近世日記文学を論じる時、〔井関隆子日記〕を外せるだろうか。人間の歴史とは、そんなものである。 2020年11月11日