観楽読楽――井関隆子日記

観楽読楽ーー井関隆子の日記
2019.04.15 Monday

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観楽読楽-観て楽しみ、読んで楽しむー

旗本夫人が見た江戸のたそがれー井関隆子のエスプリ日記ー」

<< 作成日時 : 2009/11/02 22:45 >>
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今の九段下の駅のところに屋敷地(九段坂下のりそな銀行のところ350坪)を持っていた旗本井関家の老夫人の日記を読み解いて解説した本である。日記は天保の改革が行われた天保11年元旦から天保15年10月11日までのことが記されている。井関隆子の56才から60才までの日記である。
息子が大奥との連絡責任者であり、当時の幕閣の動きにも詳しい。江戸の祭り、天保の改革についての評判なども書かれている。
なお、この日記は鹿島神宮、伊勢神宮の大宮司を歴任した鹿島則文の書籍コレクション「桜山文庫」に伝わったものという。
井関隆子は植物が好きで、とりわけススキを好んだようだ。日記に家族で月見をする様子も書かれている。また酒が好きな女性だったようだ。実家は旗本庄田家である。若い時から古典に親しんだ女性のようだ。
興味深いのは徳川将軍家が亡くなった日が、当時の公式記録とは違うことだ。11代将軍家斉は天保12年閏1月晦日に逝去されたと記録にあるが、この日記によると閏1月7日の夕刻に逝去したと書かれている。大奥の事情がわかる家であり、実際はこの通りなのだろう。解説者は、このことから他の将軍も同じように公式記録の没日時と、実際の没日時の違いの可能性を指摘しているが、政治上の思惑で、逝去の日をずらすことなどはよく行われていたと思われる。

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●古いブログであるが、私は初めて見た。

『井関隆子日記』の記述

『井関隆子日記』の記述
2019.04.09 Tuesday

【天保12年11月13日】の記述

●これは、膨大なデータを収集しているサイト〔幕末千夜一夜〕の記録である。
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※天保12年(辛丑)11月13日(1841.12.25土)
御広敷御用人井関親経が家斉の正室広大院の名代として、早朝江戸を発ち京都へ向かう。
徒士侍を先頭に、槍持、弓持ち、引き馬、具足の櫃などが並んで進む様子は、ちょっとした大名の出で立ちである。行程は戸塚、小田原、箱根、沼津、江尻、金谷、浜松、赤坂、宮、四日市、坂ノ下、石部、大津。京都には25日に到着する。
前の近衛殿の北の方円台院の上の葬儀のため広大院の名代として上京。
同行志願の親戚は拒絶する。
種々な物を賜っている、広大院からは御衣に添えて黄金60両、御文庫二つ、白羽重に八丈絹、御杯、様々の袋物、綾錦の楊枝差など。
東明(とめ)の宮からは、白紅の紗綾二巻、家定の君からは白紗綾二巻を賜る。峯寿院の上より白銀三包に御文庫を賜る。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
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●〔幕末千夜一夜〕には、次のように出ている。
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歴史回路と言うものを考えています
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歴史はどのように体系化して整理されているのでしょうか。
歴史を整理する方法として年表が思い当たります。
これは歴史上の出来事を時系列に並べる整理方法です。
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このほかに歴史を整理し、体系化する方法があるのでしょうか、歴史をどのような観点でみるのかにより整理の方法も色々あると思います。

歴史は「文学的に」記述、評価、分析されているのが一般的だと思います。「科学的に」歴史を扱うことはあまりないようです。
科学で歴史を扱うにはどのように考えれば良いのか、この「歴史回路」のページでは、歴史を整理するのに科学の応用分野である工学的な手法を入れて考えています。エンジニアリングな幕末思考とでも言いましょうか。
歴史事象の絡み合いは電気回路を連想させますので、歴史回路と呼んでみました。

試行錯誤でやっておりますので、論理的矛盾が出るでしょう。その時はまだ考え直します。
歴史の因果関係に注目して工学的な方法で整理しようというのが基本的思考です。[2015.11.29]
歴史回路とはどんな考え方? 歴史回路で見る幕末の世界
ご意見、感想等は 掲示板(Bakumaz BBS) へお願いします。
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新しい試み、実験:幕末の出来事をXMLで表現..?歴史資料と歴史回路をつなぐ実験です。
興味のある方は頭を絞って下さい。
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●また、次のような引用もある。
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●続徳川実紀では5月8日が死亡日「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」. ※天保11年(庚子)5月8日(1840.6.7日). 将軍家慶の第12子暉姫が死亡する。「続徳川実紀」. 井関隆子日記では5月4日「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢 …

1.
幕末狂乱 コレラがやって来た! 高橋敏 朝日新聞 … 新しく印旛沼古堀御普請御用となった目付榊原主計頭忠義が水野越前守忠邦から鳥居甲斐守耀蔵への返書を持って江戸を出発する。返書の内容、 … 旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」.

●天保14年(癸卯)6月

1.
旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」 … 印旛沼掘割普請御用に任命された江戸町奉行鳥居忠耀、勘定奉行梶野良材、目付戸田氏栄、勘定吟味役篠田藤四郎は、御用勤め方の … 幕末維新最後の藩主285人、別冊歴史読本、新人物往来社」.

※天保14年(癸卯)閏9月13日(1843、11、4土)

1.
老中水野忠邦(文政11年11月老中に就任)が天保の改革の失敗の責めを負って失脚(差控)。「日本史年表(日本歴史大 … 幕末維新人物列伝」. 旗本夫人井関隆子の日記「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」. 十三日、

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●このサイトの運営者は、膨大な構想を持って取り組んでいることが解る。私は、興味はあるが、これ以上頭を絞る時間がない。
ただ、幕末の歴史的事項を記す時、私の『幕末夫人が見た・・・』(文春新書)を引用しているが、出来れば、その原典である『井関隆子日記』を引用してもらいたいように思う。

BS-TBS ドナルド・キーン追悼

BS-TBS ドナルド・キーン追悼
2019.04.07 Sunday

ドナルド・キーンが遺したもの
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●2019年4月21日(日)16時~17時、BS・TBS
 ドナルド・キーン BS-TBS 特別追悼番組

先日享年96歳で惜しまれながら逝去したドナルド・キーンさんの特別追悼番組をみなさまのご協力により急速放映することになりました。何年にもわたり国内外で撮りためたキーンさんの映像の集大成という趣旨で、これまでの作品も生かし新たに編集した特別版となります。
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●これは、見なければ・・・。

京都大学入試 古文 2019年

京都大学入試 古文 2019年
2019.04.03 Wednesday

3.2 日記・随筆

筆者の日常や考えていることをまとめたものがこれに当たります。具体的には「玉勝間」や「井関隆子日記」などの出題が挙げられ、鎌倉~江戸時代にかけて書かれた文章からの出題が多くなっています。ここでは、現代語訳の他に、筆者の心情や考えを問う問題が出題されます。本文中から手がかりを探すことは当然のことながら、当時の時代背景や筆者の関する事前知識があれば、解答しやすくなります。いわゆる有名所と言われている文章が出題されることは少ないため難しいかもしれませんが、演習時には、内容以外の知識についても覚えておくようにしましょう。
また、この分野においても和歌が出題されることがあります。物語と同様、しっかりと対策を取るようにしましょう。

ドナルド・キーン先生「お別れの会」

ドナルド・キーン先生「お別れの会」
2019.03.23 Saturday

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   ドナルド・キーン先生「お別れの会」

当センターの名誉館長であり、日本文学研究者である故ドナルド・キーシ先生の「お別れの会」が下記内容にて執り行われます。

お別れの会の名称

「ドナルド・キーンお別れの会  日本の皆さんに感謝を込めてー鬼怒鳴門」

 このサブタイトルにはユーモアに富んだ、明るい先生の気持ちと先生らしさを表現できる会であり、先生を感じることのできる会にしたいというキーン誠己さんの思いが表現されています。

開催日時   2019年4月10日(水)
場  所   青山葬儀所
住  所   東京都港区青山2の33の20

一般参会者の献花受付  午後3時~4時
発起人代表  ディヴィッド・ルーリー氏
       (コロンビア大ドナルド・キーン日本文化センター所長)
喪  主   養子のキーン誠己(せいき)氏

 なお、当日、一般参会をされる方は御花、御香典等は喪主様から、ご辞退の意向がありますので、お含みおきください。また服装につきましても平服での参会を希望されております。

公益財団法人 ブルボン吉田記念財団
ドナルド・キーン・センター柏崎
       事務局長 染谷 晃
〒945-0063 新潟県柏崎市諏訪町10-17
     電話/FAX 0257-28-5755
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●私は、今、東京へ出られない。キーン先生の御霊前に、次のメッセージを捧げた。

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ドナルド・キーン先生
 
ドナルド・キーン先生の御逝去を悼み、
心からお悔やみ申し上げます。
キーン先生は、『井関隆子日記』が出版さ
れた時、いち早く、日記文学としての価値
を高く評価して下さいました。
キーン先生の御学恩に対して、
心から御礼申し上げます。
キーン先生、安らかにお眠り下さい。

     深沢秋男(昭和女子大学名誉教授)
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『井関隆子日記』の天候の記録

2019.03.20 Wednesday

●〔幕末気象台〕というブログで、天保11年11月1日の江戸九段下の天気について書き込んでいる。
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天保十一年十一月一日(西暦1840年11月24日)、江戸城黒書院の天気
2018-03-14 23:07:33 | Weblog

天保十一年十一月一日、酒井忠発が、江戸城黒書院で、三方領地替を言い渡されました。
忠発と庄内藩にとりましては、まさに「青天の霹靂」 でありました。

ところで、当日の江戸の天気はどうだったでしょうか。
江戸九段下の【井関隆子日記】によりますと、「時雨の雲も昨日に尽ぬるにか、日影花やかに晴わたりぬ 」
となりまして、前日までのぐずついた天気がようやく晴渡ったようです。

全国の天気分布図を見ますと、

【図】

となっており、日本海側の一部を除き日本列島は概ね晴 になっております。
忠発の言い渡された時間は正午前後と考えられますので、

午正晴、55度、29寸7分【霊憲候簿】 言い渡された時の江戸城黒書院での天気は晴、気温は摂氏12,8度前後で、
暮れも程近い、新暦11月24日としては穏やかな天気でしたが、天気とは裏腹に「神田大黒」の庄内藩江戸屋敷は
暗雲 の中にあったと考えられます。

柴又の寅さんに言わせれば「空は晴れても、心は闇よ」と言ったところでしょうか。

冗談はさておき、暮れには早速国元に向けて、矢口弥兵衛が早駕篭で出立します 。
早駕篭出発の時は、気温は摂氏11.7度と高めでしたが、江戸も曇り となりました。

秋田、山形では、一月前の十月一日に初雪 が降っており、道中の雪も心配です。

興味は尽きませんが、夜も更けましたので、今日はこの辺で「おやすみなさい」

井関隆子日記 ネットオークション

井関隆子日記 ネットオークション
2019.03.12 Tuesday

●東京都立航空工業高等専門学校旧蔵『井関隆子日記』が、ネットオークションに出品されていた。同専門学校は、2010年3月31日に閉校になった。
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• 状態:やや傷や汚れあり
• 個数:1
• 開始日時:2019.03.11(月)22:44
• 終了日時:2019.03.12(火)22:44
• 自動延長:あり
• 早期終了:あり
• 返品:返品不可
• 入札者評価制限:あり
• 入札者認証制限:あり
• 最高額入札者:ログインして確認
• 開始価格:5,000 円
• オークションID:u260698967

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『旗本夫人が見た・・・』 の感想

『旗本夫人が見た・・・』 の感想
2019.02.26 Tuesday

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moonshine  

2014-01-12

『旗本夫人が見た江戸のたそがれ〜井関隆子のエスプリ日記』 深沢秋男

旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記 (文春新書 606)
• 作者: 深沢秋男
• 出版社/メーカー: 文藝春秋
• 発売日: 2007/11/16
• メディア: 新書
• クリック: 18回
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ブックオフにて購入。やっぱり個人の日記は面白いね〜。…って言いたいとこだけど、新書とはいえ、原典に舌鼓を打つには遠かったかなあ。章立てがイマイチだった気がする。カテゴリごとに分類するんじゃなく、年月に沿って粛々と抜き出してくれたほうが臨場感があって良かったような…まあ、個人の好みですかね。
旗本といっても様々だろうが、隆子が再婚した井関家は大身。子(前妻の子、親経)は大奥の広敷用人となって広大院(家斉の正妻)の係を担当し、孫も家慶の小納戸係で、世帯の収入は現在に換算すると3000万程度あったと見込まれている。血のつながらない子や孫、曾孫らと配偶者、という一家にあって、隆子が彼らと大変仲が良い様子なのは、「ごちそうさん」における西門家のお静さんとは正反対である(比較対象ではないがww)。日記に書き残していないだけで実際は…ってわけでもなさそうなんだよね、これが。子や孫とやたら酒盛りをしている描写もあるし(隆子は無類の酒好き。親しみが湧くわ〜w)、政治向きの情報なんかも、子や孫から日々仕入れていた様子がうかがえる。近世における「家」とは必ずしも「血」ではないというのがよくわかる。
興味深いのは世の様子。家斉の子のひとり(姫)が亡くなり、商家はすべて店を閉ざしたりと自粛・・・ではなく、当時はそういう下命があったらしいが、家斉といえば、後世の今では側室や子どもが異様に多いことで有名な将軍だ。50人以上いたという子らは半分ほどが夭折しているのだから、変な話、しょっちゅう「慎み」モードになってたんだろうな、と。当たり前だが、日記は「またかよ」的ではなく、悼む筆致で受け止めている。
それから、江戸時代も後期となると組織や慣習がものすごく出来上がってるんだなあということ。広大院の養母、近衛経熙の正室が亡くなったとき、親経は広大院の名代として葬儀に出席することになる。京都行きである。その旅の大掛かりなこと! 
昨日、夕方、親経はお城から退出したが、多くの品々を賜った。松の殿(広大院)からは、御衣に添えて、黄金60両(約1200万円!)、御文庫二つに、白羽重に八丈絹、御杯、さまざまの袋物、綾錦の楊枝差など賜った。東明の宮*1の上よりはじめ、多くの方々からお使いがあって、白銀三包に御文庫などを賜り、所狭しと並べられた。
出発の日が近づいてきたので、家の中には旅の荷物が所狭しと並べられている。旅に同行する下郎の羽織や脛巾なども、新しい幕に包まれている。親戚や知人から届けられた旅の餞の品々など、記し留めるのも煩わしいほどである。
今日は、親経は登城して、御朱印や将軍様の押手などを受け取り、また、松の殿の贈物、白銀二百枚、お菓子代、ご消息を賜った。その他の方々のものは、皆取り揃えて、お長持に納めて下された。
なんか、すごい。『武士の家計簿』(磯田道史)でも加賀藩の下級藩士の記録で、家計の苦しい中で冠婚葬祭等、親戚づきあいの金を捻出する様子があったが、高貴な方々のおつきあいというのは桁外れである。大奥の上臈にしろ大名家の女性たちにしろ、日々、関係各位への挨拶や付け届けに追われるもので、粗相のないように万事取り仕切る配下の者たちには大変な能力が必要だったのではないかと思われる…。
この日記が書かれてわずか25年ほどで幕府は滅び、明治の世となる。政治の知識や情報を豊富に持ち、それらを咀嚼して書き残している隆子も、情報をもってきていた子・孫らも、当然ながら、幕末の萌芽を感じとってなどはいない。はかなさを感じるのと同時に、現代もまったく同じなのだと思う。10年後、20年後にまったく違う世の中になるとしても、私たちは気づく由もないんだろう。
*1:徳信院=直子のことかな?慶喜の義祖母。大河『徳川慶喜』で鶴田真由が演じていた…)からは、白紅の紗綾二巻、家定の君からは白紗綾二巻を賜った。これらは、このたびの旅立ちについてのものである。 今日は、早朝から、それぞれの御方の御座所へ参上した。峯寿院((家斉の娘にして水戸藩主・徳川斉脩の正室、斉昭の養母
emitemit 5年前
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●12年前に出した、文春新書の『旗本夫人が見た・・・』のコメントが出ていた。5年前のもの。この新書を書いた頃を思い出すと、実に懐かしい。

●三猿舎の安田さん、文春新書の和賀さんに、大変お世話になった。私としては、最初で最後の啓蒙書だった。何回も何回も書き直した。一時、投げ出したこともあった。安田さんや和賀さんのアドバイス、友人にも助けられた。文春の校閲部にも修正して頂いた。
●発行して見ると、意外に好評で、6刷までいった。平成20年(2008)元旦の文藝春秋社の社告にも出た。印税もたくさん頂いた。一生に一度の、夢のような日々だった。

●しかし、多くの読者に読んでもらって、書評、感想などもたくさん拝見したが、内容は、好意的なものも多かったが、実に厳しいものも少なくなかった。
●私のような、地味な研究者では経験できないことである。私は、これまで、70冊の研究書を出してきたが、書評・紹介などは、3点くらいで、ネット上のコメントなどゼロである。

ドナルド・キーン氏と『井関隆子日記』

ドナルド・キーン氏と『井関隆子日記』
2019.02.25 Monday

ドナルド・キーン氏が御逝去なされた。

御生前の学恩に感謝し、慎んで心からお悔やみ申し上げます。

●NHKの報道は次の通りである。
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ドナルド・キーンさん死去 96歳

2019年2月24日 9時42分おくやみ
文化勲章を受章した日本文学の研究者で、東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得したことでも知られるドナルド・キーンさんが、24日朝、心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。96歳でした。
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●昭和59年(1984)4月4日、朝日新聞・夕刊で、ドナルド・キーン氏は、『井関隆子日記』を取り上げて下さった。
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「井関隆子の日記は、昭和四十七年、深沢秋男氏がそれを発見するまで、全く世に知られることはなかった。その六年後に深沢氏は、その日記を、注釈付きの三巻本として上梓(じょうし)した。だがそれでもなお、世の注目を惹(ひ)くところまではいかなかった。しかしこれは、まことに興味深い日記なのである。幕末期のドキュメントとして、馬琴の日記と比肩する価値十分であり、しかも文学的には、むしろ馬琴を陵駕(りょうが)している。・・・・・・この日記は、信じがたいほど多様な話題に満ちており、しかもその一つ一つが、このきわめて非凡な女性の、明敏な知性と感性を通して、見事に表現されている。
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●キーン氏が、ここで述べておられるように、『井関隆子日記』は、当初、日本の研究者からは、余り評価してもらえなかった。歴史史料として受け止められる傾向が強かったのである。
●文学研究者としての私としては、幕末の歴史史料として片付けられてしまっては、誠に不本意であった。そのような状況の中で、ドナルド・キーン氏が、このように、文学的に高く評価して下さったことは、どんなに嬉しかったことか。
●文学作品の評価は、自然科学の評価のように、数値では出てこない。他の日記文学作品との比較においてなされる。たくさんの日記文学を読まれた、キーン氏の批評眼で評価されたのである。
●その後、次第に学界でも認められるようになり、大学入試センター試験にも出題され、明治大学入試、京都大学入試にも採用され、現在では、高校の授業でも取り上げられるようになった。
●朝日新聞に連載された『百代の過客―日記にみる日本人』は、後に単行本とし刊行された。その出版記念祝賀会には、私も参加して、キーン氏と御挨拶させて頂いた。大御所、井上靖が発起人だった。日本の代表的な、作家・評論家・研究者が参加した盛大な祝賀会だった。
●ドナルド・キーン氏が、全3巻に所感を書き込まれた『井関隆子日記』が、ドナルド・キーンセンター柏崎に所蔵されている。私は、キーン氏の書き込みを検討したいと、申請して、キーン氏の御許可を頂いている。いずれ、発表できるかと思う。

ドナルド・キーン先生 有難うございました。

江戸の瓦版 心中

江戸の瓦版 心中
2019.02.22 Friday

江戸の瓦版 心中 1-3

2016-12-20 06:36:17    メタボンのブログ

品川遊郭

品川心中

落語に品川心中という噺があります。
女郎に入れ揚げてどうにもならなくなった男が女郎に一緒に
死んでくれと頼み、女郎も話半分で受けたが,元々死ぬ気など
ないので現場から逃げ出してしまい、男は海に飛び込むが
死なず、女郎の裏切りを知り、復讐を考え実行する噺です。
これに酷似した出来事を井関隆子日記に記されている。
市井で話題となってる出来事ですが、だれから聞いたのかは
書かれてないが、やはり、口コミというのはどの時代でも
盛んであったようです。
実話のほうは、某藩としてあり、遊女に入れ揚げて、心中を
図り、女は逃亡し男は腹が立ってならずに友人等に協力して
貰い幽霊の格好をして女を驚かす。
ところが女は余りの事にそのまま気を失い死んでしまい、
男は殺人罪で捕まってしまうというのが違うところで、
時間的にとらえると、隆子の噂話が落語のネタとなったと
考えるのが普通でしょう。

 品川の女郎