コトバンク 井関隆子 いせき たかこ コトバンク 井関隆子 いせき たかこ

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井関隆子 いぜき たかこ
①デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井関隆子 いぜき-たかこ
1785-1844 江戸時代後期の歌人。
天明5年6月21日生まれ。30歳ごろ西丸納戸組頭井関親興の後妻となったが,42歳のとき死別。和歌,国学をおさめ,大奥につとめた。天保(てんぽう)11年から15年までの「井関隆子日記」には800首余の和歌がしるされ,当時の世相をつたえる貴重な史料とされる。天保15年11月1日死去。60歳。江戸出身。本姓は庄田。歌集に「井関隆子長短歌」。
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②朝日日本歴史人物事典の解説

井関隆子
没年:弘化1.11.1(1844.12.10)
生年:天明5.6.21(1785.7.26)
江戸後期の旗本庄田安僚の娘。名はキチ。江戸生まれ。30歳ごろ,旗本井関弥右衛門の後妻となる。特定の師につかず,蔵書を熟読して独学で古典への理解を深めた。天保11(1840)年から他界する20日前の弘化1(1844)年の約5年間の日記には,江戸城内の動きや世間の事件,家族の動向,自身の文化活動を記述している。そのなかには公の記録より真実を伝えるものも多い。仏者や儒者には好感を持たず,国学的思想や平安朝文学などに影響を受け,『神代のいましめ』,『さくら雄物かたり』(1838)などの擬古物語も著している。<参考文献>深沢秋男校注『井関隆子日記』全3巻
(柴桂子)
出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

③367日誕生日大事典の解説

井関隆子 (いせきたかこ)

生年月日:1785年6月21日
江戸時代後期の旗本庄田安僚の娘;日記作者
1844年没
出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

井関隆子の関連キーワード |ベルトレ |井関隆子 |バンディエラ兄弟 |曲芸 |ペテーフィ |マルクス経済学 |三ツ峠山 |稲葉小僧 |功子内親王 |藤枝外記
井関隆子の関連情報
旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子のエスプリ日記 [著]深沢秋男(2007-12-16)
朝日新聞 DIGITAL
VOYAGE GROUP
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④井関隆子  ウィキペディア 深沢秋男執筆
井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 – 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人、日記作者、物語作者。
目次 [非表示]
1 来歴
2 著書
3 書写本
4 脚注
5 参考文献
来歴
幕臣、大番組・庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったという[1]。
著書
『井関隆子日記』全12冊
著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日から同15年10月11日までの898日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある[1]。
『さくら雄が物かたり』 6巻1冊
著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される[2]。
『神代のいましめ』写本、墨付28葉
昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の二面性を描いている[1]。
『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉
播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる[3]。
『井関隆子長短歌』
『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。
書写本[編集]
桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写[4]。
脚注
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^ a b c 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
^ 新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
^ 吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
^ 吉海直人「〈新出資料〉井関隆子自筆『雅文』の影印と解題と紹介」(『文学研究』91号、2003年4月)
参考文献[編集]
『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月 – 1981年6月。
ドナルド・キーン「井関隆子日記 ①・②・③(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日 – 6日
深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月
真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
→ 井関隆子 http://www.ksskbg.com/takako/index.html

⑤井関隆子日記  はてなキーワード 深沢秋男執筆
読書
井関隆子日記いせきたかこにっき

目次
井関隆子日記とは
言及しているブログ
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1、 著者 井関隆子

井関隆子(いせき・たかこ) 幕末の旗本の主婦。天明5年(1785)6月21日出生~天保15年(1844)11月1日没、60歳。
江戸・四谷表大番町で生れた。現在の新宿区大京町26の辺である。父は大番組・庄田安僚である。
隆子の実家の庄田家は、3千石の旗本、庄田安信を祖とする庄田家の分家である。庄田本家の第3代安勝は長男安利に2千6百石を与え、次男安議に4百石を分知して、これを分家とした。

安議を祖とする分家の庄田家は、延宝5年(1677)3月、四谷表大番町に6百60坪余の屋敷を拝領した。隆子はここで生れ、育った。
父は、分家4代の大番組・庄田安僚で、隆子には、3人の兄、3人の姉、1人の妹がいた。
父・安僚は、隆子が8歳の時に没したので、隆子は母親と長兄・安邦の下で成長した。
20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、間も無く離婚し、しばらく実家にいたが、30歳の頃、納戸組頭・井関親興の後妻として井関家へ嫁いだ。
嫁ぎ先の井関家は、江戸城に近い九段坂下の飯田町にあった。これは、井関家が代々、小納戸組や広敷用人など、将軍の側近くに仕える家柄であったためである。
井関家に嫁いでからも、暫くは旗本の主婦として多忙であったと思われるが、12年後に夫・親興が没し、家督を子の親経が継いだので、家庭の切り盛りも、親経の妻が引き継ぎ、隆子は悠々自適の生活を送ることになる。このような生涯を見わたすと、家庭環境の上でも時間的にも、比較的に自由に、文筆の道に打ち込む事ができたものと思われる。
隆子は、古学を教える塾に学んだり、冷泉流の老女に歌の指導を受けたり、また、国学者の林国雄を家に招いて講釈を聞いたりしたようであるが、いずれも満足できるものではなかったようである。結局は、賀茂真淵や本居宣長などの国学関係の本を読んで、独学で古典の知識を身につけ、教養を蓄えていったものと推測される。
隆子の著作には、『井関隆子日記』『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』などがある。

2、『井関隆子日記』(いせきたかこにっき)

幕末・旗本主婦の日記。著者の自筆の原本が、昭和女子大学図書館・桜山文庫に所蔵されている(鹿島則幸氏旧蔵)。大本、12冊、合計966葉、毎半葉11行、1行約29字、挿絵18図、鹿島則文・鹿島敏夫の識語を付す。
内容は、天保11年(1840)1月1日から同15年10月11日までの日記。著者56歳から60歳までの5年間であるが、毎日記されている訳ではなく、全1753日間の内、898日について記されており、1日の分量も小は2行程度のものから、大は12葉(24ページ)に及ぶものもあり、必ずしも一定していない。各年の分量は、最初の11年が最も多く4冊、以後は各2冊と半分になっている。これは、12年以後、年中行事などの記述を省いたためと推測される。
『日記』に書かれている具体的な内容は、日付、その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、幼い頃や若い頃の思い出、人物・社会・政治・学問・文学等に対する批評、折々に詠じた和歌などが、著者の意のおもむくままに記されている。
特筆すべき点は、著者の子の井関親経(ちかつね)が、御広敷御用人を勤めていて、第11代将軍・徳川家斉の正室・広大院(松の殿)の係であったところから、当時の江戸城大奥の様子が詳細に伝えられていることである。

【テキスト】

『井関隆子日記』全3巻(深沢秋男校注、昭和53年(1978)11月30日~昭和56年6月5日、勉誠社発行)

【参考文献】

○深沢秋男著『井関隆子の研究』(平成16年(2004)11月1日、和泉書院発行)
○音で読む『井関隆子日記』:物売り
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第32号 2015年3月刊行
○補遺2“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第32号 2015年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:鳥
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第31号 2014年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:天気の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第30号 2013年3月刊行
○補遺“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第30号 2013年3月刊行
○『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第27号 2012年3月刊行
○『井関隆子日記』に見られる地震の記述 補遺
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第28号 2011年3月刊行
○井関隆子の自然を見る目
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第27号 2010年3月刊行
○『井関隆子日記』に見られる地震の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第26号 2009年3月刊行

●『井関隆子日記』は、次の大学入試に出題された。
〔3〕 平成23年度、京都大学入試に『井関隆子日記』出題
〔2〕 平成20年度、明治大学入試に『井関隆子日記』出題
〔1〕 平成11年度、センター入試に『井関隆子日記』出題
この年、国語・古典と日本史に出題された。

〔二葉亭餓鬼録〕氏のブログ

●二葉亭餓鬼録氏のブログで、『井関隆子日記』を取り上げている。以前にも取り上げておられた。改めて、このブログをチェックしてみたら、大変なボリュームである。見たこと、聞いたこと、考えたことを記述する、とある。これは、私も同じ基準であるが、足許にも及ばない迫力である。

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井関隆子の日記。

2017年04月26日(水) 11時52分41秒

テーマ: エッセイ
井関隆子の日記。

さいきん若い人と寿司を食べながら、ドナルド・キーン氏の話をした。「ドナルド・キーン賞」の授与式が5月6日にひらかれる。それを前にして、彼らに「井関隆子日記」の話をした。
井関隆子?
そういっても、だれも知らない。で、以前書いた話をここに転載する。

幕末の時代に、オランダ人との交渉を書いた文書を読む過程で、ぼくは、そのころの時代を記録した「井関隆子日記」という書物があることを知った。
これはドナルド・キーン氏の書いた「百代の過客」を読んでいて知ったものである。井関隆子の日記は、昭和47年(1972年)、深沢秋男先生によって発見され、それまで、この日記の存在はまったく知られていなかったというのだが、その6年後、深沢秋男先生は、注釈つきの3巻本として出版された。それで知られるようになった。
これに注目したのはドナルド・キーン氏だった。これは興味深い日記で、幕末期のドキュメントとして、馬琴の日記とくらべてみると、その文学的な価値は、それよりずっと凌駕しているという。ぼくは、そういう側面から読もうとはしなかったけれど、幕末期の日本をもっと知りたいという動機から、この本に注目した。
そのころの隆子の日記は、清少納言に匹敵するとまでいわれたそうだ。ところが、清少納言のような機知に富んだものではなく、自分の感じたこと、考えたことをありのままにつづった日記で、その綴り方が歯に衣着せぬところが魅力的で、これまた清少納言とはずいぶん趣きが違うおもしろさがある。
隆子が日記をつけはじめたのは、天保11年(1840年)から15年までで、彼女が56歳から60歳までのあいだにつづられたものである。日記の最後の日付けから3週間後に彼女は亡くなっている。
天保年間における日本人の暮らしを呼び起こしてくれる史料としては、たいへん貴重なもので、この日記の原本は、関東大震災で焼失してしまったと書いたが、さいわいにも、昭和女子大学図書館にて所蔵されているという話を、このたび、深沢秋男氏ご本人から直接メールをいただいたので、ここに訂正させていただく。

日記は、「関東大震災で消失してしまい、明治になって饗庭篁村らがつくった抜粋版によるしかなくなった」と書いたが、これは、ドナルド・キーン氏の「百代の過客」によるもので、饗庭篁村らがつくった抜粋版というのがほんとうに存在するのかどうか、ぼくにはわからない。
隆子は、文政9年(1826年)に夫が亡くなり、国学の勉強をはじめるようになったと書かれている。おそらく、だれの教えを乞うたというのではなく、みずから独学で勉強したのだろうといわれている。「古事記」「日本書紀」や、その周辺の史書はもとより、加茂真淵、本居宣長その他、国学者の著書をむさぼり読んでいる。当時はだれでもそうだった。とくに宣長には、称賛のことばを惜しまない。
隆子のナショナリズムは、当時日本が、内外の脅威にさらされていることに危機感をつのらせた結果であろう。たとえば大塩平八郎の乱には、隆子の憎悪が見え隠れしている。
大塩のことを「大盗人(おほぬすびと)」と呼んでいる。
そして隆子の蘭学嫌いは、ことのほか徹底し、オランダ書を学ぶような日本人なら、将来、国を裏切るであろうとまでいっている。そのころ、書物奉行をかねていた高橋景保には、怒りをあらわにしている。このようにいう言論の自由が保障されていたという証拠でもあり、ぼくは事実はどうあれ、隆子の目に映った現実を理解しようとした。
隆子は日本人をとても愛している。ひとりの男が拷問によって殺され、その死体を塩漬けにして捨て置くという報せに、憤りを感じる女性だった。同時に、オランダ学を嫌ったように、オランダ学を勉強する人間まで嫌っている。蘭学などに手を出すから、こういう目に遭うのだとも書かれている。
彼女の愛国心は男性的で、それほど極端だったといわれている。そういう女性だから、彼女の日記は、ぼくにはとても魅力的なものにおもえる。オランダ人が数々の科学的な発見をしたことを吹聴するのを聴いて、いぶかっている。たとえば「地球は丸い」というのを聴いても、町人同様、にわかに信ずることができず、そういうことは、遠方より観察するしか方法はないといっている。隆子の科学への反発は、近代的思想に向けても、かたくなに反発している。
蘭学にたいする嫌悪はあっても、隆子には、信じられないほど弱点があった。
それは医学にかかわることで、当時、天然痘がはやり、オランダ医学はこれを治すことができるという考えには、どういうわけか、隆子らしい反発を少しも示していない。人間の上下に関係なく、天然痘はだれにでもかかる恐ろしい病いで、たとえ将軍でも、将軍の殿中にいたものでさえ、これを免れることはなかった。
隆子の孫が、じっさいに天然痘にかかり、そのときはおとなしくオランダ医学に頼っている。当時のオランダ医学といっても、たかが水灸である。それをほどこせば、天然痘も治せるというので、みんな長崎のオランダ人医師に会うために出かけていった。隆子はそういう庶民を見て、何もいっていない。
オランダ人が持ち込んだ近代医学というものの真価は、だれにもわからなかった。天然痘にかかってはじめて、異国か持ち込まれたクスリを用いることの正当性について、隆子も諾々と従っている。いっこうに疑問を持つ気配がない。
そうかといって、隆子がオランダ医学のことを多少なりとも知っていたとはいいがたく、未曽有の猖獗(しょうけつ)をきわめた天然痘については、ただおそろしいとしか書かれていない。しかし、この「井関隆子日記」は、その時代の世の中のようすを、あますところなく伝えているのには変わりなく、信じがたいほどの話題の多さに驚かされる。そのひとつひとつが、非凡な女性の目を通して書かれ、その明敏な知性は、特筆される。

【以下省略】
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在庫書店

●拙著、『旗本夫人が見た……』が、書店で品切れになった。10年経って、ようやく売り切れたか、そう思ったら、まだまだ、在庫はあった。出版は、実に難しい。私は、これまで、研究書を70冊ほど出して来た。しかし、殆どが、発行部数300部、500部、というもので、中には、限定50セット、というものもあった。これらは、現在、大部分が発行元には在庫が無く、古書店で流通している。

●今日、念のため、文藝春秋のHPを見たら、まだ、品切れではなかった。一部の大型書店には在庫していた。現在の出版流通とは、このようなシステムである。
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文春新書
井関隆子のエスプリ日記
旗本夫人が見た江戸のたそがれ
深沢秋男
定価:本体730円+税
発売日:2007年11月20日
書店の在庫を確認>
オンライン書店で購入>作品紹介
こんなに近代的な女性がいたなんて
離婚し、再婚。家族に慕われ、酒を愛し、充実の生涯を送った賢夫人が書き綴った日記を発掘。知られざる江戸城の最奥部に、ご案内!

担当編集者より
歴史は新しい事実の発見によって修正を迫られます。つまり、歴史とは「常に書き直される運命にある」と著者。幕末期、江戸は九段に住む井関隆子は、おそろしく開明的な女性でした。自宅でサロンをひらき、天保の改革を批判。大奥や好色僧の不祥事にも興味津々。離婚し再婚。未亡人となり、血縁関係のない家族と円満に暮らします。なんと江戸の近いこと! 近代の自我をもつ女性の登場です。(WM)
商品情報
書名(カナ) イセキタカコノエスプリニッキ ハタモトフジンガミタエドノタソガレ
ページ数 232ページ
判型・造本・装丁 新書版
初版奥付日 2007年11月20日
ISBN 978-4-16-660606-1
Cコード 0221
著者
深沢 秋男

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有隣堂
TSUTAYA
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江戸の名所と美女 飯田町

●【メタポンのブログ】に、「江戸の名所と美女 飯田町」  2016-09-25 06:39:35 がある。酒好きの井関隆子のことに触れているのて、少し引用する。

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絵を見ると、並行する3本の坂道が見えます。
一番左は九段坂、或いは田安坂とも言います 。
由来は、土留が九段あったからとも、坂沿いの家が
九段あったからとかの説が有ります。

今も、急な坂であり、坂の左は牛が淵という堀があります。
これは、銭を積んだ牛車が、この淵に落ちて、
遂に登ることが出来なかったという故実にあります。

九段坂を登ると田安門が有り、千鳥ヶ淵に至る。
千鳥の形に名ているからともいう。

隣の中坂との間の町を飯田町と云います。
中坂の途中に、世継稲荷社が有ります。
2代秀忠の由来が有ると社史は伝えている。

真ん中の坂が中坂、一番広く、荷車が見えます。
ところが、「東京府資料」によると、
九段坂の幅は16間合、中坂が9間7号、
もちのき坂は4間であり、九段坂が一番広い。(約29m)
しかし、中坂にのみ、荷車があることから上り下りには
一番平坦な道だったのでしょう。

江戸は起伏の多い土地で、坂だけでも300あると
云われてます。
坂の所に居て、荷車を押す仕事もあります。
これは明治になってもよく見かけたそうです。
九段坂などは現代よりもはるかに急であったのです。
他の坂も同様で、ちょっとした坂の所には男が立ってました。
大八車などを押して小遣い稼ぎをするのです

一橋家に嫁入した元大垣藩の姫・徳川元子は、
毎朝、学習院に通学の時、人力車で通うのですが、
この九段坂に来ると、車夫が可哀相で
自分が下りて押してあげようかと、何時も、申し訳なく
思っていたそうです。

右側の坂は、もちの木坂。
坂の上の青山家の庭に、もちのきの大木が有ったからともいう。

川は飯田川、橋は俎板橋。火の見の辺りは、
荷上げ場になっていて、材木が山積みになっている。
何処の川でも同じだが、いつも舟が一杯である。
荷物を満載した舟、荷上げを待っている舟、
江戸は水路で成り立っているという事実が実感として良く判る。

飯田町は武家屋敷が大半だが商業地も少しあった。
特に葉茶屋とお菓子屋が多かったようである。
そして酒も売っていたようで、度々登場する旗本婦人の
井関隆子の屋敷は、この近くにあったが、大の酒好きな
隆子は日記でこう述べている。

「近頃酒が高くなっている。
元からある剣菱や滝水は最近味が落ち、名前だけである。
それに比べて新川で売っている酒は良い。
ここの飯田町で売っているものは劣るので買わない。」

新川というのは新酒が上方から到着する様子を描いてますが
新川河岸のことでしょうか、
そこで小売もやっていたのでしょう
【以下省略】
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●『井関隆子日記』天保14年1月3日の条に、次の如くある。

「近きころ、価のしやしうなれりしは酒なり。さるは、もと滝水・剣菱などいふたぐひ名のみいみじう記しつつ、其の品いたくおとりたり。此の物、新川にてひさぐは、其の中によろし。ここの町なるは、殊にあしければ、買はず。」

●隆子は、大の酒好きで、よく、家族が集まって、月見だ花見だと、酒を飲んでいる。子の親経は、余り酒を飲めないが、孫の親賢は、酒が好きで、隆子と2人で、よく飲んでいる。

『しのびね』と『井関隆子日記』

●今日、〔詩人たちの島〕というサイトに出会った。このサイトの先生は、『しのびね』と『井関隆子日記』を高校生に教えていた。2007年のことである。

私は、このところ、井関隆子の校注した『しのびね』を読んでいる。それにしても、このサイトの筆者は、凄い詩人のようである。
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詩人たちの島
August 10, 2007 XML

この炎暑についてはもう何も申し上げますまい。今日で私は古文の講習を終了しました。古今著聞集、宇治拾遺、村田春海の「琴後集」、曾我物語、しのびね、井関隆子の日記、今鏡、などから出題された古文を十名くらいの生徒諸君と読んでいると、ふーっと気が遠くなるような瞬間が何度もありました。それは、こういう文章をこの時代に読んでいるという実感をひさしぶりに私はしみじみと味わうことができた、それとつまらない設問の網を破らなければならないというむなしさの両方から起きる「めまい」のようなものでした。生徒諸君はもちろん後者の「めまい」に悩まされたと思いますが、私はたとえば、宇治拾遺にある、馬鹿な聖のことを読むうちに妙に感動したのです。それは次のような話です。
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■〔詩人たちの島〕

〔井関隆子、いせき・たかこ〕 もういいでしょう

●昭和女子大学の講義・講読〔近世女流日記文学〕の、昭和60年度の最終授業の時間に、〔井関隆子 いせき たかこ〕と板書した。
●皆さんは、昨年の、4月の最初の時間に、〔井関隆子〕という名前を目にし、耳にしても、この女性のことを何も知らなかったでしょう。しかし、それから、1年間、この教室に出る度に、イセキタカコ、イセキタカコ、と私の口から出て、井関隆子、井関隆子、と板書されて、もう、この女性の名前を忘れないでしょう。
●それが、私の目的です。皆さんは、卒業して、会社に勤めても、ふっと、学生時代を思い出したら、この女性の事を思い出して下さい。それが、私の願いです。
●30年前のことである。それから、私は、毎年、毎年、学生に語りかけ、論文を書き、本を出し、講演をして、この無名の女性の宣伝につとめてきた。今、ふと思うに、もう、この井関隆子という、幕末に生を享けた女性は、日本の歴史の中から消えることはないだろう、そう言える。私の名前は、すぐ消えても、〔井関隆子〕の名は消えないだろう。それが、文学の力である。

調布市での講演

●調布市立図書館の、平成20年度の事業一覧をネットで見た。9年前のことである。
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調布市立図書館 平成20年度 事業一覧

事業名  実施日・場所ほか  内容  講師 参加人数

◎講演 文芸講演会 6月9日(月)
文化会館たづくり 大会議場
「生涯現役の児童文学者石井桃子の道」
児童文学者 岩崎京子氏  150人

◎講演会 7月8日(火)
文化会館たづくり  大会議場
「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」
昭和女子大学名誉教授
深沢秋男氏    200人

【以下 省略】
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●私の本籍は、調布市国領町である。そんな関係もあって、昭和女子大学の頃、雑誌『学苑』の編集責任者だった、萩谷氏から講演依頼の電話を貰い、喜んでお引き受けした。調布市は、文化レベルが高い所である。
●当日、会場へ入って、大勢の方々がおられて、大変驚いた。今回のデータで200人とある。大学の同期の松本靖君も聞きに来てくれた。また、昭和女子大の教え子が、調布に住んでいて、聞きにきてくれた。彼女の結婚式には、私も出ていたので、これも嬉しかった。

『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』 絶版

『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』 絶版

 

●先日、近所の書店に、文春新書の『旗本夫人が見た……』を注文したら、在庫無しで購入できません、と言われた。これまでも、自著ながら、時々、20冊、30冊と注文していたが、とうとう、絶版品切れになった。2007年初版、何故か好評で、6刷まで増刷された。10年間かかって、ようやく在庫なし、絶版となった。
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あとがき
歴史上の人物、それも全く知られていない人物と出会うということは、どういうことであろうか。本書は、全く知られていなかった人物、それも興味の対象外にある時代の人物との出会いの記録であり、それは、鹿島神宮の大宮司家に秘蔵されていた、著者自筆の十二冊の日記から始まった。
私の専攻は近世初期の仮名草子であるが、鹿島則幸氏から幕末の女性の日記を見せて頂き、一読、その魅力にとりつかれてしまった。三十五年前のことである。一時仮名草子から離れて、思わぬ寄り道はしたが、そのお蔭で、一人の幕末の旗本夫人にめぐりあうことができた。
本書を御覧になって、井関隆子という女性に興味をもたれた方は、『井関隆子日記』全三冊(一九七八年~八一年、勉誠社)と『井関隆子の研究』(二〇〇四年、和泉書院)を是非とも手にとって頂きたい。この女性について、もっと多くのことを知って頂けると思う。
『井関隆子日記』の写真、その他の資料の掲載に関して御配慮を賜った、昭和女子大学図書館、および関係諸機関に対して感謝申し上げる。
この稿を書き進めるにあたっては、知人・友人のアドバイスに助けられた点が多かった。ありがたいことと感謝申し上げる。
本書執筆のきっかけをつくってくれたのは、編集プロダクション三猿舎の安田清人氏である。安田氏は『歴史読本』への執筆を勧めて下さり、この企画も提案して下さった。
本書が曲がりなりにも一書としてのまとまりを得たのは、文春新書編集部の和賀正樹氏の粘り強い励ましと、全面的な助言のお蔭である。さらに校閲部の御指摘によって文章の修正統一をすることができた。安田氏、和賀氏、校閲部諸氏の御厚情に対して心からの御礼を申し上げる。
                                                                                         二〇〇七年九月   深沢秋男
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●これは、文春新書の「あとがき」である。私は、この種の啓蒙的著作は、一切書いてこなかった。出版社の編集者や雑誌から依頼されたことは、何度もあったが、引き受けなかった。金のために原稿を書くのは、気が進まなかったからである。
●この本は、昭和女子大を定年退職の時であったので、もう、引き受けてもいいか、そう思って書いた本である。

Heroine~存在を主張した女性たち~

Heroine~存在を主張した女性たち~

●深谷市立図書館、深谷市男女共同参画推進センターで、歴史上、自分の存在を主張した女性に関する著作を取り上げている。男女平等雇用法が施行されて何年になるだろうか。この審議会には、当時、昭和女子大学におられた、青柳武先生も参加しておらた。
●ところで、この深谷市のリストに、井関隆子も入っている。人間は、このようにして、歴史を創って行くのだろう。
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深谷市立図書館、深谷市男女共同参画推進センター(L・フォルテ)、
県立春日部女子高等学校との共催で、
「Heroine~存在を主張した女性たち~」と題し、
With You さいたまでは、歴史上の女性に関する本、
女性が活躍する時代小説を集めました!
いつの時代にも、懸命に生き、輝いた、女性たち♪
本を手に取って、その生き方に触れてみてください!!

1 時代を変えた女たち 童門冬二/著 潮出版社 2004
2 乳母の力 : 歴史を支えた女たち 田端泰子/著 吉川弘文館 2005
3 女のきっぷ : 逆境をしなやかに 森まゆみ/著 岩波書店 2014
4 新島八重ハンサムな女傑の生涯 同志社同窓会/編 淡交社 2012
5 新島八重 : 武家の女はまつげを濡らさない 石川真理子/著 PHP研究所 2012
6 あなたみたいな明治の女 (ひと) 群ようこ/著 朝日新聞社 2002
7 ニコライの首飾り : 長崎の女傑おエイ物語 白浜祥子/著 彩流社 2002
8 明治快女伝 : わたしはわたしよ 森まゆみ/著 文藝春秋 2000
9 幕末の志士を支えた「五人」の女 : 坂本龍馬の「おりょう」から近藤勇の「おつね」良生/著 講談社 2009
10 物語幕末を生きた女101人 『歴史読本』編集部/編 新人物往来社 2010
11 幕末競艶録 : 志士と女たち 木村幸比古/著 高知新聞社 1999
12 徳川和子 : 新装版 久保貴子/著 吉川弘文館 2008
13 旗本夫人が見た江戸のたそがれ : 井関隆子のエスプリ日記 深沢秋男/著 文藝春社 2007
14 天璋院篤姫 : 徳川家を護った将軍御台所 徳永和喜/著 新人物往来社 2007
15 天璋院篤姫のすべて 芳即正/編 新人物往来社 2007
16 幕末の大奥 : 天璋院と薩摩藩 畑尚子/著 岩波書店 2007
17 女たちの会津戦争 星亮一/著 平凡社 2006
18 女たちの幕末京都 辻ミチ子/著 中央公論新社 2003
19 杉浦日向子の江戸塾 : 特別編 杉浦日向子/著 PHP研究所 2008
20 大江戸百華繚乱 : 大奥から遊里まで54のおんなみち 森実与子/著 学習研究社 2007
21 大江戸の姫さま : ペットからお輿入れまで 関口すみ子/著 角川学芸出版 2005
22 江戸の女の底力 :大奥随筆 . 氏家幹人/著 世界文化社 2004
23 百花繚乱江戸を生きた女たち 石丸晶子/著 清流出版 2004
24 江戸の百女事典 橋本勝三郎/著 新潮社 1997
25 北政所と淀殿 : 豊臣家を守ろうとした妻たち (歴史文化ライブラリー ; 274). 小和田哲男/著 吉川弘文館  2009
26 北政所おね : 大坂の事は、ことの葉もなし(ミネルヴァ日本評伝選). 田端泰子/著 ミネルヴァ書房 2007
27 山内一豊と千代 : 戦国武士の家族像 (岩波新書 ; 新赤版 974). 田端泰子/著 岩波書店 2005
28 戦国名城の姫たち 楠戸義昭/著 静山社 2010
29 姫君たちの大戦国絵巻 : 戦国武将に嫁いだ女たちの真実新人物往来社/編 新人物往来社 2009
30 戦国の女性たち : 16人の波乱の人生 小和田哲男/編著 河出書房新社 2005
31 戦国の妻(おんな)たち 山村竜也/著 リイド社 2005
32 波瀾万丈中世・戦国を生きた女たち 石丸晶子/著 清流出版 2005
33 戦国の女たちを歩く : 乱世を生き抜いた13人の足跡 田端泰子/著 山と渓谷社 2004
34 北条政子 : 幕府を背負った尼御台 田端泰子/著 人文書院 2003 289.1/ホ
35 「源氏物語」の時代を生きた女性たち(NHKライブラリー ; 115). 服藤早苗/著 日本放送出版協会 2000
36 平安朝女の生き方 : 輝いた女性たち 服藤早苗/著 小学館 2004
37 京を彩った女たち : 恋と歴史の女人絵巻 川端洋之/文 ;中田昭/写真 学習研究社 2004
38 江 : 姫たちの戦国 /上 田淵久美子/著 日本放送出版協会 2010
39 江 : 姫たちの戦国 /中 田淵久美子/著 日本放送出版協会 2010
40 江 : 姫たちの戦国 /下 田淵久美子/著 日本放送出版協会 2010
41 浅井三姉妹の戦国日記 : 姫たちの夢 八幡和郎,八幡衣代/著 文藝春秋2010
42 お龍 植松三十里/著 新人物往来社 2009
43 めのと 植松三十里/著 講談社 2009
44 美女いくさ 諸田玲子/著 中央公論新社 2008
45 南北朝乱世を生きた女たち 豊浜紀代子/著 中日出版社 2007
46 算法少女 遠藤寛子/著 筑摩書房 2006
47 風神秘抄 荻原規子/作 徳間書店 2005
48 平家物語の女たち 宮尾登美子/著 朝日新聞社 2004
49 和泉式部 : 小説 : 憂愁の歌人 山口八重子/著 国研出版 2003
50 暁の女帝推古 小石房子/著 作品社 2002
51 女たちの忠臣蔵 : いのち燃ゆる時 橋田寿賀子/著 集英社 1995
52 細川ガラシャ夫人 /上巻 三浦綾子/著 新潮社 1986
53 細川ガラシャ夫人 /下巻 三浦綾子/著 新潮社 1986

【以下 省略】
■深谷市立図書館、深谷市男女共同参画推進センター