HEIDI Ktalog

HEIDI ktalog

  • 2020.06.10 Wednesday
HEIDI Katalog

著者: 井関貴子

著者: 井関、隆子

題名: 井関貴子日記
井関隆子日記
貢献者: 深沢明夫[解説]

深沢、秋男[コメント]

利用可能な情報: 井関貴子。 深沢明夫甲府
井関関隆子。 深沢秋男校注
公開場所: 東京
東京
出版社: 弁政社
勉誠社
その他のタイトル: イセキタカコニッキ
脚注: 日本では。 シュル
その他のタイトル: 隣:井関貴子日記
言語: jpn
K10plus-PPN: 144659050X
接続: → ボリューム

________________________________________
CATS /東アジア部

ライブラリ/ Idn: OA / 63064584.2

このタイトルへの固定リンク(ブックマーク可能): https : //katalog.ub.uni-heidelberg.de/itel/67340977

〔井関隆子を知る会〕

〔井関隆子を知る会〕

  • 2020.06.06 Saturday
平成19年1月18日(金)
「井関隆子を知る会」開設

●昭和女子大学コミュニティ に新しく「井関隆子を知る会」という掲示板を開設した。昭和女子大学図書館には、『井関隆子日記』をはじめ、関係資料が多く所蔵されているので、これらを知って貰いたいと言う意図のものである。その内容も、折々、こちらで紹介したいと思う。

【14】江戸博で『井関隆子日記』を御覧下さい。

●昨日、江戸東京博物館へ行って、特別展「江戸城」を見学して来た。素晴らしい展示会である。私など未見の資料が多く江戸博の質の高さを痛感した。

●桜山文庫所蔵の『井関隆子日記』が2箇所に展示されていた。畑尚子氏の適切な解説が付いていて、隆子の子の親経が、将軍家から賜った五葉松の盆栽の絵の部分が展示されていた。

●また、昭和女子大学の平井学長の御配慮かと思うが、昭和女子大学所蔵の弘化年間の江戸城の「大広間模型」も展示されていた。

●いずれにしても、このようにして、多くの一般の方々に『井関隆子日記』の原本を見て頂ける事は、誠に有難く、そこに「昭和女子大学所蔵」と出されていることも、おのずと、パブリシティとしての効果もあり、喜ばしい事だと思う。

2007/01/05(FRI) 07:56

【13】井関隆子と杉嶋カツイチ

●隆子は、天保期の一人の文化人として、かなり知られていたようである。従って当時の文化人との交流も多かった。ここでは、現在、余り知られていない、盲目の歌人・杉嶋カツイチを紹介致したい。

●杉嶋は名をカツイチ(一一=かずいち かという、吉海直人氏の説がある)は、勾当(検校の下、座頭の上の位)で、歌人としても良い歌を詠み、隆子のもとをよく訪れている。隆子は、この盲目の歌人を温かく迎え、『古事記伝』や『万葉集』を読んで聞かせている。また、著者未詳とされている『当道要録』は、どうも、この杉嶋の著作のようである。郷里は府中の六社あたりだという事はわかっている。

●この盲目の歌人を紹介するのは、天保14年11月5日に隆子の許を訪れて、前田夏蔭の文会に出す物語の執筆を依頼していて、この物語が、面白い内容であるためである。

●隆子は、木村定良・北村季文・蔵田茂樹・桑原やよ子・賀茂季鷹などとも交流があった。これらについても、おいおい紹介したいと思う。
2007/01/03(WED) 09:27

『旗本夫人・・・』感想

『旗本夫人・・・』感想

  • 2020.06.04 Thursday
『旗本夫人・・・』感想

通称ミセス

4,0 von 5 Sternen 旗本夫人は意外に自由

Rezension aus Japan vom 19. Mai 2013
Verifizierter Kauf

この時代にも教養のある女性がいて、お酒を飲みながら風流な暮らしをしていたことがうかがえる。同じぐらいの教養がある女性は他にもいたのではないかと思うが、政府批判を含む日記をこのように残せたことをみると、旗本夫人は意外に自由だったのではないか。
また、将軍の生没等の事実に関して、時の政府にはいろいろ事情があり、正史として公表されている内容をうのみにしてはならないとが、立証されたように思う。作者の解説は読みやすくすらすら読めた。

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東進 衛星予備校

東進 衛星予備校

  • 2020.06.02 Tuesday
  • 05:57
東進ハイスクール&衛星予備校wiki

大学入学共通テスト対策 古文(伊東先生)
• 大学入学共通テスト対策 古文

講座情報
• 講座コード:80392
• 担当講師:伊東先生
• 収録年度:2006年度
• 授業回数:90分*20回
• 確認テスト:20回
• 講座修了判定テスト:2回
• レベル:3~5
• キャッチコピー:共通テスト古文対策をていねいに一貫指導
• 対象学年:高2・高3・高卒生
• 講座の対象:基礎からスタートし、大学入学共通テストで高得点を狙う生徒
• 講座の目標:共通テスト古文で最低7割、更に上積みを狙う
• 学習項目:○古文の基礎知識の確認 ○共通テストレベル読解練習

• 学習内容:共通テスト古文で高得点を取るために、基礎知識の養成から実戦力の完成まで、一貫したカリキュラムで、ていねい&わかりやすく指導します。Part1は文法・単語などの必須・頻出の基本知識を確認し、基礎力が不足している生徒は何をどのように習得していけばよいのか指針を示します。Part2は読解練習に重点を置き、制限時間内に読みきり・解ききるための実戦力を養成します。

• 受講上の注意:授業で扱う問題は栗原先生『大学入学共通テスト対策 古文』と一部重なります。※共通テストで問われる知識・技能を学び基本となる思考力・判断力を身につけるため、センター試験対策講座と同一内容の授業を提供しております。

• 必須講習講座:

o [通期中間]80393 大学入学共通テスト対策 古文(中間演習)
o [通期後]80394 大学入学共通テスト対策 古典完成テストゼミ
• 事前受講講座例:ベースチャレンジ古文
• 予習の仕方:テキストの予習は一題20分で集中力を持ってやりましょう。
• 復習の仕方:基礎的学習にまだ不安がある人は問題演習と並行して古文の重要ポイントをしっかり復習しましょう。

• 講座の構成:

講数 内容

1-1 品詞分解と文法的判断
1-2 係り結び
1-3 総合演習 『徒然草』
1-4 助動詞の意味と用法
1-5 「なり」の識別・「に」の識別
1-6 総合演習 『大鏡』
1-7 重要な助詞の用法と「なむ」の識別
1-8 敬意を示す助動詞と敬語法
1-9 総合演習 『源氏物語』
1-10 総合演習 『枕草子』
2-1 宇津保物語
2-2 源氏物語
2-3 栄華物語
2-4 五葉
2-5 日光山縁起
2-6 西鶴名残の友
2-7 和歌庭訓
2-8 松しま日記
2-9 井関隆子日記
2-10 うなゐ松

この講座について

2019年12月4日開講予定だったが、予定より早く開講された。
『入試対策:センター試験対策古文』と全く同じ映像の授業である。講座名が変わっただけ。
講座の具体的な内容は入試対策:センター試験対策古文を参照。

• 最終更新:2020-05-06 18:33:48

『井関隆子日記』 上野高校の授業に

『井関隆子日記』 上野高校の授業に

  • 2020.06.01 Monday
『井関隆子日記』 上野高校の授業に

●FBのスタッフから、2年前を振り返ろう、とコメントがあった。それは、都立上野高校の授業に、『井関隆子日記』が組み込まれている事だった。今、思い出しても、とても嬉しい。

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都立上野高校、平成30年度、文系必修選択古典演習の年度計画
5月は、4・讃岐典侍日記、5・大鏡、6・井関隆子日記、である。

井関隆子日記は、時数・3、指導目標は、

◎助動詞「ず・じ・まじ」の用法を理解する
◎古文単語の意味を理解し、訳すことができる
◎文章の展開に即しながら内容を理解し、作品を鑑賞する
◎作品固有の文学的知識や「日記」の特徴を理解する

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井関隆子の墓参り

井関隆子 墓参り

  • 2020.05.30 Saturday
井関隆子の墓参り

●ネット上の、井関隆子のお墓に、次のような書き込みがあった。有難いことである。

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2020.05.11 ID:601528
青木

断片的な資料としか出会えていませんが、人物に魅力を感じます。どのような経緯でこれ程の知力、洞察力を得ていったのか非常に興味があります。
隣家に枝打ちを許させるほどの歌とはどのようなものだったのか。折々によまれた歌を拝読したいです。
どこかで、古書店ですね。出会えますように‼

『井関隆子日記』の複写

『井関隆子日記』の複写

  • 2020.05.29 Friday
『井関隆子日記』の複写

●この度、『芸文稿』第13号に「研究生活の思い出―井関隆子」という雑文を書いた。昨日、初校が終り、編集部へ返送した。この稿に『井関隆子日記』の部分の写真を掲載したいと、昭和女子大学図書館へ掲載許可願を提出したが、システムが変更になって、デジタルで、図書館で複写してくれることになった。

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◆平成18年6月16日(金)  2006年の記録

●13日は、久し振りに仕事をした、という1日であった。火曜日なので、大学へ行ったが、イデタチが凄い。我ながら行き過ぎかなと思った。両手にはProtecaのカバンと黒の布袋、いずれも教材。背中には、ニコンF6とD100を入れたリュックを背負った。慎重を期して駅までは妻に送ってもらう。

●2コマ終了後、図書館へ回り、かねて依頼してあった、『井関隆子日記』の複写をさせてもらった。3時から5時までの2時間。何回も何回も手にし、読みふけった幕末旗本夫人の日記の原本であるが、久し振りに挿絵等の部分を複写させてもらった。汗の出ないように冷房してもらい、夢中でシャッターを切り続けた。前之園さんに返却して図書館を出た時、ドット疲れが襲った。

●久し振りにキャンデーに回ってコーヒーを飲み、ひと息入れて、帰宅した。思えば、この喫茶店にもお世話になったものである。昭和に勤務していた頃は、毎朝ここに寄った。多くは副学長だった岡村先生と一緒。たまに、原田・松本両副学長も寄られた。22年間であるから長かった。今となれば、いずれも、良い思い出となった。岡村・原田・松本の先生はお元気だろうか。たまには、御連絡したいと思う。

●若い頃は、この出で立ちに三脚を追加して、全国の図書館や大学を歩いた。複写したものが失敗して、思うように撮れていない事もあり、そんな時は再度出かける。この労働に耐えられなくなったら、私の研究は終りである。昨日の疲労感は、ソロソロ終りかな、と思わせた。

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女性研究者

女性研究者
2020.05.28 Thursday00:21

  • 今日、ネット上で、女性研究者を対象とする研究に関して出ていた。その中に、私の『井関隆子の研究』も入っていた。私は、昭和女子大学で『井関隆子日記』を講義していた頃、近世の女性歌人・俳人・文人に関しても、研究しようと考えたが、時間的にゆとりがなく、あきらめた。やがて、若い研究者が、拡大・深化してくれるだろう。

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女性研究者を対象とした研究助成」A 実施報告書
所 属 部 局・職名 釧路校・
准教授 氏 名 雲岡梓

《上記研究助成を受けて得られた効果等について》
国文学に関する講義では、古典文学等の文学作品の他、それらに関連する研究書・研究 論文・一般書等を広く参照し、最新の学説・研究状況を反映させることが必須である。そ こで、女性研究者を対象とした研究助成金にて、第一に授業資料作成のための下記の参考 図書を購入した。

『井関隆子の研究』・『夫木和歌抄 編纂と享受』・『異体字の世界 最新版』・『新版 おく のほそ道 現代語訳/曾良随行日記付き』・『現代語訳 南総里見八犬伝 上・下』・『現代語 訳 江戸怪異草子』・『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』・『現代語訳江戸の伝奇小説』・ 『稲生物怪録 平田篤胤が解く』・『実録四谷怪談―現代語訳『四ッ谷雑談集』 江戸怪談を 読む』・『書いておぼえる江戸のくずし字いろは入門』・『古文書はこんなに面白い』・『江馬 細香―化政期の女流詩人』・『女性漢詩人 原采蘋詩と生涯』・『増訂 原采蘋伝』他
これらの図書は、担当する「日本文学講読」「日本文学特講」「日本文学概論」「日本文学 史」等で配布する授業資料作成のために活用する。

これらから得た知識を新年度の講義内 容に活かし、学生により良い学びを提供できるよう努力する所存である。 第二に、自身の研究課題である江戸女流文学の研究のため、和装本『列女百人一首』(緑 亭川柳編 葛飾北斎、豊国画、山口屋藤兵衛板、弘化 4 年刊)・『和漢三才図会』影印本(新 典社、昭和 54 年)・「怪世譚紙焼き資料」(実践女子大学図書館所蔵)を購入した。和装本、 紙焼き等の原資料や影印本を用いることによって、高い研究成果を出すことが期待できる。 第三に、ハンドスキャナー・SD カード・コピー用紙・ボールペン等の消耗品を購入した。 これらは日々の業務に活用していきたい。 女性研究者を対象とした研究助成にてご支援いただいたことで、教育・研究両面ともに 有効活用できる資料を収集することができ、深く感謝申し上げます。
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田中伸先生の批評眼

田中伸先生の批評眼

  • 2020.03.28 Saturday

●『井関隆子日記』がようやく刊行された。昭和53年(1978)~昭和56年。全3巻。

●本が出来れば、お世話になった方々に献呈する。しかし、仮名草子研究に打ち込んで来た私には、仮名草子研究者以外の知り合いはなかった。当然、寄贈された方々も、畑違いの『日記』には、戸惑うばかりだったと思う。

●そんな中で、田中伸氏は違っていた。上巻刊行と同時に、全体を読み、励ましの御返事を下さった。その上、二松学舎大学の公開講座で取り上げて下さり、大学院でも講義・購読に採用して下さったのである。

●完結と同時に、次のような新刊紹介を執筆して下さった。

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新刊紹介 『井関隆子日記』    田中伸
【『週刊読書人』第1402号、昭和56年10月12日】

昭和五十年頃から深沢秋男氏は、この『井関隆子日記』(一名「天保日記」)全十二冊についての研究を次々と発表し、遂に今年六月その校注本をB6判三巻として完成した。この日記は近世女流日記文学の代表作として位置すべきものと私は思っているが、これをこうして適切な脚汪までそえて発表された事は、近世文学研究に携わる立場からしても誠に有難いことである。それは第一にこの日記が女性の筆になるものでありながら、実に広い視野をもち、流麗な雅文でそれを叙しているからである。

作者隆子は、九段下四辻の東南角に屋敷を持つ旗本井関縫殿頭親経の義母に当り、文政九年(一八二六)に没した弥右衛門親興の未亡人である。日記は作者五十六才の天保十一年(一八四○)一月一日に始まり、十一年は四冊、十二~十五年は各二冊宛からなり、日々の生活・年中行事・四季の変化・折々の見聞・感想・思い出咄・社会の出来事・風俗・政治の動き・文学学問のこと・和歌等々が、実に多岐に亘った内容である。天保十一の記事が他に比して多いのは、作者が意識して社会的風俗的記事を盛り込んだためと見られ、親経は二丸御留守居(二百五十俵)という閑職にあり、孫親賢は御小納戸衆(三百俵)で、家庭的にも平穏でまた後年のような政変も少ないための叙述の意図と見られる。その社会風俗には婦人の服装・髪形には絵までそえ、花見の様子、料理仕出しの事、町家のさま、下肥えのこと、眼力太夫の見せ物、煙草のことと多彩で、作者がどうして知ったかと思われるような吉原の遊女のことから地獄宿にまで至っている。品川の岡場所にもふれ、落語の『品川心中』の原話かと思われる咄も長々と語られる。特に現在「とんびに油げさらわれる」の俗諺を地で行く天気の良い日、野原で飛び集ってくる鳶に油揚を投げ上げて、これをとらせるという遊びの様が描かれてもいるのは面白い。

しかも、これらはすべて擬古文ともいうべき雅文で綴られ、折々の四季の風物の描写と共に仲々の作と見られる和歌を折り込み、如何にも飾らない作者の感情が流れ、読む者を飽かせないのである。

政治の動き、将軍家の様子などにもくわしく、天保十二年閏一月晦日の薨去と一般に伝えられる将軍家斉は、実はその閏一月七日の夕刻であったことなども判る。更に水野越前守の政策で林肥後・水野美濃・美濃部筑前の失脚や、矢部駿河が司召放しに逢い、伊勢桑名に連行せられ、四ケ月後には絶食して果てたことなど、坦々とした叙述の中に作者の批判の眼がしのばれる。特に印旛沼干拓事業に対し「水鳥」という怪異物語を創作して暗に強い批判を示している。更には遂に水野越前の失脚の際、水野の屋敷に町人下衆どもが集って石を打ちつけ門など打ちこわすなどの騒ぎなども描かれている。

家族のことも、親経が御広敷用人(七百俵)になった喜び、広大院の使いで京都へ旅するを案じ、親賢が堅物射の競いで見事な腕を見せたことなど誠に楽しげに伝えている。

僅かの枚数でその内容を伝えるのはむずかしいのであるが、隆子は真に近世末のインテリ女性というにふさわしく、いたずらに花鳥風月にのみ遊ぶという日記ではなく、この天保末の息吹きを脈々と伝える日記というべきで、これをあえて世に知らしめた深沢氏の努力は、今後の研究によって一層大きな成果を示すであろう。

(各B6、〔上〕四五九頁・〔中〕四五六頁・〔下〕三九六頁・各四五〇〇円・勉誠社)

(たなか・しん氏=二松学舎大学教授・日本近世文専攻)

◇ 写真は天保11年2月1日分にそえられた婦人の服装・髪形の絵――上巻から

見出し=天保の息吹きを脈々と伝える
近世女流日記文学として位置すべき作品

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井関隆子の花見

井関隆子の花見

  • 2020.03.25 Wednesday

井関隆子の花見

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今日ただいま桜は満開。なんとなく日本人は浮かれている。さかのぼって江戸の人々の花見やいかに。渡辺京二著「逝きし世の面影」平凡社ライブラリーという著書の第十一章風景とコスモスの中に、江戸の花見の様子が記されている。なかなか面白いので、ちょっと長いが取り上げて昔の花見の様子を覗いてみる。

―川添登によれば、江戸の桜花見の元祖は上野寛永寺で、寛文・延宝期(十七世紀後半)にはすでに鳴り物入りで酒宴が行われていたという。しかし一六七〇年代になると、鳴り物はご法度などとかなり規制が進んで、元文年間(一七三〇年代)には賑わいは飛鳥山へ移り、さらに寛文期(一八世紀末)には日暮里が栄え、天保期(一八三〇年代)には向島が全盛期を迎えた。「寛政の頃の花見は、たんにドンチャン騒ぎをするのではなく、歌・浄るり・おどり・俳諧・狂歌などをする、という、はなはだ文化的な花見となって」いた。日本橋から四キロの地点にある飛鳥山が桜の名所となったのは、将軍吉宗が享保五(一七二〇)年から六年にかけて、江戸城内の吹き上げ御所から、桜一二七〇本を移植させたからだという。「それまでの飛鳥山は、欅の多い単なる雑木山にすぎなかった」。吉宗が開いたのは飛鳥山だけではない。品川御殿山、隅田川堤、小金井堤などの桜の名所は皆彼が開いたのである。

むろん花見に泥酔や喧嘩口論がつきものだった。オールコックが書いている。「江戸の日本人は四月いっぱい郊外の庭園や寺へピクニックに出かけるが、これは彼らの大きな楽しみのひとつである。男や女や子供の群れが一家ごとに野外の春を楽しむために木陰の道を列をなして進んでいるのを見かけることがある。……悲しいことには、このような牧歌的情景が、しばしば過度の飲食のためにだいなしにされている。男たちは野外の花のさわやかさを吸収するだけではあきたらず、酒を鯨飲する。この習慣が男だけに限られていればまだしもだが、実際は男だけに限られてばかりはいない。帰り道はこれらのこれらの酔っぱらいのためのけんのんである」。

井関隆子も天保十一年三月の日記に、飛鳥山の花見のさいの出来事を伝聞してこう記している。「矢部の何がしとかや女子(おなご)など引きつれて詣でけるに、夕づけて庚申塚てふわたりを帰りくる時、酔いしれたる男(をのこ)どもの打つれたるが、女ども具したりと見るよりわざとゆきあたり、いさかいせんとする様なれば、みなかいけち(掻い消ち)逃げけるに、幼き子を下郎におわせたる、遅れて来けるを、酔人ども引きとらえていたくうちさいなみ、稚児ともに打ち殺しつべき様なれば、あるじ引き返してさまざま言和(いいなご)め、詫びけるをさらに聞入れず、刀ぬきつれて切かかりければ、せんなく立ち向かい打あふほどに、壱人をば切たふし、いま一人は手を負ひ皆逃失せたりとぞ」。隆子はこういう酔漢について、「遠き国々より出(いで)来て、国の守りなどに仕うる男」が、酔いしれたるひたぶる心に、男女の打ちまじり遊びありくを見て、すずろに妬ましく思ふより、……とかくしていさかいを求め、浅ましき事をば仕出」すのだと注釈しているが、これではオールコックが「彼らの飲酒癖やけんか癖は、ヨーロッパの北方民族にけっしてひけおとらず、飲むと最悪で、狂暴となる」というのも無理はないところだ。

一方モースをはじめとして、祝祭や娯楽の場における日本人なマナーのよさを称賛している観察者は少なくない。シッドモアも明治十年代の向島の花見について、客たちのおどけぶりと陽気さを「全員が生まれつきの俳優、弁士、パントマイム役者なのだ」と評しながら、「こんなに酔っぱらいながらも、表現するのは喜悦と親愛の情だけで、いさかいや乱暴な振る舞いはない。野卑な言葉も聞かない」と述べている。いささか好意的に過ぎる見方かもしれないが、やはりこれは彼女の実感だったのである。それもこれも、古き日本人の一面だったのだとここでは言っておこう。―

どうやらやら昔も今も花見風景にあまり変わりがないようである。
(完)

平成 28年 4月 1日                    DOKKOU著

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●今日、このような記事に出会った。隆子は、草花が大好きで、上野の花見や隅田川の桜の時期には、よく出かけている。当時の上野の桜の様子も詳しく書き留めている。今年は、新型ウイルスの影響で、規制されているが、今も花見の名所である。