【8】仮名草子集成・10巻 

【8】仮名草子集成・10巻  平成元年9月30日,東京堂出版発行,15000円。(朝倉治彦・深沢秋男 編)『をむなかゝみ』『女五経』『をんな仁義物語』『女みだれかミけうくん物語』『有馬山名所記』の本文を翻刻収録し,解説と参考写真を付す。
『女仁義物語』の諸本
『女仁義物語』の諸本については、『仮名草子集成』第十巻(平成元年9月30日)の解題で報告したことがある。ただ、そこでは紙幅の関係から、調査結果の全てを述べることが出来なかった。その後の調査をも加えて、改めて報告したいと思う。
本書の諸本に関して、すでに、市古夏生氏、白倉一由氏、青山忠一氏の調査がある。それらを整理すると、次の如くである。

市古貞次氏(市古夏生氏執筆)、岩崎文庫貴重本叢刊〈近世編〉
第二巻 『仮名草子』 (昭和49年7月1日発行)

底本、万治二年井上平兵衛板(東洋文庫蔵)影印
一、 万治二年山本九兵衛板(東京教育大学図書館蔵)
二、 寛文四年板(未見)
三、 延宝二年板(慶応義塾図書館蔵)
四、 刊年不明松会衛板(早稲田大学図書館蔵)
五、 刊年不明板(慶応義塾図書館蔵)

◎ 「一」の山本板は「底本と同一板木を用い、書肆名のところのみ異なる。匡郭内は山本板が少し広いようであるが、あまり厳格な計測はしていないので断定できない。刊記の字体から考えて、井上板の方が初印であるような気がする。」
◎ 「三」の延宝二年板は「絵様は底本と全く異なり別板である。刊記の「仲春吉辰」以外は草書であり、全体の板面の状態がかなり悪い点などから見て、初印本とはいい難い。」
◎ 「四」の刊年不明松会衛板は「絵様、万治二年板とほぼ同じであるが、細かい点が少しずつ異なる。匡郭内が万治二年板より大きいために天地を余分に取っているが、どうみても、松会衛板の挿絵は万治二年板の覆せ彫りであることが明らかである。」
◎「五」の刊年不明板は「松会衛板の後印本。」
◎「以上、板木の種類は三種あったようだが、元禄九年刊書籍目録に「水田甚」を板元として
いるから、板木(三種のどれかは不明)も転々としたらしい。」

白倉一由氏、『女仁義物語』論(『近世文芸研究と評論』十四号昭和53年6月)
①、万治二年井上平兵衛板(東洋文庫所蔵)
②、万治二年山本九兵衛板(東京教育大学図書館所蔵)
③、寛文四年松会衛板(東京国立博物館所蔵)
④、延宝二年亀屋板(慶応義塾大学図書館所蔵)
⑤、刊年不明板(慶応義塾大学図書館所蔵)
⑥、刊年不明松会衛板(早稲田大学図書館所蔵)

◎ ②の山本板は、①の井上板と「同一板木を用いており、書肆名のところのみ異なっている。
恐らく井上平兵衛板の方が初印のように思われる(市古氏説を指示)。」
◎⑤の刊年不明板は、③の「松会衛板の後印本である。」
◎ 「以上六種類の女仁義物語が現存しているが、井上平兵衛板と山本九兵衛板は同一板木であり、東京国立博物館所蔵本と早稲田大学所蔵本と、刊記不明慶応大学所蔵本は松会衛板であり、ともに同一板木である。従って延宝二年刊の慶応大学所蔵本とあわせて、板木の種類は三種類あったように思われる。」

青山忠一氏 『女仁義物語』考 (『二松学舎大学東洋学研究所集刊』十一号、昭和56年
3月。『仮名草子女訓文芸の研究』、昭和57年2月1日発行 に収録。)
十三行本
1、東洋文庫蔵・岩崎文庫本
2、大東急記念文庫蔵本
3、東京教育大学図書館蔵
十四行本
1、東京大学図書館蔵本(霞亭文庫)
2、天理大学図書館蔵本
3、早稲田大学図書館蔵本
4、慶応義塾大学図書館蔵本
5、東京国立博物館蔵本
十六行本
1、慶応義塾大学図書館蔵本
◎市古夏生氏、白倉一由氏は、共に井上平兵衛板が「初版かと推定されている。刊記の刷り具
合いは微妙で必ずしもいずれと断じ難いものの、柱刻がなく、代りに裏丁の匡郭外に「しん
ぎ上 一」とあるのは特殊な形態で、井上平兵衛がこの女仁義物語一冊を以って書肆として
の名を止めているので、或いは荒砥屋孫兵衛可心の如く他業の者かも知れない。…(中略)
…これに対して山本九兵衛は矢島氏の同書(引用者注『徳川時代出版者出版物集覧』)によ
れば京都二条通町西へ人町の正本屋草紙屋として寛永十八年以来の実績を誇り、万治寛文を
経て延享年間まで多数の刊行を行なっていることがわかる。又大坂高麗橋一丁目にも同名の
書肆があることが知れる。その点井上平兵衛のような店よりも、こうした老舗の方が初版を
出すのに相応しいと考えられぬこともないので、この両者のいずれを初版とするかについて
はもうしばらく結論をまち、後考にゆだねたいと思う。」
◎「十四行本の松会は明暦頃からの書肆であり、現存の四種共刊記を欠いているものの、必ず
しも寛文四年以降とのみ限定は出来まい。」
◎「十六行本の亀屋は、亀屋文蔵(文林堂)であるか否か判然としないし、刊記の「仲春吉辰
」以外は草書体であり入木の可能性なしとしないのである。」

以上の、市古・白倉・青山、三氏の調査結果を参照しながら、実地調査した結果、私は次の如く分類するのが妥当と思う。

十三行本
万治二年山本九兵衛版…①大東急記念文庫蔵本
②筑波大学附属図書館蔵本
万治二年井上平兵衛版…①東洋文庫(岩崎文庫)蔵本
②京都大学文学部図書室蔵本
無刊記本…………………①お茶の水図書館(成簑堂文庫)蔵本
十四行本
無刊記本…………………①慶応義塾大学図書館蔵本
②国立公文書館(内閣文庫)蔵本
③国立国会図書館蔵本
④東京大学総合図書館(霞亭文庫)蔵本
寛文四年松会衛版………①東京国立博物館蔵本
無刊記松会衛版…………①国立国会図書館蔵本
②早稲田大学図書館蔵本
▲天理図書館蔵本
十六行本
延宝二年亀屋版…………①慶応義塾大学図書館蔵本
注 ▲印の天理図書館蔵本は今回は時間の余裕がなく、未見であるが、青山忠一氏の調
査に従って組み入れた。

以下、諸本の書誌を記し、右の如く分類する根拠を述べたいと思う。なお、同一版木の中では、一本についてのみ版式を詳しく記し、他は、これと異なる点を記すに止めたい。
十三行本

万治二年山本九兵衛版

①、大東急記念文庫蔵 44/1/2/3531(平成元年4月28日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 雷紋つなぎ牡丹唐草模様濃縹色原表紙、縦二五八ミリ×横一七六ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠原題簽、縦一六五ミリ×横三五ミリ(上巻)。
「絵人/女じんぎ物語 上(下)」。
内題 「をんなじんぎ仁義物語 上」「女じんぎ物語 下」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦一九八ミリ×横一五二・五ミリ(上巻一丁表)。
柱刻 版心は白口で刻字無し。ただし、各丁表のノドに丁付あり。
「しんき 上一 (~十五)」 「しんき 下二(~十五)」。
上の十二丁目が「しんき 十二」と「上」が欠けでいる。
上の十四丁目が「しんき 上七」とある。
丁数 上巻=十五丁、下巻=十四丁、合計=二十九丁。(下巻の丁付は「二~十五」とあるが、
落丁ではない)。
行数 毎半葉十三行。
字数 一行約二十一字。
挿絵 上巻=二丁裏・三丁表「女方じんぎ物語の所」、五丁表「げんそうくわうてい」「やう
きひ」、九丁表「みちとをりあわれむ所」「はゝおやきもつふす所」「井のもと」、十三
丁裏「ぬす人共金銀もらい出る所」・十四丁表「女ほうなんだいの所」「さふらい共を
い出寸所」「長者ぢひの所」「みたひ所いがり」。
下巻=二丁裏・三丁表「らふじんふしんをとぶ所」「としごろの女しゆかたる所」、六
丁表「よきほうかう人」「主人ほうひとらす」「ふほうかう人」、十丁裏「長かうあに
の命にかわらんといふ」「ちやうれい」「ぬすびと」、十三丁表「らうしんつゝしんで
あかむる所」「としごろの女方」。
合計八図、内見開き三図。
本文 漢字交じり平仮名、振り仮名、濁占を施し、句読点は「。」「・」を混用。
奥書 下巻十四丁裏、本文に続けて「此物かたりは女四しよのぎりなるによつてかなに/かき
をんな仁義ものかたりと名付侍る」
刊記 下巻十四丁裏、奥書に続けて「万冶弐年五月吉日 山本九兵衛板」。
蔵書印等 「44/1/2/3531/財団法人 大東急記念文庫]のラペル。

②、筑波大学附属図書館蔵 ロ 580/41(平成元年5月1日調査)
表紙 卍つなぎ牡丹唐草模様暗緑色原表紙、縦二六二ミリ×横一七七ミリ(上巻)。
題簽 左肩に大東急本と同じ原題簽を存す。縦一六八ミリ×横三六ミリ(上巻)。
匡郭 四周単辺、縦一九七ミリ×横一五二ミリ(上巻一丁表)。
挿絵 大東急本と同じであるが、部分的に淡い彩色を施す。
蔵書印等 「高等師範学校図書印」陽刻方形朱印(六三ミリ×六三ミリ。「東京文理科大学
附属図書館図書之印」陽刻方形朱印(五三ミリ×五三ミリ)。[東京文理科大学附属図
書館図書之印]陽刻方形朱印(三〇ミリ×三〇ミリ)。「登録和198471号/昭和18・
1・23」(黒・青・朱色)のスタンプ。「口 580/41」のラベル。「第四三五一号/
二冊」のラペル。

万治二年井上平兵衛版

①、東洋文庫(岩崎文庫)蔵  三・F・a・ろ・22(平成元年5月19日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 薄茶色原表紙、縦二六一ミリ×横一七五ミリ(上巻)。
題簽 上巻は左肩に剥落の跡があり、そこに「女じんぎ物語」、その下に「上」と墨書。下巻
は左肩に子持枠原題簽を存するが、上部などに破損あり「(破損)/女しんき物語 下
」とある。寸法は、横は三七ミリであるが、正確に計測できない。
内題 「をんなじんぎ仁義物語 上」「女じんぎ物語 下」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦一九六・五ミリ×横一五〇・五ミリ(上巻一丁表)。
柱刻 版心は白口で刻字無し。ただし、各丁表のノドに丁付あり。
「しんき 上一(~十五)」 「しんき 下二(~十五)」。
丁数 上巻=十五丁、下巻=十四丁、合計二十九丁。(下巻の丁付は「二~十五」とあるが、
落丁ではない。)
行数 毎半葉十三行。
字数 一行二十二子。
挿絵 上巻=二丁裏・三丁表、五下表、九丁表、十三丁裏・十四丁表。下巻=二丁裏・三丁表、
六丁表、十丁裏、十三丁表。
合計八図、内見開き三図。(挿綸中の文は山本九兵衛版と同じてあるため省略する。絵
柄は山本版と同様であるが、細部で異なる部分がある。詳細は後述。)
本文 漢字交じり平仮名、振り仮名・濁点を施し、句読点は「。」「・」を混用。
奥書 下巻十四丁裏、本文に続けて「此物かたりは女四しよのぎりなるによつてかなに/かき
をんな仁義ものかたりと名付侍る」
刊記 下巻十四丁裏、奥書に続けて「万冶弐年五月吉日 井上平兵衛板」
蔵書印 「早川蔵書」陽刻長方形朱印(二五ミリ×二一・五ミリ)。「細川」陽刻長方形朱印(九
ミリ×八ミリ)。

②、京都大学文学部図書室蔵 国文学/pb/21(平成元年6月12日調査)
体裁 大本、二巻一冊(上下合冊)、袋綴じ。
表紙 濃縹色原表紙、縦二四九ミリ×横一六七ミリ。上下合冊のだめ、上巻の後表紙、下巻の
前表紙無し。
題簽 上巻は、左肩に子持枠原題簽、下部に破損があり、寸法は縦約一六六ミリ×横約三五ミ
リ、「絵入/女じんぎ物語 上」。下巻は無し。
匡郭 四周単辺、縦一九五ミリ×横一五〇ミリ(上巻一丁表)。
蔵書印等 「京都帝国大学図書之印」陽刻方形朱印(四七ミリ×四八ミリ)。「京/466703/
昭和6・11・9」の青スタンプ。「国文学/pb/21」のラペル。「田中恵存」の墨書。
その他 乱丁、下巻四丁が八丁と九丁の間に入っている。部分的に欠損があり、全体に亙って
総裏打ちされている。

無刊記本

①、お茶の水図書館(成簣堂文庫)蔵(平成元年8月30日調査)
体裁 大本、二巻一冊(上下合冊)、袋綴じ。
表紙 白茶色表紙、縦二五五ミリ×横一七八ミリ。
題簽 左肩に後補書題簽、「をんな仁義物語上下 全」縦一九〇ミリ×横三九ミリ。
匡郭 四周単辺、縦一九六ミリ×横一五一・五ミリ(上巻一丁表)。
刊記 無し。
蔵書印等 「佐久間図書印」陰刻方形朱印(二〇ミリ×二〇ミリ)。「佐久間」陽刻円形朱印(一
四ミリ)。「徳富所有」陽刻方形朱印(三七ミリ×三七ミリ)。「蘇峰」陽刻方形朱印(一
〇ミリ×一〇・五ミリ)。「徳富猪一郎」陰刻方形朱印(一〇・五ミリ×一〇・五ミリ)。
「改」陽刻長方形黒印(八ミリ×一〇ミリ)。前表紙に「寛文頃ノ板/珍書」「蘇峰□玩
」と朱書。前見返しに[80/37・6・29/ム]と鉛筆書。

十四行本

無刊記本

①、慶応義塾大学図書館蔵 220/19/2(平成元年6月5日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 濃縹色原表紙、縦二六四ミリ×横一七九ミリ(上巻)。
題簽 上巻は左肩に剥落の跡のみ。下巻は左肩に子持枠原題簽、上部下部に摩損あり、縦約一
六六ミリ×横約三四ミリ、「絵入/女じんぎ物語 下」。
内題 「をんなじんぎ仁義物語 上(下)」。
尾題 「をんなじんぎ物語上終」、下巻は無し。
匡郭 四周単辺、縦二二八ミリ×横一六一ミリ(上巻一丁表)。
柱刻 版心は白口。「じんき上 一(~十二終)」とあるが、一丁と五丁が「じんき」で、他は
「しんき」となっている。「しんき下 一(~十一おハり)]。
丁数 上巻=十二丁、下巻=十一丁、合計=二十三丁。
行数 毎半葉十四行。
字数 一行約二十八字。
挿絵 上巻=二丁裏・三丁表、五丁表、七丁表、十丁裏・十一丁表。
下巻=二丁裏・三丁表、五丁表、八丁表、十丁表。
合計八図、内見開き三図。(挿絵中の文は、下巻五丁表の「主人ほうひとらす」の位置
が異なること、十丁表が「ろうしんつしんてあかむる所」とあること以外は山本版と
同じである。絵柄は山本版を元にしているようであるが、細部には違いがある。詳細は
後述。)
本文 漢字交じり平仮名。振り仮名・濁点を施し、句読点は「。」「・」を混用。
奥書 下巻十一丁裏、本文に続けて「此物がたりは女四しよのぎりなるによつてかなに/かき
をんなじんぎものがたりと名つけ侍る」。
刊記 無し。
蔵書印等 「望月家蔵」四周双辺、陽刻長方形朱印(四四ミリ×一三・五ミリ)。「慶応義塾図
書館蔵」陽刻長方形朱印(五五ミリ×一一ミリ)。「220/19/2」のラベル。

②、国立公文書館(内閣文庫)蔵 190/245(平成元年9月5日調査)
体裁 大本、二巻一冊(上下合冊)、袋綴じ。
表紙 卍つなぎ黄赤色表紙、縦二六四ミリ×横一七八ミリ。
題簽 左上に後補書題簽、縦一一四ミリ×横九七ミリ、「女仁/義物/語」
匡郭 四周単辺、縦二二八ミリ×横一六三・五ミリ(上巻一丁表)。
蔵書印等 「浅草文庫」陽刻子持枠長方形朱印(七六ミリ×二〇ミリ)。「青山居士千巻文庫
」陽刻朱印(巻子本の中・四〇ミリ×二六ミリ)。「青山堂」陽刻長方形朱印。他に朱印
二顆。「日本政府図書」陽刻方形朱印(四六ミリ×四六ミリ)。「番外書冊」陽刻長方形
黒印(五三ミリ×一七ミリ)。「儒家五ノ三」のラペル。「内閣文庫/和書/ 類/一六
六九〇号/一冊/一九〇函/一二架」のラペル。「内閣文庫/番号・和16690 /冊数・
1(1)/函号・190/245」のスタンプ。

③、国立国会図書館蔵 京/2/194(平成元年4月14日調査)
体裁 大本、二巻一冊(上下合冊)、袋綴じ。
表紙 卍つなぎ牡丹唐草模様紺青色表紙、縦二六一ミリ×横一七六ミリ(上巻)。帝国図書館
の保護表紙を付し、一冊に合綴。
題簽 左肩に子持枠後補題簽、文字は墨書、「絵入/女仁義物語 乾」「絵入/女仁義物語
坤」。保護表紙の左肩に子持枠後補題簽、文字は墨書、「女仁義物語 乾坤 全/合一冊」
匡郭 四周単辺、縦二二八ミリ×横一六三ミリ(上巻一丁表)。
蔵書印等 「木下」陽刻円形黒印(二二ミリ)、「東京図書館」陽刻方形朱印(四八ミリ×四八
ミリ)。「図/明治二二・三・三〇・交換・」陽刻円形朱印(二一ミリ)。「東京図書館/
珍類/京函/七架/一九四号/二冊」のラベル。「京/特別/合1/194」のラベル。

④、東京大学総合図書館(霞亭文庫)蔵 A00/霞亭/104(平成元年8月11日調査)
表紙 卍つなぎ牡丹唐草模様黒色原表紙、縦二六五ミリ×横一七七ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「絵入/女じんぎ物語 上(下)」。
匡郭 四周単辺、縦二二八・五ミリ×横一六三ミリ(上巻一丁表)。
蔵書印等 「霞亭文庫」陽刻方形朱印(四八ミリ×四八ミリ)。「東京帝国大学図書印」陽刻長
方形朱印(五〇ミリ×一五ミリ)。「東京帝国大学附属図書館・大正十四年登記/文
18532」陽刻長円形黒印(横四一ミリ)。「A00/霞亭/104」のラベル。

寛文四年松会衛版

①、 東京国立博物館蔵 030 /と9867/2-1(2)(上巻) (平成元年6月23
日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 藍色原表紙、縦二七二ミリ×横一八三ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠原題簽、上巻は下部などに破損あり、縦一六三ミリ×横三五ミリ(下巻)。
「絵入/女じんぎ物語 上(下)」。
内題 「をんなじんぎ仁義物語 上(下)」。
尾題 「をんなじんぎ物語上終」。下巻は無し。
匡郭 四周単辺、縦二二五ミリ×横一六一ミリ(上巻一丁表)。
柱刻 版心は白口。「じんき上 一 (~十二終)」とあるが、一丁と五丁が「じんき」で、他
は「しんき」となっている。「しんき下 一 (~十一おハり)」。
丁数 上巻=十二丁、下巻=十一丁、合計=二十三丁。
行数 毎半葉十四行。
字数 一行約二十八字。
挿絵 上巻=二丁裏・三丁表、五丁表、七丁表、十丁裏・十一丁表。
下巻=二丁裏・三丁表、五丁表、八丁表、十丁表。
合計八図、内見開き三図。(挿絵中の文は大部分が、十四行無刊記の慶応大学本と同じ
であるが次の部分が異なる。上巻十一丁表「女ほうなんたいの所」「さふらい共をい出
す所」「長しや」「ミたい所」、下巻三丁表「らう人ふしんをとふ所」「としごろの女ほう
かたる所」、十丁表「らう人つゝしんてあかむる所」「としごろの女方」。絵柄も細部に
は違いがある。詳細は後述。)
本文 漢字交じり平仮名。振り仮名・濁点を施し、句読点は「。」を使用、稀に「・」を混用。
奥書 下巻十一丁裏、本文に続けて「此物がたりは女四しよのぎりなるによつてかなに/かき
をんなじんぎものがたりと名つけ侍る」。
刊記 下巻十一丁裏、奥書に続けて「寛文四 甲辰 年六月吉日」とあり、その下に 「松会
衛開板」と匡郭の左下に寄せてある。
蔵書印等 「和漢英/□独書/群庶軒書店/本郷□森川町十四番地/古本誠実買入」陽刻長方
形朱印(三二ミリ×二一ミリ)。「徳川宗敬氏寄贈」四周双辺、陽刻長方形朱印(五九ミ
リ×一二ミリ)。「国立博物館図書之印」陽刻方形朱印(二五ミリ×二五ミリ)。
その他 上巻二丁の下部などに破損があり、補修されている。
無刊記松会衛版

①、国立国会図書館蔵 2/181/339 (平成元年4月14日調査)
体哉 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 竜模様白色表紙、縦二五七ミリ×横一八〇ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠後補題簽、文字は墨書、縦一八七ミリ×横三八ミリ(上巻)、「をんな仁義
物語 上(下)」。
内題・尾題 寛文四年松会衛版(東博本)と同じ。
匡郭 四周単辺、縦二二五ミリ×横一六一ミリ(上巻一丁表)。版心部の上下の匡郭は無い。
柱刻 版心部が破損しており、一部分を存する(裏打ち補修済み)が、寛文四年松会衛版(東
博本)と同様と思われる。
丁数・行数・字数・挿絵・本文・奥書 寛文四年松会衛版(東博本)と同じ。
刊記 下巻十一丁裏、刊年記は無いが、匡郭の左下に 「松会衛開板」とある。 ▲
蔵書印等 「帝国図書館蔵」陽刻方形朱印(四六ミリ×四六ミリ)。「図/明治四〇・三・二六・
購求」陽刻円形朱印(二一ミリ)。「181/特別2/339」のラペル。

② 早稲田大学図書館蔵 へ13/1096/1~2(平成元年8月29日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 雷文つなぎ竜模様芥子色原表紙、縦二七〇ミリ×横一八四ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠原題簽、縦一六一ミリ×横三四ミリ(上巻)、「絵入/女じんぎ物語
上(下)」。
匡郭 四周単辺、縦二二七ミリ×横一六二ミリ(上巻一丁表)。版心部の上下の匡郭は無い。
柱刻 版心は白口。寛文四年松会衛版(東博本)と同じ。
蔵書印等 「早稲田大学図書」陽刻方形朱印(三〇ミリ×三〇ミリ)。「門へ利13/号1096
/巻1-2」の朱印。「へ利13/1096/1-2」の・フベル。上巻後見返しに次の墨
書あり。
「和哥濃浦仁塩満久礼波片男濤/蘆辺乎左志弖田鶴鳴和多留/保濃々登明石〔赤石〕
乃浦乃朝霧仁/志満加久礼行船於志曽思布」
十六行本

延宝二年亀屋版

①、慶応義塾大学図書館蔵 220/18/2(平成元年6月5日調査)
体裁 大本、二巻二冊、袋綴じ。
表紙 濃鼠色原表紙、縦二六七ミリ×横一八六ミリ(上巻)。
題簽 左肩に子持枠原題簽、縦一九〇ミリ×横四六ミリ(上巻)、「女じんぎ物かたり 上(下)」。
内題 「をんなしんきものかたり女仁義物語 上」「をんなしんぎものかたり女仁義物語 下」
尾題 「女じんぎ物語上終」、下巻無し。
匡郭 四周単辺、縦二二七ミリ×横一六八ミリ(上巻一丁表)。版心部の上下の匡郭は、上巻
二丁の上、七丁の上を除いて無し。
柱刻 版心は白口。「をんな 上 一」「おんな 上 二(~十)」、「おんな 下一 (~十)」。
丁数 上巻=十丁、下巻=十丁、合計=二十丁。
行数 毎半葉十六行。
字数 一行約二十八字。
挿絵 上巻=二丁表、四丁表「はくきといへる女房」、六丁表、七丁表「やうきひ」[けんさう
くわうてい]、八丁表「長しやにむしついふかける」、九丁表。
下巻=二丁表「とうわうのみかと身をいけにへにし給ふ」、四丁表「ちやうてうし」「よ
しやうちりやく」、六丁表「しゆんくらのかべをぬり給ふ」、七丁表「しんせいおやの
下知にそむ□」、八丁表「たいしきう母のおほせをそむかぬ所」、九丁表「てうかうちや
うせいしとあらそふ」。(絵柄は、十三行本、十四行本と異なる。後述。)
上巻=六図、下巻=六図、合計=十二図。
本文 漢字交じり平仮名、稀に振り仮名を施し、濁点を施す。句読点無し。
奥書 下巻十丁裏、本文の次に「此物かたりは女四しよのぎりなるによつてかなに/かきをん
なじんぎものかたりと名つけ侍る」
刊記 下巻十丁裏、奥書に続けて「延宝弐年 仲春吉辰 亀屋新板/新橋臼比谷横町」。
蔵書印等 「慶応義塾図書館蔵」陽刻長方形朱印(五五ミリ×一一ミリ)。「220/18/2」の
ラベル。

以上、『女仁義物語』調査済み諸本の書誌を記したが、これらは次の如く分ける事ができる。

①、13行万治2年山本九兵衛版
②、13行万治2年井上平兵衛版……①の覆刻本
③、13行無刊記本……………………②の後刷本
④、14行無刊記本……………………①の改版本
⑤、14行寛文4年松会衛版…………④の覆刻本
⑥、14行無刊記松会衛版……………⑤の後刷本
⑦、16行延宝2年亀屋版……………⑤または⑥の改版本
以下、これらの各版の関連について述べる。

①、13行万治2年山本九兵衛版

この山本版は、丁数・行数・字数までも、13行井上版と同じであるため、従来同版と考えられてきたのであるが、この両者は明らかに別版であり、山本版が初版と思われる。井上版は山本版の覆刻版(かぶせ版)であると判断されるが、この点は、次の井上版の項で述べる事にする。(69~76ページの参考写真、№1) 【写真は省略 原本参照】

②、13行万治2年井上平兵衛版
前述の如く、この井上版は山本版のかぶせ版だと思われるが、一般的に、かぶせ版は縮小すると言われているので、両者の匡郭寸法
を次に掲げる。各巻、各丁表の縦は1行目と2行目の間、横は1字目と2字目の間、匡郭の外側から外側までとし、挿絵の丁はそれぞれの右端、上端の部分で測った。単位はミリメートルである。

【匡郭寸法 省略 原本参照】

丁によって縮小率は異なるが、全体的に井上版は山本版よりも2ミリ程短くなっている。かぶせ版は縮小するという原則にほぼ適合する。
内題・刊記も非常に似てはいるか、細部は異なる。山本版(筑波大本)と井上版(東洋文庫本)の巻頭・巻末は参考写真の如くである(№2~№5)。上巻の内題(№6)を見ても「を」「仁」「物」「語」「上」など字形が異なり、下巻の内題(№7)も同様である。刊記(№8)も「治」「弐」「五」「月」「吉」など、殊に異なった字形である。なお、写真の縮小率は一定ではない。
山本版上巻12丁目のノドの丁付は「しんき 十二」(縦70ミリ)とあるが、井上版は「しんき上十二」(縦46ミリ)とある(写真、№9)。14丁目は、山本版は「しんき上七」(縦40ミリ)とあるが、井上版は「しんき上十四」(縦49ミリ)としている(写真、№10)。これらは、山本版の誤りを井上版が覆刻の時、改刻訂正したものであろう。
本文も、一見同版の如く見えるが、細部を比較すると、これが別版である事は明瞭である。山本版にある句読点や振り仮名が井上版では削除されていたり(下巻2オ7行、写真、№11など)、字形が異なるものは全体的に多数見られる。具体例を示すと、上巻1オ5行の「たけたる」、上巻12オ6行の「申ところに」、下巻5オ9行の「よりとも」、下巻7オ6行の「身をたて」、下巻13ウ11行の、「ミ な御名をとなへず。」などである。
挿絵も構図等、両者同様であるが、人物の表情や衣服の模様など、細かい点では違いがある。一例を示すと、下巻13丁オの図の上部右側の襖の絵に、山本版には家が三軒描かれているが、井上版では削除されている(写真、№12)。
以上、見できた如く、初版は山本九兵衛版であり、井上平兵衛版は、その覆刻版(かぶせ版)である、と判断される。

③、13行無刊記本

お茶の水図書館・成簣堂文庫蔵本は、13行万治2年井上平兵衛版と同じ版木を使用し、刊記の「万治弐年五月吉日井上平兵衛仮」を削除したものである。版面の欠損状態から考えて、刷りは東洋文庫本よりも後のものと判断される。

④、14行無刊記本

11行無刊記本は、13行本を底本にして、改版出版されたものと思われる。(写真、№13)。
13行本(筑波大本)と、14行無刊記本(国会本)の本文を比較してみると、次の如くである(13行本の10丁ウまで)。

A、14行本が漢字に改めたもの……69
あり→有(3) とし→年(4) また→又(4) わが→我(2) 三じう→三じう従 じ
んぎ→仁ぎ義 うへ→上(2) なり→也(17) とも→共 とき→時(3) いづれ→
何れ まいらせ→参らせ いちご→一ご み→見(2) もの→物(8) ゆさん→遊さ
ん いま→今(2) たてまっる→奉る その→其(3) ほとけ→仏 物かたり→物語
(2) こと→事 こゝろ→心 てん→天 いづる→出る だい→第 五じやう→五常・
五じやう常 なに→何

B、14行本が仮名に改めたもの……32

物→もの(2) 我→わか 所→ところ 有→あり(3) 有→ある(3) 事→こと
こう孔し子→こうし 中→なか(4) 也→なり(2) 給ふ→たまふ 夜る→よる けんじん人
→けんじん 程→ほど 思ひ→おもひ 心→こゝろ 其→その(4) 人げん→にんげん
ぎ義→ぎ 時→とき 下→した

C、仮名遣いを改めたもの……7
しあん→しあむ くハうてい→くわうてい しん→しむ をちん(とせば)→おちん い
はれん→いはれむ ちいん→ちゐん よくしん→よくしむ

D、その他……4
こ子→子 よ世→世 ほん心→ほんしん心 じん人のみち→仁のみち

右の異同を見ると、14行本が漢字に改めたものが、69対32と、仮名に改めたものの倍以上であるのは、13行本を1行増やして、本文用紙を節約しているのと共に、改版本に見られる一般的な傾向である。「じん人のみち→仁のみち」は、14行本が正しいものであるが、仮名遣いの異同は、むしろ14行本に誤りが多い。
これらの異同全体を見るとき、14行本には、特に内容的に改変しようとする意図は無いものと思われる。

次に、挿絵を比較してみる。上巻11丁表(写真、№15、№16)で通りかかった奴の右足に掛かる法被の線、井戸端の垣の線を見ると、14行本は、13行本の井上版よりも山本版に近い。
下巻8丁表の右下の雑草の位置が、14行本は山本版に近い。さらに下巻10丁表(写真、№14、№12)の襖の絵柄も、14行本は山本版と同様になっている。
これらの点から、14行無刊記本は、13行万治2年山本九兵衛版を底本にして、改版刊行したものと推測される。

⑤、14行寛文4年松会衛版

この版は、従来、14行無刊記本と同一版木によるものとされてきているが、これは、14行無刊記本の覆刻本(かぶせ版)であると思われる(写真、№17)。
両版の匡郭の寸法を示すと次の如くである。測定の要領は13行本と同様である。

【匡郭寸法 省略 原本参照】

下巻3丁表の如く、14行寛文4年松会衛版の方が少し大きい丁もあり、上巻9丁表、10丁表、下巻5丁表、6丁表、10丁表など、縮小率がかなり大きいものもあるが、全体としては、2ミリないし3ミリの縮小である。           β
本文は、字詰も両版全く同じであるが、一字一字の字形を比較すると、明らかな違いがある。上巻内題(写真、№18)、下巻1丁裏11行の「いけにえ」(写真、№19)、4丁表9行の「ふしてゐて」(写真、№20)など、その一例である。
上巻11丁裏1行目は、14行無刊記本は「(ひつた)てゝ。もんぐわいへをひ出す。」とあるが、14行寛文4年松会衛版は、これを誤読したとみえて「(ひつた)てゝからんをといへをひ出す。」と、意味不明の本文に改変している(写真、№21)。このような異同は、かぶせ版の方法に関するものである。覆刻本について、藤井隆氏は、
「刊本を底本として模して再製刻した覆製本である。基とする版本を解体して一枚ずつにし、
裏返して版木に貼って上から彫るので「被彫」という。」 (『日本古典書誌学総説』平成
3年4月30日、和泉書院発行)
としておられるが、元版をそのまま版木に貼付して彫るという仕方では、右のようなミスは発生しないように思う。元版を薄い雁皮紙などによって透き写しし、版下を作る方法も行われていたのではあるまいか。
挿絵も、14行無刊記本に拠ったかぶせ版であると思われるが、かなりの違いがある。上巻3丁表の左上部の屏風の絵の中に、無刊記本には家が二軒入っているが、松会衛版では除かれている(写真、№22)。上巻11丁表、無刊記本で長者の座わっているのは板敷きの縁であるが、松会衛版は畳の上に改めている。また、説明文も簡略化されている(写真、№23)。

⑥、14行無刊記松会衛版

14行無刊記松会衛版(国会図書館本)は、14行寛文4年松会衛版と同じ版木で、刊年記「寛文四 甲辰 年六月吉日」を削除したものである。版面の欠損状態から考えて、刷りは寛文4年版(東博本)よりも後のものと判断される。(写真、№24)

⑦、16行延宝2年亀屋版

この版は、14行松会衛版に続く、第五版として出版されたものと思われる。16行、28字詰めと文字も小さくしている。慶応大学本の巻頭・巻末を掲げる。(写真、№25)
この本文も、14行松会衛版と全文対校していないが、部分的な調査結果では、「とも→共、もの→物、なか→中、ほど→程、その→其、とし→年、とき→時」など、松会衛版の仮名を漢字に改めたものが多い。この逆に「何れ→いつれ、也→なり」の如く、漢字を仮名に改めたものは極めて少ない。(二丁分の内で比較すると、95対3である。)16行本には、極力漢字に改めてスペースの節約を図ろうとする態度が伺える。その他「しあむ→しあん、けしやう→けさ
う」の如き、仮名遣いの異同があり、「むき申さす候→むき候ハす、かくのことく→かやうに」のように、表現を改めている所もあるが、内容的な変改は見られないようである。
前に述べた、14行無刊記本から14行寛文4年松会衛版への段階で生じた、上巻末(14行無刊記本で11丁ウ1行)の異同を比較してみると次の如くである。
てゝ。もんぐハいへをひいだす。……13行山本版
てゝ。もんぐハいへをひいだす。……13行井上版
てゝ。もんぐわいへをひ出す。………14行無刊記本
てゝからんをといへをひ出す。………14行松会衛版
てゝそとへおひ出す……………………16行亀屋版(写真、№26)
この異同から考えても、16行亀屋版は14行松会衛版を使い、意味不明の文を「……そとへおひ出す」と改めたものと推測される。ただ、寛文四年の松会衛版を使用したのか、その後刷本の松会衛版を使用したのか、現段階では決め得ない。いずれ詳しく調査して補訂したいと思う。
挿絵は、14行松会衛版の8図に対して、12図と多くなっているが、スペースは6丁と、半丁多いのみである。画風も大和絵的なものを混入し、絵柄は、14行松会衛版の構図に近いものもあるが、ほとんど改変していて、戸外の場面を室内に変えたり、描く場面そのものを変更したりしている。(写真、№27、№28)

以上、『女仁義物語』の諸本についての調査結果を報告したが、この作品には、万治二年(一六五九)の初版以来、延宝二年(一六七四)まで、五種の版がある事が明らかになった。青山忠一氏の詳細な研究(『仮名草子女訓文芸の研究』昭和57年2月1日発行)があるが、女性教訓書として多くの読者に受け入れられていたものと思われる。
付  記

この調査にあたって、お茶の水図書館・京都大学文学部図書室・慶応義塾大学図書館・国立公文書館・国立国会図書館・大東急記念文庫・筑波大学附属図書館・東京国立博物館・東京大学総合図書館・東洋文庫・早稲田大学図書館の御高配を賜りました。厚く御礼申し上げます。
市古夏生氏、白倉一由氏、青山忠一氏の御調査には教えられた点が少なくありませんでした。また、朝倉治彦氏には、調査過程で具体的な御教示を賜りました。ここに記して、深く感謝申し上げます。
ここでは、『女仁義物語』の諸本についての、調査報告と考察を加えましたが、未調査本も残っており、これらは、今後も調査を重ね、補訂してゆきたいと思います。

平成3年7月15日
深沢秋男

【『近世初期文芸』第8号、平成3年(1991)12月 収録】

…………………………………………………

『仮名草子集成』第10巻
1989年9月30日 東京堂出版発行

編者略歴

〔朝倉治彦〕 大正十三年東京に生ま
れる。昭和二十三年国学院大学国文
科卒。二十五年同大学特別研究科修。
現在四日市大学教授兼図書館長、国
学院大学・成城大学講師。編著書に
『竹斎』『小盃』『順礼物語』『長者
教』『仮名草子集』(以上古典文庫)
『未刊仮名草子集と研究』一・二(未
刊国文資料)『東海道名所記』(平凡
社)『守貞謾稿』『図書館屋の書物捜
索』(東京堂出版)など。

〔深沢秋男〕 昭和十年山梨に生まれ
る。昭和三十七年法政大学日本文学
科卒。現在昭和女子大学短期大学部
国文科助教授。編著書に『可笑記大
成』(共編著、笠間書院)『可笑記評
判』(近世初期文芸研究会)『浮世物
語』『井関隆子日記』『桜山本春雨物
語』(以上勉誠社)など。

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【追 記】

平成元年(1989)、朝倉治彦先生は、『仮名草子集成』の編者に、私を加えて下さった。これは、私の仮名草子研究において、大きな軌道修正であった。昭和47年(1972)横山重先生、前田金五郎先生企画の、『近世文学資料類従』に参加させて頂き、私の研究の軌道は修正されたが、さらに、朝倉先生によって大きく修正されたのである。横山、前田、朝倉の三先生の御厚情に対して、改めて感謝申上げる。

この『女仁義物語』の諸本調査は、朝倉治彦先生の『仮名草子集成』第10巻に編者として加えて頂いた時に行ったものである。当時、仮名草子の諸本調査の方法について、確たる基準が決められていた訳でもなく、研究者各自が、先学のスタイルを参照していた。『仮名草子集成』の書誌解題は、朝倉先生の方法で記述されており、これは、私の方法とは異なっていた。朝倉先生と相談して、『仮名草子集成』は、これまで通り、朝倉先生の方法で記述し、私は別に、雑誌等に発表するということにした。従って、『仮名草子集成』の解題は、私の調査結果を基に、朝倉先生が記述したものである。
私は、仮名草子等の諸本調査を行う場合、原則として、1つの作品に限定して調査した。2点、3点の作品を同時に調査することはしなかった。その原本の特徴を把握して、諸本間の関係を解明するには、その方が正確な結果が得られるものと考えたのである。効率よりも正確を考えたのである。
このような、諸本調査は、文学研究において、基礎的な作業であり、テキストの優劣を判定する重要な仕事である。これは、机の上での作業ではなく、原本所蔵の図書館等に出向いて、原物を直接調べる作業である。それだけに、多大な時間と経費がかかる。だからこそ、1つの作品に対して、何回も何回も同じ作業を繰り返す無駄は省きたい。そのように考えたのである。

朝倉先生の企画された『仮名草子集成』は、現在、第57巻が進行中である。先生の遺志を継承した、若い研究者によって、その完結を目指している。

平成29年1月23日
深沢秋男

【5】・【6】・【7】 可笑記評判

仮名草子関係書・解説 【5】
 
【5】・【6】・【7】 可笑記評判

【5】可笑記評判(上)  昭和52年1月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・21)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻一~巻三を収録。

【6】可笑記評判(中)  昭和52年2月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・22)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻四~巻七を収録。

【7】可笑記評判(下)  昭和52年3月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・23)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻八~巻十を収録し,解説を付したもの。

  一、著  者

 『可笑記評判』は、『可笑記』(如儡子作・五巻・寛永十九年刊)に対する批評書として、万治三年二月に刊行された。その奥書に「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」とあり、この「瓢水子」が浅井了意の号である事は、北条秀雄氏の『浅井了意』(昭和十九年刊)によって立証されている。浅井了意は、万治・寛文期に『堪忍記』『東海道名所記』『江戸名所記』『浮世物語』『京雀』『伽婢子』等の多くの仮名草子を著しているが、『勧信義談紗』『三部経鼓吹』をはじめとする仏書をも残している。この了意に関しては、北条秀雄氏の『改訂増補 浅井了意』(昭和四十七年刊)に詳しい(注1)。

  二、成  立

 『評判』の成立時期に関しては従来諸説が出されている。早く仮名草子研究の道を開かれた水谷不倒氏は、奥書の「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作之」(『可笑記』)「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」(『評判』)をそのまま信用して、『評判』の著者は『可笑記』を草稿の段階で読み、批評を付加した、とされた(『近世列伝体小説史』明治三十年刊)が、この水谷氏の説を除くと、藤岡作太郎氏、北条秀雄氏、寺谷隆氏、野田寿雄氏、松田修氏の各説は、その刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」に近い頃に成立したという点で一致している(注2)。ところが最近、野間光辰氏は北条秀雄氏の説に疑問をもたれ、「了意が一年を出でずしてこれを読みこれに評語を加へたことも、十分あり得る。」いと、水谷不倒氏の               
説に近い、草稿内覧説を主張された(注3)。
 私もこの問題に関して種々検討してみたが、やはり万治に近い頃に成立したというのが実情ではなかったかと思われる。今は紙数の関係で詳しく述べられないので、そのように考える根拠の一つを示すにとどめたいと思う。かつて『可笑記』各版の本文異同に関して考察した事があるが(注4)、その結果によれば、『評判』所収の『可笑記』本文は無刊記本を底本に使用したものと判断される。また、無刊記本の刊行時期については、寛永十九年秋以後、万治二年以前、と考えるのが妥当のようである。したがって『評判』の著者は、寛永十四年に『可笑記』の写本に接して筆を起こし、二十三年後の万治三年頃までに完成したという説には従いがたい。『可笑記』は寛永十九年秋に十一行本が初めて刊行されたが、その後、この十一行本の準かぶせ版としての十二行本が出た。そして、おそらく、それに続く第三版として出版されたのが無刊記本であろう。さらに万治二年正月には絵入本が出ている。寛永十九年から万治二年まで十七年間、仮に機械的に計算すると、ほぼ六年毎に次の版が出された事になる。このような点から考えると、ある
いは、無刊記本の刊行は承応年間であったかも知れない。そして『評判』の著者は、この無刊記本をテキストにして批評を付加したものであろう。
 なお、この『評判』の成立に関しては、奥書の「于時寛永十四南呂上澣」、序の「寛永のころほひ……」をどのように解釈するか、如儡子と了意の関係等、多くの問題が関連してくる。今後、さらに考えを深め、別に発表したいと思っている。
                    
 さて、万治三年刊行の『評判』を最初に記載した書籍目録は、寛文六年頃の刊とされる『和漢書籍目録』(寛文無刊記本)であり、以後出版された書籍目録の記録を、年代順に列挙すると次の通りである(注5)。

○「十冊 同評判」(『和漢書籍目録』・寛文無刊記本)
O「十冊 同評判 浅井松雲了意」(『増補書籍目録 作者付大意』・寛文十一年・
  山田市郎兵衛刊)
O「十 同評判 了意」(『古今書籍題林』・延宝三年・毛利文八刊)
O「十 同評判 浅井松雲」(『新増書籍目録』・延宝三年刊)
○「十 同評判 浅井松雲 廿匁」(『書籍目録大全』・天和元年・山田喜兵衛刊)
O「十 同評判 了意作」(『広益書籍目録』・元禄五年刊)
○ 「十 上村 同評判 了意 十五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年・河内屋
  喜兵衛刊)
O「十 可笑記評判 了意」(『新板増補書籍目録 作者付大意』・元禄十二年・永
  田調兵衛等刊)
O「十 上村 同評判 了意 廿五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年刊正徳五
  年修・丸屋源兵衛刊)

 東寺観智院所蔵の『新板書籍目録』(万治二年の写本)には、未だ記載されていないが、これは『評判』の刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」と符合する。右に挙げた書籍目録の記録によると。『評判』は「浅井松雲了意」の作として売買され、元禄九年頃の版元は「上村」であった事がわかる。この「上村」は、京都二条通リ烏丸西入ル北側(玉屋町)に住し、寛永から宝永に亙って『聖賢像賛』『続列女伝』『智恵鑑』『洛陽名所集』『尚書通考』『僧伝排韻』『左伝林註』等を刊行した上村次郎右衛門であろうと思われる(注6)。また価格も、廿匁(天和元年)、十五匁(元禄九年)、廿五匁(正徳五年)と時代により変化はあるが、同時代の他の書
に比較してみると、この作品はかなり高価なものとして扱われていたようである(注7)。                  
 万治三年より正徳年間までの、およそ五十年間、新本としてまた古本として、書肆の店頭に出されたこの作品も、享保十四年の『新撰書籍目録』(永田調兵衛刊)・明和九年の『大増書籍目録』(武村新兵衛刊)では、他の大部分の仮名草子類と共に、その姿を消している。以後は各蔵書家の手によって、細々と伝えられたのである。
 「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ有益ノモ
  ノ歟今茲初テ得之珍蔵スペキモノナリ 七十四翁三園誌之」
 これは、名古屋大学附属図書館所蔵本の識語である。この旧蔵者・三園は「神
谷氏、名は克楨、通称喜左衛門。尾張藩士で、京に在ること二十五年、学を好み和漢の異本珍籍を蔵し、有職故実・算数・本草学にも精しかった。岡田文園・吉田雀巣・柴田海城・小寺玉晁・小田切春江らと交わり、畸人をもって目せられた。明治四年六月、八十四歳をもって没し」ている(注8)。また石田治兵衛は、京都一条通リ大宮西入ルで、寛政から明治にかけて活動した書肆と思われる(注9)。三園の没年から逆算すると、
この識語の書かれたのは文久元年となり、この時期の本書の状況を推察する事ができる。                       
  

  三、底本と諸本

 『可笑記評判』の諸本について実地に踏査した結果、現在、その所在が明らかになっているものは、次の七点である。
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
 2、京都大学附属図書館所蔵本
 3、国立国会図書館所蔵本
 4、東京大学附属図書館所蔵本
 5、名古屋大学附属図書館所蔵本
 6、竜門文庫所蔵本
 7、早稲田大学図書館所蔵本
 本影印の底本には、右の諸本の内、最も刷りが早く、しかも完本である、名古屋大学附属図書館所蔵本を使用した。以下書誌的概観を試みたいが、右の諸本は、いずれも同一版木に拠るものと思われるので、底本についてのみ、版式を詳しく記し、他の諸本はこれと異なる点を記すに止めたい。
                              

 1、名古屋大学附属図書館所蔵本(岡谷文庫 岡913 51 AI~10)
著者  瓢水子(浅井了意)。
表紙  雷文つなぎ牡丹唐草模様藍色原表紙、縦278ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」縦176ミリ×横39ミリ(巻四)。
  各巻、部分的に磨損、欠損あり。
匡郭  四周単辺、縦208ミリ×横160ミリ(巻一の2丁表)。
内題 「可笑記評判巻第一 (~十)」。
目録題 「可笑記評判巻第一 (~十)目録」。ただし、巻八は「目録」の二字なし。
尾題  なし。
柱刻  巻一「可笑記評判一 乙(~五十六終)」。
    巻二「可笑記評判巻二 乙」。
      「可笑記評判二 二(~六)」。
      「可笑記評判巻二 七(~六十三終)」。
    巻三「可笑記評判巻三 乙(~四十六終)」。
    巻四「可笑記評判巻四 乙(~五十六終)」。
    巻五「可笑記評判巻五 乙(~四十七終)」。
    巻六「可笑記評判巻六 乙(~五十一終)」。
    巻七「可笑記評判巻七 乙(~六十五終)」。
    巻八「可笑記評判巻八 乙(~五十九終)」。
    巻九「可笑記評判巻九 乙(~七十六終)」。
    巻十「可笑記評判巻十 乙(~七十九終)」。
  版心は白口。
巻数  十巻(欠巻なし)。
冊数  十冊。
丁数  巻一…56丁。  巻二…63丁。  巻三…46丁。  巻四…56丁。
    巻五…47丁。  巻六…51丁。  巻七…65丁。  巻八…59丁。
    巻九…76丁。  巻十…79丁。
行数  毎半葉12行。
字数  一行約22字(批評の部分は一段下げのため、それより1字ないし2字少ない)。
章段数  序。愚序評。巻一…27段。  巻二…20段。  巻三…23段。
    巻四…24段。 巻五…25段。  巻六…17段。  巻七…21段。
    巻八…30段。 巻九…43段。  巻十…47段。  奥書
句読点  部分的に付されており、「。」「・」混用。
奥書 「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆」。
刊記  「万治三年庚子二月吉祥日」。
蔵書印・識語等 「真照文庫」「名古屋大学図書印」「名古屋大学図書館/和書/89903(~
   89912)(黒印)」の朱印。「寄贈者岡谷正男氏/昭和二十六年二月十五日」の青印。巻
   一前表紙に白紙(縦157ミリ×横78ミリ)が貼付されており、墨書にて次の識語があ
   る。「可笑記評判十套 万治三年庚子二月吉祥日梓行/此書久シク探索シテ漸ク京師書
   書林/石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ/有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵ス/ペキモノ
   ナリ/七十四翁三園誌之」

 2、早稲田大学図書館所蔵本(ヘ13 1701 特別図書)
表紙  後補薄藍色表紙、縦272ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。                           
題簽  左肩に、後補題簽、「可笑記評判 一(~十)」と墨書、縦172ミリ×横36ミリ(巻
   一)。
蔵書印 「早稲田大学図書」の朱印、その他朱印一顆。
その他  各巻頭の目録(乙丁)がすべて落丁。

 3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦267ミリ×横185ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、(可笑記評判 一(~十終)」縦187ミリ×横38ミリ(巻一)。
蔵書印 「西荘文庫」「アカキ」「よこ山」の朱印。
その他  巻八の31丁・32丁が乱丁。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(国文学 pb 24)
表紙  縹色原表紙、縦269ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十終)」縦約187ミリ×横38ミリ(巻
   一)。ただし、巻三欠。
蔵書印 「京都帝国大学図書之印」の朱印。「京大/170749/大正6・2・9」の青印。                   

 5、国立国会図書館所蔵本(146 171)
表紙  原表紙は失われており、昭和四十一年に改装し、茶色縞表紙を補う。縦269ミリ×
   横201ミリ(第一冊目)。大本。この折、本文紙も全冊に亙って総裏打ちされた。
題簽  左肩に、後補子持枠題簽、「可笑記評判 巻一~三(巻四~七・巻八~十)」と墨書、
   縦196ミリ×横38ミリ(第一冊目)。
冊数  三冊に合冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。 第二冊…巻四・巻五・巻六・巻七。第三
   冊…巻八・巻九・巻十。
蔵書印 「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」の朱印。「書林柳校軒 日本橋小川二丁
   目 彦九郎」の黒印。
その他  巻九の75丁・76丁、下部三分の一ほど欠損。巻八の31丁・32丁、巻九の31丁、
   巻九の49丁~76丁が乱丁。

 6、東京大学附属図書館所蔵本(青洲文庫 E24 634)
表紙  縹色原表紙、縦267ミリ×横181ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」了十」」縦175ミリ×横39ミリ
   (巻一)。ただし、巻五欠。
蔵書印 「青洲文庫」「東京帝国大学図書印」の朱印。

 7、竜門文庫所蔵本(一〇ノ三 815)
表紙 後補茶色表紙、縦255ミリ×横180ミリ(巻一)。大本。 
題簽  なし。
蔵書印 「永田文庫」「竹田文庫」「善宇」「龍門文庫」の朱印。「本治」の黒印。その他朱印一
   顆。
その他  巻一の52丁が落丁。巻三の2丁~6丁、巻十の76丁・77丁が乱丁。
 

以上、各所蔵本を概観したのであるが、これらは、印刷の先後によって、二つのグループに分ける事ができると思われる。初印本と断定できないにしても、明らかに早印本であると思われるのが、名大本と早大本であり、赤木文庫本・京大本・国会本・東大本・竜門文庫本は後印本と思われる。その根拠は、赤木文庫本系には、版木の破損によって、巻五の35丁・36丁に、かなり不明の箇所があるが、名大本系ではこれが明瞭に出ているし(注10)、また名大本系において。巻八の39丁の丁付は「丗」とあり「九」が脱落しているが、赤木文庫本系では「丗九」と訂正され「九」を埋木した跡が認められるからである。なお、同じ巻八の丁付が「廿八
・廿九・三十・三十一・丗一・丗二」とあるのは、諸本共通であり「丗一」は「丗二」の誤刻であるが、赤木文庫本と国会本は「三十一」と「丗一」を入れ替えて製本してしまっている。また、題簽に二種あるが、名大本と東大本が同じ版木によるものと思われ、赤木文庫本と京大本のものが同系統である。これらの点から考えると、後印本と思われるクループの中でも、東大本は名大本と近い関係にあるという事ができる。

                    
四、『可笑記』・『可笑記評判』章段対照表

 『評判』は『可笑記』の批評書であり、各段ごとに表題を付し、『可笑記』の本文をまず掲げ、その後に「評曰……」と一段下げて批評を連ねる、という体裁をとっている。『可笑記』全二八〇段中、批評を付加したのは二三一段である。各段の分量は、小は二行程度のものから、大は延々十三丁に亙るものもあり、必ずしも一定しないが、瓢水子の付加したものは、序、愚序評、奥書を加えると、二三四の長短の批評文という事になる。その他、各巻頭の目録題も新たに付加したものである。

★【章段対照表 省略】  原本参照

 注1、○七囲んだものは、批評を省略した談。
 注2、空白の箇所(『可笑記』巻一の32・巻二の15・巻四の42)は『可笑記』本文、批評
    ともに省略した段。
 注3、『評判』巻三の「19・20・21・22・23」は原本では「16・19・20・21・22」となっ
    ている。

★【章段数対照表 省略】  原本参照

批評を付加した段……………………………231段
批評を省略した段…………………………… 46段
本文・批評ともに省略した段………………  3段
総数……………………………………………280段

五、『可笑記評判』所収の『可笑記』本文について

 『評判』所収の『可笑記』本文が無刊記本に近い事は、すでに前田金五郎氏が指摘しておられる(『国語国文』昭和四十年六月号)が、その後、私は『近世初期文芸』第一号(昭和四十四年十二月)でやや詳しく考察した事がある。今は、その結果の概略を示すにとどめたい。
 『可笑記』の版本には次の四種がある。( )の中は略称。
 ○寛永十九年版十一行本(十一行本)
 ○寛永十九年版十二行本(十二行本)
 ○無刊記本
 ○万治二年版絵入本(絵入本)
 この中で、十一行本が初版、十二行本は十一行本の準かぶせ版、無刊記本は十一行本を底本にして改版したもの、絵入本は無刊記本を底本にして改版し挿絵を加えたもの、という事ができる。これら各版の本文と『評判』所収の本文を比較した結果は次の通りである。
 1、無刊記本・絵入本・評判共通の異同が多い事から、この三版が近い関係にあると言える。
 2、評判には四箇所に亙って長文の脱落があり、他の版が評判を底本に使ったという可能性
   はない。
 3、無刊記本・絵入本に対する評判の異同を分析すると、より無刊記本に近いと言い得る。
   そこから評判は無刊記本を底本に使用した事が推測されるが、その際、十一行本・十二
   行本は参照しなかったものを思われる。                        
 4、評判には四箇所に長文の脱落があるが、その外にも機械的な誤脱が多い。
 5、評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、積極的に補っている。
 6、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
 7、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを認め得るが、それだけ
   に、ゆき過ぎもみられる。
 8、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても。それほど無刊記本に忠実で
   はない。
 要するに『評判』は無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、誤脱も多く。他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかし『評判』は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この『評判』は、むしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたというべきである。

★【諸作品価格一覧表 省略】  原本参照

注1 浅井了意に関する参考文献については、日本古典鑑賞講座『御伽草子・仮名草子』所収
  の水田紀久氏編「仮名草子文献目録」、『改訂増補 浅井了意』所収の若木太一氏編「浅井
  了意関係研究文献目録」。『近世初期文芸』第三号所載の小川武彦氏・深沢秋男編「仮名草
  子研究文献目録」を参照願いたい。なお、その後、北条秀雄氏に『新修浅井了意』(昭和
  四十九年刊)があり、拙稿「『可笑記評判』について」(昭和四十九年刊『日本文学の研究』
  ―重友毅博士頌寿記念論文集―所収)がある。
注2 藤岡作太郎氏は万治年間(『近代小説史』)、北条秀雄氏は慶安・承応の頃(『浅井了意』)、
  寺谷隆氏は明暦前後(『国語国文』昭和二十九年三月)、野田寿雄氏は慶安か承応のころ(『国
  語国文研究』昭和三十八年二月)、松田修氏は正保末、万治初年(『文学』昭和三十八年五
  月)とされている。
注3 「了意追跡」(昭和四十七年三月刊、北条秀雄氏『改訂増補 浅井了意』所収)
注4 「『可笑記』の本文批評」(『近世初期文芸』第一号・昭和四十四年十二月)
注5 書籍目録については『江戸時代書林出版書籍目録集成』(慶応義塾大学附属研究所斯道
  文庫編)に拠った。
注6『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏編)によると上村姓の書肆は五名あるが、次郎右衛門
  が時代的にも妥当と思われる。
注7 価格を記した書籍目録の主なものは、次の四種である。
  ①『書籍目録大全』(天和元年・山田喜兵衛刊)
  ②『増益書籍目録大全』(元禄九年・河内屋喜兵衛刊)
  ③ ②の増修本(宝永六年・丸屋源兵衛刊)
  ④ ②の第五次増修本(正徳五年・丸屋源兵衛刊)
  この中から主な作品を取り上げ、冊数の多い順、価格の高い順に配列したのが後に掲げた
  「諸作品価格一覧表」である。もちろん、重版の有無、丁数なども関係してくるので、一
  概には言えないし、また『評判』が再版されなかった事とも関わっていると思うが、他の
  作品に比して、本書が高額である事は言い得ると思う。
注8 これは、小野晋氏著『近世初期遊女評判記集』(研究篇)より引用させて頂いた。なお、
  小野氏の御厚意により、愛知県刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』の識語と筆蹟を比較
  することを得た。その結果、同じ三園のものと判断される。
注9 前掲『慶長以来書賈集覧』に拠る。
注10 巻五の不明箇所について、竜門文庫本は未確認であるが、丁付その他の点から後印本
  に入れた。機会をみて確認し、正確を期したいと思う。

付 記

 『可笑記評判』の解題をまとめるにあたって、
 名古屋大学附属図書館では、貴重な御所蔵本を。底本として使用することを御許可下さいました。
 前田金五郎、横山重両先生には、仮名草子全般に関して多大の御指導を賜り。小野晋先生には、刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』に関して、種々御教示を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立国会図書館、東京大学附属図書館、竜門文庫、早稲田大学図書館の御高配を賜りました。
 ここに記して、厚く御礼申し上げます。
                       昭和五十年四月四日

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【追 記】

 浅井了意の『可笑記評判』は、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会から、最初の翻刻として出した。しかし、全10巻の大部な作品ゆえ、『可笑記』の本文は省略して、了意の付加した、批評の部分のみを収録するという不本意なものとせざるを得なかった。。しかも、タイプ印刷という、極めて厳しい印刷条件の下での作業であった。
 そのような経過があったが、それから7年後、『近世文学資料類従・仮名草子編』の第2期が刊行されることになり、その中に『可笑記評判』を加えて頂くことになったのである。これは、横山先生と前田先生に、私から、以上の経過事情を説明して、お願い申上げて、実現したものである。
 底本に関しては、前回の対応に、反省点もあったが、ここで、最も印刷の早い、名古屋大学附属図書館の所蔵本を使用させて頂けたことは、本当に感謝している。

                            平成28年12月7日
                                      深沢秋男

【4】江戸雀

【4】江戸雀  昭和50年11月23日,勉誠社発行,10000円。(横山重監修、近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・古板地誌編・9)『江戸雀』の初印本(横山重氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。『江戸雀』の著者が「近行遠通」であることを解明した。

仮名草子関係書・解説 〔4〕

★ 注記 ネット上では、表記など、元の本が忠実に示せない部分がある。
あくまでも、元の本が正確である。この点、留意して頂きたい。

  一、はじめに

 『江戸雀』は、浅井了意の『江戸名所記』(寛文二年刊)に続く、江戸地誌(名所記)として、延宝五年に刊行された。著者は近行遠通、絵師は菱川師宣である。本書について、和田万吉氏は、

 「而して記載の方法は毎巻初項に該当区内沿道の寺社・大小名邸宅・大小通路等を洩れ無く列挙し、次に大祠・巨刹・名勝・旧跡・遊覧地等を記し、勝地・古蹟等の下には古歌を引き、又著者の狂詠軽口等をも録して一時の興とせり。諸侯・旗下の第宅、大路小巷の記載は尽く自身の踏査を経、一曲一折微に入り細を穿ちて、恰も一幅の細見図を見るが如く、読者をして坐に著者精力の非凡なるに吃驚せしむ。是れ本書の特色の一とすべし。…(中略)…挿図は概ね一面二頁に亘れるものにて頗る佳し。此は慥に本文の動もすれば乾燥に陥らんとするを償ふものと謂ふべく、本書特色の第二なり。」(『古版地誌解題』)

と評され、水谷不倒氏は『古版小説挿画史』において、

 「師宣の絵入本中、稀に見る在名本として、有名なものである。巻数十二、挿絵の多いことも、又その絵の優れてゐることも、他に類例がない。正に師宣の傑作であり、名所記中の白眉でもある。…(中略)…師宣の署名には、二三通りの書体がある。この『江戸雀』のは、全盛期に用ひられたもので、正真正銘言ふまでもない。」

と、その挿絵を高く評価されている。また、長澤規矩也氏は、

「名画工の筆に成りし本書の挿絵はそれのみにても価値ある絵入本と云ふべし。江戸地誌刊本中、本書の原刻本が最高の市価を有するも謂なきに非ず。」(『江戸地誌解説稿』)             
                     
としておられるが、天和元年・山田喜兵衛刊の『書籍目録大全』(注1)の値段は、
 ○江戸雀   十匁  (12冊・160丁半・一丁平均 〇、六二三分)
 ○京雀    七匁  (7冊・155丁 ・ 〃   〇、四五二分)
 ○京童跡追  五匁五分(6冊・148丁 ・ 〃   ○、三七二分)
 ○江戸名所記 七匁   (7冊・209丁 ・ 〃  〇、三三五分)
 ○京童    五匁  (6冊・152丁半・ 〃   〇、三二八分)
とあり、丁数を考慮して計算すると、本書は、他の地誌類に比較して、
すでに当時から高価な書であったものの如くである。水谷弓彦氏『明治大正古書価の研究』によると「名所記・名所図会」(明治23年~大正13年)の項に『難波雀』『京童』『京童跡追』『江戸砂子』『吉野山独案内』『住吉相生物語』『山城名勝志』『みのぶかゞみ』『山城名所記』『出来斎京土産』『洛陽名所集』等は出ているが、本書は出ていない。伝本もまた多くはないようである。
 本書の本文は、明治四十三年・近世文芸叢書に、大正五年・江戸叢書に、昭和三年・日本随筆大成に、さらに昭和四十九年には復刊日本随筆大成に、それぞれ翻刻収録され、長い間作品研究に役立ってきた。しかし、右の各叢書の底本が、いずれも後印本であった事は非常に惜しまれる。これは初印本の伝存が極めて少ない点に、その主たる原因があると思われるが、初印本と後印本の間には、かなり重要な異同があり、その故に著者そのものを誤って伝える、という結果になっている。ここに、赤木文庫所蔵の初印本を底本として複製公刊する事は、十分の意義があるものと思う。

                               
  二、底本と諸本

 『江戸雀』の諸本について『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、それらは次の如く分類する事ができると思われる。

 一 初印本

1、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅰ

 二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I

 三 後印本・〔二〕

  3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ
  4、京都大学附属図書館所蔵本
  5、国立公文書館(内閣文庫)所蔵本
  6、国立国会図書館所蔵本
  7、静嘉堂文庫所蔵本
  8、天理図書館所蔵本
  9、東京教育大学附属図書館所蔵本
  10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本
  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ

  四、 写  本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本
 3、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本

 以下、これら諸本の書誌的概観を試みたいが、右の各所蔵本の内の版本は、いずれも同一版木に拠るものと判断されるので、底本に使用した、赤木文庫所蔵の初印本についてのみ、版式を詳しく記し、他の後印本は、これと異なる点を記すに止めたい。

   一 初 印 本
 
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・I(本影印の底本)
著者  近行遠通。
装訂  袋綴。大本。
表紙  改装後補渋色表紙(雷文つなぎ・花模様等の空押し)、縦263ミリ×
  横188ミリ(巻一)。巻七後表紙に「参考太平記 三十」、巻八後表紙に「参
  考太平記 三十之下」と元の題簽の墨跡が残っているので、『参考太平記』の
  表紙を流用したものと思われる。(本影印には、原題簽を存する、赤木文庫所
  蔵本・Ⅱ(後印本)の表紙を使用し、底本の後補表紙は、参考写真・1~12
  に掲げた。)
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦192ミリ×横39.5ミリ(巻一)、「江戸すゝめ
  一 (~十二/了)」。子持枠及び書名は木版刷り、巻数は墨書。
匡郭  四周単辺、縦236ミリ×横174ミリ(巻一の1丁表)。      
序題  「江戸雀 序」 (巻一の1丁表)。
目録題  「江戸雀目録 初巻/二(~十二)巻目」(巻一の3丁表~6丁裏)。
内題  巻一は7丁表に、巻二以下は各巻頭に、
   「江戸雀初巻」          
   「江戸雀二巻目」
   「江戸雀三巻目」         
   「江戸雀四巻目」
   「江戸雀五巻目 御城より南之方」
   「江戸雀六巻目 御城より西の方」
   「江戸雀七巻目 従御城西北のすみ」
   「江戸雀八巻目 従御城北之方」
   「江戸雀九巻目 従御城北の方 こいし川より ひがしつゞき」
   「江戸雀十巻目 従御城北ひかしの方 あさ草見つけは ひかしにあたれ
           り」
   「江戸雀十一巻目 従御城東之方」
   「江戸雀十二巻目 従御城ひかしの方」
尾題  各巻末に、
   「江戸雀初巻終」         
   「江戸すゝめ二巻終」
   「江戸すゝめ三巻目終」     
   「江戸雀四巻目終」
    巻五はなし。         
   「江戸雀六巻目終」
   「江戸雀七巻目終」       
   「江戸雀八巻目終」
   「江戸雀九巻目」         
   「江戸雀十巻目終」
   「江戸雀 十一巻目終」       
    巻十二はなし。
  巻三は大部分墨にて補筆されているが、字体は他の版本に類似している。巻
  十一の「巻終」は墨にて補筆されている。     
柱刻  版心は白口。
   「江戸すゝめ 一ノー (~十四)」  
   「すゝめ ニノ一 (~十七)」
   「すゝめ 三ノ一 (~十三)」    
   「すゝめ 四ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 五ノ一 (~十二)」 
   「すゝめ 六ノ一 (~十二)」
   「すゝめ 七ノ一 (~十一)」   
   「すゝめ 八ノ一 (~十一)」
   「すゝめ 九ノ一 (~十九)」  
   「すゝめ 十ノ一 (~十七)」
   「すゝめ 十一ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 十ニノ一 (~十終)」
  巻一の7丁は「一ノ一」、巻六の5丁・6丁は「六の五」「六の六」、
  巻十の14丁は「十ノ十■」とそれぞれなっている。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  十二冊。
丁数  巻一…14丁(内、序2丁、目録4丁)。
  巻ニ…16丁半。
  巻三…13丁。   
  巻四…14丁。   
  巻五…11丁半。
  巻六…11丁半。  
  巻七…10丁半。  
  巻八…10丁半。
  巻九…18丁半。  
  巻十…17丁。  
  巻十一…14丁。
  巻十二…9丁半(内、跋1丁)。
行数  序・目録・跋…15行。本文は毎半葉、
  巻一…17行。 
  巻ニ…1丁・2丁表・16丁裏は16行、以外は17行。
  巻三・巻七…16行。
  巻四…1丁~4丁は16行、以外は17行。
  巻五…IT~3丁は16行、以外は17行。          7
  巻六…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
  巻八…1丁~3丁は16行、以外は17行。
  巻九…1丁・2丁表・5丁裏・11丁裏・12丁表は16行、以外は17行。
  巻十…9丁・10丁表は16行、以外は17行。
  巻十一…1丁・2丁は16行、以外は17行。
  巻十二…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
字数  序…約24、25字。本文…約28字。跋…約27字。
句読点  なし。
挿絵  絵師…菱川吉兵衛(師宣)。
  巻一…見開き2図(7丁裏8丁表・11丁裏12丁表)。
  巻二…2図、内見開き1図(3丁裏・10丁裏11丁表)。
  巻三…見開き2図(4丁裏5丁表・9丁裏10丁表)。
  巻四…3図(3丁表・6丁表・10丁表)。
  巻五…3図(3丁表・5丁裏・10丁表)。
  巻六…3図(3丁表・5丁裏・9丁表)。
  巻七…3図(2丁表・5丁裏・8丁表)。
  巻八…3図(3丁表・7丁裏・10丁表)。
  巻九…3図、内見開き1図(3丁表・8丁裏・12丁裏13丁表)。
  巻十…4図、内見開き2図(3丁裏4丁表・7丁表・11丁裏12丁表・14丁
        裏裏)。
  巻十一…3図(2丁表・5丁裏・11丁表)。
  巻十二…3図(3丁表・5丁裏・8丁表)。
序跋  巻一の1丁・2丁に自序。巻十二の9丁裏・10丁表に自跋。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「         武州江戸之住 近行遠通撰之
    延宝五年丁巳 仲春日  同絵師 菱川吉兵衛
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋 喜右衛門板」
蔵書印・識語  「八文字屋蔵書之印」「掬雅」「好古癖」「寿」
   「臨風文庫」「アカキ」の朱印。他、朱印一顆。巻十二前表紙に白紙の
   帯が付けられ、ペン書にて、現所蔵者・横山重氏の次の識語がある。
   「145/○江戸雀の初印本(改装裏打本)/○再印本は左の赤字の部分を
   削りて印刷せり。/武州江戸之住 近行遠通撰之〔注、赤線で囲む〕/
   同〔注、赤線で囲む〕絵師 菱川吉兵衛」帙に原稿用紙が貼付されており、
   ペン書にて、横山重氏の次の識語がある。「○本書、改装本なれど、初印本
   なり。「近行遠通撰之」とあり。/再印本は此六字を削れり。世上にある本
   は多くこれなり。予、別/に二本を持てりしが、再印本のゆゑに、出しぬ。
   /○和田博士の古板地誌解題、長沢規矩也氏の江戸地誌解題等、/皆、再
   印本を出して、本書の撰者を師宣とす。/○一誠堂主人存命(昭和十五年
   春)中、本書を千円にて買へり。従/来、地誌の中で、八重桜に次ぐ本と
   されたりし本なり。霞亭の本/の評価(大正十三年)の時、次の如し。
   而して、入札には五割方高く/江戸すゝめ 一、〇五〇/名所八重桜 一、
   八八〇/葦分船 六三八/なりしが、此江戸すゝめは再印/本なりき。/
   2500」
その他  巻二の14丁裏~16丁表に錯簡がある。即ち、正しくは、14T裏は15
   丁裏へ、15丁表は16丁表へ、15丁裏は14丁裏へ、16丁表は15丁表へ、
   それぞれ入れるべきである・(なお、本影印では、右の如く訂正して複製し、
   この巻二の14・15・16丁の各版心を参考写真・15~17(初印本)、18~20
   (後印本)に掲げた。) 本文紙は、全冊に亙って総裏打ちされている。                

    二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I(三 HC は5)

表紙  砥粉色原表紙、縦271四ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦177ミリ×横39ミリ(巻一)。
   「江戸すゝめ 御城の始り 同大手口屋敷付 一」
   「江戸須々女 糀町番所筋 駿河台の分 二」
   「江戸雀 町中案内者 三」    
   「江戸寿々女 日本橋より 金杉迄の分 四」
   「江戸すゝめ 大芝の分 五」     
   「江戸須々女 赤坂四谷 市谷の分 六」
   「江戸雀 牛込の分 七」       
   「江戸寸々女 小石川の分 八」
   「江戸すゝめ 神田 九」      
   「江戸すゝめ 浅草の分 十」
   「江戸すヽめ 本庄の分 十一」   
   「江戸雀 本庄の分 十二」
柱刻  巻二の14丁~16丁は埋木。これは初印本の錯簡を正したため。巻十の
   8丁は「十ノ八九」とあり「九」は埋木。これは後印本が9丁を省いたた
   め。巻十の14丁が初印本は「十ノ十■」とあるが、後印本は「十ノ十四
   」と「四」を埋木して訂正。後印本は版心の上下の匡郭を大部分削ってい
   る。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
丁数  巻十は最終丁が「十ノ十七」とあっても、9丁を省いたため、実際は16
   丁。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
刊記 巻十二の10丁表に、           
   「          武州江戸之住
   延宝五年丁巳仲春日      絵師菱川吉兵衛
         江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」
蔵書印等  「松沢蔵書」「洒竹文庫」「古版地誌」の朱印。「松沢所蔵」「松沢」 
   「まつ沢」と墨書。
その他  巻二の14丁裏~16丁表の錯簡ぱ正されている。巻十の9丁は省かれ
   ている。初印本と後印本の間には異同がある。この異同については第三章
   を参照。

  三、後印本・〔二〕

3、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ

表紙  薄青味灰色原表紙。縦270ミリ×横190ミリ(巻一)。(本影印の前表紙
  は、本書の原表紙を以て補った。)
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、
  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが、巻四の左上部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「        武州江戸之住                              
   延宝五年丁巳仲 日    絵師 菱川吉兵衛      
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」(参考写真・27)
蔵書印等  「政」の黒印。「アカキ」の朱印。その他花押あり。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(83エ7)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
尾題  欠損のため巻二は「江戸すゝめ二巻目終」、巻六は「江戸すゝめ六巻羽終
   」とそれぞれ墨書。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「田村」の黒印。「京都帝国大学図書之印」「京大図/明治・三四・
   三・三〇・購入」の朱印。「17725」の青印。背の小口に「江戸雀 一 (~
   十二)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一の11丁
   の下部に破損あり。

5、 国立公文書館(内閣文庫)所蔵本(特122 9)

表紙  藍色原表紙、縦269ミリX横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じであるが、巻二、巻九は欠で剥落の跡のみ。巻五の
   下部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
列記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「仲 日」の部分が「仲夏日」とあり、「夏
   」は墨書にて補ったもの。
蔵書印  「石塚文庫」「豊芥(象の絵)」「待賈堂」「江戸四日市/古今珍書儈/
   達摩屋五一」「図書局文庫」「日本政府図書」「明治十六年購求」の朱印。そ
   の他黒印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻八の2丁
   と3丁は入れ替わっている。
 
 6、国立国会図書館所蔵本(京22)

表紙  後補万字つなぎ黄色表紙、縦263ミリ×横184ミリ(第一冊目)。
題簽  左肩に第一冊目は子持枠後補題簽で「江戸すゞめ 御城初 巻ノ一」(縦
   189ミリ×横41ミリ)と枠は版刷り、文字は墨書。第二冊目は巻二の、第
   三冊目は巻三の、第四冊目は巻四の、各原題簽を存す。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
冊数  四冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。第二冊…巻四・巻五・巻六。第三冊
   …巻七・巻八・巻九。第四冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。                             
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「西成文庫」「小沢文庫」「●原家蔵」「故●原芳埜納本」「東京図書館
   蔵」「帝国図書館蔵」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻十の11丁
   裏12丁表の挿絵は破り取られている。
 
 7、静嘉堂文庫所蔵本(18345/12/103・63)

表紙  後補藍色表紙、縦257ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に後補書題簽、縦138ミリ×横37ミリ(巻一)。「江戸雀」と墨書。
   以下、巻十二まで同じ。
尾題  巻五に「江戸雀五巻目終」と墨書で補う。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「一居蔵書」「藤井蔵書」「禁他貸」「柳はし/ふじゐ/藤吉」「静嘉堂
   珍蔵」の朱印。各巻前表紙見返しに、縦83ミリ×横65ミリの紙が貼付さ
   れ、青色印刷にて次の如くある。「藤井蔵書/読書心得之記/一可成丁寧ニ
   読ベキ事/一破損及塗黒スベカラズ/一又貸一切厳禁之事/一火ノ上ニテ
   必ズ読ベカラズ/一読書中中央迄読候節ハ必ズ栞ヲ入置ベシ決シテ本ヲ折
   ベカラズ/右之条々固ク相守可申者也/藤井氏蔵書」その他黒印一顆あり、
   上部が切断されている。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一・二・
   三・四・八・九・十・十一・十二の各巻は総裏打ちされている。巻五・六
   は各丁の中に間紙が入れられている。巻七は元のまま。巻二・三・四・八
   には乱丁があり、その順序は次の通り。
  巻ニ…1丁・2丁・6丁・7丁・8丁・15丁表14丁裏・9丁・10丁・11丁
    ・12丁・14丁表13丁裏・5丁・4丁・3丁・16丁表15丁裏・17丁表。
  巻三…1丁表巻二の16丁裏・2丁表IT裏・3丁表2丁裏・4丁・
    5丁表巻八の2丁裏・8丁表5丁裏・10丁・12丁・13丁。
  巻四…1丁・13丁・4丁・5丁・6丁・7丁・8丁・9丁・10丁・11丁・14
    丁。
  巻八…1丁・2丁表巻三の3丁裏・3丁・4丁・5丁・6丁・7丁8丁・9
    丁・10丁・11丁。
  巻二の13丁表、巻三の6丁・7丁・8丁裏・9丁・11丁、巻四の3丁・12
  丁は落丁。巻五の12丁表の終わりの2行は欠落しており、そこに「叉/花を
  見る人や不動のからしばり」と墨書で補っている。巻十一の8丁裏上部に破
  損あり。巻五・六・七以外の挿絵には彩色をしている。
 
 8、天理図書館所蔵本(291・1 イ1~12)

表紙  濃縹色原表紙、縦272ミリ×横194ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横37ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。   
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「熊本市上通二丁目/河嶋書店」「高木家蔵」「天理図書館蔵」「天理
   図書館」「天理図書館/昭和廿八年十月壱日/458601(~12)(青
   印)」の朱印。紙片が入っており、それに「24095/昭和22・9・13
   /寄贈中山正善氏/評価1200/高木文庫」とあり。巻十の17丁裏に「雀
   巻十」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻六・九の
   尾題の上部に破損あり。
 
 9、東京教育大学附属図書館所蔵本(ネ312 1)

表紙  砥粉色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦180ミリ×横39ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「牘庫」「東京師範学校図書印」「東京高等師範学校図書館印」の
   朱印。「高等師範学校図書/第三三七八号/一二冊(数字は墨書)」の黒印。
   「東京文理科大学/特別/図書」の茶色ラベル。巻十の11丁裏に白紙があ
   り。「絵入の江戸古版地誌として最も優れたものである。」と墨書。各巻
   下小口に「一 (~十二)江戸すゝめ」と墨書。その他朱印一顆。          
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。
 
 10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本(243 1~12)

表紙  後補藍色表紙、縦262ミリ×横188ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦186ミリx横36ミリ(巻一)。「江戸雀 一
   (二・三・四・八・九・十・十二)」「江戸すゝめ 五(六・十一)」「江戸
   すゝ目 七」文字は墨書。
尾題  巻八・九は欠損。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「時習館蔵書之印記」「佐久間」「佐久間図書印」「中川氏蔵」「加
   賀文庫」「東京都立図書館蔵書」の朱印。「東京都立日比谷図書館/104682
   (~93)/昭28・1・10和」の黒印。「延宝五季秋五口 政武〔印〕」「政
   武〔印〕」と墨書・黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻五に欠
   損あり、欠損部分は版本に忠実に補筆されているが、振り仮名はほとんど
   省略されている。

  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ(三複HC は5)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、巻一は子持枠後補題簽、縦182ミリ×横39ミリ 「江戸雀 御
   城之初並 年中規式之分 一」と墨書。巻二以下は子持枠原題簽、体裁その 
   他、東洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。部分的に破損あり。
蔵書印  「芋芊苑文庫」「雲邨文庫」の朱印、その他朱印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 以上、各版本の略書誌を記したが、この中では。赤木文庫Ⅰ本のみが初印本で、他は後印本である。初印本と後印本の著しい相違点は、初印本には巻二の14丁裏~16丁表に錯簡があるが、後印本は訂正していること、後印本は巻十の9丁を省略していること、初印本にみられる著者名「近行遠通」を後印本は削除していること、等である。その他、初印本・後印本間には、かなりの本文異同があるが、この異同については、後にやや詳しく述べたい。後印本・〔一〕(東洋文庫Ⅰ本)と後印本・〔二〕の相違は、刊年記の部分で〔一〕が「仲春日」とあるのに対し、〔二〕は「春」を削除していること、本文中で二箇所の異同があること、の二点であり、刷りは〔一〕の方が早いが、同系統の本文であると言い得る。刊行者・鶴屋喜右衛門は、井上和雄氏の『慶長以来書賈集覧』に、
「同(鶴屋)喜右衛門 小林氏 仙鶴堂 延宝―明治 江戸大伝馬三丁目、後通油町 按に京都鶴屋の支店なりしものゝ如し、当時江戸地本問屋として錦絵草双子類の大版元なり其全盛を極めたること他に比類無かりしとぞ江戸名所図会巻一に其の店を写したる図あり」
とあり、『心学男女鑑』(延宝三年)、『秀平五代記』(正徳六年)、『西海軍記』(享保八年)、『骨董集』(文化十一、二年)等を刊行している。

                               
 四 写 本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本(J30 751)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦272ミリ×横190ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽、縦192ミリ×横36ミリ(第一冊)。「江戸すゝめ 一之
   二(三之四・五之六・七之八・九之十・十一之十二終)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  共に赤本文庫本・Ⅱと同じであるが振り仮名は省
   略されている。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点 なし。             
挿絵  枚数・順序等、赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹
   木等は省略したものがある。また、巻三の第1図「さかい町」、同第2図「日
   本ばし」等の如く、絵の中の説明を省略したものや、巻五の第3図「めく
   ろふどう」→「目黒不動」の如くその表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「南葵文庫」の朱印。「南葵文庫/購入/古本/紀元二千五百六十三年
   /明治三十六年十二月廿一日」の紫印。「東京帝国大学図書印」の朱印。
   「B43351」の青印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻四の5丁・
   6丁が入れ替わっている。巻五の4丁が落丁。後印本を忠実に書写してお
   り、行数・字詰まで、ほとんど同じである。ただし、振り仮名は大部分省
   略しており、「介→助」、「は→ハ」、「あたり→当り」の如き異同はある。
 
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本(020 6 貴重書)

装訂  袋綴、大本。
表紙  葡萄模様銀色表紙、縦271ミリx横189ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽(薄縹色絹目紙)、縦190ミリ×横37ミリ(第一冊)。
   「江戸雀 一 四(五 八・九 十二/尾)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは203ミリ前後。        
序題・目録題  なし。(序・目録全体を省略している。)    
内題  各巻頭に、
   「江戸雀初巻」「江戸雀二巻」「江戸雀三巻」「江戸雀四巻目」「江戸雀五巻
   /従御城南の方」「江戸雀六巻/従御城西の方」「江戸雀七巻/従御城西北
   のすみ」「江戸雀八巻/従御城北の方」「江戸雀九巻/従御城北の方 小石
   川より ひかしつゝき」「江戸雀十巻目/従御城北ひし方 あさくさ見つけ
   はひかしにあたれり」「江戸雀十一巻目/従御城東の方 両国はしより北本
   庄分」「江戸雀十二巻目/従御城東の方南本所の分」
尾題  各巻末に「江戸雀初巻(~十一巻)終」。巻十二はなし。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  三冊。第一冊…巻一~巻四。第二冊…巻五~巻八。第三冊…巻九~巻十
   二。
丁数  巻一…13丁。巻ニ…23丁半。巻三…14丁。巻四…12丁。巻五…13丁。
   巻六…17丁。巻七…14丁。巻八…15丁。巻九…26丁。巻十…19丁。巻十
   一…13丁。巻十二…13丁半。
行数  毎半葉11行。
字数  一行約26字。
句読点  なし。
挿絵  全般的に構図は版本と同様であるが、人物や樹木等を省略したものがあ
   る。巻十の第4図、巻十二の第1図を省略している。巻一の第2図に接続
   して、巻四の第3図「愛宕さん」を入れている。巻五の第2図「池上本門
   寺」と第3図「めぐろふどう」を入れ替えて、接続して掲げている。巻十
   の第2図「こまがたどう」と第3図「よしはら」を入れ替えて、接続して
   掲げている。巻十一の第2図「角田川」を「梅わか」、第3図「むゑんじ
   」を「ゑかう院」とそれぞれ説明を改めている。その他、巻十の第1図「あ
   さ草観音堂」の如く絵の中の説明文を省略したものや。巻四の第2図「ひゞ
   やしんめい」→「日比谷神明」の如く説明の表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「大礼記念図書」「東京誌料 日比谷図書館」「日比谷図書館購求/10・
   8・6」の朱印。「5031」の青印。「東京都立日比谷図書館・東京誌料/27876
   (~8)/昭34・1・26和」の黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。序・目録は
   すべて省略されている。巻二「永田山 山王権現之事」の26行を約2行に、
   巻四「芝 三縁山 増上寺」の37行を約1行に簡略化している。この如く、
   寺社・名所等に関して説明した部分や古歌等は、全般的に省いたり、簡略
   化したりしている。その他、振り仮名は大部分省き、「そのゝち→其後」「よ
   つや→四ッ谷」等の異同がある。後印本の臨写本と思われるが、書写は忠
   実ではない。

3、 東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本(狩3 7297 6)

装訂  袋綴、半紙本。                     
表紙  紅葉模様焦茶色表紙、縦235ミリ×横167ミリ(第一冊)。
題簽  題簽は無く、左肩に「江戸雀一 二(~十ー 十二)  一 (~六)
   」と墨書。
匡郭  なし。一行の字の高さは200ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀 序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ四巻目
   終」 巻六・巻七・巻八の尾題なし。「江戸雀十巻目 従御城北東の方 あ
   さくさ見付は 東にあたけり」「江戸すゞめ十巻目終」巻十一の尾題なし。
   以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数  巻一…20丁。巻ニ…32丁。巻三…21丁。巻四…26丁。巻五…20丁。巻
   六…20丁。巻七…18丁。巻八…19丁。巻九…35丁。巻十…28丁。巻十一
   …27丁。巻十二…18丁(内、1丁は識語)。
行数  毎半葉10行。
字数  一行24・25字前後。
句読点  なし。
挿絵  なし。
刊記  巻十二の17丁に、「延宝五年丁巳仲 日/江戸大伝馬三丁目」とあり、
   下の絵師名・書肆名があったと思われる部分が破り取られている。本文内
   に挿絵が無いところから、何人かが、絵師名等を削除したものと思われる。                 
蔵書印・識語  「誉田之蔵」「狩野氏図書記」「東北帝国大学図書印」「荒井泰治
   氏ノ寄附金ヲ/以テ購入セル文学博士/狩野亨吉氏旧蔵書」の朱印。巻十
   二最終丁裏に、「壱 二月廿四日写/二 同廿五日写/三 同せ廿五六日写
   /四 同廿六七日写/五 同廿八日三月九日夜 同十日夜同十一日朝写/
   六 同十一二日写/七 同十三四日写/八 同十四五日写/九 同十七廿
   日写/十 同廿二三日写/十一 十六十七日写/十二 同十六日写」と墨
   書。下小口に「江戸雀 一 (~六)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、「あいおひ橋→相生橋」「おしへず→をしへず」の如き異
   同はあるが、かなり忠実に後印本を書写している。
 
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本(貴14 51)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦277ミリ×横192ミリ(第一冊)。
題簽  なし。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ弐巻目終
   」以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九。第六冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点  なし。
挿絵  枚数・順序等赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹木
   等は省略したものがある。巻五の第1図「芝大ほとけ」、巻六の第2図「赤
   坂田町」の各説明を省いている。
刊記  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが「鶴屋 喜右衛門板」の「鶴屋」の2字
   が欠。
蔵書印  「狂哥堂文庫」「岩瀬文庫」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、巻二16丁裏2行目「須田町近道有近藤」の8字、巻四9丁
   表1行目「此所の石たん六十八有」の10字等の如く欠字となっている所も
   あるが、全般的に、各丁とも行どり、字詰など、版本と同じで、後印本を
   忠実に書写している。

 現存の写本は以上の四点であるが、いずれも版本の転写本であり、本文の異同関係から考えて、後印本の写しであると判断される。この内、岩瀬文庫本の刊年記には「仲春日」と「春」が入っているので、これは後印本・〔一〕の写しであろうと思われる。また、南葵文庫本と加賀文庫本は共に書肆の住所「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の二字を省いており、この二本が同系統の写本である事を推測させるが、殊に南葵文庫本の書写が版本に忠実あるところから考えて、あるいはこのような刊記を有する後印本があったのかも知れない。

 以上、『江戸雀』諸本の調査結果を簡単に記したが、この外、調査し得なかったものが三点ある。お茶の水図書館(成簣堂文庫)所蔵本は江戸期の所蔵本所蔵本が未整理との事で、東京国立博物館の所蔵本は館内改造工事の故に、平井隆太郎氏所蔵本は種々の事情の故に、それぞれ閲覧する事が出来なかった。なお、東京国立博物館の所蔵本が後印本である事は朝倉治彦氏によって明らかにされている(『新訂増補 古版地誌解題』)。さらに、岡山県総合文化センターの所蔵本は戦災によって焼失したこと、宮城県立図書館・伊達文庫には所蔵されていない事を、それぞれ確認した。

 尊経閣文庫 には、写本『江戸すゝめ』が所蔵されているが、これぱ別本である。袋綴、横小本、黒色表紙、三巻、全342丁、題簽「江戸すゝめ 上(中・下)巻」、蔵書印「誉田之蔵」「前田氏尊経閣図書記」。上巻巻頭に目録がある。「目録/一江戸四里四方の事/一御見附の事/一御大名の事/一御役御屋敷の事/一神社仏閣の事/一寺々の事/一町の事/一名主の事/一橋の部/一坂の部/一ほりの部/一原の部/馬場の部…」等とあり、これらの内容を、上・中巻に、いろは別に分類して収録している。下巻には「上野寛永寺辺」等の地図三葉と「町方名主支配之部/御府内年中行事/七福神/海中名所/五八景之部/御前町之部…」等を収めている。この写本の書写年代は大尾に「享保十一年十一月写畢」とある事によって推察される。第一蔵書印「誉田之蔵」が、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵の『江戸雀』に存するものと同じ朱印である事は注意すべきである。 

          
三、初印本と後印本の本文異同について

 『江戸雀』の初印本(赤木文庫・Ⅰ本)と後印本・〔Ⅰ〕(赤本文庫・Ⅱ本)とを対校した結果は次の通りである。なお、本来ならば、まず初印本と後印本・〔Ⅰ〕とを対校すべきであるが、原本の所在等種々の事情から、後印本・〔Ⅱ〕と対校した。ただ。後印本・〔Ⅰ〕と同・〔Ⅱ〕との異同が極めて少ないので、この事に問題はないと思う。(上が初印本、下が後印本・〔Ⅱ〕。省略したものは「ナシ」とした。)

 〔1〕巻一 1丁表7行……はんさい万歳→はんせい万歳 (参考写真・13)
 〔2〕巻一 1丁裏8行……ふ ゑ武江→ふ かう武江
 〔3〕巻一 1丁裏10行……しやうと唱斜→しやうと唱斜
     左振仮名 すしかゆ→すしかゆかみ          
 〔4〕巻一 3丁表4行……せ かめはし銭亀橋→せにかめはし銭亀橋
 〔5〕巻一 4丁表15行……い し築地→つい し築地
 〔6〕巻一 7丁表11行……攻落して→入かはりて (参与写真・14)
 〔7〕巻一 7丁表12行……めつばう滅亡す故に→ナシ   (参与写真・14)
 〔8〕巻一 8丁裏14行……諸事諸山→諸寺諸山
 〔9〕巻一 9丁裏9行……至り↓ナシ
 〔10〕巻二 10丁表15行……口まへの→前の  (初印本の1字不明瞭)
 〔11〕巻二 14丁裏→15丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔12〕巻二 15丁表→16丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔13〕巻二 15丁裏→14丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔14〕巻二 16丁表→15丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔15〕巻三 6丁表8行……はたふたい舞台→ふ たい舞台
 〔16〕巻三 9丁表1行……▲一戸越→ナシ   (参考写真・21)
 〔17〕巻五 4丁裏14行……照ゑい栄口→照ゑい栄坊  (初印本の1字不明瞭)
 〔18〕巻九 12丁表14行……行の頭に文字の部分の如き跡あり→ナシ
                        (参考写真・22)
 〔19〕巻十 8丁裏16行……「さはいひなから」より10丁表3行まで→ナシ
             (参考写真・23~25)
 〔20〕巻十一 13丁裏7行……浅草に→ナシ
 〔21〕巻十二 9丁裏7行……この1行全体にナシ  (参考写真・26)
 〔22〕巻十二 10丁表13行……近行遠通撰之→ナシ (参考写真・27)
 〔23〕巻十二 10丁表14行……春→ナシ      (参考写真・27)
 〔24〕巻十二 10丁表14行……同→ナシ      (参考写真・27)

 右の異同の内、〔1〕・〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔8〕・〔10〕・〔15〕・〔17〕などは、初印本の誤りを後印本が訂正したもの。〔6〕・〔7〕は、この前後の文章を、寛文二年の『江戸名所記』の「……管領上杉修理大夫朝興この城にありしを、大永年中に北条氏綱にせめおとされ、……天正十八年七月六日小田原没落して、氏直めつばうせられしよりこのかた……」から得たもののようであるが、「攻落して」「滅亡す」という、初印本のやや殺伐とした表現を後印本は改めたのではないかと思われる。〔11〕・〔12〕・〔13〕・〔14〕は初印本の錯簡を後印本が正したものであるが、これは版下作成の過程生じた誤りであろう。〔9〕・〔16〕・〔18〕・〔19〕・〔20〕〔21〕・〔22〕・〔23〕・〔24〕は、いずれも後印本が初印本の文字・文章等を省略したものである。〔9〕は「東の方は八町堀に至り木挽町鉄炮津女木三谷霊巌嶋にいたり」とあり、「至り」「いたり」と重複するため、前の「至り」を省いたのであろうか。〔16〕は9丁表1行目の見出し「▲戸越」を後印本が除いているのであるが、この項は江戸橋、戸越橋、材木町、北八町堀辺の記述であるため「戸越」では誤りである。そこで削除したものと思うが、そのためにこの丁は1・2行が空白となってしまった。あるいは、版下段階では、戸越橋辺についての、さらに詳しい見出しがあったのかも知れない。それを何等かの理由(例えば重複など)で「▲戸越」のみを残して印刷したのが初印本で、さらにそれを削ったのが後印本ではなかろうか。ただし、この異同は次の〔18〕と共に考える必要がある。〔18〕は初印本では、行の頭に文字の部分の如き跡があるが、それを後印本は削除している。そのため、この行は二字さがりとなってしまった。幸い後続の文章は意味が通じるため問題はないが、あるいは、この都分は、版下段階では、例えば「とて」のような語があり、版木に彫りつける段階、またぱ数部印刷の後に欠損が生じたものであろうか。もしそうであるとすると、初印本(本書の底本)より、さらに早い刷りの版本があった可能性もある。その点で、〔16〕・〔18〕の二つの異同は注意すべきものと思う。〔19〕は後印本が省略したものの内、最大のもので、8丁裏から10丁表に亙る、全36行と9字分を省いている。したがって9丁は無く、8丁の柱に「十ノハ九」と「九」を埋木している。この部分は、延宝四年十二月(『武江年表』は十一月)七日に起こった吉原の火事についての記述であるが、後印本は8丁裏に1行、10丁表に3行の空白まで残して、何故に削除したのであろうか。「去年の冬」の火事の記述なので、刊行日と時間的に矛盾が生じたためか。「繁栄之所に有失火といへるたぐひ多」という表現が、あまり穏やかでないためか。あるいは、その描写に品位を損うものがあると考えたからか。理由は判然としないが、その内容に何か不都合が生じたために、この不体裁をも省みず、削除したのであろう。次に〔20〕であるが、この前後の文章は万治四年刊行の『むさしあぶみ』に拠っていると思われる。「江戸中にありとあらゆる橋々六十个所。此うち浅草橋と一石橋一つ。すなはち其橋もと後藤源左衛門といふものゝ家ばかり。江戸中の名残に只ひとつ焼残る。」(下巻)この「浅草橋」を「浅草に」と誤写してしまったらしい。そこで後印本は「浅草橋」と訂正すべきところを削って済ませたのであろう。〔21〕の1行削除は、自序の「是智有人の見るべき物にあらず。」ともしっくりせず、また「上つかた」に対する、憚りのためであったかも知れない。〔22〕・〔24〕は著者名の削除という重大な異同であるが、その理由は今即断できない。次章でやや詳しく述べたいと思う。〔23〕は「仲春日」の「春」を削っているが、これは後印本・〔Ⅱ〕の刊行時期が春以外であったためであろう。         
  以上、初印本と後印本・〔Ⅱ〕との異同について述べたが、後印本〔Ⅰ〕は
 右の異同の内、〔15〕・16〕・〔23〕の三箇所のみが初印本と同じである。したが
って、初印本から後印本・〔Ⅰ〕の段階で、右の大部分を改め、後印本・〔Ⅰ〕から同・〔Ⅱ〕の段階で〔15〕・〔16〕・〔23〕を改めたということになる。   
 さて、右の異同全体をながめると、いずれも後印本が初印本の誤りを訂正したり、不都合の部分を改めたりしているのであり、これらの異同関係から考えても、諸本の印刷の先後は明らかである・そして、後印本の初印本に対する改訂の態度には極めて積極的なものがあり。殊に〔6〕・〔7〕・〔19〕・〔21〕には、何か現実社会への憚りの如きものが感じられもする。〔22〕・〔24〕の著者名削除と共に、著者自身の手によって、これらの訂正・削除等はなされたのではないかと思われるのである。

  四、著者・近行遠通について
  

 『江戸雀』の著者について、近世文芸叢書(明治43年7月)・江戸叢書(大正5年10月)・日本随筆大成(昭和3年9月)の各解題は「著者詳ならず」「作者詳ならず、」「著者不詳」とされたが、和田万吉氏『古版地誌解題』(大正5年4月)(注2)・高木利太氏『家蔵日本地誌目録』(昭和2年11月)・長澤規矩也氏『江戸地誌解説稿』(昭和7年11月)・丸山季夫氏、復刊日本随筆大成解題(昭和49年4月)はいずれも、著者・絵師共に菱川師宣(吉兵衛)の名を掲げておられる。
 これは、右の諸氏が使用された原本が、すべて後印本であった事に主たる原因があるものと思われる。
                              
 「武州江戸之住 近行遠通撰之   → 「武州江戸之住        
      同絵師 菱川吉兵衛」          絵師 菱川吉兵衛」 

初印本・刊記の著者及び絵師の部分は右の如くなっているが、後印本では「近行遠通撰之」の七字を削除している。後印本のこの部分を絵師名のみの表示と解釈すれば、近世文芸叢書等の如く、著者は未詳となる。また、和田万吉氏等の如く、絵師である菱川吉兵衛が同時に著者である、と解する事もできない事はない。
 『江戸雀』を最初に記載した書籍目録は、江戸日本橋の山田喜兵衛が天和元年春に刊行した『書籍目録大全』であり、同目録には、
  「十二 江戸すゝめ 江戸板 拾匁」
とあるが、著者名は入っていない。『江戸名所記』『京雀』『京童』等の如く著者名の入っている作品が少なくないところから推測すると、刊行四年後のこの時点で、すでに初印本は姿を消し、後印本が出回っていたのかも知れない。それが近代にまで尾を引き。著者未詳あるいは「菱川師宣撰並画」説として現在に至ったとも言える。

 『江戸雀』の著者が近行遠通である事を明確にされたのは、横山重氏である。氏の「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」及び「遠近道印について」(注3)の二つの論考は、江戸図の歴史上重要な足跡を残した、遠近道印に関して詳細な考察を加えられたものであるが、そこで、
 「古板地誌の「江戸雀」は、その他の類本と性格を異にして、方角と道程を詳記してあり、諸侯や旗下の第宅や、大路や小巷も、悉く撰者自身の踏査を経ていて。算数的な記述が多い。…(中略)…   
 それで和田博士も、撰者を師宣としているから、「著者が後素(絵画)以外に算勘の業を好みしを想ふべし。」と言っている。
 そんなわけで、わたしは、江戸雀の「近行遠通」という替名は、寛文の五枚図の「遠近道印」と同一人と思い付いたのである。遠近道印も替名であろう。どちらも替名であるが、その替名の字面に共通なものがある上に、地誌と地図の差はあっても、その地理学に対する態度にも、共通の科学性があるからである。」 (「遠近道印について」)
 と、本書の著者・近行遠通は、江戸図の権威・遠近道印と同一人である、という説を出された。
 衆知の如く、遠近道印は寛文十年十二月に刊行された。『新板 江戸大絵図 本』(参考写真・28~30)をはじめとする、いわゆる寛文五枚図(十三年二月完結)の作者であり、以後、
 ○新板 江戸大絵図 延宝四年三月/遠近道印作/経師屋加兵衛刊
 ○分間江戸大絵図 元禄二年初夏/図翁遠近道印作/板木屋七郎兵衛刊
○ 東海道分間絵図 元禄三年孟春/作者遠近道印/絵師菱河吉兵衛/板木屋七
 郎兵衛刊(参考写真・31~35)
○ 改撰 江戸大絵図 元禄九年正月/遠近道印作/板屋弥兵衛刊(参考写真・36
 ~41)
等の地図を作っている。さらに、延宝八年一月には『江戸方角安見図』が表紙屋市郎兵衛から刊行され、これには作者名は無いが、その内容から考えて、遠近道印の作と判断される。            
 右の如く遠近道印は元禄三年に『東海道分間絵図』を作っているが、その絵師は菱河吉兵衛であり、この両者の組合せは『江戸雀』の組合せと相通じるものがある。横山氏の、近行遠通・遠近道印同一人説は真実を衝いたもののように思う。なお、丸山季夫氏は、複刊日本随筆大成の解題(昭和49年4月)で「旧本に近行道通撰と見えるが、静嘉堂の「東海道分間絵図」五巻末に遠近道人の名が見え、絵師菱川師宣、板木屋七郎兵衛とあるところから推すに、これも師宣のこの書に際しての筆名と思われる。」と、近行遠通、遠近(ママ)道人共に菱川師宣の筆名としておられるが、これは誤りであろうと思う。遠近道印と菱河吉兵衛が別人なることは『東海道分間絵図』の序・跋の内容からみても明らかである。
 さて、それでは、遠近道印は何故、延宝五年の『江戸雀』で別名・近行遠通を使ったのであろうか。また、延宝八年の『江戸方角安見図』に何故著者名を記さなかったのであろうか。この間の事情について、横山氏は次の如く説いておられる。

 「この絵図〔延宝四年刊『新板 江戸大絵図』〕には凡例というべき五項の識語
 を印刷してある。それによると、昨年(延宝三年)一分十間の一枚図を刊行し
 たが、それは、自分の寛文の五枚図を模した一枚図が出版(中村版を指す)さ
 れて、方角や寸法に間違いが多いから、正確な一分十間図を出したのだとある。
  元来、一分五間の寛文の五枚図は、公儀に訴訟して板行したものであるから、
 類版を出してはならぬと誌したのであるが、すでに模作の類版(別版)が出版
 されているから.重ねて訴訟して、その決定を見るまで、この一分十間図を重
 版するのだと誌している。
  遠近道印の当局に対する訴訟は取り上げられなかったらしい。
  …(中略)…
  延宝三年と四年に、当局に訴訟しながら、一分十間の地図を出した後、しば
 らく韜晦していたらしい遠近道印である。それは江戸雀で「近行遠通」と名乗
 り、延宝八年の「江戸方角安見図」という、乾坤二冊、大々形八十枚もある大
 作を出して、作者名を誌していない点からそう考える。…(中略)…
  しかし、なに故に、〔『江戸方角安見図』に〕作者の名を記さないのであろう
 か。これより前、江戸雀を上梓した時は、特に「近行遠通」という替名を用い
 たのも不思議であるが、江戸雀を重刷する時には、その替名さえ削除している。
 これは、遠近道印に、何か他に憚るところがあって、特に替名を用いたり、後
 にそれさえ削除したり、叉は無署名で大作を出したりせざるを得ない事情があ
 ったのではないかと想像される。
  それは或は、寛文十年の「江戸大絵図」の本(府内)図にあるのではないか。
 城内を図示することは禁制である。が、内濠の外を明示すれば、城内の方角地
 坪もおのずから明らかになる点が、当局の忌むところとなったかも知れない。
 …(略)…」(「遠近道印について」)

 横山氏のこの説に拠りながら考えると、『江戸雀』の初印本に訂正を加え、さらに著者名を削除したのは著者自身であった。という推測も素直に理解されるように思われる。

 遠近道印は、前述の如く秀れた江戸図の作者として、その名を後世に残したが、これが何人の筆名であるかは、今即断できない。これまで出された諸説をここで紹介する紙数はないが、その中で最も妥当と思われる、藤井半知説を簡単に紹介したいと思う。これは、主として秋岡武次郎氏の説くところであるが、氏は「地図家遠近道印の本名藤井半知について」(注4)において、金沢藩主・五代綱紀に仕えた兵法家・有沢永貞の子・武貞の著す『町見便蒙抄』及び『加州金沢町割之図』の記事から、永貞が測量術を学んだのが、図翁・遠近道印であり、本名は藤井半知といい、越中富山の小臣であった事を発見された。また、この藤井半知説を支えるものに、昭和十二年六月金沢市で発行された、田中鈇吉氏『改訂増補 郷土数学』中の記述がある。これは、あまり知られていないので、次に掲げる。

 「図翁遠近道印 越中富山に藤井半智あり。地理に精し。自ら遠近道印ど称す。元は江都の書林にて寛文十年十二月江戸絵図を板行す。…(中略)…然るに之れに依って城内の広袤余りに判然たるを以て幕吏の忌避する所となり、危害の身に及ぶを恐れ遁れて富山に隠れ、普泉寺(富山寺とも書く)前に住みしと云ふ。
 加賀藩兵学者有沢永貞(其祖は越中の人)氏は、天和貞享の頃江戸にあつて兵学に長じ、城繩において名声高く、傍ら地理を道印に学ふ。之れ道印の富山に遁れたる所以なり。
道印は其他三海道(東海中仙北陸)の図及び駿府の図をも製したりと伝ふ。墓は大法寺にあり。維新の頃までは其遺法を伝へたる同地兵学家安達氏は先師の恩を感謝し、于蘭盆には献燈供養参拝を怠らざりしと諸芸雑誌に見ゆ。            
 然るに余は昭和十一年五月同寺を訪ねしに、其後無縁墓を整理せしため今は遺跡なく、且つ同寺は文久年間火災に罹り記録を焼失し、従って道印の死去年号諡号等不明に終る。名士の遺蹟尋ねべきなく痛嘆に堪へず。
 道印遺法は次の如く伝はる。

           金沢   富山   富山   ★系図は原本参照
 有沢永貞―有沢武貞―有沢貞幹―安達弼亮―安達淳直
     ―有沢致貞

 道印が其邸の南西隅に植ゑ置きし榎の大樹は、安永年間までも存せしと云ふ。
 之れにつき富山市西町菓子商高木加月堂(今はなし)主人の口上あり。
 とみ山の県の由緒深富山寺(普泉寺に同じ)御堂宇の片ほとりに其頃名高き道
 印御大人が記念とて楓(榎樹ともいふ何れか)を手植せし時後の世までも錦を
 かざれよとて餅を搗きて祝ひしを鹿の子餅と名つけしとぞなん。
 安永の頃いかゞしけん後かたもなくうせければ誠に御大人の効ほしを後の代ま
 でも伝へんとて其名も香しき鹿の子餅を売拡めしにかしこくも雲の上まで聞し
 召されて御買上の御光栄を頂きし嬉しさに猶ひとしほの精撰して拡く御すゝめ
 申す事になん。
   大正二年                      高木加月堂」
 
 『町見便蒙抄』では「越中富山ノ小臣」としているのに対し、田中鈇吉氏は「元は江都の書林」(『諸芸雑誌』に拠ったか?)としておられるように、藤井半知の出自については両者に相違があるし、この説以外の諸説に見るべきものが無いわけではない。ただ、現在までの研究では、ここに掲げた藤井半知説が最も妥当と思われるのである。
 『江戸雀』の著者・近行遠通=江戸図の権威・遠近道印=藤井半知という図式が出来上がったが、これらは、横山重氏・秋岡武次郎氏・田中鈇吉氏等諸先学の研究・調査を紹介させて頂いたにすぎない。遠近道印が署名の下に常に記した花押を徹底的に調査する時、道印その人の実体がさらに明らかになるものと思うが、この解題でそれをなし得なかった事を残念に思っている。

注1 当時の書籍目録については、慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編の『江戸
  時代書林出版書籍目録集成』に拠った。
注2 昭和49年7月発行の『新訂増補 古版地誌解題』で朝倉治彦氏は「江戸雀
  十二冊、絵入、近行遠通、師宣絵」としておられる。
注3 「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」は『新文明』昭和34年6・7・
  9・10月号に「書物捜索 〔61〕~〔64〕」として発表。「遠近道印について
  」は『日本天文研究会報文』第5巻第1号(昭和46年)の神田茂喜寿記念論
  集に発表。
注4 昭和36年3月発行の『辻村太郎先生古稀記念地理学論文集』に発表。

 付 記

『江戸雀』の解題をまとめるにあたって、
 横山重先生は、この解題担当の機会を与えて下さったのみならず、貴重な御所蔵本(初印本)を底本として使用することを御許可下さり、さらに後印本と共に長期間に亙る借覧をお許し下さいました。両本の対校は言うまでもなく、諸本調査にまで活用させて頂くことができました。この解題が一応のまとまりを得たのも、横山先生の全面的な御指導があったからだと思います。
 前田金五郎先生には、何かにつけて多大の御指導を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、秋山虔。金子和正、佐竹昭広、冲田祝夫の諸先生に身に余る御高配と有益な御教示を賜り、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立公文書館、国立国会図書館、静嘉堂文庫、尊経閣文庫、天理図書館、東京教育大学附属図書館、東京大学附属図書館、東京都立中央図書館、東北大学附属図書館、東洋文庫、西尾市立図書館の御世話になりました。
 ここに記して、深甚の謝意を表します。
 なお、未調査本・三点につきましては、今後機会をみて閲覧させて頂き、正確を期したいと思います。また、『江戸雀』の著者・近行遠通についても、横山先生はじめ諸先学の御説を紹介させて頂くにとどまりましたが、今後さらに調査を重ね、不明の点を解明してゆきたいと念じております。 昭和五十年八月十二日

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【追記】

 昭和50年というと、40年前である。当時の、私は、浅井了意の『可笑記評判』・『浮世物語』、井原西鶴の『新可笑記』、如儡子の『可笑記』の諸本調査・『可笑記大成』、井関隆子の日記の本文校注等々、を進めており、大多忙の時だった。
そのような、状況の中で、横山重先生から、『江戸雀』の調査・解説を命じられたのである。私としては、全力を尽くして取り組んだが、これで、満足していた訳ではない。もっと、もっと、詰める自信はあった。しかし、時間的に不可能だったのである。それは、今も、残念に思うし、横山先生に申し訳ないと思っている。
 それに、本書は、法政大学での恩師、長澤規矩也先生との関係もあって、厳しい2年間を過ごした。研究者としても、人間としても、その姿勢が問われたものと、今、思っている。私は、ギリギリのところで行動した。
 本書刊行後、両先生とも、御了解下さったのか、その後も、温かく御指導を賜った。心から感謝申上げている。

 横山重先生は、昭和55年10月8日、御他界なされた。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
 長澤規矩也先生は、昭和55年11月21日、御他界なされた。私は、表章先生と、長澤先生の骨揚げをさせて頂いた。

                        平成28年11月28日
                               深沢秋男
  

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

仮名草子関係書・解説

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―  昭和49年4月30日,笠間書院発行。(田中伸・深沢秋男・小川武彦 編著) 11000円。第1編 本文・校異,第2編 万治2年版挿絵について,第3編 『可笑記』の研究。文部省助成出版。

可笑記大成 目次

第一編 本文・校異
第二編 万治版挿絵について
第三編 「可笑記」の研究
●第一章 底本書誌解題と諸本調報告
●第二章 校異による本文異同の考察
泰三章「可笑記」の成立と書名
 第四章 作者如儡子について
 第五章 「可笑記」の内容 
 第六章 「徒然草」と「甲陽車鑑」の受容について
あとがき

●この内、私が執筆したのは、第三編の第一章と第二章である。

第三編 底本書誌解題と諸本調報告

第一章 底本書誌解題と諸本調報告

 底本書誌解題
 ここに影印複製したのは「可笑記」の本文として最も秀れていると判断される、寛永十九年版十一行本である。底本には原題簽を有する良本・小川武彦氏所蔵本を使用したが、その書誌は次の通りである。
所蔵者 小川武彦氏
表紙 藍色元表紙、雷文つなぎ蓮華模様、縦二七五ミリ×横一八六ミ
  リ(第一冊目)。各巻表紙の藍色の表面紙は、和刻本漢籍の零葉
  と思われる紙を使用している。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記一(~五)」縦一六八ミリ×横三
  五ミリ(巻一)。巻二の下部に欠損あり。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二二〇ミリ×横一五七ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(五十四)
   巻二(可笑記巻ニ ー(五十八)」
   巻三(可笑記巻三 ー(五十四)」
   巻四「可笑記巻四 一(五十九」」
   巻五{可笑記巻五 一(八十五)」
  版心は半黒口、魚尾花紋。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…54丁、巻二…58丁、巻二…54丁、巻四…59丁、巻五
  …85丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行、本文…11行、あとがき…10行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (巻三の6段は欠)。
句読点 無し。
奥書 巻五の85丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
  之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の85丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印・識語 「尾州名古屋/本町九町目/本屋久兵衛」「青谿書屋
  」「赤木山」「アカキ」の朱印。巻一の52丁裏5行目「もろこし
  には龍蓬比干伯夷叔斉ごししよわが朝」の上欄に墨書にて「伍し
  しよどふ/して伯夷の下に/列ならんや伍/子しよは大悪無/道
  也」と書入れあり。白紙に小川武彦氏の次の識語がある「大島雅
  太郎旧蔵本『青谿書屋』蔵印」。

     諸本について

 現在伝わる『可笑記』の諸本の全貌を明らかにしたのは『国書総目録』(昭和39年)であり、そこには四十六点が掲げられている。
 私はこの『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、現在までに六十余点を見る事ができたが、これらの諸本は、
次の四種に分類する事ができると思う。
 I、寛永十九年版十一行本
 2、寛永十九年版十二行本
 3、無刊記本
 4、万治二年版絵入本
 これら諸本の調査結果は『文学研究』第二十八号・第三十号(昭和43年12月・昭和44年12月)に発表したので、ここでは、影印・校異の底本として使用したものの書誌を記し、他の諸本は、その所在を記すにとどめたい。

一、 寛永十九年版十一行本

 九州大学国語学国文学研究室
 京都大学附属図書館・Ⅰ
 京都大学附属図書館・Ⅱ
 桜山文庫(鹿島則幸氏)
 大東急記念文庫
 台湾大学図書館
 東京大学教養学部第一研究室
 東京大学附属図書館
 内閣文庫
 平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)
 横山重氏・赤木文庫
 早稲田大学図書館
 深沢秋男

 この版について朝倉亀三氏(『新修日本小説年表』)は、大坂の平野屋九兵衛刊の如く記しておられるが、これは早大取合本に拠ったものと思われる。早大取合本には刊記のあとに「大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」と有る。しかし、これは張込みであり、この平野屋九兵衛を版元とする事には問題が残る。横山重氏はすでに、その版本考(同氏所蔵、寛永十九年版十一行本帙の識語)で「ひそかに思ふ。朝倉氏のいふ、大坂板といふは、十一行本か、十二行本かの、後印本にあらざるか。」と疑問を出しておられるが、横山氏が原本を見る以前に、これを後印本と推量されたのは、寛永期の大坂板という点に着目されたからであろうと思われる。
 因に『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏)をみても平野屋九兵衛は入っていない。また大阪の書肆で最も早いのは、万治年間から活躍した正本屋太兵衛であり、寛永期には見当たらない。やはり大阪の出版は寛永期よりかなり下った、明暦・万治頃からとするのが妥当のように思われる。しかし、この早大取合本は、九大本、桜山本、大東急本、内閣本、平井氏本、横山氏本、早大本のいずれよりも早い刷りと判断されるのであり、これらの点を考え合わせると、この平野屋九兵衛は刊行者というよりも、販売者的性格が強かったのではないかと推察される(注1)。
 次に。大東急本には刊記のあとに刷り跡(よごれ)が見られるが、これについては次のように考える。このような刷り跡が見られる原因として、①すでに刷り跡のある紙を使川した。②書肆名その他の文字の削除跡。③印刷の場合に空白部分に墨が着き、生じた跡。この三つの場合が考えられる。①については、この大東急本の外に、九大本、台湾大本、内閣本、横山氏本、早大本にも同様な刷り跡が出ているので、これは除く事ができる。刷り跡の出ている位置から考えると、②ではないかとも思われるが、この刷り跡に、確実に文字の痕跡と思われる箇所が無く、また書肆名などを彫り捨てる場合、意識的に深く削るのではないか、という事も推測される点で、これをただちに削除跡と断定する事もできない。なお、早大取合本の張込みのものとこの刷り跡とは、深い関係が無いものと思われる。次に③の場合であるが、大本の版面に刊記を一行のみ印刷する場合、空白部の紙面が版木に接する可能性は大きい。しかし、大東急本の跡には、やや作為的な痕跡が認められる点は注意すべきであり、要するに、②③いずれとも決め得ないのが現状である(注2)。初版本と思われるこの版の刊行者を決める事は重要であるが、今後の調査に俟たなければならない。

 二、寛永十九年版十二行本

所蔵者 国立国会図書館142 112
表紙 改装国会図書館専用茶色表紙、縦二七四ミリ×横一八九ミリ(第
   一冊目)。
題簽 題簽は無いが左肩に「可笑記 一(~五止)」と墨書。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二一二ミリ×横一六九ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(~四十九終)」
   巻二「可笑記巻二 一(~五十三終)」
   巻三「可笑記巻三 一(~四十九終)」
   巻四「可笑記巻四 一(~五十四終」」
   巻五(可笑記巻五 一(~七十八)」
   版心は半黒口、魚尾花絞。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…49丁、巻二…53丁、巻三…49丁、巻四…54丁、巻五
   …78丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
   …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行(1行余白)、本文…12行、あとがき…11行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (次の各段は欠。巻一の1・8・21・22・
   24・28・29・43、巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻
   四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・
   51・72・76・88。巻四の15は重複)。
句読点 「・」「。」混在。
奥書 巻五の78丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
   之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の78丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印 「特賈堂」の朱印、「江戸四日市/古今珍書儈/達摩屋五一
   」の黒印。

 九州大学国語学国文学研究室
 神宮文庫
 日本大学図書館・武笠文庫

 この版は、寛永十九年版十一行本を版下に使用(または十一行本を敷写しして作った版下を使用)したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないにしても、それに近い性質のものである。
 その根拠の第一は、十一行本と十二行本であるため、それぞれ一行ずつのずれができる訳であるが、このずれの箇所の行間を調べてみると、十二行本において、十一行本の丁移りの箇所の行間が、他の行間と不揃いであり、全体的に広めになっている。またある場合には、それを境目として、行の頭の高さに落差が見られる。そして、この反対の現象が十一行本では見られない。
 第二に、天地の寸法が十二行本の方が短い。
 【別表 省略】                                       
 別表は各巻第一丁表第一行目の天地(巻一は第二丁表)の寸法を、桜山本と国会本に拠って測ったものである。縮小率は必ずしも一定していないが、いずれも十二行本の方が短くなっており、これは、かぶせ版は縮小するという原則に適っている(注3)。
 第三に、本文の異同関係をみると、十二行本は句読点を付加し、振り仮名を付加する反面、濁点を省いている。さらに書体も、十二行本で簡略化されている例が見られる。これらを考え合わせても、十二行本は十一行本より後の版とするのが妥当と思われる(後述)。
 なお、横山重氏も「本書、最古板なり。しかるに此本と全く同一の刊行記を有する十二行本あり(焼亡)。刊年記の文字よく似たれど、寸法を見るに、十二行本の方が、約三分位短い。」(同氏所蔵・寛永十九年版十一行本帙の識語)と十一行本を最古版と判断しておられる。
 以上の事を考え合わせると、十二行本は十一行本を原版に使用したため、同じ刊記を有するが、実際の刊行年は寛永十九年よりやや後とするのが妥当と思われる。

三、 無刊記本

所蔵者 長澤規矩也氏
表紙 丹色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦二五七ミリ×横一八五ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記 一(~五)」縦一六三ミリ×横
   三五ミリ(巻一)。部分的に摩損あり。
内題 序…「愚序」。本文・:「可笑記巻第一(一五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦ニー九ミリ×横一六四ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑一 一(~四十二終)」
   巻二(可笑ニ 一(~四十四終)」
   巻三「可笑三 一(~三十九終。」」
   巻四「可笑四 一(~四十三終」」
   巻五(可笑五 一(~六十三)」
  版心は白口、ただし、巻三の12丁のみ黒口。巻五の20丁は「三
  十」となっている。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…39丁、巻四…43丁、巻五
  …63丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+10行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約23字。
段移りを示す標 「○」 (巻二の1は欠)。
句読点 「。」
奥書 巻五の63丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
  之」(振り仮名は省略)。
刊記 無し。
蔵書印・識語 「藤井文庫」の朱印。巻五後表紙の内側に「寛保二/
  於書肆/求之」と墨書。巻一前表紙見返しに墨書にて「此本初印
  本には/寛永壬午季秋吉旦刊行/大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺
  町南側/平野屋九兵衛」と長澤規矩也氏の識語あり。その他黒印
  一顆。

お茶の水図書館・成簣堂文庫・I
お茶の水図書館・成簣堂文庫・Ⅱ
学習院大学国語国文学研究室
関西大学図書館
京都大学附属図書館・潁原文庫I
京都大学附属図書館・潁原文庫Ⅱ
慶応義塾大学図書館
国学院大学図書館
実践女子大学図書館・黒川真頼・真道蔵書
天理図書館
東京国立博物館
東北大学附属図書館・狩野文庫
名古屋大学国文学研究室
西尾市立図書館・岩瀬文庫
山岸徳平氏
竜門文庫
早稲田大学図書館

 この版には刊記が無いが、従来寛文頃の刊行とされていたものであり、その他に、寛永十九年以前の初版本とする説も出されている(注4)。また、横山重氏は「本書に、万治頃の刊本あり。これに刊年記なし。反町氏、巻末の「于時寛永十三」云々をとりて、寛永中刊とすれど然らず。」(同氏所蔵寛永十九年版十一行本帙の識語)とやや立場を異にしておられる。私は以上の諸説を参照して考えたが、この無刊記本は、寛永十九年以後、万治二年以前の刊行とするのが妥当のように思われる。そのように考える理由は次の如くである。
 第一に、寛永十九年版と無刊記本の間には、かなり多くの本文異同がみられるが、それらは、寛永版の増補とするよりも、無刊記本の脱落および省略とみる事の方が妥当と思う(後述)。
 第二に、当時の書籍目録をみると、延宝三年の目録から、大字本が見え、天和元年の目録では、大本を五匁五分とし、大字本は七匁、小本は四匁となっている。この大字本は寛永十九年版と推測されるが、この価格の差は、出版の時期に関係があるのではないかと思う。大字本は、これ以後、目録から姿を消す。つまり、大字本(寛永版)は、この時点において、すでに希少価値をもっていたものと思われる(注5)。以上の二点から考えると、無刊記本は、寛永十九年版より後の刊行と推測されるのである。
 第三に、本文の異同関係から考えると、無刊記本は万治二年版の絵入本より前の刊行と思われる(後述)。
 第四に、無刊記本の書体であるが、これについて水谷不倒氏は、大正九年刊の『仮名草子』で「大本の挿絵なきものにて別版あり。書風原版とは異なり、年号を逸すれども、絵入本よりは遥に後の版行なるべし」とされたが、その後昭和四年の『新撰列伝体小説史前編』では、寛文初年の覆刻本とやや表現を変えておられる。
 無刊記本の書体は、丸みを帯びて小振りとなっているが、これは寛永版の伸び伸びとした、やや大きめの字と異なり、万治・寛文頃の版本に多く見られるものと同じように思われる。また柱刻なども、寛永十九年版の半黒口魚尾に花びらを配す、という手の混んだものに対し、無刊記本・絵入本は、共に簡略なものになっている。
 これらの点で、無刊記本が寛永十九年版より後のものである、という事は納得できるが、「絵入本よりは遥に後の版行」という点には疑問が残る。万治二年の二年後が寛文元年であり、この短い期間の版本の先後を書体で判定する事は、非常にむずかしい事と思われる。したがって、私は書体の問題はしばらくおき、本文の異同関係から、無刊記本を絵入本以前の刊行と判断したのである(注6)。
 このように考えてくると、この無刊記本は寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前の刊行という事になるが、それもかなり明暦・万治に近い頃の出版と推測されるのである。

四、 万治二年版絵入本

所蔵者 横山重氏・赤木文庫
表紙 縹色元表紙、雷文つなぎ桐花唐草模様、縦一九七ミリ×横一四
  九ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「新板 可笑記 絵入 一(~五)」縦一三四ミリ×横三一ミリ(巻一巻)。巻五のみ「絵入」が「ゑ入」とあ
  る。部分的に摩損あり。
内題 序…「可笑記愚序」。本文…「可笑記巻一(~五)」。
尾題 巻一「可笑記一之巻終」。巻二「二之巻終」。巻三「可笑記巻三
  終」。巻四「四之巻終」。巻五は無し。
匡郭 四周単辺、縦一七六ミリ×横一二五ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一「可笑記巻一 一(~五十二)」
   巻二「可笑記巻二 一(~五十四終)」
   巻三「可笑記巻第三 一」
     「可笑記巻三二(~四十九)」
     「可笑記三五十(五十一終)」
   巻四「可笑記巻四 一(~五十二終)」
   巻五「可笑記巻五 一(~七十一)」
  原本の丁付は「……十八・十九・廿丗・丗一丗二……」とあり、
  20丁台を省略しているため、各巻の最終丁が、巻一…「五十二」、
  巻二…「五十四終」、巻三…「五十一終」、巻四…「五十二終」、
  巻五…「七十一」とあっても、実際の丁数はそれより各々10丁
  ずつ少なくなる。版心は白口。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…41丁、巻四…42丁、巻五
  …61丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数。序…愚序+9行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約25字。
挿絵 巻一…10図、内見開き1図(2丁裏3丁表・7丁表・11丁表・
  15丁表・19丁表・23丁表・27丁表・32丁表・37丁表・42丁
  表)。
  巻二…8図、内見開き1図(3丁裏4丁表・9丁表・14丁表・19
  丁表・24丁表・29丁表・35丁表・41丁表)。
  巻三…7図、内見開1図(3丁裏4丁表・10丁表・16丁表・22
  丁表・28丁表・34丁表・40丁表)。
  巻四…8図(3丁表・8丁表・13丁表・18丁表・23丁表・28
  丁表・34丁表・40丁表)。
  巻五…8図(4丁表・11丁表・18丁表・25丁表・32丁表・39
  丁表・47丁表・55丁表)。
段移りを示す標 「○」 (巻一の6・8、巻二の9・48、巻四の1・
  4・16・17・18、巻五の12・45は欠)。
句読点 「。」「・」混在。
奥書 無し。
刊記 巻五の61丁表に「于時万治二年正月吉日/板本/寺町三条
  上ル町 山本五兵衛開」
蔵書印・識語 「アカキ」の朱印。帙に紙箋を貼付し、ペン書にて横
  山重氏の次の識語かある。「自分は此本を三つ買った。一つは村
  口。これは刊記のある巻末一丁欠。八十円。又、/一誠本も買っ
  た。八十円。これは完全であったが、虫入りが多かった。総/じ
  て、此本の紙、虫好むか。虫入り本を見し事あり。/然るに、昭
  和十九年、本書を得たり。極上本なり。/あだ物語村口千二百、
  子易物語弘文千円といふに比すればむしろ安/しとすべし。/
  500」。また昭和四年の杉本目録として、次の紙片が貼付されてい
  る。「一 絵入風俗 可笑記 如儡子 帙入/万治二年刊/チャ
  ンパーレン旧蔵 半五 百五拾円」。
その他 巻二の37丁~42丁が落丁。

秋田県立図書館
上田市立図書館・藤廬文庫
大洲市立図書館・矢野家文庫(未調査)★その後調査
小川武彦氏
お茶の水図書館・成簣堂文庫
学習院大学国語国文学研究室・I
学習院大学国語国文学研究室・Ⅱ
カリフォルニア大学図書館・東亜図書館
京都府立総合資料館(京都府立図書館旧蔵)
慶応義塾図書館
国立国会図書館・I
国立国会図書館・Ⅱ
鶴岡市立図書館(未調査)★その後調査
天理図書館
東京国立博物館
東京大学附属図書館・青洲文庫
東北大学附属図書館・狩野文庫
東洋文庫・岩崎文庫
中野三敏氏
日比谷図書館・加賀文庫
山口大学附属図書館・教育学部分館(未調査)★その後調査
山口大学附属図書館・文理学部分館(未調査)★その後調査
竜門文庫
早稲田大学図書館

 この絵入本について、水谷不倒氏は「中本にて大小の二種あり。」と『仮名草子』に記しておられるが、私は異版を見る事ができなかった。製本寸法には、かなりの差違があるにしても、匡郭寸法に大きな差は無い。なお、水谷氏の掲げられた版本と私か見たものとは、寸法も一致するので同版のものと思われる。
 また、朝倉亀三氏は「万治二年に絵を挿み、『絵入風流可笑記』と題し、半紙本として再版せり。」(『新修日本小説年表』)としておられるが、このような題簽・内題を持つ版本も見る事を得なかった。現存諸本の原題簽には、いずれも上部に「新板」とあり、これが可笑記の新版でなく、絵人本の新版を意味するとすれば、あるいは別版があるのかも知れない。現在までに異版を見る事はできなかったが、異版が無いと断定する事もできず、今後の調査に俟ちたいと思う。
 なお、秋田県立図書館本と京都府立総合資料館本は、共に各巻後半が落丁となっているが、その落丁部分がまったく同じである点は注意すべきである。京都府立総合資料館本の「定栄堂蔵板目録」の内容などから考えると、これは後刷本と思われるが、初刷本との間に何等かの事故(例えば版木の破損・紛失など)があったとも考えられる。

五、 その他(取合本・写本)

大阪府立図書館(無刊記本に巻一のみ、寛永十九年版十一行本が入れ
 本されている)
学習院大学国語国文学研究室(無刊記本に巻四のみ、寛永十九年版十
 二行本が入れ本されている)
天理図書館(寛永十九年版十一行本に巻三のみ、寛永十九年版十二行
 本が入れ本されている)
早稲田大学図書館(寛永十九年版十一行本に巻一のみ、無刊記本が入
 れ本されている)
東京大学国語国文学研究室(本文異同の関係から、寛永十九年版十二
 行本の転写本と推測される)
なお、次の四本は現在所蔵されていない事を確認した。
1、尾崎久弥氏
2、三康文化研究所(大僑図書館旧蔵)
3、築比地仲助氏
4、三井文庫

 六、翻刻本二種について

 I 徳川文芸類聚・教訓小説(大正三年)
 徳川文芸類聚は、早大取合本を底本にしたと思われ、巻一は寛永十九年版に対する無刊記本の異同をすべて踏襲している。
振り仮名を省略している外は忠実な態度をとっているが、原本との異同は48あり、そのほとんどが翻刻上の誤りである。また巻二から巻五までが寛永十九年版に拠っている事は、その異同関係からも認められる。なお、刊記のあとの書肆「大坂心斎橋橋通西入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」は底本の張込みをそのまま翻刻したものと思われる。
             
 Ⅱ 近代日本文学大系・仮名草子集(昭和三年)
 近代日本文学大系は、①漢字・仮名の異同が多い。②振り仮名を変えたり、付加したりしている。③送り仮名を多く送っている。など、原本とはかなり離れたものとなっている。巻一は徳川文芸類聚の原本に対する異同48の内、25をそのまま受け継ぎ、23は無刊記本と同じに正している。巻二から巻五までは徳川文芸類聚と同様に寛永十九年版系の本文となっている。なお、この『仮名草子集』は『可笑記』の挿絵として一葉掲げているが、これが古浄瑠璃『公平天狗問答』のものと入れ違っている事は、田中伸氏の御教示により知る事を得た。またこれに関しては、関場武氏も『芸文研究』第二十七号(昭和44年3月)で指摘しておられる。

 以上、二種の翻刻はそれぞれに特色を持ち、長い間作品研究に役立ってきたのであるが、使用した底本が取合本であった事は非常に惜しまれる。作品研究もようやく盛んになってきた現在、初版本による、より厳密な翻刻が切望されるのである。

 (注1) 平野屋九兵衛がもし版元であるなら、版木を持っているはずである。何故自分の住所や名前を張込みになどしたのだろうか。
たとえ後で追加するにしても、埋木して印刷する方法があると思う。また、伝本中この張込みがあるのは早大取合本のみというのも疑問である。〝平野屋は、版元から求めた版本に、このような自分の住所と名前を印刷した紙片を張り込んで、売り捌いていたのではないか〟とお教え下さった池上幸二郎氏の推測が妥当のように思われる。また鈴木敏夫氏は『江戸時代の本や』(「出版ニュース」昭和43年9月上旬号)で、明暦・万治頃の出版状況を推測して「大阪にも、このころからやっと京都の出店らしきものが現われるが、おそらく京都書肆の出張販売(あるいは行商)時代」としておられる。
 (注2) この問題に関しては、田中伸氏より多くの御教示を頂いた。書肆名などの入っている版本が発見されれば、一応問題はない訳
であるが、大東急本の刷り跡から、いかなる文字を推測するか、非常にむずかしい問題である(田中伸氏は、下方の跡を「田」の字か「野」の一部ではないか、と判断しておられる)。
 (注3) 匡郭寸法を対照してみると、十二行本は十一行本より縦が短くなっているのに横は長い。これは十一行本を版下に使い(また
は十一行本を敷写しして版下を作り)、しかも一行増したところから生じたものと思う。また、縮小の比率が一定していないのは、印刷時の紙の湿り具合、印刷の先後、文字のしずみの出具合(ことに差の少ない巻二、巻四の行末の文字が「ツ」「折」である事は注意してよいと思う)などの条件が関わっていると思われる。
 (注4) 無刊記本は、水谷不倒氏以来、寛文頃の刊行とされてきたものであるが、これを寛永十九年版以前の初版本とする説は、『国
語国文』昭和四十年六月号に朝倉治彦氏の説として、前田金五郎氏が紹介されたものである。この説は「于時寛永十四南呂上澣瓢水子筆之」の奥書をもつ『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が、この無刊記本と近い関係にある点に着目されたところからの立論である。この奥書をそのまま信用すれば『可笑記評判』の作者は、寛永十四年には少なくも『可笑記』を見ていた事になる。私は、種々の理由から寛永十九年版十一行本を初版としているが、視点を変えるならば、版本以前に写本(草稿)があり、それから、寛永版と無刊記本が別々に本文を得た、という可能性も考えられる。朝倉氏の説と共に、今後さらに調査・考察してゆく必要があると思う。
 (注5) 主要書籍目録の記録は次の如くである。
  ①、寛文十年刊『増補書籍目録 作者付 大意』
    「五冊 可笑記 大小 如儡子作
     十冊 同評判  浅井松雲了意」
  ②、延宝三年刊『新増書籍目録』
   「五 可笑記 如儡子作
    五 同大字
    五 同小本
    十 同評判 浅井松雲
    五 同跡追
  ③、天和元年刊『書籍目録大全』
   「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
    五 同大字      七匁
    五 同小本      四匁
    十 同評判 浅井松雲 廿匁
    五 同跡追      五匁」
  以後、この大字本は目録から姿を消している。
 (注6) 私はそれ程多くの版本を見ていないので書体については解らない。しかし、絵入本は中本という事も関係しているとは思うが、
字と字の間隔を非常に接近させ、さらに重ね合わせるようにして書き詰めており、また各段冒頭の「むかし」を「昔」に変える、というような形で一行の字数を多くしている。したがって、丁数もそれだけ減少している。因にこの丁数をみると、寛永十九年版十一行本が310丁、十二行本が283丁、無刊記本が231丁、絵入本が210丁(挿絵の部分を除く)とこの順序で減少しており、最初と最後とでは100丁もの差がある。このような点から考えても、絵入本の方が無刊記本より後ではないかと思うのである。そして、無刊記本が絵入本より前の刊行である、という私の考えの拠所は、主として本文異同にあり、これに関しては全巻を対校して検討したが、ほぼ誤りの無いものと判断される。                (深沢秋男)

第二章 校異による本文異同の考察

 『可笑記』各版の本文異同については『近世初期文芸』第一号(昭和44年12月)で考察した事がある。そこでは主として巻一のみの資料を使って分析を試みなのであるが、この度、全巻の対校を終えてみると、その結論を改める必要は無いように思われる。したがって、ここでは具体的な分析を出来得る限り省略し、その結果を示すにとどめたいと思う。

一、 書写本について

 伝存諸本中、寛永十九年版十一行本が初版本と思われるが、刊本以前に書写本(自筆本・写本を含む)が在ったか否かについて、まず考えてみたい。
 寛永版十一行本、巻一の17丁表2行目の字詰をみると、
 「うちに君もろともにミもしミせばやとまつかひもなくあ」
と、二十五字詰になっている。この十一行本は平均二十字詰であるのに、この行が特に二十五字詰になっているのは「ミもしミせばやとまつ」の部分に主たる原因がある。この十字は約七字分のスペースの中に書き詰められており、しかも印刷の墨も、この部分のみが非常に強く出ている。つまりこの部分は埋木したものと思われるのである。これは、書写本から版下を作る際に「ミもし」の「ミ」から「ミせばや」の「ミ」に目移りして「ミもし」の三字を誤脱させてしまい、そのまま版木に彫りつけてしまったものと思われる。そして印刷の前に(または数部印刷の後に)この誤脱に気付き、埋木して訂正したものと推測されるのである。家蔵本は巻一のみの端本であるが、刷りは非常に早い頃のものと思われるのであり、この本においてすでに埋木されている点から考えると、この訂正は初刷本と断定できないにしても、それに近い段階で行なわれたのではないかと推測される。いずれにしてもこの事は、刊本以前に書写本が在った事の一つの証左になるものと思う。
 現在伝わる写本は、東京大学岡語国文学研究室の所蔵本のみであるが、これは本文異同の関係から考えると、寛永十九年版十二行本の転写本と判断される(七二六頁参照)。自筆本は勿論のこと、刊本以前の写本が伝存していないこの作品においては、各版
の本文異同を分析する事によって、どの版本がより原初的な(書写本に近い)形を伝えているかを判断する事は極めて重要な問題だと思うのである。

 ★【『可笑記』の写本に関して、その後、『斎藤家資料』(仮題)の存在が明らかになり、その中に『可笑記』の写本もあったという。二本松藩藩士・大鐘義鳴の『世臣伝』で言及されている。この資料は、現在、所在が明らかではないが、今後、所在が明らかになれば、この写本に関しても解明される可能性がある。(平成28年11月)】

 二、寛永十九年版、十一行本と十二行本の関係

 前述の如く、十二行本は十一行本を版下に使い(または十一行本を敷写しして版下を作り)、一行増したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないが、それに近い性質のものである。そして、巻一の本文異同の関係は次の如くである。なお、十一行本は桜山文庫所蔵本を、十二行本は国立国会図書館所蔵本を使用し、異同箇所の表示は十一行本に拠った。

 I、十一行本・十二行本の本文異同……3

〔1〕7丁裏1行 11行本…わたし→12行本…わたり
 〔2〕28丁裏6行 11行本…ゑいよう→12行本…ゑいかう
 〔3〕47丁表7行 11行本…あつさ→12行本…あつゝ
〔1〕の「し」「り」、〔2〕の「よ」「か」、〔3〕の「さ」「ゝ」は、共に類似した書体であるため、敷写しの段階、または版木に彫り刻む段階で生じたものと思われる。

 Ⅱ、十二行本で付加した振り仮名……16

〔1〕2丁裏6行…なさけ情
〔2〕11丁裏3行…おのこ男
〔3〕12丁表4行…もとめ求
〔4〕12丁表7行…もとめ求
〔5〕13丁表2行…もも百 【注 もも→もゝ】
〔6〕15丁表6行…ことば詞
〔7〕15丁表8行…たい対
〔8〕15丁裏1行…しよせん所全
〔9〕21丁裏10行…しんじつ真実
〔10〕21丁裏10行…かう剛
〔11〕22丁表10行…ことは詞
〔12〕25丁表6行…まき槇
〔13〕25丁裏6行…は そん破損
〔14〕28丁裏11行…み じ彌字
〔15〕31丁表3行…む よくしん無欲心
〔16〕32丁裏3行…げいのう芸能

 これらの内、〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔9〕・〔10〕・〔11〕の文字は特に太めで、伸び伸びとしておらず、印刷の墨も他に比較して濃く出ている。あるいは後刷の場合に埋木したという事も考えられる。

 Ⅲ、十二行本で省略した振り仮名……3

〔1〕22丁表7行…み味
〔2〕31丁裏9行…けい計 
〔3〕34丁表1行…どう同

 これらは、版下または版木を作る過程で脱落したものと思う。

  Ⅳ、十二行本で付加した濁点……10

  Ⅴ、十二行本で省略した濁点……55(内、振り仮名…16)

 清濁の異同についての具体的なものは掲げないが、十二行本が濁点を多く省略しているのは注意すべき事である。これらは版木に彫り刻む段階で省いたものであろうか。

  Ⅵ、十二行本は句読点を付加している。

 十一行本において句読点は皆無であるが、十二行本ではほぼ全体にわたって「・」「。」を付加している。

  Ⅶ、十二行本で簡略化した文字……6

〔1〕 8丁表2行…愛着のおもひに    〈に〉
〔2〕 8丁裏4行…知者においてハ    〈に〉
〔3〕 17丁表11行…古き詩哥      〈詩〉
〔4〕 22丁裏7行…是に心づきて     〈に〉
〔5〕 29丁裏10行…しうぢやくによつて 〈に〉
〔6〕 30丁表3行…すでに法賊      〈に〉

 十一行本と十二行本の書体は、一見非常に類似しているが、子細にみると運筆には相違が認められる。そして、右に掲げた箇所の〈 〉で囲んだ文字「に」「詩」は、十二行本で簡略化された書体となっている。また、三十五段(36丁裏・8行)の「えいぐわ栄花」を十二行本は「ゑい栄ぐわ花」としている。

以上、二つの版の異同関係を掲出したが、まず本文異同の認められる三箇所をみると、〔1〕の「わたし」「わたり」は他動詞・自動詞の違いである。
 「むかしさる人の云るは陸奥の住人鳥川瀬兵衛と云さふらひある時
の合戦に真先かけをいたし大河を一文字にさつとわたし(り)高
  名ひるいなくおんしやうにあづかりよろこひのあまりに一首
   さきがけをすれば誉の名取川身を捨てこそうかふ瀬兵衛」
 これが七段の全文であるが、このような場合に他動詞を使うのは、動詞の連用形止を多く使い文を重ねているのと共に『平家物語』や『太平記』など軍記物の語法を継承したものという事ができる。これは軍記物の世界に通じていた『可笑記』の作者であってみれば、むしろ自然のものと思われる。十二行本の覆刻作業に従事した職人(能書または彫工)は、その事に気付かずに「わたり」と自動詞に改めてしまったのではないだろうか。次に〔2〕の「ゑいよう」「ゑいかう」であるが、この前後は「現世夢幻のゑいよ(か)うにふけり未来やうこうのくるしひを知ず」とあり、後半は「未来永劫の苦しひを知ず」と解されるので、前半は「現世夢幻の栄耀に耽り」とあってはじめて意味が通じる。「ゑいかう」に「永劫」「栄光」などの言葉を当ててみても適切ではない。因に無刊記本、絵入本は「ゑいくわ」とし、可笑記評判は「栄花」としている。次に〔3〕の「あつさ」「あつゝ」は「庭の木立物ふりいかにも掃地きれいに残るあつさ(ゝ)のほどは露うちそゝきちやわん茶入その外よろづの道具いかにもあたらしくきれいなるを用ひ」という文であるから「暑さ」でなければ意味が通じない。
 要するにこれらの異同は、十二行本が意識的に改めたというよりも、覆刻作業の過程で機械的に生じたものと推測されるのであり、このような場合、原版(十一行本)が秀れた本文である事は言うまでもない。

 さらに巻二以後の主な異同を掲げてみると、次の如くである。
〔4〕巻二(8丁裏1行)11行本…おそ恐れ→12行本…ほそ恐れ
〔5〕巻二(9丁表1行)11行本…らうにん牢人→12行本…ちうにん牢人
〔6〕巻二(24丁表6行)11行本…よく候→12行本…はく候
〔7〕巻三(18丁表3行)11行本…せんだく→12行本…せんざく
〔8〕巻三(31丁表1行)11行本…いやとの→12行本…い□□の
〔9〕巻三(31丁裏1行)11行本…一首→12行本…一しゆ
〔10〕巻三(34丁裏11行)11行本…むさく→12行本…むとく
〔11〕巻四(31丁裏1行)11行本…日ころ→12行本…ひころ
〔12〕巻四(32丁表6行)11行本…い異→12行本…の異
〔13〕巻四(38丁表1行)11行本…となる→12行本…ことなる
〔14〕巻五(16丁裏8行)11行本…ごしやう後生→12行本…ごせう後生
〔15〕巻五(18丁裏11行)11行本…たひ度→12行本…た●度 (たゝ)
〔16〕巻五(19丁表2行)11行本…一とせではの出羽→12行本…一しせいではの出羽
〔17〕巻五(23丁表10行)11行本…けれども→12行本…けれ□も
〔18〕巻五(32丁表4行)11行本…べし→12行本…べ
〔19〕巻五(38丁表9行)11行本…やまひ病→12行本…やうひ病
〔20〕巻五(53丁裏11行)11行本…詞にも→12行本…詞に

 これらの異同のほとんどが、〔6〕の「よ」→「は」の如く、類似した字体からくるものであったり、〔12〕の「い」→「の」の如く、十一行本が滅字であるところから生じたものであったり、要するに、巻一の三箇所の異同と同様なものであると言い得る。ただ、〔9〕の「一首」→「一しゆ」、〔11〕の「日ころ」→「ひころ」、〔14〕の「ごしやう後生」→「ごせう後生」、〔20〕の「詞にも」→「詞に」は注意すべきである。十二行本は前述の如く、十一行本の準かぶせ版であると思われるが、従来説かれている如く、かぶせ版は原版をそのまま版木に張り付けて刻むものであるとするならば、彫工は版下に忠実に刻むものであるとも言われており、この様な異同は生じないはずである。やはり、これらの異同は書写の段階で生じたものではないかと推測されるのであり。この両版に関しては、十一行本を敷写しして版下を作ったという可能性の方が大きいように思われる。また〔9〕の「首」→「しゆ」、〔6〕の「日」→「ひ」、〔10〕の「にも」→「に」は、それぞれ同じスペースの中での異同であるので、十二行本が十一行本を原版に使ったという事は、誤りのないものと思う。さらに異同の認められる箇所が、十一行本の一行目と十一行目、つまり版面の両端に多く生じている事も、以上の判断を支えるものと思われる。
 次に振り仮名の異同関係をみると、十二行本で付加したものが十六箇所、省略したものが三箇所となっており、これは再版としての十二行本が、より読みやすい本文を作ろうとしたところから生じたものと推測される。そして、それは同時に『可笑記』が、振り仮名を多く用いる事が一つの条件であるところの仮名草子として一応認められ、読者の需要に応じた過程を示してもいる。しかしこのように十二行本が意識的に付加した振り仮名の訓み方は、極めて一般的なものであり、本文の優劣に関係はないものと思われる。また、十二行本は新たに句読点を付加しているが、その反面、それほど目立たない濁点は多く省略している。このほか十二行本で簡略化している文字もみられ、さらに段の移りを示す標の「▲」を省いている箇所も少なくない。十二行本は、巻一の1・8・21・22・24・28・29・43.巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・51・72・76・88の各段を欠落させ、巻四の15段は重複させている。
 これらの異同内容を総合して考えるとき、十一行本は十二行本よりも、より原初的である事が推測されるのであり、また秀れた本文であると断定してよいと思うのである。

 三、寛永十九年版十一行本に対する各版の関係
 
 寛永十九年版十一行本に対する、無刊記本・絵入本・可笑記評判の異同関係を整理すると次の如くなるが、次の事項は省略した。
1、 仮名づかいの異同。2、振り仮名の異同。3、送り仮名の異
同。4、漢字・仮名の異同。5、字体の異同。6、句読点の異同。7、清濁点の異同。なお、使川原本。記号は次の通りである。

 寛永十九年版十一行本(桜山文庫所蔵本)…11行本
 寛永十九年版十二行本(国立国会図書館所蔵本)…12行本
 無刊記本(長澤規矩也氏所蔵本)…無刊記本
 万治二年版絵入本(国立国会図書館所蔵本)…絵入本
 万治三年版可笑記評判(東京大学附属図書館所蔵本)…評判

 一、無刊記本・絵入本・評判共通の省略・脱落……98
 二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同……119(内、十一行本の
   省略・脱落……33)
 三、無刊記本・絵入本共通の省略・脱落……6
 四、無刊記本・絵入本共通の異同……8(内、11行本の省略・脱
   落……1)
 五、無刊記本のみの脱落……1
 六、無刊記本のみの異同……0
 七、絵入本のみの省略・脱落……3
 八、絵入本のみの異同……1
 九、評判のみの省略・脱落……20
 十、評判のみの異同……39(内、11行本の省略・脱落……16)

 これらの異同の数量関係から次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本・絵入本・評判共通の省略・説落および異同を合計すると、二一七箇所という多数を示している事から、この三つの版が非常に近い関係にあり、共に11行本・12行本と離れている、という事が解る。
2、無刊記本・絵入本・評判の中では、無刊記本・絵入本がより近く、
  評判はかなり離れた本文となっている。
3、無刊記本のみの脱落・異同が一箇所であるのに対して、絵入本の
  みのは四箇所である事から推測すると、無刊記本は絵入本よりも
  早い本文ではないかと思われる。

   四、寛永十九年版十一行本に対する、
      無刊記本・絵入本・可笑記評判共通の異同関係

 前に掲げた、一、無刊記本・絵大本・評判共通の省略・脱落…九八箇所と、二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同…一一九箇所を具体的に分析した結果、次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本系(無刊記本・絵入本・評判をこのように略す)には、
 11行本の省略・脱落に対して約三倍の省略・脱落があるが、それ
 らは11行本が増補したというよりも、無刊記本系が省き、または
 誤脱させたと思われるようなものが多い。
2、11行本の省略・脱落は、いずれかと言うならば、後で増補し得
 るような性質のものが多い点から考えると、無刊記本系が衍加した
 という可能性が強い。
3、11行本の誤りを訂正し、または特殊な表現を一般的に改めてい
 る点で、無刊記本系には校訂的意図を認め得る。
4、無刊記本系には、11行本の口語的表現を文語的に改め、また重
 複的な部分を簡略化する等によって、より一層、文章として定着さ
 せようという傾向がみられる。
5、両者の異同は、いずれかと言うならば、無刊記本系が改変したと
 いう可能性が強いが、その改変は一般常識的な基準によって行なわ
 れており、それらは作者でなくても為し得るようなものであると言
 う事ができる。
6、両者の異同関係を量的にみると、一字、二字、三字、という少量
 のものが圧倒的に多く、また内容的にみても、とくに重要な部分を
 省略したり、改変しようとする意図は、11行本・無刊記本系いず
 れにもみられない。
7、無刊記本系は、11行本の仮名を漢字に改めている箇所が多い。
 また、無刊記本系と11行本・12行本の関係であるが、次に掲げる
 三箇所の異同によって、無刊記本系は11行本と、より近い本文で
 ある事が解る。

〔1〕巻1の7段 7丁表1行
  11行本   わたし
  12行本   わたり
  無刊記本   渡し
  絵入本    渡し
  評判     わたし
  東大写本   わたり
〔2〕巻1の29段 28丁裏6行
  11行本   ゑいよう
  12行本   ゑいかう
  無刊記本   ゑいくわ
  絵入本    ゑいくわ
  評判     栄花
  東大写本   ゑいかう
〔3〕巻1の43段 47丁表7行
  11行本   あつさ
  12行本   あつゝ
  無刊記本   暑さ
  絵入本    暑さ
  評判     暑
  東大写本   あつゝ

 さて、右にみてきた如く、その異同関係を総合して考えるとき、11行本と無刊記本系が別々に書写本から本文を得たとするよりも、無刊記本系は11行本を底本に使用したとみる可能性の方がはるかに高いと言い得ると思う。また仮に無刊記本系が11行本とは別に書写本から本文を得たとした場合でもご11行本の方がより一層書写本に近い形を伝えていると思われるし、さらに11行本から無刊記本系への本文の改変にあたって、作者の意志が加わっていると思われない事等を合わせ考慮するとき、11行本の本文が無刊記本系よりも秀れたものである事は認められてよいと思うのである。

     五、無刊記本と絵人本の関係

 ここでは、前述(723頁)の三、四、五、六、七、八の各項を分析したが、無刊記本と絵入本の異同が極めて少ないという事は、この両者の本文が非常に接近したものである事を示している。そしてこれらの異同から、両者の相互関係を考える事も不可能ではないと思うが、やはり十分とは言えない。そこで、この無刊記本と絵入本については、巻二以後の異同も合わせて考える事にしたいと思う。

 巻二~巻五には二十八箇所の異同があるが、それらは次のように分ける事ができる。
 〔1〕、絵入本が誤脱させたもの……16
 〔2〕、絵入本が誤読・誤写したもの……6
 〔3〕、絵入本が無刊記本を正したもの……3
 〔4〕、その他(奥付など)……3
 その他注意すべき事は次の三点である。
 I、絵入本は無刊記本の送り仮名を省いている。
 Ⅱ、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改めている。
 Ⅲ.絵入本は無刊記本の振り仮名を省いている。
 これらの異同内容から次の事が言い得ると思われる。
1、各版の中で(11行本と12行本の関係は別として)無刊記本と絵
  入本は最も近い本文である。
2、 無刊記本の誤脱および誤写は極めて少なく、しかもそれらは後で容易に補訂し得る性質のものである。
3、 絵入本の誤脱および誤写は非常に多く、ややもすると不用意に踏襲されがちの性質のものが多い。
4、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改め、送り仮名や振り仮名を省
  いている箇所が多い。
5、絵入本は無刊記本の本文にかなり忠実であるが、無刊記本の誤り
  をそのまま踏襲するなど、むしろ盲従しており、その校訂的態度
  は極めて消極的である。
6、絵入本は無刊記本より本文を得たと思われるが、その際、11行
  本・12行本を参照していないと言い得る。

 要するに、絵入本は無刊記本を底本に使用して、盲従的とも言える忠実さをもって改版しようとしたが、その改版作業の過程における誤脱・誤写などを新たに付加する結果になってしまったと言う事ができる。したがって絵入本の本文は、無刊記本よりもさらに一層原初的な形から離れ、同時に劣ったものになっていると判断されるのである。
 このように考えてくると、前項で、無刊記本系は11行本を底本に使った事を指摘したが、それは、無刊記本は11行本を底本に使った、と言いかえることができる。(評判については後述)。
    
 六、可笑記評判と各版の関係

 ここでは前述(724頁)の、九、評判のみの省略・脱落…二十箇所と、十、評判のみの異同…三九箇所について分析を試みたが、その結果、次の事が言い得ると思われる。

1、無刊記本・絵入本・評判の系統の中では、評判が最も離れた本文
  となっている。
2、 評判は無刊記本を底本に使用したと推測されるが、その際、11
  行本・12行本は参照しなかったものと思われる。
3、評判には四箇所(全巻)に長文の脱落があるが。その外にも機械
  的な誤脱が多い。
4.評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、かなり積極的に補っている。
5、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
6、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを
  認め得るが、それだけに、ゆき過ぎもみられる。
7、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても、それ
  ほど無刊記本に忠実ではない。
    
 七、まとめ
 
 以上.11行本・12行本・無刊記本・絵入本・評判各版の本文異同の関係について、考察してきたわけであるが、各版にはそれぞれの長所短所があると言い得るし、したがって存在意義もそれなりに有しているものと思われる。最後に各版相互の関連について簡単に考えておきたいと思う。
 
 11行本は、書写本に次ぐ原初的な形態を伝えている初版本として、最も重要な位置を占めている。用語の不統一、特殊な表現、重複ぎみの文章など、話し言葉としての要素を多分にもっており、この事はこの作品の成立過程や文体等を考える上でも留意すべきである。句読点の問題(この版には句読点が付されていない)と共に、このような基本的事項の分析から作品研究は出発する必要があると思われる。初版本でしかも最も秀れた本文と思われるこの11行本こそ、作品研究の第一のテキストとして選ばれなければならないと思う。
 
 12行本は11行本の準かぶせ版であるから、11行本を忠実に伝え、句読点を付加し、振り仮名を多くして、その普及に役立った点で意義があり、再版本として、この作品が次第に読者を獲得していった事の一つの証左にもなっている。
 当時の書籍目録の価格から推測すると、時を経るにしたがって、11行本・12行本(大字本)は貴重本的存在になったもののようである。それに比して読者層は次第に拡大され、より多くの読者が生まれてくる、これに応えて第三版として出されたのが無刊記本ではないかと思われる。

無刊記本は11行本を底本に使ったと思われるが、特殊な表現を一般的に改め、廻りくどい文章を簡略化し、話し言葉を書き言葉に改め、仮名を漢字に改め、そして字体も小さくしており、12行本以上に普及版としての性格をもっている。このように無刊記本は11行本・12行本に比較して、原初的な形からは著しく離れたものとなっており、その点では11行本・12行本よりも劣った本文という事になる。しかし、後続の絵入本や評判が共にこの無刊記本を底本に使用したと思われる事をも合わせて、この版は一層多くの読者に読まれた本文として、流布本的存在であると言い得るのであり、その意味でもこの版・無刊記本は決して軽視すべきではないと思うのである。
 
絵入本は無刊記本を底本として使用したものと思うが、底本への態度は誠に忠実であり、むしろ盲従的であるとさえ言える。無刊記本の仮名を漢字に改めるにしても、それは主として丁数を少なくしようという目的で行なわれている。わずかに底本の誤りを正したものもあるが、むしろ踏襲している場合の方が多く、さらに機械的な誤脱・誤刻は圧倒的に多いのであり、絵入本の本文は無刊記本よりもさらに一層劣ったものとなっている。しかし、この版は師宣風の挿絵・四十一葉(内、見開き・三葉)を新たに付加する事がその主眼であった。当代人に好評を得たこの作品を中本という軽装版に改版し、親しみやすい絵を入れる事によって読者に応えたものであろう。

 評判も無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、一層誤脱などは多く、他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかしこの版は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この評判はむしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたと言うべきである。浅井了意がその著作活動の出発において、当代の代表作に一段一段批評を付した事、そしてその事によって、この作品は一段と読者にとって親しみやすいものとなったところに一つの意義が認められると言ってよい。
 版式等からみても、11行本・12行本→無刊記本→絵入本と、次第に簡略化されているが、この評判が11行本・12行本に近い大字で堂々としているのは『可笑記』の第五版ではなく『可笑記評判』の初版である以上当然と言えるのである。

 以上みてきたところからも解るように、これら五つの版本は、
 I、11行本・12行本
 Ⅱ、無刊記本・絵入本・評判
の二つの系統に分け得る。そして、このように二系統が生じたのは、11行本から無刊記本への段階で著しい改変がなされた事に原因しているのである。しかし無刊記本の改変には、11行本の現実批判的な部分を省くというような、特別の意図は無いものと思われる。むしろここで注意すべきは、11行本・12行本→無刊記本・絵入本→評判の順序で、次第に口語的表現が文語的表現に改められている、という事である。その量はさほど多くないにしても、また、作品全体に散在する口語的表現に比すればわずかであるにしても、このような現象がみられる、という事実は看過すべきでないと思う。11行本の重複ぎみの文章を無刊記本は簡略化しているが、この事と共に、ここには文章として定着させようとする意図がみられるのである。そしてこの異同は、同時に11行本の文章の特徴を逆に明らかにしているとも言い得る。この作品の文章は、漢語、俗語等、当代通行の言葉を自由に取り入れた点に一つの特色があると思われ、早く水谷不倒氏が指摘されたように「其文は極めて簡潔で明快」(『新撰列伝体小説史前編』)である事もその通りと思うが、一面では、繰り返しの多い廻りくどさも同居しているのである。そしてこれは、中村幸彦氏が論じておられる(「国語国文」昭和二十九年十二月)ように、当時流行したところの、話の文体と関係あるものと思われる。この作品の文章・文体については改めて考察を加えたいと思っているが、11行本→無刊記本の過程でこのような作品の特色が、その量の多少はともあれ、失われているという事は十分銘記しておく必要があると思うのである。

 次に、各版の先後関係について整理しておきたい。これまでの考察も実は、各版が版木に彫られた時点をその本文の成立時点として考えてきた。厳密に言うならば、各版の出版の時とその本文の成立の時とは、必ずしも一致していない場合も有り得ると思うが、それを判断する手がかりが伝わっていない現在、出版以前を推測する事はほとんど不可能であるし、また初版本以外は特別の事情でもない限り、出版の時に、すでに出された版本を底本として版下を作る可能性が大きいと思われるので、この事にそれほど問題はないと思うのである。各版の刊行年を推測すると、
 11行本…寛永十九年秋(刊記による)
 12行本…寛永十九年秋以後
 無刊記本…寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前
 絵入本…万治二年正月(刊記による)
 評判…万治三年二月(刊記による)
 この中で、12行本と無刊記本はいずれが早いか即断できないが、当時の書籍目録の価格、伝本の数、その他の条件から考えると、12行本の方が早いとみるのが妥当と思われる。これについては『文学研究』二十八号で、やや詳しく述べておいた(昭和53年11月)。
 
これを図示すると次の如くなる。

【諸本系統図(試案) 省略】

 改版する場合、直前に刊行された版本を底本に使用するのが、当時の諸刊本において一般的傾向である事は、横山重氏の御教示によって知ることを得たが、それは『恨の介』(前田金五郎氏・日本古典文学大系『仮名草子集』解説)や『竹斎』(前田氏・同上、星野健也氏『璞』二号)においても言い得る事である。
 さて、もしそうであるならば『可笑記』の場合、11行本→無刊記本は12行本→無刊記本と、無刊記本→評判は絵入本→評判とあるべきである。しかし、右の一般的傾向の主たる理由が、入手し易い版本を使う、という点にあるとするならば、この作品に関しては、このようになる根拠が無いわけではない。12行本は11行本の準かぶせ版であるが、伝本は非常に少ない。版木等の事故によるものか否かは未詳であるが、印刷の部数は11行本よりも少なかったのではないかと推測されるのである。ここに、12行本→無刊記本とならなかった原因があるのではないだろうか。また、評判と無刊記本・絵入本の関係であるが、評判が前年出版された絵入本を使わずに、無刊記本を使っていると言う事は、万治三年の時点で無刊記本が入手し易い状態にあった事の証左になる。中本にぎっしりと書き詰められている絵入本よりも、大本の無刊記本を選んだのではないだろうか。なお、これに関しては、視点を変えるならば、評判は絵入本より早く無刊記本に接して批評を付加したが、刊行は絵入本より後になった、という事もあり得る。このような、評判の成立時期についても考慮する必要があると思うが、これに関しては改めて考察を加えたいと思っている。

 以上考えてきたところからも明らかなように、この作品の研究は、寛永十九年版十一行本を第一のテキストとして行なわれなければならない。特殊な言葉が有るなら、その分析から始めなければならず、重複し、繰り返される文章の意味を考える必要がある。それらの諸要素を失った。無刊記本・絵入本は所詮、第二第三のテキストたる事を出ることはできないと思うのである。

附記 この稿の成るにあたっては特に長澤規矩也先生は無刊記本を、横山重先生は絵入本を、御恵与下され、何かにつけて御指導を賜りました。両先生には深甚の謝意を表します。   (深沢秋男)

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【追記】
 本書は、二松学舎大学の田中伸先生の御厚情によって、共著者に加えて頂いたものです。
 昭和43年の、日本近世文学会春季大会で、私は、「『可笑記』の諸本について」と題して発表しました。発表が終った後、田中伸先生から、寛永19年版11行本と12行本の先後関係に関して反対意見が出されました。その場では、お互いに自説を譲りませんでしたが、その後、11行本が先である理由を詳しく御説明申し上げて、田中先生も納得して下さいました。このような経緯があり、かねてから、『可笑記』の本文の出版を計画しておられた田中先生から、声をかけて頂いたのです。
 恩師、重友毅先生からは、この近世文学会での発表結果も、『近世文芸』ではなく、『文学研究』に掲載するように、最初から指示されていました。田中先生の件も、重友先生の御許可を頂いて、本書に加えて頂くことが実現したものです。 
 本文のテキストクリティークには、寛永19年版11行本は、鹿島則幸氏の桜山文庫本、寛永19年版12行本は、国立国会図書館本、無刊記本は、長澤規矩也先生の所蔵本、絵入本は、横山重先生の赤木文庫本を、可笑記評判は、東京大学附属図書館本、をそれぞれ使用させて頂きました。
 田中伸先生、重友毅先生、鹿島則幸先生、長澤規矩也先生、横山重先生に対して、改めて心から感謝申上げます。
 本書刊行から、42年後の本日、この解説を整理して、感慨深いものがあります。
                 平成28年11月17日
                          深沢秋男

【2】浮世物語

【2】浮世物語

仮名草子関係書・解説 

【2】浮世ばなし 付・明心宝鑑  昭和47年8月20日,勉誠社発行,5500円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・12)。『浮世ばなし』(横山重氏蔵本)・『明心宝鑑』(長澤規矩也氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。

   『浮世物語』の諸本について    深沢秋男

『浮世物語』に作者の署名はないが、寛文十年刊行の『増補書籍目録作者付 大意』(注1)には、「五冊 うき世物語 松雲了意」とある。この「松雲了意」は、万治・寛文期に『堪忍記』『東海道名所記』『可笑記評判』『江戸名所記』『京雀』『伽婢子』等の多くの仮名草子作品                                                 
を著した浅井了意の事である。この了意に関しては北条秀雄氏の『改訂増補 浅井了意』(昭和四十七年)に詳しい(注2)。
 また、この作品の初版初印本には刊記がなく、したがって刊行年も不明であるが、これについて、朝倉無声氏は『徳川文芸類聚』(大正三年)で「寛文初年京都にて初版を出せしものなるべし。」とされ、水谷不倒氏は大正八年の『仮名草子』では「京版の初版には年号あるものを見ざれども、万治もしくは寛文初年の版行なるべく、」とされ、昭和四年の『新撰 列伝体小説史 前編』では「万治四年」としておられる。さらに北条秀雄氏は「寛文初年」(『浅井了意』)、野田寿雄氏は「万治元年」(『国語国文研究』昭和三十八年二月)とされたが、前田金五郎氏は『国語国文』昭和四十年六月号において、従来の諸説を参照し、作品の題材と史実の関連等を検討の後、「寛文四年以後の執筆」と推定され、さらに「寛文五年の述作・刊行であろうか。」と推量しておられる。

 以上の如く、浅井了意によって寛文四、五年頃に作られ、京都で刊行されたと思われる『浮世物語』は、天和元年・山田喜兵衛刊の『書籍目録大全』には、
 「五 うきよ物語 松雲了意 四匁五分」とあるが、同じ五冊本の『可笑記』が、
 「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
  五 同 大字 七匁
  五 同 小本     四匁  」
とあるのに比較すれば、それほど高価であったとは言えない。ところが、水谷弓彦氏の『明治大正古書価の研究』(昭和八年)による
と、明治二十三年から大正十五年までの三十七年間に『可笑記』は、
「明治28年 可笑記   如儡子 寛永19年 五冊  五〇銭
 明治34年 可笑記       寛永板  五冊 二円五〇銭
 明治38年 可笑記            五冊 一円五〇銭
 明治42年 可笑記       寛永板  五冊 三円
 大正3年 絵入可笑記     万治2年板 五冊 三円五〇銭
 大正4年 可笑記       寛永板   五冊 二円五〇銭
 大正8年 絵人可笑記     万治2年板 五冊 一〇円
 大正9年 可笑記       寛永板   五冊 一〇円
 同   同         万治板ゑ入 五冊 二〇円   」
と九本も古書店に出ているのに対し、『浮世物語』は、
「明治44年 浮世物語  中摺一の巻欠四冊合 一冊 二円五〇銭
 大正々年 続可笑記  浮世物語の改題青山表紙 一冊 一〇円」
と二本しか出ず、しかも、明治四十四年のものは欠本でありながら二円五十銭とあり、大正四年には『可笑記』の寛永版が二円五十銭であるのに『浮世物語』の改題本『続可笑記』は十円なのである。これは決して、その版本の良否のみからくる差ではなく、やはり『浮世物語』の伝本が少ない事と関わっているものと思う。私の調査した結果によれば、『可笑記』は四版で六十点以上伝わっているのに対し、『浮世物語』は二版で十三点に過ぎない。
 この作品の本文は、大正三年に朝倉無声氏によって『徳川文芸類聚』に収められ、昭和四十年には、日本古典文学大系『仮名草子集』で、前田金五郎氏乃厳密・詳細な校注が施され、さらに昭和四十六年の日本古典文学全集『仮名草子集・浮世草子集』においては、谷脇理史氏の現代語訳が加えられた。そして、右の三者が、共に初版本としての十一行本京都版を底本にされたのは、当然の事と思うが、ここに、寛文十年、江戸で刊行された十四行本『浮世ばなし』を、現存唯一の完本・赤木文庫所蔵本に拠って複製公刊する事は、十分の意義があるものと思う。

『浮世物語』の諸本について実地に踏査した結果、それらは次の如く分類する事ができると思われる。

一、十一行本
 1 無刊記本
 2 京都 平野屋版
 3 京都 風月堂版
 4 京都 尚書堂版
 5 延宝九年版(伝存不明)
二、十四行本
 1 江戸 松会版(『浮世ばなし』と改題)
 2 大阪 丹波屋・田原屋版
 3 大阪 定栄堂版(『続可笑記』と改題) 
三、その他
 1 写本
 2 改題本『いかだ船』 (伝存不明)

 以下、これらの諸本についての書誌的概観を試みたいが、同一版木に拠るものの中では、一本についてのみ版式を詳しく記し、他の諸本は主としてこれと異なる点を記すに止めたい。まず底本に使用した、赤木文庫所蔵本の書誌を掲げ、以下は右の分類に従う。

■底本 赤木文庫本 浮世ばなし

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
表紙  藍色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦270ミリ×横185
  ミリ(巻一)、大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽、「絵入 うき世はなし 一(~五)」 
  縦160ミリ×横36ミリ、巻一は部分的に欠損あり。
匡郭  四周単辺、縦227ミリ×横161ミリ(巻一の1丁表)。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「浮世はなし はし書」、各巻
  目録の初めに「浮世物語巻第一目録」「浮世物語巻第二(~五)
  目録」。
尾題  なし。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
字数  序…一行約21字、本文…一行約26字。
行数  序…12行、目録…巻一・巻三・巻五は各10行、巻二・巻
  四は各12行、本文…毎半葉14行。
丁数  巻一…18丁、巻二…16丁、巻三…20丁、巻四…12丁、
  巻五…12丁。 
章段数  序、巻一…9話、巻二…11話、巻三…14話、巻四…1
  0話、巻五…7話。
柱刻  「浮世 巻一  一(~十八)」「浮世 巻二 一(~十六)」 
  「浮世 巻三 一(~二十)」「浮世 巻四 一(~十二)」「浮世
  巻五 一(~十二)」、ただし巻二の13丁は丁付なし。
刊記  巻五の12丁裏に「寛文十年戌正月吉日/松会開板」とある。
  ただしこれは埋木。
挿絵  巻一…7図(3・5・7・9・11・13・16の各丁表)、
  巻二…4図(3・6・9・13の各丁表)、巻三…7図(3・6・
  9・12・15・17・19の各丁表)、巻四…5図(3・5・
  7・9・11の各丁表)、巻五…14図(3・5・8・10の各
  丁表)。                     
蔵書印・識語  「龍吟閣図書記」[赤木山」「横山重」の朱印。帙に
  白紙が貼付されており、ペン書にて、現所蔵者・横山重氏の次の
  識語がある。「浮世物語 浅井了意作/○初刊本 原版は恐らく
  寛文初年なるべし(小説年表四五頁)/万治三、四年頃の京版(水
  谷不倒翁)/○第二刊本 天和元年板本(潁原氏)/○第三刊本
  元文二年『続可笑記』(求板とある)/右の三種の刊本の関係は、 
  どうなつてゐるか、今/は不明である。予は第三の改題本を見た
  のみで/ある。(第三は第二の本の後印改題本か初刊/本の後印
  本ではあるまい。)/○江戸板 寛文十年戌正月吉日 松会開板
  /此本、昭和十一年四月、高嶋屋の ″和漢稀書善/本展覧会″
  (一誠 吉原雀500、三茶一幅400を出す)に、村口が出品した。
  極上本である。/江戸板にして、題簽そろふといふは、稀有のこ
  とに/属する。/因に、潁原氏、解題(岩波講座24頁)に云ふ。
  『了意/多くの作品を残してゐるが、名所記、伽婢子、犬張子、
  本書と/が、最も代表的なものであらう。』云々。」「浮世ばなし
  寛文十年/この画家は、寛文九年の『北野通夜』延宝八年/の『け
  んさい物語』の画家と同人なるべし。/愛子説/巻一片面七/巻
  二片面四/巻三片面七/巻四片面五/巻五片面四/二十七図
  」「弁疑書目上 六十二オ/いかだ船 うき世物語」「続可笑記
237 284/浮世物語 後印改題本/宝暦七年乙丑春正月発行/
摂陽書肆 定栄堂」。さらに村口の出品目録と思われる次の紙片が貼付されている。「一六七〇 うきよはなし 寛文十年松会開板絵入、元表紙/外題付極上本」。

■『浮世物語』全体の諸本についての報告

一、十一行本

 1、無刊記本

所蔵者  京都大学文学部国語学国文学研究室・国文学 pb 31。
表紙  濃縹色元表紙、万字つなぎ牡丹唐草模様、縦263ミリ
  ×横180ミリ(巻一)、大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽「うき世物語 一(~五)」縦1
  79ミリ×横38ミリ。
匡郭  四周単辺、縦210ミリ×横158ミリ(巻一の1丁表)。                         
内題  各巻頭、目録の初めに「浮世物語巻第一(~五)目録」。
                         (注3)
尾題  なし。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
字数  一行約21字。
行数  毎半葉11行。
丁数  巻一…30丁、巻二…31丁、巻三…35丁、巻四…2
  2丁、巻五…20丁。
章段数 巻一…10話、巻二…11話、巻三…14話、巻四…1
  0話、巻五…7話。
柱刻  「浮世物語巻一  一 (~三十終)」「浮世物語巻二 一
  (~三十一終)」「浮世物語巻三 一 (~三十五終)」「浮世
  物語巻四 一 (~二十二)」「浮世物語巻五 一 (~二
  十)」。
刊記  なし。
挿絵  巻一…12図 (1丁裏・5丁裏・7丁裏・10丁表・
  12丁裏・14丁裏・17丁表・19丁裏・21丁裏・24
  表・30丁表・30丁裏)。
  巻二…11図(3丁裏・5丁裏・9丁裏・13丁裏・16丁
  裏・19丁表・21丁裏・23丁裏・26丁表・28丁表・
  31丁裏)。
  巻三…13図(3丁表・7丁表・9丁表・12丁表・14丁
  表・17丁裏・20丁裏・23丁裏・26丁裏・29丁表・
  31丁表・32丁裏・33丁裏)。
  巻四…9図(6丁表・7丁裏・10丁表・13丁裏・16丁
  表・17丁裏・19丁裏・21丁表・22丁裏)。
  巻五…6図(5丁裏・9丁表・10丁裏・13丁裏・
  16丁裏・20丁裏)。
蔵書印  「京都帝国大学図書之印」の朱印、「京大/466702/
  昭和6・11・9」の青印。

2、 京都 平野屋版

所蔵者  日比谷図書館・東京誌料・472 23 貴重書。
表紙  改装後補濃縹色表紙、縦243ミリ×横178ミリ、大
   本。
題簽  なし。
冊数  一冊に合綴。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、 
  これは埋木。
蔵書印・識語  「森田」の黒印、「物集文庫」「大礼記念図書
  」「東京市立日比谷図書館東京誌料蔵書」の朱印、「東京市立
  日比谷図書館/東京誌料/37355/昭34・3・4和」の青印。
  巻五の10丁表の第三話の文末に続けて墨書にて「かくて浮
  世坊こゝろさひしくしたゝか/せんつりかいて情をゝとしけ
  りあゝら/をしいかな腎水沢山にへつたぞ〳〵いま〳〵しい
  けたいのわるいウ、すウ……」の4行が補筆されている。そ
  の他、本文の所々に朱引きが入っている。

所蔵者  日比谷図書館・特別買上文庫・4261~5.
表紙  後補薄茶色表紙、縦255ミリ×横183ミリ、大本。
題簽  なし。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし
   これは埋木。
蔵書印・識語  「いせ左」「キクリ」の黒印、「月明荘」「反町
   文庫」「東京都立日比谷図書館蔵書」「日比谷図書館」の朱
   印。「東京都立日比谷図書館/0148288/昭34・9・21
   和」「Q91351/2/1(~5)」の黒印。巻一の27丁表
   に「嗚呼痛哉不及見」、帙に白紙を貼付して「浮世物語 浅
   井了意 万治中刊 全五冊」と墨書。
その他  巻二の1丁・2丁が落丁。

所蔵者  吉田幸一氏
表紙  濃縹色元表紙、万字つなぎ牡丹唐草模様、縦256ミリ
   ×横183ミリ、大本。ただし、巻一の前、巻三の後、巻
   四の前・後、巻五の前は濃縹色の表面紙が剥離している。
題簽  巻二・巻三は左肩に四周双辺原題簽「うき世物語二(三)
   」縦179ミリ×横38ミリ。巻一・巻四・巻五は題簽欠
   で、左肩に「うき世物語一(四。五)」と墨書。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、
   これは埋木。
識語  帙に「浮世物語 寛文初年刊 上本 五冊」と墨書。

3、 京都 風月堂版

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
表紙  後補藍色表紙、縦252ミリ×横184ミリ、大本。
題簽  なし。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、 
   これは埋木。巻五後表紙見返しに、縦132ミリ×横47
   ミリの枠の中に「京都二条通衣店/風月堂荘左衛門」とあ
   る。
蔵書印  「金銀/不口/仝/伏見/佐渡屋政右衛門」「本宗
   」「松嘉」「克泉」の黒印、その他黒印一顆。
その他  巻四の12丁・22丁が落丁。

4、 京都 尚書堂版

所蔵者  広島大学附属図書館
  日本古典文学大系『仮名草子集』において前田金五郎氏は「天
  保七年頃刊。京都尚書堂堺屋仁兵衛・同儀兵衛版。」として
  おられる。未見。

5、 延宝九年版(伝存不明)

二、十四行本

1、 江戸 松会版(『浮世ばなし』と改題)

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
  前記(二九四頁)の通り。

所蔵者 吉田幸一氏
表紙  藍色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦270ミリ×横1
   85ミリ(巻二)、大本。
題簽  巻二は左肩に四周双辺原題簽「絵入 うき世はなし
   二」縦158ミリ×横35ミリ。巻三は剥落の跡のみ。巻
   五は原題簽の部分を存す。
巻数  巻二・巻三・巻五の三巻。
冊数  三冊。
識語  巻二前表紙見返しに墨書にて書入れあり。帙に「浮世物
   語 寛文十年松会開板/巻二、三、四」と墨書。
その他 巻一・巻四が欠。

2、 大阪 丹波屋・田原屋版

所蔵者  京都大学文学部国語学国文学研究室・国文学pb37。
表紙  黄土色元表紙(改装)、縦254ミリ×横180ミリ、
   大本。
題簽  左肩に四周双辺後補題簽、墨書で「浮世ものかたり」縦
   177ミリ×横33ミリ。
内題  各巻頭、目録の初めに「浮世ものかたり二(~五)」と
   ある。ただし、これは埋木。
巻数  巻二・巻三・巻四・巻五の四巻。
冊数  一冊に合綴。
刊記  巻五の12丁裏に「元文二年/巳孟春/心斎橋筋南久宝
   寺町/丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町/田原屋平兵衛/
   求板」とある。ただし、これは埋木。
蔵書印・識語  「京都帝国大学図書之印」の朱印、「京大/
   121075/大正1・10・20」の青印。前表紙見返に「精木
□ □□/官倉豈無粟/粒々蔵珠磯/一粒不出倉/含中群
鼠肥/□内米生虫/庫中銭爛貫」、巻五の12丁裏の刊記
の前に「安政四巳迄百廿年成」と墨書。
モの他  巻一が欠。
 

所蔵者 東京大学附属図書館・霞亭文庫・B24677。
表紙  黄土色元表紙、縦254ミリ×横182ミリ。大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽「浮世物語 一 (二)」縦15
   7ミリ×横33ミリ(巻二)。巻一は欠損あり、巻三は剥
   落の跡のみ。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「浮世ものかたり一」、各
   巻目録の初めに「浮世ものかたり一(~三)」とある。た
   だし、これは埋木。
巻数  巻一・巻二・巻三の三巻。
冊数  三冊。
刊記  欠巻のため、なし。
蔵書印・識語  「中井文庫」「霞亭文庫」「東京帝国大学図書印
   」の朱印。巻一前表紙に紙箋を貼付して、朱筆にて「延宝
   九年版 浅井了意」とあり。巻三のさし絵に書き込みあり。
その他  巻四・巻五が欠。巻一の17丁・18丁が落丁。

3、 大阪 定栄堂版(『続可笑記』と改題)

所蔵者 国会図書館・237 284。
表紙  元表紙なし、国会図書館専用茶色表紙を補う、縦258
   ミリ×横185ミリ、大本。
題簽  左肩に四周双辺後補題簽「続可笑記 全」と墨書、縦1
   83ミリ×横39ミリ。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「続可笑記巻一」、各巻目
   録の初めに「続可笑記巻一(~五)」とある。ただし、こ
   れは埋木。 
冊数  一冊に合綴。
柱刻  江戸、松会版(赤木文庫蔵本)と同じであるが、巻一の
   1・2・3・4、巻二の13・14・15・16、巻三の
   1・2・3・4、巻四の1・2・3・4、巻五の1・2・
   3・4・9・10・11・12の各丁は「浮世」の二字を
   削除している。
刊記  巻五の12丁裏に「元文二年/巳孟春/心斎橋筋南久宝
   寺町/丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町/田原屋平兵衛/
   求板」とある。ただし、これは埋木。前表紙見返しに、縦
   220ミリ×横168ミリの子持枠の中に「続可笑記 全
   部五冊/宝暦七年乙丑春正月発行/摂陽書肆 定栄堂」と
   ある。後表紙見返しに、縦191ミリ×横148ミリの枠
   の中に「書肆 定栄堂/大坂 心斎橋南四丁目東側/吉文
   字屋市兵衛/同安土町北へ入ル西側/同 源十郎/江戸
   日本橋南三丁目西側/同 治郎兵衛」とある。
蔵書印  「帝国図書館蔵」「図/明治三八・二・二一・購求
   」他一顆の朱印。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

所蔵者  天理図書館・913 61イ55 1~5。
表紙  後補水色表紙、縦260ミリ×朧183ミリ、大本。
題簽  左肩に後補題簽、巻一は四周双辺(縦203ミリ×横3
   3ミリ)で「続可笑記 一」と墨書。巻二以下は薄紅色紙、
   四周単辺(縦181ミリ×横38ミリ)で「続可笑記二(~
   五)」と墨書。
内題・柱刻・刊記  共に国会図書館蔵本(237 284)と同じ。
蔵書印・識語  「平出氏書室記」「兎角菴」「富」「安永五丙申
□ □□」「合」の朱印、「大」の黒印、「天理図書館蔵」「天
理図書館/昭和廿八年七月弐拾日/456789(~456793)」「昭和廿七年三月五日/寄贈/天理教教会本部」の朱印、その他朱印・黒印数顆。巻一前表紙に白紙貼付で「水二共五冊」「比」と墨書、巻一前表紙見返しに白紙貼付で「此書はむかしのおもしろ/おかしき事を書し書也」と墨書。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

所蔵者  東京教育大学附属図書館・ル150 40。
表紙  後補渋色引き表紙、縦257ミリ×横184ミリ、大本。
題簽  なし。
内題・柱刻  共に国会図書館蔵本(237 284)と同じ。
冊数  一冊に合綴。
刊記  国会図書館蔵本(237 284)と同じであるが、後表紙
   見返しの書肆名は無い。
蔵書印・識語  「東京文理科大学附属図書館印」の朱印、「和
   213、567」の墨書。巻四の2丁裏7行目「うへは人
   にして」の「うへ」は、この後印本は欠字となっているが、
   この部分を「らたは人にして」と誤って補筆している。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

三、その他

1、写本

所蔵者  国会図書館・147 76。
表紙  茶色横縞表紙、縦260ミリ×横180ミリ、大本。
題簽  左肩に四周双辺「浮世物語 全」と墨書、縦181ミリ
   ×横42ミリ。
匡郭  なし。
内題  各巻目録の初めに「浮世物語巻上(中、下)目録」。
尾題  各巻末に「浮世物語上終」「浮世物かたり中終」「うき世
   物語下終」。
巻数  三巻(欠巻なし)。
冊数  一冊に合綴。
字数  一行約22字。
行数  目録…巻上・巻下は各11行、巻中は10行、本文…毎
   半葉11行。
丁数  巻上…37丁、巻中…36丁、巻下…35丁。
章段数  巻上…15話(11行本巻二の5まで)、巻中…18
   話(11行本巻三の12まで)、巻下…19話(11行本
   巻五の7まで)。
柱・挿絵  なし。
蔵書印・識語  「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」「図
   /明治二二・二・二〇・購求」の朱印、「元知」の黒印、
   その他朱印一顆。巻下35丁裏の本文に続けて「延宝九ね
   ん/弥生中しゆん」と墨書。巻中の2「篠田きつねの事付
   狐にばかされし事」の文末に「これをよく〳〵はんじてみ
   たらば五十三ツキ」、巻中の5「大にくせある事」の文末
   に「と古人も是書残したりや目出度□□□也」、巻中の7
   「宗旨を尋ぬる事」の文末に「ゑをいるものは□□なりと
   大皆是いふ物か」、巻中の12「ぬす人の事」の文末に「し
   ることはおさらば〳〵」、巻中の13「鴈がものいねをく
   らふなんぎの事」の文末に「是こそ大なるくそたわけ」、
   巻中の14「万事こゝろへちがひの事」の文末に「御もつ
   とも〳〵」等の短評が墨書にて付加されている。

2. 改題本『いかだ船』(伝存不明)

■ 以上、諸本の略書誌を記したが、次にこれら各版について述べたいと思う。

一、十一行本

 十一行本は、従来京都版と言われてきたものである。私の調査し得た限りでは、この版木を使ったものの中で最も早い刷りの版本は、京都大学文学部国語学国文学研究室所蔵本であると思われる。この版本には刊記が無く、したがって刊年も書肆も不明であるが、版式その他の諸条件から推測して、京都で出版されたという事は、ほぼ誤りの無いものと思われる。野田寿雄氏は、初版本巻三17丁の                                  丁付けに、「十六」「十七」と二つの丁数が誌されている、と述べておられるが(注4)、京都大学蔵本の巻三の丁付けは「…十五・十六・十七・十八…」となっている。野田氏の調査された版本とこの京大本といずれが早い刷りか判断できないが、野田氏が平野屋佐兵衛版の
如く書いておられるところから考えると京大本の方が早いのではないかと思う。したがって、この京大本を、現時点で初版初印本と断定し得なしにしても、これが早印本である事は確かであると思われる。なお、北条秀雄氏は十一行本が了意自筆の版下に拠るものである事を、横山重・愛子両氏の賛同をも得て、新たに判定された(『改訂増補 浅井了意』)。
 十一行本の第二次印本と思われるのが、日比谷図書館所蔵の二本と吉田幸一氏所蔵本である。これには巻五の20丁表に「平野屋佐兵                                                       衛開板」と書肆名が埋木されている。平野屋佐兵衛は、京都二条通り観音町で明暦から正徳にかけて活動した書肆である(注5)。この平野屋は山森六兵衛(京都柿椹木町通り烏丸東入る、明暦―寛文)が寛文七年に刊行した『京童跡追』の版木を使って後に出版している。このような点から推測すると『浮世物語』の初版初印本(無刊記本)の刊行者は、あるいは京都の山森六兵衛であったかも知れない。                                
 第三次印本は、赤木文庫所蔵の風月堂版で、これは平野屋版の求版
本である(注6)。広島大学図書館所蔵の尚書堂版が第四次印本であ
るか否か、未見のため断定できないが、平野屋版の後印本である事は前田金五郎氏によって明らかにされている(注7)。
 また、朝倉無声氏は「延宝九年に至り、原版(十一行本)を再摺して、年月を入木せしもの」があると記され(『徳川文芸類聚』)、水谷不倒氏も「延宝九年と入木したるもの」は十一行本(京都版)の後印本であるとしておられる(『仮名草子』)ので、現在、その所在が明らかになっているものの外に「延宝九年」の刊年記を有する後印本があったものと思われる。国会図書館所蔵の写本は三巻本であるが、巻末に「延宝九ねん/弥生中しゆん」とある。あるいは朝倉・水谷両氏の言われる延宝九年版の転写本であるかも知れない。                              さらに北条秀雄氏・野田寿雄氏は、天和元年版が在る如く記しておられるが(注8)、これも未見である。共に今後の調査に悦ちたいと思う。

二、十四行本

十四行本は従来江戸版と言われてきたものである。十四行本の中で刷りが最も早く、また完本でもあるのは赤木文庫蔵本のみである(吉田幸一氏蔵本は欠本)。この赤木文庫本には巻末に「寛文十年戌正月吉日 松会開板」とあるので、十一行本が京都から出されてしばらく経った、寛文十年一月に江戸で出版された事がわかる。この「松会」は、江戸長谷川町横丁に住し、明暦から寛政にかけて『明暦武鑑』『薄雪物語』『稚源氏』等を出版した御用書肆・松会三四郎であるうと思われる。ただこの刊記の部分は埋木になっているので、あるいは、松会は、いずれかの版元から版木を求めて出したのかも知れない。なお、水谷不倒氏は『仮名草子』に十四行本の刊記のある丁(巻五の12丁裏)を覆刻しておられるが、原本の匡郭の上下にみられる中断箇所が、この覆刻では接続されている。もしこれが底本通りであるとすれば、この覆刻の底本が初印本という可能性もある訳であるが、子細に調べるとやはり底本は中断しており『仮名草子』の版下を作る時、補修接続させたものと判断される。したがって、現時点では、寛文十年松会開板の刊記のあるものが最も早い刷りではないかと思われるのである。                                                          
 十四行本第二次印本の刊記は「元文二年 巳孟春/心斎橋筋南久宝寺町 丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町 田原屋平兵衛/求板」(注9)とある。これは松会版の刊記を削除して埋木したもので、この刊記を有するのは、京都大学所蔵本であり、東京大学所蔵本は欠本のた
め刊記を欠くが、表紙・内題・その他の条件から判断して、ここに入れるの事が妥当と思われる。                     
 第三次印本は、大阪の定栄堂・吉文字屋市兵衛等(注10)から宝暦七年一月に刊行された。国会図書館・天理図書館・東京教育大学図書館、各所蔵本が共に題簽を欠くが、内題を「続可笑記」と改め、また巻頭・巻末の柱の「浮世」の二字を削除して、その不自然さを除こうとした痕跡がある。なお、『享保以後 大阪出版書籍目録』(昭和十一年)の宝暦六年の条に「続可笑記 五冊 以前「浮世物語」と題せしを改題板行 右板元吉文字屋市兵衛より申出あり本屋行司にて聞届く 申出年月」とあるので改題本『続可笑記』刊行当時の事情が推測できる。
 右にみてきた如く、十四行本は寛文十年に『浮世ばなし』と改題出版されて以来、元文二年には再び『浮世物語』となり、さらに宝暦七年には『続可笑記』と改題されたが、ここで注意すべきは、寛文十年の松会版から元文二年の丹波屋・田原屋版の間で、版木の事故があったと推測される事である。東京大学所蔵本は巻一の17丁・18丁が落丁となっているが、これが単なる落丁でない事は、後の定栄堂版の国会図書館・天理図書館・東京教育大学の各蔵本も共にその箇所が落丁になっているのでもわかる。しかも松会版の吉田幸一氏蔵本も巻一が欠巻となっているのであるから、巻一の17丁・18丁を伝えているのは、赤木文庫蔵本一本という事になる。その意味でも赤木文庫本は貴重な存在であると思うのである。

  三、その他

 国会図書館は写本一冊を所蔵する。これは上・中・下の三巻であるが、内容は版本と変わりなく、五巻本を三巻に組み変えたに過ぎない。版本との本文異同を調べてみると、十一行本に近い本文になっている。十一行本の項でも述べたが、十一行本には延宝九年版が在ったものと推測される。この写本の大尾には「延宝九ねん 弥生中しゆん」とあり、あるいは、その延宝九年版の転写本であるかも知れない。
 『弁疑書目録』三巻三冊(国会図書館蔵)は「宝永第六霜月吉旦/中村富平謹書」の奥書をもち、宝永七年の刊行であるが、その 「第四古今書目」の条に「いかた船 五冊 うき世物語」とある。「古今書名ノ変改セル少ガラス。仮令太平記ノ題号、四度易レルノ類ナリ。今其ノ大概ヲ挙テ、我カ童子ノ輩ニ与テ、迷ナカラシメントス。上等二連ヌルモノハ、今名。下等ニ列ヌルモノハ古名ナリ。」と                                いう付言によれば「うき世物語」は[いかだ船]と改題されたものの如くである(注11)。伝本未詳の現在、この『うき世物語』を浅井了意の『浮世物語』と断定する事はできないが、一応ここに記して今後の調査に俟ちたいと思う。

 以上、各版について簡単に述べたが、少なくとも、十一行本は五度、十四行本は三度、その版元を変え、刷りを重ねた事が解った。現在までに調査し得た限りでは、まだ多くの疑問が残っているが、この作品の諸本は一応次の如く図示できるのではないかと思う

■『浮世物語』諸本系統図(試案)  【ここでは省略、原本参照】

■十一行本と十四行本の本文異同について【ここでは省略、原本参照】

  

『明心宝鑑』の諸本について

 『明心宝鑑』は明末から清初にかけて盛んに行なわれたという善書の中の一つである。
 「善書とは勧善の書という意味の語で、(中略)勧善懲悪のために
 民衆道徳及びそれに関連する事例、説話を説いた民間流通の通俗書
 のことである。」
 酒井忠夫氏は、その著『中国善書の研究』(昭和三十五年)でこのように述べておられ、さらに『明心宝鑑』の成立時期については、『明実録』万暦十五年(一五八七年)の条に、洪武帝の勅選書である『大誥』と共に本書が教化に用いられた事が記されている事から、明代にまとめられたものであろうと推測しておられる。
 本書は、上下二巻。七二七条の孔孟、老荘等、先賢の言を、継善・天理・順命・孝行・正己・安分・存心・戒性・勤学・訓子・省心・立教・治政・治家・安義・遵礼・存信・言語・交友・婦行の二十篇に分類して収録したものである。教化の書として、中国・朝鮮でかなり用いられたもののようであるが、L・G・クノート、白石晶子両氏の研究によると、本書はイスパニア語に二度も翻訳された事実がある(注12)。また日本にも、明の王衡の校訂になる『明心宝鑑正文』はじめ諸版が伝来したが、寛永八年に中野道伴は逸早くこれを覆刻している。                                
 中国善書と日本文化との関係については、酒井忠夫氏の研究があるが(注13)、仮名草子と深い関係がある事を主張されたのは、前田金五郎氏である。前田氏は、日本古典文学大系『仮名草子集』の解説で、「仮名草子、特に了意のそれの研究には、明刊本または朝鮮覆刻本
で、近世初期日本に流布していた書籍の調査がきわめて必要である」とされ、中国善書『明心宝鑑』『迪吉録』と『浮世物語』との深い関係は「広く仮名草子(特に教訓物)と善書類との関連研究の必要性を示すものとして注目に価いするであろう。」と述べておられる。そして、具体的な関連については、その頭注・補注で示された外、『国語国文』(昭和40年6月号)でも子細に分析しておられる。
さらに、小瀬甫庵の『明意宝鑑』『政要抄』、林道春の『童蒙抄』、野間三竹の『北渓含毫』等、近世初川の諸書に『明心宝鑑』からの引用がみられる事実を指摘された前田氏は、「学問・文化が一般化し、庶民の啓蒙教化に著しい進展が見られ」だ明代は、日本の江戸時代にきわめて類似しており、「実用実践を重んずる傾向と庶民的傾向とを特色とする明代文化の一結実が善書であるとするならば、その日本化が仮名草子の教訓物と言い得るであろう。」と両者の関係の深い事を説いておられる。
                                               『明心宝鑑』の諸本についても、すでに前田金五郎氏(注14)、およびL・G・クノート、白石晶子両氏の調査がある(注15)。その後、私の調査し得たものを加えて整理すると次の通りである。

一、明心宝鑑 ファン・コーボ使用の写本
  上智大学・キリシタン文庫(複製本) 
二、明心鑑正文 明版
  内閣文庫
三、明心宝鑑定本 明版
  尊経閣文庫
四、明心宝鑑 清版
  松平文庫
五、新校明心宝鑑正文 清版
  日比谷図書館・加賀文庫
六、新刻全本明心正文 清版か
  岡会図書館
七、明心宝鑑抄 朝鮮版
  京都大学図書館・谷村文庫 
  東洋文庫
  早稲田大学図書館
八、明心宝鑑正文 和刻本 寛永八年版
  お茶の水図書館・成簣堂文庫
  香川大学図書館・神原文庫
  関西大学図書館・泊園文庫
  京都大学図書館
  伊達文庫
  東北大学図書館・狩野文庫
  内閣文庫
  長澤規矩也氏
  前田金五郎氏
  松平文庫
  龍谷大学図書館
九、イスパニア語版
  Beng Sim Po Cam ファン・コーボ訳(一五九二年)
  上智大学・キリシタン文庫(複製本)
  Ming Sin Pao Kien フェルナンデス・デ・ナヴァレテ訳
             (一六七六年)
  東洋文庫

 さらに、前間恭作氏は『古鮮冊譜』で「明心宝鑑 華本翻印」として九本を列挙され、『奎章閣図書館韓国本総目録』には『明心宝鑑抄』二本の書誌が報告されている。これらの諸本については、右の前田、クノート、白石、三氏が詳しく述べておられるので省略したいと思う。

和刻本『明心宝鑑正文』の内、早印本と思われる長澤規矩也氏所蔵本を本影印の底本に使用したが、その書誌は次の通りである。

所蔵者 長澤規矩也氏・二四五二号
表紙  焦茶色表紙、縦275ミリ×横172ミリ、大本。
題簽  左肩に後補題簽、四周無界「明心宝鑑正文」と墨書、縦18
   2ミリ×横35ミリ。
匡郭  四周双辺、縦208ミリ×横153ミリ(巻上の1丁表)。
内題  目録の初め(巻上の1丁表)に「明心宝鑑正文目録」、各巻
   本文の初めに「新鍥京板正譌音釈提頭大字明心宝鑑正文上巻
   」「新鍥校正提章分類大字明心宝鑑正文巻之下」。
尾題  各巻末に「一巻畢」「明心下巻大尾」。
巻数  二巻(欠巻なし)。
冊数  一冊に合綴。
字数  一行21字。
行数  毎半葉10行。
丁数  巻上…26丁、巻下…28丁。
章段数  巻上…10篇332条、巻下…10篇395条(目次題に
   拠る)。
柱刻  「明心宝鑑正文 上巻 一 (~廿六)」「明心宝鑑正文 下々
   乙(~廿八)」。ただし、巻上の13・14・23・24、巻
   下の7・10・18・23・28の各丁は「明心宝鑑正文」が
   「明心正文」となっており、巻上の2~13・15~26、巻
   下の乙~4・8・11・13~28の各丁は「上巻」「下巻
   」が「上々」「下々」となっている。
刊記  本文の初め(巻上の1丁裏)に「太倉 緱山 王衡 校/書
   林 弼廷 陳氏 梓」とあり、巻下の28丁裏に「寛永辛未三
   月道伴刊行」とある。
蔵書印・識語  「放生図書之記」他二顆の朱印。前表紙見返しに「福
   島県岩代国信夫□□□/大字上□渡字山□/放生蔵書」、後表
   紙見返しに「日新/山県蔵/三省蔵本」の墨書。その他、本文
   内に朱点・朱引きあり。

 和刻本『明心宝鑑正文』は、明の王衡が校訂し、書肆・陳弼廷が刊行した明版『明心宝鑑正文』(上・下二巻、合一冊、内閣文庫蔵)
を覆刻したものである。明版より行間を広くして、振り仮名・送り仮名・返り点等を付加し、巻上の1丁表の挿絵を目録に変え、柱刻の内、書名の欠けている丁(巻上の1・2・5・6、巻下の1・23の各丁) は書名を加えるなど、厳密にはかぶせ版と言い得ないが、それに近いものである。本文は字形に多少の異同はあるが、かなり忠実に覆刻されている。巻下28丁裏の匡郭外に「寛永辛未三月道伴刊行」とあるので、この和刻本は寛永八年三月に「道伴」によって出版された事がわかる。「道伴」は中野市右衛門で、京都寺町通リ四条上ル、に住し、元和から寛文にかけて『四教儀集註』『周易伝義』『日蓮上人註画讃』『節用集』等を刊行した書肆である。
 寛永八年に覆刻された『明心宝鑑正文』は万治二年の書籍目録(写本)から正徳五年の『増益書籍目録大全』まで、その書名が見える。また、『俚言集覧』の著者・太田全斎は、寛政九年の序をもつ『諺苑』で本書を引用してもいる。近世全体を通じて用いられた事が解る。

【注】
注1 書籍目録については『江戸時代書林出版書籍目録集成』(慶応
  義塾大学附属研究所斯道文庫編)に拠った。
注2 浅井了意に関する参考文献については、日本古典鑑賞講座『御
  伽草子・仮名草子』所収、水田紀久氏編「仮名草子文献目録」、
  および『改訂増補 浅井了意』所収、若木太一氏編「浅井了意関
  係研究文献目録」を参照願いたい。
注3 初版・十一行本の内題は部分的に埋木されていると思われると
  ころがある。もしそうであるとすれば、この作品の最初の書名は
  何であったか。という重大な問題になる。この事に関しては、長
  澤規矩也氏、中村幸彦氏の有益な御教示を賜った。柱刻その他と
  の関連をも合わせて、今後さらに考察を深めたいと思っている。
注4 『国語国文研究』第24号(昭和38年2月)。
注5 当時の書肆については、井上和雄氏編・坂本宗子氏増訂『増訂
  版慶長以来書賈集覧』に拠った。
注6 風月堂庄左衛門、沢田氏、寛永―現代、京都二条通り衣棚東南
  角、に住す。『孔子家語』『新蒙求』『名臣言行録外集』等を刊行。
注7 堺屋仁兵衛、辻本氏、尚書堂、宝暦―明治、京都三条通り柳馬
  場東角、に住す。
注8 北条秀雄氏『浅井了意』、野田寿雄氏『国語国文研究』第24号。
注9 丹波屋理兵衛、元文―明和。田原屋平兵衛、元禄―享和。
注10 吉文字屋市兵衛、鳥飼氏、定栄堂、元禄―文政。吉文字屋源十郎、宝暦―享和。吉文字屋治郎兵衛、春秋堂、貞享―文化。
注11 この改題本『いかだ船』については、すでに横山重氏(同氏
  所蔵十四行松会版の識語)、前田金五郎氏(日本古典文学大系『仮
  名草子集』)も指摘しておられる。
注12 『近世アジア教育史研究』(昭和四十一年)所収「明心宝鑑―
  明心宝鑑の流通とイスパニア訳の問題―」
注13 前掲『中国善書の研究』ならびに『近世アジア教育史研究』
  所収「善書―近世日本文化に及ぼせる中国善書の影響並びに流通
  ―」
注14 『国語国文』昭和40年6月号。
注15 注12に同じ。

【付記】
      
 横山重先生、長澤規矩也先生は、貴重な御所蔵本を底本として使用する事を許可され、長期間に亙ってその借覧を許された上、多くの御教示を賜わりました。
 前田金五郎先生は、この解題担当の機会を与えて下さったのみならず、全面的に御指導下さいました。この調査は、前田先生の御調査を基礎にして、わずかの事を明らかにしたに過ぎません。
 諸本の閲覧に際しましては、金子和正、佐竹昭広、下房俊一、中田祝夫、中村幸彦、吉田幸一の諸先生に格別の御高配と有益な御教示を賜わり、赤木文庫、京都大学図書館、国会図書館、天理図書館、東京教育大学図書館、東京大学図書館、日比谷図書館、内閣文庫の御世話になりました。
 また、仮名草子の諸本調査を精力的に進めておられる、二松学舎大学の小川武彦氏には陰に陽に、多大の御世話になりました。
 以上の皆様方に心から御礼申し上げます。
 なお『浮世物語』の諸本については、疑問の点が少なからず残されておりますが、今後さらに調査を重ね、考察を深めてゆきたいと思います。
                   昭和四十七年五月十五日

●本書は、横山重先生、前田金五郎先生が企画された、「近世文学資料類従 仮名草子編」の1冊である。この叢書は、主として、横山先生の「赤木文庫」の所蔵本を使用して刊行された。その中でも、天下一本とも言うべき『浮世はなし』を、私に担当させて下さった。横山先生、前田先生の御厚情に応えたいと、全力で調査・考察した。
●単に『浮世はなし』の解説ではなく、浅井了意の代表作『浮世物語』の諸本の全貌の解明を目指した。この作品の版本は、従来、京都版、江戸版と分類されてきた。私は、この分類は、書誌学上から考え適当ではないと判断して、①11行本、②14行本、③その他、と分類すべきだと新しい分類を提出した。
●私の、仮名草子研究を振り返ると、この本の解説を担当させて頂いたことに、大きな影響を受けた。改めて、横山先生、前田先生の御高配に感謝申上げる。
                   平成28年11月8日

【1】可笑記評判 

仮名草子関係書・解説

ここには、これまで出版した、仮名草子関係の書籍に付けられた解説等をまとめた。

 【1】可笑記評判  昭和45年12月25日,近世初期文芸研究会発行,非売品。東京大学図書館蔵本を底本として翻刻したもの。ただし『可笑記』本文・振り仮名は省略。解説・索引を付す。自費出版。

書  誌

 万治三年刊行の『可笑記評判』を最初に記載した書籍目録は、寛文六年頃の刊とされる『和漢書籍目録』(寛文無刊記本)であが、以後出版された書籍目録の記録を、年代順に列挙すると、次の通りである。目録では『可笑記』の次に記されているため「同評判」とあるが『可笑記評判』のことである(注1)。
○「十冊同評判」(『和漢書籍目録』・寛文無刊記本)
○「十冊同評 浅井松雲了意」『増補書籍目録 作者付大意』・寛文十
 年刊)
○「十 同評判 浅井松雲 廿匁」(『書籍目録大全』・天和元年山田
 喜兵衛刊)
○『十 同評判 了意作」『広益書籍目録』元緑五年刊)
○「十 上村 同評判 了意 十五匁」(『増益書籍目録大全』元緑九
 年河内屋喜兵衛刊)
○「十 可笑記評判 了意(『新板増補書籍目録 作者付大意』・元禄
 十二年永田調兵衛等刊)
○「十 上村 同評判 了意 廿五匁」・(『増益書籍目録大全』・元禄
 九年刊正徳元年修丸崖源兵衛刊)

 東寺観智院所蔵の書籍目録(万治二年の写本)には、未だ記載されていないが、これは『可笑記評判』の刊行記「万治三年庚子二月吉祥日」と符合する。
 右に挙げた書籍目録の記録によると『可笑記評判』は〔浅井松雲了意〕の作として売買され、元禄九年、正徳五年頃の版元は、〔上村〕であった事がわかる。この〔上村〕は、京都二条通烏丸西入北側(玉屋町)に住し、寛永から宝永に亘って『聖賢像賛』『続列女伝』『智恵鑑』『洛陽名所集』『尚書通考』『僧伝排韻』『左伝林註』等を刊行した
上村次郎右衛門であろうと思われる(注2)。また価格も、廿匁(天和元年)、十五匁(元禄九年)、廿五匁(正徳五年)と時代により変化はあるが、員時代の他の書に比較してみると、この作品はかなり高価なものとして扱われていたようである(汪3)。      
 万治三年より正徳年間までの、およそ五十年間、新本としてまた古本として、書肆の店頭に出されたこの作品も、享保十四年の『新撰書籍目録』(永田調兵衛刊)・明和九年の『大増書籍目録』(武村新兵衛刊)では、他の大部分の仮名草子類と共に、その姿を消している。以後は各蔵書家の手によって、細々と伝えられたのである。
 「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテ
 ハ有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵スベキモノナリ 七十四翁三園誌
 之」
 これは、名古屋大学附属図書館所蔵本の識語である。この旧蔵者・三園が何人であるかは未詳であるが、小野晋氏『近世初期遊女評判記集』によれば、愛知県刈谷市立図書館蔵の『そゞろ物語』にも三園の識語を存する。両者が同一人とするならば、この三園は「神谷氏、名は克楨、通称喜左衛門。尾張藩士で、京に在ること二十五年、学を好み和漢の異本珍籍を蔵し、有職故実・算数・本草学にも精しかった。岡田文園・吉田雀巣・柴田海城・小寺玉晁・小田切春江らと交わり、畸人をもって目せられた。明治四年六月、八十匹歳をもつて没し」た事になる(注4)。また石田治兵衛は、京都一条通大宮西入で、寛政から明治にかけて活動した書肆と思われる(注5)。三園の没年から逆算すると、この識語の書かれたのは文久元年となり、この時期の本書の状況を推察する事ができる。

 現在、その版本の所在が明らかになっているものは、次の七点である。
 1、京都大学附属図書館所蔵本
 2.、国立国会図書館所蔵本
 3.、東京大学附属図書館所蔵本
 4.、名古屋大学附属図書館所蔵本
 5.、横山重氏所蔵本
 6.、竜門文庫所蔵本
 7、早稲田大学図書館所蔵本
 右の各所蔵本は、いずれも同一版木に拠るものと思われるので、底本として使用した、東京大学附属図書館所蔵本について、やや詳しく記し、他の諸本については、とくに底本と異なる点のみを記すに止めたい。

 1 東京大学附属図書館所蔵本(青洲文庫 E24654)
著者・瓢水子(浅井了意)。
表紙・縹色表紙、縦267ミリ×横181ミリ。大本。
題簽 左肩双辺、「可笑記評判 一(~)」縦175ミリ×横39ミリ、
   巻五欠。
内題・「可笑記評判巻第一(~十)」。
巻数・十巻。                 
冊数・十冊。
字数・約二十二字(批評の部分は一段下げのため、それより一字ない
   し二字少々い。)
行数・十二行。
丁数・巻一……56丁  巻二……63丁  巻三……46丁
   巻四……56丁  巻五……47丁  巻六……51丁
   巻七……65丁  巻八……59丁  巻九……76丁
   巻十……79丁。
段数・巻一……27段  巻二……20段  巻三……23段
   巻四……24段  巻五……25段  巻六……17段
   巻七……21段  巻八……30段  巻九……43段
   巻十……47段。
匡郭・囚周単辺、縦206ミリ×横160ミリ(巻一の2丁表)。
柱刻・巻一 「可笑記評判一 乙(~五十六終)」。
   巻二 「可笑記評判巻二 乙」。
      「可笑記評判二 二(~六)」。
      「可笑記評判巻二 七(~六十三終)」。
   巻三「可笑記評判巻三 乙(~四十六終)」。
   巻四「可笑記評判巻四 乙(~五十六終)」。
   巻五「可笑記評判巻五 乙(~四十七終)」。
   巻六[可笑記評判巻六 乙(~五十一終]」。
   巻七「可笑記評判巻七 乙(~六十五終)」。
   巻八「可笑記評判巻八 乙(~五十九終)」。
   巻九「可笑記評判巻九 乙(~七十六終)」。
   巻十「可笑記評判巻十 乙(~七十九終)」。
奥書・「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」。
刊記・「万治三年庚子二月吉祥日」・
内容・如儡子の仮名草子『可笑記』(五巻・五冊。寛永十
   九年初版か)に対する批評書であり、各段ごとに
   表題を付し『可笑記』の本文をまず掲げ、その後
   に「評曰………」と一段下げて批評を連ねる、とい
   う体裁をとってぃる。『可笑記』全二八〇段中、
   批評を付加したのは二三一段である(二四四頁・
   章段数対照表、参照)。各段の分量は、小は二行
   程度のものから、大は延々十三丁に亘るものも有
   り、必ずしも一定しないが、瓢水子の付加したも
   のは、序、愚序評、あとがきを加えると、二三四
   の長短の批評文という事になる。その他、各巻頭
   の目次題も新たに付加したものである。
蔵書印・「青洲文庫」「東京帝国大学図書印」。
その他・所収の『可笑記』本文は、十二行無刊記本に拠
   っていると思われる(注6)。
                        
 2 名古屋大学附属図書館所蔵本
         (岡谷文庫 913 51 A I~10岡)
表紙・藍色表紙、縦278ミリ×横182ミリ。
蔵書印・「真照文庫」 「名古屋大学図書印」。
   その他、巻一前表紙に白紙(縦157ミリ×横78ミリ)が
   貼付されており、墨書で次の識語かおる。「可笑
   記評判十套 万治三年庚子二月梓行/此書久シク
   探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中
   ニテハ有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵スベキモノ
   ナリ/七十四翁三園誌之」(この識語については、
   二七〇頁参照)。また、昭和二十六年二月十日に
   岡谷三男氏より寄贈された旨の記入がある。

 3 早稲田大学図書館所蔵本(へ 13 1701 特別図書)
表紙・後補薄藍色表紙、縦272ミリ×横182ミリ。
題簽・左肩に後補題簽「可笑記評判 一(~十)」と墨書。
蔵書印・「早稲田大学図書」。
その他・各巻頭の目録(乙丁)がすべて落丁。

 4 京都大学附属図書館所蔵本(国文学 pb 24)
表紙・縹色表紙、縦269ミリ×横185ミリ。
  
題簽・左肩双辺、「可笑記評判 一(~十終)」縦約187
   ミリ×横約38ミリ。ただし、巻三欠。
蔵書印・「京都帝国大学図書之印」その他に、受入年月
   日・大正六年二月九日、受入番号・一七〇七四九、
   が記入されている。

 5 国立国会図書館所蔵本(146 171)
表紙・元表紙は失われており、昭和四十一年に改装し、
   茶色縞表紙を補う。縦269ミリ×横201ミリ。
   この折、本文紙も全冊に亙って総裏打ちされた。
冊数・三冊に合冊されている。
   第一冊……巻一、巻二、巻三。
   第二冊……巻四、巻五、巻六、巻七。
   第三冊……巻八、巻九、巻十。
   なお、目録は各冊冒頭に集めてある。
蔵書印・「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」。そ
   の他「書林柳校軒 日本橋小川二丁目 彦九郎」
   の印がある。
その他・巻九の75丁・76丁、下三分の一ほど欠損。
   巻八の31丁・32丁、巻九の31丁、巻九の49丁
   ~76丁がそれぞれ乱丁。
                       
 6 横山重氏所蔵本(赤木文庫)
表紙・濃縹色表紙、縦267ミリ×横185ミリ。
題簽・左肩双辺、「可笑記評判 一(~十終)」縦187ミリ
   ×横58ミリ。
蔵書印・「西荘文庫」「アカキ」「よこ山」。
その他・巻八の31丁・32丁が乱丁。

 7 竜門文庫所蔵本(一〇ノ三 815)
表紙・後補茶色表紙、縦255ミリ×横180ミリ。
蔵書印・「永田文庫」「善宇」「本治」「竜門文庫」その他。
その他・巻一の52丁が落丁。
    巻三の2丁~6丁、巻十の76丁・77丁が乱丁。

 以上、各所蔵本を概観したのであるが、これらは、印
刷の先後によって、二つのグループに分ける事が出来る
と思われる。初刷本と断定出来たいにしても、やや早い
時期の刷かと思われるのが、名大本と早大本であが、東
大本・京大本・国会本・横山重氏本・竜門文庫本は後刷
本と思われる。その根拠は、東大本系には、版木の破損
に依って、巻五の55丁・56丁に、かなり不明の箇所があ
るが、名大本系ではこれが明瞭に出ているし(注7)、
また名大本系において、巻八の39丁の丁付は「丗」とあ
り「九」が脱落しているが、東大本系では「丗九」と訂
正され「九」を入木した跡が認められるからである。な
お、同じ巻八の丁付が「廿八・廿九・三十・三十一・丗
一・丗三」とあるのは、諸本共通であり「丗一」は「丗
二」の誤刻であるが、国会本と横山重氏本は「三十一」
と「丗一」を入れ替えて製本してしまっている。また、
題簽に二種あるが、名大本と東大本が同一のもので、京
大本と横山重氏本のものが同じである。これらの点から
考えると、後刷本と思われるグループの中でも、東大本
は名大本に近い関係にあるという事が出来る。

注1 書籍目録につにいては『江戸時代書林出版書籍目
  録集成』(慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編)に
  拠った。
注2 『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏絹)による
  と上村姓の書肆は五名あるが、次郎右衛門が時代
  的にも妥当と思われる。
注3 価格を記した書籍目録の主友ものは、次の四種
  である。                    /6
 〔1〕、『書籍目録大全』(天和元年山田喜兵衛刊)
 〔2〕、『増益書籍目録大全』(元禄九年河内屋喜兵衛刊)
 〔3〕、〔2〕の増修本(宝永六年丸屋源兵衛刊)
 〔四〕、〔2〕の第五次増修本(正徳五年丸屋源兵衛刊)
  この中から主な作品を取り上げ、冊数の多い順、
  価格の高い順に配列したのが別表(275頁~276頁)
  である。もちろん、重版の有無、丁数なども関係
  してくるので、一概には言えないし、また『可笑
  記評判』が再版されなかった事とも関わっている
  と思うが、他の作品に比して、本書がかなり高額
  である事は言い得ると思う。
注4 これは小野晋氏著『近世初期遊女評判記集』研
  究篇より引用させて頂いた。なお、小野氏より、こ
  の三園が同一人であるか否かは、両者の筆跡を比
  較すれば判明する事であるが、同じ号である事、
  名古――京都、などの関係から、恐らく同一人
  ではないかと推測される。という御教示を賜わっ
  た。現在迄に、筆跡を比較する事は出来なかった
  が、今後、機会をみて確認したいと思う。
注5 前掲『慶長以来書賈集覧』に拠る。
注6 『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が無刊記
  本に近い事は、すでに前田金五郎氏が指摘してお
  られる(『国語国文』昭和四十年六月号)が、拙稿
  「『可笑記』の諸本につい」(『文学研究』第二
  十八号・第三十号)および、「『可笑記』の本文
  批評」(『近世初期文芸』第一号)に詳しく述べて
  おいた。
注7 巻五の不明箇浙について、竜門文庫本は未確認
  であるが、丁付その他の点から後刷本に入れた。
  機会をみて確認し。正確を期したいと思う。

付 記

 『可笑記評判』は『可笑記』の批評書であるため、当
然『可笑記』との関連において考えなくてはならないと
思います。この翻刻で『可笑記』の本文を省略せざるを
得なかった事は、その点非常に残念です。しかし『可笑
記』はすでに、『徳川文芸類聚』第二冊『教訓小説』と『近代
日本文学大系』第一巻『仮名草子集』に収録されておりま
すので、それらを参照して頂きたいと思います。また、
この作品の時代背景、成立の時期、文学的意義などにつ
いても述べる予定でしたが、紙数の関係で省略しました。
他の機会に発表し、御批判を得たいと思います。
 この翻刻を進めるにあたり、具体的な御指導を賜わり
ました重友毅先生をはじめ、日本文学研究会の諸先生に
深甚の謝意を表します。
 東京大学附属図書館では、所蔵本を底本として使用す
ることを許可されました。また、原本:閲覧に際しては、
秋山虔・川瀬一馬・佐竹昭広・前田金五郎・横山重の諸
先生より御高配を賜わり、赤木文庫・京都大学附属図書
館・国立国会図書館・名古屋大学附属図書館・竜門文庫
・早稲田大学図書館のお世話になりました。ここに記し
て厚く御礼申し上げます。
            昭和四十五年十二月十五日

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●この『可笑記評判』は、私が翻刻を手がけた最初の
ものです。経験も浅く、現在から考えると反省点の多い
本です。当時、印刷技術も、活版印刷、写真植字を利用した
オフセット印刷、それに、活字タイプ印刷もありました。
本書は、謄写版のように、青色の原紙にタイプ活字で、
1字1字、タイピストが打つ方式でした。タイプ活字に
無い活字は、日本活字や岩田母型で、1字ずつ購入して、
打ちました。それでも無い活字は、町のハンコ屋さんに
刻してもらいました。
●本が出た時、天理図書館の、木村三四吾先生から、印刷
方法に関して質問されたことがあり、内心、少し嬉しかった
記憶があります。
●この本は、私の出した最初の本です。そのような関係で、
重友先生はじめ、日本文学研究会の諸先生が、市ヶ谷の
私学会館で、出版記念会を開いて下さいました。高橋俊夫
先生の『西鶴論考』と合同の会でした。
●あくまでも、如儡子探究の過程のものですが、その後の
私の研究姿勢に影響を与えたものです。

            平成28年11月3日
                     深沢秋男