【3】可笑記大成―影印・校異・研究ー

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

  • 2020.12.06 Sunday
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【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

仮名草子関係書・解説

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―  昭和49年4月30日,笠間書院発行。(田中伸・深沢秋男・小川武彦 編著) 11000円。第1編 本文・校異,第2編 万治2年版挿絵について,第3編 『可笑記』の研究。文部省助成出版。

可笑記大成 目次

第一編 本文・校異
第二編 万治版挿絵について
第三編 「可笑記」の研究
●第一章 底本書誌解題と諸本調報告
●第二章 校異による本文異同の考察
泰三章「可笑記」の成立と書名
第四章 作者如儡子について
第五章 「可笑記」の内容
第六章 「徒然草」と「甲陽車鑑」の受容について
あとがき

●この内、私が執筆したのは、第三編の第一章と第二章である。

第三編 底本書誌解題と諸本調報告

第一章 底本書誌解題と諸本調報告

底本書誌解題
ここに影印複製したのは「可笑記」の本文として最も秀れていると判断される、寛永十九年版十一行本である。底本には原題簽を有する良本・小川武彦氏所蔵本を使用したが、その書誌は次の通りである。
所蔵者 小川武彦氏
表紙 藍色元表紙、雷文つなぎ蓮華模様、縦二七五ミリ×横一八六ミ
リ(第一冊目)。各巻表紙の藍色の表面紙は、和刻本漢籍の零葉
と思われる紙を使用している。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記一(~五)」縦一六八ミリ×横三
五ミリ(巻一)。巻二の下部に欠損あり。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二二〇ミリ×横一五七ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(五十四)
巻二(可笑記巻ニ ー(五十八)」
巻三(可笑記巻三 ー(五十四)」
巻四「可笑記巻四 一(五十九」」
巻五{可笑記巻五 一(八十五)」
版心は半黒口、魚尾花紋。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…54丁、巻二…58丁、巻二…54丁、巻四…59丁、巻五
…85丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
…90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行、本文…11行、あとがき…10行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (巻三の6段は欠)。
句読点 無し。
奥書 巻五の85丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の85丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印・識語 「尾州名古屋/本町九町目/本屋久兵衛」「青谿書屋
」「赤木山」「アカキ」の朱印。巻一の52丁裏5行目「もろこし
には龍蓬比干伯夷叔斉ごししよわが朝」の上欄に墨書にて「伍し
しよどふ/して伯夷の下に/列ならんや伍/子しよは大悪無/道
也」と書入れあり。白紙に小川武彦氏の次の識語がある「大島雅
太郎旧蔵本『青谿書屋』蔵印」。

諸本について

現在伝わる『可笑記』の諸本の全貌を明らかにしたのは『国書総目録』(昭和39年)であり、そこには四十六点が掲げられている。
私はこの『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、現在までに六十余点を見る事ができたが、これらの諸本は、
次の四種に分類する事ができると思う。
I、寛永十九年版十一行本
2、寛永十九年版十二行本
3、無刊記本
4、万治二年版絵入本
これら諸本の調査結果は『文学研究』第二十八号・第三十号(昭和43年12月・昭和44年12月)に発表したので、ここでは、影印・校異の底本として使用したものの書誌を記し、他の諸本は、その所在を記すにとどめたい。

一、 寛永十九年版十一行本

九州大学国語学国文学研究室
京都大学附属図書館・Ⅰ
京都大学附属図書館・Ⅱ
桜山文庫(鹿島則幸氏)
大東急記念文庫
台湾大学図書館
東京大学教養学部第一研究室
東京大学附属図書館
内閣文庫
平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)
横山重氏・赤木文庫
早稲田大学図書館
深沢秋男

この版について朝倉亀三氏(『新修日本小説年表』)は、大坂の平野屋九兵衛刊の如く記しておられるが、これは早大取合本に拠ったものと思われる。早大取合本には刊記のあとに「大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」と有る。しかし、これは張込みであり、この平野屋九兵衛を版元とする事には問題が残る。横山重氏はすでに、その版本考(同氏所蔵、寛永十九年版十一行本帙の識語)で「ひそかに思ふ。朝倉氏のいふ、大坂板といふは、十一行本か、十二行本かの、後印本にあらざるか。」と疑問を出しておられるが、横山氏が原本を見る以前に、これを後印本と推量されたのは、寛永期の大坂板という点に着目されたからであろうと思われる。
因に『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏)をみても平野屋九兵衛は入っていない。また大阪の書肆で最も早いのは、万治年間から活躍した正本屋太兵衛であり、寛永期には見当たらない。やはり大阪の出版は寛永期よりかなり下った、明暦・万治頃からとするのが妥当のように思われる。しかし、この早大取合本は、九大本、桜山本、大東急本、内閣本、平井氏本、横山氏本、早大本のいずれよりも早い刷りと判断されるのであり、これらの点を考え合わせると、この平野屋九兵衛は刊行者というよりも、販売者的性格が強かったのではないかと推察される(注1)。
次に。大東急本には刊記のあとに刷り跡(よごれ)が見られるが、これについては次のように考える。このような刷り跡が見られる原因として、①すでに刷り跡のある紙を使川した。②書肆名その他の文字の削除跡。③印刷の場合に空白部分に墨が着き、生じた跡。この三つの場合が考えられる。①については、この大東急本の外に、九大本、台湾大本、内閣本、横山氏本、早大本にも同様な刷り跡が出ているので、これは除く事ができる。刷り跡の出ている位置から考えると、②ではないかとも思われるが、この刷り跡に、確実に文字の痕跡と思われる箇所が無く、また書肆名などを彫り捨てる場合、意識的に深く削るのではないか、という事も推測される点で、これをただちに削除跡と断定する事もできない。なお、早大取合本の張込みのものとこの刷り跡とは、深い関係が無いものと思われる。次に③の場合であるが、大本の版面に刊記を一行のみ印刷する場合、空白部の紙面が版木に接する可能性は大きい。しかし、大東急本の跡には、やや作為的な痕跡が認められる点は注意すべきであり、要するに、②③いずれとも決め得ないのが現状である(注2)。初版本と思われるこの版の刊行者を決める事は重要であるが、今後の調査に俟たなければならない。

二、寛永十九年版十二行本

所蔵者 国立国会図書館142 112
表紙 改装国会図書館専用茶色表紙、縦二七四ミリ×横一八九ミリ(第
一冊目)。
題簽 題簽は無いが左肩に「可笑記 一(~五止)」と墨書。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二一二ミリ×横一六九ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(~四十九終)」
巻二「可笑記巻二 一(~五十三終)」
巻三「可笑記巻三 一(~四十九終)」
巻四「可笑記巻四 一(~五十四終」」
巻五(可笑記巻五 一(~七十八)」
版心は半黒口、魚尾花絞。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…49丁、巻二…53丁、巻三…49丁、巻四…54丁、巻五
…78丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
…90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行(1行余白)、本文…12行、あとがき…11行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (次の各段は欠。巻一の1・8・21・22・
24・28・29・43、巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻
四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・
51・72・76・88。巻四の15は重複)。
句読点 「・」「。」混在。
奥書 巻五の78丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の78丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印 「特賈堂」の朱印、「江戸四日市/古今珍書儈/達摩屋五一
」の黒印。

九州大学国語学国文学研究室
神宮文庫
日本大学図書館・武笠文庫

この版は、寛永十九年版十一行本を版下に使用(または十一行本を敷写しして作った版下を使用)したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないにしても、それに近い性質のものである。
その根拠の第一は、十一行本と十二行本であるため、それぞれ一行ずつのずれができる訳であるが、このずれの箇所の行間を調べてみると、十二行本において、十一行本の丁移りの箇所の行間が、他の行間と不揃いであり、全体的に広めになっている。またある場合には、それを境目として、行の頭の高さに落差が見られる。そして、この反対の現象が十一行本では見られない。
第二に、天地の寸法が十二行本の方が短い。
【別表 省略】
別表は各巻第一丁表第一行目の天地(巻一は第二丁表)の寸法を、桜山本と国会本に拠って測ったものである。縮小率は必ずしも一定していないが、いずれも十二行本の方が短くなっており、これは、かぶせ版は縮小するという原則に適っている(注3)。
第三に、本文の異同関係をみると、十二行本は句読点を付加し、振り仮名を付加する反面、濁点を省いている。さらに書体も、十二行本で簡略化されている例が見られる。これらを考え合わせても、十二行本は十一行本より後の版とするのが妥当と思われる(後述)。
なお、横山重氏も「本書、最古板なり。しかるに此本と全く同一の刊行記を有する十二行本あり(焼亡)。刊年記の文字よく似たれど、寸法を見るに、十二行本の方が、約三分位短い。」(同氏所蔵・寛永十九年版十一行本帙の識語)と十一行本を最古版と判断しておられる。
以上の事を考え合わせると、十二行本は十一行本を原版に使用したため、同じ刊記を有するが、実際の刊行年は寛永十九年よりやや後とするのが妥当と思われる。

三、 無刊記本

所蔵者 長澤規矩也氏
表紙 丹色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦二五七ミリ×横一八五ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記 一(~五)」縦一六三ミリ×横
三五ミリ(巻一)。部分的に摩損あり。
内題 序…「愚序」。本文・:「可笑記巻第一(一五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦ニー九ミリ×横一六四ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑一 一(~四十二終)」
巻二(可笑ニ 一(~四十四終)」
巻三「可笑三 一(~三十九終。」」
巻四「可笑四 一(~四十三終」」
巻五(可笑五 一(~六十三)」
版心は白口、ただし、巻三の12丁のみ黒口。巻五の20丁は「三
十」となっている。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…39丁、巻四…43丁、巻五
…63丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
…90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+10行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約23字。
段移りを示す標 「○」 (巻二の1は欠)。
句読点 「。」
奥書 巻五の63丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
之」(振り仮名は省略)。
刊記 無し。
蔵書印・識語 「藤井文庫」の朱印。巻五後表紙の内側に「寛保二/
於書肆/求之」と墨書。巻一前表紙見返しに墨書にて「此本初印
本には/寛永壬午季秋吉旦刊行/大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺
町南側/平野屋九兵衛」と長澤規矩也氏の識語あり。その他黒印
一顆。

お茶の水図書館・成簣堂文庫・I
お茶の水図書館・成簣堂文庫・Ⅱ
学習院大学国語国文学研究室
関西大学図書館
京都大学附属図書館・潁原文庫I
京都大学附属図書館・潁原文庫Ⅱ
慶応義塾大学図書館
国学院大学図書館
実践女子大学図書館・黒川真頼・真道蔵書
天理図書館
東京国立博物館
東北大学附属図書館・狩野文庫
名古屋大学国文学研究室
西尾市立図書館・岩瀬文庫
山岸徳平氏
竜門文庫
早稲田大学図書館

この版には刊記が無いが、従来寛文頃の刊行とされていたものであり、その他に、寛永十九年以前の初版本とする説も出されている(注4)。また、横山重氏は「本書に、万治頃の刊本あり。これに刊年記なし。反町氏、巻末の「于時寛永十三」云々をとりて、寛永中刊とすれど然らず。」(同氏所蔵寛永十九年版十一行本帙の識語)とやや立場を異にしておられる。私は以上の諸説を参照して考えたが、この無刊記本は、寛永十九年以後、万治二年以前の刊行とするのが妥当のように思われる。そのように考える理由は次の如くである。
第一に、寛永十九年版と無刊記本の間には、かなり多くの本文異同がみられるが、それらは、寛永版の増補とするよりも、無刊記本の脱落および省略とみる事の方が妥当と思う(後述)。
第二に、当時の書籍目録をみると、延宝三年の目録から、大字本が見え、天和元年の目録では、大本を五匁五分とし、大字本は七匁、小本は四匁となっている。この大字本は寛永十九年版と推測されるが、この価格の差は、出版の時期に関係があるのではないかと思う。大字本は、これ以後、目録から姿を消す。つまり、大字本(寛永版)は、この時点において、すでに希少価値をもっていたものと思われる(注5)。以上の二点から考えると、無刊記本は、寛永十九年版より後の刊行と推測されるのである。
第三に、本文の異同関係から考えると、無刊記本は万治二年版の絵入本より前の刊行と思われる(後述)。
第四に、無刊記本の書体であるが、これについて水谷不倒氏は、大正九年刊の『仮名草子』で「大本の挿絵なきものにて別版あり。書風原版とは異なり、年号を逸すれども、絵入本よりは遥に後の版行なるべし」とされたが、その後昭和四年の『新撰列伝体小説史前編』では、寛文初年の覆刻本とやや表現を変えておられる。
無刊記本の書体は、丸みを帯びて小振りとなっているが、これは寛永版の伸び伸びとした、やや大きめの字と異なり、万治・寛文頃の版本に多く見られるものと同じように思われる。また柱刻なども、寛永十九年版の半黒口魚尾に花びらを配す、という手の混んだものに対し、無刊記本・絵入本は、共に簡略なものになっている。
これらの点で、無刊記本が寛永十九年版より後のものである、という事は納得できるが、「絵入本よりは遥に後の版行」という点には疑問が残る。万治二年の二年後が寛文元年であり、この短い期間の版本の先後を書体で判定する事は、非常にむずかしい事と思われる。したがって、私は書体の問題はしばらくおき、本文の異同関係から、無刊記本を絵入本以前の刊行と判断したのである(注6)。
このように考えてくると、この無刊記本は寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前の刊行という事になるが、それもかなり明暦・万治に近い頃の出版と推測されるのである。

四、 万治二年版絵入本

所蔵者 横山重氏・赤木文庫
表紙 縹色元表紙、雷文つなぎ桐花唐草模様、縦一九七ミリ×横一四
九ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「新板 可笑記 絵入 一(~五)」縦一三四ミリ×横三一ミリ(巻一巻)。巻五のみ「絵入」が「ゑ入」とあ
る。部分的に摩損あり。
内題 序…「可笑記愚序」。本文…「可笑記巻一(~五)」。
尾題 巻一「可笑記一之巻終」。巻二「二之巻終」。巻三「可笑記巻三
終」。巻四「四之巻終」。巻五は無し。
匡郭 四周単辺、縦一七六ミリ×横一二五ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一「可笑記巻一 一(~五十二)」
巻二「可笑記巻二 一(~五十四終)」
巻三「可笑記巻第三 一」
「可笑記巻三二(~四十九)」
「可笑記三五十(五十一終)」
巻四「可笑記巻四 一(~五十二終)」
巻五「可笑記巻五 一(~七十一)」
原本の丁付は「……十八・十九・廿丗・丗一丗二……」とあり、
20丁台を省略しているため、各巻の最終丁が、巻一…「五十二」、
巻二…「五十四終」、巻三…「五十一終」、巻四…「五十二終」、
巻五…「七十一」とあっても、実際の丁数はそれより各々10丁
ずつ少なくなる。版心は白口。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…41丁、巻四…42丁、巻五
…61丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
…90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数。序…愚序+9行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約25字。
挿絵 巻一…10図、内見開き1図(2丁裏3丁表・7丁表・11丁表・
15丁表・19丁表・23丁表・27丁表・32丁表・37丁表・42丁
表)。
巻二…8図、内見開き1図(3丁裏4丁表・9丁表・14丁表・19
丁表・24丁表・29丁表・35丁表・41丁表)。
巻三…7図、内見開1図(3丁裏4丁表・10丁表・16丁表・22
丁表・28丁表・34丁表・40丁表)。
巻四…8図(3丁表・8丁表・13丁表・18丁表・23丁表・28
丁表・34丁表・40丁表)。
巻五…8図(4丁表・11丁表・18丁表・25丁表・32丁表・39
丁表・47丁表・55丁表)。
段移りを示す標 「○」 (巻一の6・8、巻二の9・48、巻四の1・
4・16・17・18、巻五の12・45は欠)。
句読点 「。」「・」混在。
奥書 無し。
刊記 巻五の61丁表に「于時万治二年正月吉日/板本/寺町三条
上ル町 山本五兵衛開」
蔵書印・識語 「アカキ」の朱印。帙に紙箋を貼付し、ペン書にて横
山重氏の次の識語かある。「自分は此本を三つ買った。一つは村
口。これは刊記のある巻末一丁欠。八十円。又、/一誠本も買っ
た。八十円。これは完全であったが、虫入りが多かった。総/じ
て、此本の紙、虫好むか。虫入り本を見し事あり。/然るに、昭
和十九年、本書を得たり。極上本なり。/あだ物語村口千二百、
子易物語弘文千円といふに比すればむしろ安/しとすべし。/
500」。また昭和四年の杉本目録として、次の紙片が貼付されてい
る。「一 絵入風俗 可笑記 如儡子 帙入/万治二年刊/チャ
ンパーレン旧蔵 半五 百五拾円」。
その他 巻二の37丁~42丁が落丁。

秋田県立図書館
上田市立図書館・藤廬文庫
大洲市立図書館・矢野家文庫(未調査)★その後調査
小川武彦氏
お茶の水図書館・成簣堂文庫
学習院大学国語国文学研究室・I
学習院大学国語国文学研究室・Ⅱ
カリフォルニア大学図書館・東亜図書館
京都府立総合資料館(京都府立図書館旧蔵)
慶応義塾図書館
国立国会図書館・I
国立国会図書館・Ⅱ
鶴岡市立図書館(未調査)★その後調査
天理図書館
東京国立博物館
東京大学附属図書館・青洲文庫
東北大学附属図書館・狩野文庫
東洋文庫・岩崎文庫
中野三敏氏
日比谷図書館・加賀文庫
山口大学附属図書館・教育学部分館(未調査)★その後調査
山口大学附属図書館・文理学部分館(未調査)★その後調査
竜門文庫
早稲田大学図書館

この絵入本について、水谷不倒氏は「中本にて大小の二種あり。」と『仮名草子』に記しておられるが、私は異版を見る事ができなかった。製本寸法には、かなりの差違があるにしても、匡郭寸法に大きな差は無い。なお、水谷氏の掲げられた版本と私か見たものとは、寸法も一致するので同版のものと思われる。
また、朝倉亀三氏は「万治二年に絵を挿み、『絵入風流可笑記』と題し、半紙本として再版せり。」(『新修日本小説年表』)としておられるが、このような題簽・内題を持つ版本も見る事を得なかった。現存諸本の原題簽には、いずれも上部に「新板」とあり、これが可笑記の新版でなく、絵人本の新版を意味するとすれば、あるいは別版があるのかも知れない。現在までに異版を見る事はできなかったが、異版が無いと断定する事もできず、今後の調査に俟ちたいと思う。
なお、秋田県立図書館本と京都府立総合資料館本は、共に各巻後半が落丁となっているが、その落丁部分がまったく同じである点は注意すべきである。京都府立総合資料館本の「定栄堂蔵板目録」の内容などから考えると、これは後刷本と思われるが、初刷本との間に何等かの事故(例えば版木の破損・紛失など)があったとも考えられる。

五、 その他(取合本・写本)

大阪府立図書館(無刊記本に巻一のみ、寛永十九年版十一行本が入れ
本されている)
学習院大学国語国文学研究室(無刊記本に巻四のみ、寛永十九年版十
二行本が入れ本されている)
天理図書館(寛永十九年版十一行本に巻三のみ、寛永十九年版十二行
本が入れ本されている)
早稲田大学図書館(寛永十九年版十一行本に巻一のみ、無刊記本が入
れ本されている)
東京大学国語国文学研究室(本文異同の関係から、寛永十九年版十二
行本の転写本と推測される)
なお、次の四本は現在所蔵されていない事を確認した。
1、尾崎久弥氏
2、三康文化研究所(大僑図書館旧蔵)
3、築比地仲助氏
4、三井文庫

六、翻刻本二種について

I 徳川文芸類聚・教訓小説(大正三年)
徳川文芸類聚は、早大取合本を底本にしたと思われ、巻一は寛永十九年版に対する無刊記本の異同をすべて踏襲している。
振り仮名を省略している外は忠実な態度をとっているが、原本との異同は48あり、そのほとんどが翻刻上の誤りである。また巻二から巻五までが寛永十九年版に拠っている事は、その異同関係からも認められる。なお、刊記のあとの書肆「大坂心斎橋橋通西入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」は底本の張込みをそのまま翻刻したものと思われる。

Ⅱ 近代日本文学大系・仮名草子集(昭和三年)
近代日本文学大系は、①漢字・仮名の異同が多い。②振り仮名を変えたり、付加したりしている。③送り仮名を多く送っている。など、原本とはかなり離れたものとなっている。巻一は徳川文芸類聚の原本に対する異同48の内、25をそのまま受け継ぎ、23は無刊記本と同じに正している。巻二から巻五までは徳川文芸類聚と同様に寛永十九年版系の本文となっている。なお、この『仮名草子集』は『可笑記』の挿絵として一葉掲げているが、これが古浄瑠璃『公平天狗問答』のものと入れ違っている事は、田中伸氏の御教示により知る事を得た。またこれに関しては、関場武氏も『芸文研究』第二十七号(昭和44年3月)で指摘しておられる。

以上、二種の翻刻はそれぞれに特色を持ち、長い間作品研究に役立ってきたのであるが、使用した底本が取合本であった事は非常に惜しまれる。作品研究もようやく盛んになってきた現在、初版本による、より厳密な翻刻が切望されるのである。

(注1) 平野屋九兵衛がもし版元であるなら、版木を持っているはずである。何故自分の住所や名前を張込みになどしたのだろうか。
たとえ後で追加するにしても、埋木して印刷する方法があると思う。また、伝本中この張込みがあるのは早大取合本のみというのも疑問である。〝平野屋は、版元から求めた版本に、このような自分の住所と名前を印刷した紙片を張り込んで、売り捌いていたのではないか〟とお教え下さった池上幸二郎氏の推測が妥当のように思われる。また鈴木敏夫氏は『江戸時代の本や』(「出版ニュース」昭和43年9月上旬号)で、明暦・万治頃の出版状況を推測して「大阪にも、このころからやっと京都の出店らしきものが現われるが、おそらく京都書肆の出張販売(あるいは行商)時代」としておられる。
(注2) この問題に関しては、田中伸氏より多くの御教示を頂いた。書肆名などの入っている版本が発見されれば、一応問題はない訳
であるが、大東急本の刷り跡から、いかなる文字を推測するか、非常にむずかしい問題である(田中伸氏は、下方の跡を「田」の字か「野」の一部ではないか、と判断しておられる)。
(注3) 匡郭寸法を対照してみると、十二行本は十一行本より縦が短くなっているのに横は長い。これは十一行本を版下に使い(また
は十一行本を敷写しして版下を作り)、しかも一行増したところから生じたものと思う。また、縮小の比率が一定していないのは、印刷時の紙の湿り具合、印刷の先後、文字のしずみの出具合(ことに差の少ない巻二、巻四の行末の文字が「ツ」「折」である事は注意してよいと思う)などの条件が関わっていると思われる。
(注4) 無刊記本は、水谷不倒氏以来、寛文頃の刊行とされてきたものであるが、これを寛永十九年版以前の初版本とする説は、『国
語国文』昭和四十年六月号に朝倉治彦氏の説として、前田金五郎氏が紹介されたものである。この説は「于時寛永十四南呂上澣瓢水子筆之」の奥書をもつ『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が、この無刊記本と近い関係にある点に着目されたところからの立論である。この奥書をそのまま信用すれば『可笑記評判』の作者は、寛永十四年には少なくも『可笑記』を見ていた事になる。私は、種々の理由から寛永十九年版十一行本を初版としているが、視点を変えるならば、版本以前に写本(草稿)があり、それから、寛永版と無刊記本が別々に本文を得た、という可能性も考えられる。朝倉氏の説と共に、今後さらに調査・考察してゆく必要があると思う。
(注5) 主要書籍目録の記録は次の如くである。
①、寛文十年刊『増補書籍目録 作者付 大意』
「五冊 可笑記 大小 如儡子作
十冊 同評判  浅井松雲了意」
②、延宝三年刊『新増書籍目録』
「五 可笑記 如儡子作
五 同大字
五 同小本
十 同評判 浅井松雲
五 同跡追
③、天和元年刊『書籍目録大全』
「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
五 同大字      七匁
五 同小本      四匁
十 同評判 浅井松雲 廿匁
五 同跡追      五匁」
以後、この大字本は目録から姿を消している。
(注6) 私はそれ程多くの版本を見ていないので書体については解らない。しかし、絵入本は中本という事も関係しているとは思うが、
字と字の間隔を非常に接近させ、さらに重ね合わせるようにして書き詰めており、また各段冒頭の「むかし」を「昔」に変える、というような形で一行の字数を多くしている。したがって、丁数もそれだけ減少している。因にこの丁数をみると、寛永十九年版十一行本が310丁、十二行本が283丁、無刊記本が231丁、絵入本が210丁(挿絵の部分を除く)とこの順序で減少しており、最初と最後とでは100丁もの差がある。このような点から考えても、絵入本の方が無刊記本より後ではないかと思うのである。そして、無刊記本が絵入本より前の刊行である、という私の考えの拠所は、主として本文異同にあり、これに関しては全巻を対校して検討したが、ほぼ誤りの無いものと判断される。                (深沢秋男)

第二章 校異による本文異同の考察

『可笑記』各版の本文異同については『近世初期文芸』第一号(昭和44年12月)で考察した事がある。そこでは主として巻一のみの資料を使って分析を試みなのであるが、この度、全巻の対校を終えてみると、その結論を改める必要は無いように思われる。したがって、ここでは具体的な分析を出来得る限り省略し、その結果を示すにとどめたいと思う。

一、 書写本について

伝存諸本中、寛永十九年版十一行本が初版本と思われるが、刊本以前に書写本(自筆本・写本を含む)が在ったか否かについて、まず考えてみたい。
寛永版十一行本、巻一の17丁表2行目の字詰をみると、
「うちに君もろともにミもしミせばやとまつかひもなくあ」
と、二十五字詰になっている。この十一行本は平均二十字詰であるのに、この行が特に二十五字詰になっているのは「ミもしミせばやとまつ」の部分に主たる原因がある。この十字は約七字分のスペースの中に書き詰められており、しかも印刷の墨も、この部分のみが非常に強く出ている。つまりこの部分は埋木したものと思われるのである。これは、書写本から版下を作る際に「ミもし」の「ミ」から「ミせばや」の「ミ」に目移りして「ミもし」の三字を誤脱させてしまい、そのまま版木に彫りつけてしまったものと思われる。そして印刷の前に(または数部印刷の後に)この誤脱に気付き、埋木して訂正したものと推測されるのである。家蔵本は巻一のみの端本であるが、刷りは非常に早い頃のものと思われるのであり、この本においてすでに埋木されている点から考えると、この訂正は初刷本と断定できないにしても、それに近い段階で行なわれたのではないかと推測される。いずれにしてもこの事は、刊本以前に書写本が在った事の一つの証左になるものと思う。
現在伝わる写本は、東京大学岡語国文学研究室の所蔵本のみであるが、これは本文異同の関係から考えると、寛永十九年版十二行本の転写本と判断される(七二六頁参照)。自筆本は勿論のこと、刊本以前の写本が伝存していないこの作品においては、各版
の本文異同を分析する事によって、どの版本がより原初的な(書写本に近い)形を伝えているかを判断する事は極めて重要な問題だと思うのである。

★【『可笑記』の写本に関して、その後、『斎藤家資料』(仮題)の存在が明らかになり、その中に『可笑記』の写本もあったという。二本松藩藩士・大鐘義鳴の『世臣伝』で言及されている。この資料は、現在、所在が明らかではないが、今後、所在が明らかになれば、この写本に関しても解明される可能性がある。(平成28年11月)】

二、寛永十九年版、十一行本と十二行本の関係

前述の如く、十二行本は十一行本を版下に使い(または十一行本を敷写しして版下を作り)、一行増したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないが、それに近い性質のものである。そして、巻一の本文異同の関係は次の如くである。なお、十一行本は桜山文庫所蔵本を、十二行本は国立国会図書館所蔵本を使用し、異同箇所の表示は十一行本に拠った。

I、十一行本・十二行本の本文異同……3

〔1〕7丁裏1行 11行本…わたし→12行本…わたり
〔2〕28丁裏6行 11行本…ゑいよう→12行本…ゑいかう
〔3〕47丁表7行 11行本…あつさ→12行本…あつゝ
〔1〕の「し」「り」、〔2〕の「よ」「か」、〔3〕の「さ」「ゝ」は、共に類似した書体であるため、敷写しの段階、または版木に彫り刻む段階で生じたものと思われる。

Ⅱ、十二行本で付加した振り仮名……16

〔1〕2丁裏6行…なさけ情
〔2〕11丁裏3行…おのこ男
〔3〕12丁表4行…もとめ求
〔4〕12丁表7行…もとめ求
〔5〕13丁表2行…もも百 【注 もも→もゝ】
〔6〕15丁表6行…ことば詞
〔7〕15丁表8行…たい対
〔8〕15丁裏1行…しよせん所全
〔9〕21丁裏10行…しんじつ真実
〔10〕21丁裏10行…かう剛
〔11〕22丁表10行…ことは詞
〔12〕25丁表6行…まき槇
〔13〕25丁裏6行…は そん破損
〔14〕28丁裏11行…み じ彌字
〔15〕31丁表3行…む よくしん無欲心
〔16〕32丁裏3行…げいのう芸能

これらの内、〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔9〕・〔10〕・〔11〕の文字は特に太めで、伸び伸びとしておらず、印刷の墨も他に比較して濃く出ている。あるいは後刷の場合に埋木したという事も考えられる。

Ⅲ、十二行本で省略した振り仮名……3

〔1〕22丁表7行…み味
〔2〕31丁裏9行…けい計
〔3〕34丁表1行…どう同

これらは、版下または版木を作る過程で脱落したものと思う。

Ⅳ、十二行本で付加した濁点……10

Ⅴ、十二行本で省略した濁点……55(内、振り仮名…16)

清濁の異同についての具体的なものは掲げないが、十二行本が濁点を多く省略しているのは注意すべき事である。これらは版木に彫り刻む段階で省いたものであろうか。

Ⅵ、十二行本は句読点を付加している。

十一行本において句読点は皆無であるが、十二行本ではほぼ全体にわたって「・」「。」を付加している。

Ⅶ、十二行本で簡略化した文字……6

〔1〕 8丁表2行…愛着のおもひに    〈に〉
〔2〕 8丁裏4行…知者においてハ    〈に〉
〔3〕 17丁表11行…古き詩哥      〈詩〉
〔4〕 22丁裏7行…是に心づきて     〈に〉
〔5〕 29丁裏10行…しうぢやくによつて 〈に〉
〔6〕 30丁表3行…すでに法賊      〈に〉

十一行本と十二行本の書体は、一見非常に類似しているが、子細にみると運筆には相違が認められる。そして、右に掲げた箇所の〈 〉で囲んだ文字「に」「詩」は、十二行本で簡略化された書体となっている。また、三十五段(36丁裏・8行)の「えいぐわ栄花」を十二行本は「ゑい栄ぐわ花」としている。

以上、二つの版の異同関係を掲出したが、まず本文異同の認められる三箇所をみると、〔1〕の「わたし」「わたり」は他動詞・自動詞の違いである。
「むかしさる人の云るは陸奥の住人鳥川瀬兵衛と云さふらひある時
の合戦に真先かけをいたし大河を一文字にさつとわたし(り)高
名ひるいなくおんしやうにあづかりよろこひのあまりに一首
さきがけをすれば誉の名取川身を捨てこそうかふ瀬兵衛」
これが七段の全文であるが、このような場合に他動詞を使うのは、動詞の連用形止を多く使い文を重ねているのと共に『平家物語』や『太平記』など軍記物の語法を継承したものという事ができる。これは軍記物の世界に通じていた『可笑記』の作者であってみれば、むしろ自然のものと思われる。十二行本の覆刻作業に従事した職人(能書または彫工)は、その事に気付かずに「わたり」と自動詞に改めてしまったのではないだろうか。次に〔2〕の「ゑいよう」「ゑいかう」であるが、この前後は「現世夢幻のゑいよ(か)うにふけり未来やうこうのくるしひを知ず」とあり、後半は「未来永劫の苦しひを知ず」と解されるので、前半は「現世夢幻の栄耀に耽り」とあってはじめて意味が通じる。「ゑいかう」に「永劫」「栄光」などの言葉を当ててみても適切ではない。因に無刊記本、絵入本は「ゑいくわ」とし、可笑記評判は「栄花」としている。次に〔3〕の「あつさ」「あつゝ」は「庭の木立物ふりいかにも掃地きれいに残るあつさ(ゝ)のほどは露うちそゝきちやわん茶入その外よろづの道具いかにもあたらしくきれいなるを用ひ」という文であるから「暑さ」でなければ意味が通じない。
要するにこれらの異同は、十二行本が意識的に改めたというよりも、覆刻作業の過程で機械的に生じたものと推測されるのであり、このような場合、原版(十一行本)が秀れた本文である事は言うまでもない。

さらに巻二以後の主な異同を掲げてみると、次の如くである。
〔4〕巻二(8丁裏1行)11行本…おそ恐れ→12行本…ほそ恐れ
〔5〕巻二(9丁表1行)11行本…らうにん牢人→12行本…ちうにん牢人
〔6〕巻二(24丁表6行)11行本…よく候→12行本…はく候
〔7〕巻三(18丁表3行)11行本…せんだく→12行本…せんざく
〔8〕巻三(31丁表1行)11行本…いやとの→12行本…い□□の
〔9〕巻三(31丁裏1行)11行本…一首→12行本…一しゆ
〔10〕巻三(34丁裏11行)11行本…むさく→12行本…むとく
〔11〕巻四(31丁裏1行)11行本…日ころ→12行本…ひころ
〔12〕巻四(32丁表6行)11行本…い異→12行本…の異
〔13〕巻四(38丁表1行)11行本…となる→12行本…ことなる
〔14〕巻五(16丁裏8行)11行本…ごしやう後生→12行本…ごせう後生
〔15〕巻五(18丁裏11行)11行本…たひ度→12行本…た●度 (たゝ)
〔16〕巻五(19丁表2行)11行本…一とせではの出羽→12行本…一しせいではの出羽
〔17〕巻五(23丁表10行)11行本…けれども→12行本…けれ□も
〔18〕巻五(32丁表4行)11行本…べし→12行本…べ
〔19〕巻五(38丁表9行)11行本…やまひ病→12行本…やうひ病
〔20〕巻五(53丁裏11行)11行本…詞にも→12行本…詞に

これらの異同のほとんどが、〔6〕の「よ」→「は」の如く、類似した字体からくるものであったり、〔12〕の「い」→「の」の如く、十一行本が滅字であるところから生じたものであったり、要するに、巻一の三箇所の異同と同様なものであると言い得る。ただ、〔9〕の「一首」→「一しゆ」、〔11〕の「日ころ」→「ひころ」、〔14〕の「ごしやう後生」→「ごせう後生」、〔20〕の「詞にも」→「詞に」は注意すべきである。十二行本は前述の如く、十一行本の準かぶせ版であると思われるが、従来説かれている如く、かぶせ版は原版をそのまま版木に張り付けて刻むものであるとするならば、彫工は版下に忠実に刻むものであるとも言われており、この様な異同は生じないはずである。やはり、これらの異同は書写の段階で生じたものではないかと推測されるのであり。この両版に関しては、十一行本を敷写しして版下を作ったという可能性の方が大きいように思われる。また〔9〕の「首」→「しゆ」、〔6〕の「日」→「ひ」、〔10〕の「にも」→「に」は、それぞれ同じスペースの中での異同であるので、十二行本が十一行本を原版に使ったという事は、誤りのないものと思う。さらに異同の認められる箇所が、十一行本の一行目と十一行目、つまり版面の両端に多く生じている事も、以上の判断を支えるものと思われる。
次に振り仮名の異同関係をみると、十二行本で付加したものが十六箇所、省略したものが三箇所となっており、これは再版としての十二行本が、より読みやすい本文を作ろうとしたところから生じたものと推測される。そして、それは同時に『可笑記』が、振り仮名を多く用いる事が一つの条件であるところの仮名草子として一応認められ、読者の需要に応じた過程を示してもいる。しかしこのように十二行本が意識的に付加した振り仮名の訓み方は、極めて一般的なものであり、本文の優劣に関係はないものと思われる。また、十二行本は新たに句読点を付加しているが、その反面、それほど目立たない濁点は多く省略している。このほか十二行本で簡略化している文字もみられ、さらに段の移りを示す標の「▲」を省いている箇所も少なくない。十二行本は、巻一の1・8・21・22・24・28・29・43.巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・51・72・76・88の各段を欠落させ、巻四の15段は重複させている。
これらの異同内容を総合して考えるとき、十一行本は十二行本よりも、より原初的である事が推測されるのであり、また秀れた本文であると断定してよいと思うのである。

三、寛永十九年版十一行本に対する各版の関係

寛永十九年版十一行本に対する、無刊記本・絵入本・可笑記評判の異同関係を整理すると次の如くなるが、次の事項は省略した。
1、 仮名づかいの異同。2、振り仮名の異同。3、送り仮名の異
同。4、漢字・仮名の異同。5、字体の異同。6、句読点の異同。7、清濁点の異同。なお、使川原本。記号は次の通りである。

寛永十九年版十一行本(桜山文庫所蔵本)…11行本
寛永十九年版十二行本(国立国会図書館所蔵本)…12行本
無刊記本(長澤規矩也氏所蔵本)…無刊記本
万治二年版絵入本(国立国会図書館所蔵本)…絵入本
万治三年版可笑記評判(東京大学附属図書館所蔵本)…評判

一、無刊記本・絵入本・評判共通の省略・脱落……98
二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同……119(内、十一行本の
省略・脱落……33)
三、無刊記本・絵入本共通の省略・脱落……6
四、無刊記本・絵入本共通の異同……8(内、11行本の省略・脱
落……1)
五、無刊記本のみの脱落……1
六、無刊記本のみの異同……0
七、絵入本のみの省略・脱落……3
八、絵入本のみの異同……1
九、評判のみの省略・脱落……20
十、評判のみの異同……39(内、11行本の省略・脱落……16)

これらの異同の数量関係から次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本・絵入本・評判共通の省略・説落および異同を合計すると、二一七箇所という多数を示している事から、この三つの版が非常に近い関係にあり、共に11行本・12行本と離れている、という事が解る。
2、無刊記本・絵入本・評判の中では、無刊記本・絵入本がより近く、
評判はかなり離れた本文となっている。
3、無刊記本のみの脱落・異同が一箇所であるのに対して、絵入本の
みのは四箇所である事から推測すると、無刊記本は絵入本よりも
早い本文ではないかと思われる。

四、寛永十九年版十一行本に対する、
無刊記本・絵入本・可笑記評判共通の異同関係

前に掲げた、一、無刊記本・絵大本・評判共通の省略・脱落…九八箇所と、二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同…一一九箇所を具体的に分析した結果、次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本系(無刊記本・絵入本・評判をこのように略す)には、
11行本の省略・脱落に対して約三倍の省略・脱落があるが、それ
らは11行本が増補したというよりも、無刊記本系が省き、または
誤脱させたと思われるようなものが多い。
2、11行本の省略・脱落は、いずれかと言うならば、後で増補し得
るような性質のものが多い点から考えると、無刊記本系が衍加した
という可能性が強い。
3、11行本の誤りを訂正し、または特殊な表現を一般的に改めてい
る点で、無刊記本系には校訂的意図を認め得る。
4、無刊記本系には、11行本の口語的表現を文語的に改め、また重
複的な部分を簡略化する等によって、より一層、文章として定着さ
せようという傾向がみられる。
5、両者の異同は、いずれかと言うならば、無刊記本系が改変したと
いう可能性が強いが、その改変は一般常識的な基準によって行なわ
れており、それらは作者でなくても為し得るようなものであると言
う事ができる。
6、両者の異同関係を量的にみると、一字、二字、三字、という少量
のものが圧倒的に多く、また内容的にみても、とくに重要な部分を
省略したり、改変しようとする意図は、11行本・無刊記本系いず
れにもみられない。
7、無刊記本系は、11行本の仮名を漢字に改めている箇所が多い。
また、無刊記本系と11行本・12行本の関係であるが、次に掲げる
三箇所の異同によって、無刊記本系は11行本と、より近い本文で
ある事が解る。

〔1〕巻1の7段 7丁表1行
11行本   わたし
12行本   わたり
無刊記本   渡し
絵入本    渡し
評判     わたし
東大写本   わたり
〔2〕巻1の29段 28丁裏6行
11行本   ゑいよう
12行本   ゑいかう
無刊記本   ゑいくわ
絵入本    ゑいくわ
評判     栄花
東大写本   ゑいかう
〔3〕巻1の43段 47丁表7行
11行本   あつさ
12行本   あつゝ
無刊記本   暑さ
絵入本    暑さ
評判     暑
東大写本   あつゝ

さて、右にみてきた如く、その異同関係を総合して考えるとき、11行本と無刊記本系が別々に書写本から本文を得たとするよりも、無刊記本系は11行本を底本に使用したとみる可能性の方がはるかに高いと言い得ると思う。また仮に無刊記本系が11行本とは別に書写本から本文を得たとした場合でもご11行本の方がより一層書写本に近い形を伝えていると思われるし、さらに11行本から無刊記本系への本文の改変にあたって、作者の意志が加わっていると思われない事等を合わせ考慮するとき、11行本の本文が無刊記本系よりも秀れたものである事は認められてよいと思うのである。

五、無刊記本と絵人本の関係

ここでは、前述(723頁)の三、四、五、六、七、八の各項を分析したが、無刊記本と絵入本の異同が極めて少ないという事は、この両者の本文が非常に接近したものである事を示している。そしてこれらの異同から、両者の相互関係を考える事も不可能ではないと思うが、やはり十分とは言えない。そこで、この無刊記本と絵入本については、巻二以後の異同も合わせて考える事にしたいと思う。

巻二~巻五には二十八箇所の異同があるが、それらは次のように分ける事ができる。
〔1〕、絵入本が誤脱させたもの……16
〔2〕、絵入本が誤読・誤写したもの……6
〔3〕、絵入本が無刊記本を正したもの……3
〔4〕、その他(奥付など)……3
その他注意すべき事は次の三点である。
I、絵入本は無刊記本の送り仮名を省いている。
Ⅱ、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改めている。
Ⅲ.絵入本は無刊記本の振り仮名を省いている。
これらの異同内容から次の事が言い得ると思われる。
1、各版の中で(11行本と12行本の関係は別として)無刊記本と絵
入本は最も近い本文である。
2、 無刊記本の誤脱および誤写は極めて少なく、しかもそれらは後で容易に補訂し得る性質のものである。
3、 絵入本の誤脱および誤写は非常に多く、ややもすると不用意に踏襲されがちの性質のものが多い。
4、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改め、送り仮名や振り仮名を省
いている箇所が多い。
5、絵入本は無刊記本の本文にかなり忠実であるが、無刊記本の誤り
をそのまま踏襲するなど、むしろ盲従しており、その校訂的態度
は極めて消極的である。
6、絵入本は無刊記本より本文を得たと思われるが、その際、11行
本・12行本を参照していないと言い得る。

要するに、絵入本は無刊記本を底本に使用して、盲従的とも言える忠実さをもって改版しようとしたが、その改版作業の過程における誤脱・誤写などを新たに付加する結果になってしまったと言う事ができる。したがって絵入本の本文は、無刊記本よりもさらに一層原初的な形から離れ、同時に劣ったものになっていると判断されるのである。
このように考えてくると、前項で、無刊記本系は11行本を底本に使った事を指摘したが、それは、無刊記本は11行本を底本に使った、と言いかえることができる。(評判については後述)。

六、可笑記評判と各版の関係

ここでは前述(724頁)の、九、評判のみの省略・脱落…二十箇所と、十、評判のみの異同…三九箇所について分析を試みたが、その結果、次の事が言い得ると思われる。

1、無刊記本・絵入本・評判の系統の中では、評判が最も離れた本文
となっている。
2、 評判は無刊記本を底本に使用したと推測されるが、その際、11
行本・12行本は参照しなかったものと思われる。
3、評判には四箇所(全巻)に長文の脱落があるが。その外にも機械
的な誤脱が多い。
4.評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、かなり積極的に補っている。
5、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
6、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを
認め得るが、それだけに、ゆき過ぎもみられる。
7、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても、それ
ほど無刊記本に忠実ではない。

七、まとめ

以上.11行本・12行本・無刊記本・絵入本・評判各版の本文異同の関係について、考察してきたわけであるが、各版にはそれぞれの長所短所があると言い得るし、したがって存在意義もそれなりに有しているものと思われる。最後に各版相互の関連について簡単に考えておきたいと思う。

11行本は、書写本に次ぐ原初的な形態を伝えている初版本として、最も重要な位置を占めている。用語の不統一、特殊な表現、重複ぎみの文章など、話し言葉としての要素を多分にもっており、この事はこの作品の成立過程や文体等を考える上でも留意すべきである。句読点の問題(この版には句読点が付されていない)と共に、このような基本的事項の分析から作品研究は出発する必要があると思われる。初版本でしかも最も秀れた本文と思われるこの11行本こそ、作品研究の第一のテキストとして選ばれなければならないと思う。

12行本は11行本の準かぶせ版であるから、11行本を忠実に伝え、句読点を付加し、振り仮名を多くして、その普及に役立った点で意義があり、再版本として、この作品が次第に読者を獲得していった事の一つの証左にもなっている。
当時の書籍目録の価格から推測すると、時を経るにしたがって、11行本・12行本(大字本)は貴重本的存在になったもののようである。それに比して読者層は次第に拡大され、より多くの読者が生まれてくる、これに応えて第三版として出されたのが無刊記本ではないかと思われる。

無刊記本は11行本を底本に使ったと思われるが、特殊な表現を一般的に改め、廻りくどい文章を簡略化し、話し言葉を書き言葉に改め、仮名を漢字に改め、そして字体も小さくしており、12行本以上に普及版としての性格をもっている。このように無刊記本は11行本・12行本に比較して、原初的な形からは著しく離れたものとなっており、その点では11行本・12行本よりも劣った本文という事になる。しかし、後続の絵入本や評判が共にこの無刊記本を底本に使用したと思われる事をも合わせて、この版は一層多くの読者に読まれた本文として、流布本的存在であると言い得るのであり、その意味でもこの版・無刊記本は決して軽視すべきではないと思うのである。

絵入本は無刊記本を底本として使用したものと思うが、底本への態度は誠に忠実であり、むしろ盲従的であるとさえ言える。無刊記本の仮名を漢字に改めるにしても、それは主として丁数を少なくしようという目的で行なわれている。わずかに底本の誤りを正したものもあるが、むしろ踏襲している場合の方が多く、さらに機械的な誤脱・誤刻は圧倒的に多いのであり、絵入本の本文は無刊記本よりもさらに一層劣ったものとなっている。しかし、この版は師宣風の挿絵・四十一葉(内、見開き・三葉)を新たに付加する事がその主眼であった。当代人に好評を得たこの作品を中本という軽装版に改版し、親しみやすい絵を入れる事によって読者に応えたものであろう。

評判も無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、一層誤脱などは多く、他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかしこの版は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この評判はむしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたと言うべきである。浅井了意がその著作活動の出発において、当代の代表作に一段一段批評を付した事、そしてその事によって、この作品は一段と読者にとって親しみやすいものとなったところに一つの意義が認められると言ってよい。
版式等からみても、11行本・12行本→無刊記本→絵入本と、次第に簡略化されているが、この評判が11行本・12行本に近い大字で堂々としているのは『可笑記』の第五版ではなく『可笑記評判』の初版である以上当然と言えるのである。

以上みてきたところからも解るように、これら五つの版本は、
I、11行本・12行本
Ⅱ、無刊記本・絵入本・評判
の二つの系統に分け得る。そして、このように二系統が生じたのは、11行本から無刊記本への段階で著しい改変がなされた事に原因しているのである。しかし無刊記本の改変には、11行本の現実批判的な部分を省くというような、特別の意図は無いものと思われる。むしろここで注意すべきは、11行本・12行本→無刊記本・絵入本→評判の順序で、次第に口語的表現が文語的表現に改められている、という事である。その量はさほど多くないにしても、また、作品全体に散在する口語的表現に比すればわずかであるにしても、このような現象がみられる、という事実は看過すべきでないと思う。11行本の重複ぎみの文章を無刊記本は簡略化しているが、この事と共に、ここには文章として定着させようとする意図がみられるのである。そしてこの異同は、同時に11行本の文章の特徴を逆に明らかにしているとも言い得る。この作品の文章は、漢語、俗語等、当代通行の言葉を自由に取り入れた点に一つの特色があると思われ、早く水谷不倒氏が指摘されたように「其文は極めて簡潔で明快」(『新撰列伝体小説史前編』)である事もその通りと思うが、一面では、繰り返しの多い廻りくどさも同居しているのである。そしてこれは、中村幸彦氏が論じておられる(「国語国文」昭和二十九年十二月)ように、当時流行したところの、話の文体と関係あるものと思われる。この作品の文章・文体については改めて考察を加えたいと思っているが、11行本→無刊記本の過程でこのような作品の特色が、その量の多少はともあれ、失われているという事は十分銘記しておく必要があると思うのである。

次に、各版の先後関係について整理しておきたい。これまでの考察も実は、各版が版木に彫られた時点をその本文の成立時点として考えてきた。厳密に言うならば、各版の出版の時とその本文の成立の時とは、必ずしも一致していない場合も有り得ると思うが、それを判断する手がかりが伝わっていない現在、出版以前を推測する事はほとんど不可能であるし、また初版本以外は特別の事情でもない限り、出版の時に、すでに出された版本を底本として版下を作る可能性が大きいと思われるので、この事にそれほど問題はないと思うのである。各版の刊行年を推測すると、
11行本…寛永十九年秋(刊記による)
12行本…寛永十九年秋以後
無刊記本…寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前
絵入本…万治二年正月(刊記による)
評判…万治三年二月(刊記による)
この中で、12行本と無刊記本はいずれが早いか即断できないが、当時の書籍目録の価格、伝本の数、その他の条件から考えると、12行本の方が早いとみるのが妥当と思われる。これについては『文学研究』二十八号で、やや詳しく述べておいた(昭和53年11月)。

これを図示すると次の如くなる。

【諸本系統図(試案) 省略】

改版する場合、直前に刊行された版本を底本に使用するのが、当時の諸刊本において一般的傾向である事は、横山重氏の御教示によって知ることを得たが、それは『恨の介』(前田金五郎氏・日本古典文学大系『仮名草子集』解説)や『竹斎』(前田氏・同上、星野健也氏『璞』二号)においても言い得る事である。
さて、もしそうであるならば『可笑記』の場合、11行本→無刊記本は12行本→無刊記本と、無刊記本→評判は絵入本→評判とあるべきである。しかし、右の一般的傾向の主たる理由が、入手し易い版本を使う、という点にあるとするならば、この作品に関しては、このようになる根拠が無いわけではない。12行本は11行本の準かぶせ版であるが、伝本は非常に少ない。版木等の事故によるものか否かは未詳であるが、印刷の部数は11行本よりも少なかったのではないかと推測されるのである。ここに、12行本→無刊記本とならなかった原因があるのではないだろうか。また、評判と無刊記本・絵入本の関係であるが、評判が前年出版された絵入本を使わずに、無刊記本を使っていると言う事は、万治三年の時点で無刊記本が入手し易い状態にあった事の証左になる。中本にぎっしりと書き詰められている絵入本よりも、大本の無刊記本を選んだのではないだろうか。なお、これに関しては、視点を変えるならば、評判は絵入本より早く無刊記本に接して批評を付加したが、刊行は絵入本より後になった、という事もあり得る。このような、評判の成立時期についても考慮する必要があると思うが、これに関しては改めて考察を加えたいと思っている。

以上考えてきたところからも明らかなように、この作品の研究は、寛永十九年版十一行本を第一のテキストとして行なわれなければならない。特殊な言葉が有るなら、その分析から始めなければならず、重複し、繰り返される文章の意味を考える必要がある。それらの諸要素を失った。無刊記本・絵入本は所詮、第二第三のテキストたる事を出ることはできないと思うのである。

附記 この稿の成るにあたっては特に長澤規矩也先生は無刊記本を、横山重先生は絵入本を、御恵与下され、何かにつけて御指導を賜りました。両先生には深甚の謝意を表します。   (深沢秋男)

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【追記】
本書は、二松学舎大学の田中伸先生の御厚情によって、共著者に加えて頂いたものです。
昭和43年の、日本近世文学会春季大会で、私は、「『可笑記』の諸本について」と題して発表しました。発表が終った後、田中伸先生から、寛永19年版11行本と12行本の先後関係に関して反対意見が出されました。その場では、お互いに自説を譲りませんでしたが、その後、11行本が先である理由を詳しく御説明申し上げて、田中先生も納得して下さいました。このような経緯があり、かねてから、『可笑記』の本文の出版を計画しておられた田中先生から、声をかけて頂いたのです。
恩師、重友毅先生からは、この近世文学会での発表結果も、『近世文芸』ではなく、『文学研究』に掲載するように、最初から指示されていました。田中先生の件も、重友先生の御許可を頂いて、本書に加えて頂くことが実現したものです。
本文のテキストクリティークには、寛永19年版11行本は、鹿島則幸氏の桜山文庫本、寛永19年版12行本は、国立国会図書館本、無刊記本は、長澤規矩也先生の所蔵本、絵入本は、横山重先生の赤木文庫本を、可笑記評判は、東京大学附属図書館本、をそれぞれ使用させて頂きました。
田中伸先生、重友毅先生、鹿島則幸先生、長澤規矩也先生、横山重先生に対して、改めて心から感謝申上げます。
本書刊行から、42年後の本日、この解説を整理して、感慨深いものがあります。
平成28年11月17日
深沢秋男

【2】浮世物語

【2】浮世物語

  • 2020.12.06 Sunday
【2】浮世物語

仮名草子関係書・解説

【2】浮世ばなし 付・明心宝鑑  昭和47年8月20日,勉誠社発行,5500円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・12)。『浮世ばなし』(横山重氏蔵本)・『明心宝鑑』(長澤規矩也氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。

『浮世物語』の諸本について    深沢秋男

『浮世物語』に作者の署名はないが、寛文十年刊行の『増補書籍目録作者付 大意』(注1)には、「五冊 うき世物語 松雲了意」とある。この「松雲了意」は、万治・寛文期に『堪忍記』『東海道名所記』『可笑記評判』『江戸名所記』『京雀』『伽婢子』等の多くの仮名草子作品
を著した浅井了意の事である。この了意に関しては北条秀雄氏の『改訂増補 浅井了意』(昭和四十七年)に詳しい(注2)。
また、この作品の初版初印本には刊記がなく、したがって刊行年も不明であるが、これについて、朝倉無声氏は『徳川文芸類聚』(大正三年)で「寛文初年京都にて初版を出せしものなるべし。」とされ、水谷不倒氏は大正八年の『仮名草子』では「京版の初版には年号あるものを見ざれども、万治もしくは寛文初年の版行なるべく、」とされ、昭和四年の『新撰 列伝体小説史 前編』では「万治四年」としておられる。さらに北条秀雄氏は「寛文初年」(『浅井了意』)、野田寿雄氏は「万治元年」(『国語国文研究』昭和三十八年二月)とされたが、前田金五郎氏は『国語国文』昭和四十年六月号において、従来の諸説を参照し、作品の題材と史実の関連等を検討の後、「寛文四年以後の執筆」と推定され、さらに「寛文五年の述作・刊行であろうか。」と推量しておられる。

以上の如く、浅井了意によって寛文四、五年頃に作られ、京都で刊行されたと思われる『浮世物語』は、天和元年・山田喜兵衛刊の『書籍目録大全』には、
「五 うきよ物語 松雲了意 四匁五分」とあるが、同じ五冊本の『可笑記』が、
「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
五 同 大字 七匁
五 同 小本     四匁  」
とあるのに比較すれば、それほど高価であったとは言えない。ところが、水谷弓彦氏の『明治大正古書価の研究』(昭和八年)による
と、明治二十三年から大正十五年までの三十七年間に『可笑記』は、
「明治28年 可笑記   如儡子 寛永19年 五冊  五〇銭
明治34年 可笑記       寛永板  五冊 二円五〇銭
明治38年 可笑記            五冊 一円五〇銭
明治42年 可笑記       寛永板  五冊 三円
大正3年 絵入可笑記     万治2年板 五冊 三円五〇銭
大正4年 可笑記       寛永板   五冊 二円五〇銭
大正8年 絵人可笑記     万治2年板 五冊 一〇円
大正9年 可笑記       寛永板   五冊 一〇円
同   同         万治板ゑ入 五冊 二〇円   」
と九本も古書店に出ているのに対し、『浮世物語』は、
「明治44年 浮世物語  中摺一の巻欠四冊合 一冊 二円五〇銭
大正々年 続可笑記  浮世物語の改題青山表紙 一冊 一〇円」
と二本しか出ず、しかも、明治四十四年のものは欠本でありながら二円五十銭とあり、大正四年には『可笑記』の寛永版が二円五十銭であるのに『浮世物語』の改題本『続可笑記』は十円なのである。これは決して、その版本の良否のみからくる差ではなく、やはり『浮世物語』の伝本が少ない事と関わっているものと思う。私の調査した結果によれば、『可笑記』は四版で六十点以上伝わっているのに対し、『浮世物語』は二版で十三点に過ぎない。
この作品の本文は、大正三年に朝倉無声氏によって『徳川文芸類聚』に収められ、昭和四十年には、日本古典文学大系『仮名草子集』で、前田金五郎氏乃厳密・詳細な校注が施され、さらに昭和四十六年の日本古典文学全集『仮名草子集・浮世草子集』においては、谷脇理史氏の現代語訳が加えられた。そして、右の三者が、共に初版本としての十一行本京都版を底本にされたのは、当然の事と思うが、ここに、寛文十年、江戸で刊行された十四行本『浮世ばなし』を、現存唯一の完本・赤木文庫所蔵本に拠って複製公刊する事は、十分の意義があるものと思う。

『浮世物語』の諸本について実地に踏査した結果、それらは次の如く分類する事ができると思われる。

一、十一行本
1 無刊記本
2 京都 平野屋版
3 京都 風月堂版
4 京都 尚書堂版
5 延宝九年版(伝存不明)
二、十四行本
1 江戸 松会版(『浮世ばなし』と改題)
2 大阪 丹波屋・田原屋版
3 大阪 定栄堂版(『続可笑記』と改題)
三、その他
1 写本
2 改題本『いかだ船』 (伝存不明)

以下、これらの諸本についての書誌的概観を試みたいが、同一版木に拠るものの中では、一本についてのみ版式を詳しく記し、他の諸本は主としてこれと異なる点を記すに止めたい。まず底本に使用した、赤木文庫所蔵本の書誌を掲げ、以下は右の分類に従う。

■底本 赤木文庫本 浮世ばなし

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
表紙  藍色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦270ミリ×横185
ミリ(巻一)、大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽、「絵入 うき世はなし 一(~五)」
縦160ミリ×横36ミリ、巻一は部分的に欠損あり。
匡郭  四周単辺、縦227ミリ×横161ミリ(巻一の1丁表)。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「浮世はなし はし書」、各巻
目録の初めに「浮世物語巻第一目録」「浮世物語巻第二(~五)
目録」。
尾題  なし。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
字数  序…一行約21字、本文…一行約26字。
行数  序…12行、目録…巻一・巻三・巻五は各10行、巻二・巻
四は各12行、本文…毎半葉14行。
丁数  巻一…18丁、巻二…16丁、巻三…20丁、巻四…12丁、
巻五…12丁。
章段数  序、巻一…9話、巻二…11話、巻三…14話、巻四…1
0話、巻五…7話。
柱刻  「浮世 巻一  一(~十八)」「浮世 巻二 一(~十六)」
「浮世 巻三 一(~二十)」「浮世 巻四 一(~十二)」「浮世
巻五 一(~十二)」、ただし巻二の13丁は丁付なし。
刊記  巻五の12丁裏に「寛文十年戌正月吉日/松会開板」とある。
ただしこれは埋木。
挿絵  巻一…7図(3・5・7・9・11・13・16の各丁表)、
巻二…4図(3・6・9・13の各丁表)、巻三…7図(3・6・
9・12・15・17・19の各丁表)、巻四…5図(3・5・
7・9・11の各丁表)、巻五…14図(3・5・8・10の各
丁表)。
蔵書印・識語  「龍吟閣図書記」[赤木山」「横山重」の朱印。帙に
白紙が貼付されており、ペン書にて、現所蔵者・横山重氏の次の
識語がある。「浮世物語 浅井了意作/○初刊本 原版は恐らく
寛文初年なるべし(小説年表四五頁)/万治三、四年頃の京版(水
谷不倒翁)/○第二刊本 天和元年板本(潁原氏)/○第三刊本
元文二年『続可笑記』(求板とある)/右の三種の刊本の関係は、
どうなつてゐるか、今/は不明である。予は第三の改題本を見た
のみで/ある。(第三は第二の本の後印改題本か初刊/本の後印
本ではあるまい。)/○江戸板 寛文十年戌正月吉日 松会開板
/此本、昭和十一年四月、高嶋屋の ″和漢稀書善/本展覧会″
(一誠 吉原雀500、三茶一幅400を出す)に、村口が出品した。
極上本である。/江戸板にして、題簽そろふといふは、稀有のこ
とに/属する。/因に、潁原氏、解題(岩波講座24頁)に云ふ。
『了意/多くの作品を残してゐるが、名所記、伽婢子、犬張子、
本書と/が、最も代表的なものであらう。』云々。」「浮世ばなし
寛文十年/この画家は、寛文九年の『北野通夜』延宝八年/の『け
んさい物語』の画家と同人なるべし。/愛子説/巻一片面七/巻
二片面四/巻三片面七/巻四片面五/巻五片面四/二十七図
」「弁疑書目上 六十二オ/いかだ船 うき世物語」「続可笑記
237 284/浮世物語 後印改題本/宝暦七年乙丑春正月発行/
摂陽書肆 定栄堂」。さらに村口の出品目録と思われる次の紙片が貼付されている。「一六七〇 うきよはなし 寛文十年松会開板絵入、元表紙/外題付極上本」。

■『浮世物語』全体の諸本についての報告

一、十一行本

1、無刊記本

所蔵者  京都大学文学部国語学国文学研究室・国文学 pb 31。
表紙  濃縹色元表紙、万字つなぎ牡丹唐草模様、縦263ミリ
×横180ミリ(巻一)、大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽「うき世物語 一(~五)」縦1
79ミリ×横38ミリ。
匡郭  四周単辺、縦210ミリ×横158ミリ(巻一の1丁表)。
内題  各巻頭、目録の初めに「浮世物語巻第一(~五)目録」。
(注3)
尾題  なし。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
字数  一行約21字。
行数  毎半葉11行。
丁数  巻一…30丁、巻二…31丁、巻三…35丁、巻四…2
2丁、巻五…20丁。
章段数 巻一…10話、巻二…11話、巻三…14話、巻四…1
0話、巻五…7話。
柱刻  「浮世物語巻一  一 (~三十終)」「浮世物語巻二 一
(~三十一終)」「浮世物語巻三 一 (~三十五終)」「浮世
物語巻四 一 (~二十二)」「浮世物語巻五 一 (~二
十)」。
刊記  なし。
挿絵  巻一…12図 (1丁裏・5丁裏・7丁裏・10丁表・
12丁裏・14丁裏・17丁表・19丁裏・21丁裏・24
表・30丁表・30丁裏)。
巻二…11図(3丁裏・5丁裏・9丁裏・13丁裏・16丁
裏・19丁表・21丁裏・23丁裏・26丁表・28丁表・
31丁裏)。
巻三…13図(3丁表・7丁表・9丁表・12丁表・14丁
表・17丁裏・20丁裏・23丁裏・26丁裏・29丁表・
31丁表・32丁裏・33丁裏)。
巻四…9図(6丁表・7丁裏・10丁表・13丁裏・16丁
表・17丁裏・19丁裏・21丁表・22丁裏)。
巻五…6図(5丁裏・9丁表・10丁裏・13丁裏・
16丁裏・20丁裏)。
蔵書印  「京都帝国大学図書之印」の朱印、「京大/466702/
昭和6・11・9」の青印。

2、 京都 平野屋版

所蔵者  日比谷図書館・東京誌料・472 23 貴重書。
表紙  改装後補濃縹色表紙、縦243ミリ×横178ミリ、大
本。
題簽  なし。
冊数  一冊に合綴。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、
これは埋木。
蔵書印・識語  「森田」の黒印、「物集文庫」「大礼記念図書
」「東京市立日比谷図書館東京誌料蔵書」の朱印、「東京市立
日比谷図書館/東京誌料/37355/昭34・3・4和」の青印。
巻五の10丁表の第三話の文末に続けて墨書にて「かくて浮
世坊こゝろさひしくしたゝか/せんつりかいて情をゝとしけ
りあゝら/をしいかな腎水沢山にへつたぞ〳〵いま〳〵しい
けたいのわるいウ、すウ……」の4行が補筆されている。そ
の他、本文の所々に朱引きが入っている。

所蔵者  日比谷図書館・特別買上文庫・4261~5.
表紙  後補薄茶色表紙、縦255ミリ×横183ミリ、大本。
題簽  なし。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし
これは埋木。
蔵書印・識語  「いせ左」「キクリ」の黒印、「月明荘」「反町
文庫」「東京都立日比谷図書館蔵書」「日比谷図書館」の朱
印。「東京都立日比谷図書館/0148288/昭34・9・21
和」「Q91351/2/1(~5)」の黒印。巻一の27丁表
に「嗚呼痛哉不及見」、帙に白紙を貼付して「浮世物語 浅
井了意 万治中刊 全五冊」と墨書。
その他  巻二の1丁・2丁が落丁。

所蔵者  吉田幸一氏
表紙  濃縹色元表紙、万字つなぎ牡丹唐草模様、縦256ミリ
×横183ミリ、大本。ただし、巻一の前、巻三の後、巻
四の前・後、巻五の前は濃縹色の表面紙が剥離している。
題簽  巻二・巻三は左肩に四周双辺原題簽「うき世物語二(三)
」縦179ミリ×横38ミリ。巻一・巻四・巻五は題簽欠
で、左肩に「うき世物語一(四。五)」と墨書。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、
これは埋木。
識語  帙に「浮世物語 寛文初年刊 上本 五冊」と墨書。

3、 京都 風月堂版

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
表紙  後補藍色表紙、縦252ミリ×横184ミリ、大本。
題簽  なし。
刊記  巻五の20丁表に「平野屋佐兵衛開板」とある。ただし、
これは埋木。巻五後表紙見返しに、縦132ミリ×横47
ミリの枠の中に「京都二条通衣店/風月堂荘左衛門」とあ
る。
蔵書印  「金銀/不口/仝/伏見/佐渡屋政右衛門」「本宗
」「松嘉」「克泉」の黒印、その他黒印一顆。
その他  巻四の12丁・22丁が落丁。

4、 京都 尚書堂版

所蔵者  広島大学附属図書館
日本古典文学大系『仮名草子集』において前田金五郎氏は「天
保七年頃刊。京都尚書堂堺屋仁兵衛・同儀兵衛版。」として
おられる。未見。

5、 延宝九年版(伝存不明)

二、十四行本

1、 江戸 松会版(『浮世ばなし』と改題)

所蔵者  赤木文庫(横山重氏)
前記(二九四頁)の通り。

所蔵者 吉田幸一氏
表紙  藍色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦270ミリ×横1
85ミリ(巻二)、大本。
題簽  巻二は左肩に四周双辺原題簽「絵入 うき世はなし
二」縦158ミリ×横35ミリ。巻三は剥落の跡のみ。巻
五は原題簽の部分を存す。
巻数  巻二・巻三・巻五の三巻。
冊数  三冊。
識語  巻二前表紙見返しに墨書にて書入れあり。帙に「浮世物
語 寛文十年松会開板/巻二、三、四」と墨書。
その他 巻一・巻四が欠。

2、 大阪 丹波屋・田原屋版

所蔵者  京都大学文学部国語学国文学研究室・国文学pb37。
表紙  黄土色元表紙(改装)、縦254ミリ×横180ミリ、
大本。
題簽  左肩に四周双辺後補題簽、墨書で「浮世ものかたり」縦
177ミリ×横33ミリ。
内題  各巻頭、目録の初めに「浮世ものかたり二(~五)」と
ある。ただし、これは埋木。
巻数  巻二・巻三・巻四・巻五の四巻。
冊数  一冊に合綴。
刊記  巻五の12丁裏に「元文二年/巳孟春/心斎橋筋南久宝
寺町/丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町/田原屋平兵衛/
求板」とある。ただし、これは埋木。
蔵書印・識語  「京都帝国大学図書之印」の朱印、「京大/
121075/大正1・10・20」の青印。前表紙見返に「精木
□ □□/官倉豈無粟/粒々蔵珠磯/一粒不出倉/含中群
鼠肥/□内米生虫/庫中銭爛貫」、巻五の12丁裏の刊記
の前に「安政四巳迄百廿年成」と墨書。
モの他  巻一が欠。

所蔵者 東京大学附属図書館・霞亭文庫・B24677。
表紙  黄土色元表紙、縦254ミリ×横182ミリ。大本。
題簽  左肩に四周双辺原題簽「浮世物語 一 (二)」縦15
7ミリ×横33ミリ(巻二)。巻一は欠損あり、巻三は剥
落の跡のみ。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「浮世ものかたり一」、各
巻目録の初めに「浮世ものかたり一(~三)」とある。た
だし、これは埋木。
巻数  巻一・巻二・巻三の三巻。
冊数  三冊。
刊記  欠巻のため、なし。
蔵書印・識語  「中井文庫」「霞亭文庫」「東京帝国大学図書印
」の朱印。巻一前表紙に紙箋を貼付して、朱筆にて「延宝
九年版 浅井了意」とあり。巻三のさし絵に書き込みあり。
その他  巻四・巻五が欠。巻一の17丁・18丁が落丁。

3、 大阪 定栄堂版(『続可笑記』と改題)

所蔵者 国会図書館・237 284。
表紙  元表紙なし、国会図書館専用茶色表紙を補う、縦258
ミリ×横185ミリ、大本。
題簽  左肩に四周双辺後補題簽「続可笑記 全」と墨書、縦1
83ミリ×横39ミリ。
内題  序の初め(巻一の1丁表)に「続可笑記巻一」、各巻目
録の初めに「続可笑記巻一(~五)」とある。ただし、こ
れは埋木。
冊数  一冊に合綴。
柱刻  江戸、松会版(赤木文庫蔵本)と同じであるが、巻一の
1・2・3・4、巻二の13・14・15・16、巻三の
1・2・3・4、巻四の1・2・3・4、巻五の1・2・
3・4・9・10・11・12の各丁は「浮世」の二字を
削除している。
刊記  巻五の12丁裏に「元文二年/巳孟春/心斎橋筋南久宝
寺町/丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町/田原屋平兵衛/
求板」とある。ただし、これは埋木。前表紙見返しに、縦
220ミリ×横168ミリの子持枠の中に「続可笑記 全
部五冊/宝暦七年乙丑春正月発行/摂陽書肆 定栄堂」と
ある。後表紙見返しに、縦191ミリ×横148ミリの枠
の中に「書肆 定栄堂/大坂 心斎橋南四丁目東側/吉文
字屋市兵衛/同安土町北へ入ル西側/同 源十郎/江戸
日本橋南三丁目西側/同 治郎兵衛」とある。
蔵書印  「帝国図書館蔵」「図/明治三八・二・二一・購求
」他一顆の朱印。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

所蔵者  天理図書館・913 61イ55 1~5。
表紙  後補水色表紙、縦260ミリ×朧183ミリ、大本。
題簽  左肩に後補題簽、巻一は四周双辺(縦203ミリ×横3
3ミリ)で「続可笑記 一」と墨書。巻二以下は薄紅色紙、
四周単辺(縦181ミリ×横38ミリ)で「続可笑記二(~
五)」と墨書。
内題・柱刻・刊記  共に国会図書館蔵本(237 284)と同じ。
蔵書印・識語  「平出氏書室記」「兎角菴」「富」「安永五丙申
□ □□」「合」の朱印、「大」の黒印、「天理図書館蔵」「天
理図書館/昭和廿八年七月弐拾日/456789(~456793)」「昭和廿七年三月五日/寄贈/天理教教会本部」の朱印、その他朱印・黒印数顆。巻一前表紙に白紙貼付で「水二共五冊」「比」と墨書、巻一前表紙見返しに白紙貼付で「此書はむかしのおもしろ/おかしき事を書し書也」と墨書。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

所蔵者  東京教育大学附属図書館・ル150 40。
表紙  後補渋色引き表紙、縦257ミリ×横184ミリ、大本。
題簽  なし。
内題・柱刻  共に国会図書館蔵本(237 284)と同じ。
冊数  一冊に合綴。
刊記  国会図書館蔵本(237 284)と同じであるが、後表紙
見返しの書肆名は無い。
蔵書印・識語  「東京文理科大学附属図書館印」の朱印、「和
213、567」の墨書。巻四の2丁裏7行目「うへは人
にして」の「うへ」は、この後印本は欠字となっているが、
この部分を「らたは人にして」と誤って補筆している。
その他  巻一の17丁・18丁が落丁。

三、その他

1、写本

所蔵者  国会図書館・147 76。
表紙  茶色横縞表紙、縦260ミリ×横180ミリ、大本。
題簽  左肩に四周双辺「浮世物語 全」と墨書、縦181ミリ
×横42ミリ。
匡郭  なし。
内題  各巻目録の初めに「浮世物語巻上(中、下)目録」。
尾題  各巻末に「浮世物語上終」「浮世物かたり中終」「うき世
物語下終」。
巻数  三巻(欠巻なし)。
冊数  一冊に合綴。
字数  一行約22字。
行数  目録…巻上・巻下は各11行、巻中は10行、本文…毎
半葉11行。
丁数  巻上…37丁、巻中…36丁、巻下…35丁。
章段数  巻上…15話(11行本巻二の5まで)、巻中…18
話(11行本巻三の12まで)、巻下…19話(11行本
巻五の7まで)。
柱・挿絵  なし。
蔵書印・識語  「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」「図
/明治二二・二・二〇・購求」の朱印、「元知」の黒印、
その他朱印一顆。巻下35丁裏の本文に続けて「延宝九ね
ん/弥生中しゆん」と墨書。巻中の2「篠田きつねの事付
狐にばかされし事」の文末に「これをよく〳〵はんじてみ
たらば五十三ツキ」、巻中の5「大にくせある事」の文末
に「と古人も是書残したりや目出度□□□也」、巻中の7
「宗旨を尋ぬる事」の文末に「ゑをいるものは□□なりと
大皆是いふ物か」、巻中の12「ぬす人の事」の文末に「し
ることはおさらば〳〵」、巻中の13「鴈がものいねをく
らふなんぎの事」の文末に「是こそ大なるくそたわけ」、
巻中の14「万事こゝろへちがひの事」の文末に「御もつ
とも〳〵」等の短評が墨書にて付加されている。

2. 改題本『いかだ船』(伝存不明)

■ 以上、諸本の略書誌を記したが、次にこれら各版について述べたいと思う。

一、十一行本

十一行本は、従来京都版と言われてきたものである。私の調査し得た限りでは、この版木を使ったものの中で最も早い刷りの版本は、京都大学文学部国語学国文学研究室所蔵本であると思われる。この版本には刊記が無く、したがって刊年も書肆も不明であるが、版式その他の諸条件から推測して、京都で出版されたという事は、ほぼ誤りの無いものと思われる。野田寿雄氏は、初版本巻三17丁の                                  丁付けに、「十六」「十七」と二つの丁数が誌されている、と述べておられるが(注4)、京都大学蔵本の巻三の丁付けは「…十五・十六・十七・十八…」となっている。野田氏の調査された版本とこの京大本といずれが早い刷りか判断できないが、野田氏が平野屋佐兵衛版の
如く書いておられるところから考えると京大本の方が早いのではないかと思う。したがって、この京大本を、現時点で初版初印本と断定し得なしにしても、これが早印本である事は確かであると思われる。なお、北条秀雄氏は十一行本が了意自筆の版下に拠るものである事を、横山重・愛子両氏の賛同をも得て、新たに判定された(『改訂増補 浅井了意』)。
十一行本の第二次印本と思われるのが、日比谷図書館所蔵の二本と吉田幸一氏所蔵本である。これには巻五の20丁表に「平野屋佐兵                                                       衛開板」と書肆名が埋木されている。平野屋佐兵衛は、京都二条通り観音町で明暦から正徳にかけて活動した書肆である(注5)。この平野屋は山森六兵衛(京都柿椹木町通り烏丸東入る、明暦―寛文)が寛文七年に刊行した『京童跡追』の版木を使って後に出版している。このような点から推測すると『浮世物語』の初版初印本(無刊記本)の刊行者は、あるいは京都の山森六兵衛であったかも知れない。
第三次印本は、赤木文庫所蔵の風月堂版で、これは平野屋版の求版
本である(注6)。広島大学図書館所蔵の尚書堂版が第四次印本であ
るか否か、未見のため断定できないが、平野屋版の後印本である事は前田金五郎氏によって明らかにされている(注7)。
また、朝倉無声氏は「延宝九年に至り、原版(十一行本)を再摺して、年月を入木せしもの」があると記され(『徳川文芸類聚』)、水谷不倒氏も「延宝九年と入木したるもの」は十一行本(京都版)の後印本であるとしておられる(『仮名草子』)ので、現在、その所在が明らかになっているものの外に「延宝九年」の刊年記を有する後印本があったものと思われる。国会図書館所蔵の写本は三巻本であるが、巻末に「延宝九ねん/弥生中しゆん」とある。あるいは朝倉・水谷両氏の言われる延宝九年版の転写本であるかも知れない。                              さらに北条秀雄氏・野田寿雄氏は、天和元年版が在る如く記しておられるが(注8)、これも未見である。共に今後の調査に悦ちたいと思う。

二、十四行本

十四行本は従来江戸版と言われてきたものである。十四行本の中で刷りが最も早く、また完本でもあるのは赤木文庫蔵本のみである(吉田幸一氏蔵本は欠本)。この赤木文庫本には巻末に「寛文十年戌正月吉日 松会開板」とあるので、十一行本が京都から出されてしばらく経った、寛文十年一月に江戸で出版された事がわかる。この「松会」は、江戸長谷川町横丁に住し、明暦から寛政にかけて『明暦武鑑』『薄雪物語』『稚源氏』等を出版した御用書肆・松会三四郎であるうと思われる。ただこの刊記の部分は埋木になっているので、あるいは、松会は、いずれかの版元から版木を求めて出したのかも知れない。なお、水谷不倒氏は『仮名草子』に十四行本の刊記のある丁(巻五の12丁裏)を覆刻しておられるが、原本の匡郭の上下にみられる中断箇所が、この覆刻では接続されている。もしこれが底本通りであるとすれば、この覆刻の底本が初印本という可能性もある訳であるが、子細に調べるとやはり底本は中断しており『仮名草子』の版下を作る時、補修接続させたものと判断される。したがって、現時点では、寛文十年松会開板の刊記のあるものが最も早い刷りではないかと思われるのである。
十四行本第二次印本の刊記は「元文二年 巳孟春/心斎橋筋南久宝寺町 丹波屋理兵衛/道具屋町筋順慶町 田原屋平兵衛/求板」(注9)とある。これは松会版の刊記を削除して埋木したもので、この刊記を有するのは、京都大学所蔵本であり、東京大学所蔵本は欠本のた
め刊記を欠くが、表紙・内題・その他の条件から判断して、ここに入れるの事が妥当と思われる。
第三次印本は、大阪の定栄堂・吉文字屋市兵衛等(注10)から宝暦七年一月に刊行された。国会図書館・天理図書館・東京教育大学図書館、各所蔵本が共に題簽を欠くが、内題を「続可笑記」と改め、また巻頭・巻末の柱の「浮世」の二字を削除して、その不自然さを除こうとした痕跡がある。なお、『享保以後 大阪出版書籍目録』(昭和十一年)の宝暦六年の条に「続可笑記 五冊 以前「浮世物語」と題せしを改題板行 右板元吉文字屋市兵衛より申出あり本屋行司にて聞届く 申出年月」とあるので改題本『続可笑記』刊行当時の事情が推測できる。
右にみてきた如く、十四行本は寛文十年に『浮世ばなし』と改題出版されて以来、元文二年には再び『浮世物語』となり、さらに宝暦七年には『続可笑記』と改題されたが、ここで注意すべきは、寛文十年の松会版から元文二年の丹波屋・田原屋版の間で、版木の事故があったと推測される事である。東京大学所蔵本は巻一の17丁・18丁が落丁となっているが、これが単なる落丁でない事は、後の定栄堂版の国会図書館・天理図書館・東京教育大学の各蔵本も共にその箇所が落丁になっているのでもわかる。しかも松会版の吉田幸一氏蔵本も巻一が欠巻となっているのであるから、巻一の17丁・18丁を伝えているのは、赤木文庫蔵本一本という事になる。その意味でも赤木文庫本は貴重な存在であると思うのである。

三、その他

国会図書館は写本一冊を所蔵する。これは上・中・下の三巻であるが、内容は版本と変わりなく、五巻本を三巻に組み変えたに過ぎない。版本との本文異同を調べてみると、十一行本に近い本文になっている。十一行本の項でも述べたが、十一行本には延宝九年版が在ったものと推測される。この写本の大尾には「延宝九ねん 弥生中しゆん」とあり、あるいは、その延宝九年版の転写本であるかも知れない。
『弁疑書目録』三巻三冊(国会図書館蔵)は「宝永第六霜月吉旦/中村富平謹書」の奥書をもち、宝永七年の刊行であるが、その 「第四古今書目」の条に「いかた船 五冊 うき世物語」とある。「古今書名ノ変改セル少ガラス。仮令太平記ノ題号、四度易レルノ類ナリ。今其ノ大概ヲ挙テ、我カ童子ノ輩ニ与テ、迷ナカラシメントス。上等二連ヌルモノハ、今名。下等ニ列ヌルモノハ古名ナリ。」と                                いう付言によれば「うき世物語」は[いかだ船]と改題されたものの如くである(注11)。伝本未詳の現在、この『うき世物語』を浅井了意の『浮世物語』と断定する事はできないが、一応ここに記して今後の調査に俟ちたいと思う。

以上、各版について簡単に述べたが、少なくとも、十一行本は五度、十四行本は三度、その版元を変え、刷りを重ねた事が解った。現在までに調査し得た限りでは、まだ多くの疑問が残っているが、この作品の諸本は一応次の如く図示できるのではないかと思う

■『浮世物語』諸本系統図(試案)  【ここでは省略、原本参照】

■十一行本と十四行本の本文異同について【ここでは省略、原本参照】

『明心宝鑑』の諸本について

『明心宝鑑』は明末から清初にかけて盛んに行なわれたという善書の中の一つである。
「善書とは勧善の書という意味の語で、(中略)勧善懲悪のために
民衆道徳及びそれに関連する事例、説話を説いた民間流通の通俗書
のことである。」
酒井忠夫氏は、その著『中国善書の研究』(昭和三十五年)でこのように述べておられ、さらに『明心宝鑑』の成立時期については、『明実録』万暦十五年(一五八七年)の条に、洪武帝の勅選書である『大誥』と共に本書が教化に用いられた事が記されている事から、明代にまとめられたものであろうと推測しておられる。
本書は、上下二巻。七二七条の孔孟、老荘等、先賢の言を、継善・天理・順命・孝行・正己・安分・存心・戒性・勤学・訓子・省心・立教・治政・治家・安義・遵礼・存信・言語・交友・婦行の二十篇に分類して収録したものである。教化の書として、中国・朝鮮でかなり用いられたもののようであるが、L・G・クノート、白石晶子両氏の研究によると、本書はイスパニア語に二度も翻訳された事実がある(注12)。また日本にも、明の王衡の校訂になる『明心宝鑑正文』はじめ諸版が伝来したが、寛永八年に中野道伴は逸早くこれを覆刻している。
中国善書と日本文化との関係については、酒井忠夫氏の研究があるが(注13)、仮名草子と深い関係がある事を主張されたのは、前田金五郎氏である。前田氏は、日本古典文学大系『仮名草子集』の解説で、「仮名草子、特に了意のそれの研究には、明刊本または朝鮮覆刻本
で、近世初期日本に流布していた書籍の調査がきわめて必要である」とされ、中国善書『明心宝鑑』『迪吉録』と『浮世物語』との深い関係は「広く仮名草子(特に教訓物)と善書類との関連研究の必要性を示すものとして注目に価いするであろう。」と述べておられる。そして、具体的な関連については、その頭注・補注で示された外、『国語国文』(昭和40年6月号)でも子細に分析しておられる。
さらに、小瀬甫庵の『明意宝鑑』『政要抄』、林道春の『童蒙抄』、野間三竹の『北渓含毫』等、近世初川の諸書に『明心宝鑑』からの引用がみられる事実を指摘された前田氏は、「学問・文化が一般化し、庶民の啓蒙教化に著しい進展が見られ」だ明代は、日本の江戸時代にきわめて類似しており、「実用実践を重んずる傾向と庶民的傾向とを特色とする明代文化の一結実が善書であるとするならば、その日本化が仮名草子の教訓物と言い得るであろう。」と両者の関係の深い事を説いておられる。
『明心宝鑑』の諸本についても、すでに前田金五郎氏(注14)、およびL・G・クノート、白石晶子両氏の調査がある(注15)。その後、私の調査し得たものを加えて整理すると次の通りである。

一、明心宝鑑 ファン・コーボ使用の写本
上智大学・キリシタン文庫(複製本)
二、明心鑑正文 明版
内閣文庫
三、明心宝鑑定本 明版
尊経閣文庫
四、明心宝鑑 清版
松平文庫
五、新校明心宝鑑正文 清版
日比谷図書館・加賀文庫
六、新刻全本明心正文 清版か
岡会図書館
七、明心宝鑑抄 朝鮮版
京都大学図書館・谷村文庫
東洋文庫
早稲田大学図書館
八、明心宝鑑正文 和刻本 寛永八年版
お茶の水図書館・成簣堂文庫
香川大学図書館・神原文庫
関西大学図書館・泊園文庫
京都大学図書館
伊達文庫
東北大学図書館・狩野文庫
内閣文庫
長澤規矩也氏
前田金五郎氏
松平文庫
龍谷大学図書館
九、イスパニア語版
Beng Sim Po Cam ファン・コーボ訳(一五九二年)
上智大学・キリシタン文庫(複製本)
Ming Sin Pao Kien フェルナンデス・デ・ナヴァレテ訳
(一六七六年)
東洋文庫

さらに、前間恭作氏は『古鮮冊譜』で「明心宝鑑 華本翻印」として九本を列挙され、『奎章閣図書館韓国本総目録』には『明心宝鑑抄』二本の書誌が報告されている。これらの諸本については、右の前田、クノート、白石、三氏が詳しく述べておられるので省略したいと思う。

和刻本『明心宝鑑正文』の内、早印本と思われる長澤規矩也氏所蔵本を本影印の底本に使用したが、その書誌は次の通りである。

所蔵者 長澤規矩也氏・二四五二号
表紙  焦茶色表紙、縦275ミリ×横172ミリ、大本。
題簽  左肩に後補題簽、四周無界「明心宝鑑正文」と墨書、縦18
2ミリ×横35ミリ。
匡郭  四周双辺、縦208ミリ×横153ミリ(巻上の1丁表)。
内題  目録の初め(巻上の1丁表)に「明心宝鑑正文目録」、各巻
本文の初めに「新鍥京板正譌音釈提頭大字明心宝鑑正文上巻
」「新鍥校正提章分類大字明心宝鑑正文巻之下」。
尾題  各巻末に「一巻畢」「明心下巻大尾」。
巻数  二巻(欠巻なし)。
冊数  一冊に合綴。
字数  一行21字。
行数  毎半葉10行。
丁数  巻上…26丁、巻下…28丁。
章段数  巻上…10篇332条、巻下…10篇395条(目次題に
拠る)。
柱刻  「明心宝鑑正文 上巻 一 (~廿六)」「明心宝鑑正文 下々
乙(~廿八)」。ただし、巻上の13・14・23・24、巻
下の7・10・18・23・28の各丁は「明心宝鑑正文」が
「明心正文」となっており、巻上の2~13・15~26、巻
下の乙~4・8・11・13~28の各丁は「上巻」「下巻
」が「上々」「下々」となっている。
刊記  本文の初め(巻上の1丁裏)に「太倉 緱山 王衡 校/書
林 弼廷 陳氏 梓」とあり、巻下の28丁裏に「寛永辛未三
月道伴刊行」とある。
蔵書印・識語  「放生図書之記」他二顆の朱印。前表紙見返しに「福
島県岩代国信夫□□□/大字上□渡字山□/放生蔵書」、後表
紙見返しに「日新/山県蔵/三省蔵本」の墨書。その他、本文
内に朱点・朱引きあり。

和刻本『明心宝鑑正文』は、明の王衡が校訂し、書肆・陳弼廷が刊行した明版『明心宝鑑正文』(上・下二巻、合一冊、内閣文庫蔵)
を覆刻したものである。明版より行間を広くして、振り仮名・送り仮名・返り点等を付加し、巻上の1丁表の挿絵を目録に変え、柱刻の内、書名の欠けている丁(巻上の1・2・5・6、巻下の1・23の各丁) は書名を加えるなど、厳密にはかぶせ版と言い得ないが、それに近いものである。本文は字形に多少の異同はあるが、かなり忠実に覆刻されている。巻下28丁裏の匡郭外に「寛永辛未三月道伴刊行」とあるので、この和刻本は寛永八年三月に「道伴」によって出版された事がわかる。「道伴」は中野市右衛門で、京都寺町通リ四条上ル、に住し、元和から寛文にかけて『四教儀集註』『周易伝義』『日蓮上人註画讃』『節用集』等を刊行した書肆である。
寛永八年に覆刻された『明心宝鑑正文』は万治二年の書籍目録(写本)から正徳五年の『増益書籍目録大全』まで、その書名が見える。また、『俚言集覧』の著者・太田全斎は、寛政九年の序をもつ『諺苑』で本書を引用してもいる。近世全体を通じて用いられた事が解る。

【注】
注1 書籍目録については『江戸時代書林出版書籍目録集成』(慶応
義塾大学附属研究所斯道文庫編)に拠った。
注2 浅井了意に関する参考文献については、日本古典鑑賞講座『御
伽草子・仮名草子』所収、水田紀久氏編「仮名草子文献目録」、
および『改訂増補 浅井了意』所収、若木太一氏編「浅井了意関
係研究文献目録」を参照願いたい。
注3 初版・十一行本の内題は部分的に埋木されていると思われると
ころがある。もしそうであるとすれば、この作品の最初の書名は
何であったか。という重大な問題になる。この事に関しては、長
澤規矩也氏、中村幸彦氏の有益な御教示を賜った。柱刻その他と
の関連をも合わせて、今後さらに考察を深めたいと思っている。
注4 『国語国文研究』第24号(昭和38年2月)。
注5 当時の書肆については、井上和雄氏編・坂本宗子氏増訂『増訂
版慶長以来書賈集覧』に拠った。
注6 風月堂庄左衛門、沢田氏、寛永―現代、京都二条通り衣棚東南
角、に住す。『孔子家語』『新蒙求』『名臣言行録外集』等を刊行。
注7 堺屋仁兵衛、辻本氏、尚書堂、宝暦―明治、京都三条通り柳馬
場東角、に住す。
注8 北条秀雄氏『浅井了意』、野田寿雄氏『国語国文研究』第24号。
注9 丹波屋理兵衛、元文―明和。田原屋平兵衛、元禄―享和。
注10 吉文字屋市兵衛、鳥飼氏、定栄堂、元禄―文政。吉文字屋源十郎、宝暦―享和。吉文字屋治郎兵衛、春秋堂、貞享―文化。
注11 この改題本『いかだ船』については、すでに横山重氏(同氏
所蔵十四行松会版の識語)、前田金五郎氏(日本古典文学大系『仮
名草子集』)も指摘しておられる。
注12 『近世アジア教育史研究』(昭和四十一年)所収「明心宝鑑―
明心宝鑑の流通とイスパニア訳の問題―」
注13 前掲『中国善書の研究』ならびに『近世アジア教育史研究』
所収「善書―近世日本文化に及ぼせる中国善書の影響並びに流通
―」
注14 『国語国文』昭和40年6月号。
注15 注12に同じ。

【付記】

横山重先生、長澤規矩也先生は、貴重な御所蔵本を底本として使用する事を許可され、長期間に亙ってその借覧を許された上、多くの御教示を賜わりました。
前田金五郎先生は、この解題担当の機会を与えて下さったのみならず、全面的に御指導下さいました。この調査は、前田先生の御調査を基礎にして、わずかの事を明らかにしたに過ぎません。
諸本の閲覧に際しましては、金子和正、佐竹昭広、下房俊一、中田祝夫、中村幸彦、吉田幸一の諸先生に格別の御高配と有益な御教示を賜わり、赤木文庫、京都大学図書館、国会図書館、天理図書館、東京教育大学図書館、東京大学図書館、日比谷図書館、内閣文庫の御世話になりました。
また、仮名草子の諸本調査を精力的に進めておられる、二松学舎大学の小川武彦氏には陰に陽に、多大の御世話になりました。
以上の皆様方に心から御礼申し上げます。
なお『浮世物語』の諸本については、疑問の点が少なからず残されておりますが、今後さらに調査を重ね、考察を深めてゆきたいと思います。
昭和四十七年五月十五日

●本書は、横山重先生、前田金五郎先生が企画された、「近世文学資料類従 仮名草子編」の1冊である。この叢書は、主として、横山先生の「赤木文庫」の所蔵本を使用して刊行された。その中でも、天下一本とも言うべき『浮世はなし』を、私に担当させて下さった。横山先生、前田先生の御厚情に応えたいと、全力で調査・考察した。

●単に『浮世はなし』の解説ではなく、浅井了意の代表作『浮世物語』の諸本の全貌の解明を目指した。この作品の版本は、従来、京都版、江戸版と分類されてきた。私は、この分類は、書誌学上から考え適当ではないと判断して、①11行本、②14行本、③その他、と分類すべきだと新しい分類を提出した。

●私の、仮名草子研究を振り返ると、この本の解説を担当させて頂いたことに、大きな影響を受けた。改めて、横山先生、前田先生の御高配に感謝申上げる。
平成28年11月8日

【1】 可笑記評判

 【1】可笑記評判  昭和45年12月25日,近世初期文芸研究会発行,非売品。東京大学図書館蔵本を底本として翻刻したもの。ただし『可笑記』本文・振り仮名は省略。解説・索引を付す。自費出版。

書  誌

 万治三年刊行の『可笑記評判』を最初に記載した書籍目録は、寛文六年頃の刊とされる『和漢書籍目録』(寛文無刊記本)であが、以後出版された書籍目録の記録を、年代順に列挙すると、次の通りである。目録では『可笑記』の次に記されているため「同評判」とあるが『可笑記評判』のことである(注1)。
○「十冊同評判」(『和漢書籍目録』・寛文無刊記本)
○「十冊同評 浅井松雲了意」『増補書籍目録 作者付大意』・寛文十
 年刊)
○「十 同評判 浅井松雲 廿匁」(『書籍目録大全』・天和元年山田
 喜兵衛刊)
○『十 同評判 了意作」『広益書籍目録』元緑五年刊)
○「十 上村 同評判 了意 十五匁」(『増益書籍目録大全』元緑九
 年河内屋喜兵衛刊)
○「十 可笑記評判 了意(『新板増補書籍目録 作者付大意』・元禄
 十二年永田調兵衛等刊)
○「十 上村 同評判 了意 廿五匁」・(『増益書籍目録大全』・元禄
 九年刊正徳元年修丸崖源兵衛刊)

 東寺観智院所蔵の書籍目録(万治二年の写本)には、未だ記載されていないが、これは『可笑記評判』の刊行記「万治三年庚子二月吉祥日」と符合する。
 右に挙げた書籍目録の記録によると『可笑記評判』は〔浅井松雲了意〕の作として売買され、元禄九年、正徳五年頃の版元は、〔上村〕であった事がわかる。この〔上村〕は、京都二条通烏丸西入北側(玉屋町)に住し、寛永から宝永に亘って『聖賢像賛』『続列女伝』『智恵鑑』『洛陽名所集』『尚書通考』『僧伝排韻』『左伝林註』等を刊行した
上村次郎右衛門であろうと思われる(注2)。また価格も、廿匁(天和元年)、十五匁(元禄九年)、廿五匁(正徳五年)と時代により変化はあるが、員時代の他の書に比較してみると、この作品はかなり高価なものとして扱われていたようである(汪3)。      
 万治三年より正徳年間までの、およそ五十年間、新本としてまた古本として、書肆の店頭に出されたこの作品も、享保十四年の『新撰書籍目録』(永田調兵衛刊)・明和九年の『大増書籍目録』(武村新兵衛刊)では、他の大部分の仮名草子類と共に、その姿を消している。以後は各蔵書家の手によって、細々と伝えられたのである。
 「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテ
 ハ有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵スベキモノナリ 七十四翁三園誌
 之」
 これは、名古屋大学附属図書館所蔵本の識語である。この旧蔵者・三園が何人であるかは未詳であるが、小野晋氏『近世初期遊女評判記集』によれば、愛知県刈谷市立図書館蔵の『そゞろ物語』にも三園の識語を存する。両者が同一人とするならば、この三園は「神谷氏、名は克楨、通称喜左衛門。尾張藩士で、京に在ること二十五年、学を好み和漢の異本珍籍を蔵し、有職故実・算数・本草学にも精しかった。岡田文園・吉田雀巣・柴田海城・小寺玉晁・小田切春江らと交わり、畸人をもって目せられた。明治四年六月、八十匹歳をもつて没し」た事になる(注4)。また石田治兵衛は、京都一条通大宮西入で、寛政から明治にかけて活動した書肆と思われる(注5)。三園の没年から逆算すると、この識語の書かれたのは文久元年となり、この時期の本書の状況を推察する事ができる。

 現在、その版本の所在が明らかになっているものは、次の七点である。
 1、京都大学附属図書館所蔵本
 2.、国立国会図書館所蔵本
 3.、東京大学附属図書館所蔵本
 4.、名古屋大学附属図書館所蔵本
 5.、横山重氏所蔵本
 6.、竜門文庫所蔵本
 7、早稲田大学図書館所蔵本
 右の各所蔵本は、いずれも同一版木に拠るものと思われるので、底本として使用した、東京大学附属図書館所蔵本について、やや詳しく記し、他の諸本については、とくに底本と異なる点のみを記すに止めたい。

 1 東京大学附属図書館所蔵本(青洲文庫 E24654)
著者・瓢水子(浅井了意)。
表紙・縹色表紙、縦267ミリ×横181ミリ。大本。
題簽 左肩双辺、「可笑記評判 一(~)」縦175ミリ×横39ミリ、
   巻五欠。
内題・「可笑記評判巻第一(~十)」。
巻数・十巻。                 
冊数・十冊。
字数・約二十二字(批評の部分は一段下げのため、それより一字ない
   し二字少々い。)
行数・十二行。
丁数・巻一……56丁  巻二……63丁  巻三……46丁
   巻四……56丁  巻五……47丁  巻六……51丁
   巻七……65丁  巻八……59丁  巻九……76丁
   巻十……79丁。
段数・巻一……27段  巻二……20段  巻三……23段
   巻四……24段  巻五……25段  巻六……17段
   巻七……21段  巻八……30段  巻九……43段
   巻十……47段。
匡郭・囚周単辺、縦206ミリ×横160ミリ(巻一の2丁表)。
柱刻・巻一 「可笑記評判一 乙(~五十六終)」。
   巻二 「可笑記評判巻二 乙」。
      「可笑記評判二 二(~六)」。
      「可笑記評判巻二 七(~六十三終)」。
   巻三「可笑記評判巻三 乙(~四十六終)」。
   巻四「可笑記評判巻四 乙(~五十六終)」。
   巻五「可笑記評判巻五 乙(~四十七終)」。
   巻六[可笑記評判巻六 乙(~五十一終]」。
   巻七「可笑記評判巻七 乙(~六十五終)」。
   巻八「可笑記評判巻八 乙(~五十九終)」。
   巻九「可笑記評判巻九 乙(~七十六終)」。
   巻十「可笑記評判巻十 乙(~七十九終)」。
奥書・「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」。
刊記・「万治三年庚子二月吉祥日」・
内容・如儡子の仮名草子『可笑記』(五巻・五冊。寛永十
   九年初版か)に対する批評書であり、各段ごとに
   表題を付し『可笑記』の本文をまず掲げ、その後
   に「評曰………」と一段下げて批評を連ねる、とい
   う体裁をとってぃる。『可笑記』全二八〇段中、
   批評を付加したのは二三一段である(二四四頁・
   章段数対照表、参照)。各段の分量は、小は二行
   程度のものから、大は延々十三丁に亘るものも有
   り、必ずしも一定しないが、瓢水子の付加したも
   のは、序、愚序評、あとがきを加えると、二三四
   の長短の批評文という事になる。その他、各巻頭
   の目次題も新たに付加したものである。
蔵書印・「青洲文庫」「東京帝国大学図書印」。
その他・所収の『可笑記』本文は、十二行無刊記本に拠
   っていると思われる(注6)。
                        
 2 名古屋大学附属図書館所蔵本
         (岡谷文庫 913 51 A I~10岡)
表紙・藍色表紙、縦278ミリ×横182ミリ。
蔵書印・「真照文庫」 「名古屋大学図書印」。
   その他、巻一前表紙に白紙(縦157ミリ×横78ミリ)が
   貼付されており、墨書で次の識語かおる。「可笑
   記評判十套 万治三年庚子二月梓行/此書久シク
   探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中
   ニテハ有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵スベキモノ
   ナリ/七十四翁三園誌之」(この識語については、
   二七〇頁参照)。また、昭和二十六年二月十日に
   岡谷三男氏より寄贈された旨の記入がある。

 3 早稲田大学図書館所蔵本(へ 13 1701 特別図書)
表紙・後補薄藍色表紙、縦272ミリ×横182ミリ。
題簽・左肩に後補題簽「可笑記評判 一(~十)」と墨書。
蔵書印・「早稲田大学図書」。
その他・各巻頭の目録(乙丁)がすべて落丁。

 4 京都大学附属図書館所蔵本(国文学 pb 24)
表紙・縹色表紙、縦269ミリ×横185ミリ。
  
題簽・左肩双辺、「可笑記評判 一(~十終)」縦約187
   ミリ×横約38ミリ。ただし、巻三欠。
蔵書印・「京都帝国大学図書之印」その他に、受入年月
   日・大正六年二月九日、受入番号・一七〇七四九、
   が記入されている。

 5 国立国会図書館所蔵本(146 171)
表紙・元表紙は失われており、昭和四十一年に改装し、
   茶色縞表紙を補う。縦269ミリ×横201ミリ。
   この折、本文紙も全冊に亙って総裏打ちされた。
冊数・三冊に合冊されている。
   第一冊……巻一、巻二、巻三。
   第二冊……巻四、巻五、巻六、巻七。
   第三冊……巻八、巻九、巻十。
   なお、目録は各冊冒頭に集めてある。
蔵書印・「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」。そ
   の他「書林柳校軒 日本橋小川二丁目 彦九郎」
   の印がある。
その他・巻九の75丁・76丁、下三分の一ほど欠損。
   巻八の31丁・32丁、巻九の31丁、巻九の49丁
   ~76丁がそれぞれ乱丁。
                       
 6 横山重氏所蔵本(赤木文庫)
表紙・濃縹色表紙、縦267ミリ×横185ミリ。
題簽・左肩双辺、「可笑記評判 一(~十終)」縦187ミリ
   ×横58ミリ。
蔵書印・「西荘文庫」「アカキ」「よこ山」。
その他・巻八の31丁・32丁が乱丁。

 7 竜門文庫所蔵本(一〇ノ三 815)
表紙・後補茶色表紙、縦255ミリ×横180ミリ。
蔵書印・「永田文庫」「善宇」「本治」「竜門文庫」その他。
その他・巻一の52丁が落丁。
    巻三の2丁~6丁、巻十の76丁・77丁が乱丁。

 以上、各所蔵本を概観したのであるが、これらは、印
刷の先後によって、二つのグループに分ける事が出来る
と思われる。初刷本と断定出来たいにしても、やや早い
時期の刷かと思われるのが、名大本と早大本であが、東
大本・京大本・国会本・横山重氏本・竜門文庫本は後刷
本と思われる。その根拠は、東大本系には、版木の破損
に依って、巻五の55丁・56丁に、かなり不明の箇所があ
るが、名大本系ではこれが明瞭に出ているし(注7)、
また名大本系において、巻八の39丁の丁付は「丗」とあ
り「九」が脱落しているが、東大本系では「丗九」と訂
正され「九」を入木した跡が認められるからである。な
お、同じ巻八の丁付が「廿八・廿九・三十・三十一・丗
一・丗三」とあるのは、諸本共通であり「丗一」は「丗
二」の誤刻であるが、国会本と横山重氏本は「三十一」
と「丗一」を入れ替えて製本してしまっている。また、
題簽に二種あるが、名大本と東大本が同一のもので、京
大本と横山重氏本のものが同じである。これらの点から
考えると、後刷本と思われるグループの中でも、東大本
は名大本に近い関係にあるという事が出来る。

注1 書籍目録につにいては『江戸時代書林出版書籍目
  録集成』(慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編)に
  拠った。
注2 『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏絹)による
  と上村姓の書肆は五名あるが、次郎右衛門が時代
  的にも妥当と思われる。
注3 価格を記した書籍目録の主友ものは、次の四種
  である。                    /6
 〔1〕、『書籍目録大全』(天和元年山田喜兵衛刊)
 〔2〕、『増益書籍目録大全』(元禄九年河内屋喜兵衛刊)
 〔3〕、〔2〕の増修本(宝永六年丸屋源兵衛刊)
 〔四〕、〔2〕の第五次増修本(正徳五年丸屋源兵衛刊)
  この中から主な作品を取り上げ、冊数の多い順、
  価格の高い順に配列したのが別表(275頁~276頁)
  である。もちろん、重版の有無、丁数なども関係
  してくるので、一概には言えないし、また『可笑
  記評判』が再版されなかった事とも関わっている
  と思うが、他の作品に比して、本書がかなり高額
  である事は言い得ると思う。
注4 これは小野晋氏著『近世初期遊女評判記集』研
  究篇より引用させて頂いた。なお、小野氏より、こ
  の三園が同一人であるか否かは、両者の筆跡を比
  較すれば判明する事であるが、同じ号である事、
  名古――京都、などの関係から、恐らく同一人
  ではないかと推測される。という御教示を賜わっ
  た。現在迄に、筆跡を比較する事は出来なかった
  が、今後、機会をみて確認したいと思う。
注5 前掲『慶長以来書賈集覧』に拠る。
注6 『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が無刊記
  本に近い事は、すでに前田金五郎氏が指摘してお
  られる(『国語国文』昭和四十年六月号)が、拙稿
  「『可笑記』の諸本につい」(『文学研究』第二
  十八号・第三十号)および、「『可笑記』の本文
  批評」(『近世初期文芸』第一号)に詳しく述べて
  おいた。
注7 巻五の不明箇浙について、竜門文庫本は未確認
  であるが、丁付その他の点から後刷本に入れた。
  機会をみて確認し。正確を期したいと思う。

付 記

 『可笑記評判』は『可笑記』の批評書であるため、当
然『可笑記』との関連において考えなくてはならないと
思います。この翻刻で『可笑記』の本文を省略せざるを
得なかった事は、その点非常に残念です。しかし『可笑
記』はすでに、『徳川文芸類聚』第二冊『教訓小説』と『近代
日本文学大系』第一巻『仮名草子集』に収録されておりま
すので、それらを参照して頂きたいと思います。また、
この作品の時代背景、成立の時期、文学的意義などにつ
いても述べる予定でしたが、紙数の関係で省略しました。
他の機会に発表し、御批判を得たいと思います。
 この翻刻を進めるにあたり、具体的な御指導を賜わり
ました重友毅先生をはじめ、日本文学研究会の諸先生に
深甚の謝意を表します。
 東京大学附属図書館では、所蔵本を底本として使用す
ることを許可されました。また、原本:閲覧に際しては、
秋山虔・川瀬一馬・佐竹昭広・前田金五郎・横山重の諸
先生より御高配を賜わり、赤木文庫・京都大学附属図書
館・国立国会図書館・名古屋大学附属図書館・竜門文庫
・早稲田大学図書館のお世話になりました。ここに記し
て厚く御礼申し上げます。
            昭和四十五年十二月十五日

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●この『可笑記評判』は、私が翻刻を手がけた最初の
ものです。経験も浅く、現在から考えると反省点の多い
本です。当時、印刷技術も、活版印刷、写真植字を利用した
オフセット印刷、それに、活字タイプ印刷もありました。
本書は、謄写版のように、青色の原紙にタイプ活字で、
1字1字、タイピストが打つ方式でした。タイプ活字に
無い活字は、日本活字や岩田母型で、1字ずつ購入して、
打ちました。それでも無い活字は、町のハンコ屋さんに
刻してもらいました。
●本が出た時、天理図書館の、木村三四吾先生から、印刷
方法に関して質問されたことがあり、内心、少し嬉しかった
記憶があります。
●この本は、私の出した最初の本です。そのような関係で、
重友先生はじめ、日本文学研究会の諸先生が、市ヶ谷の
私学会館で、出版記念会を開いて下さいました。高橋俊夫
先生の『西鶴論考』と合同の会でした。
●あくまでも、如儡子探究の過程のものですが、その後の
私の研究姿勢に影響を与えたものです。

            平成28年11月3日
                     深沢秋男

横山重先生と私

横山重先生

  • 2020.11.16 Monday
  • 00:33
横山重先生の思い出

• 2019.07.09 Tuesday
• 06:54
横山重先生の思い出 2019年7月9日 改訂
深沢 秋男

1、横山重先生との出会い

横山重先生との出会いは、『可笑記』の諸本調査から始まった。私は、昭和37年に法政大学を卒業して、北海道の函館の高校へ就職する予定であった。しかし、卒論の面接諮問で、指導教授の重友毅先生に大学院への進学を勧められ、針路変更をした。卒論は仮名草子の『可笑記』であったが、学生の頃から諸本調査をしていて、公共図書館・大学図書館の調査を優先していた。これらが、ほぼ済んだので、特殊文庫・個人所蔵本の調査に入った。

●昭和42年7月

犬山在住の、横山重先生に初めてお手紙を差し上げたのは、昭和42年7月21日である。その頃、法政大学の島本昌一先生のゼミを聴講して、『貞門俳諧自註百韻』の注釈を進めていた。その関係で、前田金五郎先生を介して、横山先生御所蔵の『貞門俳諧自註百韻』の書写本を拝借し、研究する機会を頂いた。調査の結果、この写本の書写者は、自註の部分をかなり省略していたので、俳諧の素養のある人物ではないか、という私見を横山先生に報告した。

その報告と同時に、横山先生御所蔵の、
①可笑記 寛永十九年版十一行本
②可笑記 万治二年版 絵入本
③可笑記評判 万治三年版
の3点の閲覧願も同封した。その時点での、調査済み諸本の一覧表と、諸本の状況も報告した。24日、折り返し御返事を頂き、閲覧を許可して下さった。原物は、前田金五郎先生宅にあったので、8月1日に、
①可笑記 寛永十九年版十一行本、五冊
②可笑記評判 万治三年版、十冊
の2点を拝借して、調査し、8月6日に御返却申し上げた。万治二年の絵入本に関しては、そのうち、蔵書の中から探し出して下さることになる。

●昭和42年9月

昭和42年9月4日、横山先生御所蔵の、
①可笑記 寛永十九年版十一行本
③ 可笑記評判 万治三年版
の調査結果の書誌的概略を、横山先生に報告した。先生からは、折り返し御返事を頂き、絵入本は、出てきたら、すぐ閲覧させて下さることになった。

●昭和43年5月

昭和43年4月、重友先生から、6月開催の日本近世文学会春季大会で、『可笑記』の諸本について発表するようにと指示された。大部分の本は閲覧・調査させて頂いていたが、未見のものもあり、極力未調査本を少なくするように努力した。近世文学会で発表する前に、横山先生に是非お会いしたいと思い、この旨、先生にお願い申し上げた。
昭和43年5月12日、犬山の横山先生の御自宅へお伺いし、初めて、先生と奥様にお会いした。和本の入った茶箱の山の中で、先生も奥様も和服姿であった。先生は温かく迎えて下さり、様々な貴重な御指導を賜った。主なものを整理してみると、次の如くである。

◎『可笑記』寛永十九年版、十一行本と十二本の行間の件は、君の意見でよいと思う(切り張りしたのかな?)。この2本については、十一行本が原本で十二行本はかぶせ彫りと思われる。また、現在の我々が思うほど、書くという事が難事ではなかったので、原本を敷写しして、それを版下にしたと考えられなくもない。

◎『可笑記』無刊記本・絵入本・『可笑記評判』の関係については、君の考えが妥当と思う。これまで多くの本を見てきたが、それらの例からみて、再版、三版する場合、必ずと言ってよい程、直前の版の本を原本にしている。その意味で、無刊記本は寛永十九年のものを使い、絵入本・評判は無刊記本を使ったと考える推測は妥当性がある。『住吉物語』でもそうだった。

◎絵入本に関して、水谷不倒氏の「此絵入本に、中本にて大小の二種あり。」(『仮名草子』)という説に関して質問したところ、水谷氏の長所は、多くの本を見ている事である。短所は、正確でない点であろう。その点で、絵入本については記憶ちがいかも知れない。水谷氏の浄瑠璃史は、ある一本に収録された目録に拠って書かれ部分があり、実物を見て書いたのではない点もある。その点は注意すべきであろう。

◎私の所蔵本の絵入本は良本で、今すぐ取り出せないが、近世文学会の発表のリストに加えて差支えはない。見付かり次第送って下さる、と申された。

◎岩波の『国書総目録』は、戦前解題書として出発した。他の執筆者は、その書物の内容を書いた。それに対して外部条件を書いたのが私であった。当時、梅君(有名な法学者、法政大学創立者・梅謙次郎の子息)が中心的な担当者で、外部条件を中心にすることに決まり、執筆者は次々に担当を断った。原稿料よりも調査費がかかったからである。私は教員を辞めて、アイウエオを引き受けた。それが、書名と所在のみを記した、今の『国書総目録』の前身である。

◎法政は、安藤、島本、それに君など、しっかりした人がいるが、どういう事か、実に頼もしいと思う、と申された。これは、もちろん、お世辞であることは分かっていたが、それでも、大変嬉しく、内心では、横山先生を見習って努力し、少しでも先生に近付きたいと願った。

赤木文庫のコウモリガサ

午後早々に伺い、辞去したのは夕方であったから、4時間か5時間、貴重な御指導を賜ったことになる。外に出ると雨が降っていた。先生は、これを使いなさい、とコウモリを貸して下さった。その夜は、名鉄グランドホテルに宿泊して、次の日、京都大学の佐竹昭広先生の研究室で、京大本の調査をさせて頂いた。
帰宅して、拝借したコウモリガサを見たら、黒の柄に「赤木文庫」と、千枚通しか何かで彫ってある。本来なら、御返却すべきであるが、横山先生に初めてお会いした記念に頂きたい、そう手紙でお願いしたところ、折り返し御返事を下さった。

「可笑記をたくさん ごらんになられたこと、前田君からも、敬
服と云って来ました。一つの本を徹底的に調べるやうな事は、従
来ない事でした。山田忠雄氏の「下学集」に次いで貴兄の可笑記か。
可笑記そのものも、人を得て大慶に思ひます。前田君、近く「竹
齋集」を出すよし。だん??仮名草子も、よき人によって 発表
されるやうになり欣快の至りです。……
私の洋傘 御所望との御事。よろこんで さし上げます。代品の
事など 御考へ下さるに及びません。……私は、傘を失ふこと、
頻々たり。で、それをも考へて「赤木文庫」と入れた。赤木文庫と
は、松本の南二里にある小山(百メートル)です。その北につづ
く地籍を「横山」といひ、古いトリデがあった。出自はそこです。
私の本を信大の図書館落成の時に展観する時、咄嗟に「赤木文庫」
として出した。私の恩師に島木赤彦あり。その中の二字にも当る
として、それを常用してゐるのです。……
五月廿二日          横山 重」

それから43年間、今も、私の原稿執筆デスクの左側に「赤木文庫」のコウモリガサは、かかっていて、私の研究振りを見守っていて下さる。
【写真 ①横山先生御夫妻、②横山先生の手紙、③「赤木
文庫」と彫られたコウモリガサ】

●昭和43年11月

昭和43年11月6日、横山先生から、可笑記 万治二年版 絵入本を速達にて拝受。7日、拝受のお礼の手紙を投函。
11月20日発行の『文学研究』第28号に「『可笑記』の諸本について」を発表し、抜刷を横山先生にお送り申し上げた。すぐ、御返事を下された。

「只今、お手紙と、文学研究二十八号の抜刷りを拝見しました。パ
ラ??と一見したのみですが、よく 御調べになりました。一本
についての調査としては前代未聞と思ひます。かういふ調査をし
た人があるといふ事その事だけで、後人を益するところ多し。大
兄としても、かういふやり方をやったその事だけで、むろんプラ
スでせうが、かういふ態度そのものが、今後 貴兄に必ずプラス
しませう。よくやりとげました。
十一月廿三日   484 横山 重」

勿論、過分なお言葉ではあるが、私の方法を、横山先生が認めて下さった事に対して、心から感謝した。
12月15日、横山重氏・赤木文庫蔵、万治二年版、絵入可笑記、調査。結果は横山先生に報告した後、『文学研究』第30号(昭和44年12月発行)に発表した。

●昭和44年1月

昭和44年1月、横山先生宛に、『可笑記』の調査結果と関連写真をお送りしたところ、1月14日付で御返事を頂いた。
「御手紙と 可笑記の写真、昨十三日夕方、つきました。御親切 あ
りがたう存じます。写真は、本に添へて、御厚意を 後年まで残
したく存じます。
可笑記を御やりになるに、もし、私の本を 御手許におく方よけ
れば、前田さんにたのんで、御手許へお持ち下さい。前田さんへ
御願ひして下さい。
今や 新規な仕事はない。誰が誠実な仕事をしたかといふ事だけ
が、眼目になってゐるでせう。
これが、最初で、これが終局と思ふ。貴兄の 第一歩を期待しま
す。
一月十四日        横山 重」

横山先生は、研究の根本に、〔誠実・真実性〕を置いておられる。「真理を求むる意志、自他を欺かざる心根。対人関係にありては言行態度と意志との一致せること」 私は、以後、この横山先生のお言葉を常に行動の根底に置いて研究を続けてきた。

2、絵入本『可笑記』の頃

●昭和45年7月

昭和45年1月、『近世初期文芸』第1号、『文学研究』第30号に対して、「大そう詳しい御調査の発表とて、敬意を表します。可笑記の順位は貴兄が決定したと思ひます。なほ本文掲出のことを 御すゝめ下さい。一月五日 横山 重」 というお言葉を賜る。
4月8日、田中伸先生から御連絡を頂き、『可笑記』の複製・校異・研究についての共同研究を打診された。重友先生の御了解のもとに、参加させて頂くことになる。校異の底本として、絵入本は横山重先生所蔵本、無刊記本は長澤規矩也先生所蔵本を使用させて頂くことにした。早速、横山先生に、お願いの手紙を差し上げた。先生からは、折り返し、次の如く御返事を頂いた。

「御手紙拝謝。可笑記を本格的にお出しになられるとの御報、大慶
に存じます。絵入本も御出しと。私の本は、この一週間の間に小
包郵便にして送ります。いつまでも御留めおき下さってよいので
す。御光来には及びません。
七月十六日          横山 重」

7月17日、横山先生御所蔵の絵入本拝受。早速、御礼のお手紙を差し上げた。先生から御返事。

「可笑記の万治絵入本、御落手の御事、御手紙拝見いたしました。
対校後、返すとありますが、本は最後まで、必要とするものです。
いつまでも、お留めおかれてよろしく、貴下の本ができた後に、
御返送ください。
七月廿四日          横山 重」

7月26日、犬山の横山先生宅を訪問。詳細を御報告し、種々の御指導を賜る。

●昭和45年12月

横山重先生から、昭和45年12月23日付のおはがきを頂く。

「この葉書、御手許へ届いた日から、万治刊の「可笑記」は、貴兄の
所有にして下さい。贈呈します。
私は この二三年、数氏の方々に、私の本を贈呈してゐます。昨
二十二日、古典文庫の吉田幸一氏来訪。その時、宛名だけ書いた
この葉書を吉田氏に示し、可笑記貴君に贈呈の事を吉田さんへ話
した。で、その日に決定。
御本できた時に、二、三部、私へ下さい。それで十分です。
四十五年十二月廿三日   横山 重」

【写真 ④⑤横山先生の葉書、表・裏 ⑥⑦絵入本『可笑記』】

私は、即座に、横山先生宛に電報を打った。

「ゴ ホウシヨハイジ ユイタシマシタ。ヨコヤマセンセイノゴ
オンジ ヨウニフカクカンシヤモウシアゲ マス。フカサワアキ
オ。」

世の中には、このような事があるのだろうか。
実は、昭和40年9月12日、桜山文庫の所蔵者、鹿島則幸氏から、寛永十九年版十一行本を御恵与賜った。さらに、昭和45年4月29日、長澤規矩也先生から無刊記本を賜った。これは、結婚祝だと言われた。お金の無い私が、一所懸命『可笑記』の研究をしているので、三人の大先達が、御褒美に下さったのだと思う。御恩返しは、この作品と作者の研究を仕上げることであろう。そう自覚している。

平成17年、私は昭和女子大学を定年退職した。その折、2月16日の昭和女子大学・日本文学研究会で「仮名草子研究の思い出」と題して、最終講義をさせて頂いた。国文学科・日本文学科・図書館等の皆様、大学院生など30名ほどの方々が出席して下さった。私は、その場で、鹿島則幸、長澤規矩也、横山重の三先生から御恵与賜った『可笑記』3点は、私の研究がまとまった時、昭和女子大学図書館へ寄贈する旨を申し上げた。恐らく、この3本は、今後古書店に出ることは無いと思う。

★この3点は、新出写本と共に、昭和女子大学図書館に寄贈済みである。2019年7月9日。

横山先生御所蔵の絵入本には、先生の、次の識語が貼付されている。
「自分は此本を三つ買った。一つは村口。これは刊記のある巻末一
丁缺。八十円。又、一誠本も買った。八十円。これは完全本であ
ったが、虫入りが多かった。総じて、此本の紙、虫好むか。虫入
り本を見し事あり。然るに、昭和十九年、本書を得たり。極上本
なり。あだ物語 村口 千二百、不易物語弘文 千円といふに比
すれば、むしろ安しとすべし。500 昭和四年 杉本目 「絵
入風俗 可笑記 如儡子 帙入万治二年刊 チャンバーレン旧蔵
半五 百五拾円」

私は、この年の12月25日に、浅井了意の『可笑記評判』をタイプ印刷で自費出版で出したが、これに対しても、横山先生は温かい御返事を下さった。第二次世界大戦のさなか、先生は中世物語の本文を、コツコツと定着出版されていた。戦争が終って、若い研究者が帰って来た時、研究できるように、という思いだった、といつか話して下さった。百目鬼恭三氏が、古典作品のテキストを彫刻する学者、と朝日新聞で、横山先生の事を記していたのを思い出す。(昭和57年2月22日、山藤章二氏の似顔絵)

3、「近世文学資料類従」の頃

●昭和46年11月

昭和46年11月9日、前田金五郎先生より御連絡を頂き、碑文谷のお宅へお伺いした。今度、近世初期の俳諧・仮名草子などの影印本を勉誠社から出す事になった。その書誌解題を私にも担当させて下さるとのことである。前田先生は、収録作品のリストを示され、担当を希望する作品を選ぶように申された。『可笑記』は、田中伸先生と笠間書院から複製を出す予定であるゆえ、『可笑記評判』と『浮世物語』を担当させて下さるよう、お願い申し上げた。先生は、『堪忍記』も担当するようにと申されたが、この作品は、田中伸先生が適任ではないかと、御遠慮申し上げた。前田先生と打合せて、その日の夜、田中伸先生のお宅へ廻り、この件をお伝えした。このシリーズは、「近世文学資料類従」といい、横山先生と前田先生の企画であると、この時に知らされた。横山先生御所蔵の赤木文庫の原本を中心にして、最良の底本を使用する由。前田・横山両先生の御高配に感謝して、早速、横山先生に御報告を申し上げようとしたところ、先生から先にお便りを頂いてしまった。

「堪忍記と、江戸板「浮世はなし」と、貴兄に配当と、前田君の手紙。
貴兄やりますか。いそがしいが、一つのチャンスだから、おやり
なさい。安藤君、徳元を貰ひしとて、欣喜雀躍してゐる。笹野堅
のものより数段よくなるでせう。貴兄もフンパツして下さい。…
…今日(十一月十四日)東京古典会で、私は「いな物」に二十三
万円の札を入れる筈。及落は不明。遠近道印の貞享元年の江戸図
は八十五万まで入れた。これは取れるでせう。
十一月十四日       犬山  横山 重」

横山先生、前田先生の、この御配慮で、私の仮名草子研究の方向は大きく転換した。これは、研究生活生涯を通じての軌道修正であり、両先生に対して、心から感謝している。

●昭和46年12月

昭和46年12月3日、前田金五郎先生宅へ伺い、横山先生御所蔵の、次の2点を拝借した。
◎浮世はなし 江戸版 五巻五冊
◎浮世物語 京都 風月堂版 五巻五冊
以後、横山先生と連絡を取りながら、諸本調査を開始した。
●昭和47年3月

昭和47年3月18日、横山先生宅を訪問。今回も長時間に亙って、貴重な御指導を賜った。その折、先生の新しい御論文「遠近道印について」(『日本天文研究会報文』第5巻第1号、神田茂喜寿記念論集、1971)を頂いた。25頁の力作である。帰宅後、ゆっくり拝読したが、〔遠近道印〕という存在に対する、横山先生の尽きることの無い追尋の姿勢に圧倒された。

また、この時、先生は、深沢よ、美文を書く必要は無い。事実をツブツブと書きなさい。事実を正確に書き残せば、それは役立つものとなる。とお教え下さった。私は、学生以来、いずれかと言うならば、評論風を好んだ。しかし、この時以来、文章を一変した。

この日の昼食には、特製の鰻重を御馳走になった。鰻が二段になって入っていた。同行した妻も私も、生まれて初めての豪華な鰻重であった。長時間に亙って、御指導を賜る私の姿を、同席していた、先生の奥様も、私の妻も、一部始終を見ていたことになる。妻は、帰りのタクシーの中で、横山先生の奥様は美人ですね。先生は、学問に対して厳しいけれど、本当に純粋で、お優しい方ですね、と私に語った。私は、妻に横山先生を理解してもらえて、内心、幸せに思った。

昭和47年3月28日、横山先生から封書のお便りを頂いた。東京美術発行の、伊波普猷・東恩納寛惇・横山重編纂『琉球史料叢書』全5巻の内容見本が同封されていた。

「私は当地へ来て満十一年。当地へ来てから、四月になると、再
刊二十一、新刊九です。全部で三十冊。そして、印税もらへるの
は今度の琉球(五百部、一割)一冊だけです。新刊九の中で、七
冊は文部省助成出版です。無職三十一年で、全部「竹の子」で来た。
三月廿八日         横山 重」

頭の下がる、先生の生き方である。
【写真 ⑧⑨『琉球史料叢書』の内容見本】

●昭和47年5月

昭和47年5月15日、『浮世はなし』『浮世物語』『明心宝鑑』の解題原稿を前田先生にお届けする。

「浮世物語―浮世はなし の御原稿を前田君にお届け下さったよし。
大慶の至りです。又、その系統についての表記を私に御示し下さ
いまして、ありがたう存じます。よくやりましたね。
五月十八日夕  犬山  横山 重」

昭和47年8月20日、「近世文学資料類従 仮名草子編 12」『浮世ばなし 付 明心宝鑑』発行。

「昨日、勉誠社の池嶋さん、おいででした。で、天理の木村君が、
画面の大きさ、用紙の厚みなど羨ましいと書いて来た手紙を見せ
た。製版も見事なり。これからは売行を伸ばすこと大切と、当然
の事を申述べました。私は五部づゝ貰ふが……とにかく勉誠を盛
大にしたい。
御手紙で、浮世ばなし の解説の再校が出ましたよし。進行が早
いので、およろこび申上げます。校正を勉誠社に任せないで、最
後まで御自身でごらん下さい。森川さんの解題も上出来でした。
過不足なしの名解説でした。貴兄の博捜ぶりはすでに拝見したの
で、これ又、上出来と安心してゐます。
七月十二日夕方     犬山  横山 重」

【写真 ⑩『浮世はなし』はし書】

●昭和47年12月

「可笑記校異の原稿 一一五二枚を田中さんに差し出したと承りま
した。パスすると見て、笠間に早く着手するやう熱心に頼んで貰
ふこと。でないと、短い月日では本にならぬ。スタートを早くと
たのむ事。この事大切です。……即時スタートを田中さんから笠
間に申出て貰ひなさい。
十二月十四日   犬山   横山 重」

●昭和48年7月

「近世文学資料類従 西鶴編」では『新可笑記』を、仮名草子編第二期では『可笑記評判』を担当させて頂くことになった。

「近世文学資料類従で、可笑記評判と、新可笑記御担当と。御願ひ
致します。天理へおいでの次手に御来訪と。暑中で御疲れの御事
と思ひ、私宅へ御いでは省略して下さってよろしいと存じます。
勤労と、御勉強はよけれど、むりせぬ方よろしく、御家庭を大
切にして下さい。
七月十二日夕  犬山市大本町六五  横山 重」

7月20日、天理図書館の 新可笑記 2点 閲覧。金子和正先生、木村三四吾先生の御指導を賜る。21日には、大阪府立中之島図書館の新可笑記を閲覧させて頂き、犬山の横山先生宅へお伺いし、『新可笑記』の諸本に関する中間報告を申し上げ、御指導を賜った。

●昭和48年11月

昭和48年11月28日、「近世文学資料類従 西鶴編 11」『新可笑記』の発行は、昭和49年10月25日であるが、48年11月28日に、解題原稿を見て頂き、次のような御返事を頂いた。

「新可笑記拝見。よくやってあります。敬服します。挿絵を注
視して下さったこともありがたい。吉田さん、御本を出して
下さったこと、感謝。御自身の方で、本 出してゐる御方ゆ
ゑ、殊にありがたい。この事 銘記すべし。
十一月廿八日夕    横山 重」

実は『新可笑記』の諸本調査を進めていて、公共図書館所蔵本の調査が済み、最後に、吉田幸一先生の御所蔵本を閲覧させて頂いた。昭和48年9月1日だった。ところが、吉田先生所蔵本が、最も良い本であることが判明した。私は、横山先生に御連絡して、この解題担当は、吉田先生にお願いしたい、と担当を辞退した。この旨を横山先生が吉田先生に打診して下さった結果、予定通り、私に担当するように、御指示があった。そのような経緯があって、「この事 銘記すべし。」という、お便りを頂いたのである。この閲覧・調査の折に、吉田先生から、長時間に亙って様々な御指導を賜り、以後も大変な御高配を賜った。

4、『江戸雀』の頃

●昭和48年9月

「近世文学資料類従 古板地誌編」は、横山重監修である。私は、昭和48年9月11日、横山先生から封書を頂いた。古板地誌、28点のリストと、お手紙が入っていた。

「勉誠社で古板地誌の複製をやると。古板地誌は私に上本あり。九
分通り私の本でやれる。その解説者に、○○、○○、○○、○○、
貴兄を想定してゐる。貴兄は何と何を希望するか。順をつけて、
三、四点を挙げて下さい。……
九月十一日          横山 重」

昭和48年9月20日、葉書拝受。

「只今、速達の御手紙拝見しました。今日は○○君も来訪と。そ
こで、皆さんの希望のもの出揃ひますから、なるべく、そのやうに
考へながら、調節して申上げます。
尚、勉誠社が何と何をやるか、未決定です。原案を私が作って、
前田君の意見を加へて、勉誠社に話します。実現は少しおくれる
でせう。
九月二十日          横山 重」

御検討の結果、私は『江戸雀』の担当を指示された。
昭和48年10月22日、小川武彦氏が、横山先生の御所蔵本、『江戸雀』12巻、後印本を持参して下さった。

●昭和49年4月 横山先生伊豆へ御転居

「移転お知らせ
私は今回、勉誠社々長池嶋氏の厚意により、同氏の伊豆伊東の別
荘に移転いたしました。同氏別邸は、太平洋に面する国立公園の
中の自然公園の一隅、私の住宅とするには、もったいない程の立
派な別荘であります。周囲に樹木多く、しかも日本的の花木が多
い。ありがたい。私の終焉の地といたします。
伊豆伊東市赤沢うきやま浮山町一六八ノ三四
伊豆自然公園内  殖産○○号  横山 重
TEL 一五五七―五三―〇〇〇〇」

余白に、「江戸雀の全題簽 私の許に写真あり。さがして送ります。原本は藤園にある。必要ならば借り出してやる。」と書き込みあり。
昭和49年4月25日、横山先生より葉書を頂く。

「江戸雀の初印本と再印本の差を見て貰ひたい。私から藤園さんに
頼んで、本を池嶋宅まで送ってくれと云って見る。それ不可なら、
貴兄が藤園堂を訪問せねばならぬ。
藤園本の題簽と奥の写真は勉誠へ送りました。――江戸雀は
文字が小さいから、本文を大きく出す工夫をしたい。――本文
の中で、両者の差のある所は、再印本のその部分の写真も出し
て、解説の中で示す方よし。
四月廿四日          横山 重」

昭和49年5月26日、速達葉書を頂く。

「藤園堂さんから電話あり。六月はじめに、人をよこして、本を私
宅へ届けると。(郵送をきらふ由)本が来たら即時、貴兄か、親
しい人で、信頼できる人を私方へよこして下さい。本を渡します。
(本を人に渡すこと、目下、極秘)このほんを自宅で丁寧に見れ
ば、他の本は一見するのみでよろしいと思ふ。有峰書店(中央区
銀座五ノ十ノ十三)で、江戸地誌叢書十巻を出すと。内容見本を
見た。第一巻に「雀」を入れて、師宣撰画とあり。やはり後印本也。
しかし、雀は可なり後らし。
六月廿一日夕        横山 重」

【写真 有峰書店『江戸地誌叢書』の内容見本 〔11〕〔12〕】

■昭和49年6月7日、横山先生宅訪問。次の5点を拝借した。

1、江戸雀 初印本 十二巻十二冊
武州江戸之住 近行遠通撰之/同絵師 菱川吉兵衛/延宝五年丁
巳仲春日 江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板
2、江戸雀 後印本 十二巻十二冊
武州江戸之住 絵師 菱川吉兵衛/延宝五年丁巳仲 日江戸大伝
馬三丁目 鶴屋喜右衛門板
3、新板 江戸大絵図 本 寛文十庚戌年 十二月吉日/
遠近道印(花押)/日本橋南二町目 経師屋加兵衛(印)
4、東海道分間絵図 元禄参歳庚午孟春吉旦/作者 遠近道印(花押)/絵師 菱河吉兵衛/大門通新大坂町 板木屋七郎
兵衛板
5、改撰 江戸大絵図 一分十間積/遠近道印作 元禄九年正月吉日 遠近道印作(花押)/大門通田所町 板屋弥兵衛板

借用書は必要ないと申され、自分の手帳にメモしたのみであった。横山先生は

「それだけあれば、家が一軒建つからね。決して電車の中ではひろげるナ、家に帰ってゆっくり見なさい。」

と申された。
千葉の家に帰って、早速、初印本をゆっくり閲覧した。これが師宣か! と浮世絵の祖・モロノブの本物に出会って、目が開かれた思いがした。『可笑記』絵入本の調査以来、師宣風には悩まされていた。吉田●二氏の「浮世絵研究会」へも入って、指導してもらったが、判然としなかった。この初印本『江戸雀』に出会った時の感動を基として、学生に師宣の浮世絵を説明する時には、この瞬間の印象を念頭において述べてきた。犬小屋入りの江戸大絵図を八畳間一杯にひろげて調査出来た事にも感謝した。学生時代、日本美術史の授業で見せて頂いた『東海道分間絵図』に、再度廻り合えたのにも感激した。拝借した原本は、入念に調査させて頂き、12月21日に御返却申し上げた。
【写真  1、江戸雀、初印・後印各2、計4 ⑬⑭⑮⑯。
2、新板江戸大絵図 ⑰、3、東海道分間絵図 ⑱⑲、4、
改撰江戸大絵図 ⑳】

昭和49年6月21日、葉書を頂く。

「江戸雀の御調査 感謝。貴説、近行遠通が初印本に手を入れし
かといふ事、私、賛成。近行遠通の名を削りしも、彼の発意か。延
宝八年の「江戸方角安見図」にも、作者の名を出さず。当局の意向
をソンタクして、表へ顔を出さぬのかも知れぬ。尚、御調査願ふ。
――内容見本には、 ―最―上―本を出す位でよいか。
六月廿一日夕         横山 重」

昭和49年8月2日、葉書を頂く。

「江戸雀、初印本と再印本の大差のあるところ、再印本の方から、
三、四枚の写真を、解説のところで出して、初印本の頁を記して、
対照できるやうに、御配慮ありたし。○再印本も近行遠通の手を
経てゐるとの御説は、傾聴に値ひす。彼は、延宝八年、江戸方角
安見図では作者名を出してゐません。風向きの悪いのに気づいた
か。○しかし、私案に拘らず、貴説を通して下さい。
八月一日           横山 重」

昭和四十九年八月十七日、『江戸雀』初印本と再印本の異同関係、その他、解説の内容に関連して、詳細な報告を横山先生に申し上げた。

昭和49年8月20日、葉書の返事を頂く。

「御手紙ありがたう。方針はすべて貴案のやうでよろしく。削除の
ところは、撰者近行遠通の意志によるものらしとの貴説よろしき
か。江戸雀、はじめて真相を得るらし。その旨は、池嶋氏にも云
って、頁数の多くなるのを恐れるなと云って下さい。或いは二冊
にする方よきか。原本を私に返すのを急がずともよい。今はただ、
正確で行き亘る事のみを望む。健康が大切。あまり根をつめる事
勿れ。
八月廿日            横山 重」

●昭和50年2月6日 葉書を頂く。

「勉誠の「定本地誌」に「江戸雀」の解説を渡しませんか。……○その
場合、原本を出すべきか。(目下、私方にあり)……○年度末で
御多忙でせう。ハガキでよく、簡単な手紙ください。御用は私に
云って下さい。御指定のやうに致します。……
二月六日         横山 重」

昭和50年2月17日、返事の葉書を頂く。

「御手紙拝見しました。御勤務の方、大そう厳しいらし。御所労察
し入ります。――江戸雀は御予定のやうにてよろしく。原本。御
入用の場合は、ハガキ下さい。……
二月十五日          横山 重」

昭和50年8月13日、『江戸雀』解題原稿脱稿、66枚、勉誠社編集部へ渡し、横山先生に御報告。9月22日、初校出校、横山先生にコピーを送る。

昭和50年9月24日、横山先生より返信。

「江戸雀の解説の校正コッピー拝受。返送せずともよしとあり、私
許に止めておきます。
大兄の記述、すべてよく、過、不足もなく、公正と思ひました。
遠近道印作の地図は、私の書いた後に、改撰 江戸大絵図 元禄
二年二月 松屋板といふものを得ました。これは、延宝四年板と
同じく、一分十間ツモ積りの地図を、その後の変化を入れて、改撰
したものです。私は四十年かゝって、これだけを得たのです。
九月廿四日          横山 重」

●昭和50年12月13日 『江戸雀』発行。

昭和50年12月13日、近世文学資料類従・古板地誌編・9巻・江戸雀 発行。本の奥付は、昭和50年11月23日発行、となっているが、実際は12月13日に、編集の中村氏が、今、出来ました、と4冊届けてくれた。1ヶ月ずれたのかも知れない。
私は、その日に、長澤規矩也先生にお届けして、これまでの経緯を御説明申し上げ、失礼を謝罪した。
実は、長澤先生は、前年の5月に、有峰書店から「江戸地誌叢書・十巻」を企画し、その中に『江戸雀』を影印と活字翻刻で収録すると公表されていた。これを知った横山先生は、有峰書店のものは、やはり後印本のようである。しかし、それよりも、こちらは先に出すように、と解説原稿の脱稿を急ぐようにと指示された。私は、横山先生と長澤先生の板挟みの状態になってしまった。いずれも尊敬している大切な先生であった。私は、この間、長澤先生には一切お会いしないようにして、解説原稿を書き上げた。万一、お会いしたら、横山先生の、近世文学資料類従・古板地誌編の事をお話する可能性もある。それでは、横山先生に対して申し訳ない。私にとって、この1年間は厳しい日々の連続であった。
そんな経緯があって、今日になったのである。私は、事実を説明して、お詫び申し上げた。長澤先生は、勉誠社版『江戸雀』を広げて、御覧になり、「良い本だ。良くやった。こちらはもう出さなくていいね。」と申され、この間の私の失礼をお許し下さり、本の内容と出来映えを褒めて下さった。
長澤規矩也先生責任編集の有峰書店「江戸地誌叢書」は、第1期全10巻別巻2冊の予定でスタートしたが、平成23年現在、次の3冊が発行されている。
巻4(1976年)、巻5(1974年)、巻7(1974年)。

次の日、伊東の横山先生のお宅へ伺い、勉誠社から預かった本をお届けした。先生は、「良くやった。」と労いのお言葉をかけて下さり、大変喜ばれた。
この『江戸雀』は、1冊の複製本ではあるが、内容的には初印本を底本に使用して、本当の著者を解明した画期的な本である。私の解題は、これまで述べたところからも明らかな如く、初印・再印の関係を解明する過程で、常に、横山先生の御判断を頂いて進めたものであり、言ってみれば、先生と私の合作解題でもある。その意味でも、この貴重な資料の担当者に選ばれた私は幸せであった。
ただ、私としては、『井関隆子日記』や『可笑記大成』や『新可笑記』などの調査・研究と平行する仕事であり、しかも、尊敬する、お2人の先生の御意向の板挟みの中で進めた、調査研究であり、忘れることの出来ない1冊である。
【写真 〔21〕 古板地誌編9『江戸雀』の扉】

●昭和50年大晦日 永年の願ひ

「御手紙ありがたう。永年の願ひ(昭和九年からの)、遠近道印―
近行遠通説、大兄によって、かなり明白にして下さった。やがて、
通説となりませう。今まで、幸田成友先生、木村捨三先生に説明
して来たが、ついに御賛成なかりし。
昭和九年に、果園文庫本の江戸雀を見て、思ひついた。私は十五
年に笹川旧蔵本を得て、愈々その感を深くした。神道集と曽我(共
に真名本)の文章の一致をたしかめたのもその頃です。両本をう
つしたからです。その頃、一ばん窮迫してゐた時です。
(50年大晦日の日に記す)
横山 重」

●昭和51年 年賀状

「謹賀新年          昭和五十一年元旦
皆さまの御健勝と御繁栄を祈ります
降って私こと、この一月で、満八十歳になります。犬山時代、陋
屋に閉居してゐましたので、足腰がきかなくなり、色々の病気を
しました。が、一昨年、当地に移り住み、広い樹海の中、きれい
な空気と太陽の光のお蔭で、だんだんと丈夫になりました。
そこで、昨年の三月末、島木赤彦先生の五十年忌に際し、人々に
助けてもらひ、下諏訪の先生のお墓へお詣りして来ました。永年
の念願がかなひました。
恩ある人々、おほむねすでに、逝きませり、あはれ我は、まだ生
きてをり、アル中、足萎へにしてふる里の、信濃の国の、恋ほしけ
れ、常念のやま、鍋かんむりの山
窓ぎわに、スヽキと野菊を、植ゑしかば、朝戸をあけて、見れば
ともしき
伊東市赤沢浮山町○○○―○○
殖産住宅○○号 池嶋別邸内
横 山  重
愛子」
●昭和51年7月

「御手紙と、雑誌「文学研究」七月号 43号を下さいました あり
がたう。田中宏氏の「江戸雀」の紹介は、丁寧で、要点を得てゐま
す。その上、私の名をあげて下さったこと、恐縮の至りです。
……………
法大の近藤先生、御死去と。エライ先生、世に知られずして、御
逝去。されど、ゴク少数の学徒を導き玉ひし。
七月九日           横山 重」

●昭和53年11月 『書物捜索』刊行

昭和53年7月11日、横山先生から、速達の長文のお手紙を頂いた。
「私事、昨年一月からチョウ腸が痛み、大いに難義しましたが、東上 順
天堂病院で開腹手術を受け、十二月退院しました。老齢とて、躰
力回復はおくれてゐますが、大体、順調のやうです。二週間に一
度づゝ、伊東の国立病院へ通ってゐます。私方の家内も、昨年一
月から、頸柱脳底血行不全症とかで、フラフラやまひ病で、伊東の国
立へ入院したりしましたが、今はやゝよく、これ又、一週一度位、
国立へ通ってゐます。

……………………

近く、角川から、私の四十年前の雑文「書物捜索」上下が出ます。
私はこれは、出したくなかったが、角川が強行し、鈴木棠三、貴
志正造、森川昭が編集して、本にする由。秋口になるか。寄贈
名簿(五十人)を書き、その中に、貴兄の住所氏名も記しました。
これは、いくらか私の主観的な方面も出てゐるらし。今ごろ、
はぢ恥の上塗りのやうなものです。それも、なかった事ではない
から、やむを得ない。
七月十日             横山 重」

『書物捜索 上』A5判、426頁、口絵 22頁、昭和53五年
11月10日、角川書店発行、定価3900円。
『書物捜索 下』A5判、558頁、口絵 24頁、昭和54年4
月5日、角川書店発行、定価4600円。

「『書物捜索』の著者は、類稀な蔵書家であり、愛書家だ。ただ、
世間の書痴の徒との違いといえば、その等身大の業績だろう。神
道集・本地物から全室町物語の本文化へ。続いて琉球神道記・琉
球史料。さらに連動的に説経・古浄瑠璃へと全活字化の成果を生
みつつある。活字化を了した本文千余点。驚くべき精力である。
まさに、「正しい本文以前に正しい研究なし」という年来の信念の
見事な実践である。それらの善き底本を得るための書物捜索の旅
路五十年。その間、巡り合った書物と人間への、これは、自由か
つ克明な会見記である。」
(貴志正造氏のオビの文章)

私は、この大著を拝読して、横山重先生に、長年に亙って御指導を賜った、自分の研究生活は、恵まれたものであった事を再確認して、心からの感謝を捧げた。
【写真 〔22〕〔23〕 『書物捜索』上・下の箱】

5、横山重先生御他界の頃

昭和52年から55年にかけて、近世文学資料類従・仮名草子編第2期の『可笑記評判』(上・中・下)や『井関隆子日記』(上・中・下)の校注に忙殺されて、横山先生には、折々の御報告などを申し上げる位であった。ただ、この間、先生は体調を崩されて、御入院などをされ、その御様子は、原秋津氏御夫妻から伺っていた。

●昭和55年10月8日、横山重先生 御逝去

昭和55年10月9日、朝7時、横山先生の家からお電話があり、横山重先生は、昨8日午後3時15分に、御自宅で御逝去なされたとのこと、お知らせ下さった。84歳8ヶ月の御生涯であった。お電話を下さったのは、たぶん原秋津氏だろうと思う。また、昼頃には、渡辺守邦先生からもお電話を頂いた。原秋津氏の記録(『横山重先生 ご終焉のころ』)によれば、

「死亡時刻、午後三時十五分。
遂いに、総てが終ったのだ。急に、無性に淋しくなる。
医師の死亡診断書には、
急性気管肺炎
其の他の状況 肺気腫
となっていた。」

と記されている。原氏によれば、9日、ごく近しい人だけで、お通夜をされた。横山先生の御意向を察して、祭壇を飾ったり、戒名を付けたりはせず、家の周りの野花を採ってきて、御霊前に捧げたが、すすき薄の花が先生にはよく似合ったという。
私は、10日(金、仏滅)の告別式に参列して、横山先生に対して、感謝とお別れを申し上げた。納棺された御霊前に、松本隆信氏・村上学氏・雲英末雄氏が読経を捧げた。お棺の中の、横山先生は清楚な花々で埋められていた。
横山先生が、寝たきりになって100日の余を過ごしたというベッドの前には、大きな日めくりが掛かっていた。先生は毎日、1枚ずつめくって、1日1日、生を全うされたと思う。しかし、8日はめくられず、そのままだった。私は、原氏の許可を得て、8日・9日の分を頂いた。横山先生は、8日まで御在世であったが、この日めくりをめくることは出来なかった。私は、今も、この8日・9日の分を大切にしている。
午後1時、御出棺。伊東市立火葬所で荼毘に付された。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
【写真 〔24〕〔25〕先生使用の日めくり2枚】

「この度は、横山重 死去に際しまして、一方ならぬ御厚志を賜り
ましたこと、有難く御礼申し上げますと共に、生前の御芳情を重
ね重ねお礼申し上げます。
遺骨は故人の意志に従いまして、暫くの間、好きな本と共に、自
宅に安置することにいたします。なお分骨は、生地松本で、近親
者によつて法要埋葬いたしました。
右、御礼旁々、御諒承のほどお願い申し上げます。
昭和五十五年十月   日
伊東市浮山町○○○―○○
横山  愛」

●昭和56年3月31日 納骨供養

「先般、故 横山 重葬儀の際に賜りました御香華料の一部で、
左記のお寺に新しく墓石を建て、遺骨を納めさせて頂くことにい
たしました。改めて御礼申上げます。
墓所の徳正寺は、故人一生の仕事であった、室町時代物語の校
訂刊行の協力者でいらっしゃる、松本隆信様が十六代目の住職を
されておられます。横山にとっても縁の深いお寺でございますの
で、故人も、ここで安らかに永眠できることを、喜んでくれるこ
とと存じます。
つきましては、来る三月三十一日(火)午前十一時三十分より、
納骨供養いたしたく存じますので、御多忙のところ恐れいります
が、御参りいただければ有難く存じます。
昭和五十六年二月  日
横山 あい」

私は、この日、仕事の関係で、都合がつかず参列することが出来なかった。3月22日、息子を連れて、松本隆信先生の徳正寺に伺い、横山先生のお墓にお参りした。
横山先生が犬山から伊東へ転居されたのは、昭和49年4月である。その8月に、私の息子が生まれた。先生は、大変喜んで下さり、後日、伊東へお伺いした折、息子の写真を先生にお見せしたら、おお、可愛い、可愛い、と申され、その写真を懐に入れてしまわれた。私は、チラと見て頂く積りだったので、大変光栄の事に思って、心から感謝申し上げた。そのような経緯もあって、息子にも、お参りさせたかったのである。
【写真 横山先生のお墓の写真〔26〕】

●昭和56年6月 横山あい様 住所変更

昭和56年6月14日、原秋津氏より連絡があり、横山先生の奥様は、伊東市浮山から茅ヶ崎へ移転された。
茅ヶ崎市南湖 七―一二八六九 太陽の郷
以後、ここの住所へ連絡した。

●昭和57年12月

「御真情のこもったお手紙ありがとうございました。
故人に対しての変らぬ御心持と、また私についての御心遣ひ、お
電話番号まで、お書き添へ下さいました事など、拝見して涙が出
ました。
誠実といふこと、偽りの多い今の世では、認められることも少く
て、怒りを覚えられることが多いことゝ存じます(横山の場合も
そうだったと思ひます)が、まことに立派なことゝ存じます。ど
うぞ胸を張って雄々しくお過し下さいますようお願ひ申上げます。
……亮治君のお写真と、お墓参り下さいました折の写真、嬉しく
拝見しました。写真箱の中から、生後三ヶ月とある、赤ちゃんの
亮治君の写真が出て来ました。二枚の写真を置いて見て居ります。
……
十二月三十一日              横山あい」

●平成3年7月 横山あい様 御逝去

平成3年7月28日、奥様の実兄の御長男、星野彰氏より、横山重先生の奥様、横山あい様の、御逝去と納骨式の御連絡を頂いた。
「長年にわたりご厚誼にあずかりました 叔母 横山あいは昨年来、
東海大学大磯病院で入院加療中のところ 七月六日(土)二二時
一五分 急逝いたしましたので謹んでお知らせいたします。
享年八十九才でありました。
…………………
通夜 七月七日(日)一九時  於 茅ヶ崎カトリック教会告別
式 七月八日(月)一〇時 於 茅ヶ崎カトリック教会
モーレ神父 司式
…………………
叔母は、昨年モーレ神父により洗礼を受けていたため、カトリッ
クでの葬儀を執り行いましたが、叔父横山重の眠る東京の墓所に
入ることが本人の希望でもありましたので、次のとおり 仏式で
四十九日並びに納骨法要をいたしたく、御案内を申し上げます。
ゆかりの方々にお集まり願えるのも最後の機会かと存じますので、
ご多忙とは存じますが、お繰り合わせ上ご参会いただき、生前を
偲びたくよろしくお願いいたします。
日時 八月一八日(日) 一一時~
場所 浄土宗 徳正寺
御住職 松本隆信 師
平成三年七月二十八日  喪主 星野彰(横山あいの実兄の長男)」

横山重先生の奥様の、四十九日及び納骨法要は、平成3年8月18日、松本隆信先生の徳正寺で行われ、生前、お世話になった方々が参列された。私も参列して、奥様を偲んだ。ただ、原秋津氏御夫妻のお姿は無かった。

6、横山重先生御他界の後 ―原秋津氏のこと―

横山重先生は、昭和55年10月8日御他界、84歳8ヶ月であった。先生の奥様は、平成3年7月6日御他界、89歳であった。
原秋津氏に初めてお会いしたのは、年月は不確かながら、伊東の横山先生のお宅であった。横山先生から、原氏御夫妻を紹介して頂いた。原氏は、横山先生と同郷の長野出身で、私は山梨であったが、横山先生を尊敬申し上げている点では、私と全く同様であった。原氏は、トーシンユニホームという会社を経営しておられ、研究者ではないが、横山先生との付き合いは非常に長かった。そのような関係から、私は原氏と交流をもつようになった。
殊に、横山先生の晩年には、何かにつけて、原様御夫妻が、伊東に伺い、御世話をしておられたので、私は、横山先生御夫妻の御様子を原様から教えてもらう事も度々だった。そのころ、横山先生の病状も一進一退で、原様御夫妻が連日のように、先生宅に通っておられた。私は、電話で連絡を頂くこともしばしばであった。手紙のやり取りも多かった。原様の手紙は、ほとんど巻紙に毛筆で見事なものであった。

●昭和56年7月 「横山重先生 ご終焉のころ」
昭和56年7月11日、原秋津氏から、「横山重先生 ご終焉のころ」という、400字詰原稿用紙、50枚の原稿を頂いた。これは、昭和55年4月6日から56年3月31日までの、横山先生と奥様に関する詳細な記録であった。私は原稿を熟読して、原氏に御礼を申し上げ、この原稿の処置に関して相談した。事実を記録した内容は貴重であるが、これを公表するか否かについては、実在の関係者もいるので慎重に進めることで了解を頂いた。この原稿は、現在も私が保管しているが、執筆者の原秋津氏も原氏の奥様も、既に御他界なされ、御子息にも連絡してみたが、公表は、やはり故人の考えもあるので中止することになった。
【写真 「横山重先生 ご終焉のころ」の写真 〔27〕】

●平成6年8月 『横山重自傳(集録)』

平成6年5月27日、原氏より『横山重自傳(集録)』の校正が出たので宜しくと連絡があった。その前から、横山重先生の編著書に散見する「後記」等の文章を1冊にまとめて刊行したいと、計画されていた。私も賛成して、校正もお手伝いした。
9月8日、原氏から『横山重自傳(集録)』を拝受した。早速、原氏と相談して、この本の寄贈先を検討した。原氏からは、すでに16名の方々に贈呈した由で、そのリストも頂いたので、私から、国会図書館・国文学研究資料館・主要大学図書館、横山重先生関係者などの追加贈呈リストを作成して、原氏と検討して、合計60部を、私から発送した。
「拝啓 一月も半ばを過ぎましたが、館長先生をはじめ、皆様方には御多忙の毎日をお過ごしのことと、お察し申し上げます。
さて、昨年、原秋津氏によって、『横山重自傳(集録)』が刊行されました。
原氏は、横山先生とは長年に亙って親しく交際を重ねてこられた方です。殊に、先生晩年の伊東時代、先生御他界後の奥様のことなど、親身も及ばぬお世話をしておられました。
横山先生は、昭和五十五年十月八日、八十五歳で他界されました。十三回忌の昨年、原氏は本書を編纂刊行されました。この貴重な本書を、主要図書館に献呈したい、という私の希望を受入れて下さいましたので、お送り申し上げます。なお、手違いにより、大変遅延しましたがこの点、御了承下さいますよう、お願い申し上げます。原氏の御住所は左記の通りです。受領された旨のおはがきを、お願いできますなら、有り難いと思います。
113 東京都江戸川区南小岩〇―○―○
原  秋 津 様
右、御報告とお願いを申し上げます。当然のことですが、私への返信は御無用に、お願い申し上げます。          敬 具
平成七年一月十八日              深沢秋男

○○○○図書館御中」

『横山重自傳(集録)』
目 次
神道物語「後記」 昭和三六・五・一二(一九六一、六五歳)… 一
竹林抄古注「後記」 昭和四三・五・一一・二四(一九六八、七二歳)
… 一二
校訂にうちこんだ在野の第一人者……(俵 元昭)………… 五六
――書誌学者 横山しげる重君――
〈対談記録〉琉球史料をめぐって……(外間守善)………… 六七
年賀状 昭和五二・元旦(一九七七、八一歳)……………… 八七
患者横山重の病状、病歴(八一歳)…………………………… 八八
書物捜索「付記」昭和五三・五・末日日記(一九七八、八二歳)九〇
奥 付
横山重自傳(集録)
平成六年八月三十日 発行
編 者  原 秋津
133 東京都江戸川区南小岩〇―○―○
製 作  岩波ブックサービスセンター
原秋津氏と私との交流は、その後も続き、私は、横山先生のことを、事実だけでも記録して欲しいと、お願いしたが、それは、学問に関係のない私の任ではないと、引き受けては下さらなかった。平成6年、横山重先生の十三回忌に、『横山重自傳(集録)』は刊行されたが、横山先生御他界の後、原氏と交流のあったのは、松本隆信先生と私のみとなり、松本先生御他界の後は、私1人のみとなったと語られていた。
私は、横山重先生に廻り合えた人生に心から感謝し、横山先生を介して、原秋津氏と交流できたことに、深く感謝している。
【写真 〔28〕『横山重自傳(集録)』表紙、 〔29〕原氏の手紙】
(平成23年12月12日)

【注】本稿は、『芸文稿』第5号(平成24年4月1日発行)に掲載したものである。縦組を横組とし、表記などを一部改めた。なお、掲載の写真は全て省略した。
●2019年7月9日 改訂
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●先日、横山重先生を尊敬する方から、ブログにコメントを頂いた。その方は、私が、老人で東京に出られないと伝えたら、田園調布から、所沢、先生の墓所まで車で運んで下さると申された。とても感動した。感謝!!!
2020年11月16日

新刊案内(仮名草子)

新刊案内(仮名草子)

  • 2020.10.23 Friday
●今日、位田絵美氏の新刊『挿絵解釈の研究『大坂物語』を中心に』を〔近世初期文芸〕の新刊案内にだした。仮名草子研究低迷の中、明るいニュースだ。

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位田絵美著 『挿絵解釈の研究 『大坂物語』を中心に』

2020年10月31日 和泉書院発行
A5判、304頁、定価9000円+税

目次

凡例 
図版一覧 

序 章―挿絵解釈の研究意義   
 仮名草子における挿絵研究の停滞と挿絵解釈研究の意義  
 従来の小説挿絵の研究と本研究との相違  
 従来の『大坂物語』研究と本研究との相違   
 「広義の江戸版」の定義   
 本書の研究手法 
 各章の具体的内容
   
第一章 『大坂物語』の挿絵分類  
 一、挿絵分析の目的と手法
 二、挿絵による『大坂物語』の分類
 三、C明暦松会版『大坂物語』とE毛馬屋版『大坂物語』の特殊性
 
第二章 上方版『大坂物語』の挿絵
    ―寛永無刊記版と正保三年版を中心に― 
 一、上方(京)版『大坂物語』の挿絵 
 二、A寛永版『大坂物語』とB正保版『大坂物語』の概要 
 三、A寛永版『大坂物語』とB正保版『大坂物語』の書誌
 四、A寛永版挿絵とB正保版挿絵に共通する場面
 五、A寛永版のみにある挿絵 
 六、B正保版が優先した挿絵
 七、B正保版『大坂物語』が選ばれた理由
 八、小結―衰え行く中世風挿絵から具体的で克明な近世挿絵へ
 
第三章 江戸版『大坂物語』の形成とその周辺
    ―挿絵・「頸帳」からみる成立順序に関する考察― 
 一、「広義の江戸版」について
 二、D本屋版・E毛馬屋版・F問屋版・G松会版の書誌
 三、B正保版の挿絵とC明暦松会版の挿絵
 四、「秀頼の天王寺出馬」の挿絵をめぐる諸版の関係―B正保版挿絵が及ぼす影響 
 五、 「越高城攻め」の挿絵をめぐる諸版の関係
   ―E毛馬屋版の元にあたるE’毛馬屋元版の位置付け
 六、「松平出羽守の若武者姿」の挿絵をめぐる諸版の関係
   ―「型(モチーフや構図)の継承」と変遷
 七、「遺児斬首」の挿絵をめぐる諸版の関係
   ―E’毛馬屋元版が万治・寛文頃に存在した可能性 
 八、「頸帳」をめぐる諸版の関係―F問屋版とG松会版の成立順序 
 九、小結―挿絵・「頸帳」からみる『大坂物語』の成立順序
 
第四章 寛文年間刊行の『大坂物語』の挿絵・「頸帳」比較
    ―全盛期の江戸版『大坂物語』と上方(京)版の『大坂物語』―
 一、挿絵による『大坂物語』解釈の意義 
 二、寛文年間刊行の四つの『大坂物語』 
 三、「関ヶ原合戦」の挿絵をめぐる四種の特徴 
 四、F問屋版挿絵にみられる本文との整合性
 五、「家康出陣」の挿絵にみえるD安田版挿絵の特殊性 
 六、「大坂城落城」の挿絵にみえるD安田版挿絵の特殊性とその意図 
 七、連続挿絵にみえるD安田版挿絵の特殊性とその意図
 八、G松会版挿絵にみられる普遍性
 九、小結―時代を先取る江戸版挿絵と豊臣贔屓の情緒が残る上方(京)版挿絵

第五章 延宝頃版『大坂物語』と寛文十三年山本版『嶋原記』の挿絵
    ―挿絵と「頸帳」の事実確認―
 一、H延宝版『大坂物語』の特殊性 
 二、山本版『嶋原記』とH’中之島本『大坂物語』のそれぞれの概要と両者の関係
 三、山本版『嶋原記』とH’中之島本『大坂物語』の書誌
 四、挿絵の流用箇所と補修の有無
 五、作為的な挿絵補修が一部確認される事例
 六、明白な挿絵補修が確認できる事例
 七、H’中之島本『大坂物語』の「頸帳」分析
 八、小結―「『大坂物語』の挿絵らしく見せる工夫」からわかる混迷期の江戸版の実態

第六章 西村屋版『大坂物語』の「頸帳」と本文と挿絵
 一、Ⅰ西村屋版『大坂物語』の概略と本章の分析方法
 二、I西村屋版『大坂物語』の書誌
 三、I西村屋版の「頸帳」分析
 四、I西村屋版の本文簡約化の概略と傾向
 五、I西村屋版の本文における要約文(部分)の入れ方
 六、I西村屋版で削除された挿話
 七、I西村屋版の本文に増補された記述
 八、I西村屋版の挿絵の概要とその特徴
 九、「関ヶ原合戦」と「秀頼と大坂方武将図」の挿絵をめぐるI西村屋版挿絵の特徴
 十、「真田左衛門佐討死」の挿絵をめぐるI西村屋版の特徴
 十一、小結―I西村屋版の簡約化からみえること

第七章 『嶋原記』挿絵考 
 ―上方版『嶋原記』と江戸版『嶋原記』の相違にみる『大坂物語』との関連性―
 一、仮名草子『嶋原記』の成立と『大坂物語』との関係
 二、『嶋原記』諸本の系統分類
 三、無刊記版『嶋原記』の書誌と挿絵の特徴
 四、山本版『嶋原記』の挿絵の特徴
 五、服部版『嶋原記』の書誌と挿絵の特徴
 六、「山田右衛門作」の挿絵をめぐる諸版の特徴
 七、無刊記版『嶋原記』の挿絵にみえる敗者(弱者)贔屓
 八、小結―『嶋原記』の挿絵と『大坂物語』の挿絵に共通するもの

第八章 服部九兵衛版『天草物語』系統の挿絵の変遷
    ―萬屋彦太郎版『嶋原記』と岩瀬文庫本『嶋原記』をめぐって― 
 一、『嶋原記』の挿絵系統の確認と本章の目的
 二、服部版『嶋原記』・萬屋版『嶋原記』・岩瀬文庫本『嶋原記』の書誌
 三、萬屋版『嶋原記』で削除された挿絵
 四、岩瀬本『嶋原記』で削除された挿絵
 五、小結―服部版『嶋原記』系統の挿絵削除からみえるもの

終章 
あとがき
索引 

________________________________________
著者略歴

位田 絵美(いんでん えみ)
三重県生まれ。
名古屋大学大学院文学研究科博士課程前期修了。
名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程修了。
北九州工業高等専門学校 准教授を経て、
現職 近畿大学産業理工学部 教養・基礎教育部門
准教授。

著書(共著)『〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典』(二〇一九年)等。
論文「西鶴の描いた「異国」」(『国文学解釈と鑑賞』別冊 二〇〇五年三月)等。

歴史における史料

歴史における史料

  • 2020.10.22 Thursday
歴史における史料

●今日の〔天声人語〕では、東大名誉教授、坂野潤治氏を取り上げている。

史料を集めるだけの人。史料を見ないで言うだけの人。そして崩し字の史料が読めない人。この3類型に陥ってはならぬ。

と言うのが、坂野氏の持論だったと言う。誠に至言。これは、歴史に限らず、文学研究にも通じる。

●私は、『仮名草子集成』の作業に長年従事して、嫌と言うほど、その、作品論、作者論を執筆したいという衝動にかられた。しかし、その時間は無い。ただ、仮名草子研究史の上から見た時、これは、我慢しなければならない。そのような場合もある。  2020年10月22日

位田絵美著 『挿絵解釈の研究 『大坂物語』を中心に』

位田絵美著 『挿絵解釈の研究 『大坂物語』を中心に』

  • 2020.10.20 Tuesday
位田絵美著 『挿絵解釈の研究 『大坂物語』を中心に』

●2020年10月20日午前10時、ピンポンの音で出てみると、宅急便だった。開けてみたら、和泉書院発行の、位田絵美氏著『挿絵解釈の研究 『大坂物語』を中心に』であった。

●遂に本になったか、感慨深く、目次から、索引まで、一通り、目を通した。研究者にとって、自分の研究成果が、このような形で、世間に送り出される、これは、感謝と充足の瞬間でもある。第三者の私まで、嬉しくなった。

●位田氏は、これをベースに、今後、更に、その先に進むことになる。研究者は、常に、未知の世界への挑戦である。

●御出版、おめでとうございます。


コロナ禍のお盆帰省

コロナ禍のお盆帰省

  • 2020.08.11 Tuesday
コロナ禍のお盆帰省

●毎年、毎年、お盆の時期になると、日本全国、都心から地方への大移動が始まる。今年は、コロナで、事情は一変。地方出身者は、大変な選択を強いられている。

●かつて、私も同じように、郷里、身延町伊沼へ帰省していた。子供が小さい頃は、富士川で一緒に泳いだこともあった。

●ただ、『可笑記』の諸本調査をしている頃は、全国の図書館へ行く、時間とお金の工面が大変だった。

●昭和43年(1968)8月11日、秋田県立図書館の絵入本を調査した。10日21時30分発、第2津軽、上野発かと思ったら、駅員に品川発だと教えられた。急遽、品川駅へ行くと、列車はホームの無い所に止まっていた。当然指定席など買えないので、自由席。どの乗降口も人、人ですし詰め状態。乗り込む余地はない。うろうろしていたら、「ほら、乗りな」と親切な人が引っ張り上げて、乗せてくれた。

●列車が発車すると、まず、全員の荷物を一か所に積み上げた。女子供は、その荷物の上などに座ってもらい、男は立ったまま。その内に、身の上話が始まる。金の卵で東京に出て、働いている。上手くいって、会社を立ち上げ、社長になった成功者もいれば、厳しい条件で苦労している人もいた。私の出身は、甲斐の身延だけれど、山形や新潟や福島ばかり、めぐり歩いている。そんな私を、皆さん、あたたかく仲間にいれてくれた。

●とにかく、1人1人の人生話が、魅力的だった。長時間、立ちっ放しで、話していた。誰かが、自分の荷物から、ミカンや飲み物を取り出し、頭の上を回してくれる。それを食べながら、また話す。やがて、途中で下車する人も出てくる。その人は、果物や飲み物を窓から、投げ入れてくれた。

●私は、雪深い酒田で育った、斎藤親盛の事を思い、東北の雪深い地方の人々の、あたたかい心にふれて、こんなに、素晴らしい旅は無いと感謝した。

●11日(月)、秋田県立図書館の絵入本を調査して、秋田発、22時発、千秋3号で東京へ帰った。

よくも、まあ、飽きもせず

よくも、まあ、飽きもせず

  • 2020.08.08 Saturday
 一、研究・本文校訂・本文複製等の単行本

【1】可笑記評判  昭和四十五年十二月二十五日、近世初期文芸研究会発行、非売品。東京大学図書館蔵本を底本として翻刻したもの。ただし『可笑記』本文・振り仮名は省略。解説・索引を付す。自費出版。
【2】可笑記大成―影印・校異・研究―  昭和四十九年四月三十日、笠間書院発行。(田中伸・深沢秋男・小川武彦 編著)。第一編 本文・校異、第二編 万治二年版挿絵について、第三編 『可笑記』の研究。文部省助
成出版。
【3】可笑記評判(上)  昭和五十二年一月二十五日、勉誠社発行(近世文学書誌研究会編、近世文学資料類従・仮名草子編・21)
【4】可笑記評判(中)  昭和五十二年二月二十五日、勉誠社発行(近世文学書誌研究会編、近世文学資料類従・仮名草子編・22)
【5】可笑記評判(下)  昭和五十二年三月二十五日、勉誠社発行(近世文学書誌研究会編、近世文学資料類従・仮名草子編・23)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録し、解説を付したもの。
【6】仮名草子集成・十巻  平成元年九月三十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『をむなかゝみ』『女五経』『をんか仁義物語』『女みだれかミけうくん物語』『有馬山名所記』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【7】仮名草子集成・十一巻  平成二年八月二十五日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『芦分舟』『大坂物語(古活字版第二種)』『大坂物語』(写本)『女式目并儒仏物語』『女式目』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【8】仮名草子集成・十二巻  平成三年九月二十五日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『怪談全書』『恠談』(写本)『恠談』(写本)『怪談録』(写本)『幽霊之事』(写本)の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【9】仮名草子集成・十三巻 平成四年八月二十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『海上物語』『戒殺放生物語』『怪談録前集』『奇異怪談抄(写本)』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【10】仮名草子集成・十四巻  平成五年十一月二十日,東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『鑑草』『可笑記』『戒殺放生文』(影印)の本文を翻刻収録し,解説と参考写真を付す。小川武彦氏「浅井了意『戒殺物語・放生物語』と袾宏『戒殺放生文』」を収める。
【11】仮名草子集成・十五巻  平成六年十二月十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『可笑記評判』(巻一~巻七)の本文を翻刻収録。
【12】仮名草子集成・十六巻  平成七年九月五日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『可笑記評判』(巻八~巻十)の本文を翻刻収録し,解説と参考写真を付す。
【13】仮名草子集成・十七巻  平成八年三月十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『花山物語』『堅田物語』『仮名列女伝』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【14】仮名草子集成・十八巻  平成八年九月二十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『かさぬ草紙』『枯杭集』『かなめいし』『鎌倉物語』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【15】仮名草子集成・十九巻  平成九年三月十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『葛城物語』『河内鑑名所記』『堪忍弁義抄』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【16】仮名草子集成・二十巻  平成九年八月三十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『勧孝記』『堪忍記』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【17】仮名草子集成・二十一巻  平成十年三月二十日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『仮枕』『奇異雑談集』写本三本(校本) 刊本(貞享四年初版)の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【18】仮名草子集成・二十二巻 平成十年六月二十五日、東京堂出版発行(朝倉治彦・深沢秋男 編)『祇園物語』『京童』『京童あとおひ』『清水物語』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【19】仮名草子研究文献目録 平成十六年十二月十五日、和泉書院発行(深沢秋男・菊池眞一 編)
【20】仮名草子研究叢書 平成十八年二月二十五日、クレス出版発行(深沢秋男・菊池眞一 編) 全八巻
  一巻~二巻……雑誌論文集成 菊池眞一担当
  三巻~八巻……単行本記述集成 深沢秋男担当
【21】仮名草子集成・三十九巻 平成十八年三月十五日、東京堂出版発行(菊池眞一・深沢秋男・和田恭幸 編)『若輩抄』『聚楽物語』『死霊解脱物語聞書』『女訓抄』(影印)の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【22】仮名草子集成・四十一巻 平成十九年二月二十八日、東京堂出版発行(花田富二夫・入口敦志・菊池眞一・中島次郎・深沢秋男 編)『新語園』『十二関』『衆道物語』『親鸞上人記』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【23】仮名草子集成・四十二巻、平成十九年七月二十五日、東京堂出版発行(深沢秋男・伊藤慎吾・入口敦志・花田富二夫 編)『四しやうのうた合』『四十二のみめあらそひ』『水鳥記』(寛文七年上方版)『水鳥記』(松会版)『杉楊枝』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【24】浅井了意全集・仮名草子編・一巻 平成十九年八月、岩田書院発行(岡雅彦・小川武彦・湯浅佳子・深沢秋男 編)『堪忍記』『孝行物語』『浮世物語』『浮世ばなし』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【25】斎藤親盛(如儡子)伝記資料 平成二十二年十月二十五日、近世初期文芸研究会発行、非売品。
【26】浅井了意全集・仮名草子編・三巻 平成二十三年五月、岩田書院発行(花田富二夫・土屋順子・深沢秋男 編)『可笑記評判』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【27】仮名草子集成・四十七巻、平成二十三年六月三十日、東京堂出版発行(深沢秋男・伊藤慎吾・入口敦志・
花田富二夫・安原眞琴・和田恭幸 編)『醍醐随筆』『大仏物語』『沢庵和尚鎌倉記』『糺物語』『たにのむもれ木』(写本)『竹斎東下』(写本)の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【28】如儡子百人一首注釈の研究 平成二十四年三月二十日、和泉書院発行。
【29】仮名草子集成・四十九巻、平成二十五年三月三十日、東京堂出版発行、(深沢秋男・伊藤慎吾・入口敦志・中島次郎・柳沢昌紀 編)『智恵鑑』『竹斎』(寛永整版本)『竹斎』(寛文版全挿絵)『竹斎』(奈良絵本)『長者教』『長生のみかど物語』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。
【30】浅井了意全集・仮名草子編・五巻 平成二十七年九月、岩田書院発行(深沢秋男・入口敦志・湯浅佳子・江本裕・花田富二夫・安原眞琴・渡辺守邦 編)『やうきひ物語』『御伽婢子』『狗張子』の本文を翻刻収録し、解説と参考写真を付す。

  二、雑誌・紀要・単行本等に発表した論文等

【1】『可笑記』と儒教思想 昭和三十九年五月、『文学研究』十九号。
【2】『可笑記』と『可笑記評判』 昭和四十一年五月、『文学研究』二十三号。
【3】『可笑記』の読者 昭和四十二年十二月、『文学研究』二十六号。
【4】『可笑記』の諸本について 昭和四十三年十二月、『文学研究』二十八号。
【5】『可笑記』の本文批評 昭和四十四年十二月、『近世初期文芸』一号。
【6】『可笑記』の諸本について――補訂(1)―― 昭和四十四年十二月、『文学研究』三十号。
【7】『可笑記』とその時代――批評書の出版をめぐって―― 昭和四十六年七月、『文学研究』三十三号。
【8】仮名草子研究文献目録 昭和四十八年十二月、『近世初期文芸』三号。
【9】『可笑記評判』について 『日本文学の研究』(重友毅博士頌寿記念論文集)昭和四十九年七月、文理書院。
【10】『可笑記』の諸本について――補訂(2)―― 昭和四十八年十二月、『文学研究』三十八号。
【11】『可笑記』に及ぼす『徒然草』の影響 昭和五十九年一月、『学苑』五二九号。
【12】仮名草子研究の現状――エッケハルト・マイ博士著『東海道名所記』の紹介―― 昭和五十九年六月、『文学研究』五十九号。
【13】『可笑記』と『徒然草』――1の2・1の4―― 昭和六十年一月、『学苑』五四一号。
【14】『可笑記』の読み方――「かしょうき」か「おかしき」か―― 昭和六十年十二月、『文学研究』六十二号。
【15】『可笑記評判』の成立時期 昭和六十一年六月、『文学研究』六十三号。
【16】『可笑記評判』の成立時期(承前) 昭和六十二年六月、『文学研究』六十五号。
【17】仮名草子研究文献目録 昭和六十三年三月、『近世初期文芸』四号。
【18】如儡子(斎藤親盛)調査報告(1) 昭和六十三年六月、『文学研究』六十七号。
【19】如儡子(斎藤親盛)調査報告(2)――父・斎藤筑後と如儡子出生の地―― 昭和六十三年十二月、『近世初期文芸』五号。
【20】如儡子(斎藤親盛)調査報告(3)――『世臣伝』『相生集』―― 昭和六十三年十二月、『文学研究』六十八号。
【21】如儡子の『堪忍記』(1)――松平文庫本の翻刻と解題―― 平成元年十月、『近世初期文芸』六号。
【22】如儡子(斎藤親盛)調査報告(4)――二本松藩諸資料、『二本松寺院物語』―― 平成元年十二月、『文学研究』七十号。
【23】如儡子の『堪忍記』(2)――内閣文庫本の翻刻と解題―― 平成二年十二月、『近世初期文芸』七号。
【24】『可笑記』の諸本について――補訂(3)―― 平成三年十二月、『文学研究』七十四号。
【25】『女仁義物語』の諸本 平成三年十二月、『近世初期文芸』八号。
【26】如儡子の『堪忍記』(3)――松平文庫本と内閣文庫本―― 平成三年十二月、『近世初期文芸』八号。
【27】『女式目』の諸本 平成四年十二月、『近世初期文芸』九号。
【28】如儡子(斎藤親盛)調査報告(5)――如儡子の墓所―― 平成五年十二月、『文学研究』七十八号。
【29】『怪談全書』の諸本――付『恠談』・『怪談録』・『奇異怪談抄』・『怪談録前集』― 平成五年十二月、『近世初期文芸』十号。
【30】『鑑草』の諸本 平成六年十二月、『近世初期文芸』十一号。
【31】『可笑記』の諸本 平成七年十二月、『近世初期文芸』十二号。
【32】敦賀屋版『可笑記』について 平成八年六月、『文学研究』八十三号。
【33】如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』の翻刻と解題(上)―― 平成八年十二月、『近世初期文芸』十三号。
【34】『百人一首鈔』(如儡子著)研究序説 平成九年五月八日、汲古書院発行、長谷川強編『近世文学俯瞰』。
【35】如儡子の「百人一首」注釈――『酔玉集』の翻刻と解題(下)―― 平成九年十二月、『近世初期文芸』十四号。
【36】如儡子の「百人一首」注釈――『百人一首鈔』と『酔玉集』―― 平成十年十二月、『近世初期文芸』十五号。
【37】如儡子の「百人一首」注釈――京大本『百人一首註解』との関連―― 平成十一年四月、『文学研究』八十七号。
【38】斎藤親盛(如儡子)の俳諧(上) 平成十一年十二月、『近世初期文芸』十六号。
【39】斎藤親盛(如儡子)の俳諧(中) 平成十二年十二月、『近世初期文芸』十七号。
【40】『可笑記』と『甲陽軍鑑』(二)――書名「可笑記」の出処―― 平成十三年四月、『文学研究』八十九号。
【41】斎藤親盛(如儡子)の俳諧(下)――晩年、二本松時代の如儡子―― 平成十三年十二月、『近世初期文芸』十八号。
【42】『可笑記』と『甲陽軍鑑』(三) 平成十四年四月、『文学研究』九十号。
【43】『堪忍弁義抄』の版本と写本――付、写本『堪忍弁義抄』の翻刻―― 平成十四年十二月、『近世初期文芸』十九号。
【44】近世初期文芸と近世軍書――『可笑記』と『甲陽軍鑑』――『17世紀日本における中国・韓国の漢籍受容の分析並びに総合的研究』(科学研究費基礎研究(A)(1)平成11年~14年 研究成果報告書、課題番号
11301015、平成15年3月)
【45】『可笑記』と『甲陽軍鑑』(結び) 平成十五年四月、『文学研究』九十一号。
【46】如儡子の「百人一首」注釈――武蔵野美術大学美術資料図書館蔵『砕玉抄』(序説)―― 平成十五年十二月、『近世初期文芸』二十号。
【47】甲南女子大学図書館所蔵 写本『可笑記』について 平成十六年十二月、『近世初期文芸』二十一号。
【48】如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』の翻刻(一)―― 平成十七年四月、『文学研究』九十三号。
【49】如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』の翻刻(二)第十一藤原敏行~第三十大江千里―― 平成十七年十二月、『近世初期文芸』二十二号。
【50】如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』の翻刻(三)第三十一藤原興風~第五十藤原実方朝
   臣―― 平成十八年四月、『文学研究』九十四号。
【51】如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』の翻刻(四)第五十一藤原道信~第六十清少納言―
   ― 平成十八年十二月、『近世初期文芸』二十三号。
【52】如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈――『砕玉抄』と『百人一首鈔』―― 平成十九年四月、『文学研究』九十五号。
【53】仮名草子作品の古書価 平成十九年十二月、『近世初期文芸』二十四号。
【54】近世初期における 書名「可笑記」の流行 平成二十年十二月、『近世初期文芸』二十五号。
【55】如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(1)――父、筑後守は「盛広」か「広盛」か―― 平成二十二年
   十二月、『近世初期文芸』二十七号。
【56】如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(2)――「如儡子」は「にょらいし」か「じょらいし」か―― 平
   成二十三年十二月、『近世初期文芸』二十八号。
【57】如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(3)――十五里ケ原合戦と斎藤広盛―― 平成二十四年十二月、『近世初期文芸』二十九号。

  三、論文以外のもの

【1】『可笑記』 昭和六十一年六月00日、角川書店発行、『古典の事典(7)』。  ▲
【2】「仮名草子の範囲と分類」 平成六年九月十五日、早稲田大学出版部発行、『早稲田大学 資料影印叢書 国書篇 第三十九巻 仮名草子集』月報43。
【3】仮名草子研究――思い出す恩師のことなど―― 平成九年七月、法政大学『日本文学誌要』五十六号。
【4】「如儡子」 平成十年六月十日、明治書院発行、『日本古典文学大事典』。
【5】「仮名草子」 平成十一年三月十日、岩波書店発行、『日本古典籍書誌学辞典』。
【6】○平成二十二年度香川県公立高校入試に『可笑記』出題。 ○平成二十三年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題。 
【7】「齋藤筑後守記念碑」建立。 平成二十三年十二月、『近世初期文芸』二十八号。

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●コロナ騒ぎで、外出もママならぬ今日、ひまに任せて、仮名草子関係の過去を整理してみた。感想としては、よくも、飽きもせず、続けたナア、というところ。

仮名草子研究文献目録

仮名草子研究文献目録

  • 2020.08.05 Wednesday
仮名草子研究文献目録

「仮名草子研究文献目録」について

仮名草子作品一覧(五十音順)
仮名草子研究書(単行本。発行年代順)
仮名草子研究論文(雑誌掲載分。発表年代順)

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仮名草子作品(五十音順)「仮名草子研究文献目録」について

〔1〕明治26年(1893)~平成14年(2002)
『仮名草子研究文献目録』(深沢秋男・菊池真一 編、2004年12月15日、和泉書院発行)

〔2〕平成15年(2003)~平成17年(2005)
「近世初期文芸研究会」HPの「仮名草子研究文献目録」

〔3〕平成18年(2006)~
国文学研究資料館「国文学論文目録データベース」
「近世初期文芸研究会」HPの「仮名草子研究文献目録」

●「近世初期文芸研究会」のHP掲載の「仮名草子研究文献目録」は、データを入手できたものから随時追加更新して、最終的には、国文学研究資料館編集の『国文学年鑑』で補ってきました。
 『国文学年鑑 平成17年(2005)』は、平成19年(2007)に発行されましたが、以後は、編集・発行が休止されました。従って、平成18年以後の「近世初期文芸研究会」のHPの目録は極めて不十分なものとならざるを得ません。
以上の事情から、今後は、国文学研究資料館の「国文学論文目録データベース」を中心に検索利用して頂きたいと思います。
●「雑誌記事索引集成データベース」の活用について
『仮名草子研究文献目録』(深沢秋男・菊池真一)は、明治以後のものも極力収録しているが、株式会社皓星社が作成した「雑誌記事索引集成データベース」を併用すれば、仮名草子研究文献で見逃したものも補える。
……………………………………
■明治初期から現在まで
国立国会図書館(NDL)の「雑誌記事索引」は、昭和23年以降現在までを収録する邦文雑誌記事のデータベースです。ところが、この「雑誌記事索引」は、それ以前の記事は検索できません。
皓星社では、それを補うため過去における雑誌記事索引類を集大成して『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』(120巻)を刊行。雑誌記事索引集成DBは、この『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』を基に作成されました。
丸善株式会社epro-j@maruzen.co.jp
株式会社皓星社http://www.libro-koseisha.co.jp/
……………………………………………

               平成23年(2011)11月10日
                      近世初期文芸研究会

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仮名草子作品(50音順)

 あ い う え お

か き く け こ

さ し す せ そ

た ち つ て と

な  に  ぬ  ね 

は ひ ふ へ ほ

ま み む め も

 や  ゆ  よ 

ら り れ ろ わ

。。。。。。。。。。。。。。。。。

研究文献 単行本

 明治期     大正期     昭和2年~昭和19年

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●私は、学生時代から、仮名草子研究の推進には、研究文献目録が必要と痛感して、目録作成に取り組んできた。『近世初期文芸』に何回か発表し、菊池眞一先生の協力を得て、『仮名草子研究文献目録』を出版した。その後、情報収集が不可能になった頃。国文学研究資料館の、電子情報が発信されて、これに頼るようになった。

●〔近世初期文芸研究会〕の中の、『仮名草子研究文献目録』は、今後、どうなるのか、わからない。

2020年8月5日