『浮世ばなし 付 明心宝鑑』 グーグル ブックス

『浮世ばなし 付 明心宝鑑』  グーグル ブックス
浅井了意、近世文学書誌研究会
勉誠社、1972、320ページ

多く使われている語句

昭和 大正 発行 きき ノハ 印刷 可笑記 近世文学 研究 十日 浅井了意 草子編 浮世ばなし卷 宝鑑 一 明治

書誌情報

書籍名  浮世ばなし、付 明心宝鑑
     近世文学資料類従、仮名草子編、第12巻
著者   浅井了意、近世文学書誌研究会
出版社  勉誠社 1972
書籍の提供元   ウィスコンシン大学-マディソン
デジタル化された日   2011年6月8日
ページ数   320ページ

『仮名草子研究文献目録』 グーグル ブックス

仮名草子研究文献目録  グーグル ブックス
深沢秋男、菊池真一
和泉書院、2004-304ページ

明治期から平成十四年までの仮名草子研究情報を集大成。「仮名草子作品」「仮名草子関係研究書」「仮名草子関係論文等」の三部から成る。第一部は、仮名草子作品約三百六十点の複製影印・活字翻刻などの情報。第二部は、仮名草子関係の研究書約七百点に関する情報。第三部は、学術雑誌などに掲載された論文約千八百点の情報。第二部では、それぞれの研究書の目次を掲出し、内容を把握できるようにしているのが特色。巻末には、人名索引・書名索引を付す。

書誌情報

書名   仮名草子研究文献目録
著者   深沢秋男、菊池真一
編集者  深沢秋男、菊池真一
出版社  和泉書院、2004
書籍の提供元  バージニア大学
デジタル化された日  2007年10月19日
ページ数  304ページ

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『仮名草子研究文献目録』

A5判、300頁、2004年12月15日、和泉書院発行、定価3800円。菊池真一氏と共編。

目 次
第1部 仮名草子作品
第2部 仮名草子関係研究書(目次併載)
第3部 仮名草子関係論文等(雑誌・紀要・その他)
人名索引
書名索引

●私は学部の卒論の時、仮名草子関係の先行研究の文献調査に、かなりの時間を消費し、これは非生産的だと痛感し、仮名草子研究文献目録の作成を思い立った。最初のものは『近世初期文芸』第3号(昭和48年)に出した。この時は、小川武彦氏に協力してもらった。以後、同誌の第4号、第6号で増補し、その後、菊池真一氏編の『恨の介・薄雪物語』(1994年4月30日、和泉書院発行)に掲載して頂いた。それと前後して、菊池氏の協力を得て、ホームページ「近世初期文芸研究会」の中に「仮名草子研究文献目録」の項を設けて、逐次追加している。これは現在も実行中である。このような経過の中で、菊池氏と協力して、明治初年から平成14年(2002年)の文献を収録したものである。

『仮名草子研究叢書』単行本 解説

『仮名草子研究叢書』単行本 解説

       
深沢秋男

1、 はじめに

 仮名草子の研究は近代から始まった、という暗黙の了解があるように思われる。確かに『万葉集』や『古事記』や『源氏物語』等の如く、近世の人々は、同時代の著作の故か、仮名草子を確たるジャンルとも意識せず、これを分析したり、解明する対象とはしてこなかったようである。
 しかし、同時代においても、浅井了意の『可笑記評判』などは『可笑記』の出典を少なからず指摘しているし、近世後期の考証随筆類には、少なからず、考証の拠所に仮名草子作品を利用している。『瓦礫雑考』・『還魂紙料』・『嬉遊笑覧』・『近世女風俗考』・『骨董集』・『書檜贅筆』・『用捨箱』・『擁書漫筆』・『柳亭記』・『柳亭筆記』・『歴世女装考』などは、その一例に過ぎないが、これらから研究上のヒントを得ることもある。このように考えると、近世の様々な著作も、仮名草子研究に寄与している点があり、これらは尊重されるべきものと思う。

2、 近代の仮名草子研究

 近代の仮名草子研究の全貌については、『仮名草子研究文献目録』(深沢・菊池共編、2004年12月、和泉書院)によって知る事ができる。この目録では、仮名草子作品も全て収録しているが、現在、仮名草子作品の範囲が確定している訳ではない。この点に関しては、広義に解釈する説と、小説的な作品に限定するという狭義の説があり、今後検討しなければならない、大きな課題である。
 私が仮名草子研究を始めた、昭和30年代は、180点弱の作品が仮名草子として扱われていた。しかし、現在『仮名草子研究文献目録』の「第一部 仮名草子作品」に掲げられる作品は、ざっと数えても380点に達する。これは、なにも数の多いのを誇っているのではない。明治以後の研究の結果がこのようになった訳である。
 仮名草子の対象を、狭義の説に従って処理した場合、近世初期の大啓蒙期に、続々と書かれた著作の大部分が削除され、仮名草子作品の数が減少するだけでなく、結果的には、この時代の文化的潮流の全貌が把握できない事となる。
 近代の仮名草子研究の道を拓いた水谷不倒氏は、「仮名草子」を次の如く定義された。

  「仮名草子の名称
 寛文時代に行はれたる草子類は、学識ある人々が一般の知識を啓発せんとの目的にて、漢書、経文、さては古文等の案を翻し、または其の侭、仮名の読み易き文章に更めて紹介したるにあり。これを通例かな草子と呼べり、蓋しいかなる草子も、仮名文にて綴られざるはなきに、ひとり此の時代の草子のみに此の名目を附するはやゝ穏かならざるに似たれど、古文は仮名文なれども、ことば雅にして一般に読ましむる目的にあらず。又元禄以降は、草子類も段々六ケ敷真字を交ふることとなり、其れに傍訓を施して、婦女子にも読み易からしめたれども、寛文ごろの草子は、日常用ふる最も容易き文字の外は、成べく真字を避けて仮名を使用し、其の目的全く文学の普及にあれば、特に此の時代の草子をかくは名づけしなり。」(『近世 列伝躰小説史』)

 水谷氏は、この定義のもとに、以下、如儡子の『可笑記』『百八町記』、鈴木正三の『盲安杖』『麓草分』『因果物語』『破吉利支丹』『二人比丘尼』『念仏草紙』『万民徳用』、山岡元隣の『誰が身の上』『小卮』、浅井了意の『孝行物語』『堪忍記』『本朝女鑑』『大和二十四孝』『新語園』『可笑記評判』『浮世物語』などを取り上げて論じておられる。
 仮名草子の研究は、以後、この水谷氏の定義に従って、明治・大正・昭和・平成と続けられてきたが、この「仮名草子」は、文学のジャンルから見るならば、複合ジャンルの如き性質を持っている。そこから、様々な分類がなされたり、この定義への批判も出されてきている。
 仮名草子の範囲を考える場合、様々な条件が浮かび上がる。御伽草子(上限)や浮世草子(下限)との関係、遊女評判記・役者評判記との関係、軍書・軍学書との関係、名所記・地誌・紀行との関係、教訓書・女性教訓書との関係、仮名仏書・仮名儒書との関係、古典等の注評釈書との関係、翻訳物・翻案物との関係等々が、一応考えられる。また、実利・実用的な要素と文芸的要素の関連も、啓蒙期の文芸を取り扱う場合には特に留意しなければならないと思う。
 しかし、現時点で、仮名草子を分解するという説は、時期尚早であると考える。前述の如く、近世初期は、長い戦乱の後に訪れた、大啓蒙期にあり、百科全書家が時代をリードし、新しい文化の生成に努めた時期であったのである。文化は混沌とし、未分化であった。この時代思潮は慎重に扱う必要がある。
 また、仮名草子と目される、各作品の研究も十分行われているとは思われない。いずれかと言えば、代表的な作品に集中している傾向がある。現在では、なお、水谷不倒氏が「仮名草子」と命名した路線に従って、全作品の調査・分析を行い、全体像を明らかにする事が重要であると思う。その後に分解しても、決して遅くはない。当分の間は、仮名草子を広義に解釈して研究を進めたいと思うのは、このような、現在の研究段階を考慮してのことである。
 明治以降の仮名草子研究を概観してみると、必ずしも活発であったとは言えない。明治39年から昭和30年頃の約50年間に発表された論文はおよそ150点、単純計算しても年間3点の論文しか書かれていない。
 ところが、昭和31年から40年の10年間には182点の論文が発表されている。これには、昭和35年・37年刊の、野田寿雄氏校注の日本古典全書(朝日新聞社)『仮名草子集(上・下)』2冊が大きく影響しているものと思われる。昭和37年に卒論を提出し、最初の論文を39年に発表している私は、まさにこの時期にあった。今、振り返ってみても、この野田氏の仮名草子作品への最初の校注は、我々若い研究者にとって、大きな励みとなった。
 近代に入り、仮名草子研究の道を拓かれたのは、『近世 列伝躰小説史』(明治30年)、『仮名草子』(大正8年)、『新撰列伝体小説史 前編』(昭和4年)などの労作を残された水谷不倒氏であり、戦後の低調な研究を軌道に乗せられたのは、昭和22年「仮名草子の世界」(『国語と国文学』7月)を発表し、仮名草子作品に初めて校注を施された野田寿雄氏であったと言ってよいだろう。
 仮名草子作品の本文研究では、昭和47年から刊行開始した『近世文学資料類従』が画期的なものであった。これは、前田金五郎氏・横山重氏の企画で勉誠社から出されたが、仮名草子編全39冊、古板地誌編全21冊、その後刊行された遊女評判記集をも含めると、実に80余作品を収録している。この出版が、以後の仮名草子研究に与えた恩恵は大きなものであった。
 次に注目されるのは、朝倉治彦氏の『仮名草子集成』(東京堂出版)であろう。昭和55年に第一巻を刊行し、平成17年までに38巻を出版している。仮名草子作品を網羅的に翻刻して収録するという、遠大な計画のもとにスタートして、ほぼ五十音順に刊行している。38巻には『女訓抄』が収録されたが、この出版計画の完結が望まれる。
 仮名草子の本文の研究に限ってみると、以上の二つの叢書が注目されるが、その他にも、翻刻・校注・現代語訳など、諸先学の地道な研鑽が続けられてきた。これらに関しては、仮名草子全体の課題や研究の状況と共に、かつて、少し詳細に述べた事がある。「仮名草子研究の現状」(『文学研究』59号、昭和56年9月)、「仮名草子の範囲と分類」(早稲田大学蔵資料影印叢書『仮名草子集』月報43、平成6年9月)、「仮名草子」(『日本古典籍書誌学辞典』1999年3月)等を参照して頂けるなら幸いである。

3、 採録の単行本

 既に述べたように、明治以降の仮名草子の研究は、必ずしも活発ではなかった。殊に、仮名草子研究として単行本で出版される事は稀であり、多くは、日本文学史、近世文学史の中の一部分として言及・論及される事が多い。また、この度の叢書に採録するにあたっても、様々な問題があり、何回か改めて、この書目が決定した。その点、編者としては不本意な点も無い訳ではないが、結果的にこれだけの、先学の労作を収録 できた事に、一応満足している。                                                  
 『単行本記述集成(一)』には、明治30年5月発行の水谷不倒氏の『近世 列伝躰小説史にをまず収録した。奥付の著者には、坪内逍遥も列記されているが、水谷氏の執筆したものを坪内に校閲してもらったものである。水谷氏には、『東京専門学校 文学科第一回二年級 講義録 参考科目』があり、その中の「徳川小説史要」は「凡例/序論/第一期 万治寛文/仮名草子/其一 教訓体/其二 仏教趣味の諸作/其三 心学もの/其四 翻訳」等の内容を収めている。これをもとにして執筆公刊したのが『近世 列伝躰小説史』であろうと思われる。文字通り、本書が仮名草子研究の出発点になったと言ってよいだろう。
 明治39年に、朝倉無声の『新修日本小説年表』。があるが、昭和4年に、これを底本にして、山崎麓が編纂したのが『日本小説書目年表』である。さらに、昭和52年には、書誌研究会が、頭注の形式で増補修正を加えた『改訂日本小説書目年表』を刊行した。現在では、この年表が最も信頼できるものと思われるので、これを『単行本記述集成(三)』に収録する事にした。
 津田左右吉氏の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』は仮名草子の研究書ではないが、この時期の文学を広く読み、その時代思潮を的確に述べているという点で、実に有益な著書と思われるので収録する事にした。その意味では、和辻哲郎氏の『日本倫理思想史』なども参照すべきであると思われる。どの時代も同じであるが、特に仮名草子のこの近世初期は、単に文学そのものだけでなく、歴史・思想・出版関係の著作も参照して、合わせ研究してゆく必要がある。そのような意味で、易しい文章でありながら、豊かな内容を持つ津田氏の著作を収録した。
 『単行本記述集成』の各巻についての、個別的な説明は必要ないと思われるが、編者としては、最初、水谷不倒氏と野田寿雄氏に関しては、別に一括して、水谷氏では、『近世 列伝躰小説史』、『仮名草子』、『新撰列伝体小説史 前編』を収録し、野田氏では、『近世小説史論考』、『近世文学の背景』、『近世初期小説論』、『日本近世小説史 仮名草子篇』を収録したいと希望していた。また、北条秀雄氏の『浅井了意』も収録したい名著であった。この著書については、その後、昭和47年に改訂版が出ている。これらの原案に関しては、様々な条件が関連して、今回は収録する事が出来なかった。さらに、ごく一部であるが、著作権の関係で採録出来ないものもあった。以上の点に関しては、別の機会があれば考慮したいと思う。

 『仮名草子研究叢書』を編纂するにあたって、著作権所有者をはじめ、多くの方々の御理解と御高配を賜った。ここに記して深甚の謝意を表します。
 この叢書編纂の話は、一昨年の暮に朝倉治彦氏から依頼された。私も前々から考えていた事であったので、喜んでお引き受けした。ただ、文献を改めて調査したり、選択する作業は、意外に労力の必要な仕事であるため、『仮名草子研究文献目録』の共編者、菊池真一氏に御協力をお願いした。雑誌関係は菊池氏、単行本関係は深沢と、一応分担したが、多くは菊池氏の御高配に負う結果となった。このような機会を与えて下さった朝倉氏の御厚情と共に、菊池氏の御協力に対して、心から御礼申上げます。

『仮名草子研究叢書』全8巻、深沢秋男・菊池真一 編、2006年2月25日、クレス出版発行  

『仮名草子研究叢書』 グーグル ブックス

仮名草子研究叢書  グーグル ブックス
深沢秋男、菊池真一
クレス出版、2006

多く使われている語句

あら いそ いふ うち ける けれ ざい ざる ざれ たる ども なき なし なら なり なるべし なれ にし のみ はち べき ペレ また やう られ らん 伊勢物語 可笑記 寛永 寛文 季吟 戯作 慶安 作者 山岡元隣 思ひ 事實 女房 小さかづき 上杉氏 身の上 世に 世間 正三 著述 徒然草 東海道名所記 如き 如儡子 俳諧師 浮世 浮世物語 物語 文學 名所記 鈴木正三 假名草子 學者 當時

書誌情報

書籍名   仮名草子研究叢書、第3巻
著者    深沢秋男、菊池真一
版     再版
出版社    クレス出版、2006
書籍の提供元   ミシガン大学
デジタル化された日   2007年8月14日
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●この叢書で、多く使われている語句の中で、可笑記、如儡子、浮世物語、徒然草、東海道名所記、など、やや、私好みのものである。それと、この叢書も再版されていた。

『仮名草子集成』 14 グーグル ブックス

『仮名草子集成』 14
2018.02.06 Tuesday

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仮名草子集成 14 グーグル ブックス
朝倉治彦・深沢秋男
東京堂出版、1993

多く使われている語句
ある され なん 可笑記 あら あり いけん いた いま うけ うち えら ォ 卷 おとこ おとろ かく かけ かな かならず きま くる くわい けり けるけれ こそ こつじき ごとく ころ さか さる しか しかる しく しけれ しん すりきり せん たく たつ たと たり たる つか つく つて つま とい といふ とき とく とし とも なき なさけ ナシ など なら ならす なり なる なれ にし ぬれ はなし べし 其 へん まし むかし むく むなしく めし やう よきよく よし より られ 一人 孝行 洪武 思ひ 思ふ 主君 出羽 出頭 正保 畜生 天明 年版 父母 奉公 凡夫

書誌情報
書籍名  仮名草子集成  14
       仮名草子集成 第14巻、朝倉治彦
著者    朝倉治彦・深沢秋男
出版者   東京堂出版、1993

『可笑記評判』解説

仮名草子関係書・解説 【5】
 
【5】・【6】・【7】 可笑記評判

【5】可笑記評判(上)  昭和52年1月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・21)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻一~巻三を収録。

【6】可笑記評判(中)  昭和52年2月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・22)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻四~巻七を収録。

【7】可笑記評判(下)  昭和52年3月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・23)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻八~巻十を収録し,解説を付したもの。

  一、著  者

 『可笑記評判』は、『可笑記』(如儡子作・五巻・寛永十九年刊)に対する批評書として、万治三年二月に刊行された。その奥書に「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」とあり、この「瓢水子」が浅井了意の号である事は、北条秀雄氏の『浅井了意』(昭和十九年刊)によって立証されている。浅井了意は、万治・寛文期に『堪忍記』『東海道名所記』『江戸名所記』『浮世物語』『京雀』『伽婢子』等の多くの仮名草子を著しているが、『勧信義談紗』『三部経鼓吹』をはじめとする仏書をも残している。この了意に関しては、北条秀雄氏の『改訂増補 浅井了意』(昭和四十七年刊)に詳しい(注1)。

  二、成  立

 『評判』の成立時期に関しては従来諸説が出されている。早く仮名草子研究の道を開かれた水谷不倒氏は、奥書の「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作之」(『可笑記』)「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」(『評判』)をそのまま信用して、『評判』の著者は『可笑記』を草稿の段階で読み、批評を付加した、とされた(『近世列伝体小説史』明治三十年刊)が、この水谷氏の説を除くと、藤岡作太郎氏、北条秀雄氏、寺谷隆氏、野田寿雄氏、松田修氏の各説は、その刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」に近い頃に成立したという点で一致している(注2)。ところが最近、野間光辰氏は北条秀雄氏の説に疑問をもたれ、「了意が一年を出でずしてこれを読みこれに評語を加へたことも、十分あり得る。」いと、水谷不倒氏の               
説に近い、草稿内覧説を主張された(注3)。
 私もこの問題に関して種々検討してみたが、やはり万治に近い頃に成立したというのが実情ではなかったかと思われる。今は紙数の関係で詳しく述べられないので、そのように考える根拠の一つを示すにとどめたいと思う。かつて『可笑記』各版の本文異同に関して考察した事があるが(注4)、その結果によれば、『評判』所収の『可笑記』本文は無刊記本を底本に使用したものと判断される。また、無刊記本の刊行時期については、寛永十九年秋以後、万治二年以前、と考えるのが妥当のようである。したがって『評判』の著者は、寛永十四年に『可笑記』の写本に接して筆を起こし、二十三年後の万治三年頃までに完成したという説には従いがたい。『可笑記』は寛永十九年秋に十一行本が初めて刊行されたが、その後、この十一行本の準かぶせ版としての十二行本が出た。そして、おそらく、それに続く第三版として出版されたのが無刊記本であろう。さらに万治二年正月には絵入本が出ている。寛永十九年から万治二年まで十七年間、仮に機械的に計算すると、ほぼ六年毎に次の版が出された事になる。このような点から考えると、ある
いは、無刊記本の刊行は承応年間であったかも知れない。そして『評判』の著者は、この無刊記本をテキストにして批評を付加したものであろう。
 なお、この『評判』の成立に関しては、奥書の「于時寛永十四南呂上澣」、序の「寛永のころほひ……」をどのように解釈するか、如儡子と了意の関係等、多くの問題が関連してくる。今後、さらに考えを深め、別に発表したいと思っている。
                    
 さて、万治三年刊行の『評判』を最初に記載した書籍目録は、寛文六年頃の刊とされる『和漢書籍目録』(寛文無刊記本)であり、以後出版された書籍目録の記録を、年代順に列挙すると次の通りである(注5)。

○「十冊 同評判」(『和漢書籍目録』・寛文無刊記本)
O「十冊 同評判 浅井松雲了意」(『増補書籍目録 作者付大意』・寛文十一年・
  山田市郎兵衛刊)
O「十 同評判 了意」(『古今書籍題林』・延宝三年・毛利文八刊)
O「十 同評判 浅井松雲」(『新増書籍目録』・延宝三年刊)
○「十 同評判 浅井松雲 廿匁」(『書籍目録大全』・天和元年・山田喜兵衛刊)
O「十 同評判 了意作」(『広益書籍目録』・元禄五年刊)
○ 「十 上村 同評判 了意 十五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年・河内屋
  喜兵衛刊)
O「十 可笑記評判 了意」(『新板増補書籍目録 作者付大意』・元禄十二年・永
  田調兵衛等刊)
O「十 上村 同評判 了意 廿五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年刊正徳五
  年修・丸屋源兵衛刊)

 東寺観智院所蔵の『新板書籍目録』(万治二年の写本)には、未だ記載されていないが、これは『評判』の刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」と符合する。右に挙げた書籍目録の記録によると。『評判』は「浅井松雲了意」の作として売買され、元禄九年頃の版元は「上村」であった事がわかる。この「上村」は、京都二条通リ烏丸西入ル北側(玉屋町)に住し、寛永から宝永に亙って『聖賢像賛』『続列女伝』『智恵鑑』『洛陽名所集』『尚書通考』『僧伝排韻』『左伝林註』等を刊行した上村次郎右衛門であろうと思われる(注6)。また価格も、廿匁(天和元年)、十五匁(元禄九年)、廿五匁(正徳五年)と時代により変化はあるが、同時代の他の書
に比較してみると、この作品はかなり高価なものとして扱われていたようである(注7)。                  
 万治三年より正徳年間までの、およそ五十年間、新本としてまた古本として、書肆の店頭に出されたこの作品も、享保十四年の『新撰書籍目録』(永田調兵衛刊)・明和九年の『大増書籍目録』(武村新兵衛刊)では、他の大部分の仮名草子類と共に、その姿を消している。以後は各蔵書家の手によって、細々と伝えられたのである。
 「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ有益ノモ
  ノ歟今茲初テ得之珍蔵スペキモノナリ 七十四翁三園誌之」
 これは、名古屋大学附属図書館所蔵本の識語である。この旧蔵者・三園は「神
谷氏、名は克楨、通称喜左衛門。尾張藩士で、京に在ること二十五年、学を好み和漢の異本珍籍を蔵し、有職故実・算数・本草学にも精しかった。岡田文園・吉田雀巣・柴田海城・小寺玉晁・小田切春江らと交わり、畸人をもって目せられた。明治四年六月、八十四歳をもって没し」ている(注8)。また石田治兵衛は、京都一条通リ大宮西入ルで、寛政から明治にかけて活動した書肆と思われる(注9)。三園の没年から逆算すると、
この識語の書かれたのは文久元年となり、この時期の本書の状況を推察する事ができる。                       
  

  三、底本と諸本

 『可笑記評判』の諸本について実地に踏査した結果、現在、その所在が明らかになっているものは、次の七点である。
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
 2、京都大学附属図書館所蔵本
 3、国立国会図書館所蔵本
 4、東京大学附属図書館所蔵本
 5、名古屋大学附属図書館所蔵本
 6、竜門文庫所蔵本
 7、早稲田大学図書館所蔵本
 本影印の底本には、右の諸本の内、最も刷りが早く、しかも完本である、名古屋大学附属図書館所蔵本を使用した。以下書誌的概観を試みたいが、右の諸本は、いずれも同一版木に拠るものと思われるので、底本についてのみ、版式を詳しく記し、他の諸本はこれと異なる点を記すに止めたい。
                              

 1、名古屋大学附属図書館所蔵本(岡谷文庫 岡913 51 AI~10)
著者  瓢水子(浅井了意)。
表紙  雷文つなぎ牡丹唐草模様藍色原表紙、縦278ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」縦176ミリ×横39ミリ(巻四)。
  各巻、部分的に磨損、欠損あり。
匡郭  四周単辺、縦208ミリ×横160ミリ(巻一の2丁表)。
内題 「可笑記評判巻第一 (~十)」。
目録題 「可笑記評判巻第一 (~十)目録」。ただし、巻八は「目録」の二字なし。
尾題  なし。
柱刻  巻一「可笑記評判一 乙(~五十六終)」。
    巻二「可笑記評判巻二 乙」。
      「可笑記評判二 二(~六)」。
      「可笑記評判巻二 七(~六十三終)」。
    巻三「可笑記評判巻三 乙(~四十六終)」。
    巻四「可笑記評判巻四 乙(~五十六終)」。
    巻五「可笑記評判巻五 乙(~四十七終)」。
    巻六「可笑記評判巻六 乙(~五十一終)」。
    巻七「可笑記評判巻七 乙(~六十五終)」。
    巻八「可笑記評判巻八 乙(~五十九終)」。
    巻九「可笑記評判巻九 乙(~七十六終)」。
    巻十「可笑記評判巻十 乙(~七十九終)」。
  版心は白口。
巻数  十巻(欠巻なし)。
冊数  十冊。
丁数  巻一…56丁。  巻二…63丁。  巻三…46丁。  巻四…56丁。
    巻五…47丁。  巻六…51丁。  巻七…65丁。  巻八…59丁。
    巻九…76丁。  巻十…79丁。
行数  毎半葉12行。
字数  一行約22字(批評の部分は一段下げのため、それより1字ないし2字少ない)。
章段数  序。愚序評。巻一…27段。  巻二…20段。  巻三…23段。
    巻四…24段。 巻五…25段。  巻六…17段。  巻七…21段。
    巻八…30段。 巻九…43段。  巻十…47段。  奥書
句読点  部分的に付されており、「。」「・」混用。
奥書 「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆」。
刊記  「万治三年庚子二月吉祥日」。
蔵書印・識語等 「真照文庫」「名古屋大学図書印」「名古屋大学図書館/和書/89903(~
   89912)(黒印)」の朱印。「寄贈者岡谷正男氏/昭和二十六年二月十五日」の青印。巻
   一前表紙に白紙(縦157ミリ×横78ミリ)が貼付されており、墨書にて次の識語があ
   る。「可笑記評判十套 万治三年庚子二月吉祥日梓行/此書久シク探索シテ漸ク京師書
   書林/石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ/有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵ス/ペキモノ
   ナリ/七十四翁三園誌之」

 2、早稲田大学図書館所蔵本(ヘ13 1701 特別図書)
表紙  後補薄藍色表紙、縦272ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。                           
題簽  左肩に、後補題簽、「可笑記評判 一(~十)」と墨書、縦172ミリ×横36ミリ(巻
   一)。
蔵書印 「早稲田大学図書」の朱印、その他朱印一顆。
その他  各巻頭の目録(乙丁)がすべて落丁。

 3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦267ミリ×横185ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、(可笑記評判 一(~十終)」縦187ミリ×横38ミリ(巻一)。
蔵書印 「西荘文庫」「アカキ」「よこ山」の朱印。
その他  巻八の31丁・32丁が乱丁。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(国文学 pb 24)
表紙  縹色原表紙、縦269ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十終)」縦約187ミリ×横38ミリ(巻
   一)。ただし、巻三欠。
蔵書印 「京都帝国大学図書之印」の朱印。「京大/170749/大正6・2・9」の青印。                   

 5、国立国会図書館所蔵本(146 171)
表紙  原表紙は失われており、昭和四十一年に改装し、茶色縞表紙を補う。縦269ミリ×
   横201ミリ(第一冊目)。大本。この折、本文紙も全冊に亙って総裏打ちされた。
題簽  左肩に、後補子持枠題簽、「可笑記評判 巻一~三(巻四~七・巻八~十)」と墨書、
   縦196ミリ×横38ミリ(第一冊目)。
冊数  三冊に合冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。 第二冊…巻四・巻五・巻六・巻七。第三
   冊…巻八・巻九・巻十。
蔵書印 「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」の朱印。「書林柳校軒 日本橋小川二丁
   目 彦九郎」の黒印。
その他  巻九の75丁・76丁、下部三分の一ほど欠損。巻八の31丁・32丁、巻九の31丁、
   巻九の49丁~76丁が乱丁。

 6、東京大学附属図書館所蔵本(青洲文庫 E24 634)
表紙  縹色原表紙、縦267ミリ×横181ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」了十」」縦175ミリ×横39ミリ
   (巻一)。ただし、巻五欠。
蔵書印 「青洲文庫」「東京帝国大学図書印」の朱印。

 7、竜門文庫所蔵本(一〇ノ三 815)
表紙 後補茶色表紙、縦255ミリ×横180ミリ(巻一)。大本。 
題簽  なし。
蔵書印 「永田文庫」「竹田文庫」「善宇」「龍門文庫」の朱印。「本治」の黒印。その他朱印一
   顆。
その他  巻一の52丁が落丁。巻三の2丁~6丁、巻十の76丁・77丁が乱丁。
 

以上、各所蔵本を概観したのであるが、これらは、印刷の先後によって、二つのグループに分ける事ができると思われる。初印本と断定できないにしても、明らかに早印本であると思われるのが、名大本と早大本であり、赤木文庫本・京大本・国会本・東大本・竜門文庫本は後印本と思われる。その根拠は、赤木文庫本系には、版木の破損によって、巻五の35丁・36丁に、かなり不明の箇所があるが、名大本系ではこれが明瞭に出ているし(注10)、また名大本系において。巻八の39丁の丁付は「丗」とあり「九」が脱落しているが、赤木文庫本系では「丗九」と訂正され「九」を埋木した跡が認められるからである。なお、同じ巻八の丁付が「廿八
・廿九・三十・三十一・丗一・丗二」とあるのは、諸本共通であり「丗一」は「丗二」の誤刻であるが、赤木文庫本と国会本は「三十一」と「丗一」を入れ替えて製本してしまっている。また、題簽に二種あるが、名大本と東大本が同じ版木によるものと思われ、赤木文庫本と京大本のものが同系統である。これらの点から考えると、後印本と思われるクループの中でも、東大本は名大本と近い関係にあるという事ができる。

                    
四、『可笑記』・『可笑記評判』章段対照表

 『評判』は『可笑記』の批評書であり、各段ごとに表題を付し、『可笑記』の本文をまず掲げ、その後に「評曰……」と一段下げて批評を連ねる、という体裁をとっている。『可笑記』全二八〇段中、批評を付加したのは二三一段である。各段の分量は、小は二行程度のものから、大は延々十三丁に亙るものもあり、必ずしも一定しないが、瓢水子の付加したものは、序、愚序評、奥書を加えると、二三四の長短の批評文という事になる。その他、各巻頭の目録題も新たに付加したものである。

★【章段対照表 省略】  原本参照

 注1、○七囲んだものは、批評を省略した談。
 注2、空白の箇所(『可笑記』巻一の32・巻二の15・巻四の42)は『可笑記』本文、批評
    ともに省略した段。
 注3、『評判』巻三の「19・20・21・22・23」は原本では「16・19・20・21・22」となっ
    ている。

★【章段数対照表 省略】  原本参照

批評を付加した段……………………………231段
批評を省略した段…………………………… 46段
本文・批評ともに省略した段………………  3段
総数……………………………………………280段

五、『可笑記評判』所収の『可笑記』本文について

 『評判』所収の『可笑記』本文が無刊記本に近い事は、すでに前田金五郎氏が指摘しておられる(『国語国文』昭和四十年六月号)が、その後、私は『近世初期文芸』第一号(昭和四十四年十二月)でやや詳しく考察した事がある。今は、その結果の概略を示すにとどめたい。
 『可笑記』の版本には次の四種がある。( )の中は略称。
 ○寛永十九年版十一行本(十一行本)
 ○寛永十九年版十二行本(十二行本)
 ○無刊記本
 ○万治二年版絵入本(絵入本)
 この中で、十一行本が初版、十二行本は十一行本の準かぶせ版、無刊記本は十一行本を底本にして改版したもの、絵入本は無刊記本を底本にして改版し挿絵を加えたもの、という事ができる。これら各版の本文と『評判』所収の本文を比較した結果は次の通りである。
 1、無刊記本・絵入本・評判共通の異同が多い事から、この三版が近い関係にあると言える。
 2、評判には四箇所に亙って長文の脱落があり、他の版が評判を底本に使ったという可能性
   はない。
 3、無刊記本・絵入本に対する評判の異同を分析すると、より無刊記本に近いと言い得る。
   そこから評判は無刊記本を底本に使用した事が推測されるが、その際、十一行本・十二
   行本は参照しなかったものを思われる。                        
 4、評判には四箇所に長文の脱落があるが、その外にも機械的な誤脱が多い。
 5、評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、積極的に補っている。
 6、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
 7、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを認め得るが、それだけ
   に、ゆき過ぎもみられる。
 8、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても。それほど無刊記本に忠実で
   はない。
 要するに『評判』は無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、誤脱も多く。他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかし『評判』は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この『評判』は、むしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたというべきである。

★【諸作品価格一覧表 省略】  原本参照

注1 浅井了意に関する参考文献については、日本古典鑑賞講座『御伽草子・仮名草子』所収
  の水田紀久氏編「仮名草子文献目録」、『改訂増補 浅井了意』所収の若木太一氏編「浅井
  了意関係研究文献目録」。『近世初期文芸』第三号所載の小川武彦氏・深沢秋男編「仮名草
  子研究文献目録」を参照願いたい。なお、その後、北条秀雄氏に『新修浅井了意』(昭和
  四十九年刊)があり、拙稿「『可笑記評判』について」(昭和四十九年刊『日本文学の研究』
  ―重友毅博士頌寿記念論文集―所収)がある。
注2 藤岡作太郎氏は万治年間(『近代小説史』)、北条秀雄氏は慶安・承応の頃(『浅井了意』)、
  寺谷隆氏は明暦前後(『国語国文』昭和二十九年三月)、野田寿雄氏は慶安か承応のころ(『国
  語国文研究』昭和三十八年二月)、松田修氏は正保末、万治初年(『文学』昭和三十八年五
  月)とされている。
注3 「了意追跡」(昭和四十七年三月刊、北条秀雄氏『改訂増補 浅井了意』所収)
注4 「『可笑記』の本文批評」(『近世初期文芸』第一号・昭和四十四年十二月)
注5 書籍目録については『江戸時代書林出版書籍目録集成』(慶応義塾大学附属研究所斯道
  文庫編)に拠った。
注6『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏編)によると上村姓の書肆は五名あるが、次郎右衛門
  が時代的にも妥当と思われる。
注7 価格を記した書籍目録の主なものは、次の四種である。
  ①『書籍目録大全』(天和元年・山田喜兵衛刊)
  ②『増益書籍目録大全』(元禄九年・河内屋喜兵衛刊)
  ③ ②の増修本(宝永六年・丸屋源兵衛刊)
  ④ ②の第五次増修本(正徳五年・丸屋源兵衛刊)
  この中から主な作品を取り上げ、冊数の多い順、価格の高い順に配列したのが後に掲げた
  「諸作品価格一覧表」である。もちろん、重版の有無、丁数なども関係してくるので、一
  概には言えないし、また『評判』が再版されなかった事とも関わっていると思うが、他の
  作品に比して、本書が高額である事は言い得ると思う。
注8 これは、小野晋氏著『近世初期遊女評判記集』(研究篇)より引用させて頂いた。なお、
  小野氏の御厚意により、愛知県刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』の識語と筆蹟を比較
  することを得た。その結果、同じ三園のものと判断される。
注9 前掲『慶長以来書賈集覧』に拠る。
注10 巻五の不明箇所について、竜門文庫本は未確認であるが、丁付その他の点から後印本
  に入れた。機会をみて確認し、正確を期したいと思う。

付 記

 『可笑記評判』の解題をまとめるにあたって、
 名古屋大学附属図書館では、貴重な御所蔵本を。底本として使用することを御許可下さいました。
 前田金五郎、横山重両先生には、仮名草子全般に関して多大の御指導を賜り。小野晋先生には、刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』に関して、種々御教示を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立国会図書館、東京大学附属図書館、竜門文庫、早稲田大学図書館の御高配を賜りました。
 ここに記して、厚く御礼申し上げます。
                       昭和五十年四月四日

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【追 記】

 浅井了意の『可笑記評判』は、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会から、最初の翻刻として出した。しかし、全10巻の大部な作品ゆえ、『可笑記』の本文は省略して、了意の付加した、批評の部分のみを収録するという不本意なものとせざるを得なかった。。しかも、タイプ印刷という、極めて厳しい印刷条件の下での作業であった。
 そのような経過があったが、それから7年後、『近世文学資料類従・仮名草子編』の第2期が刊行されることになり、その中に『可笑記評判』を加えて頂くことになったのである。これは、横山先生と前田先生に、私から、以上の経過事情を説明して、お願い申上げて、実現したものである。
 底本に関しては、前回の対応に、反省点もあったが、ここで、最も印刷の早い、名古屋大学附属図書館の所蔵本を使用させて頂けたことは、本当に感謝している。

                            平成28年12月7日
                                      深沢秋男

グーグル ブックス

クーグル ブックス
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【ウィキヘディア より抜粋】
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●勉誠社版、近世文学資料類従の『可笑記評判』を検索したら、次の様に表示された。

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可笑記評判 第23巻   【これは図版】
可笑記評判 下巻
浅井了意
勉誠社 1977
・・・・・・・・・・・・・・・・
多く使われている語句
横山重 仮名草子 可笑記評判 寛永 吉原物集成 元禄 思われる 朱印 所収 昭和 松田修 図書館所蔵 赤木文庳 浅井了意 蔵書印 大学図書 大学附厲 大学附属 底本 年刊 批評を付加 表紙 評判巻 評判了意 評判卷 物語 文庫 北条秀雄氏 本文 名古屋大学 目録

書籍名 可笑記評判 第23巻
      近世文学資料類従 仮名草子編 第21巻~23巻
著者   浅井了意
寄与者  近世文学書誌研究会
版   再版
出版社  勉誠社 1977
書籍の提供元  ミシガン大学
デジタル化された日  2009年4月9日
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●この本は、名古屋大学図書館所蔵本を底本にして、勉誠社から出したもので、解題は私が書いた。その解題の中には、横山重、松田修、浅井了意、北条秀雄、などの名前が出てくることが解る。初版は1997年であるが、再版されたらしい。グーグルでデジタル化したのは、2009年4月9日で、ミシガン大学の再版本を使用したようだ。

近世文学資料類従 『可笑記評判』下巻

『仮名草子集成』第58巻 発行

『仮名草子集成』第58巻

年斎拾唾(寛文3年9月以後板、2巻合1冊)
囃物語(延宝8年8月板、3巻3冊)
花の縁物語(寛文6年3月以後板、2巻2冊、絵入)
はなむけ草(貞享3年6月板、2巻2冊、絵入)
春風 (寛文頃板、1冊)
春寝覚 (影写本、1冊)
百物語 (万治2年2月板、2巻2冊)
ひそめ草 (正保2年板、3巻3冊)
<補遺>醒睡笑 (寛永末・正保頃板、8巻3冊) (承前)

柳沢昌紀・入口敦志・冨田成美・迫水香織・松村美奈・ 編

2017年11月30日発行
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●私は、1989年の、第10巻から『仮名草子集成』に参加させて頂いたが、28年間の長い仕事であった。途中、大学の職務も多忙を極め、他の研究論文も書かなければならなかった。担当した作品の、諸本調査、本文校訂、これらを進めると、作品論を書きたくなる。しかし、それは許されない。そのようなストレスの中で従事した、28年間だったのである。
●私も、老齢となり、古典作品の、諸本調査、本文校訂等は、無理となった。第57巻で引退することにした。第58巻はほとんど関与していないが、名前は残してくれた。
改めて、関係者の皆様に対して、心から感謝申上げる。
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●『仮名草子集成』は、昭和55年(1980)5月12日に第1巻が発行された。編者は朝倉治彦氏である。近世文学の中でも、浮世草子の西鶴や、俳諧の芭蕉や、浄瑠璃の近松とは異なり、仮名草子は地味で、一般の人々には馴染みが薄い。当然、売れる本では無い。当初は文部省の出版助成金を受けてスタートした。
●第39巻から、新体制で継承した。菊池眞一氏・花田富二夫氏と私が編集を担当し、さらに若い研究者の協力を得て今日に及んでいるが、第1巻発行から38年になる。現在、第58巻まで発行され、全70巻の完結を目指している。

■新体制の責任編集者
第39巻~第45巻、菊池真一・花田富二夫・深沢秋男。
第46巻~第49巻、花田富二夫・深沢秋男。
第50巻~58巻、花田富二夫・深沢秋男・柳沢昌紀。

■発行所 101‐0051 東京都千代田区神田神保町1‐17
株式会社 東京堂出版
電話 03‐3233‐3741
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●私は、この、朝倉先生の『仮名草子集成』に参加することによって、より広い視点で仮名草子の世界を眺めることができた。これは、有難いことであった。
●私は、卒論では、仮名草子の『可笑記』を選択したが、法政の大学院へ進んだ場合、重友毅先生の後を受けて、上田秋成を専攻する予定であった。ただ、個人的な事情で大学院へ進めなくなり、重友先生と相談して、仮名草子研究を継続することにした訳である。途中、近世末期の女性の日記『井関隆子日記』の研究や、幕末・明治の幕臣で歌人の鈴木重嶺の研究もしたが、これには、それぞれ、必然性のあることだった。思えば、有難い研究履歴だったと、自分では思っている。

お茶の水図書館

お茶の水図書館
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主婦の友社
2017/12/13

主婦の友社が「TSUTAYA」のCCCに買収されるという。駿河台にある頃、お茶の水図書館・成簣堂文庫の古活字本を見せていただきに伺ったことがある。「これを翻刻させていただきたい」というと、ダメダという。某雑誌の付録を持って来て、「約束と違ってこんな複製を出されてしまった。以後、複製・翻刻は許可していない」という。複製と翻刻とでは全然違うのではないかと思ったが、どうしようもなく、あきらめた。翻刻を拒否されたから言うのではないが、「主婦の友社」という名前はよくないのではないか。
CCCは、美術出版社・徳間書店も買収したという。
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●菊池先生のエッセイに、主婦の友社が買収されるという書き込みがあった。主婦の友社の運営する、お茶の水図書館には、大変な思い出がある。仮名草子の『可笑記』の諸本調査は、学生時代から始めたが、この御茶の水図書館は、女性専用の図書館で、男性の閲覧は厳しかった。閲覧願を何回か郵送したが、ラチがあかない。そこで、私は、直接、図書館へ伺った。その頃は、現在の大ビル(日大に変わった)の中ではなく、中央線の線路の土手の上に建っていた。玄関をたたくと、係の方が、そそくさと、私を別室に招き入れて、ここは、男性の来る図書館ではありませんッ、と注意された。とにかく、お帰り下さい、と言う。
●その後、未整理ということで、閲覧させてもらえなかった。私は、毎年、年賀状と暑中見舞いを出して、蔵書の整理はまだですか? と問い続けた。係の方のお名前も覚えて、毎年、毎年、お尋ねした。そうして、昭和43年5月7日、夢はようやく実現した。

① 無刊記本 A
② 無刊記本 B
③ 万治2年版絵入本

この3点である。「蘇峰」「徳富文庫」「徳富猪一郎印」「須愛護 蘇峰嘱」等の蔵書印がある。徳富蘇峰の書き込みもあり、年賀状と暑中見舞いを送り続けたお陰で、目的は果たされた。その後も、仮名草子関係で、何回も蔵書を閲覧させて頂いた。この文庫の所有権はどうなるのだろうか、私には、それが気にかかる。

Kana-zoshi   【 WIKIPEDIA】

Kana-zoshi   【 WIKIPEDIA】 


Les kana-zōshi (仮名草子?) sont un type de livres japonais produits principalement à Kyoto entre 1600 et 1680. Le terme signifie littéralement « livres écrits en kana » (le kana étant le syllabaire phonétique japonais plus simple à lire et à écrire que le kanji, ou idéogrammes chinois). La désignation découle donc du fait que le texte de ces livres est écrit entièrement en kana ou dans un mélange de kana et de kanji. Les kana-zōshi sont considérés comme un genre de transition qui comble le fossé entre les romans de chevalerie médiévaux et le premier chef-d’œuvre de la littérature de l’époque d’Edo (1600-1868), l’ukiyo-zōshi composé par Ihara Saikaku (1642-93). Le genre comprend un assortiment improbable d’essais, de récits, de guides de voyage pour des lieux renommés, de chroniques militaires, d’écrits religieux et des textes de critiques. Malgré le manque d’uniformité dans le contenu, les kana-zōshi sont classés comme un genre distinct principalement basé sur le fait qu’ils sont les premiers travaux littéraires imprimés et largement diffusés au Japon. Les spécialistes affirment également que les kana-zōshi sont généralement de qualité littéraire plus élevée et plus réaliste que les formes médiévales, telles que les otogi-zōshi qui les précèdent.

Sommaire [masquer]
1 Caractéristiques du kana-zōshi
2 Développement du kana-zōshi
2.1 Kana-zōshi anciens
2.2 Kana-zōshi tardifs
3 Auteurs représentatifs
4 Sources
5 Voir aussi
6 Référence
Caractéristiques du kana-zōshi[modifier | modifier le code]
Avant les années 1620, les seuls livres disponibles au Japon sont les manuscrits. Les kana-zōshi imprimés sont moins coûteux et plus faciles à obtenir que ces manuscrits antérieurs. Ils sont donc considérés comme le premier exemple de la littérature commerciale produite au Japon. Il convient de garder à l’esprit, cependant, le caractère relativement limité de leur popularité. Le coût d’un seul volume est encore prohibitif et représente à peu près l’équivalent de ce qu’un ouvrier peut gagner pendant deux ou trois jours de travail. Qui plus est, les livres, en raison de leurs faibles tirages (souvent seulement quelques centaines d’exemplaires), sont rarement diffusés au-delà de Kyoto, Osaka et Edo, les centres d’édition du Japon pré-moderne.

Malgré ces limites, l’apparition de ces livres constitue une nouvelle tendance importante dans la production littéraire. Étroitement liés à l’accroissement des centres urbains du Japon, à la montée en puissance économique de la classe des chōnin (bourgeois urbains), à l’augmentation des taux d’alphabétisation et à l’avènement de la technologie de gravure sur bois, les kana-zōshi apparaissent comme une nouvelle forme très particulière de littérature plébéienne. Ses auteurs sont issus de la partie instruite de la population, dont des lettrés, des prêtres bouddhistes, des courtisanes, des samouraïs et des rōnin. Mais son lectorat se compose principalement des habitants non aristocratiques des villes en croissance du Japon.

Contrairement aux otogi-zōshi et d’autres formes de contes médiévaux japonais, les kana-zōshi ont tendance à être plus réalistes, avec moins d’éléments surnaturels ou fantastiques. Qu’ils soient destinés à divertir ou à informer, les récits kana-zōshi offrent plus de détails sur les personnages et leur environnement, contiennent des dialogue plus naturels et présentent une tranche plus représentative de la vie.

Bien que plus habilement écrits que les otogi-zōshi, les kana-zōshi sont considérés comme moins avancés en termes de structure et de jeux de mots que les ukiyo-zōshi ultérieurs composés par Saikaku. Reflétant les goûts de leur public relativement moins sophistiqué, les kana-zōshi invoquent souvent des jeux de mots simples pour produire des effets humoristiques. Le mot hanatare par exemple, qui peut signifier à la fois un nez qui coule ou une fleur tombante, est utilisé pour décrire un jeune enfant portant le nom de famille « Fujiwara » (champ de glycines). Ce type de jeu de mots caractérise le niveau de l’humour dans les kana-zōshi.

Chaque livre kana-zōshi est composé de un à douze minces volumes de 20 à 30 feuilles chacun, avec environ un cinquième de l’espace consacré à l’illustration. Le prix des livres est principalement déterminé par le nombre de volumes.

Développement du kana-zōshi[modifier | modifier le code]
Les spécialistes divisent généralement les kana-zōshi en deux groupes :

Kana-zōshi anciens[modifier | modifier le code]
Les kana-zōshi anciens sont écrits principalement par des membres des classes éduquées, dont des samouraï de rang inférieur, des courtisans, des prêtres bouddhistes, et des érudits. Parce que ces ouvrages sont écrits par des auteurs très instruits, ils sont souvent didactiques, encouragent un comportements fondé sur le sens moral de la génération précédente. Les premiers kana-zōshi sont répartis en trois catégories : les livres destinés à divertir, les ouvrages destinés à éclairer intellectuellement, et les œuvres écrites pour éduquer les gens sur des questions pratiques. Les kana-zōshi écrits pour divertir comprennent des récits de guerre, des romans et des parodies d’anciens grands classiques tels que l’Ise monogatari. Ceux écrits afin de promouvoir l’épanouissement intellectuel s’occupent principalement de concilier les idées du bouddhisme, du shintoïsme et du confucianisme. Les kana-zōshi plus pratiques comprennent des guides de voyages, des échantillons de lettres d’amour bien écrites, et des critiques de courtisanes célèbres et d’acteurs du kabuki.

Kana-zōshi tardifs[modifier | modifier le code]
Les kana-zōshi tardifs sont ceux écrits au cours de la seconde moitié du xviie siècle. Contrairement aux kana-zōshi anciens, les kana-zōshi tardifs sont écrits pour la plupart par des roturiers à destination d’un lectorat bourgeois. Ce changement dans la classe sociale des auteurs se reflète dans le fait que les protagonistes des œuvres tardives sont généralement des gens du commun. Par ailleurs, le langage utilisé dans les kana-zōshi tardifs est plus réaliste et les personnages masculins et féminins parlent en utilisant des structures spécifiques à leur sexe. De nombreux chercheurs pensent que cette évolution vers le réalisme ouvre la voie à l’ukiyo-zōshi, genre littéraire qui émerge plus tard et qui est partiellement défini par son intense réalisme.

Auteurs représentatifs[modifier | modifier le code]
Asai Ryōi (mort en 1691) et Suzuki Shōsan (1579-1655) comptent parmi les célèbres écrivains de kana-zōshi. Leurs principaux ouvrages comprennent Nise monogatari (« Conte de mensonges » : Une parodie des Contes d’Ise), Shimizu monogatari (« Conte de Shimizu ») et Tokkaidō meishoki (« Sites fameux du Tokkaidō »]. L’exemple le plus célèbre du genre est Ukiyo monogatari (« Contes du monde flottant », 1661) de Ryōi, conte comique d’un jeune homme nommé Hyōtarō qui se met dans toutes sortes d’ennuis avec le jeu, la prostitution, etc. puis apprend d’anciens de la ville de précieuses leçons sur la bonne façon de vivre sa vie.

Sources[modifier | modifier le code]
Lane, Richard. “The Beginnings of the Modern Japanese Novel: Kana-zoshi, 1600-1682.” Harvard Journal of Asiatic Studies. Vol. 20, Nos. 3-4 (déc., 1957), pp. 644-701.
Moretti, Laura. “Kanazōshi Revisited: The Beginnings of Japanese Popular Literature in Print”. Monumenta Nipponica. Vol. 65/2 (Autumn 2010), pp. 297-356. Available on Project Muse (http://muse.jhu.edu/login?uri=/journals/monumenta_nipponica/v065/65.2.moretti.html [archive]) [Cet article remet en question la vision traditionnelle du kana-zōshi et offre une nouvelle perspective sur le sujet]
Fukasawa Akio 深沢秋男 and Kikuchi Shin’ichi 菊池真一, eds. Kanazōshi kenkyū bunken mokuroku 仮名草子研究文献目録. Osaka: Izumi Shoin, 2004. Updates available online at Kinsei Shoki Bungei Kenkyūkai 近世初期文芸研究会 site wen, http://www.ksskbg.com/kana/index.html [archive]. [bibliographie d’études japonaises sur les kana-zōshi]
Asakura Haruhiko 朝倉治彦, Fukasawa Akio 深沢秋男, et al. Kanazōshi shūsei 仮名草子集成. 46 vols. (to date). Tōkyōdō Shuppan, 1980–. (collection de transcriptions diplomatiques de kana-zōshi).

●誰が執筆したのだろうか ?