吹浦大物忌神社の棟札

吹浦大物忌神社の棟札
2018.12.10 Monday

棟札

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
棟札(むなふだ、むねふだ)は、寺社・民家など建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札である。
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●私は、今、山形県飽海郡遊佐町大字布庫1番地の吹浦大物忌神社の棟札に関して整理している。文学研究を志している私が、時として、このような建築関係の調査をする必要も生じる。私は、飽海郡一帯に伝存する、神社仏閣の棟札をくまなく調べた。
●慶長17年(1612)に作製された、吹浦大物忌神社の棟札には、「小行使 斎藤筑後守盛広」とある。故に研究者は、『可笑記』の作者、如儡子・斎藤親盛の父は「斎藤盛広」であると断定し、他の資料の記録「斎藤広盛」は誤記であると否定した。私は、この従来の説に疑問を抱き、新説を出すために、全面調査を実施した。

●〔棟札〕の研究は、どこまで進んでいるのか。様々な研究書を調べたが、私の基準には合わなかった。そんな時、2010年、棟札研究の第一人者、秋山敬氏の『棟札の基礎的研究』に出会う幸運に恵まれた。
●秋山敬氏は、山梨県の棟札の悉皆調査をされた方である。悉皆調査を実施した研究者の説は信頼できる。私は、秋山敬氏に懇願して、慶長17年に作製された、吹浦大物忌神社の棟札の記録の、資料としての信頼性、正確度に関して、具体的な御教示を賜った。
●結果、斎藤家第2代・筑後守は、「又十郎、玄蕃助、助左衛門、広盛」と認識すべきである、という結論を導き出すことが出来た。山梨大学卒業、山梨県史編纂室で棟札の研究をされた、秋山敬氏の学恩は、忘れられない。
●今日、ウィキペディアの参考文献に、秋山敬氏の労著を追加した。

市条八幡神社の杉並木

市条八幡神社の杉並木
2018.12.01 Saturday

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一条八幡之杉並木は、何木なりとも、返す返す、ほりとるまじく候
慶長15年9月23日  斎藤筑後守 広盛
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●山形県飽海郡八幡町市条字水上、一条八幡神社の森は、現在も豊かな緑の大木に包まれている。慶長15年(1610)、如儡子の父、斎藤広盛は、亀ケ崎城主、志村伊豆守の命を受けて、一条八幡神社の樹木を伐ることを禁止している。斎藤筑後守は、慶長9年(1604)にも、一条八幡神社の樹木の伐採を禁じる令を出している。このようして、神社の森は守られてきたのである。
●私は、今、400年前の、山形飽海吹浦一帯に発せられた、斎藤筑後守広盛の、文書、年貢皆済状、神社の棟札等の記録を再確認している。何百年という歴史を持つ神社の大木も、このような奉行の管理によって守られていたことを知ることが出来た。

斎藤筑後守関係資料

斎藤筑後守関係資料
2018.11.26 Monday

●このところ、如儡子・斎藤親盛の伝記資料の整理をしている。二本松関係の整理が終わって、今、酒田・鶴岡関係資料を再検討している。現役の頃は、毎年毎年、二本松、酒田・鶴岡・藤島の調査に出かけていた。
●昭和63年(1988)8月17日~21日、羽田 → 庄内空港 → 酒田。田村寛三先生とお会いして、一条八幡神社へ。何と、酒田市で車を出して下さった。私は、毎回、あらかじめ、バス路線図を確認して出かけているが、このような御配慮にあずかることもあった。
●一条八幡神社では、如儡子の父、斎藤筑後守広盛の自筆文書を閲覧することが出来た。最初は、明治時代の転写本の閲覧だけという条件だった。この転写本が、極めて忠実なもので、虫損、汚れまで、詳細に写されていた。書写者の歴史史料への認識がすごい。
●宮司の小野宏司氏と、田村先生と、私と、様々話し合ううちに、小野氏は、席を外され、斎藤筑後守の自筆文書を書庫から出して来て下さった。そうして、閲覧を許され、その上、写真撮影も許可して下さったのである。
●これが、如儡子の父の筆跡か。その時の感激は、忘れることが出来ない。私の斎藤親盛の伝記研究は、このような、多くの方々の御高配によって進められたのである。

歴彩館所蔵 可笑記 表紙の色

歴彩館所蔵 可笑記 表紙の色
2018.11.24 Saturday

●歴彩館の所蔵目録を見たら、次の如く記録されている。

1、 可笑記 5巻 電子ブック
如儡子作 1659
歴彩館・貴重書庫保管庫

2、 可笑記 5巻(存1巻)
[如儡子著]、[出版者不明]
歴彩館・貴重書庫F

3、 可笑記評判 
[浅井了意著]/浅井了意全集刊行会編。岩田書院、2011(浅井了意全集、仮名草子編・3)
府大開架Ⅲ(芸術・言語・文学)913、51

4、 可笑記評判
浅井了意著/深沢秋男校訂、近世初期文芸研究会、1970
歴彩館、貴重書庫F 和、913、51
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1、 可笑記 5巻 電子ブック  には、次の如く注記されている。
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注記
緑色表紙▼四周単辺17.2×12.4cm十二行▼挿絵(巻一・四・五)各5頁分(巻二)6頁分(巻三)4頁分▼題簽左肩双辺「新口可笑記絵入一(一五)」内題「可笑記巻一(一五)』版心「可笑記巻一(一五)(丁数)』▼(絵入本 刊記等落丁・乱丁あり。▼「徳川文芸類聚二」「近代日本文學大系 仮名草子集」所収 深澤秋男「可笑記の諸本について」(文学研究二八号所収)参照)
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●現在、歴彩館、貴重書庫保管庫に所蔵されている、『可笑記』絵入本について、このように記載されている。私は、この絵入本が、京都府立総合資料館に所蔵されていた、昭和42年7月31日に調査している。

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  〔9〕 京都府立総合資料館蔵(京都府立図書館旧蔵) 
      特・840/41(昭和42年7月31日調査)
体裁 半紙本、五巻五冊、袋綴じ。
表紙 縹色原表紙、縦二二五ミリ×横一五五ミリ(巻一)。
題簽 左肩に子持枠原題簽、部分的に摩損多し。「(摩損)可笑記
   絵入 四」 (縦約一三二ミリ×横約三二ミリ)、各を同様。
匡郭 四周単辺。縦一七六ミリ×横一二五ミリ(巻一、1丁オ)。
【以下略】

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●調査結果を、このように記録している。計測寸法などに違いがあるが、問題は、表紙の色である。私は、「縹色原表紙」とし、歴彩館は「緑色表紙」としている。今年の12月に出る『近世初期文芸』第35号では、表紙に関して、次の如く述べた。
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〔三〕 表 紙=寸法、色、模様、空押模様、原表紙・後補表紙等。
  寸法は全てミリを単位とする。原則として、縦はノド、横は
  天で測った。表紙の色は、色見本帳を参照した。表紙の空押
  模様などには、卍つなぎ・毘沙門格子・唐草模様など様々な
  ものがあるが、調査を始めた頃は、経験不足のため、不明の
  ものもあり、ノートには記録したが、発表段階で「空押模様」
  と略記した場合もある。

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●歴彩館に現在所蔵されている、『可笑記』絵入本の表紙の色は、何色とすべきか。縹色か緑色か、私は、『可笑記』絵入本を、25点位調査しているが、緑色の表紙は見ていない。かと言って、縹色では、少し明るすぎるとも反省している。「濃縹色」位ではどうか、と今は思う。

名刺 雑感 ⑬

名刺 雑感 ⑬
2018.10.21 Sunday

斎藤輝利 株式会社 斎藤金型製作所 代表取締役
昭和62年8月6日(1987)
●如儡子・斎藤親盛の、第13代目の御子孫、斎藤豪盛(輝利)氏。

●京都大学名誉教授・野間光辰氏は、1987年4月30日、御逝去。
野間光辰氏の「如儡子系伝攷」は、『可笑記』の作者の伝記研究としては画期的な論文であった。野間氏の御生前中、氏の研究に対して、検討を加えることを、私は、要請され、許されていた。野間氏の御逝去を機に、氏との約束を果たすために、如儡子の伝記研究に着手したのである。

私は、研究の手順として、
作品研究 → 作者の伝記研究 → 再び作品研究
このような計画を立てていた。
私は、伝記研究の方法を検討していたが、従来の方法から脱したいと考えた。

■伝記研究の方法
私も、井関隆子、鈴木重嶺、鹿島則文、鹿島則孝、飯田龍一、等の歴史上の人物の伝記研究では、従来の方法で執筆してきた。しかし、この方法では、科学として考えた時、十分とは思えなかった。そこで打ち出したのが、如儡子の伝記研究の方法である。
•如儡子(斎藤親盛)調査報告〔1〕深沢秋男(『文学研究』67号 1988年6月)
•如儡子(斎藤親盛)調査報告〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』4号 1988年12月 )
•如儡子(斎藤親盛)調査報告〔3〕深沢秋男(『文学研究』68号 1988年12月 )
•如儡子(斎藤親盛)調査報告〔4〕 深沢秋男(『文学研究』70号 1989年12月 )
•如儡子(斎藤親盛)調査報告〔5〕深沢秋男(『文学研究』78号 1993年12月)
•如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔1〕深沢秋男(『近世初期文芸』27号、2010年12月)
•如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』28号、2011年12月)
•如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔3〕深沢秋男(『近世初期文芸』29号、2012年12月)
•如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔4〕深沢秋男(『近世初期文芸』30号、2013年12月)
•如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔5〕深沢秋男(『近世初期文芸』31号、2014年12月)

■伝記資料のランク付け

 我々が過去の歴史上の人物の伝記を作成する場合、さまざまな資料を使う。私は、かねがね、伝記資料を次のように区分すべきではないか、と考えていた。

 第一資料 過去帳・位牌・墓石
 第二資料 本人の作品・著作・自筆の記録類
 第三資料 公的記録(幕府の史料、藩の史料、市町村の記録、棟札、地図等)
 第四資料 父・子・先祖・子孫・親族・友人・知人等の関連資料
 第五資料 軍記・軍書・物語
 第六資料 その他

このように区分して、出来るだけ、各々を混合せずに活用するように努力してきた。また、伝記資料は、原資料を出来る限り、手を加えず、資料全体を写真や翻刻で定着するように努力してきた。「如儡子(斎藤親盛)調査報告」として公表してきたのは、そのためである。出来得る限り信頼できる資料に基づき、これらの資料に資料批判を加えて、これらに基づいて骨格を組み上げ、その他の資料で肉付けしたいと願っている。しかし、これは、言うは易く、実行するは誠に大変な事で、未だに思うような水準までたどりついてはいない。
ただ、平成30年7月、斎藤家の初代、如儡子の祖父、斎藤光盛の出自を、新潟県東蒲原郡阿賀町赤岩である、と推測する説を提出できたのは、誠に僥倖であった。多くの方々の協力があっての事ではあるが、事実への肉薄を願う執念に対して、天が与えてくれた御褒美だと、思っている。

●さて、斎藤豪盛氏との初対面は、昭和62年8月6日、二本松市松岡の松岡寺であった。初めて、斎藤家の墓所へお参りした。この時、斎藤氏の御配慮で、漆間瑞雄氏、大隈正光氏、渋谷信雄氏ともお会いすることができた。以後、如儡子の伝記研究で、多くの御指導を賜わることになる。
●斎藤氏は、名刺代わりだと言って、二本松から、山形を経て、御自宅の長井市へ案内して下さり、斎藤家の仏壇にお参りさせて下さった。長井に1泊し、次の日は、出羽三山を越えて、日本列島を横断し、鶴岡、酒田まで案内して下さった。酒田では、田村寛三先生を紹介して下った。
●以後、私は、ほとんど毎年の夏休みを利用して、二本松、鶴岡、酒田へ調査にでかけたが、斎藤氏とも何回も調査した。羽黒山の宿坊に一週間泊まって、出羽三山の調査をしたこともある。

●平成27年(2015)6月23日、斎藤氏は、私たち夫婦を招待して下さった。斎藤氏御夫妻と4名で、郡山、松島遊覧、二本松(斎藤家墓所参詣)、蔵王温泉宿泊、米沢、と回って、4名で、往時を語りあった。斎藤氏の奥様は、武家の主婦として、万事控えめではあるが、斎藤氏を全面的に支えておられる。
●仮名草子『可笑記』の作者、如儡子・斎藤親盛の伝記を研究する私にとって、その御子孫の斎藤豪盛氏に出会えたのは、奇跡と言ってもいいことで、30年間にわたって、共に斎藤家の調査を実施できたことに対して、心から、感謝している。

●本年、平成30年12月発行予定の『近世初期文芸』35号に、斎藤家初代、斎藤光盛の出自に関して、長年あたためてきた新説を提出できるのも、斎藤豪盛氏の協力があったからである。感謝、感謝、また感謝である。

■斎藤家墓所

■斎藤豪盛氏の愛車 白色のセルシオ 斎藤広盛は、奉行時代、白馬で駆け回ったか

大阪学院大学講義 「武士道」

大阪学院大学講義「武士道」
2018.09.24 Monday

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1000709201
講義名 教養特別講義(武士道)201
開講責任部署 大阪学院大学
講義開講時期 後期
講義区分 講義
基準単位数 2
時間 26.00
開講年度 2018
配当年次 1
曜日講時 月2

担当教員

氏名
◎ 笠谷 和比古
郡司  健
横山 輝樹

講義(演習)テーマ
武士道とは何であるのか、理想の武士像とはいかなるものであるのかを考える
講義(演習)概要
誰もが一度は耳にしたことのある「武士道」とは、かつてこの日本に存在した武士たちが自らを律する規範として育んできた思想であるが、同時に、現代の日本に生きる我々の心の奥底にも脈々と受け継がれている思想でもある。すなわち、武士道を知ることは現代の日本社会を考える上で重要な要素なのである。
この講義では、『甲陽軍鑑』や『葉隠』といった武士道の代表的な史料を題材として、武士道なる思想とはいかなるものであったか、その理想とする武士像とはいかなるものであったかを明らかにしていきたい。

到達目標
1、武士の誕生とともに形成された武士独自の規範・道徳が、「武士道」として昇華していく過程を理解する。
2、社会の変容とともに武士道思想の説く武士の規範・理想像がどのような変化を遂げたのかを理解し、各時期の武士道思想の特徴を把握する。
3、武士道の現代的な意義、つまり今を生きる我々にとって武士道がどのような意味を持つのか、自分なりの答えを見出す。

講義スケジュール(授業計画)
回 内容
第1回 武士道 ― 講義のプランと課題
第2回 武士の誕生・発展と「もののふの道」「弓矢とる身のならい」
第3回 17世紀の武士道・1(高坂昌信・小幡景憲編『甲陽軍鑑』)
第4回 17世紀の武士道・2(小笠原昨雲『諸家評定』)
第5回 17世紀の武士道・3(如儡子『可笑記』)
第6回 18世紀の武士道・1(山本常朝『葉隠』)
第7回 18世紀の武士道・2(大道寺友山『武道初心集』)
第8回 武士道の諸相・1(武家屋敷駆込慣行、仇討ち)
第9回 武士道の諸相・2(庶民への伝播、影響)
第10回 武芸の発展・1(武芸奨励)
第11回 武芸の発展・2(武芸と武士道)
第12回 幕末の軍制改革、幕末・明治の武士道
第13回 武士道の現代的意義

評価基準・方法
定期試験 : 0 %
レポート : 50 % 題目については講義内で指示します。
日常点 : 50 % 随時小テストを実施します。

テーマについては講義内で指示します。レポートは採点後に返却します。
その他 : 0 %

授業外学習の指示
教科書を読んで予習習をしておいて下さい(合わせて1時間)。
 ※次の講義の該当箇所については講義の最後に指示します。
 ※第1回の講義の前に序章を読んでおいて下さい。余裕のある人は教科書を全部読んでおいて下さい。

修上の注意
私語をはじめとして周りの迷惑となる行為、講義の妨げとなる行為は一切禁止します。
武士道の説く規範や道徳について、自分であればどう考えるか、この視点が大切です。単に覚えるというだけに留まらない姿勢を求めます。

オフィスアワー
笠谷・郡司担当回→4月に学生ホームページに掲載する。
横山担当回→第1・3・5週の講義後に教室で受け付ける。

教科書
笠谷和比古『武士道の精神史』(ちくま新書、2017)

参考文献
笠谷和比古『武士道―侍社会の文化と倫理―』(NTT出版、2014)
横山輝樹『徳川吉宗の武芸奨励―近世中期の旗本強化策―』(思文閣出版、2017)
 ※この他の参考文献については講義中に指示します。
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●大阪学院大学では、教養特別講義として、武士道を取り上げ、その中に、『可笑記』も組み込まれている。担当者は、笠谷和比古氏である。笠谷氏は、日本の武士道を論じた画期的な研究で、初めて如儡子の『可笑記』を取り上げられた。浪人になって、厳しい生活の中でも、武士としての誇りを忘れず、庶民のために、著作活動を続けた、〔武心士峯居士〕も喜んでいると思う。寝転んで古典を読むような、態度では、この意義は理解出ないだろう。

如儡子・斎藤親盛の墓

如儡子・斎藤親盛の墓所
2018.09.24 Monday

■松岡寺の斎藤家墓所(第一次改葬)

●松岡寺の墓所は、本堂に向かって左手にある。墓地へ登って行くと、入ってすぐ右手に花沢家のお墓があり、その奥に斎藤家の墓地がある。お墓に向かって右手に観音堂があり、左隣には、手前に高橋家、その奥に阿部家の墓がある。つまり、斎藤家は二軒分に近い、広い墓地である。何故、このように広いのであろうか。
●斎藤家の墓地は、昭和44年、第12代・源覇(興盛)が没した時、先祖代々の墓石44基を整理して改葬したという。その時、44基の墓石は白布に包み、墓の中に埋めたと、現在の当主・豪盛 (輝利)氏は仰る。如儡子の伝記を研究する私は、その埋められた墓石を是非とも見て調査したいと切望した。間口は、4m55cm、奥行きは8m22cmである。墓石はどのように埋められているのであろうか。

■墓石の位置の疑問点

●斎藤家の墓石は、第一次改葬以前は44基あり、当然のことながら、墓石は周囲に並んでいた。しかし、墓所の左右中央で、奥行きは中央よりやや奥に、一段と大きな墓石があり、これが最も古いもので、斎藤家では、「お姫様のお墓」と言い伝えてきたとの事である。現在の当主・豪盛氏は、これが如儡子の母(東禅寺氏)の墓ではないかと推測しておられる。
●それにしても、お墓の中央で、やや奥に建てられている、この墓石の位置は、いかにも不自然である。推測するに、斎藤家の墓は、最初の奥行きはこの母の墓石の所までであり、その後、その奥の山を切り拓いて拡張したため、母の墓石がこの位置に残されたのではないか、と推測される。
●おそらく、二本松に移住した如儡子は、妻あるいは娘の他界に直面し、創建間もない松岡寺を菩提寺に定め、すでに江戸在住中に他界していた、母を供養し、大きな自然石の墓石を、左右中央の一番奥に建てたのではないかと思われる。

■墓所の大改葬(第二次)

●平成4年、斎藤豪盛氏から、墓所を全面的に掘り起こすので、立ち会ってもらいたい、という連絡をもらった。私は涙が出るほど感激した。3月27日、長井市から大勢の人が来て、墓所の全面的な発掘作業が開始された。私も同じホテルに泊まって立ち会い、逐一写真に記録した。改葬は5月10日にほぼ完了した。
●発掘されたお骨は、新しい骨壷に納め本堂に安置して供養した。墓石は、全て水で洗い清め、石の種類別に分類して調査したが、軟質の墓石は表面が削りとられ、硬質の墓石は細かく破砕されていた。残された刻字から推測できたのは、3名に過ぎなかった。墓石全体を見ても、44基を埋葬したとはとても思えない。昭和44年に改葬した業者に連絡しても、来てはくれなかった。昭和44年の改葬の時、私も立ち会っていたら、こんな結果にはならなかったであろう。悔やまれてならない。
●先祖代々の骨壷は本堂で供養され、墓石は洗い清められ、斎藤家一族の方々の写した写経と共に、再び墓域内に埋葬された。
●私は一部始終の作業に立会い、記録し写真を撮った。密かに、墓石の破片の一つをもらい、如儡子の伝記研究をしている机の上に置きたい、と思った。しかし、それは、伝記研究を志す者の態度としては不遜であると反省し、思い止まった。

■第2次改葬の様子

如儡子の墓所

如儡子の墓所
2018.09.23 Sunday

●今、如儡子・斎藤親盛のお墓の事を再確認している。念のためグーグルの航空写真で確認したら、見事に見る事ができた。斎藤家の墓は、松岡寺の本堂から墓所に入って、すぐ右手にあるが、間口=4メートル55センチ、奥行き=8メートル22センチである。他の家の倍ほどの広さである。航空写真で見ても、その広さがわかる。松岡寺の墓所全体を空から見ると、空地が目立つ。やはり、現在の、お墓離れの現象だろう。
●松岡寺は、寛文4年(1664)に、二本松藩主・丹羽光重の許可を得て創建された。臨済宗妙心寺派、開山は太嶽祖清禅師である。斎藤親盛は、延宝2年(1674)に没した。72歳だったようだ。法名は「武心士峯居士」俗名斎藤以伝。
●思えば、大学3年の時、仮名草子『可笑記』に出会って、その解明に取り組んできたが、ようやく伝記をまとめる段階になった。まとめられるか否か、寿命のこともあって、不安は残るが、決して急がない。完成するかしないかは、天命である。ここまで研究を継続できて、感慨深いものがある。

■松岡寺の墓所

『可笑記大成』 1000円

『可笑記大成』 1000円
2018.09.11 Tuesday

●今日、神田の古書店から『可笑記大成ー影印・校異・研究』を、1000円で購入した。もう、45年程前に出した本である。定価は、10000円。文部省の出版助成を受けて出した。新人の私を、田中伸先生の御配慮で、共編著者に加えて下さったものである。
●その後の古書価は、3万、4万と高かったが、現在は、かなり安くなった。安くはなったけれど、1000円には驚いた。で、早速購入した。現在の古書価を検索したら、以下の如くである。
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●可笑記大成影印・校異・研究
¥9,000
田中/深沢/小川、風間書房、昭和49、1
●可笑記大成 影印・校異・研究
¥4,000
田中伸・深沢秋男他編著、昭49、1冊
●可笑記大成 影印・校異・研究
¥3,500
田中伸他 笠間書院、昭49、1冊
●可笑記大成 影印・校異・研究
¥4,320
田中伸/深沢秋男/小川武彦 編著、
●可笑記大成 : 影印・校異・研究 <可笑記>
¥3,800
如儡子 著 ; 田中伸, 深沢秋男, 小川武彦 編著、笠間書院、昭49、
●可笑記大成:影印・校異・研究
¥6,480
田中伸他、笠間書院、昭49、1
●可笑記大成―影印・校異・研究―
¥10,000
田中伸・深沢秋男・小川武彦編著、笠間書院、昭和49、1
●可笑記大成 -影印・校異・研究-
¥2,700
田中伸、深沢秋男、小川武彦、笠間書院、1974、1

足立区立千寿第八小学校 『可笑記』

足立区立千寿第八小学校 『可笑記』
2018.09.08 Saturday

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“あいさつ”について学ぶ
                                校長 中田眞由美
 【前略】
 本校では、登校班ごとに行う「朝のあいさつ運動」やPTAの方々による「1008あいさつプロジェクト」を継続実施しています。毎朝校門で立っていると、気持ちのよいあいさつをする子、力いっぱい大きな声を出す子、目礼をする子等、様々です。一日の始まりにふさわしい「おはようございます。」という元気な声を聞くと、さわやかな気持ちになります。まず、勇気を出して、しっかりとした声であいさつすることが大切です。
 さらに、時と場合を考えたあいさつができるようになるとすばらしいです。先人の教えに、 『礼儀と云うは、むかいの人によっておこない、時にしたがっておこなう、万事一ぺんに心得べからず。』(如儡子「可笑記」)があります。礼儀というのは、相手の様子や周りの状況などによって、時に応じて行うものであり、すべて同じ型がよいわけではないということです。
 礼儀の基本は、“あいさつ”です。あいさつは人と人との心を通い合わせ、コミュニケーションを図るもとになります。学年が上がるにつれ、状況に応じて、声の強弱はもちろんタイミングや間の取り方も考えてあいさつをする子供に育ってほしいと願っています。

 そこで、第3回の課題詩暗唱は、詩ではないのですが、江戸時代前期の仮名草子「可笑記」にある前述の一節にしました。(東京都教育委員会発行【東京都道徳教育教材集 小学校3・4年生版「心しなやかに」】の第一章「先人のことばに学ぶ」にも掲載されています。)

礼儀と云うは、むかいの人によっておこない、時にしたがっておこなう、
万事一ぺんに心得べからず。    如儡子 「可笑記」

 7月21日から、夏休みが始まります。多くの方々との交流や体験の中で、“あいさつ”について学ぶ夏休みであってほしいと思います。保護者・地域の皆様には、7月、8月も多方面でお世話になりますが、益々のご支援ご協力の程よろしくお願い申し上げます。

(『千八小だより』平成28年7、8月 NO4)

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