麒麟山 〔紅葉〕

麒麟山 〔紅葉〕

  • 2020.01.24 Friday
麒麟山 〔紅葉〕

●昨日、新潟県東蒲原郡阿賀町赤岩の斎藤家総本家の御当主から、すごいプレゼントを頂いた。阿賀町津川の銘酒 麒麟山酒造の「紅葉」である。ケースの箱の上には「丸に」の紋所が入っている。

●仮名草子『可笑記』の著者・斎藤親盛の祖父、斎藤光盛の本貫の探索を開始してから30年、親盛の後裔、齋藤豪盛氏の協力も頂いて、1昨年、ようやくたどり着いた。それが、東蒲原郡西山日光寺辺の齋藤一族だったのである。一族は、やがて、西山日光寺の山岳地帯から、阿賀野川辺の赤岩地区に移動した。武士から農民に降ったこととも関連している推測される。400年前のことである。

●私が、『可笑記』絵入本の、「昔さる人」の背中の紋所「丸に」に注目したのは、何と、学部の卒論の時だった。60年前のことである。それが、研究生活の最終盤の今、大きな展開を見せたことになる。

●ここ、5、6年、私は家庭に縛り付けられて、外出もできず、電車に乗る事もできなかった。そんな状況の中で、新潟県東蒲原郡、阿賀野川沿いの赤岩地区の、齋藤姓、21軒にたどり付いたのである。この齋藤家の分家が、麒麟山酒造を創業された。

●私は酒が飲めない。頂いた銘酒〔紅葉〕は、書斎に飾って、ライフワーク『如儡子・齋藤親盛の研究』の完成を目指したい。この様に恵まれた研究人生は、そうは無いだろう。感謝、感謝、の思いをこめて、取り組んでゆきたい。

。。。。。。。。。。。。。。。。

■平成26年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題

■平成26年度京都府公立高等学校入学者選抜のための学力検査に『可笑記』が出題された。平成23年に続いて、平成26年度も出題された。

●私は、大学2年の終りの頃、『徳川文芸類聚』でこの作品を初めて読んで、私自身、大変勉強になると思ったし、殊に、その批判的要素には感激した。それで、卒論に選び、以後、ずっとこの作品と作者について研究してきた。この作品やこの作者・如儡子、斎藤親盛は、決して軽く見るべきではなく、日本文学史の上でも、それなりの位置を占めるものと思う。その意味でも、平成23年に続いて、今回も出題されたことに感謝する。今回の出題は、巻3の25段から出題された。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『可笑記』巻3の25段は、寛永19年版11行本では、次の如くである。
振り仮名は省略した。

▲むかし、弘法大師、諸国を修行有しに、江州すりはりとうげにて、
一人の老翁が、斧を石にあてゝひた物すりまはるあり。
弘法、御覧じて、
いかに翁殿、其斧をすりて、何にし給ふ。
翁答て、
針に仕る。
弘法、からからと、わらひて、
扨、いつの世にか、其をのをすりほそめて、針にし給ふべき。其をのよりは、
そなたの命こそ、はやく、すりへるべけれ。
翁、かしらをあげて、弘法の御かほを、つやつやと、まもり、
なふ御坊、其心中にては、学文成がたし。それ、世間の無常老若、さだめが
たし。其上、事をつとめんに、命期しられざるとて、むなしく、やむべけん
や。さあらば、さいふ法師の修行も、無益成へし。
と云に、弘法、あつと心付給へば、この翁、
我は、是、此山の神。
とて、光をはなちて、飛給ふ。すりはりの大明神、是也、と。


『斎藤親盛伝記資料』 中国から ?

『斎藤親盛伝記資料』中国から ?

  • 2020.01.19 Sunday
  • 23:32
樂淘letao – 海外代標代購第一品牌樂淘letao – 海外代標代購第一品牌
關鍵字、商品ID或網址您好,請登入 免費註冊 我要匯款 LINE客服 購物車0
01/14春節客服時間異動 最新公告 客服留言 會員開箱分享 服務說明
反詐騙提醒 開車自取免費停車一小時
日本Yahoo拍賣 > 圖書、雜誌與漫畫 > 文學、小說 > 日本文學研究
【非売品・稀少】『 斎藤親盛(如儡子)伝記資料 』深沢秋男 著 近世初期文芸研究会 平成22年 ○江戸初期 文芸 仮名草子 可笑記
加入比較列表 加入追蹤清單 加入備註

商品數量
:1
起標價格
:3580円
最高出價者
: 無
開始時間
:2020年01月19日 21時43分(台灣時間)
結束時間
:2020年01月20日 21時43分(台灣時間)
拍賣編號
:m330599880
商品新舊
:在描述中說明
自動延長
:有
認証限制
:否
提前結束
:有
可否退貨
:否
出價次數 記錄
0

剩餘時間 詳細
23:17:01
目前出價
3580円 NT989元
賣家資訊
ID: naancity
評価: 100.0% (2005 – 0 )
賣家所有商品
拍賣問與答(0)
開啟原始網頁
收藏此賣家 加入我的黑名單
商品資訊
◎消費稅:
不需要
◎商品所在地:
東京都 地圖
◎日本當地運費:
買方付運費(可否同捆請查看頁面說明)
發送方式- 參考(依賣家寄送為主):
クリックポスト – 188円
レターパックライト – 370円
レターパックプラス – 520円
常見問題
海運、空運商品限制規定
無法進口商品列表
收到商品有問題該怎麼辦?
其他常見問題
商品說明
問與答(0)
費用試算

松岡寺 墓所入口石段補修

松岡寺 墓所入口石段補修

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 13:31
松岡寺 墓所入口石段補修

●二本松市の松岡寺の墓所は広大である。本堂に向かって左側にある。羅漢堂を過ぎると、左下に累代御住職の墓所があり、更に石段を登ると、諸家のお墓がある。途中、右手に羅漢堂へ登る石段がある。

●その登り坂の石段(図版の●印)が、風雪によって崩れた。この度、齋藤家、第13代・齋藤豪盛氏はこの石段の補修を寄進された。大変な工事だったと思うが、これからは、お墓参りする方々は、安全に通行できる。

●今日、長井市の齋藤豪盛氏から、補修完了後の写真を頂いた。齋藤家の御先祖様のみならず、松岡寺の墓所の皆さん、喜んでおられると思う。

●私の、如儡子・斎藤親盛の伝記研究は、御子孫、齋藤豪盛氏の御協力が無ければ、ここまで進める事は不可能であった。このような、御子孫にめぐり合えたことを、心から感謝申上げる。


ウィキペディア 【斎藤親盛】更新

ウィキペディア 【斎藤親盛】 更新

  • 2020.01.13 Monday
  • 06:36
斎藤親盛

。。。。。。。。。。。。。。。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 親盛(さいとう ちかもり、慶長8年(1603年) – 延宝2年3月8日(1674年4月13日))は、江戸時代前期の武士、文人・仮名草子作者。通称は清三郎。筆名如儡子(にょらいし)。幼名は清三郎、俗名斎藤以伝、法名武心士峯居士。墓は、福島県二本松市の松岡寺(臨済宗妙心寺派)。

概要

斎藤家初代光盛は、越後国、西山日光寺辺(現在の、新潟県東蒲原郡阿賀町払川)の出身と推測される。出羽の国(山形県)に移り、藤島城(山形県藤島町、現在は鶴岡市)の城代を務めたとされている。父は、斎藤家2代広盛。出羽山形藩最上氏家臣、母は東禅寺勝正の妹。清三郎は領内の酒田筑後町に生まれた。藩主の最上家親に近侍して、一字を賜り「親盛」と称した。元和8年(1622年)の最上氏の改易で浪人となり、父と共に、祖父光盛の出身地越後へ行くことになったが、父の急死で、母と共に越後へ行く。やがて江戸に出た。一時、西国大名に仕えたり医師をして生計をたてた。

その高い教養を生かして文学作品を執筆し、仮名草子の傑作『可笑記』で評価を得る。他に『百八町記』や俳諧作品、『砕玉抄』(百人一首の注釈書)がある。また、諸大名を批評した『堪忍記』もある。

万治3年(1660年)に長子の秋盛が陸奥二本松藩主の丹羽光重に仕官したことから、同地に移住して没した。

参考文献

『日本人名大辞典』、講談社、2001年
『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞社、1994年

『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』、深沢秋男、近世初期文芸研究会、2010年
『如儡子百人一首注釈の研究』、深沢秋男、和泉書院、2012年
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔1〕深沢秋男(『文学研究』67号 1988年6月)
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』4号 1988年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔3〕深沢秋男(『文学研究』68号 1988年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔4〕 深沢秋男(『文学研究』70号 1989年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔5〕深沢秋男(『文学研究』78号 1993年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔1〕深沢秋男(『近世初期文芸』27号、2010年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』28号、2011年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔3〕深沢秋男(『近世初期文芸』29号、2012年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔4〕深沢秋男(『近世初期文芸』30号、2013年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔5〕深沢秋男(『近世初期文芸』31号、2014年12月)
如儡子の祖父、斎藤家初代光盛の出自 深沢秋男(『近世初期文芸』35号、2018年12月)
典拠管理
WorldCat IdentitiesVIAF: 313456972
カテゴリ: 江戸時代の随筆家山形藩士二本松藩士1603年生1674年没

。。。。。。。。。。。。。。。。。

●今日、ウィキペディアの〔斎藤親盛〕の項目を、このように更新した。私の研究を盛り込んだのである。

●斎藤家初代、斎藤光盛の出自に関しての、推測を追加した。

1年前の、斎藤親盛伝記研究

1年前の状況

  • 2019.11.26 Tuesday
斎藤筑後守広盛

●FBのコメントから、昨年の研究の状況がわかる。これらの資料を使用して、斎藤家の伝記を執筆した。現在、伝記研究は、ほぼ脱稿した。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

2018年11月26日 13:59 ·
斎藤筑後守関係資料
2018.11.26 Monday

●このところ、如儡子・斎藤親盛の伝記資料の整理をしている。二本松関係の整理が終わって、今、酒田・鶴岡関係資料を再検討している。現役の頃は、毎年毎年、二本松、酒田・鶴岡・藤島の調査に出かけていた。

●昭和63年(1988)8月17日~21日、羽田 → 庄内空港 → 酒田。田村寛三先生とお会いして、一条八幡神社へ。何と、酒田市で車を出して下さった。私は、毎回、あらかじめ、バス路線図を確認して出かけているが、このような御配慮にあずかることもあった。

●一条八幡神社では、如儡子の父、斎藤筑後守広盛の自筆文書を閲覧することが出来た。最初は、明治時代の転写本の閲覧だけという条件だった。この転写本が、極めて忠実なもので、虫損、汚れまで、詳細に写されていた。書写者の歴史史料への認識がすごい。

●宮司の小野宏司氏と、田村先生と、私と、様々話し合ううちに、小野氏は、席を外され、斎藤筑後守の自筆文書を書庫から出して来て下さった。そうして、閲覧を許され、その上、写真撮影も許可して下さったのである。

●これが、如儡子の父の筆跡か。その時の感激は、忘れることが出来ない。私の斎藤親盛の伝記研究は、このような、多くの方々の御高配によって進められたのである。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


令和版『可笑記』

令和版『可笑記』

  • 2019.11.25 Monday
令和版『可笑記』

●山形新聞、2019年11月8日付の〔談話室〕、如儡子・斎藤親盛を取り上げていた。御子孫の、斎藤豪盛氏に依頼して、コピーを送って頂いた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

山形新聞 2019年11月8日〔談話室〕

▼▽日本で木版印刷術が急激に発達した江戸初期、仮名書きの書物「仮名草子」が流行した。「可笑記」もその一つである。多彩な分野の本が出版される中、「徒然草」に倣った随筆風の世相批判で広く人気を集めた。
▼▽浪人・如儡子の筆による。仕官がまならぬ立場故か、身分や欲得などにまつわる人生訓はひねたおかしみをまといながらも極めて鋭い。例えば他人からの贈り物について。「この品物を受け取る正当な理由があるか否か」を直ちに判断することをおろそかにするなと説く。
▼▽それを怠れば欲が生じて、受ける理由のない贈り物を受け取り後悔することになるだろうーと続く。某電力会社の幹部たちには遅すぎる警句か。さてこの如儡子、本名を斎藤親盛といい元は最上家の家臣だった。最上家の改易に伴って流転の末に、江戸で文才を開花させた。
▼▽可笑記の跋文には、若者の読書離れを憂え、書物に親しむ糸口になることを願って書いた旨が記されている。文化庁の直近の世論調査で67%強が「読書量が減っている」
と答えた。可笑記の初版から約380年。如儡子のことだ、冥府で令和版を執筆しているかもはれない。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【はてなブログタグ】 〔堪忍記〕

【はてなブログ・タグ】  〔堪忍記〕

  • 2019.11.23 Saturday
【はてなブログタグ】  〔堪忍記〕

堪忍記    (深沢秋男執筆)

★浅井了意の『堪忍記』ではなく、如儡子の『堪忍記』

(一般)

【かんにんき】
堪忍記(かんにんき)

諸大名の藩主・石高・内情等を記し、批評したもの。写本、1冊。

【注】この『堪忍記』は、浅井了意の版本『堪忍記』とは別の、斎藤親盛(如儡子)の写本『堪忍記』である。

著者・編者

この著書には、著者名・編者名は記されていない。棚倉藩士・上坂平次郎(三休子)の『梅花軒随筆』に「……儒者斎藤意伝浪人して後、可笑記、百八丁記……、堪忍記抔を作りけるゆへ、かへつて用ひられざりしとなり。」とあり、本書の序・記述内容・批評態度・文体等を考慮すると、藩主名・石高などの基本的な資料を入手した著者が、批評などを付加したものと推測される。如儡子・斎藤親盛は、浪人中に、短期間ではあるが、さる西国大名の祐筆を勤めたことがあるという。そんな関係もあって、このような諸大名を鳥瞰する如き基礎資料に接する事もあり、これを利用して、本書を作ったのではないか。その意味では、如儡子は編著者くらいが妥当のように思う。

成立

松平文庫本(松平宗紀氏蔵、福井県立図書館保管)の内題の下に「私ニ云正保ノ比出来歟」とある。収録主要藩主の着任・離任の年を検討した結果、正保元年前後の4年間の歴史的事実を基にして作られたと推定される。松平文庫本(A)は、正保2年(1645)、内閣文庫本(B)は、正保4年(1647)の成立と思われる。

内容

松平文庫本(A)は、110の藩について、知行高・藩主・藩名・知行・物也・家臣の勤務条件・藩主に対する評価などが記され、内閣本(B)には、106の藩について、さらに、序・室・子息・家紋・旗印・江戸屋敷・家老の名等が記されている。
特色
江戸時代、諸大名の国名・知行高・物成・江戸屋敷などを記し、その主君の人となり、家臣の使い方などを批評したものに、『武家諫忍記』『武家勧懲記』『土芥寇讎記』などの類書がある。如儡子の『堪忍記』は、それらの中では、最も早い時期のものであり、また、諸大名に対する批評も厳しいものがある。『可笑記』の作者にふさわしい、批判精神旺盛な著者の特色が出ている。

諸本

1、 松平文庫所蔵本(松平宗紀氏蔵、福井県立図書館保管)。写本、半紙本、1冊。26丁。表紙は本文紙と共紙で、中央上部に「堪忍記 全 百十人」とある。内題は「堪忍記」とあり、その下に「私ニ云正保ノ比出来歟」とある。記述体裁は、110の大名について、知行高・姓名・藩名・物成・米払いの良否・年貢率・国役・江戸詰の良否・家中の風儀・主人の善悪等について簡略に記す。
2、 国立公文書館蔵、内閣文庫・和学講談所本。写本、大本、1冊。38丁。薄茶色刷毛目表紙の左肩に子持枠題簽で「堪忍記 全」と墨書。巻頭に序がある。記述体裁は、106の大名について、知行高・姓名・官位・御前・子息・家紋・旗印・領国・居城・物成・米払いの良否・年貢率・国役・江戸詰の良否・家中の跡目取立ての有無・家中の風儀・主君の善悪・江戸屋敷・家老の姓名等について記す。
3、 国立公文書館蔵、内閣文庫・昌平坂学問所本。写本、大本、1冊。38丁。薄茶色原表紙の左肩に四周単辺題簽で「堪忍記 完」と墨書。序・記述体裁など、和学講談所本と同様である。本書は、内閣文庫の蔵書目録に、昌平坂学問所本とされているが、「秘閣図書之章」の蔵書印があること、その他の点から、紅葉山文庫の旧蔵という可能性もある。

翻刻
1、 松平文庫本 堪忍記(深沢秋男校訂、『近世初期文芸』第6号、平成元年10月)。
2、 内閣文庫本 和学講談所本・昌平坂学問所本(深沢秋男校訂、『近世初期文芸』第7号、平成2年12月)。

参考

「斎藤親盛(如儡子)の研究」→http://www.ksskbg.com/nyorai/nyorai.html

。。。。。。。。。。。。。。。。。

この解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

【はてなキーワード】の〔如儡子〕

【はてなキーワード】の〔如儡子〕

  • 2019.11.12 Tuesday
【はてなキーワード】 の〔如儡子〕

如儡子

(一般)
【にょらいし】
如儡子(にょらいし)

仮名草子作者。「如儡子」の読みは「にょらいし」が正しい。姓は斎藤、字は清三郎(せいざぶろう)、本名は親盛(ちかもり)、号は以伝、法名は武心士峯居士。慶長8年(1603)頃出生、延宝2年(1673)3月8日没。酒田(山形県)の筑後町に生れる。父の広盛は最上家親に仕え、川北三奉行の職にあった。清三郎も家親に仕え、主君から一字を賜り、親盛の名を許された。元和3年(1617)に主君・家親が急死し、最上家57万石は没収され、1万石になってしまう。最上家の後には酒井家が入ったが、広盛・親盛の父子は、酒井家に仕えず、浪人となる。浪人になった親子は、一時、祖父・光盛の出身地越後(新潟県)に行くが、間もなく父が急死し、親盛は、やがて江戸へ出る。江戸へでてから、ある大名の祐筆を務めたが長続きせず、再び浪人となる。やがて、医者となり、越後から妻子を呼び、細々と生計をたてる。万治3年(1660)に子の秋盛(ときもり)が二本松(福島県)の丹羽光重に仕えることになり、二本松へ移住する。晩年の約15年間は二本松で俳諧などを楽しみ、その生涯を閉じた。享年72歳か。亡骸は二本松の神龍山松岡寺(臨済宗妙心寺派)に葬られた。
如儡子・斎藤親盛は、18歳ころまでは、酒田の奉行の子として勉学に励み、主君・最上家親に側近く仕えたが、最上家転封の後は浪人となり、貧しい生活を送った。そのような厳しい生活の中でも、武士としての誇りをもって著作活動に励んだ。

【著作】

◎ 『可笑記』(かしょうき) 5巻5冊、寛永6年(1629)執筆開始、同19年(1642)11行本刊行。以後、12行本・無刊記本・絵入本と刊行され、近世初期を代表する仮名草子のベストセラーになった。『徒然草』や『甲陽軍鑑』を利用して著作した随筆的な仮名草子である。内容的には批判精神の横溢したもので、作者の思想や生き方がよく盛り込まれている。浅井了意はこの作品に批評を付加した『可笑記評判』を著し、以後、『続可笑記』『可笑記跡追』『新可笑記』『一休可笑記』『歎異抄可笑記』『後前可笑記』『前句付可笑記』『後可笑記』などの作品が、著された。
◎ 『砕玉鈔』(さいぎょくしょう) これは、『百人一首』の注釈書で、寛永18年(1641)頃には成立していたものと推測される。武蔵野美術大学図書館に原本が所蔵されており、書写年代も近世初期と推測され、著者の自筆本の可能性がある。内容的には、易しく『百人一首』を解説したものである。この原本を書写した諸本が多く伝わっている。
◎ 『堪忍記』(かんにんき) これは、近世初期の諸大名の石高や藩の内情を記し批評を付加したもので、成立は、正保2年(1645)頃と推測される。この種の類書の中では最も早い成立で、貴重な著作である。このような、膨大な全国の大名の情報が、浪人の著者に収集できるものではなく、如儡子は、ベースになる情報を、何らかの方法で入手し、それに批評を付け加えたものであろう。福井県立図書館の松平文庫本と内閣文庫・2本の3点が伝存している。
◎『百八町記』(ひゃくはっちょうき) 5巻5冊、明暦元年(1655)の序があり、寛文4年(1664)に京都の書肆中野道判から出版された。儒教・仏教・道教の三教一致を主張した著作である。一里三十六町、三里で百八町という書名の付け方である。内容的には仏教に重点がおかれていて、晩年は仏道(臨済宗)に帰依した著者をみる事ができる。
◎ その他、晩年の俳諧作品が多く遺されている。

【参考文献】

◎ 田中伸「『可笑記』の研究」(『仮名草子の研究』桜楓社、昭和49年)
◎ 野間光辰「如儡子系伝攷」(『近世作家伝攷』中央公論社、昭和60年)
◎ 深沢秋男「如儡子(斎藤親盛)調査報告(1・2・3・4・5)」(「文学研究」「近世初期文芸」昭和63年〜平成5年)
◎深沢秋男『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』(近世初期文芸研究会、平成22年)
◎深沢秋男『如儡子百人一首注釈の研究』(2012年3月20日、和泉書院発行)
◎「齋藤筑後守記念碑」が、山形県酒田市、上日枝神社境内に建立された(平成23年10月23日)。詳細は → http://www.ksskbg.com/nyorai/nyorai.html

■「斎藤親盛(如儡子)の研究」→http://www.ksskbg.com/nyorai/nyorai.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

山形藩士 → 斎藤親盛

山形藩士 → 斎藤親盛

  • 2019.11.09 Saturday
山形藩士 → 斎藤親盛

●【ウィキペディア】 で「山形藩士」を検索すると、「さ行」に「斎藤親盛」が出てくる。山形藩57万石が改易となり、20歳位の、斎藤親盛は牢人となる。如儡子のペンネームで、『可笑記』 『百人一首注釈』 『堪忍記』 『百八町記』 等の著作を遺し、晩年は多くの俳諧作品を詠じている。

●没後345年、ネットの時代に、このように扱われると、斎藤親盛は予測していたのであろうか。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

斎藤親盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
斎藤 親盛(さいとう ちかもり、慶長8年(1603年) – 延宝2年3月8日(1674年4月13日))は、江戸時代前期の武士、文人・仮名草子作者。通称は清三郎。筆名如儡子(にょらいし)。俗名斎藤以伝、法名武心士峯居士。墓は、福島県二本松市の松岡寺(臨済宗妙心寺派)。

概要[編集]
父は出羽山形藩最上氏家臣の斎藤広盛、母は東禅寺勝正の妹。領内の酒田に生まれ、藩主の最上家親に近侍して、一字を賜り「親盛」と称した。元和8年(1622年)の最上氏の改易で浪人し、父と共に、祖父光盛の出身地越後へ行くが、父の急死で江戸に出た。一時、西国大名に仕えたり医師をして生計をたてた。
その高い教養を生かした文学作品を執筆し、仮名草子の傑作『可笑記』で評価を得る。他に『百八町記』や俳諧作品、『砕玉抄』(百人一首の注釈書)がある。また、諸大名を批評した『堪忍記』もある。
万治3年(1660年)に長子の秋盛が陸奥二本松藩主の丹羽光重に仕官したことから、同地に移住して没した。

参考文献[編集]
• 『日本人名大辞典』、講談社、2001年
• 『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞社、1994年
• 『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』、深沢秋男、近世初期文芸研究会、2010年
• 『如儡子百人一首注釈の研究』、深沢秋男、和泉書院、2012年
• 如儡子(斎藤親盛)調査報告〔1〕深沢秋男(『文学研究』67号 1988年6月)
• 如儡子(斎藤親盛)調査報告〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』4号 1988年12月 )
• 如儡子(斎藤親盛)調査報告〔3〕深沢秋男(『文学研究』68号 1988年12月 )
• 如儡子(斎藤親盛)調査報告〔4〕 深沢秋男(『文学研究』70号 1989年12月 )
• 如儡子(斎藤親盛)調査報告〔5〕深沢秋男(『文学研究』78号 1993年12月)
• 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔1〕深沢秋男(『近世初期文芸』27号、2010年12月)
• 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』28号、2011年12月)
• 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔3〕深沢秋男(『近世初期文芸』29号、2012年12月)
• 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔4〕深沢秋男(『近世初期文芸』30号、2013年12月)
• 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔5〕深沢秋男(『近世初期文芸』31号、2014年12月)


『可笑記』香川県公立高校入試に出題

『可笑記』香川県公立高校入試に出題

  • 2019.10.31 Thursday
『可笑記』香川県公立高校入試に出題

■ 平成22年度香川県公立高等学校入学者選抜のための学
 力検査に『可笑記』が出題された。

………………………………………………………………………

平成二十二年度 国語問題

問題 1 小説  村山由佳 「約束」
問題 2 古文  如儡子  「可笑記」
問題 3 論説文 渓内謙  「現代史を学ぶ」
問題 4 課題作文

………………………………………………………………………

問題 二 次の文章を読んで、あとの(一)~(五)の問い
     に答えなさい。

昔もろこし漢の文帝の御代に、一日千里をかくる名馬を進上しける時、公卿大臣、めでたき御重宝かなと申しあへりければ、文帝あざ笑ひ給ひて仰せけるは、我此の馬を重宝とは思はず、其の仔細は、我たまたま遊山なぐさみにありく時は、一日にやうやう三十里、また合戦などの時も、多くて五十里に過ぎず。かやうにそろりそろりとありきてこそ、数万の人馬も疲れず、我に続いて忠功をなす。もしまた時によつていそぐ事ありといへども、かねて疲れぬ人馬なれば、我によく続いて忠功をはげます。されば我一人千里をかくる馬に乗りたりとも、数万の人馬、千里をかけずんばあへて益なしとて、主のもとへ返し給ふ。

(注1)もろこし=昔、日本で中国を指して呼んだ名称。
(注2)漢の文帝=漢の第五代皇帝。
(注3)千里をかくる=非常に長い距離を走る。里は距離の
    単位。
(注4)公卿=朝廷に仕える高官。
(注5)仔細=事の詳しい事情。詳細。
(注6)遊山なぐさみにありく=遊びや気晴らしに出歩く。

(一)①に めでたき御重宝かな とあるが、この言葉には
  公卿大臣のどのような気持ちが表れているか。次の1~
  4から最も適当なものを一つ選んで、その番号を書け。
  1 おめでたい宝物になりますようにと祈願する気持ち
  2 すばらしい宝物でございますなあと感嘆する気持ち
  3 役に立つ宝物になるのでしょうかと困惑する気持ち
  4 ぜいたく過ぎる宝物でございますと忠告する気持ち

(二)②に 文帝あざ笑ひ給ひて仰せける とあるが、文帝
  が言った言葉はどこからどこまでか。初めと終わりの三
  字をそれぞれ抜き出して書け。

(三)③に 合戦などの時も、多くて五十里に過ぎず とあ
  るが、これはどういう意味か。それを説明しようとした、
  次の文の □□□□□ 内にあてはまる言葉を、五字以
  内で書け。
   合戦などの時であっても、自分の乗る馬が一日に□□
   □□□は、多くても五十里に過ぎない

(四)④の かやうに は、現代かなづかいでは、どう書く
  か。ひらがなを用いて書きなおせ。

(五)⑤に 主のもとへ返し給ふ とあるが、なぜ文帝は
  名馬を持ち主のもとへ返したのか。次の1~4から最も
  適当なものを一つ選んで、その番号を書け。

  1 非凡な能力を持つ珍しい馬ではあるが、持久力に劣
   るという欠点を持っているため、平凡な馬に比べ使い
   にくいから
 2 この馬は合戦の時には役立つが、平常時にはその能
  力をいかせず、平和なこの時代にはあまり必要のない
  ものだから
 3 自分ひとりが名馬に乗っても、それに家臣たちがつ
  いて来られないのでは意味がなく、価値があるとは言
  えないから
 4 自分だけが名馬を持つと、家臣の中にはそれをねた
  む心を持つ者が生まれ、自分への忠誠心が弱くなって
  しまうから
……………………………………………………………………
● この段は、『可笑記』巻4の30段である。出題にあたって、漢字仮名、送り仮名など、一部改められている。

■ 平成23年度京都府公立高等学校入学者選抜のための
  学力検査に『可笑記』が出題された。

〈各教科の特色と傾向〉の【国語】では、次のようにある。

「1 古文では、近世の文章を題材とし、内容を読み取る力
  をみるとともに、歴史的仮名遣いなどについて問い、古
  典を理解する基礎が身に付いているかどうかをみた。
 〔出典〕 「可笑記(かしょうき)」(「近代日本文学大系 第
  一巻」国民図書株式会社 より)
  如儡子(にょらいし)による、江戸時代初期の仮名草子。
  随筆風の形式をとっている。
  問題文は、人の口を出入りする「よきもの」「いたづら
  もの」と、それらの出入りに際しての態度について述べ
  た文章である。自分自身の言動にも結びつく内容を読み
  取る中で、考えを深め、古典に親しむ態度が養われてい
  くことを期待する。

 2 現代文では、(省略)」
…………………………………………………………………
一 次の文章は、「可笑記」の一節である。注を参考にして
 これを読み、問い⑴~⑸に答えよ。(12点)

  人の口は、一切善悪の出で入りする門戸なり。かるがゆゑによき番衆をすゑおきて、出入りするものどもをあらためらるべし。其のいはれは、いふまじき人のうはさをあざけり、表裏などをいひて身命をあやまつ。是れは口のうちより、外へ出づるいたづらものどもなり。又くふまじき物をくひ、のむまじき物をのみ過して、病を生じ身命をあやまつ、是れは口の外よりうちへ入るいたづらものどもなり。又金言妙句をいひ、詩歌文章のおもしろきを作りなどは、口のうちより外へ出づるよきものどもなり。又もろもろの病にくるしむ時、それぞれの薬をのみて平愈し、あるひはきかつにおよんで、水をのみ食をくらひ本復するなとは、外より口のうちへ入るよきものどもなり。かの番衆と申すは、をのれおのれが心に御座候間、よくよくこの善悪をわきまへ分別して、善をば出入り自由自在に、悪をば、出入りかたくきんぜいすべし。少しも此の番衆ゆだんしては、大事出来すべし。
             (「近代日本文学大系」による)

 注
① かるがゆゑに=だから
② 番衆=番人
③ いはれ=理由
④ 表裏=作りごと
⑤ 身命をあやまつ=身を危険にさらす
⑥ 金言妙句=立派な格言や優れた言葉
⑦ きかつ=飢えと渇き
⑧ 御座候間=ございますので
⑨ きんぜい=禁止

⑴ 本文中の 人の口は、一切善悪の出で入りする門戸なり
 は、「口」を「門戸」にたとえた比喩表現である。このように、
 比喩表現が用いられているものとして最も適当なものを、
 次の(ア)~(エ)から一つを選べ。……答の番号【1】
(ア) 今は昔、竹取の翁といふものありけり
(イ) 雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、い
  とをかし
(ウ) 沖には平家、舟をいちめんに並べて見物す
(エ) 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人
  なり

⑵ 本文中の すゑをきて・いひて は歴史的仮名遣いで書
 かれている。これらをすべて現代仮名遣いに直して、それ
 ぞれ平仮名で書け。…………………………答の番号【2】
⑶ 本文中の 出入りするものどもをあらためらるべし の
 解釈として最も適当なものを、下段の(ア)~(エ)から
 一つ選べ。………………………………………答の番号【3】
(ア) 出入りするものを改善することで新しくなさるのが
  よい
(イ) 出入りするものを吟味して善か悪か見分けなさるの
  がよい
(ウ) 出入りするものの善悪をわかりやすく説明なさるの
  がよい
(エ) 出入りするもののうち悪を善に置き換えなさるのが
  よい

⑷ 次の会話は、本文をもとに行われた、花子さんと太郎さ
 んの話し合いの一部である。これを読み、後の問い㊀・㊁
 に答えよ。
―――――――――――――――――――――――――――
 花子さん 人の口を門やとびらに見立てるという発想は
      おもしろいね。                         
 太郎さん 確かにいろいろなものが口を出入りするから
      ね。口の「番衆」として、「□□□」が果たす役
      割は重要だよ。
 花子さん そう。この「番衆」の役割は、少しの「ゆだん」
      もなく「□□□」をすることだね。
 太郎さん うん。ことわざの「口はわざわいの門」という
      のは、「番衆」が「□□□」を通してしまうこと
      を戒めたものだろう。
 花子さん でも、口に出したことが「わざわい」をもたら
      すばかりではないよ。この前の体育大会の
      「大縄跳び」を思い出してみて。
 太郎さん あのときはみんなが大声で応援してくれて、
      どんどん記録がよくなっていったね。跳んで
      いて楽しかったよ。
 花子さん 跳ぶ回数が増えるにつれて、私も大きな声を
      出して応援していたよ。あの声援は、まさし
      く「□□□」だったと思うな。
―――――――――――――――――――――――――――
㊀□□□・□□□に入る最も適当な語を、本文中から□□□
 は漢字一字で、□□□は漢字二字て、それぞれ抜き出して
 書け。……………………………………………答の番号【4】

㊁本文中の二重傍線部(  )のうち、□□□・□□□に入
 る最も適当なものを、それぞれ次の(ア)~(エ)から一
 つずつ選べ。……………………………………答の番号【5】
(ア) 口のうちより、外へ出づるいたづらものども
(イ) 口の外よりうちへ入るいたづらものども
(ウ) 口のうちより外へ出づるよきものども
(エ) 外より口のうちへ入るよきものども

⑸ 本文に述べられていることとして最も適当なものを、次
 の(ア)~(エ)から一つ選べ。………………答の番号【6】
(ア) 口にするものの善悪をよく判断して、その出入りを
  厳しく取り締まるべきだということ。
(イ) 口には善だけを選んで入れることと悪だけを選んで
  出すことの二つの役割があるということ。
(ウ) 口にするものには善悪ともに含まれているので、適
  度な量の出入りにとどめておくべきだということ。
(エ) 口はすべての善悪を生み出すもとであるから、言葉
  や食べ物には気をつけなければならないということ。

…………………………………………………………………

● 出題されたのは、『可笑記』巻二の二十六段である。近世
 初期の仮名草子作品は、仮名遣いなど、混乱しているが、
 その点は、問題作成の時に修正されている。