如儡子の格言

如儡子の格言

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随筆風仮名草子『可笑記』に書き記された如儡子の格言(仮名草子作家)[今週の防災格言309]
time 2013/11/11

『 人はただ万(よろず)少しの事に心をよせ気をも付(つけ)て、慎(つつし)み分別すべし。
既(すで)に大事(だいじ)と成ては後悔(こうかい)益(えき)あるまじ。 』
如儡子(1603頃〜1674 / 仮名草子作家・武士 代表作『可笑記』)
格言は『可笑記(寛永19(1642)年)』巻一の最終項より。

如儡子(にょらいし じょらいし / 本名:斎藤親盛)は、江戸時代に活躍した出羽国(山形県)酒田筑後町出身の仮名草子作者。徒然草に倣った随筆集『可笑記(かしょうき)』や『百八町記(ひゃくはちちょうき)』の著者として知られる。
山形藩主・最上家親(もがみ いえちか / 1582〜1617 最上家第12代当主)の家臣として川北奉行を務めた斎藤筑後守盛広の嫡男に生まれ、18歳頃まで主君家親の側近くに仕えたが、元和8(1622)年のお家騒動により最上家が改易されると、以降は浪人となり貧しい生活を送る。江戸に出て医者をしながら仮名草子『可笑記(かしようき)』を著し、浅井了意(あさいりようい / 1612〜1691 浄土真宗僧侶・仮名草子作家)に認められた。万治3(1660)年に長男・秋盛(ときもり)が陸奥国(福島県)二本松藩・丹羽光重に仕官したのに伴い二本松へ移住、晩年はこの地で俳諧に興じ、72歳で死去。
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全文
むかし去人の云るは、人はただ萬少しの事に心をよせ気をも付て、慎み分別すべし、既に大事と成ては、後悔ゑきあるまじ、されば泯江のはじめには、濫觴(さかづきをうかべ)、楚に入りてはすなはち底なしとて、唐楚国のかたはらに、泯江と云て、いかにも広大に底ふかく、海のごとくなる江あり、此水上を尋れば、いかにもちいさき盃をうかべる程ほそけれども、漸々と水ながれ重り、楚国にてはるかに広く、ちひろふかき泯江とはなれるとかや、又ふるき名歌にも、
筑波根のみねより落るみなの河 戀ぞ積て淵と成けり
この心は、ひたちの国にみなの川とて広くふかき川あり、此川の水上は、筑波山のみねより落る苔の岩まの雫也けり、真そのごとく、戀といふ物は、かいま見そめし人の俤(おもかげ)は、いかにもほのかにかすかなるしるべなれども、其面影をわすれかねて、つやつやこひ忍る事、漸々とかさなつて、つもりて後には身をくだき、命を捨るほど大きなる戀のわづらひとなれるよしなり、萬につきて心得あるべし。
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■「如儡子」に関連する防災格言内の記事
上杉鷹山(2010.04.12 防災格言)
莅戸善政(1)(2008.03.17 防災格言)
莅戸善政(2)(2011.12.05 防災格言)
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吉田兼好(1)(2010.01.04 防災格言)
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江島其磧(2009.06.22 防災格言)
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●これは、巻1の48段の文章である。

『可笑記』の読者

『可笑記』の読者     深沢秋男

近世教訓小説の祖とされる『可笑記』は、刊行当初から、かなりの読者を得ていたものと思われる。了意はこれに批評を加え『可笑記評判』を著し、『浮世物語』を『続可笑記』と改題して出している。著者は未詳であるが、『ゑ入 可笑記跡追』も出版され、西鶴は「人の見るために道理を書つつけ是を可笑記として残されし誰かわらふへき物にはあらす」と言って『新可笑記』を創った。
また都の錦は「此等(『大和』『宇治』『今昔』など)にいへる言の葉は、久しく目馴れ聞ふれてめづらしからねばとて、如儡子はじめて可笑記をつくり」(『御前お伽婢子』)。「むかしより今にいたりてみざめせずしておもしろき物は。御伽婢子。可記。意愚智物語なるべし。」(『元禄大平記』)と称揚し、さらに宝永二年には、一休の法語等を集めた『一休可笑記』が、翌三年には『後前可笑記』と題する浮世草子が出版されている。
その他、その内容・形式を『可笑記』にならった仮名草子は少なくないのであり、これらの点からみても、この作品が後の作者達に及ぼした影響の大であった事は推察し得るが、次に挙げる二、三の資料はその読者を考える上で参考となる。
『隔冥記』は、鹿苑寺第二世・鳳林承章禅師が、寛永十二年から寛文八年までの、三十四年間に亙って書き記した日記であるが、その寛永二十年四月十四日の条に
「自金光寺、可笑記四五之弐冊来也。」と見え、十一日後の二十五日には、「可笑記弐冊返納于金光寺之次、岩茸一包贈之、則返簡之次、大笋五本被恵之也。」とある。鳳林は、勧修寺晴豊の第六子として生まれ、その叔母・新上東門院は、後陽成天皇の御生母である。後水尾上皇の許にしばしば出入りし、文事を愛し、ことに俳諧を好んだが、堂上人としては屈指の上手であったとされている。
『可笑記』の初版は寛永十九年秋と思われるが、その翌年の四月に、鳳林(五十一歳)は七条坊門の金光寺覚持から借用しているのであり、それも五巻全冊揃いではなく「四五之弐冊」とあることは、種々の事をわれわれに想像させる。
――借用したのは入手困難のためだったのだろうか。『善悪物語』同様に、その間に書写したのだろうか。購い求めて手元に置く必要を感じなかったからなのか。おそらく、巻一、二、三も、それ以前に借りて読んだのではなかろうか。あるいは、堂上俳諧グループの中でも、この作品はかなり話題になっていたのではないか。さらに二十年四月という日付は、寛永十九年が初版であることの、多少の支えにたりはしないか。等々――。
いずれにしても『可笑記』の具体的な読者を二人(覚持と鳳林)、ここに見出したのである。
 なお『隔冥記』に記す書名は、『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』『毛吹草』『狗子集』『論語』に等、それ程多くはないが、寛永十九年十二月九日の条に「善悪物語上下弐冊、於川勝喜、而令許借也。」とあり、正保三年五月二十六日には「善悪物語写事、頼能有、為持、遣之也。」と出ている。東大図書館霞亭文庫所蔵の『ゑ入 可笑記跡追』(刊年不明)は五巻(一、四欠)であるが、内題は「善悪物語」となっている。はたして同一書であろうか。
 故小高敏郎氏は早く、この日記が、貞門俳諧と堂上俳諧の関係を知る上で、貴重な資料である事を指摘されたが(『国語と国文学』昭和32・4)、野々口立圃、烏丸光広、林道春などの記事も出ており、仮名草子研究にも、資するところがあると思われる。
『可笑記』絵入本は半紙本で、万治二年正月に、寺町三条の山本五兵衛から開版された。京都府立総合資料館の所蔵本は、落丁のため刊記は無いが、万治二年版と同版と思われ、表紙も題簽と合わせて原装と思われる。この巻五後表紙の「定栄堂蔵板目録」に『堪忍記』『古今百物語』などと並んで「西鶴織留 近古長者に成たる人の物語 六冊」「西鶴置土産 織留同類の書 全部 五冊」と西鶴作品が入っている。また、「大坂書林 心斎橋南四丁目吉文字屋市兵衛 心斎橋筋安土町同源十郎」ともあるので、万治二年の絵入本は、三十数年後の西鶴没年前後に、大阪で刷りを重ね、売り出されたものと思われる。この事は、この作品が元禄期になっても、なおかなりの読者に求められていたことの証左になるものと思われる。
 このように『可笑記評判』をも含めて、五回にわたって版を改め、刷りを重ねたこの作品の総発行部数は、野田火寿雄氏の説かれるように、一版五百部(『近世文学の背景』)としてみても、二千五百部に達する。しかし、時の流れは、その多くを散逸させた。そして、現在伝わるものは、その五パーモーセントにも及ばないのである。 
 次に引く読者のメモは、その間の事情をよく物語っている。「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム 雑書中ニテハ有益ノモノ歟 今茲初テ得之珍蔵スベキモノナリ 七十四翁三園誌之」(名古屋大学蔵『可笑記評判』)。「万治二年ハ元禄ヨリ凡三十年ナリ 明治三十三年マテ弐百五十年二及フ 殊二焼版ニシテ人間稀二見ル所ナリ 昨三十二年大阪府古書物商某古書展覧会二此書一部出品ア
リ」(東京大学蔵絵入本)。
また、それぞれの時代の読者の、ささいな書入れも何かをわれわれに語りかける。
「正徳元年 西海枝兵蔵 平田久馬」 (慶大蔵本)。「享保九朧三月廿八日 キヲクのコト」(東大蔵本)。「この書いづくへまはり候共□の源内方へおんかへし口口 植野村源内」(東大教養部蔵本)。「此一篇全篇ヲ抹殺ス可冊〔巻五の9〕」(桜山文庫蔵本)。天理図書館蔵本には「元隣か作にも見ゆ」「作者理想の人」「徒然草に出づ」「作者の試作」など研究者のものと思われる多くの書入れかある。
 そうして、一部一部が時と共に、次々と読者を変えていった。蔵書印はその書の具体的な読者を教えてくれる。「斎藤文庫」〈斎藤幸成>「不●斎図書記」<秋山不●斎>「西荘文庫」<小津桂窓>(以上、桜山文庫蔵本)。「和学講談所」「浅草文庫」 「書籍館印」「日本政府図書」(以上、内閣文庫蔵本)。「和州 万法寺什物」(関大蔵本)。「羽前大泉田川郡西小野方村 渡辺治左エ門」(竜門文庫蔵本)。「尾州海東郡江松邑随縁寺所戚」(筆者蔵本、これは書入れ)等々。
その他、烏江正路は「いぐち物語 醒酔笑 可笑記 質なるもの也。此時迄はありたる咄を書たるなり。夫ゆへ事実の助となる事有り。」 (『異説まちまち』)と評
し、近く、柴田錬三郎氏は小説『徳川浪人伝』(S41・12)で、当時の浪人の様子を説明するのに、巻五の八十二段を引用している。
 以上、二、三の資料を列挙したにすぎないが、あるものは空間的に、またあるものは時間的に、この作品の読者の存在をわれわに教えてくれるし、そこに書き込まれた短い評語も、その時代その時代の、この作品への反応を暗示しているのである。その意味では、この作品に真正面から取り組み、一段一段批評を加えた『可笑記評判』の著者・了意こそ『可笑記』の最大の読者の一人であったと言える。
 以上は、調査を進める過程で目にふれた資料の紹介である。
                       (42・9・12)

                     【『文学研究』第26号、昭和42年12月】
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●これは、50年前に発表した研究余滴である。『可笑記』諸本の蔵書印、書き込み、その一つでも、現物を、その図書館などに出向いて、手に取って調べなければ、言えないことである。私は、それが示したかったのである。実に、懐かしい。
                               平成30年2月9日

雪の金閣寺

雪の 金閣寺

●ホームページのトップの写真が、雪の金閣寺に変わった。素晴しい景色である。
●金閣寺と言えば、寛永時代の住職は、鳳林承章である。その日記を、『隔蓂記』(かくめいき)という。この日記は、当時の上流社会の文化を知る上で貴重な資料である。全7巻、合計5130頁という大部なもので、現在、思文閣から出ている。
●私は、駆け出しの頃、島本昌一先生のゼミで、貞門俳諧の自注百韻の研究を合同で進めていて、寛永期の京都の食文化を調べるために、鳳林承章の『隔冥記』を調べた。島本先生御所蔵の本を拝借して、毎日、毎日、この漢文体の日記を読んだ。読んだというよりも、食べ物の名前が出てくるのを、探すために、漢文の字面を追った、という方が正しいかも知れない。
●来る日も、来る日も、漢文の日記を眺め続けた。しかし、全5000頁を読み進めたが、ついに「白うるり」などの食べ物の名前を見つけ出すことはできなかった。
●ところが、仮名草子研究を目指していた私は、この作業の途中で、大変な発見をすることになった。何と、この金閣寺の高僧が、仮名草子の『可笑記』を読んでいる証拠を見つけたのである。
●寛永20年4月14日、鹿苑寺第二世・鳳林承章禅師は、『可笑記』を七条坊門の金光寺覚持から借用していたのである。研究には、このような地道な作業も、時として必要になる。

『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』グーグル ブックス

斎藤親盛(如儡子)伝記資料  クーグル ブックス

書誌情報
書籍名   斎藤親盛(如儡子)伝記資料
寄与者   秋男・深沢
出版社   近世初期文芸研究会、2010
ページ数  101ページ
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●この本は、私の自費出版である。これだけ、斎藤親盛の伝記資料を、調査・定着したものは、従来無かった。水谷不倒・森銑三・田中伸・野間光辰、の諸氏に見て欲しかった。

『可笑記大成 影印・校異・研究』グーグル

『可笑記大成 影印・校異・研究』 グーグル ブックス

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可笑記大成 影印・校異・研究
如儡子
笠間書院 1974 764頁

多く使われている語句
あっ あり いん うし うち うり うれ えら おとろ おんしゃ かう かな くわ けい けん こう ころ さい しゅ しん せい せん たい たる つか という とも とり ナ シ なさけ ナシ なら なり なり なる のみ はら べし ヘム みみ むかしさる めいわく もち もろこし やう よく より られ られる わか 異同 一行 横山重 仮名 仮名草子 可笑記 改易 研究 校異 校異 五 甲陽軍鑑 中略 徒然草 本文

書誌情報
書籍名  可笑記大成 影印・校異・研究
著者  如儡子
編集者   田中伸・深沢秋男・小川武彦
出版者  笠間書院  1974
書籍の提供元  ミシガン大学
デジタル化された日  2007年4月18日
ページ数  764 ページ
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●グーグル ブックス は、このように記載している。多く使われている語句の中に、『徒然草』 ・ 『甲陽軍鑑』と、横山重が入っていて納得である。この本を出した頃、私は、漢和辞典の編纂に従事して、充実した日々を送っていた。

写本『可笑記』

写本『可笑記』

●ネットオークションに出品された、写本、3冊、『可笑記』を、菊池先生の御配慮で入手した。オークションの写真を見たが、柱刻なども丁寧で、版本かと思うほどである。天明2年(1782)に、摂津の松里軒橘正貫なる人物が書写したもののようである。寛永6年(1629)に、如儡子によって執筆開始され、寛永19年(1642)に初版が出版された仮名草子作品である。140年も後に、何の理由で書写したのか。
●オークションでは、25回入札が更新され、菊池先生の御配慮で、私が落札できた。この作品の写本、現状では、私が入手し、調査するのが、ふさわしいように、自分では思う。調査結果は、今年出る雑誌に報告したいと思っている。

戦国武将の家紋

戦国武将の家紋、斎藤光盛の本貫

●『歴史人』2月号が「戦国武将の家紋の謎」を特集している。仮名草子作者・如儡子の斎藤家の家紋は下がり藤である。これが、作者の出自の解明に役立つのではないか。私は、この作品を卒論で選択したときから、作者の家の家紋には注目してきた。当時は、湯村式部説、斎藤意伝説があった。私は、『可笑記』絵入本の挿絵中の人物の家紋に注目して、解明の糸口にしたいと、卒論で述べた。56年後の今、この問題に関心がある。
●斎藤親盛の位牌の右上には「下がり藤」の紋、左上には「蛇の目」の紋がある。現在の当主・斎藤豪盛氏は、左の紋「蛇の目」は母方の家の家紋だろうと推測している。それは、たぶん、その通りだと思う。
●全国の家紋を実地に調査した研究者、高澤等氏の『家紋歳時記』には、「下がり藤」について、「不思議なことに藤原系の公家に特に多く用いられているわけではない。北関東に栄えた藤原秀郷流を称する一族に多く用いられ、東関東に多い家紋である。」と述べられている。
●家紋の点からも、斎藤親盛、如儡子の家系は、じわじわと真実に迫りつつある。卒論の頃を思い返して、感慨深い。

都立中央図書館の蔵書目録

都立中央図書館の蔵書目録
2018.01.17 Wednesday

●今日、ネットで、都立中央図書館の蔵書目録を検索して、驚いた。拙著『如儡子百人一首注釈の研究』を検索したら、次の如く表示された。目次までアップされていた。ネット容量の拡大故だろうが、私が、HPを開設した頃の事を思えば、夢のような詳細目録である。
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資料詳細
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[ 和図書 ] 如儡子百人一首注釈の研究
深沢 秋男/著 — 和泉書院 — 2012.3
所蔵
所蔵は 1 件です。
所蔵館 所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 資料の利用
閲/貸/協 返却予定日 配架日 所蔵状態 利用状況 予約数 付録注記 備考
中央 3FC開 / J114/ 3053/ 22 7100492073 和図参調 配架図

可否可 2012/06/10 0

資料詳細
ISBN 4-7576-0613-5
ISBN13桁 978-4-7576-0613-5
タイトル 如儡子百人一首注釈の研究
タイトルカナ ニョライシ ヒャクニン イッシュ チュウシャク ノ ケンキュウ
著者名 深沢 秋男 /著

著者名典拠番号 110000842440000

出版地 大阪
出版者 和泉書院
出版者カナ イズミ ショイン
出版年 2012.3
ページ数 9,348p
大きさ 22cm
シリーズ名 百人一首注釈書叢刊

シリーズ名のルビ等 ヒャクニン イッシュ チュウシャクショ ソウカン
シリーズ番号 別巻2
シリーズ番号読み ベツカン-2
本体価格 ¥12000
内容紹介 仮名草子作者の如儡子、斎藤親盛が、伝統的な「百人一首」を近世初期の庶民に紹介した注釈書「砕玉抄」。その全貌を解明し、最も優れた「砕玉抄」の全文を翻刻収録する。
個人件名 如儡子,(寛永-明暦頃)(00272733)(ndlsh)
個人件名カナ ジョライシ,(カンエイ-メイレキ ゴロ)(00272733)
個人件名 如儡子
個人件名カナ ニョライシ
個人件名典拠番号 110000760280000

個人件名 如儡子
個人件名カナ ニョライシ
個人件名典拠番号 110000760280000

一般件名 百人一首-評釈-00645344-ndlsh
一般件名カナ ヒャクニン イッシュ-ヒョウシャク-00645344
一般件名 百人一首

一般件名カナ ヒャクニン イッシュ
一般件名典拠番号 530099200000000

分類:NDC9版 911.147

目次
研究篇
第一章 研究史
第一節 田中宗作氏の研究
第二節 田中伸氏の研究
第三節 野間光辰氏の研究
第四節 島津忠夫氏・乾安代氏の研究
第二章 諸本の書誌
第一節 『砕玉抄』
第二節 『百人一首鈔』
第三節 『酔玉集』
第四節 『百人一首註解』
第三章 諸本関係の分析
第一節 序説
第二節 『百人一首鈔』と『酔玉集』
第三節 『百人一首鈔』・『酔玉集』と『百人一首註解』
第四節 『砕玉抄』と『百人一首鈔』
第五節 まとめ
第四章 如儡子・百人一首注釈書の意義
第一節 百人一首研究の現状
第二節 如儡子の百人一首注釈書
第三節 如儡子の百人一首注釈書の特徴
第四節 百人一首注釈書としての意義
翻刻篇
『砕玉抄』(武蔵野美術大学美術館・図書館金原文庫所蔵)
凡例
序説
1 天智天皇御製
2 持統天皇御製
3 柿本人丸
4 山辺赤人
5 中納言家持

35年前の論文発見

2017.12.30 Saturday

35年前の論文発見

●私は、先日発行の『近世初期文芸』第34号で、如儡子の『百八町記』について発表した。これが如儡子作品の考察の最後のものである。ところが、雑誌発行後、ネット検索したら、もう一つ関連論文が発見された。それが、35年前に発表されたものである。早速、関係機関に依頼して、論文を取り寄せた。とりあえず、研究論文目録には収録した。昭和57年、1982年には、次のような論文が発表されていたのである。
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仮名草子研究文献目録、雑誌・紀要等 論文 
  
昭和五十七年(一九八二)

○在外江戸文学 前田金五郎
 専修国文・30 1月
○仮名草子と『徒然草野槌』 三浦邦夫
 秋田工業高専研究紀要・17 2月
(『仮名草子についての研究』平成8年 に収録)
○恨の介の恋と死 田川邦子
 文芸論叢・18 3月
○江戸時代一休関係著作年表 岡雅彦
 国文学研究資料館紀要・8 3月
○江戸時代板木屋仲間の設立と崩壊 弥吉光長
 国学院大学栃木短期大学紀要・16 3月
○仮名草子『竹斎』小論 高橋清隆
 日本文芸論叢・1 3月
○仮名草子の人物造型 渡辺守邦
 『近世の小説』(国文学研究資料館講演集・3) 3月
○『堪忍記』翻刻 小川武彦
 跡見学園女子大国文学科報・10 3月
○『奇異雑談集』の研究-成立に関する一考察- 渡辺直樹
 学習院大学国語国文学会誌・25 3月
○『甲陽侯絵巻』論 浜中修
 中央大学大学院論究・14-1 3月
○『儒仏物語』とその作者―仮名草子作者小伝― 市古夏生
 国文白百合・13 3月
(『近世初期文学と出版文化』平成10年 に収録)
○『百八町記』の典拠について 千葉真也
 国語国文・51-3 3月
○続々「信長記」考-荒木村重(十)- 瓦田昇
 春日丘論叢・26 4月
○天理図書館蔵『わらひ草のさうし』の研究(二) 林望
 ビブリア・78 4月
○水田潤著『仮名草子の世界―未分化の系譜―』 菊池真一
 論究日本文学・45 5月
○『犬枕』について(一) 田中宏
 文学研究・55 6月
○仮名草子の語彙-『醒睡笑』を中心に- 佐藤亨
 『近世の語彙』(講座・日本語の語彙・5 佐藤喜代治編) 6月
○口頭話体の様相 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・2 6月
○俳言とその流れ 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・2 6月
○水田潤著『仮名草子の世界-未分化の系譜-』を読む 坂巻甲太
 日本文学・31-6 6月
○もう一つの『法華経直談鈔』 渡辺守邦
 説話文学研究・17 6月
(『仮名草子の基底』昭和61年 に収録)
○上方咄家の咄本・41『露がはなし』 宮尾與男
 上方芸能・77 7月
○『醒睡笑』の口語性について-略本説話を通して- 山田●徹
 語文・55 7月
○印刷の時点-仮名草子小考- 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・5 8月
○大坂物語諸本の変異 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・5 8月
○朝鮮説話集と仮名草子-『三綱行実図』を主に- 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・5 8月
○薄雪物語の〈薄雪〉 白倉一由
 国文学・27-13 9月
○仮名草子『恨の介』試論 西沢正二
 日本文学・31-9 9月
○林羅山の翻訳文学-『化女集』『狐媚鈔』を主として- 中村幸彦
 『中村幸彦著述集』・6 9月
●孫引き――如儡子小考 千葉真也
「とい」・2 9月
○青山忠一氏著『仮名草子女訓文芸の研究』 野田寿雄
 国文学研究・78 10月
○青山忠一著『仮名草子女訓文芸の研究』 渡辺守邦
 国語と国文学・59-10 10月
○天理図書館蔵『わらひ草のさうし』の研究(三) 林望
 ビブリア・79 10月
○〈資料翻刻〉内閣文庫蔵『難波草紙」 浜中修
 文学研究稿・4 11月
○了意怪異小説試論(その四-近世怪異小説論の基礎稿として- 坂巻甲太
 就実語文・3 11月
○『いさめ草』典拠考 大内由紀夫
 千里山文学論集・27 12月
○「おあん物語」の仮名遣-二種の写本を中心に- 桑山俊彦
 早大教育学部学術研究・31 12月
○仮名草子『釈迦八相物語』考-仏伝文学の近世的変容について- 黒部通善
 愛知学院大学論集・30-2 12月
○近世初期実録物の諸相・明智光秀謀叛事件をめぐって 阿部一彦
 淑徳国文・24 12月

中 一弥 画伯 旧蔵『可笑記』

中 一弥 画伯 旧蔵 『可笑記』絵入本

●今日の朝日新聞・夕刊に、逢坂剛氏の『奔流恐るるにたらず』が紹介されていた。江戸後期の北方探検家、近藤重蔵を描いたシリーズ『重蔵始末』の完結編で、近藤重蔵の生涯を、17年かけて描いた小説だという。それならば、明治2年に、近藤重蔵の『八丈実記』に寄せた、鹿島則文の序文にも、どこかで触れられているだろう。そのクダリを読みたいものである。
●逢坂剛氏は、中一弥画伯のお子さんだと、今日、知った。実は、私は、桃源社の編集部に勤務していた頃、中一弥先生に何度もお会いしている。山手樹一郎先生の挿絵の関係である。仕事は、挿絵の原稿を頂く、単なるお使いであったが、中先生は、とても、探究心の旺盛な方で、私が仮名草子を研究していたこともあり、江戸時代の版本のことも時々話題になった。先生は、『可笑記』の万治2年の絵入本を所蔵しておられ、閲覧させてもらった。もちろん、勤務中ゆえ、詳細な書誌は取れなかった。しかし、後年、慶應義塾大学附属図書館所蔵本を調査して、この本が、中先生の旧蔵本であることを確認した。
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● 慶応義塾大学附属図書館蔵 225/46/5(昭和43年5月20日調査)
体裁 半紙本、五巻五冊、袋綴じ。
表紙 縹色表紙、縦二一九ミリ×横一六五ミリ。(巻一)。
題簽 左肩に後補書題簽、「可笑記 巻一 (~五)」、縦一七〇ミリ×横二九ミリ(巻一)。
匡郭 四周単辺。縦一七六ミリ×横一二四ミリ(巻一、1丁オ)。
蔵書印等 「北田紫水蔵図書記」陽刻縦長方形朱印。「北田文庫」陰刻双辺縦長円形朱印。「木下氏正路蔵書之印」
   陽刻縦長方形朱印。「源氏宣印」陽刻方形朱印。「紀州/河内浜/●重与」陽刻円形黒印。「慶応義塾図書館
   蔵」陽刻縦長方形朱印。巻一後見返しに「宣清」と墨書。その他朱印二。
その他  巻四の16丁は書写である。版本との異同は、句点1箇所、振り仮名1箇所の脱落があり、その他、巻四
   の17段、18段を示す「〇」と、丁付の上にある「〇」を共に省いている。しかし、書写は非常に忠実にな
   されており、絵入本を敷写ししたものと推測される。また、紙の保存状態から見て、この書写は、かなり古い
   ものと思われる。
本書は、中一弥画伯の旧蔵本である事を確認し得た。
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●昭和43年5月20日、再調査した時の、慶應義塾大学附属図書館の、『可笑記』絵入本は、このような状態であった。おそらく、1回目の調査と2回目の調査の間で、中一弥画伯の確認を頂いたものと思われる。調査ノートをチェックすれば、わかる。
●このように、古典籍の所在は、特に個人所蔵の所在は、時間と共に変わるので、調査年月日は明記すべきである。