最後の仕事

最後の仕事

  • 2020.01.31 Friday
最後の仕事

●2015年8月、5年前に私は、ネット社会から引退した。その時、ネット社会への置き土産として、次のような書き込みをした。皆様への最後の御報告と思って書き込んだのである。

●実は、いざネットを辞めてみると、何もできない。改めて、菊池先生と息子の御協力を頂いて、細々と再開した。その時、ほとんどの方々と、ネット上の交流はしないことにした。失礼もあったかと思うが、お許し頂きたい。

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最後の仕事

• 2015.08.30 Sunday

• by 如儡子(にょらいし)

●私は、生涯をかけて、仮名草子作者、如儡子・斎藤親盛の研究をしてきた。しかし、それは、未だ、完了していない。永遠に完了しないかも知れない。それが、人間存在である。万一、完了した場合、内容は、以下の如くなるはずである。

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『如儡子・斎藤親盛の研究』 案

平成27年8月30日    2015年   〔21〕  ▲〔21〕 は、目次改訂の回数

目 次

序 章
はじめに
研究史

第一章 如儡子・斎藤親盛の伝記
第一節 初代、祖父・斎藤光盛
第二節 二代、父・斎藤広盛
第三節 三代、如儡子・斎藤親盛
第四節 四代、子・斎藤秋盛
第五節 五代以後の斎藤家

第二章 如儡子の著作『可笑記』
第一節 作者・成立時期・巻数・章段数
〔一〕作者
〔二〕成立時期
〔三〕巻数・章段数
〔四〕「如儡子」「可笑記」の意味と読み
第二節 諸本
第一項 諸本の書誌
〔一〕寛永六年跋写本
〔二〕寛永十九年版十一行本
〔三〕寛永十九年版十二行本
〔四〕無刊記本
〔五〕万治二年絵入本
〔六〕その他(取合本)
〔七〕写本
第二項 諸本の考察
〔一〕寛永六年跋写本
〔二〕寛永十九年版十一行本
〔三〕寛永十九年版十二行本
〔四〕無刊記本
〔五〕万治二年絵入本
〔六〕その他(取合本)
〔七〕写本
諸本系統図
翻刻・影印本等
注・付記
第三節 典拠
第一項 『徒然草』
〔一〕はじめに
〔二〕使用した『徒然草』のテキスト
〔三〕『徒然草』の注釈書
〔四〕『可笑記』巻一の二段と『徒然草』一四二段
〔五〕『可笑記』巻一の四段と『徒然草』一五七段
〔六〕まとめ

第二項 『甲陽軍鑑』
〔一〕『甲陽軍鑑』の成立年と刊行年
〔二〕『可笑記』・『甲陽軍鑑』関係章段一覧
〔三〕浅井了意の出典の指摘
〔四〕巻一の三十一段、巻三の三十九段の考察
〔五〕その他の関係章段
〔六〕関係章段の考察
〔七〕書名「可笑記」出処
〔八〕まとめ
第三項 その他
〔一〕『沙石集』
〔二〕『十訓抄』
〔三〕『無名冊子』
〔四〕『童観抄』
〔五〕『巵言抄』
第四節 内容 各章段の類型
〔一〕一般人の心得に関するもの
A、学問に関するもの
B、友および人付合いに関するもの
C、恋および婬慾に関するもの
D、貧福に関するもの
E、善悪に関するもの
F、親と子の道に関するもの
G、妻に関するもの
H、慈悲に関するもの
I、その他
〔二〕侍の心得に関するもの
A、日常の心得に関するもの
B、戦に関するもの
〔三〕主君の道に関するもの
A、日常の心得に関するもの
B、法度に関するもの
〔四〕仏教に関するもの
〔五〕儒教に関するもの
〔六〕儒仏に関するもの
〔七〕医道に関するもの
〔八〕説話的なもの
〔九〕身辺雑記的なもの
〔十〕その他のもの

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●前回から5年が経過した。目次改訂も、〔20〕から〔60〕になった。5年間で、40回改訂したことになる。

如儡子・斎藤親盛の研究 目次 案

令和2年1月28日 2020年 〔60〕

目 次

第一章 如儡子・斎藤親盛の伝記

第一節 研究史
一、水谷不倒氏の研究
二、森銑三氏の研究
三、田中伸氏の研究
四、野間光辰氏の研究
五、深沢秋男の伝記研究
■如儡子(斎藤親盛)調査報告(1)
■如儡子(斎藤親盛)調査報告(2)
■如儡子(斎藤親盛)調査報告(3)
■如儡子(斎藤親盛)調査報告(4)
■如儡子(斎藤親盛)調査報告(5)
■如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(1)
■如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(2)
■如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(3)
■如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(4)
■如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(5)
■如儡子の祖父、斎藤光盛の出自

第二節 如儡子・斎藤親盛の伝記資料

一、二本松、松岡寺、斎藤家関係資料
1、松岡寺
2、斎藤家墓所(改葬前の墓、第一次改葬、第二次改葬、第三次改
葬)
3、松岡寺所蔵、過去帳
4、松岡寺所蔵、位牌
5、斎藤家所蔵、位牌
6、斎藤家歴代一覧
7、斎藤家系図
8、〔斎藤家関係資料〕(仮称。現在、伝存未詳)
9、斎藤家縁起詞
【写真】

二、二本松藩関係資料
1、『世臣伝』
2、『相生集』
3、二本松諸資料、『二本松藩新規召抱帳』
4、『梅花軒随筆』
5、『二本松寺院物語』
6、二本松城下図
【写真】

三、如儡子・斎藤親盛、出生の地・酒田関係資料等
1、斎藤筑後関係文書等
2、如儡子・斎藤親盛出生の地・酒田筑後町
一、明暦二年・酒田絵図
二、元禄九年・酒田惣御町絵図
三、亀崎惣絵図
四、元禄以後絵図
五、近代酒田市街図等
六、亀ヶ崎城図
3、斎藤家初代光盛の出自
〔1〕『小川のしからみ』の記録
〔2〕『東蒲原郡史蹟誌』の記録
〔3〕『齋藤家系図』
① 総本家、斎藤吉三氏所蔵『斎藤家系図』
② 分家、斎藤平氏所蔵『斎藤家系図』
③ 総本家、斎藤吉三氏所蔵『藤原 斎藤系図』
〔4〕斎藤家関係年譜・Ⅰ
〔5〕西山日光寺と斎藤家
一、嘉堂照夫氏の研究・1
二、藤島玄氏の記録
三、嘉堂照夫氏の研究・2
四、『先祖三代之功作御記録』斎藤吉三氏蔵
〔6〕阿賀町赤岩区の斎藤本悦家
〔7〕斎藤家総本家家紋「下がり藤」と「丸に」
〔8〕斎藤家総本家所蔵の陣羽織
〔9〕『可笑記』絵入本の挿絵
〔10〕まとめ
〔11〕斎藤家関係年譜・Ⅱ
【写真】

第三節 初代、祖父・斎藤光盛
第四節 二代、父・斎藤広盛
第五節 三代、如儡子・斎藤親盛
第六節 四代、子・斎藤秋盛
第七節 五代以後の斎藤家
1、五代、斎藤富盛
2、六代、斎藤常盛
3、七代、斎藤親盛
4、八代、斎藤邦盛
5、九代、斎藤英盛
6、十代、斎藤徳盛
7、十一代、斎藤一(継盛)
8、十二代、斎藤源覇(興盛)
9、十三代、斎藤輝利(豪盛)
10、十四代、斎藤輝彦(康盛)

第二章 如儡子の著作『可笑記』

第一節 作者・成立時期・巻数・章段数
〔一〕作者
〔二〕成立時期・刊行時期
〔三〕巻数・章段数
〔四〕「如儡子」「可笑記」の意味と読み
1 「如儡子」の意味と読み
2 「可笑記」の意味と読み
第二節  諸本
第一項 諸本の書誌
〔一〕寛永六年跋写本(伝存未未
〔二〕寛永十九年版十一行本
〔三〕寛永十九年版十二行本
〔四〕無刊記本本
〔五〕万治二年絵入本
〔六〕その他(取合本)
〔七〕写本
第二項 諸本の考察
〔一〕寛永六年跋写本
〔二〕寛永十九年版十一行本
〔三〕寛永十九年版十二行本
〔四〕無刊記本
〔五〕万治二年絵入本
〔六〕その他(取合本)
〔七〕写本

諸本系統図
翻刻・影印本等
注・付記

第三節 典拠

第一項 『徒然草』
〔一〕はじめに
〔二〕使用した『徒然草』のテキスト
〔三〕『徒然草』の注釈書
〔四〕『可笑記』巻一の二段と『徒然草』一四二段
〔五〕『可笑記』巻一の四段と『徒然草』一五七段
〔六〕まとめ

第二項 『甲陽軍鑑』
〔一〕『甲陽軍鑑』の成立年と刊行年
〔二〕『可笑記』・『甲陽軍鑑』関係章段一覧
〔三〕浅井了意の出典の指摘
〔四〕巻一の三十一段、巻三の三十九段の考察
〔五〕その他の関係章段
〔六〕関係章段の考察
〔七〕書名「可笑記」出処
〔八〕まとめ

第三項 その他
〔一〕『沙石集』
〔二〕『無名冊子』
〔三〕『童観抄』『巵言抄』

第四項 『可笑記』と先行文献(典拠)

第四節 各章段の内容の類型分類
〔一〕武士の心得に関するもの
A、日常の心得に関するもの
B、戦に関するもの
〔二〕主君の道に関するもの
A、日常の心得に関するもの
B、法度に関するもの
〔三〕一般人の心得に関するもの
A、学問に関するもの
B、友および人付合いに関するもの
C、恋および婬慾に関するもの
D、貧福に関するもの
E、善悪に関するもの
F、親と子の道に関するもの
G、妻に関するもの
H、慈悲に関するもの
I、その他
〔四〕仏教に関するもの
〔五〕儒教に関するもの
〔六〕儒仏に関するもの
〔七〕医道に関するもの
〔八〕説話的なもの
〔九〕身辺雑記的なもの
〔十〕 その他のもの

第五節 『可笑記』に描かれた武士
一、 主君に対する批評
二、 臣下に対する批評

第六節 『可笑記』と武士道――笠谷和比古氏の研究
第七節 『可笑記』と儒教思想
第八節 『可笑記』と仏教思想

【以下略】  まだまだ続く。 未完に終わるかも知れない。

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松田修氏の 如儡子・了意 同一人説

松田修氏 如儡子・了意 同一人説

  • 2020.01.29 Wednesday
松田修氏  如儡子・了意、同一人説

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〔前 言〕

如儡子作「可笑記」、それは仮名草子と便宜的に総称される近世
初期文芸の最も早い光茫の一つであり、爾後の作品の特質と限界を
既に示してゐる点からも、寛永――寛文期を通じての第一の定型で
あった。
仮名草子作家中の第一人者たる瓢水子浅井了意が処女作としてこ
の「可笑記」の批判書「可笑記評判」を著した事は、即ち「可笑記」
をのりこえる事から浅井了意の作家生活を始めた事は、私にとって
始ど象徴的にさへ思はれた。「可笑記」から「可笑記評判」へ、如
儡子から了意へ、この系列はいはゞ常識として私の脳裡に印象づけ
られたのであるが、仔細に両書両者に対する私なりの検討が進むに
つれ、此の常識への疑惑は濃くなつていつた。一つの疑惑に他の疑
惑を呼び起し、その集積するところ、一つの仮説めいたものが、浮
びでてきた。
曰く、如儡子了意は同人なり――この奇矯の説を、実は私自身信
じてはゐないのであるが、腹ふくるる業の言葉にすがり、一応纏め
てみる事にした。
わんざくれ、論文も一つのカタルシスではある。

【以下略】  (『国語・国文』昭和28年4月)

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●67年前に発表された、松田修氏の、如儡子・了意、同一人説は、今や、研究史の上からは完全に消え去った。しかし、松田氏の、

わんざくれ、論文も一つのカタルシスではある。

の思いは、私には、よくわかる。論文は評論ではない。きちんと、証拠を揃えて裏付けなければならない。

●私は、昨年末、「斎藤家総本家所蔵〔如儡子も見た?〕陣羽織」を発表した(『近世初期文芸』第36号)。最初、この、1文のタイトルは、 〔如儡子も見た〕 だった。 初校で「?」を追加した。「論文も一つのカタルシスではある」という、松田氏と同じ思いだった。研究者も、時として、そんな思いに駆られることはある。評論家は、〔困る、困る〕と連呼したりして、自分の直観を表現する。その直観が、事の本質に迫っているからこそ、評論家の存在価値はあるのだろう。

●松田修氏の仮名草子関係の、論文というか、評論というか、これに対しては、私は、ことごとく批判してきた。しかし、松田氏は、晩年の頃、法政大学に勤めて、多くの名講義をされた(私は、拝聴していないが)。

山本周五郎 『可笑記』

山本周五郎 『可笑記』

  • 2020.01.27 Monday

山本周五郎の『可笑記』

●山本周五郎に『可笑記』という随筆がある。新潮文庫の全集に収録されているが、今、絶版で購入できない。

●〔harukaze lab @〕 というサイトで全文が読める。また 〔全文自家製朗読〕では全文を聞くことが出来る。

●山本周五郎は、何故、このようなタイトルの一文を書いたのであろうか。仮名草子『可笑記』と、特に関連があるとも思えない。或いは、山本周五郎は、『可笑記』を読んで、これを「笑いの書」と解釈し、面白おかしい話を書いたのかも知れない。

●『孟子』告子上 に関係するかも知れない。

●〔harukaze lab @〕 より一部掲載する

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可笑記
山本周五郎

——————————————————-

【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)暴《ばく》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|暴《ばく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ばせを」に傍点]

——————————————————-

一|暴《ばく》十|寒《かん》という言葉がある、働くのは一日であとの十日は遊んでいるという、つまりなまけ者のことだそうだ。こいつをみつけたときわたしはなんだか自分が当てこすりをくらったような気がして、しかしなんとなくふくらみのある旨《うま》い言葉だと思いさっそく紙に「一暴十寒戒」としたためて床間のまん中へはりつけた。
わたしくらい勤勉なような顔をしてその実なまけ者はあるまい、昔からよく睡眠は四時間でたくさんだとか、ひと月にかならず百枚以上原稿を書くとか、良い演劇や映画はみのがしたことがないとか、またこれから仏蘭西《フランス》語をやるつもりだとか、なにやかやずいぶんと出放題をならべてきた。もっともその時はべつに嘘《うそ》を云《い》うつもりではないので、自分でもたしかにそうする気で云うのだが、それが思うように行かなかったまでのことである、そう云ってもわたしがなまけ者でないということにはなるまいが――。
わたしは地震の翌年からこっち日記帳を六冊あまり書いている。なまけ者のくせによく日記などをつけたものであるとひとは訝《いぶか》しく思うであろうが、なに実はこれを繰ってみるといかにわたしがなまけ者で不勤勉で克己心のない人間であるかということを証明しているにすぎないのだから世話はない。
十年ほど前のある頁《ページ》をひらいてみると、「明日より断行のこと」と筆勢たくましい書きだしで、酒は一週に一度かぎり、当分菜食のこと、午前一時に寝て同じく六時に起床すべしという条目から、二十四時間を半時のあますところもなく読書執筆に精《くわ》しく割り当て、最後に大きく「若《も》しこれを破るときは拳骨《げんこつ》で頭をなぐる可《べ》し」としたためてある。いま見ても筆端に颯爽《さっそう》たる力があって、さぞりきみかえって書いたことだろうと思うが、さらにそれから二三日あとを披《ひら》くと、これまた酔後に書いたとしかみえぬ乱暴な字で「この大馬鹿《おおばか》野郎め」となぐり書きにしてあるという次第なのだ。拳骨で頭をなぐったかどうか今は覚えていない。つまり、――わたしの日記というのは、かような決心と変心とのみじめな記録なのである。
ある日、これから秋までは女色を断つとしたためてあるかと思うと、半月|経《た》たぬところに何やら詫《わ》びごとが書いてあるし、断酒と大きく楷書《かいしょ》で書いて赤い丸がつけてあるのに、明くる日のところには「断酒に囚《とら》わるるは断酒の妄念《もうねん》の俘虜《ふりょ》となるにすぎぬ如《し》かず万杯を挙げて妄念を断たんには」とやってある。
ある年の春、千葉県浦安町の生活がゆきづまって、にっちもさっちもならなくなったとき、東京から古本屋を呼んで貧弱な蔵書をたたき売ったことがあった。百円ちかくの金を手にしたわたしは、この金こそ有効につかわなくてはならぬと決心してふたつの案をたてた。ひとつは永年の望みであった北海道ゆきであり、ひとつはその金をどだいとしてもう一年浦安にいようというのである。わたしはひと晩かかって両案のこまかい計算書をつくった。
わたしの記憶が正しいとすれば、旅行案の方は木賃宿に泊まることから、車中の弁当までちゃんと定めてあったし、後案の方では一日一菜、あとは玄米と梅干しということがいかめしく決定していたと思う。

【中略】

これも浦安にいた時のことだが、ある年の四月につまらぬ原稿があたって五百円ほどもらったことがあった。あらゆる妄念をきりすてて断乎《だんこ》と北海道ゆきをきめ、上京して木挽町《こびきちょう》の恩人山本|翁《おう》を訪ねた。(山本翁はなが年わたしが生活の面倒をみて貰《もら》っている人である)
――玄米を喰べなくともよくなったそうじゃないか。翁は慈父のような頬笑をみせながら云った。
(玄米を炊《た》いて野草を喰っていると報告したのはその年の二月のことであるが、その時はまだ買い込んだ米が二三合減ったきりで、ひと月後わたしが北海道から帰ってみると、その米は全部ちいさな虫に化していた)――しかしわたしは、最もとりすました顔で、
――なに、やはり玄米を喰べます。
と答えた。
さて北海道旅行のことを相談すると、それもよかろうがおまえが金を持つとすぐに遣ってしまうから、ともかく五百円はおれが預かって置こう、旅行費用は百円だけにしてあとは勉学の持久にあてるが宜《よ》い。とてきぱき定めてくれた。
――百円あれば充分です、泊まりは木賃宿にするつもりですし旅中は酒をつつしみますから、持って行っても遣いようがありません、大名旅行をしたのでは勉強になりませんから。
わたしはそう誓言して、百円を手に東京を立った。日記にも書いてあるが、この時のわたしは陸奥《むつ》を遍歴したばせを[#「ばせを」に傍点]のような、貧しく寂《さ》びた旅路をおもい、遊女も雲水もひとつむしろのまろ寝を空想し、一|椀《わん》の麹飯と垢染《あかじ》みた夜具の泊まりを幻に描いていたのである。それにもかかわらず旅が始まるやいなや、「デンカワ五〇オクレ」という電報をつぎつぎと木挽町へ送るしまつになった。そしてひと月後に帰ったときには、預けてあった金がなくなったばかりでなく五十円あまり足をだしていたのである。(なんとしてもこれでは致し方がないではないか)
基督《キリスト》は一日に一度反省せよと教えるが、わたしは昔から二度や三度反省しても間にあわないような状態であった。したがってこの頃はもう自分でもすっかりあきらめができ、ながるるままの自然にまかせているから、日記へ大きなことを書く要もないし、また「この大馬鹿野郎め」と罵《ののし》ることもない。それでもべつに飢死をしないところをみるとありがたく思う。
仏蘭西の小話にこんなのがある、君はなにを煩悶《はんもん》しているのだという書きだしである。
「君が何を煩悶しようと問題はふたつより外《ほか》にない、君は健康か病気か、健康ならば云うことはあるまい。若し病気だとしても問題はふたつだ、その病気はなおるかそれとも死ぬかだ、なおる病気なら文句はないし、死ぬとしたところで問題はふたつしかない、即《すなわ》ち極楽へゆくか地獄|墜《お》ちかだ、極楽へ行くとすればこれまた不服はないであろう。地獄へ行くとしたら、――第一、君はそんなものがあるということを信ずるかね、信じないだろう、それなら結局君にはなにも煩悶はない筈《はず》ではないか」
[#地から2字上げ](「ぬかご」昭和九年八月号)

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底本:「艶書」新潮文庫、新潮社
1983(昭和58)年10月15日 発行
2009(平成21)年10月15日 二十八刷発行
底本の親本:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
初出:「ぬかご」
1934(昭和9)年8月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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麒麟山 〔紅葉〕

麒麟山 〔紅葉〕

  • 2020.01.24 Friday
麒麟山 〔紅葉〕

●昨日、新潟県東蒲原郡阿賀町赤岩の斎藤家総本家の御当主から、すごいプレゼントを頂いた。阿賀町津川の銘酒 麒麟山酒造の「紅葉」である。ケースの箱の上には「丸に」の紋所が入っている。

●仮名草子『可笑記』の著者・斎藤親盛の祖父、斎藤光盛の本貫の探索を開始してから30年、親盛の後裔、齋藤豪盛氏の協力も頂いて、1昨年、ようやくたどり着いた。それが、東蒲原郡西山日光寺辺の齋藤一族だったのである。一族は、やがて、西山日光寺の山岳地帯から、阿賀野川辺の赤岩地区に移動した。武士から農民に降ったこととも関連している推測される。400年前のことである。

●私が、『可笑記』絵入本の、「昔さる人」の背中の紋所「丸に」に注目したのは、何と、学部の卒論の時だった。60年前のことである。それが、研究生活の最終盤の今、大きな展開を見せたことになる。

●ここ、5、6年、私は家庭に縛り付けられて、外出もできず、電車に乗る事もできなかった。そんな状況の中で、新潟県東蒲原郡、阿賀野川沿いの赤岩地区の、齋藤姓、21軒にたどり付いたのである。この齋藤家の分家が、麒麟山酒造を創業された。

●私は酒が飲めない。頂いた銘酒〔紅葉〕は、書斎に飾って、ライフワーク『如儡子・齋藤親盛の研究』の完成を目指したい。この様に恵まれた研究人生は、そうは無いだろう。感謝、感謝、の思いをこめて、取り組んでゆきたい。

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■平成26年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題

■平成26年度京都府公立高等学校入学者選抜のための学力検査に『可笑記』が出題された。平成23年に続いて、平成26年度も出題された。

●私は、大学2年の終りの頃、『徳川文芸類聚』でこの作品を初めて読んで、私自身、大変勉強になると思ったし、殊に、その批判的要素には感激した。それで、卒論に選び、以後、ずっとこの作品と作者について研究してきた。この作品やこの作者・如儡子、斎藤親盛は、決して軽く見るべきではなく、日本文学史の上でも、それなりの位置を占めるものと思う。その意味でも、平成23年に続いて、今回も出題されたことに感謝する。今回の出題は、巻3の25段から出題された。

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『可笑記』巻3の25段は、寛永19年版11行本では、次の如くである。
振り仮名は省略した。

▲むかし、弘法大師、諸国を修行有しに、江州すりはりとうげにて、
一人の老翁が、斧を石にあてゝひた物すりまはるあり。
弘法、御覧じて、
いかに翁殿、其斧をすりて、何にし給ふ。
翁答て、
針に仕る。
弘法、からからと、わらひて、
扨、いつの世にか、其をのをすりほそめて、針にし給ふべき。其をのよりは、
そなたの命こそ、はやく、すりへるべけれ。
翁、かしらをあげて、弘法の御かほを、つやつやと、まもり、
なふ御坊、其心中にては、学文成がたし。それ、世間の無常老若、さだめが
たし。其上、事をつとめんに、命期しられざるとて、むなしく、やむべけん
や。さあらば、さいふ法師の修行も、無益成へし。
と云に、弘法、あつと心付給へば、この翁、
我は、是、此山の神。
とて、光をはなちて、飛給ふ。すりはりの大明神、是也、と。


『斎藤親盛伝記資料』 中国から ?

『斎藤親盛伝記資料』中国から ?

  • 2020.01.19 Sunday
  • 23:32
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松岡寺 墓所入口石段補修

松岡寺 墓所入口石段補修

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 13:31
松岡寺 墓所入口石段補修

●二本松市の松岡寺の墓所は広大である。本堂に向かって左側にある。羅漢堂を過ぎると、左下に累代御住職の墓所があり、更に石段を登ると、諸家のお墓がある。途中、右手に羅漢堂へ登る石段がある。

●その登り坂の石段(図版の●印)が、風雪によって崩れた。この度、齋藤家、第13代・齋藤豪盛氏はこの石段の補修を寄進された。大変な工事だったと思うが、これからは、お墓参りする方々は、安全に通行できる。

●今日、長井市の齋藤豪盛氏から、補修完了後の写真を頂いた。齋藤家の御先祖様のみならず、松岡寺の墓所の皆さん、喜んでおられると思う。

●私の、如儡子・斎藤親盛の伝記研究は、御子孫、齋藤豪盛氏の御協力が無ければ、ここまで進める事は不可能であった。このような、御子孫にめぐり合えたことを、心から感謝申上げる。


ウィキペディア 【斎藤親盛】更新

ウィキペディア 【斎藤親盛】 更新

  • 2020.01.13 Monday
  • 06:36
斎藤親盛

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 親盛(さいとう ちかもり、慶長8年(1603年) – 延宝2年3月8日(1674年4月13日))は、江戸時代前期の武士、文人・仮名草子作者。通称は清三郎。筆名如儡子(にょらいし)。幼名は清三郎、俗名斎藤以伝、法名武心士峯居士。墓は、福島県二本松市の松岡寺(臨済宗妙心寺派)。

概要

斎藤家初代光盛は、越後国、西山日光寺辺(現在の、新潟県東蒲原郡阿賀町払川)の出身と推測される。出羽の国(山形県)に移り、藤島城(山形県藤島町、現在は鶴岡市)の城代を務めたとされている。父は、斎藤家2代広盛。出羽山形藩最上氏家臣、母は東禅寺勝正の妹。清三郎は領内の酒田筑後町に生まれた。藩主の最上家親に近侍して、一字を賜り「親盛」と称した。元和8年(1622年)の最上氏の改易で浪人となり、父と共に、祖父光盛の出身地越後へ行くことになったが、父の急死で、母と共に越後へ行く。やがて江戸に出た。一時、西国大名に仕えたり医師をして生計をたてた。

その高い教養を生かして文学作品を執筆し、仮名草子の傑作『可笑記』で評価を得る。他に『百八町記』や俳諧作品、『砕玉抄』(百人一首の注釈書)がある。また、諸大名を批評した『堪忍記』もある。

万治3年(1660年)に長子の秋盛が陸奥二本松藩主の丹羽光重に仕官したことから、同地に移住して没した。

参考文献

『日本人名大辞典』、講談社、2001年
『朝日日本歴史人物事典』、朝日新聞社、1994年

『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』、深沢秋男、近世初期文芸研究会、2010年
『如儡子百人一首注釈の研究』、深沢秋男、和泉書院、2012年
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔1〕深沢秋男(『文学研究』67号 1988年6月)
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』4号 1988年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔3〕深沢秋男(『文学研究』68号 1988年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔4〕 深沢秋男(『文学研究』70号 1989年12月 )
如儡子(斎藤親盛)調査報告〔5〕深沢秋男(『文学研究』78号 1993年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔1〕深沢秋男(『近世初期文芸』27号、2010年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔2〕深沢秋男(『近世初期文芸』28号、2011年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔3〕深沢秋男(『近世初期文芸』29号、2012年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔4〕深沢秋男(『近世初期文芸』30号、2013年12月)
如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題〔5〕深沢秋男(『近世初期文芸』31号、2014年12月)
如儡子の祖父、斎藤家初代光盛の出自 深沢秋男(『近世初期文芸』35号、2018年12月)
典拠管理
WorldCat IdentitiesVIAF: 313456972
カテゴリ: 江戸時代の随筆家山形藩士二本松藩士1603年生1674年没

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●今日、ウィキペディアの〔斎藤親盛〕の項目を、このように更新した。私の研究を盛り込んだのである。

●斎藤家初代、斎藤光盛の出自に関しての、推測を追加した。

1年前の、斎藤親盛伝記研究

1年前の状況

  • 2019.11.26 Tuesday
斎藤筑後守広盛

●FBのコメントから、昨年の研究の状況がわかる。これらの資料を使用して、斎藤家の伝記を執筆した。現在、伝記研究は、ほぼ脱稿した。

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2018年11月26日 13:59 ·
斎藤筑後守関係資料
2018.11.26 Monday

●このところ、如儡子・斎藤親盛の伝記資料の整理をしている。二本松関係の整理が終わって、今、酒田・鶴岡関係資料を再検討している。現役の頃は、毎年毎年、二本松、酒田・鶴岡・藤島の調査に出かけていた。

●昭和63年(1988)8月17日~21日、羽田 → 庄内空港 → 酒田。田村寛三先生とお会いして、一条八幡神社へ。何と、酒田市で車を出して下さった。私は、毎回、あらかじめ、バス路線図を確認して出かけているが、このような御配慮にあずかることもあった。

●一条八幡神社では、如儡子の父、斎藤筑後守広盛の自筆文書を閲覧することが出来た。最初は、明治時代の転写本の閲覧だけという条件だった。この転写本が、極めて忠実なもので、虫損、汚れまで、詳細に写されていた。書写者の歴史史料への認識がすごい。

●宮司の小野宏司氏と、田村先生と、私と、様々話し合ううちに、小野氏は、席を外され、斎藤筑後守の自筆文書を書庫から出して来て下さった。そうして、閲覧を許され、その上、写真撮影も許可して下さったのである。

●これが、如儡子の父の筆跡か。その時の感激は、忘れることが出来ない。私の斎藤親盛の伝記研究は、このような、多くの方々の御高配によって進められたのである。
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令和版『可笑記』

令和版『可笑記』

  • 2019.11.25 Monday
令和版『可笑記』

●山形新聞、2019年11月8日付の〔談話室〕、如儡子・斎藤親盛を取り上げていた。御子孫の、斎藤豪盛氏に依頼して、コピーを送って頂いた。

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山形新聞 2019年11月8日〔談話室〕

▼▽日本で木版印刷術が急激に発達した江戸初期、仮名書きの書物「仮名草子」が流行した。「可笑記」もその一つである。多彩な分野の本が出版される中、「徒然草」に倣った随筆風の世相批判で広く人気を集めた。
▼▽浪人・如儡子の筆による。仕官がまならぬ立場故か、身分や欲得などにまつわる人生訓はひねたおかしみをまといながらも極めて鋭い。例えば他人からの贈り物について。「この品物を受け取る正当な理由があるか否か」を直ちに判断することをおろそかにするなと説く。
▼▽それを怠れば欲が生じて、受ける理由のない贈り物を受け取り後悔することになるだろうーと続く。某電力会社の幹部たちには遅すぎる警句か。さてこの如儡子、本名を斎藤親盛といい元は最上家の家臣だった。最上家の改易に伴って流転の末に、江戸で文才を開花させた。
▼▽可笑記の跋文には、若者の読書離れを憂え、書物に親しむ糸口になることを願って書いた旨が記されている。文化庁の直近の世論調査で67%強が「読書量が減っている」
と答えた。可笑記の初版から約380年。如儡子のことだ、冥府で令和版を執筆しているかもはれない。

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【はてなブログタグ】 〔堪忍記〕

【はてなブログ・タグ】  〔堪忍記〕

  • 2019.11.23 Saturday
【はてなブログタグ】  〔堪忍記〕

堪忍記    (深沢秋男執筆)

★浅井了意の『堪忍記』ではなく、如儡子の『堪忍記』

(一般)

【かんにんき】
堪忍記(かんにんき)

諸大名の藩主・石高・内情等を記し、批評したもの。写本、1冊。

【注】この『堪忍記』は、浅井了意の版本『堪忍記』とは別の、斎藤親盛(如儡子)の写本『堪忍記』である。

著者・編者

この著書には、著者名・編者名は記されていない。棚倉藩士・上坂平次郎(三休子)の『梅花軒随筆』に「……儒者斎藤意伝浪人して後、可笑記、百八丁記……、堪忍記抔を作りけるゆへ、かへつて用ひられざりしとなり。」とあり、本書の序・記述内容・批評態度・文体等を考慮すると、藩主名・石高などの基本的な資料を入手した著者が、批評などを付加したものと推測される。如儡子・斎藤親盛は、浪人中に、短期間ではあるが、さる西国大名の祐筆を勤めたことがあるという。そんな関係もあって、このような諸大名を鳥瞰する如き基礎資料に接する事もあり、これを利用して、本書を作ったのではないか。その意味では、如儡子は編著者くらいが妥当のように思う。

成立

松平文庫本(松平宗紀氏蔵、福井県立図書館保管)の内題の下に「私ニ云正保ノ比出来歟」とある。収録主要藩主の着任・離任の年を検討した結果、正保元年前後の4年間の歴史的事実を基にして作られたと推定される。松平文庫本(A)は、正保2年(1645)、内閣文庫本(B)は、正保4年(1647)の成立と思われる。

内容

松平文庫本(A)は、110の藩について、知行高・藩主・藩名・知行・物也・家臣の勤務条件・藩主に対する評価などが記され、内閣本(B)には、106の藩について、さらに、序・室・子息・家紋・旗印・江戸屋敷・家老の名等が記されている。
特色
江戸時代、諸大名の国名・知行高・物成・江戸屋敷などを記し、その主君の人となり、家臣の使い方などを批評したものに、『武家諫忍記』『武家勧懲記』『土芥寇讎記』などの類書がある。如儡子の『堪忍記』は、それらの中では、最も早い時期のものであり、また、諸大名に対する批評も厳しいものがある。『可笑記』の作者にふさわしい、批判精神旺盛な著者の特色が出ている。

諸本

1、 松平文庫所蔵本(松平宗紀氏蔵、福井県立図書館保管)。写本、半紙本、1冊。26丁。表紙は本文紙と共紙で、中央上部に「堪忍記 全 百十人」とある。内題は「堪忍記」とあり、その下に「私ニ云正保ノ比出来歟」とある。記述体裁は、110の大名について、知行高・姓名・藩名・物成・米払いの良否・年貢率・国役・江戸詰の良否・家中の風儀・主人の善悪等について簡略に記す。
2、 国立公文書館蔵、内閣文庫・和学講談所本。写本、大本、1冊。38丁。薄茶色刷毛目表紙の左肩に子持枠題簽で「堪忍記 全」と墨書。巻頭に序がある。記述体裁は、106の大名について、知行高・姓名・官位・御前・子息・家紋・旗印・領国・居城・物成・米払いの良否・年貢率・国役・江戸詰の良否・家中の跡目取立ての有無・家中の風儀・主君の善悪・江戸屋敷・家老の姓名等について記す。
3、 国立公文書館蔵、内閣文庫・昌平坂学問所本。写本、大本、1冊。38丁。薄茶色原表紙の左肩に四周単辺題簽で「堪忍記 完」と墨書。序・記述体裁など、和学講談所本と同様である。本書は、内閣文庫の蔵書目録に、昌平坂学問所本とされているが、「秘閣図書之章」の蔵書印があること、その他の点から、紅葉山文庫の旧蔵という可能性もある。

翻刻
1、 松平文庫本 堪忍記(深沢秋男校訂、『近世初期文芸』第6号、平成元年10月)。
2、 内閣文庫本 和学講談所本・昌平坂学問所本(深沢秋男校訂、『近世初期文芸』第7号、平成2年12月)。

参考

「斎藤親盛(如儡子)の研究」→http://www.ksskbg.com/nyorai/nyorai.html

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