【自著を語る】 新・5  2018年2月13日

【自著を語る】 新・5  2018年2月13日

【21】仮名草子集成・16巻 共編
A5判、318頁、1995年9月5日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十六巻
 可笑記評判(10巻10冊、万治3年刊)
 巻八より巻十まで。 解題
 可笑記跡追(5巻5冊、絵入) 解題
 写真
●『可笑記評判』は、浅井了意の著作で、私は、如儡子の『可笑記』を解明する手段として、昭和45年に自費出版で出した。これが私の処女出版であったが、その後、昭和52年には、『近世文学資料類従』として全冊複製で出版できた。さらに、今回は『仮名草子集成』の校訂基準で、より厳密な本文を全冊出版することができた。さらに付記するならば、平成19年には、『浅井了意全集』が刊行されることになり、そこにも私の校訂で収録される予定である。仮名草子の同じ作品が、4回も出版されるという事は珍しいだろう。

【22】仮名草子集成・17巻 共編
A5判、286頁、1996年3月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十七巻
 花山物語(写本、1冊) 解題
 堅田物語(天和3年奥書刊、1冊) 解題
 仮名列女伝(明暦元年11月跋刊、絵入、8冊) 解題
 写真

【23】仮名草子集成・18巻 共編
A5判、356頁、1996年9月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十八巻
 かさぬ草子(写本、1冊、寛永21年写奥書) 解題
 枯杭集(6巻6冊、寛文8年刊、絵入) 解題
 かなめいし(3巻3冊、絵入) 解題
 鎌倉物語(5巻5冊、万治2年刊、絵入) 解題
 写真

【24】仮名草子集成・19巻 共編
A5判、288頁、1997年3月10日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十九巻
 葛城物語(浅井了意作、3巻3冊、絵入、無刊記) 解題
 河内鑑名所記(三田浄久作、6巻6冊、絵入、延宝7年刊) 解題
 堪忍弁義抄(1冊、慶安4年刊) 解題
 補記 1、享保2年求板『可笑記』(小川武彦氏蔵)。
2、写本『可笑記跡追』(渡辺守邦氏蔵))
 写真
●『堪忍弁義抄』については、この時点では版本のみであったが、その後、承応2年7月上旬の奥書を持つ写本が発見された。これは、磐城平藩主・内藤風虎の旧蔵本で、しかも、版本の書写本ではない。当時の版本と写本の関係を考える上でも参考になる。『近世初期文芸』第19号(平成14年12月)に拙稿「『堪忍弁義抄』の版本と写本――付、写本『堪忍弁義抄』翻刻――」がある。

【25】仮名草子集成・20巻 共編
A5判、320頁、1997年8月30日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第二十巻
 勧孝記(釈宗徳作、2巻2冊、明暦元年西村板、絵入) 解題
 堪忍記(浅井了意作、8巻8冊、万治2年荒木板、絵入) 解題
 写真

【自著を語る】 新・4  2018年2月12日

【自著を語る】 新・4  〈2018年2月12日〉

【16】仮名草子集成・12巻 共編
A5判、380頁、1991年9月25日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十二巻
 怪談全書(5巻5冊、元禄11年刊、片カナ、絵入) 解題
 恠談(1巻1冊、写本、片カナ) 解題
 恠談(2巻1冊、写本、平カナ) 解題
 怪談録(2巻2冊、写本、片カナ) 解題
 幽霊之事(1冊、写本、片カナ) 解題
●この巻の諸本調査では、長澤孝三氏の御配慮で、長澤規矩也先生の旧蔵本を長期間拝借できた事が、真相究明に非常に役立った。この学恩が忘れられない。詳細については、『近世初期文芸』第10号(平成5年12月)に掲載の拙稿「『怪談全書』の諸本」を参照願いたい。

【17】仮名草子集成・13巻 共編
A5判、308頁、1992年8月20日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十三巻
 海上物語(2巻2冊、寛文6年刊、絵入) 解題
 戒殺放生物語(4巻4冊、寛文4年刊、絵入) 解題
 漢考 怪談録前集(5巻5冊、不角序刊、絵入) 解題
 奇異怪談抄(上下巻4冊、写本) 解題
 寛文十年板挿絵集
 巻末口絵(首尾、挿絵)

【18】鹿島則孝と『桜斎随筆』 編著
B5判、64頁、平成5年6月25日、編著者・発行者 深沢秋男、非売品。 自費出版。
目 次
  口絵写真
一、 鹿島則孝略伝
二、 『桜斎随筆』書誌
三、 『桜斎随筆』総目録
四、 『桜斎随筆』の内容
五、 「あすか川」の内容
六、 引用書目、引用新聞・雑誌
七、 鹿島則孝の生家
●鹿島神宮・大宮司家の第66代・鹿島則孝の膨大な著述を閲覧したのは、平成2年10月15日のことであった。『桜斎随筆』巻6の上に、『井関隆子日記』に関する記述のある事を、当時の所有者・鹿島則幸氏に教えられ、鹿島氏のお宅へ伺った時の事である。
●『桜斎随筆』は全60冊、3500丁、7000ページという膨大な記録で、幕末・維新の歴史的資料として貴重なものと判断された。しかし、いかにも膨大過ぎる。この分量では、簡単に出版はできない。そこで、この大量の記録のある事を世間に知らせる事から始めた。それが本書である。これが全巻刊行されるまでには、長年月を要した。

【19】仮名草子集成・14巻 共編
A5判、488頁、1993年11月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十四巻
 鑑草(6巻6冊、正保4年刊) 解題
 可笑記(5巻5冊、寛永19年刊、11行本) 解題
 『鑑草』延宝3年板挿絵
 『可笑記』万治2年板挿絵
 戒殺放生文(影印) 解題
 浅井了意『戒殺物語・放生物語』と?宏『戒殺放生文』……小川武彦
 写真
●中江藤樹の『鑑草』の調査では、原本所蔵の諸機関のお世話になったが、近江聖人中江藤樹記念館には、泊り込みで調査させて頂き、多くの事を学ぶことが出来た。慶安元年8月25日、41歳という若さでこの世を去った中江藤樹の偉大さに、改めて感動を覚え、『鑑草』の内容研究に意欲をかきたてられた。しかし、この種の本文集成という作業の宿命は、ここに止まることが出来ないという事である。この願望は今も果せずにいる。この作品の詳細な諸本の報告は、『近世初期文芸』第11号(平成6年12月)に掲載してある。
●『可笑記』の本文では、11行本を底本にして、無刊記本との異同を掲げたが、やや徹底を欠いている点が、本文提供面では心残りの思いがしている。詳細な諸本の報告は、『近世初期文芸』第12号(平成7年12月)に掲載してある。

【20】仮名草子集成・15巻 共編
A5判、358頁、1994年12月10日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十五巻
 可笑記評判(10巻10冊、万治3年刊)
 🔸巻一より巻七まで。巻八以下は次巻に収める。

【自著を語る】 新・3  〈2018年2月12日〉

【自著を語る】 新3  <2018年2月12日>

【11】井関隆子日記 下 校注
B6判、396頁、昭和56年6月5日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保14年1月~12月、天保15年1月~10月、(4)索引
●長年の夢がようやく叶った。しかし、私は、10年間近く仮名草子研究から離れてしまった。これは、大きなロスになったと思う。そのまま仮名草子の研究を続けていれば、ライフワークの「如儡子の研究」は、もう纏まっていたものと思われる。自業自得である。
●『日記』全3巻が完結しても、世間からは、余り認めてはもらえなかった。昭和59年4月4日~6日、ドナルド・キーン氏が『朝日新聞』の「百代の過客―日記にみる日本人―」で採り上げて下さり、少し知られるようになった。大学入試に出題されるようにもなった。
◎平成11年度、センター試験、国語、本試験に出題される
◎平成11年度、センター試験、日本史、追試験に出題される
◎平成20年度、明治大学入試に出題される
◎平成23年度、京都大学入試に出題される
●研究面では、新田孝子氏の研究、真下英信氏の研究をはじめ、諸氏の研究によって、近世の日記文学として、高く評価されてきている。
●平成19年1月2日~3月4日、江戸東京博物館で開催された特別展「江戸城」には、昭和女子大学図書館所蔵の『井関隆子日記』の原本が展示されて、さらに世間に知られるようになった。
●現在では、このように、近世の日記文学として評価されるようになったが、それ以前から、昭和女子大学短大国文科、専攻科、学部日本文学科、大学院では、講義・講読・演習のテキストとして採用することを許して下さった。関係者に対して感謝申し上げる。また、その講義・講読・演習を履修してくれた学生にも感謝する。
●当時、この科目を履修した学生には、高額なテキスト代を負担してもらい、しかも、この日記に、文学的価値がなかった場合、許して欲しい、その様に断って、授業を始めた。今、振り返ってみると、まずまずの結果になって、胸をなでおろしている。
●御茶ノ水女子大学大学院、筑波大学大学院でも、テキストとして採用してくれた。現在では、高等学校でも教える学校が出てきている。

【12】近世木活図録 国会図書館本  共編
日本書誌学大系 37、横小本(縦135ミリ×横185ミリ)228頁(頁表示無し)、昭和59年5月31日、青裳堂書店発行、定価5500円。
編者 朝倉治彦 深沢秋男。
(1)はしがき、(2)例言、(3)書名目次
国立国会図書館所蔵の近世木活字本123種の書目解題と図版を掲げたもの。配列は五十音順。
●本書は、朝倉氏の要請によって編者に加えて頂いたもので、私は多くは協力していない。本書発行後に、某氏から厳しい批評を頂いた。

【13】桜山本 春雨物語 編
A5判、382頁、昭和61年2月25日、勉誠社発行、定価12000円。編者 深沢秋男。
目 次
凡例
影印篇
 春雨物語 上
  序 血かたびら 天津をとめ 海賊 二世の縁 目ひとつの神 死首の咲顔
 春雨物語 下
  捨石丸 宮木が塚 歌のほまれ 樊噲
研究篇
 一、『春雨物語』の諸本
 二、『春雨物語』の本文校訂
 三、文化五年本の書誌・概観
1、 漆山本
2、 桜山文庫本
3、 西荘文庫本
 四、桜山文庫本
1、 書写者
2、 墨筆と朱筆
3、 墨筆の原本
4、 朱筆の原本
 五、桜山文庫本と西荘文庫本
1、 漢字・仮名の異同
2、 省略・脱落関係
3、 その他の異同
 六、桜山文庫本と漆山本
 七、まとめ(文化五年本系統図)
付記
●この本の出版のきっかけは、昭和41年に遡る。41年2月24日、私は、恩師・重友先生と先生のお嬢さんの3人で水戸の鹿島則幸氏宅を訪問した。その前年、鹿島氏は御蔵書を研究に活用して欲しいと申され、その意向を重友先生にお伝えした結果、この日の水戸行となった訳である。
●この時、◎春雨物語、写本2冊。◎忠義水滸伝、3冊、20回。◎山花帖、3帖。◎名鳥、1冊。◎曲訛、1冊。雑兵物語、上下1冊、南畝旧蔵本。婦る野の若菜、1冊。計13冊であった。借用書には重友先生が署名押印された。
●先生は、自分が研究できる間借用する。不可能になったら返却する。そのために君(深沢)に同行してもらった。重要なものは別として、他のものは早く返す。『春雨物語』はこれを底本として校本を出版したい。了阿の『山花帖』は雑誌に翻刻してもよい。『雑兵物語』は他本との対校くらいか。お礼の意味を含めて、論文を書き、学界に紹介したい、と申された。帰りの電車の中で撮った先生の写真が、現在、私の書斎の正面に掛けてある。
●その後、7年間、これらの蔵書は先生のお手許に保管されていた。この間、浅野三平氏が桜山文庫本を底本にした『春雨物語』(昭和46年9月5日、桜楓社発行)を出されたが、重友先生としては、特別使用される事もなく経過し、昭和47年10月、鹿島氏に御返却する事になり、私がその役を仰せつかった。
●この折、桜山本は半月ほど私の手許にあり、ゆっくり閲覧する事が出来た。この桜山本『春雨物語』は丸山季夫氏の翻刻(古典文庫、昭和26年5月20日発行)と、前述の浅野三平氏の翻刻が既に出ていたが、原本の実態を知るに及んで、両氏の御苦心も理解できたが、この2つの翻刻本には、原本が十分に表現されていない事も痛感した。この原本を正確に学界に紹介し、後世に伝えるためには、写真複製以外に方法は無いと思った。そこで、鹿島氏の御許可を頂いて、勉誠社に依頼して、取りあえず写真撮影してもらい、原本は御返却申し上げた。
●その後、この『春雨物語』の事は常に頭の中にあったが、12年間が経過してしまった。昭和60年、朝倉治彦先生から、ある出版社が桜山本を出したい意向である旨の連絡を頂いた。そこで、前述の経緯を申し上げて、勉誠社の池嶋社長とも相談し、検討の結果、勉誠社から出して頂く事になった訳である。
●仮名草子研究の私が、後期の上田秋成の『春雨物語』を調査し始めたのは、このような事情によるものである。私は勉誠社にお願いして、墨と朱の2色による複製を計画し、非常に厳密なチェックをしながら作業を進めた。出版社の編集と製版・検版と私の共同作業であった。
●私は、この本を出すにあたって、従来の『春雨物語』の本文研究に接して、驚くべき事実に出会った。それは、大まかに言えば、文化6年の自筆本の欠落部分を、文化5年本で部分的に補っているという事であった。文学は芸術作品である。作品は、完結して初めて評価の対象になるのではないのか。創作時点の異なるテキストを組み合わせるなどと言う事は許されるのであろうか。そんな、切実な思いを込めながら、テキストクリティークを進めた。
●恩師の重友先生をはじめ、秋成研究の諸先学の説を批判する事は、厳しい作業であった。ただ、晩年、明を失いながらも、推敲を続けて出版する事もせずに、この作品に命をかけて完成を目指しながら、この世を去って行った秋成の事を思うと、私の立場など、もうどうでもよかった。
●文化5年本『春雨物語』の研究では、中村幸彦氏の「小津桂窓旧蔵 春雨物語について」(『典籍』4号、昭和27年10月)が定説の如き状態であった。中村氏は、文化5年本の3本について、西荘文庫本は、原本からの写しであり、漆山本と桜山文庫本は兄弟関係にあり、この2本のもとになった写本は国学の素養を持つ人によって、読み易く書き改められたものであろう、と判断されていた。
●しかし、私は、この3本を徹底的に比較検討した結果、この中では、桜山文庫本が最も優れた本文であるという結論を導き出した。全く白紙の状態から、1年余の時間をかけてようやくたどり着いた結果であった。
●この本は、『春雨物語』の本文校訂にあたって、使用すべき底本に関する新たな提案をし、秋成の専門研究者・中村幸彦氏の説に対して反論する結果になった。その意味で、諸方面に迷惑が及んでは済まないと思い、勤務先などは奥付に入れない事にした。しかし、秋成に対しては、良い事をしたのではないかと、密かに思っている。
●本書は、昭和61年に出たが、果せるかな、私の説は学界から無視され続けた。平成元年8月、木越治氏の「『春雨物語』へ――文化五年本からの出発――」(『日本文学』38巻8号)という、注目すべき論文が発表され、ようやく、専門研究者も評価して下さるようになった。きっと、秋成もあの世で喜んでいてくれるものと思う。このようなキケンな本を、製作にも神経を遣いながら出版して下さった、勉誠社の池嶋洋次氏に改めて感謝申し上げる。
●この時、すでに、恩師・重友毅先生は在世しておられず、中村幸彦先生には、本を贈呈したが、受領のハガキは頂いたが、内容に関してはコメント無しだった。その後、木越治氏の研究や、『上田秋成全集』での、長島弘明氏の対応で、従来の問題点は修正されたように思う。
●秋成の晩年は苦しかった。貧しい生活の中で、身体的にも明を失い、そのような状態のなかで、推敲し仕上げていった『春雨物語』、私たちは、その一字半句をも、おろそかに扱うことは許されない。そのように、私は思っている。
●余談であるが、私が、順調に法政大学の大学院へ進み、重友先生の御指導を受けた場合、私は、秋成の国学を解明したいと、密かに考えていた。それは、夢のまた夢に終わった。

【14】仮名草子集成・10巻 共編
A5判、324頁、1989年9月30日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十巻
 をむなかゝみ(3巻3冊、慶安3年刊) 解題
 女五経(5巻5冊、延宝3年刊、絵入) 解題
 をんな仁義物語(2巻2冊、万治2年刊、絵入) 解題
 女みだれかみけうくん物語(1冊、寛文13年刊、絵入)
  写真版 解題
  (補) 有馬山名所記(5巻5冊、寛文12年跋刊、絵入) 解題
●朝倉治彦先生は、昭和55年に『仮名草子集成』第1巻を東京堂出版から出された。文部省の昭和54年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版であった。その例言によると、朝倉先生は、当初、室町時代物語、古浄瑠璃、説経などの研究を志していたが、横山重先生のすすめで仮名草子研究を始めたという。横山先生の『室町時代物語大成』と『仮名草子集成』の本文の組み方が同様である事から推測しても、朝倉先生の横山先生への思いが伝わってくる。本集成は、坂巻甲太氏などの協力を得ながら刊行が続いた。途中から、出版も軌道に乗り、文部省の助成は受けなくなった。
●昭和64年(1989)の4月、朝倉先生から、この集成への協力を要請され、熟慮して参加させてもらう事にした。第10巻では『女仁義物語』の本文作成を担当しただけであった。以後、10年間ほど、朝倉先生のお手伝いをして、多くの事を教えて頂いた。当初、『可笑記』の解明が目標であったが、対象を仮名草子の諸作品へと拡大してゆく事になった。それは、横山先生と前田先生と朝倉先生の影響であると思う。今から思えば、この事に心から感謝している。

【15】仮名草子集成・11巻 共編
A5判、282頁、1990年8月25日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。
目 次
 例言 凡例
仮名草子集成 第十一巻
 芦分船(6巻6冊、延宝3年刊、絵入) 解題
 大坂物語(古活字版第二種、1冊)  菊池真一校訂
  解題              菊池真一
 大坂物語(上下2冊、写本)     青木晃校訂
  解題              青木晃
 女式目 并 儒仏物語(3巻3冊、万治3年刊、絵入) 解題
 女式目(3巻3冊、絵入) 解題
●私は、この第11巻収録の『女式目』の東京大学図書館所蔵本を調査して、同図書館で別々に保管している版本が、実は3冊セットで出版された事を知ることができた。詳細は『近世初期文芸』第9号(平成4年12月)の拙稿「『女式目』の諸本」で述べておいた

【自著を語る】 新・2  2018年2月12日

【自著を語る】 新・2  <2018年2月12日>

【6】可笑記評判 上 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・21、B5判、344頁、昭和52年1月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻1~巻3)
●『可笑記評判』は、以前、タイプ印刷の私家版を出しているので、是非担当させて欲しいとお願いして、横山先生・前田先生の御許可を頂いた。前著では印刷面などで、思うような内容に出来なかった部分を改善する事が出来た。両先生に感謝している。

【7】可笑記評判 中 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・22、B5判、456頁、昭和52年2月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻4~巻7)

【8】可笑記評判 下  (影印・解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・23、B5判、456頁、昭和52年3月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻8~巻10)、(3)解題

【9】井関隆子日記 上 校注
B6判、460頁、昭和53年11月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保11年1月~12月、(4)解説。
●本書は、鹿島神宮大宮司家の第67代・鹿島則文のコレクション桜山文庫の中に所蔵されていた、幕末旗本夫人の自筆の日記・全12冊に注を付けて出したものである。
●私は、昭和36年に「『可笑記』論」という卒論を提出し、以後、仮名草子の研究を続けてきた。仮名草子は近世初期であり、この女性の日記は近世末期のものであった。ところが、私はこの『日記』の内容に強く惹かれていった。
●昭和47年11月3日、水戸の鹿島則幸氏をお訪ねした。重友先生が長年拝借していた、上田秋成の写本・桜山本『春雨物語』を返却するためであった。要件が済んだ後、鹿島様は、こんな物も御座いますが、と仰って、桐箱入の写本12冊の『日記』を見せて下さった。この件を前田金五郎先生に御報告しておいたところ、翌年の1月、鈴木棠三先生から連絡があり、神田の出版社・Kから稀書創刊というシリーズを出すので、この『日記』を、その中に収録したいので、鹿島氏を紹介して欲しいと言われた。別の要件もあったので、水戸に伺ってお願いしたところ、鹿島様は快諾して下さった。
●いろいろ経緯があった後、私に校訂を担当して欲しいという事になり、千葉の新検見川時代であったが、改めて『日記』を読み直して、優れた内容である事を確認して、仮名草子研究と並行して進める、という条件でお引き受けした。
●その後、鈴木先生との話し合いの結果、校訂から校注に変更し、私は独自の判断で、人名・地名・書名などの固有名詞にのみ注を付ける事にして、『広辞苑』に出ているレベルのものは、原則としてカットした。近世後期の言葉は、古語辞典も通用しないものが少なくなく、近世初期が専攻で、しかも浅学の私にとっては難行苦行の連続であった。
●全12冊の原本を、上中下の3冊にして出す事にして、上巻の原稿が仕上がった時、オイルショックのため、この企画は中止となってしまった。しかし、私は、仮名草子研究は中断して、この『日記』の校注に全力で取組んでいた。もう、後へは引けなかった。是が非でも、この『日記』を後世に伝えたい、そんな思いであった。
●昭和52年4月30日、勉誠社の池嶋社長に、この『日記』の出版をお願いした。5月7日、池嶋氏は自ら原稿を読んで判断され、出版を引き受けて下さった。書名も「天保日記」から「井関隆子日記」に変更して、ようやく日の目を見たのである。

【10】井関隆子日記 中 校注
B6判、456頁、昭和55年8月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)天保12年1月~12月、天保13年1月~12月、(3)鹿島則文と桜山文庫。
●巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を付載した。鹿島則文及び桜山文庫に関しては、それまで、まとまったものが無く、その当時の所蔵者・鹿島則幸氏の要請もあり、鹿島則文の顕彰も込めて纏めたものである。則文は、幕末・維新にかけて、鹿島神宮大宮司・伊勢神宮大宮司として、また、国学者・教育者として大変な活躍をした人物であるが、行動はするが、余りモノは書かぬ人物であった。何か、あの〔狩野文庫〕の狩野亨吉と通うところがある。それをまとめて伝えたかった。

『井関隆子日記』原本  現在 昭和女子大学図書館所蔵

【自著を語る】 新・1  <2018年2月12日>

【自著を語る】 新・1  <2018年2月12日>

〔自著と言っても、実際には編著・共編・校訂・校注・複製などもあるので、純粋に自分の著書ではない。ただ、長い間には種々様々な本を出し、その時その時に、多くの方々のお世話になったり、御配慮を頂いた事が少なくない。そんな事を備忘録も兼ねて整理しておきたいと思う。〕

●大学を定年退職した時、こんな一文を草して、自分の本を整理したことがある。それから、10余年が経過した。現在は、年齢も年齢だし、研究の現場からは去り、これという研究もしていない。そこで、研究生活を振り返って、改めて、自著を整理したいと思う。

【1】可笑記評判 (校訂)
A5判、278頁、和装、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。発行部数122部。制作実費1部800円。
(1)凡例、(2)可笑記評判本文 巻一~巻十、(3)固有名詞索引、(4)章段数対照表・章段対照表、(5)振り仮名・漢字一覧、(6)書誌、(7)口絵(東京大学附属図書館所蔵本)
万治3年2月刊行の、浅井了意著『可笑記評判』を全冊校訂したもの。底本は東京大学附属図書館所蔵本。『可笑記』本文は収録せず、振仮名も省略した。ただし、主要な振仮名は巻末に一括掲載している。
●印刷は孔版タイプ印刷で、印字は江東区住吉の文進社、印刷は文京区本郷の一龍社。製本は千代田区神田の謡本専門の川嶋製本。
●昭和41年5月発行の『文学研究』第23号に「『可笑記』と『可笑記評判』―現実批判を中心に―」を発表したが、これを契機に『可笑記評判』の本文全冊を『文学研究』に掲載する話が出た。準備を進めてゆくと大部過ぎて雑誌掲載は無理となり、単行本化す事に変更し、自費出版で近世初期文芸研究会から発行する事になった。
●巻一から1巻ずつ原稿を作り、文進社で印字・印刷した。タイプ印刷に活字が無い場合は、日本活字・岩田母型で一般印刷の活字を購入し、作字もした。それでも無い文字は印鑑店(はんこ屋)で刻印して揃えた。
●寄贈先は、仮名草子研究者と主要図書館であったが、その後、折々古書店に出る事があり、昭和62年11月の『日本書房目録』では12000円であった、平成30年、現在のネットの〔日本の古本屋〕では、7990円、4500円、5000円、の3点が出ている。
●『可笑記評判』に関しての最初の口頭発表が、重友毅先生の主催される日本文学研究会であり、その機関誌としての『文学研究』に掲載するという話から出発したためか、本書出版の折、重友先生は序文を書いて下さると申された。しかし、単なる校訂の本でもあり、これは御辞退した。
●翌年の8月28日、市ヶ谷の私学会館で、出版記念会をして下さった。高橋俊夫先生の『西鶴論考』と私の『可笑記評判』の合同である。本心は御遠慮したかったが、重友先生のお考えに従った。座席は、高橋先生の隣が重友先生、私の隣が、何と久松潜一先生であった。長澤規矩也・杉本圭三郎・神保五弥・谷脇理史・江本裕の諸先生始め、日本文学研究会の常任委員の先生方が出席して下さった。その意味で、この本が私の処女出版であり、最初で最後の出版祝賀会というセレモニーとなった。私は、心から感謝して、2人の兄にも出席してもらった。
●スピーチの中で、久松先生が、深沢さんの『可笑記評判』は見ていないが、と申されたのには、テーブルの下に潜りたい思いであった。私は、この本を久松先生にも、中世専攻の杉本先生にも献呈していなかった。また、長澤先生は、お話の冒頭で、本日は2人のために、学外の先生方に多く出席して頂き、感謝申し上げます、と述べて下さった。その事は今も忘れられない。
●私の処女出版は、手作りのタイプ印刷の自費出版であったが、重友先生や、諸先輩の御配慮で、このように祝福して頂いた。
●この出版記念会に参加して下さった、重友毅先生、久松潜一先生、長澤規矩也先生、谷脇理史先生、小沢良衛先生、笠間愛子先生、鈴木吉三郎先生、市川通雄先生、千葉篤先生、高橋弘道先生、高橋俊夫先生、皆様、今は、御他界なされてしまわれた。何と、多くの御学恩を賜ったことか。改めて、御冥福をお祈りし、感謝申し上げる。
●私は、仮名草子作品の翻刻は、これが最初であった。無知ゆえに進めたとはいえ、浅井了意の、全10巻の大部な作品を取り上げるとは、無謀であったことに変わりはない。
●谷脇理史先生は、〔学界展望、12月1日~31日〕で次の如く紹介して下さった。
「深沢秋男氏による「可笑記評判」(近間初文芸研究会発行)は、書誌・索引ほかを付して二七八ページの大冊。「可笑記」の諸本研究を精力的に続けられる深沢氏の御研究の成果の一部と思われるが、この大冊を自費出版の型で出された氏の情熱に敬意を表したい。」
●駆け出しの私にとって、この上ない、励ましの言葉であった。早稲田大学の谷脇先生とは、終始、あたたかい交流を続けさせ頂いた。改めて感謝申し上げる。

【2】浮世ばなし 付、明心宝鑑 (影印、解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・12、B5判、318頁、昭和47年8月20日、勉誠社発行、定価5500円。
原本所蔵者 横山重・長澤規矩也、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(浮世ばなし 1巻~五巻・明心宝鑑 上下2巻)、(3)解題
●横山重氏・前田金五郎氏は、近世文学書誌研究会の名のもとに、主として横山重氏所蔵の赤木文庫本を底本にして、精密な原本の複製本を勉誠社から刊行した。本書はその「仮名草子編」第1期の12である。
●本書は、勉誠社版「近世文学資料類従」第1期の最初のものであるから、刊行に至る経緯を少し詳しく記す。昭和46年(1971)11月9日、前田金五郎先生のお宅へ伺った。新しい企画があるので相談したい、という連絡を頂いたからである。そこで初めて「近世文学資料類従」の件を知らされた。前田先生は、横山重先生の意向による事でもあると前置きされ、「仮名草子編」の1期刊行リストを示され、この中から担当したい作品を選ぶようにと申された。私は『浮世ばなし』と『可笑記評判』を担当させて頂く事にした。『堪忍記』もどうか、と言われたが、この作品は田中伸氏か小川武彦氏が、既に諸本調査を進めているらしいと申し上げ、遠慮した。
●実は、これと前後して、横山重先生からも、この件の御連絡を頂いた。横山先生は、私が研究職ではない事を気にされて、このチャンスを与えて下さった由である。私の研究は、本書の担当を契機として、『可笑記』研究から仮名草子研究へと範囲を広げていった。それは、横山先生と前田先生の御配慮のお蔭である。
●12月3日、前田先生宅へ伺い、横山先生御所蔵の、
1『浮世ばなし』(江戸版)
2『浮世物語』(京都版)
3江戸版の写真
この3点を拝借した。これらの原本を手元に置いて、諸本調査を進められたのは、誠にありたい事であった。
●『明心宝鑑』は、中国善書の一つで、仮名草子にも大きな影響を与えていた。仮名草子との関連は、前田先生が既に研究されており、有益な資料である故、これを付載する事になった。漢籍・和刻本では、恩師・長澤規矩也先生の御研究が第一であったので、先生の御所蔵本を使用させて頂いた。
●横山重先生、前田金五郎先生、ともに、あの世へ旅立たれた。私の仮名草子研究は、このお二人の先生によって、軌道修正をして頂いた。横山先生には、研究者としての、人間としての、生き方についての御指導も賜った。心から感謝申し上げる。

【3】可笑記大成―影印・校異・研究― (共編著)
A5判、764頁、昭和49年4月30日、笠間書院発行、定価11000円。田中伸氏・小川武彦氏と共編著。本書は文部省の、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版である。
使用原本は、11行本は小川武彦氏蔵本、12行本は国会図書館蔵本、無刊記本は長澤規矩也先生蔵本、絵入本は横山重先生蔵本である。
 目 次
第1編 本文・校異(小川氏・深沢)
第2編 万治版挿絵について(小川氏)
第3編 「可笑記」の研究
第1章 底本書誌解題と諸本調査報告(深沢)
第2章 校異による本文異同の考察(深沢)
第3章 「可笑記」の成立と書名(田中氏)
第4章 作者如儡子について(田中氏)
第5章 「可笑記」の内容(田中氏)
第6章 「徒然草」と「甲陽軍鑑」の受容について(田中氏)
あとがき(田中氏)
●本書刊行のきっかけは、昭和43年6月23日、日本近世文学会春季大会での発表であった。私の「『可笑記』の諸本」と題する25分の発表が終ると、田中伸氏の反論意見が出された。寛永19年版11行本と12行本の先後をめぐる問題であった。私は11行本が先だと主張し、田中氏は12行本が先だと反論された。実は、『可笑記』の諸本調査は、私と同時に田中氏も進めておられた事が、この時わかった。15分間討論したが、お互いに譲らず、司会者の神保氏も、あとは2人で話し合って欲しいと打ち切られた。
●昼食時、田中氏が私の席にこられたので、原物のコピーを示して説明したところ、ようやく納得して下さった。この11行本と12行本の先後関係は、実に微妙で、私も発表要旨では12行本を先としていたが、発表当日、口頭で、11行本が先であると訂正したほどである。私は、2ヶ月足らずの間に、この両版の先後関係を判断する、決定的な証拠を発見したのである。
●昭和45年4月、田中伸氏から、『可笑記』の影印本を出す事になったので、共編者として本文の校異を担当しないか、という連絡を頂いた。私は重友先生の許可を得て、有難く参加させてもらう事にした。笠間書院を通して、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)を申請して、補欠になり、やがて繰上げ採択された。
本書は、田中伸氏の御厚情によって編者に加えて頂いたものである。
●田中伸先生には、この件をきっかけにして、常に温かい御指導を賜った。先生は文学の価値評価では、厳しく鋭い批評眼の持ち主で、畑違いの『井関隆子日記』を出した時も、いちはやく、高く評価して下さった。また、後年、私が、野間光辰先生の説を批判した時、<もうやめなさい>と苦言を寄せて下さった。心から尊敬し、感謝している。
●この『可笑記大成』では、横山重先生の、万治二年刊、絵入本を使用させて頂いたが、この折、横山先生は、この絵入本『可笑記』を御恵与下された。また、無刊記本は、長澤規矩也先生の御所蔵本を使用させて頂いたが、長澤先生も、この無刊記本を御恵与下さった。何という、研究者冥利に尽きることであろうか。
●『可笑記』寛永19年版11行本は、鹿島則文のお孫さん、鹿島則幸氏から御恵与された。
 ①19年版11行本
 ②無刊記本
 ③万治2年版絵入本
この3点は、昭和女子大学図書館へ寄贈して、いつまでも保存して頂くよう処理した。

【4】新可笑記 (影印、解説)
近世文学資料類従 西鶴編・11、B5判、296頁、昭和49年10月25日、勉誠社発行、定価9500円。
原本所蔵者 吉田幸一、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(新可笑記、1巻~5巻)、(3)解題
●横山・前田両先生は、私が仮名草子の『可笑記』を研究していたので、西鶴のこの作品を担当させて下さった。諸本調査を進めるうちに、吉田幸一先生の所蔵本が最善本と判明した。そこで、私は横山先生に、この本の担当は吉田幸一先生にお願いしたいと連絡した。吉田先生は横山先生を通して、予定通り私に担当するようにと返事を下さった。私は感謝して解説を執筆した。
●この『新可笑記』は、元禄9年11月初版刊行、というのが、従来の定説であった。ところが、この本の刊記はおかしい。奥付の半丁がそっくり入れ替えられている。私は、初版初印とは断定できないという説を出した。

【5】江戸雀 (影印、解説)
近世文学資料類従 古板地誌編・9、B5判、424頁、昭和50年11月23日、勉誠社発行、定価10000円。 原本所蔵者 赤木文庫、監修 横山重、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(江戸雀、巻1~巻12)、(3)解題
●この本の担当は、横山重先生から直接指名された。それまで、『江戸雀』の初印本は、全く知られていなかった。従って従来の研究では、和田万吉氏・高木利太氏・長澤規矩也氏・丸山季夫氏のいずれも、この『江戸雀』の著者を菱川師宣(吉兵衛)としておられた。これは、後印本の刊記に拠ったためである。
●後印本の刊記は、「武州江戸之住/絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記に拠れば、菱川吉兵衛が本文も絵も執筆し描いた事になる。ところが、初印本の刊記には「武州江戸之住 近行遠通撰之/同絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記によれば、著者は近行遠通であり、絵師は菱川吉兵衛という事になる。勿論、初印本が正しい。
●横山先生は、この幻の初印本の担当を私に配当して下さった。しかし、この本の発行までには、私としては苦しい経験をした。それは時期を同じくして、恩師・長澤規矩也先生が、有峰書店から江戸地誌シリーズの刊行を発表された為である。
●『江戸雀』の刊行は、横山先生と私の合作であると言ってもいいかも知れない。横山先生からの書簡を、先生に御迷惑にならない範囲で記録しておきたい。
◎昭和48年9月11日 封書
今度、勉誠社で古板地誌の複製を出版する事になった。収録予定リストを送るので、担当希望の作品を出すように。という連絡を頂いた。担当者には何名か考えているので、各自の希望が出たところで調整して決定したい、というもの。私は江戸関係の作品、1、2点に印を付けて返送した。その結果、『江戸雀』の担当を指示された。
◎昭和49年4月25日 はがき
「江戸雀の初印本と再印本の差を見て貰ひたい。私から藤園さんに頼んで、本を池嶋宅まで送ってくれと云って見る。それ不可なら、貴兄が藤園堂を訪問せねばならぬ。○藤園本の題簽と奥の写真は勉誠へ送りました。――江戸雀は文字が小さいから、本文を大きく出すために、天地をそのまゝ出さずに、本文だけを大きく出す工夫をしたい。――本文の中で、両者の差のある所は、再印本のその部分の写真も出して、解説の中で示す方よし。」
◎昭和49年5月24日 はがき 速達
近々『江戸雀』の原本を渡すので来て欲しい。「この本を自宅で見れば、他の本は一見するのみでよろしいと思ふ。」続けて、有峰書店で、江戸地誌叢書10巻を出すという。内容見本をみると第1巻に『雀』を入れて、影印と活字翻刻とを併用するという。「師宣撰画とあり。やはり後印本也」と追記されていた。
■6月9日、伊東市の勉誠社の池嶋氏の別荘に横山先生を訪ね『江戸雀』の初印本・後印本・江戸図3点の5点を拝借した。借用書は書かず、手帳にメモしたのみ。横山先生は、「それだけあれば、家が1軒建つからね、決して電車の中では広げるナ、家に帰ってゆっくり見なさい。」と申された。
千葉の家に帰宅して、早速、初印本をゆっくり拝見した。これが師宣か、と浮世絵の祖・モロノブの本物に出会って、目が開かれた思いがした。以後、学生などに師宣の浮世絵を説明する時は、この瞬間の事を念頭において述べている。犬小屋入りの江戸図を、8畳間一杯に広げて調査できた事も、ただただ、感謝した。拝借した原本は12月21日に御返却申し上げた。
◎昭和49年6月21日 はがき
「江戸雀の御調査感謝。貴説、近行遠通が初印本に手を入れしかといふ事、私、賛成。近行遠通の名を削りしも、彼の発意か。延宝八年の『江戸方角安見図』にも、作者の名を出さず。当局の意向をソンタクして表へ顔を出さぬのかも知れぬ。尚、御調査願ふ。」
◎昭和49年8月2日 はがき
「江戸雀、初印本と再印本の大差のあるところ、再印本の方から、三、四枚の写真を、解説のところで出して、初印本の頁を記して、対照するやうに、御配慮ありたし。○再印本も近行遠通の手を経てゐるとの御説は、傾聴に値ひす。彼は江戸方角安見図(延宝八年)では作者名を出してゐません。風向きの悪いのに気づいたか。○しかし、私案に拘らず、貴説を通して下さい。」
◎昭和49年8月20日 はがき
「御手紙ありがたう。方針はすべて貴案のやうでよろしく。削除のところは、撰者近行遠通の意志によるものらしとの貴説よろしきか。江戸雀、はじめて真相を得るらし。その旨は、池嶋氏にも云って、頁数の多くなるのを恐れるなと云って下さい。或いは二冊にする方よきか。原本を私に返すのを急がずともよい。今はただ、正確で行き亘る事を望む。健康が大切。あまり根をつめる事勿れ。」
◎昭和50年2月6日 はがき
「勉誠の「定本地誌」へ「江戸雀」の解説を渡しませんか。……○その場合、原本を出すべきか。(目下、私方にあり。)○年度末で御多忙でせう。ハガキでよく、簡単な手紙をください。御用は私に云って下さい。御指定のやうに致します。」
◎昭和50年9月24日 はがき
「江戸雀の解説の校正のコッピー拝受。返送せずともよしとあり、私許に止めておきます。大兄の記述、すべてよく、過、不足もなく、公正と思ひました。遠近道印の地図は、私の書いた後に、/改撰江戸大絵図 元禄二年二月 板屋板/といふものを得ました。これは、延宝四年板と同じく、一分十間積りの図を、その後の変化を入れて、改撰したものです。私は四十年かゝって、これだけを得たのです。」
●昭和50年12月13日(土)『江戸雀』ができて、編集の中村さんが4冊届けてくれた。
私はその日に、まず、恩師・長澤規矩也先生にお届けして報告した。実は長澤先生は、前年の5月に、有峰書店から、江戸地誌叢書10巻を企画し、その中に『江戸雀』を影印と活字翻刻で収録すると公表されていた。これを知った横山先生は、先方はやはり後印本が底本のようである。しかし、それより、こちらは先に出すように、と解説原稿の仕上げを急ぐ事を指示された。私は、横山先生と長澤先生の板挟みの状態になってしまった。いずれも尊敬している大切な先生であった。この間、長澤先生には一切接触しないようにして、解説原稿を書き上げた。〔万一、お会いしたら、資料類従・古板地誌編の事をお話しする可能性もある。それでは、横山先生に対して申し訳ない。この1年間は厳しい日々の連続であった。〕そして、この日になったのである。私は事情を説明してお詫びした。長澤先生は本を広げて、良い本だ、良くやった、こちらはもう出さなくていいね。と私のこの間の失礼を許して下さり、本の出来映えを誉めてくれた。
次の日に、伊東の横山先生のお宅へ伺い、勉誠社から預かった本をお届けした。先生は、良くやった、と労いのお言葉をかけて下さり、大変喜ばれた。
●この『江戸雀』は、1冊の複製本であるが、その本当の著者を解明した画期的な本であり、その担当者に選ばれた私は幸せであった。私としては、尊敬する2人の先生の御意向の板挟みの中で進めた、調査研究であり、忘れる事のできない1冊である。
●昭和50年というと、40年前である。当時の、私は、浅井了意の『可笑記評判』・『浮世物語』、井原西鶴の『新可笑記』、如儡子の『可笑記』の諸本調査・『可笑記大成』、井関隆子の日記の本文校注等々、を進めており、大多忙の時だった。
そのような、状況の中で、横山重先生から、『江戸雀』の調査・解説を命じられたのである。私としては、全力を尽くして取り組んだが、これで、満足していた訳ではない。もっと、もっと、詰める自信はあった。しかし、時間的に不可能だったのである。それは、今も、残念に思うし、横山先生に申し訳ないと思っている。
それに、本書は、法政大学での恩師、長澤規矩也先生との関係もあって、厳しい2年間を過ごした。研究者としても、人間としても、その姿勢が問われたものと、今、思っている。私は、ギリギリのところで行動した。
本書刊行後、両先生とも、御了解下さったのか、その後も、温かく御指導を賜った。心から感謝申上げている。
 横山重先生は、昭和55年10月8日、御他界なされた。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
 長澤規矩也先生は、昭和55年11月21日、御他界なされた。私は、表章先生と、長澤先生の骨揚げをさせて頂いた。

                       
  

『近世文学研究』 新編第2号 発行

『近世文学研究』新編第2号 発行

  目 次

『夜半亭蕪村句集』による蕪村発句の年次考証(二)・・ 中野沙惠
「秣負ふ」歌仙注釈 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 深沢眞二
谷口重以編『新百人一句』 私注 一 ・・・・・・・ 松田佐登美
国際俳句の概要と可能性 ・・・・・・・・・・・・・・ 東 聖子                
 一江戸後期の萌芽からジャポニスムをへて現代ヘ-
『時評・随想・資料紹介』
雙林寺の道 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本園明子

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

平成29年12月25日 発行
発行所 文学史探究の会
211ー0022川崎市中原区苅宿31-7
電話 044-431-0650
発行者 吉田和彦

〔編集後記〕

 本誌の発行者でおられる島本昌一先生がご逝去されてしまいました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。前号の編集後記に「この雑誌は、人に生きる勇気を与える雑誌にしていきたいと切に思う。」と締め括られており、病気や年齢、医療や介護のことなどいろいろと思うところがおありだったのかなとお察し致します。先生が発行者となり、新たに新編第1号としてスタートし、本誌の将来についても積極的で、第2号に向けて精力的な姿勢で臨まれていらっしゃっただけに、突然の訃報に驚き、悲しまれている方も多いことと存じます。
 そんな先生の本誌に対するお気持ちや、執筆されている方のこの後のことを思うと、本誌がここで、たった1号だけで終わってしまうのは残念と、そんな気になってしまい文学研究には一切関係が無い単に印刷・製本を承っていた印刷所の私ですが、発行者を引き継ぐと言ってしまいました。その為、執筆者の皆様にはご迷惑をお掛け致しまして申し訳ございません。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
。。。。。。。。。。。。。。。。

●今日、島本昌一先生が出しておられた、『近世文学研究』新編第2号を拝受した。力作論文が収録されているが、島本先生のお名前は無い。驚いたことに、発行者が、吉田和彦となっている。稲栄社印刷の社長さんで、法政の島本先生の教え子である。
●〔新編〕として再出発された、島本先生の遺志を継承したいという、切実な思いが、第2号刊行につながったのだと思う。島本先生も、学問への尽きない思いを持ちながら、御他界なされたが、この第2号の奥付を見て、喜んでいるに違いない。

書籍・雑誌の配達

。。。。。。。。。。。。。。。。

出版取り次ぎ「もう限界」

 一晩で配送55店、積み荷は激減
2018年1月12日05時00

 出版市場の縮小で積み荷の本は激減しているのに、配送先は増え続ける――。出版社と売り場をつなぐ出版取り次ぎが非効率にあえいでいる。コンビニの増加が背景にあり、この1年で1千店以上増えて約5万5千店に。人手不足の配送現場では、高齢ドライバーが深夜の街を駆け回る。
 (塩原賢)【朝日新聞、デジタル より】
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●現在、日本の小売書店数は激増して、55000店だという。ネット登場以前は、全国約2万店だった。コンビニが雑誌・書籍を扱うようになったためだ。しかもコンビニは、扱う書籍・雑誌が少ない。そこで、取次のトーハン、ニッパンが、配達に苦しむことになる。
●私は、学生の頃、東販でアルバイトをした。江戸川営業所で、返品整理の仕事だった。職場は、日本全国で発行される書籍が全部集まる。まさに〔文化の殿堂〕だった。社歌に「トーハン、トーハン、文化の泉」とあった。
●半年くらい勤めたが、社員の皆さんから、大変よくしてもらった。また、新刊の書籍・雑誌を、よく読ませて頂いた。一度だけ、小売り書店への配達に手伝ったことがある。大きなトラックに、各書店別に梱包された、書籍・雑誌を積み込み、書店を回る。朝、4時頃からだったと思う。各書店の前に新刊の包を置き、出ている返品の包を回収する。いろんな意味で、貴重な経験だった。
●現在の、コンビニの雑誌コーナーも見ているが、これでは、取次からすれば、効率は悪いと思う。しかし、時代のニーズもまた、やむを得ない。全てアメリカの開発したインターネットが、人間の社会を変革している。

森川 昭 先生の 『夷参 いさま』第16号

『夷參(いさま)』第16号発行

『夷參(いさま)』16号 A5判・228頁。非売品。
発行日  平成29年3月30日
編著者  森川 昭
発行者  森川 昭
発行所  252-0024 
     座間市入谷 4丁目 2741-3-116
     森川 昭

16 号  目次

○千代倉家日記抄 52 ………………… 森川  昭   1 
   ―嘉永六年~慶応四年― 

○再説「はせを独吟」 …………………… 佐藤 勝明 219

◇編輯後記◇

 九世六喫園此汐は丹念に日記を書きつづけた。安政三年に隠居したあとを嗣いだ一〇世菜蘭軒邦雄が隠居し、一一世蜑洲鎮雄の代になってもづづけた。その丹念な日記のあれも採りたいこれも採りたいと手間取ってなかなか捗らい。今回は頁数がどれほど増えようと、一気に江戸時代を終わらせたいと肝を決めて、しかも幕末の二年は全文を載せたいと、ようやく打ち終え、プリントアウトして積みあげてみると一行二六字×三〇行のが三糎にもなった。
 思えば、昭和五〇年代の初め、特にお許しを得て、それまでばらばらだった日記帳を年代的に整序するために、宇佐美魚目、長島弘明、塩村耕三氏の協力を得て、廊下に運び出していただいた。その時の圧倒的な量感を今も忘れることができない。あと四〇冊余を残しているとはいえ、その大半を一頁一頁めくったことになる。感慨無量である。
 右の次第で、二号から御寄稿をいただいている榊原邦彦氏には一回お休みいただいて「千代倉家日記抄」一本で行く予定であったが、思わぬ事態が生じた。前号に御寄稿いただいた佐藤勝明氏「「はせを独●」歌仙の紹介」について疑問が寄せられ、佐藤氏も再説の意思を示されたので、急遽御寄稿をお願いした。全く検討もせずに資料を提供した私の責任であるが、再説稿は該資料の発生・伝承を論じた最も詳しい論文になっている。関係者にお詫びと御礼と敬意を表したい。
 いつもながら、長く御高配をいただいでおります千代倉家の皆様、小誌には過ぎたる題字を揮毫してくださった宇佐美魚目氏、印刷はもとよりパソコンの技術指導までしてくださっている、くうるいんさつの野島英俊、栗本知典の両氏に、心から御礼を申し上げます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●228頁の大冊である。森川先生の、この ◇編輯後記◇ を拝読して、感激せずにいられない。私は、仮名草子研究を志した最初の頃、島本昌一先生を介して、森川昭先生の御研究に接することができた。島本先生は、森川先生の労作『江戸貞門俳諧の研究』を示され、研究のお手本にするように、とお導き下さったのである。俳諧と仮名草子ではあるが、目指すところは同じだった。以後、森川先生には、機会あるごとに、お導きを賜った。
『夷参』第16号の大冊を拝受して、しみじみ、学問の尊さを思う。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

森川 昭  (ウィキペディア より)

森川 昭(もりかわ あきら、1932年8月29日 – )は、近世日本文学研究者、東京大学文学部名誉教授。
神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。1957年戸山高等学校講師、1961年成蹊高等学校教諭、1965年愛知県立大学助教授、1970年成蹊大学助教授を経て、1976年東京大学国文科助教授、教授、1993年定年退官し名誉教授。同年より帝京大学文学部教授。2003年定年退職。俳諧が専門。
著書
• 『江戸貞門俳諧の研究』成蹊高等学校, 1963
• 『東海道五十三次ハンドブック』三省堂 1997
• 『俳諧とその周辺』翰林書房 2002
• 『春夏秋冬』翰林書房 2005
• 『下里知足の文事の研究 第一部(日記篇)』和泉書院、2013 
• 『下里知足の文事の研究 第二部 論文篇、第三部 年表編』和泉書院、2015  
校注・編纂[編集]
• 松尾芭蕉『おくのほそ道』村田直行共編訳 創英社, 1981
• 『谷木因全集』和泉書院, 1982
• 『発句帳』古典文庫 1984
• 『新日本古典文学大系 69 初期俳諧集』加藤定彦,乾裕幸共編 岩波書店, 1991
• 『論集近世文学 俳諧史の新しき地平』勉誠社, 1992
• 『近世文学論輯』和泉書院, 1993
。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「冷泉家時雨亭叢書」全100巻 完結

。。。。。。。。。。。。。。。。。

筆遣い伝え25年、100巻完結 歌書を複製「冷泉家時雨亭叢書」
2017年11月23日05時00分  【朝日新聞 デジタル】

 平安後期から鎌倉時代の歌人、藤原俊成(しゅんぜい)・定家(ていか)父子ゆかりの京都・冷泉家(れいぜいけ)が800年にわたり守り続けてきた歌書などの貴重な書物を写真撮影して複製した「冷泉家時雨亭叢書(しぐれていそうしょ)」(朝日新聞社刊)全100巻が、1992年の刊行開始から四半世紀を経て完結した。
近刊の各巻は、定価 32400円。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●凄い快挙である。近世文学、特に仮名草子を研究している私などは、昭和47年(1972)勉誠社から出た『近世文学資料類従』に対して、心から感謝した。この写真複製によって、仮名草子研究が大きく進展したからである。
●この、『冷泉家時雨亭叢書』も同様であろう。この貴重な古典籍が、多くの研究者に与えた恩恵は大きい。昭和女子大学に勤務していた頃、中世文学研究者の齋藤彰先生も、この叢書を定期購読されていた。書店から届く度に、嬉々として読んでおられた先生のお姿が思い出される。齋藤先生は、昨年、定年退職され、今は、日本大学の大学院で教えておられるものと思う。この、全100巻の『冷泉家時雨亭叢書』の並ぶ書斎で、研究を進めておられるものと想像している。

■写真・図版
複製本第1巻「古来風躰抄(ふうていしょう)」の見開き=22日、京都市上京区

■『近世文学資料類従』

『広辞苑』 第7版 発行

『広辞苑』10年ぶりに改訂 第7版 発行


2017年10月24日

10年ぶりに改訂された『広辞苑』岩波書店が24日、都内で会見を行い、中型の国語辞典『広辞苑』の第七版を来年1月12日に発売すると発表した。「スマホ」「ツイート」「朝ドラ」など、第六版刊行後に収集した10万語の候補項目の中から厳選し、現代生活に必須の新語1万語を追加で収録している。
1955年に初版を刊行して以降、「国語+百科」辞典として、今や国民的辞典と呼ばれるまでに広く浸透している『広辞苑』。今回、2008年の第六版の改訂から約10年ぶりの大改訂となり、収録語も新たに1万項目追加、140ページ増加となったが、製本機械の限界である8センチに収まるように用紙を開発し、厚さは第六版と変わらない。
普通版と2分冊の机上版の2つが販売され、来年の6月30日までそれぞれ8500円(普通版 以降は9000円)、13000円(机上版 以降は14000円)という完成記念特別価格を設定。第六版まで販売されていたDVD-ROM版は、岩波書店からの発売を見送る方針だといい、同社常務取締役の桑原正雄氏は「紙は今の時代だからこそ残していかなければいけない。DVD版も協力してくださるところから出る可能性はあるし、電子辞書とスマホは別途検討します」と説明した。  【朝日新聞 デジタル より】
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●発行部数は、第3版の260万部を頂点に、右肩下がりで、第7版は、机上版も含めて20万部発行を予定しているという。紙の辞典がネット媒体に押されて大変である。私が、実用国語辞典を編集していた頃は、初版20万部で、2年間で原価償却した。以後、年間20万部発行を続けたのである。紙の辞典は苦しいが、出版社には頑張ってもらいたい。紙の辞典は、ネットと違って、多くの利点がある。『広辞苑』。第7版の発売がたのしみである。