鹿島則孝の出自

鹿島則孝の出自

  • 2019.08.13 Tuesday
 鹿島則孝の出自

●平成5年(1993)6月、『鹿島則孝と『桜斎随筆』』を出した。その現物が手許に無くなった。念のため国会図書館の書誌を示す。

2019年8月13日 深沢秋男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鹿島則孝と『桜斎随筆』  (国会図書館)
深沢秋男 編著

詳細情報
タイトル 鹿島則孝と『桜斎随筆』
著者 深沢秋男 編著

著者標目 深沢, 秋男, 1935-

出版地(国名コード) JP
出版地 所沢
出版社 深沢秋男
出版年月日等 1993.6
大きさ、容量等 63p ; 26cm
価格 非売品
JP番号 93068429
出版年(W3CDTF) 1993
件名(キーワード) 鹿島, 則孝, 1813-1892

NDLC HL31
NDC(8版) 172
対象利用者 一般
資料の種別 図書
言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●この時、市ヶ谷の、鹿島則孝の実家の調査をした。

鹿島則孝の生家の場所は、江戸牛込の逢坂の角で、牛込と市谷の堺、市谷船河原町だという。安政四年、尾張屋版の江戸切絵図を見ると、牛込御門から外壕に添って、市谷御門へ向かう途中の右手に逢坂があり、その角地に「筑紫帯刀」とある。また、この辺が「船河原町」で、その先が「同(市谷田町)三丁目」とあり、則孝の記述と合致する。ここが、則孝の実家・筑紫孝門の屋敷であろう。三千石の家柄であるため、屋敷も広い。この辺の街並は、現在もあまり変っておらず、中央線の飯田橋駅から市谷駅に向かって外堀通りを進むと、神楽坂の次に臾嶺坂(別名、若宮坂、行人坂、祐玄坂。切絵図には、シンサカとある)があり、次に逢坂がある。この辺が現在も市谷船河原町で、筑紫家の屋敷跡と思われる逢坂の角地は、現在、空き地になっていて、奥の方に東京理科大学の薬学部が建っている。

則孝は、ここで生まれ、二十四歳までこの地で過ごした。則孝の父、筑紫孝門は、浦賀奉行・日光奉行等を勤め、采地三千石の旗本であった。旗本の総数約五千二百名、その内、三千石以上は約二百四十名に過ぎない(寛政年間。深井雅海氏『国史大辞典』に拠る)。筑紫家はかなり上位の家柄であった訳であるが、『桜斎随筆』巻四には、その則孝の実家の生活の様子が記録されている。

生活用品の購入は、牛込寺町まで出かけていたが、文政の頃より、神楽坂に商家が出来たので、ここに、一日二回、買い物に使いを出したという。また、市谷田町へは一日おき、日本橋へは一か月に一度、買い物に行ったと記している。

正月の年始の様子も伝えられている。父・孝門は、元日から連日、諸方面へ年始廻りに出かけ、年始の来客の応対は、母、兄が行い、則孝も面会する事があったという。また、その折の饗応の様、年賀状の事も書き留められている。

さらに、筑紫家に仕える、家老、用人、給人、近習、中小性、老女、側女、次女、小間使、茶の間女、末の女などの給料についても詳細に記している。当時の旗本の生活の実例として参考になるものと思われる。

則孝は、『桜斎随筆』巻二下において「五十一 大宮司 中古代々忌日」「五十二 三笠山墓碑」など、鹿島家の先祖代々の忌年、墓誌等を記録しているが、続いて「五十三 恭徳院様御棺槨御石碑之覚」として、父、孝門(恭徳院殿朝大夫前佐州刺吏泰翁良温大居士)の墓所、墓石等について記している。今は、則孝の父母、兄弟の忌年を引用するに止めたい。

「実方親族忌年月日

父 孝門 筑紫佐渡守 清弟霊神 天保九年戊戌六月十一日卒 享年六十四
母 貞子 青木氏 端玉媛霊神 弘化三年丙午五月十日 同六十九
兄 徳門 筑紫右近 后蓮水 厳鞆霊神 明治元年戊辰六月九日同七十一
同 義処 青木新五兵衛 后鶴山 実相院 万延元年庚申七月七日 同六十二
弟 正路 佐々木寛四郎 寛量院 明治元年戊辰六月十九日 同五十六
同 孝本 小倉氏 元通称貞之助 同七年甲戌六月三十日 同四十九年四ケ月
甥 礼門 筑紫主殿 右靱霊神 慶応二年丙寅六月廿二日 同五十三
筑紫家先塋   東京浅草区栄久町百八番地 永見寺〔禅宗宗洞〕
同       同府下北豊島郡地方今戸町拾七番地 永伝寺 同
同 〔裏方埋葬〕同牛込区横寺町三拾三番地 龍門寺 禅宗
青木家先塋   同浅草区神吉町四十七番地 幡随院 浄土宗
佐々木家先塋  同四ッ谷区南寺町三拾四番地 松巌寺 禅宗    」

旗本の三男とはいえ、三千石の家柄でもあり、同じ武家の養子なら納得もゆくが、何故、則孝は神官の道を選んだのであろうか。鹿島神宮・大宮司家といえば、長い伝統と高い格式の家柄であり、その故であろうか。その理由について、則孝自身の書き残した文章がある。(『桜斎随筆』巻四の二)

「弐 予が武家を厭ひ、神家に成たる原因は、実父の君、昌平坂学問所御用勤中ニ、寄合肝煎、内藤外記と云人と、学校上の事ニ付、議論せしに、父の勝利と成りしを、内藤不快ニ思ひ居たるが、同人は、浦賀奉行勤仕となりたり。父君も又、同役と成られたるが、先勤故、諸事内藤の、指引を被受たるが、此時に至り、先きの遺恨を含み、種々不都合の差図にて、甚迷惑被致、其後も、内藤の親族、水野美濃守〔御側御用取次〕の為めに、讒言せられ、青雲の妨害となりしを、目撃せし故、断然武門を廃せむと、決意の処、恰もよし、鹿島より養子の相談あるニ付、取極たるなり。」

則孝の神官への転身には、実父・孝門の、同じ旗本・内藤外記との確執が大きく関わっていたようである。

孝門と内藤は、昌平坂学問所に勤務の折、意見の対立があり、結果は孝門の主張が通ったが、内藤はこれを根にもち、やがて、浦賀奉行となった時、先役の立場を利用して、いやがらせをしたという。さらに、内藤外記は、親類の水野美濃守忠篤に働きかけ、水野の讒言によって、孝門は出世の道を阻まれたという。水野忠篤は、家斉の小納戸から小性、大坂町奉行などを勤め、文政四年五月に側衆となり、八千石を与えられていた。家斉に重用され、第一の側衆として、心のままに振る舞っていた。天保十一年、家斉が没すると、首席老中・水野忠邦は、家斉側近の三佞人を処分しているが、水野美濃はその一人である。孝門は天保九年に没しているので、ちょうど、水野美濃守が専横を極めた時代にあたる。正論を主張したが故に、出世の道を閉ざされた父の姿を、少年・青年時代の則孝は見ていた。「断然武門を廃せむ」という表現に、その時の則孝の強い意思が示されていると思う。

鹿島則瓊が大宮司家の後継者として、筑紫荘三郎に白羽の矢を立てたのは、単に、三千石の幕臣の三男坊という事のみでは無かったであろう。その人品、学殖ともに吟味の上であったと思われる。則瓊も歌文を能くした人物であった。両者相通うものがあり、この縁組は結ばれたものと推測される。

「鹿島則孝と『桜斎随筆』」(平成5年6月25日発行。私家版)より

ある不動産業者の地名研究

ある不動産業者の地名研究

  • 2019.08.12 Monday
  • 06:09
ある不動産業者の地名研究

●今日、〔ある不動産業者の地名由来雑学研究〕というサイトに出会った。牛久、竜ケ崎辺りの不動産会社のサイトらしいが、その雑学研究が、実に膨大で、驚いた。その中に、鹿島則孝に言及している部分がある。

。。。。。。。。。。。。。。。

【はじめに】

我々が「地名」などの話題にふれるとき・・・“誰もが無意識”に、その「固有名詞」の「発音」や「響き」、“その意味”を想像しながら、話や文脈全体を理解しようとしているのではないでしょうか。
・・・このことは“我々(ヒト)の脳構造”・・・とりわけ「言語中枢」と呼ばれる部位が、“左右二つに分割されているため”なのです。その一つは「音声」や「文字」などの「情報」を理解するための部分・・・云わば、受信アンテナ的な役割を担う部分です。・・・この隣に、もう一方の「音声」を使用する言語運動という形で(※つまりは、発声により)、「情報」を発信するための部分があり、主に“これら二つの部位が、互いに活発な遣り取りを行なうこと”によって、言語活動全体を成立させるという仕組みになっています。

日本では、古くは奈良時代に編纂された『古事記』、『日本書紀』、『常陸風土記』などに記されて来たように・・・「地名の起源」についての探索や研究は、我々の関心を惹きつけてきました。・・・しかしながら、「日本の地名」についてのみに限定してみても、より普遍的な「語源解釈法」や、それが、いつ頃命名され、当時の人々に浸透していったかを特定することは、「地名学」や「言語学」、「考古学」、「民族学」、「文化人類学」などによる、様々なアプローチ方法はあるものの・・・なかなか、「こうだ!これにほぼ間違いない!」・・・と“断言出来る状況は稀なケース”であり、多くが未解明と云えるのでしょう。・・・これはこれで、“歴史ロマン”を掻き立てられるのものですが。
“言葉の生きた化石”とも云われる「地名」の探求は、“古代語研究と同義となることが多い”ため、「発音」や「響き」を含むその「言葉」の「読み方」や「呼び方」、「地名」を、“同次元で扱う姿勢がより重要となる”のかも知れません。
・・・それにしても、私(筆者)自身を含め、多くの方々は、“地名そのもの”の「発音」や「響き」、“その意味が現代に至るまで受け継がれて来た”という事実や、“地域の歴史そのものの”に対して、「意味」や「メッセージ性」などを、何かの機会に見い出しているのではないでしょうか。
・・・そこで、こちらの関連ページではこの“意味・メッセージ性”を「キーワード」に・・・甚だ大雑把かも知れませんが・・・できるだけ、それぞれの時代順にポイントを踏まえながら記述していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 同年10月29日:「幕府」が・・・「鹿島社大宮司・塙大隅守(はなわおおすみのかみ:※鹿島則孝のこと、通称は荘三郎、主税之助とも、幕府旗本・筑紫〈佐渡守〉孝門の三男)」を「罷免」して、「押込(おしこめ:=押籠)」に処し・・・“其の子”である「出羽守(でわのかみ:※鹿島則文のこと、通称は布美麿、矗之輔とも、鹿島則孝の長男)」を、「逮流(たいる:※逮捕した後に遠島にすること)」に処す。“常野浪士騒擾の事”に「連座」するなり。【綱要】・・・押込(=押籠)とは、主に武士や庶民に対して適用され、自宅、或いは自室などの前に戸を立てて閉鎖(※いわゆる座敷牢のこと)し、一定期間における昼夜の出入りや通信などの一切を禁じて、謹慎及び幽閉する刑罰であり・・・江戸時代には、自由刑の一種として比較的軽い罪の場合に適用されたとのことです・・・が、大社の神官職にある者達であっても、当時の連座責任を追及されることとなって、時の幕府からは容赦されなかった様子も分かります。・・・しかしながら・・・ここで・・・当時の尊皇攘夷思想などについてを、更に深く掘り下げるために・・・(↓↓↓)

________________________________________

・・・上記の塙大隅守こと鹿島則孝とは・・・筑紫孝門(ちくしたかかど:※通称は佐渡守)の三男として、1813年(文化10年)に江戸・牛込逢坂で生まれ・・・1837年(天保8年)12月6日に、鹿島社大宮司・鹿島則瓊(かしまのりよし)の婿養子となり・・・1843年(天保14年)には、水戸藩9代藩主・徳川斉昭に謁見・・・1858年(安政5年)11月6日に、鹿島社大宮司職を継ぎ・・・同年11月15日には、第14代征夷大将軍に内定されていた、当時の徳川慶福(※後の家茂)と謁見し・・・それから、ちょうど一月後の同年12月15日には、「将軍代替ノ礼」のためとして、正式に将軍となった徳川家茂と、再度の謁見をしています。・・・1862年(文久2年)には、禁裏から鹿島社への米の寄附があったため、その返礼等のために、長男である出羽守を、自身の代理として上京させてもおります。

そして・・・本ページのように、「元治甲子の乱(≒天狗党の乱)」が起こる・・・と、1864年(元治元年)9月2日には、潮来勢が鹿島社に屯集して・・・“潮来勢が同月6日に、鹿島社を発とうとしていた矢先”・・・結果として・・・“これを追撃する幕府軍との遭遇戦”に見舞われることになって・・・この時、潮来勢と呼ばれた水戸藩士民達とともに、塙大隅守なども、幕府軍から一斉銃撃を浴びせられてしまいます。・・・この時の戦況については・・・“鹿島社の宮域に発砲され、その弾丸は霰(あられ)の如し”・・・とされ、また・・・“塙大隅守は、同月5日夜から鹿島社に宿直して、そこを警衛していたため、人的損害については事無きを得た”・・・ものの・・・“此の時、大舟津の一ノ鳥居が焼失した”・・・とも。

・・・ちなみに、塙大隅守の実父である筑紫孝門(※通称は佐渡守)とは、幕府の浦賀奉行や日光奉行などを歴任した武門家系の人であり、つまりは・・・当時の「幕臣」と云える人物です。・・・
・・・やがて・・・筑紫孝門(※通称は佐渡守)の子孫達の代になると・・・塙大隅守及び出羽守親子が、当時の政治的オピニオン・リーダーの一人とされる水戸藩9代藩主・徳川斉昭の影響を当然に受け、その後に水戸藩領地に隣接する鹿島社の大宮司職を、それぞれ継ぐこととなり・・・結局のところは・・・まず・・・筑紫孝門(※通称は佐渡守)の孫であって、塙大隅守の長男だった出羽守が・・・時の幕府から、“実父の大隅守よりも以前に、謹皇の志士達との濫(みだら)な交流や、神宮の祭典を変更をした事”を追及され・・・当時の「罪」に問われることとなって、1865年(慶應元年)7月には「揚屋入」とされ・・・翌1866年(慶應2年)5月24日に“八丈島へ配流される”のです・・・が・・・実父・塙大隅守は? と云えば、“当初は長男・出羽守と同罪とされて、この1865年(慶應元年)10月29日に「押込」を命じられる”・・・も、翌1866年(慶應2年)の2月には「放免」されております。・・・

・・・このことは、詰まるところ・・・当時の幕府は、“この親子の罪については、一旦は同罪”とした・・・ものの、“その罪の度合い”については・・・“長男のほうが、父と比べて、より重かった”と、後に結論付けた訳です。・・・この背景には・・・塙出羽守が、幼少時から「水戸学」を学んで育ったことや、“彼が21歳頃の1860年(万延元年)に、江戸の安井仲平(※号は息軒、儒学者)が開いた私塾の「三計塾(さんけいじゅく)」に学んだ経歴が大きく影響していた”・・・と考えられるのですが・・・やがて、この塙出羽守も、1869年(明治2年)5月1日には「赦免」されることとなって・・・同月28日には「帰京」し、翌6月13日には、鹿島へ「帰郷」しておりまして・・・実に・・・“遊学期間を除く約3年間を、八丈島など鹿島以外の土地で暮らした”ことになります。

・・・いずれにしても、“長男・出羽守の鹿島帰郷直後期に当たる同年7月1日”には、実父の塙大隅守が・・・鹿島社境内地に、学問所とされる「稽照館(けいしょうかん)」を開設しており・・・ちなみに、この「稽照」とは、『古事記』序文にある「古(いにしえ)を稽(かんが)ひ 今を照らす」から引用した名称です。・・・尚、この「稽照館」の初代校長を務めたのが、長男の塙出羽守であって・・・その講師陣は? と云えば、これも鹿島社の神官達が務めておりまして・・・「稽照館」では、『古事記』や『日本書紀』などの他にも、『令義解(りょうのぎげ)』や『日本外史(にほんがいし)』、『祝詞考(のりとこう)』、『春秋左氏伝』などの国学や、漢学古典の講義が行なわれ・・・長歌や短歌の創作なども、当時の生徒達への課題として与えられていたようです。・・・また、鹿島社領域内の子弟達だけが生徒として限られていた訳ではなく、“周辺の波崎(現茨城県神栖市)や潮来(現茨城県潮来市)などからも通学する者があった”・・・とも伝えられております。

・・・この後の1876年(明治9年)9月7日には、“実父・塙大隅守の隠居”に伴なって、長男・出羽守への家督相続がなされ、出羽守が正式に鹿島社大宮司職を継ぎます・・・が、1884年(明治17年)4月2日には、伊勢神宮の大宮司職に任じられることとなり、既に隠居していた実父・塙大隅守は勿論のこと、一家揃って伊勢へ移住することに。・・・ちなみに・・・“実父・塙大隅守については、晩年の15、6年間は平穏な暮らしが送れた”と推測出来ますが、1892年(明治25年)10月2日に、享年80で没しておられます。・・・しかし、“彼は生来、筆まめだった”らしく・・・その著書には、『桜斎随筆(おうさいずいひつ)』や『家茂将軍謁見記(いえもちしょうぐんえっけんき)』などがあって、“かなりの量の遺文”が伝えられております。

・・・尚、この塙大隅守が開設し、長男・出羽守が初代校長を務めた「稽照館」は・・・後の版籍奉還や、廃藩置県、神官神職制度の大改革、学制頒布など・・・明治の激動期に曝(さら)されることになり、従来より鹿島社が「神領」として治めていた2千石も奉還されることとなって、自然消滅的に「廃校」を迎えております。・・・詳細な記録が遺されていないため、いつの時点で廃止されたのか? については不明です・・・が、“廃校の後には、稽照館に務めた講師達の多くが、私塾を開いて、明治初期における地方教育の一端を担った”・・・と伝えられています。・・・しかしながら・・・当時の塙大隅守及び出羽守親子や講師達の多くが、そこまでして伝えたかった、或いは受け継ぐべきと考えていたのは、いったいどんな事柄だったのでしょうか?・・・単に・・・廃藩置県以前に水戸藩(水戸徳川家)が存続していた頃、単に優秀な人材が枯渇状態に陥ってしまったという悲劇的な状況を打開するための方策とされただけのことでしょうか?・・・いずれにしても、「水戸学」と呼ばれる特定の学風に限らず・・・様々な分野の研究や、継続的に行なわれていた教育方針が、当然に与えることになるであろう・・・当時の人々の気質や気風などを想像すれば・・・如何に重要であると考えていたか? については、ご理解頂けるかと。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

近世・近代における災害観と浅間山

近世・近代における災害観と浅間山

  • 2019.08.12 Monday

。。。。。。。。。。。。。。。。

近世・近代における災害観と浅間山

玉井建也*・馬場章*

前章のように随筆や絵図などから近世におけ る天明の浅間焼けに対するイメージを分析し た。では、近代に入ってそのようなイメージは どのような変容をみせたのだろうか。近代以 降、浅間山および浅間山登山の実態を探りなが ら、イメージの解明を行う(25)。 鹿島神宮の宮司である鹿島則孝の『桜斎随筆』をみると浅間山周辺の様子に関して「不毛 の広野数里に亘りて、只焼土に雑草を生ずるを 見るのみ、一の大樹なくハ往昔噴火の最も甚た しかりしを想像する」と述べられている(26)。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●東大地震研究所の論文に『桜斎随筆』の記録が引用されていた。

『あすか川』総目次

『あすか川』総目次

  • 2019.08.10 Saturday

『あすか川』総目次

『桜斎随筆』の巻十七~巻三十一の十五巻が、表紙の色・大きさなど、外形的に他と異なっている。内容的にも、また、他と異なるものとなっている。万延元年の桜田門外の変をはじめとする、幕末・明治初期の歴史的史料の書写である。
「あすか川」と題する、一~二冊の随筆類は、他にも伝えられているようであるが、十五巻、一二六〇丁という大部のものは見当たらない。筆跡を見ると、他の則孝のものと少し異なるようにも思えるが、所々に補筆された、則孝のものと思われる注などから判断して、おそらく、則孝自身の書写であろう。
以下、内容の紹介をしたいと思うが、大部なものであるので、項目を順次列記してゆくことにする。
注、翻刻するにあたって、一部省略したものもある。また「より」の如く表記を一部改めたものがある。二行割書きは〔 〕で囲み一行書きとした。則孝の補筆など、参考になるものを( )の中に入れた。

●この『あすか川』は、歴史的要素が強いので、法政大学名誉教授村上直先生にお願いして、詳細な解説を付けて頂いた。興味のある方は、図書館で、是非閲覧して、活用して欲しい。
2019年8月10日 深沢秋男

。。。。。。。。。。。。。。。。

巻十七 あすか川
○庚申三月三日朝五ツ時
御届書
○万延元年庚申二月閣老より六諸侯へ御渡書附之写
〇三月伊能氏より来状
〇三月三月井伊掃部頭より御届之写
○細川越中守へ御達之覚
〇三日内藤紀伊守殿上申渡御書付写
○十八人各懐中書
○義党懐中書別紙壱通
(この後、7丁分白紙)
○三日井伊掃部頭嫡子立候届書
〇四日御達
○同日井伊家家来より差出候書付之写
○同日内藤紀伊守より掃部頭家来江御申達候覚
〇六日脇坂細川両家先日御預ケ人左之通御預ケ替ニ相成候
○辞世 有村治左衛門 斎藤監物 佐野升之介 藤原光明
○同日従水戸殿江仰立候書面
○右御挨拶内藤紀伊守より
○閏三月木俣より御用番脇坂中務大輔殿へ差出候由〔評ニ云此上書信用しかたし〕
〇八州役人持参之姓命書写
○庚申三月義党遺墨写
○文久元年辛酉七月廿六日御仕置御仰渡
○辛酉五月廿八日夜英吉利ス人宿寺芝高輪東禅寺へ浪人体之者多人数被乱妨候次第左之通申上候
〇六月五日英吉利人江返翰
○壬戌正月酒井若狭守〔所司代〕御用番へ伺書〔同二月三日久世大和守〈閣老〉柘植杢之助を以御下ケ壱通写〕
○壬戌二月五日井上伸庵より来状
○同沼田虎三郎書取
○壬戌正月十五日桜田御門番牧野備前守家来より差出候
○同日松平大膳大夫より御届
〇三月五日松平大膳大夫殿登城大和守殿へ面会上申述御報
○松平修理大夫殿家中に示之書
○嶋津和泉より申渡書付
〇勅命(大原左衛門督重徳 奉)

巻十八 あすか川
○戌四月京師より出状写
〇四月十日酒井若狭守より広橋家坊城家江書状
○戌四月八日(文久二壬戌四月八日筑前脱民 天野二郎国直)
〇四月廿五日紀伊守殿御渡
〇四月廿五日松平修理大夫より御届
○戌五月廿二日御仰出候書付
○戌八月 京都より内告書
○戌七月中京師ニ有之事八日同所より申越候書状
○戌八月梟首(本間精一郎、宇郷玄蕃)
○壬八月十五日御達
○閏八月誅戮(目明シ文吉)
〇九月廿四日附本多主膳正届 十月五日 水野和泉守江差出之
○戌閏八月十五日 上意之趣
○同廿三日土屋采女正様衆より以御用奉札御書付四通写
○閏八月廿三日 戸田越前守様衆より御用廻状ヲ以来
○壬戌 今上皇帝御宸筆之写(孝云此書伝写の誤甚多くして難読ものなれども暫くその侭に写置猶後考を待のみ)
○壬戌十一月 後醍醐天皇御陵之儀ニ付御届書写
○壬戌十一月 戸田藩山陵御用掛渥見祖太郎より来状之写
○壬戌 薩長土三藩ヨリ之上書
○壬戌十一月廿三日
○勅諚〔壬戌十月勅使持参十一月下旬大樹公御対顔〕(勅書拝見仕候 文久二壬戌年十二月五日 臣家茂判)
○戌十一月〔日欠〕井伊掃部頭家来閣老井上河内守殿於御役宅願筋御取上無之候ニ付自殺致ス
○戌十二月六日 先年以来御政事向品々不宜事共有之御為対
○同八日周防守殿貞阿弥ヲ御大目付御目付江被成御渡候
○壬戌十二月国事御用掛左之通御方々被蒙
○壬戌十二月六日 御所表被仰出書付
○壬戌十二月節分ニ於 御所御歌之題叶恋と題出候処……
○戌十二月周防守殿御渡〔大目付御目付江〕
○同月勅書并御達
○同月十九日田沼玄蕃頭殿ら仰渡
○戌 会津侯上書
○戌十二月和泉守殿御渡

巻十九 あすか川
○壬戌九月 来二月御洛可被遊旨候
○癸亥正月四日 松平春嶽儀此度上京候
○亥二月水野和泉守殿御渡
○癸亥三月十一日奉拝 加茂下上両社 御行幸粧 御側次第記
○石清水御行粧略記
○亥三月廿三日関白殿より尾張前大納言江御渡
○文久三亥年三月 御参内之節二条御城より
○亥春 御上洛ニ付相撲渡世之者共御用相勤度旨再応願出候ニ付閣老井上河内守殿江町奉行井上信濃守より申上候書付
○三月根来組先登り之者より文通之内
○三月五日井上河内守殿御渡〔大目付〕
○癸亥五月異変ニ付所司より達
〇五月於京都御仰出候書付
〇五月十一日御所内学問所江張出候書付
〇六月松平豊前守殿御渡〔大目付御目付江〕
○同月 御達
○七月京都より来状之写
〇七月十一日朝大坂日本橋生首
〇八月二日朝大坂西本願寺前其外天神橋阿弥陀堂江張紙
〇九月八日有馬遠江守殿御渡〔大目付御目付江〕
○十月大樹公御上洛ニ付布衣以上之面々江京都より御仰出候書〔十一月朔日於江戸城御達〕
○十二月御上洛ニ付松岡万山岡鉄太郎上書
○十二月廿七日将軍家上洛御発駕……
〇同廿九日河内守殿〔井上氏閣老〕御渡
○癸亥十二月大樹公御上洛ニ付御供船へ乗組候者之筆記〔起十二月廿一日翌年二月朔日ニ終ル凡四十日〕

巻二十 あすか川
○癸亥正月京都御触面写
○亥二月朔日 学習院江議奏伝奏御立会在京之諸侯家来御呼出被仰渡候御書付之写
○同月十一日 鷹司関白殿江浪士之者罷出書付差出翌日迄御殿ニ罷居攘夷期限之義承り候上浪士之者共涙を流し相悦引取候由右書付之写
〇二月六日 攘夷拒絶ニ而三期限於一定……
○同月廿三日足利三代之木像梟首之図
○会津手ニ而召捕候浪士名前
○同三月十八日於京都三条河原出家之首晒有之候其文言左之通
○加州より来状之写
○同十四日於京都御書付
○同十七日於御所関白殿より一橋殿江御渡御書付〔全文別ニ在由〕
○同日水戸殿江伝奏衆より御渡御書付〔全文別ニ在由〕
○長州侯京都江建白〔自分鷹司殿下御持参〕
○同二月廿二日於京都御触
〇三月五日春嶽殿書状
〇同月尾張藩士京師より之書状
○亥二月十七日附京師より来状之内
〇三月尾州老公建白
○同月十九日於京地和泉守殿御渡同晦日江戸ニ而御達
○亥三月廿三日関白殿より尾張前中納言殿江御渡
○勅書之写
〇三月十七日於 御所関白殿一橋江御相渡候勅書写〔一本廿三日〕
○癸亥二月御達〔新規御取立銃隊之事田安家御願済之書〕
〇二月神祇伯王殿使者ヲ以諸国配下并有志輩江達状写
〇三月京師風聞書
○同頃江戸俗語〔鄙詞なれども世体を見るに足る故に写〕
〇二月廿六日夜大坂西御堂裏門ニ古首を獄門ニ掛ケ其下ニ而後切腹候士両人有之兄弟之様子ニ而書置有之則別紙写
〇四月十日寺社奉行松平摂津守より伺書
〇二月廿六日長藩士辞世詩歌(永井雅楽)
○四月八日豊前守殿御渡写酒井但馬守殿より御差越候
〇四月浪人共江戸町人江金索
〇四月町人共献金願
〇四月十五日浪士之内評定所江呼出ニ相成候者名面
○京都京屋弥兵衛方より三月八日書状写
○同頃同所より来状
○同十九日高輪町名主より町奉行所江差出候御届之写
○爰春平井氏京都より書状
○亥三月廿五日越前侯御届
○癸亥三月十一日加茂 行幸見聞記
○癸亥四月十一日八幡行幸聞書
○長州侯京都江建白〔自分鷹司殿下江持参〕
〇三月十九日於京師御仰出御書付〔閣老水野和泉守より大目付伊沢美作守へ相届候由同月廿七八日方江戸ニ而御触出相成候事〕
〇五月長州侯届書
○五月朝廷より長州へ御達
○六月朝廷より因州へ御達
〇六月四日長崎仏国戦争之次第夷人言上大要
〇六月六日長州侯より京都江之御届
○同月和泉守殿御渡御書付〔大目付御目付〕
○同月関白家より御達
○同月伝奏坊城大納言亭へ水戸殿在京衆御呼出御渡御書付
〇四月御老中江左之通り御届
○亥四月朔日豊前守殿御渡覚書写同二日酒井但馬守差越
○癸亥四月江戸画工田吹亭斎より(晒し首の図、神戸六郎、朽葉新吉)
○亥七月一橋侯御自筆御達書
〇六月亜国ワイオシン船江水先為案内乗組罷越候始末御礼ニ御□侯
〇六月九日仏蘭人江返書〔閣老両名〕
〇六月九日宗対馬守□出候書付
○癸亥英人神奈川ニ而板行致し候新聞之写
○長州赤間関外夷決戦虚実
〇七月廿一日長州侯より幕府江御差出候書付

巻廿一 あすか川
○癸亥正月六日 因幡守殿御渡〔御目付江〕
○癸亥五月十八日河内守殿御渡〔大目付御目付江〕
○貌利大陀亜シヤルゼタフヘール兼コンシユルセネラール ヱキセルレンシ―イシントシヨンニール江
○同二月十九日英国軍艦より持出候書翰如此
○横浜御触書之写
○亥二月廿一日英吉利人江返書
〇三月英吉利人江書翰
○同月亜墨利加国ミンストル レシテント ヱキセルレンシー ロヘルトヱツヽプライン江
○同月仏蘭西人 亜墨利加人江書翰
○償金請取書 千八百六十三年第六月廿六日 横浜 不列顛使館ニ於て
○松平修理太夫家来内意 河内守
○亥三月廿三日松平修理大夫窺書
○亥三月外国掛御目付より伺書
○癸亥三月六日河内守殿申渡
○同七日同人申渡
○同十四日同人御渡
○同十九日同人御渡
○同十二日豊前守殿御渡
○癸亥四月十四日豊前守殿御渡〔大目付御目付江〕
○癸亥七月京都より来状写
○同三月市中張札
○八月廿七日周防守殿御渡〔大目付御目付〕
○同日(九月九日)遠江守殿御渡〔町奉行御勘定奉行 道中奉行 海陸御備向掛…〕
○亥九月十四日鎖港応接ニ付町触
○癸亥二月十四 大樹公上洛滞在日数……
〇二月廿八日附閣老密書
〇三月廿三日関白殿より尾張前大納言江御渡
○亥三月六日万石以上并交代寄合一席一人ツヽ登営於席々老中列座板倉周防守申渡之(孝云本文申渡は京師二条柳営中也)
○将軍家茂公建白
〇三月九日酒井但馬守より御差越候 大目付江御達之覚
○同十三日御警衛向江御達
○同日河内守殿御渡 大目付
○亥三月十七日於御所関白殿一橋殿江御渡書付
〇三月廿三日勅書之写并大樹公御請書写
○同日伝奏坊城大納言殿亭江水戸殿在京ニ付御呼出し御相渡候書付
〇三月廿日附横浜より来状之内抜書
〇三月廿三日井上河内守殿御渡〔寺社奉行御勘定奉行江〕
○京都於御旅館ニ御仰出候趣
○亥二月八日井上河内守殿宅江家来呼出相渡候書付
○同九日上杉弾正大弼家来相届候書付
○同月十四日井上河内守殿御渡写
〇四月八日佐竹右京大夫より閣老松平豊前守江差出ス
〇四月四日諏訪因幡守殿御渡〔御目付江〕
○同六日豊前守宅江銘々家来呼出
〇四月十日渡 上意
○同月御達〔町奉行 御勘定奉行江〕
○同十五日豊前守殿北角十郎兵衛ヲ以御渡〔御勘定奉行江〕
〇四月廿二日京地より早ニ而御越之由同廿八日惣出仕〔河内守殿御対座豊前守殿御渡〕
〇四月 今度英国軍艦渡来非常之節御扶持方并御賦等昼夜四度分御下方左之通
〇五月十四日一橋殿より建白
〇五月板倉周防守殿御渡〔大坂町奉行 大目付江〕
〇八月十三日 今度為攘夷 御祈願大和国…
○同月於京師御仰出候
〇八月十八日 昨今不穏次第も有之候ニ付…
○同十九日和州五条騒動ニ付御代官両人より来状
〇九月植村駿河守より御届
○同月御目付伺〔海陸御備向掛 御目付〕
○癸亥十月廿六日横浜碇泊フランス之軍艦ニおいて二三人トルアトミラール江田沼玄蕃頭立花出雲守対話之大意……
○亥十二月薩藩渋谷休阿弥方江渋谷休兵衛勝国元より差越候書付之写

巻廿二 あすか川
〇八月十三日御仰出
○同十八日長藩辞書
○同十八日未刻出廿二日夜着京状之内〔堀江町状出山口勇次郎〕
〇八月廿二日佐竹右京大夫藩平田大学悴延太郎より来状
〇九月八日有馬遠江守殿御渡御覚書
〇八月 因州 阿州 備州 上杉 上書
〇九月廿五日六侯建白(慶倫、慶徳、茂韶、高潔、茂政、茂勲)
○京都より或人秘密之来状
〇八月十五日此御書付倉橋殿御門前へ立候(孝曰前文京師或人秘密書ニ因州侯周旋之事有之彼地ニ而異説有之故左之書付立しなるべし依而此序へ順々認候なり)
○京都風説書
〇九月廿日附京師或人より之書翰
〇九月廿一日御書付
○芸州届書
〇九月長州ニ而臣下一統江布告之書
○十月八日或藩士より之書状
○十二月長州侯より津和野侯へ贈書
○長州へ御下候公卿方御詠
○亥九月井伊掃部頭御届書写
○亥十月松平甲斐守御届書写
○十月井伊掃部頭御届書写
○亥八月十六日江戸日本橋張札 鈴木重胤
○十月十六日暁八ツ時頃武州千住宿壱丁目往来ニおゐて敵打之由検使願出候
○十月十三日夜小伝町弐丁目自身番屋江張札
○十月廿五日夜所々張札
○十一月施行ニ付 口上
○同晦日岩附町木戸柱江張書写左之通
○癸亥秋国書ニ付各藩書状
○十月島津三郎上書
○十二月長州并浮浪共入京御着留之御達
○正月廿一日所賜 宸翰
〇二月十六日島津久光建白
〇二月秋月佐渡守上書
〇二月十日戸田越前守伺書
○大原左衛門督重徳朝臣建白
〇五月仙台侯宰相辞退上書
○御沙汰留之内抄
○宸翰
〇六卿建白
○長州入京歎願書
○加賀世子建白
○因州侯建白
○従伊勢御伺書
○一条殿建白〔実良卿〕
○甲子正月十日因州侯上書
○同月十一日松平修理大夫家来より御届書
〇二月廿七日松平下野守〔筑前世子〕上書
○因州老臣荒尾但馬上書
〇三月十日立花飛騨守上途届書
○同月十四日荒尾但馬御届
○同月脇坂淡路守建白
○同月加藤越中守建白
○同月尾侯上言(前大納言玄同君)
○同月細川両公子献言
○亀井隠岐守建白
〇六月長防土民歎訴
○長州より御届書
〇七月十九日長州家老各藩へ贈る書状
○長州浪士哀訴状
○同 謹按
○京師長州一件之始
○大坂御城代松平伊豆守殿より急廻状
〇六月廿五日風聞事
○夜四時大坂町奉行より達書
〇六月廿六日風聞書
○御城代公用方より達
〇六月廿七日風聞書
○御達書
〇七月朔日伏見奉行所ニおゐて長藩其外呼出大目付より御渡之書付写
〇七月朔日市尹より達
〇六月廿九日嵯峨天龍寺并山崎辺江出張之探索方より注進申来左之通
〇八幡山豊蔵坊より御届
○嵯峨清涼寺より御届
○円明寺村小倉大明神社神主より御届
〇七月八日晩到来大坂町奉行より注進之内書抜
○福原越後歎願事
〇七月九日堂上方九家より上書写
〇六月廿九日賜候御宸翰之写
○同日一橋中納言殿江被賜候御宸翰写
〇六月英国より幕府江差出候書付
〇七月十日内々御番所公卿衆ヨリ建白之写
〇七月十五日山崎近辺出張探索之者より申越
〇七月十三日戌下刻差出大坂町奉行紙面翌十四日未刻過到来写
〇七月十八日長州出張之人数征討一件注進状
〇七月十九日伏見奉行林肥後守注進状
〇七月十九日払暁在京諸家へ左之 宸翰渡御折柄逆賊暴発ニ付渡し済ニ不相成分も有之
○会賊暴行一件 追補人姓名等略之

巻廿三 あすか川
〇七月十八日十九日より長藩京師乱暴戦争之見聞書
〇一橋殿附属 大沢顕一郎
○戸田采女正より届書
○松平越前守同
○松平讃岐守紙屋川固メ致し七月十九日召捕
○酒井若狭守七月廿日討取生捕
○藤堂和泉守固新在家裏手 一召捕
○松平伯耆守 七月十九日以来八幡御固場所近辺潜伏之者も□□之ニ付見廻候所……
○松平修理大夫味方戦死四人……
○蒔田相模守見廻先討留分捕
○酒井若狭守分捕……
○井伊掃部頭味方討死十九人……
○松平肥後守分捕……
○滝川播磨守市中見廻之節組与力上田斎次郎討取……
○松平越中守討取〔蛤御門内ニおいて〕十四人 一討留〔於堺町御門〕壱人
〇七月十九日天龍寺陣所跡ニ捨置候書付
○長州天龍寺陣所ニ大絵ニて張紙……
〇天龍寺より御届
○或公卿方之家士筆記
○宮西氏見聞録
○長州追討御達并長州父子軍令条写
○落人送り候兵庫船之者より申立
○大阪町奉行より京都町奉行へ書状
〇七月廿六日高橋清八書状 京都変動実録
〇七月廿八日参朝被上候方々
○同日より東市尹御役所ニおゐて御吟味ニ相成留名前
〇七月十九日類焼之堂上方江従禁中為御救下左之通
○同十九日廿日出火焼失
○京師焼失略図
○同十九日京の方を見やりて 蓮月尼
〇七月中京都ニ而変事八月朔日附文通写
○元治紀元甲子仲秋京師御守衛惣督一橋卿より御養母徳信院殿江御遣候御翰之写
○洛中騒擾概略〔一橋公附ノ人ノ記録〕
○戸田采女正江城江御届 七月廿日
○井伊掃部頭同断 同月廿四日
〇七月晦日水野和泉守殿御渡〔御詰衆大目付江〕
〇八月三日附長州より
○同六日閣老牧野備前守殿申渡
○同九日水野和泉守殿御渡〔大目付江〕
○同日長州より外夷卜合戦之御届 外ニ和議御届
○同日長州外夷と和議之書状
○同断ニ付朝廷より御仰出候書付〔并京師詰高家関東下向〕
○同断二付長府藩中より土浦藩へ来書
○大阪商家長州より書通
○小笠原家より届書
○小倉藩より再度届書
○長州大夫宍戸備前夷人応接
〇八月十三日申渡書付(板倉周防守)

巻廿四 あすか川
○甲子年長州征伐
○長防攻口井固図
○土州侯より伺書
○長州より脇坂藩江書面
〇八月十七日閣老阿部豊後守渡之〔大目付御目付江〕
○毛利左京亮願書
○同月十九日因州侯願上書〔同月廿四日差出ス〕
○同廿日御進発ニ付御備向御仰付
○同廿二日大阪御城代松平伊豆守書面并長藩士村岡伊助申立次第書
○長州様江戸屋敷ニ而討死
○甲子八月五日長州与異人与之戦争図
○甲子八月九日長州侯より合衆国江送状
○日本貿新聞 第六十六号
○当世評判チョボクレ〔甲子年〕
○雑説 当時之川柳
○甲子泰平良策言上録
○甲子二月宸翰写
○甲子三月薩州書状之内
〇子四月長州侯建白
○甲子六月近藤関斎〔牛込甲良屋敷坂上住居〕悴京都新選組同勇より之書状写
〇七月五日附京師より来状
〇七月二日附同所より来状
○同月十九日明ケ方認メ同廿三日早着瀬戸物町飛脚屋嶋屋佐右衛門方江来状写
○同日申ノ刻出大津表より来状写
○同廿四日附島屋佐右衛門より東叡山役所江届書写
○甲子八月閣老牧野備前守渡之
○細川侯建白
○閣老水野和泉守より守護職松平肥後守へ書面
○甲子八月御代官甘利八右衛門より御勘定奉行へ差出申書付
〇八月廿三日閣老牧野備前守申渡……
○同日同阿部豊後守渡之……
○同廿四日脇坂藩より御届……
○同廿七日大阪市尹届
〇九月朔日松平三河守殿上書
〇九月五日先達京都騒動之節軍功ニ依而拝領物
○同日閣老諏訪因幡守役宅江家来呼出し相渡
○同七日閣老役宅江留守居呼書付渡之
○同十一日同宅江銘々家来呼申達之
○甲子十二月朔日松平豊前守殿御渡
○吉川監物歎願書
○十一月十一日芸州草津村海蔵寺にて御目付より長州家老へ御達
○長州三家老辞世
○同廿八日或藩士広島より之書状
○同廿日御達
○長州風説
○十二月長防征討惣督尾張前大納言殿より御所江呈書写
○乙丑正月十五日御達
○同十八日御所より幕府へ御仰出
○同晦日再度御仰出
〇五卿御転座
〇二月廿二日両閣老〔松平伯耆守阿部豊後守〕参内御仰出大奥江御為召御尋……
〇二月廿六日幕府より宇和島大洲龍野三藩へ長州警衛之御達
〇二月廿三日京着 筑前藩より書状
〇四月朔日美濃守殿御渡……
○乙丑二月両閣老〔松平伯耆守阿部豊後守〕上京之節持参八ケ条
〇二月京師より御仰出 御詰問
〇二月十六日御厨子所高橋御取次高橋渡辺三人差扣御仰付候
○同廿二日異服着之者京都徘徊御着止ニ付御達
○開席料理三者論(孝云此書野調取ニ足ズト雖当時幕吏ノ心中鏡ニウツスガ如シ攘夷ヲ以テ小量トスレドモ却テ諸藩ヲ征スルコト小量也終ニ長ノ内患ヲ生ズ可咲)

巻廿五 あすか川
○乙丑四月廿二日長州為征伐御進発之御達松平伯耆守御渡
〇五月寺社尹土屋采女正より其筋へ御達
○御進発ニ付国恩金上納御達
○乙丑三月藤堂侯建白
○乙丑閏五月四日将軍家御旅中江尾張前大納言殿上書
○細川侯上書
○江州膳所本多藩 召捕一件実状〔乙丑夏〕
〇六月九日着上方来状
○丑年在府中伝聞書
○乙丑六月幕府より長州江御使
〇八月十日毛利淡路吉川監物より芸州江差出同所家来寺尾清十郎を以大坂表豊後守殿手元迄早打ニ而差出候書付
○西本願寺末善照寺真照寺書取
○御上京ニ付御達
○於大坂御達……
〇九月十日江戸より出状
○乙丑十一月長防二州臣民合議彫刻本之写
○雑説
○乙丑五月征長之儀ニ付京師ニ而檄文
○乙丑年芸藩探索説
○乙丑年可成々思へと正月廿八日来願書と有之如何
○丙寅正月八日松平周防守殿御渡写〔大目付江〕
○乙丑 幕府より詰問ニ付長州侯答書
○乙丑閏五月張紙 中村敬輔
○大坂雑説
○仏蘭西展覧会ニ付御触
○京師珍事 彼地より来状之写
○将軍家御辞職之表
○十月八日御内達〔大坂ニ而ハ二日之御達也〕
○勅許
○将軍家御請
○御意之写 十月七日
○和泉守御達
○外国条約ニ付建白
○十月七日亜墨利加江閣老より返状
○勅諚并閣老書状写
○十月十二日合川表より書状
○丑十月十六日和泉守殿御渡御書付写……
○乙丑十月廿七日京都ニ於而閣老小笠原壱岐守より諸藩へ御渡封書
○北郭遊女金沢〔加州侯ニ比ス〕奥州〔仙台侯ニ比ス〕世上物語〔御辞職ノ時ノ評判去ド関東贔屓ニテ実情ニカナハズ〕
○あぶらしぼりめつぼうチヨボクレ(此チヨボクレ詞甚野鄙なりといへども幕府の秘事を探索して当世の形勢に感通せり)

巻二十六 あすか川
○丙寅正月中別 勅
○丙寅正月廿二日長州処置幕府より聞儀言上
○同日禁中より御仰出
○丙寅二月板倉伊賀守殿御渡写
○丙寅二月御代官小川達太郎より達書
○丙寅春立大子之儀御仰出仙洞御所を春宮御所ニ被成御造営相成由
○長州模様聞書
〇四月長州へ御仰渡候書付并於広島完戸備後介歎願書
〇四月板倉摂津守届
○同月蒔田相模守届
〇四月〔……〕薩藩於浪華幕府へ差出候書取
○長征ニ付薩之意気込
〇四月幕府御沙汰
〇五月十四日水野和泉守殿申渡〔大目付御目付江〕御裁許御触達
〇五月九日於芸州御預人手続左之通
〇五月吉川監物御請期限御猶予願ニ付御達
〇五月廿七日芸州より幕府江差出候書付写
○於大坂表板倉伊賀守御渡〔大目付御目付江〕
〇六月十五日寺社奉行松平中務大輔より其筋江御達
〇六月十七日閣老井上河内守御渡同廿一日寺社奉行土屋采女正より其筋江御達
〇六月防長人民へ御諭書
○御役替 六月十五日
○長州討手軍配
○長防両国之備
○防長討手配絵図
○長防并隣国接堺之図
〇五月廿日朝広島大手筋壱丁目門其外廿三ケ所へ張紙写
○御使番松平弥五右衛門より大島炮聞書
〇六月十四日八代島出帆十七日兵庫出帆八雲丸乗組より直話村松伊助聞書
○新聞〔随聞ニ実事と思はれ候分書留なり〕
○歩兵頭向井豊前守より来状〔六月廿五日到着〕松屋茂左衛門聞候伝聞書
〇六月四日阿州御父子幕府へ建言
○同月十八日因備両侯建白
○中国辺藩士より来状写〔六月中出状〕
○紀藩より御届
○長防士民より差出候書付
〇七月十日伊賀守殿御渡ニ而左衛門尉殿へ相渡候一書 関保右衛門より差越候……
〇七月紀伊殿請願書
〇七月六日附筑後国久留米商人より来状写
○浜田侯御届書
○大番組池田力蔵より聞書
〇七月江戸古川氏より来状二通写
○石州浜田松平右近将監より佐倉へ鉄砲借用御致度申入有之候……
〇七月長防士民より雲州家老へ送檄
〇七月廿二日薩州より関白殿下〔二条家江〕差出候書面
○同月同日薩藩より在京諸藩江廻達之写
〇七月薩州侯より 朝廷江建白之写
〇七月十一日坪内河内守殿より御老中若年寄衆江書上之写
○石州大森陣屋御代官鍋田三郎右衛門引払御届書「七月廿一日附〕
〇七月廿九日鈴木真年より来状写
〇八月朔日御礼登城之面々万石以下諸役人一同居残候様御老中松平周防守殿御仰……(城郭人数配書并絵図を付す)
○丙寅六月防州大島戦争并芸州口防州戦之説
○丙寅七月朔日紀藩御着之状
○広嶋表より六月廿三日附之書状七月三日着
○丙寅七月紀州侯先鋒惣督御辞職
○丙寅七月十二日出状
○長征聞書
○丙寅板行〔甲子七月京師騒動砌討死也〕松平肥後守様家来討死之名前付
○丙寅六月当世子供雑談(此書甚鄙詞と雖当時幕吏の奸謀狭少なる形勢鏡に移すが如し故に写之)

巻二十七 あすか川
〇八月朔日出仕之万石以下諸役人其外へ松平周防守殿御演述之趣
〇八月朔日為御祝儀溜詰始万石以上已下諸役人と城於席々謁老中御口達之次第有之……
〇八月周防守殿御渡
○中津侯より御届書
〇六月十七日附江戸より佐原へ来状
〇五月十二日大坂出本町山崎より油四方へ来状写
○同十五日出大坂来状写
○同廿八日出大坂来状写
○随聞記
○於大坂表八月一橋中納言殿江御仰出候板倉伊賀守殿御成御渡候御書付写
○御代官小川達太郎より上総国支配下へ達書
〇九月御所より御仰出候請書付写
○此度御呼寄之諸藩
○彙雑書報(芸州口、石州口、下ノ関口、上ノ関口……)
○丙寅五月薩州より申立之廉書
○同月宇和島侯伺書
○同六月十一日備州侯芸州ニ而閣老へ差出
〇八月十八日予より鈴木真年方へ贈る状
○以下随聞記
〇九月十四日夜神田明神鳥居江張有之書附写
○丙寅十月朔日井上恒三郎〔当時八丈島流人〕兄〔小十人井上某〕より状
○丙寅十一月四日寺社奉行御用番松平左衛門尉殿御達
○丙寅十一月九日夜九ツ半時過より神田氷富町辺より出火……
○源烈公御詠楠公長歌
○藤田東湖正気歌
○寅十二月十六日寺社奉行土星采女正殿より触書写
○筑紫蓮水君御状〔蓮水君ハ予ノ兄 本文中小倉啓之進ハ予ノ弟也〕
○小笠原左京大夫より差出候書取
○長崎表御警衛并四ケ所関門詰人数等之儀ニ付申上候書付
○寅十二月十六日寺社奉行土屋采女正より触
○丁卯正月八日寺社奉行御用番松平左衛門尉殿御達
○御代官より御達
○丙寅十一月十五日附鈴木真年書状
〇五月十二日附伊能外記書状
〇五卿之義ニ付御達
〇二月廿二日小笠原壱岐守殿御渡長防討手御解兵御達
○征長戦功恩賞
〇丁卯二月十九日晴午刻より西南ノ大風……
○卯二月長防討手御解兵御達壱岐守殿御渡
○丁卯三月兵庫港之義御奏問書写
○丁卯三月薩藩大山格之助長州へ応接書
○丁卯四月廿六日
〇四月京師大坂より来状之写(一本大坂ノ文字ナシ)
〇四月廿日伝奏衆江所司代衆より之書付
〇四月廿五日出大坂表より来状
○倫敦新聞紙〔四拾五番英吉利西 斯加亜登著 係日本大坂兵庫之事〕慶応三年七月下旬出板

巻二十八 あすか川
○丁卯五月十日会津侯御請書
○丁卯六月十一日附村山河内〔行方郡矢幡村神主〕京師より出状聞書略……
○丁卯六月十六日附五島主計浪花より出状写
〇六月筑紫策郎銃隊上坂之□□
○丁卯六月廿七日美濃守殿御渡御書付写……
〇七月朔日同人御渡御書付写 大目付江
○同廿二日縫殿頭殿御渡御書付写 大目付江
○同廿四日美濃守殿御渡御書付 大目付江
○丁卯八月十五日之朝京都表ニ而原市之進〔幕府目付役〕御刺候節書取
〇八月関東八州取締役より達
○丁卯九月九日附伊能外記来状
○丁卯九月備前侯より幕府へ御申立候ケ条書
○丁卯九月土州老侯上書二通
○同(丁卯十月)大坂今橋へ張札之写
○丁卯十月六日指出芸州侯ヨり幕府へ建白
○京摂風聞
○今般御用掛左之通
○丁卯十月上意之書付 十三日於二条御城伊賀守殿布衣已上江御渡
○同月十七日徳川家より御伺并ニ於御所御下ケ札
○同月十九日御所より御仰出候書付之写
○同月廿日徳川家より御伺并ニ於御所御附札
○徳川家より御伺并御所より御附札
○同月京都御触
○同月紀伊家御返答書之写
○同日藤堂家御答書之写
○同月尾老公建言
○同月京都町奉行より達之写
○同月柳之間御取締より御同席へ問合六ケ条
○同月張札不知所
○卯十月廿六日江戸より書面之写
○丁卯十月廿八日於江戸左之通徳川家より御達〔甲府城代 三奉行 外国惣奉行……〕
○丁卯十一月三日四日帝鑑之間柳之間雁之間菊之間之諸家重役を紀州家へ呼集候節御相渡候書付写
○丁卯十一月紀藩より頼談ニ付及返答候書面
○同月京師巷説 御国事懸りより大樹公へ御内意
○同頃極秘之書付
○丁卯十一月三日一石橋ニ張付有之候書付
○丁卯年米沢藩名義世運諭解
○卯十月江戸或婦人より之来状
○丁卯 唐太割地使節俄羅斯ニ赴事
○丁卯十一月歩兵共吉原町乱妨之事
○卯十二月廿一日出鷹司家より御用状到着御達之趣左之通
○十二日 和宮御方先年関東江降嫁被為……
○十二月京都御触
○同月奥州辺御触
○卯十二月廿三日〔稲葉美濃守殿小笠原壱岐守殿〕御渡御書付写
○丁卯十二月廿日関東取締より村々江達
○十二月廿七日筑紫策郎より奉札之写〔…〕
○丁卯十月十日出十四日夜八ツ時着来状之写
○同十二月十五日於西城御達書
○卯十二月江戸邸より申来候書付
○卯十二月廿五日夜当番御目付より差越候書付
○丁卯十二月廿七日関東取締より急触書
○同時江戸城御警衛として外廓并橋々〆切り之分 仰付之
○卯九月頃より冬月迄諸国へ神々の御祓降たる事〔伊勢路別而多し御福也 両宮鹿島香取等多し〕

巻二十九 あすか川
○戊辰正月七日附関東取締出役より触書……
○正月十日美濃守殿御渡し御書付
○大坂より書状之写
○京都より当正月六日戌ノ上刻出十二日卯ノ上刻ニ着
○又一本京状之内
○正月四辻大夫殿より御達
○戊辰正月高札場へ相立候制札写
○戊辰正月五日出京都より来状
○同七日附京都より来状
○辰正月七日従御所御沙汰書
○京都御沙汰書
○正月土着ニ付筑紫策郎より奉札之写……
〇正月京大坂町触写〔御所より御沙汰書与大同小異有之故写〕
○辰正月江戸町中触書
○御帰城御供并ニ戦死風聞之姓名
○辰正月十四日附鈴木氏出状之内京摂一条
○同十六日迄探索
○同十二月十日京都出書状十四日夜八ツ時着
○正月四日酉刻出大坂より申来
○同日午刻出京より申来
○正月十四日出大坂来状之抜写
○同月本多侯〔名前未詳〕より江戸屋鋪へ注進状〔按ニ膳所ノ本多主膳正ナルベシ〕
○同月京都より来状抜写
○同月廿日出大坂来状之写〔同廿七日江戸着〕
○辰正月十日御触〔大阪市中江〕
○辰正月交易之儀ニ付御触
○同月廿二日御触〔市中取締方ニ付〕
○辰三月神祇事務局より御達
○辰正月十二日御触書
○美濃守殿御渡
○正月廿三日伊賀守殿御渡
〇二月五日壱岐守殿御渡
〇二月十日六侯より朝廷江建白之写
〇二月十四日米津伊勢守より届去四日太政官代御役所より御渡之書付
○同日朝廷より御達
○戊辰正月廿一日穂波三位殿ヲ以御渡御書付
○濃州代官地高札書替
○勢州桑名城下ニ於て建札之写
○戊辰正月寺社奉行より其筋江達三通写
〇同二月同所より諸寺社江 達書
○同月江戸古川氏より来状
○戊辰正月勅諚
○戊辰二月徳川殿歎願書写
〇右ニ付 同盟哀訴申合書
○□月尾州名古屋市中御触出之写
〇二月桑名表より和泉屋へ之来状
○辰二月薩藩脱走之義ニ付関東取締より触書
○辰二月廿九日御用
○戊辰三月二日附古川氏より来状之写
〇三月二日附古川但馬守より伊能外記江来状
○辰二月関東御下向御名前并ニ美濃守殿御達書
○水戸御役所より諸向江
〇三月九日水戸南郡宰より触書
○同十一日附江戸在府猿田多仲より来状
〇三月二日上意
〇三月三日神奈川宿迄御使ニ罷越候名前
〇三月九日備後守殿御渡
〇三月十五日着日光御門主帰山ニ付戒善院より之書面写
〇三月惣督宮より御仰渡并御答
○辰三月御紋附御事禁止御仰出
〇三月御代官小川達太郎より達

巻三十 あすか川
○神於呂志 (右三月十五日 勅祭)
○辰春江戸市中張札之写
○三月十五日江戸町触写
〇四月二日平岡丹波守殿御渡……
○同月四日朝廷より御仰渡
〇四月東山道総督府参謀より江戸市中并近在百姓町人共へ御達
○仙台より出陣五藩之人数
〇四月脱籍(藩イ)徳川家臣布告書
○辰四月廿八日朝出立宇都宮宿飛脚閏四月三日佐原村着来状下野合戦書
○下総国香取郡阿玉村河村久兵衛与申もの去十六日日光街道小金井宿へ割貝売ニ罷出止宿いたし候所見聞記
○下総国所々戦争之説
○中外新聞第一号 慶応四年二月二十四日出板 三月再板 (二号、六号)
〇四月十一日御達
〇四月七日申渡ニ付町奉行江
○同十二日平岡丹波守渡之〔大目付……江〕
○辰四月大赦ニ付総督府会計方より達
〇四月江戸より下り之人より来状写
○辰四月十五日附会計方より御達書同廿一日着
○辰四月八日復飾ニ付大政官江願書之写
○上総国武射郡真行寺村真福寺定全献策ニ付大政官より御下札写
○辰四五月頃より麾下の面々商人ニ相成候者数多あり
○閏四月十七日内田蔀村田を一郎等より主人再勤御赦免等歎願書写
○辰閏四月 今般御下向ニ付(御祈祷)
○辰閏四月七日夜着京師より御達弐タ通り
○海陸軍一同ヨリ列藩へ布告書之写
○辰閏四月朔日江戸飯田町中坂上ニ張置候写
○中外新聞外篇之内〔辰五日〕北地探索書写
○江城日誌第十二号之内北陸道総督府より来抜書
○辰正月伏見表戦争已来之事情聞書
○辰五月十五日東叡山戦争実説〔十七日出根津松平藤九郎より知行所大舟津村…来状〕
〇五月江戸戦争風聞書〔但甚不審之事有之候故夫ハ除く〕
○東台脱走人直話
〇五月廿五日附古川太郎より来状

巻三十壱 あすか川
〇辰三月十三日川路頑民斉〔左衛門尉〕妻之書状
○閏四月朝廷より佐倉藩へ御達〔神社寺院領地其外件々御達〕
○閏四月金札大政官等之義ニ付朝廷より佐倉藩江御達
〇六月四日小見川藩士寺嶋熊三より来状
○市政日誌小引(一号慶応四年五月十九日)
〇五日伊豆守殿御渡
○同月廿五日一役一人江伊豆殿御渡
〇六月旧幕府判物差出ニ付御達
〇六月村々地頭姓名并村高帳調ニ付
〇七月〔此月廿日夜慶喜殿鹿島大舟津御通船同所某宅へ御便所御上陸黒無紋ノ麻羽織白木綿襠高袴御着草鞋ヲハカレテ髯長く延タリト云銚子ヨリ蒸気船ヘ移ラレ駿州ヘ趣カル〕
〇七月鎮将御仰出候御達
〇七月於東京鎮将府十三ケ国御支配御仰出候御達
〇七月廿八日附粥川小十郎より達酒造〔清濁〕醤油造之一条
○盗物引合ニ付御触八月上旬鹿島へ到来
〇八月常陸国知県事より夏成之儀ニ付達写
○先般御布告被仰出候通
○鎮将府日誌第一(第二、九、十、十七)
○東巡日誌第一号
○東京城日誌第一
〇勅崇神祇重祭祀
○勅 皇国一体東西同時視朕今幸東京……
○今般 御東幸被為遊候ニ付而……
○御参拝ノ概略
○松前藩届書
○諸藩御布令書写
○同十五日松平確堂願書
○東京城日誌第十 詔書之写
○東京城日誌第十三 十二月十日松前藩届書
○東京城日誌第九 十一月五日泉岳寺江 勅宣写
○東京城日誌第十一 十二月七日御布告書写
○東京城日誌第十四 十二月七日御沙汰書写
○東京城日誌第十六 十二月二十三日被仰出書写

以上、「あすか川」十六巻、一二六〇丁に収められた七百余の項目を掲げたが、その内容は、万延元年三月三日朝五ツ時に発生した、井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)の御届書から始まり、明治元年十二月の松平容保処分に関する詔書之写に至る記録である。
万延元年、文久元年、二年、三年、元治元年、慶応元年、二年、三年、明治元年。この九年間が、幕末・明治維新の大激変の時代であった事は言うまでもない。則孝は、四十七歳から五十五歳という年齢でこの時代を生きた。鹿島神宮・大宮司の要職にあった期間ではあるが、実に克明に書留めている。
北方領土問題はロシアとの関係で、現在もなお未解決のままである。慶応三年、箱館奉行・小出秀実は露国と交渉し、暫定協定を結んでいる。これらに関しては、外務省編の『大日本外交文書』をはじめ、公的記録も多く残されていると思うが、この時の状況を「あすか川」は、次の如く記録している(巻二十八)。
「丁卯 唐太割地使節俄羅斯ニ赴事
慶応二寅年十月十日、江戸発程。同十二日、横浜乗船。外国奉行小出大和守を初として、御目付石川鎌二郎、通詞箕作秋平、徒目付岩田三蔵等十四五輩、俄羅斯ニ赴き、其情実を確得するに、全く俄夷の属国と成、其威力をかりて、英仏蘭亜の蚕食を免れ、且門墻の内乱を平らげんとの、卑怯懦弱心より起れり。何かな俄夷の歓心を得んとて、唐太全嶋を献ぜんための使節也。夫、蝦夷は、先年より、関東諸侯に命ぜられ、分配警衛せし上は、追々開拓有べきに、東国挙而弱藩となり、又、古昔慓悍之風、骨地を払しかば、幕吏之如く民をしへたげ、利を掠めの大姦策は無けれ共、俄夷と相●(テヘンに「元」)する之気力無く、事有れば、棄て去り去らんの情態也。就中、仙台は無識因循之大藩、一旦俄夷之虚喝ニ恐れ、己が固メ之エトロフを先年棄て去しかば、既ニエトロフ、クナシリ之二嶋は、全く彼が有となれり。貪婪厭事なきは、夷狄禽獣之常情なれば、仮三嶋を与へしとて、夫ニ而欲心を止め、我に徳する事あらんや。 何となれば、彼レ元、蒙古ニ亡されし時、僅ニ残れる一小嶋也。然れども、今日に至り、三大洲を跨有せしは、豈漸々蚕食のなす処ならずや。此類を推しても、彼は貪心之限り無きを知べし。有司之浅き存慮より、三嶋を全く与へ、彼が非望ニ出しならば、真実我を臣愛して、又、箱館松前迄は犯さるゝまじ、松前箱館、長く我が有となりしうへは、英仏蘭亜等をも、拒くに足ぬべしと思へるは、愚かなる考と云べし。なれども、是程洋夷ニ在祖中之上等之考也。其甚敷ニ至りては、彼の智慮も無く、気力も無き、英仏之穿●(「癒」の部首がマダレでなくアナカンムリ)に組し、皇国を売与し、是ニ臣妾となり、一日之安を偸める者、満局皆是也。是ニ比すれば、少しましなれ共、大姦は忠に似たり、大詐は信に似たり、との伝語之如く、俄夷之恐るべく、悪べきは、眼前に、利を争ひし、英仏之類にあらず。去年、横浜に入港し、毎々閣老に謁見し、英仏抔之陸梁を詈り、何かに深切らしき事を述しより、其眼之一着高く、其望之鴻大なる事に心付ず、誠実雄力共に依頼すべきと云ひ、三千年来堂々たる皇国を挙而博し、衆人に謀らず、一己に取極め、臣妾たるは、いと憫むべき事也。然れども、夷患ありしより、既に十余年、六十六州之人、大抵皆腥●(ニクヅキに「羶」の右側)之塵気に浸淫せしと謂ども、固有之大和魂は、全く未ダ消滅に至らざる者も、猶多かるべし、右等之人より、余が此言を聞かば、余りなる振舞なれば、定而虚説と思ふべし。先年、小壱州〔小笠原、肥唐津ノ世子〕生麦一件に償金を与へ、水泉州〔水野、羽前山形〕長防へ、夷艦を差向ケ、板伊州〔板倉、備松山〕遊行之地として、本牧を与へ、松豆州〔松前福山〕阿豊州〔阿部、奥白川〕摂海に夷艦を差向ケ表面三港
勅許を請し、内実兵庫開港之仮条約をなし、卯年期限之伏案せし類、皆人道に有まじき極悪大罪なれ共、少しく日本胆有る士は、決して実事とは思はざる也。故ニ油断せし中に、終に如何共すべからざるに至る。乃チ、今般之割地も、全く悪口などゝ油断して、差置ならば、唯さへ彼に諂ひ、処得せしめん、との有司之心、善き事に致し、終に、一蝦夷地全く彼に献じ、南部津軽之海心より、境界を限定するに至るべし。因て試に其虚言ならざる確証を挙ん。今年九月五日開板、日本雑報第二百四十二号之内に、新大君一橋公より、魯西亜国へ使節を遣るよし聞けり。英仏は往や否や未ダ詳ならず。右使節は、箱館奉行小出大和守にして、此度外国奉行に転役したり。其用向は、一橋公之写真降翰を、魯西亜帝に贈り、サカレン地方之事ニ付而、約定すべき事ある故也と、是有れば、此一事に而も、其割地臣服之実事なるを知べし。古昔、小松内大臣は、病気之危篤に臨まれ、慈父之督責有共国体を汚辱せん事を恐れ、漢土之医師に脈を取せ玉はざる也。如何に末世なればとて、其身宰輔之重任に居玉ひ、己が写真を送り、地を献じて、降を請ひ、一日之寸安を偸み、万年之大患を忘れ給ふとは、痛哭流泪長大息すべき事ならずや。抑、近来、彼英仏等之小夷だも、猶今度遊息之地として、武州八王寺辺より、青梅宿飯能迄、相州厚木宿、伊勢原、大山辺、東海道大磯宿、三浦三崎、浦賀、鎌倉、金沢迄、凡、廿四五万石之地を、贈与せしとて、先日調役安田次郎吉、定役吉田良平、同役中村惣兵衛見分に往し也。嗟、夫、世は如何成やらん、関西之侯伯大夫士、坐視傍観とは、情無き事ならずや」

一例として掲げた、この記録や批評が、歴史的事実を知る上で、どの程度の役割を果し得るか、今、即断できない。「あすか川」に記された内容は、そのほとんどが、江戸・京都という、いわば、我が国の歴史の中枢に関わるものである。それだけに、この種の史料は、もっと信頼すべき文献が整理され、研究の素材に使用されているものと思う。しかし、歴史研究が、過去の歴史的事実を確定し、その事実を通して、その背後に在る歴史的真実に迫ろうとするものであるとするなら、「此チョボクレ詞甚野鄙なりといへども、幕府の秘事を探索して、当世の形勢に感通せり」と評して記載したチョボクレ(巻二十五)をも含めて、この時代の歴史を解明する一史料として、今後、分析・検討されなければならないだろう。

『桜斎随筆』総目次

『桜斎随筆』総目次

  • 2019.08.10 Saturday
『桜斎随筆』総目次

●これは、『桜斎随筆』の内容を紹介する一助として、各巻頭にある目次を全て翻字したものです。項目の内容に興味のある方は、図書館で現物を御覧下さい。
2019年8月10日 深沢秋男

。。。。。。。。。。。。。。。。

第1冊 桜斎随筆 一上
桜斎随筆巻壱
目録
月雪花之部 上

第2冊 桜斎随筆 一下
桜斎随筆巻壱
目録
月雪花之部 下

第3冊 桜斎随筆 二上
桜斎随筆巻二上
目録
壱 則孝略履歴 附 さち子改名 則文元服 父子三人参宮
弐 則峯君鼠を愛せらる 附 下僕の幻術 則瓊君御性質 同御筆記 則孝武術流名
参 白蘭和尚
四 幕府の流鏑馬
五 野鷹屋に入る
六 鹿島大雪
七 江戸城中妖怪
八 江戸市中大火
九 大猿の造り物
十 江戸城焼亡
十一 筑紫家霊社号
十二 大塩騒動
十三 白気出現
十四 江戸市中大火
十五 日輪二出る 附 関東洪水
十六 妖星出現 附 強風 地震 信州大地震 諸国風災
十七 安政元年大地震 附 豆州紀州洪波 同二月大地震 同三年暴風雨
十八 水戸浪士井伊直弼を殺害 附 浪士鹿島神宮狼藉
十九 浪士安藤信睦を刃傷
二十 浪士根本寺に屯衆
廿一 長州藩士京師乱入 附 家茂将軍征長出発
廿二 妖星出現
廿三 浮浪徒外国人旅館へ乱入
廿四 禁中より鹿島神宮へ御米御寄附
廿五 鹿島二ノ鳥居炎上 附 建替上棟
廿六 伏見にて戦争
廿七 娘を教諭する詩
廿八 数星飛行す
廿九 九十九里の海岸に姥貝数多うち寄せる
三十 春日杜の神鏡破裂
卅一 後醍醐天皇の御陵破裂
卅二 室内に妖光現る
卅三 雀の戦争
卅四 宮中村大町局両度出火
卅五 宮中村諸所の井水渇
卅六 赤気現る
卅七 宮中村諸所出火
卅八 九十九里の浜暴風雨
卅九 秀行朝臣の影像焼亡
四十 春日杜比売神の説
四十一 小町は一人に非らず
四十二 大宮司持高収納米俵数調
四十三 東京両度大火の景況
四十四 鹿島浦にて鰯の大漁獲
四十五 真田大助信隆〔或ハ幸昌に作〕 附 石川丈山
四十六 霊芝生ず 附 則文帰国 別泰和歌
四十七 十難七悪
四十八 狸の怪
四十九 将軍家綱判物 前田島津
五十 水戸家代々忌日
五十一 慶長以後大宮司代々忌日
五十二 三笠山墓碑 附 墓誌 則広君辞世御歌
五十三 筑紫家棺槨墓誌石碑 附 実方親族忌日 墓地
五十四 塙台墓地碑 附 稲生氏墓地
五十五 彗星出現
五十六 鹿島郡中金銭不融通の原因
五十七 米国にて海蛇顕る
五十八 文久年中物価略表 附 天保年中同
五十九 借馬 附 馬乗袴仕立方
六十 大宮司配当禄公債 附当籖
六十一 筑紫金禄公債
六十二 大宮司賀表
六十三 筑紫重門鹿島神宮等外出仕拝命
六十四 関白豊臣秀吉の銅印
六十五 肘かけ匂ひ袋
六十六 大守宮
六十七 身体刺繍の人集会 附 婦人の刺繍
六十八 士族活計法
六十九 隠宅家根茸替諸費計算表
七十 電気力を以て彫絵
七十一 高名なる江戸町奉行
七十二 鷹は住馴たる所をよく知る
七十三 甲冑堂の神体
七十四 由井正雪
七十五 十州冷物
七十六 熊谷雪秀の履歴
七十七 紀伊頼宣卿の和歌

第4冊
桜斎随筆 二下

第5冊
桜斎随筆 三
桜斎随筆巻三
目録
壱 文政の頃蕎麦の値
弐 神田近江作琴
参 皷の古胴
四 高貴の人に諛を言ひて迷惑す
五 畸医平山玄格
六 児を亡ふて猿井に投ず
七 戸田氏栄狼藉者を討
八 旧幕府奥医師の悪弊
九 三万石の価ある轡 附 古器物大楠の材
十 肥前の海腸
十一 窮鬼朝倉家を立去る
十二 閣老参政の遠馬流行
十三 伊達家の武備
十四 公用雑纂編集
十五 伊達政宗の詩
十六 異国人長崎港乱暴
十七 祝町の敵討
十八 鹿島浦にて隼を捕ふ
十九 交文亭へ歌を奉る
二十 本居宣長翁四季の桜の歌
廿一 角折村より塩を貢
廿二 盲人砂漠中にて焦死す
廿三 大蟇
廿四 京都の舁丁
廿五 江戸の舁丁 附 医師舁丁薬凾持悪弊
廿六 ●(オウヘンに「毒」。補助漢字 区点=4427 16進=4C3B)瑁
廿七 赤坂奴
廿八 水戸の追鳥狩 附 陣太鼓の銘
廿九 幕府奸臣を罰す
三十 江戸大地震に付 幕府より祈祷
卅一 徳川五代将軍神仏を信ず
卅二 禁中へ御祓献上に付道中駅々問屋名主共請書
卅三 孔明岳飛文天祥
卅四 美禄と云年号
卅五 芸妓の咎
卅六 高橋作左衛門死罪
卅七 幕府にて角觝上覧
卅八 成島邦之丞邸宅焼亡
卅九 霊元天皇御製御歌
四十 新待賢門院吉野山にて御歌
四十一 鼠小僧次郎太夫
四十二 洋学嫌疑に依て冤罪
四十三 殿居嚢其他著述物に付咎
四十四 蘭学に付達
四十五 江戸内海の蜃気楼

第6冊 桜斎随筆 四
桜斎随筆巻四
目録
壱 筑紫家の昔話
弐 則孝鹿島に下る原因
参 京都の人関東訛を笑ふ
四 鹿島洋の妖火 附 鹿島浦の怪 ヤンサ船
五 斃馬棄場の怪 附 砂山にて水牛闘
六 加賀手子
七 穢多頭団ノ左衛門の養子
八 薯蕷鰻魚に化す 附 鰻薯蕷に化す
九 穢多の罪科
十 永代橋崩れ溺死人の昔話
十一 厩河岸の渡船覆没
十二 中新道開設
十三 諸国にて墓所の石碑洗ひ流行
十四 大蛇小児を呑む 附 竜蛇昇天 鹿島山内にて大蛇を見る
十五 本所深川辺洪水 附 天明度の天変地妖
十六 古人の狂歌
十七 文政の頃の紙鳶
十八 八十八歳祝寿金下賜
十九 老狸憎に化て旅行す
二十 大阪城中の妖怪
廿一 勇婦強盗を切る
廿二 南総上茂原邑の牡丹
廿三 房州小湊鯛の浦
廿四 天狗火
廿五 伊東主膳御咎 附 仙石道之助同
廿六 刑罪場の狗

第7冊
桜斎随筆 五上
桜斎随筆巻五上
目録
壱 徳川将軍家祈祷之起源
弐 大施度祈祷式
参 続撰清正記
四 筑紫家先祖書 附 諸書抜萃 細川三斎作花活 豊太閤染筆 同感状 征韓陣触 高橋主膳書牘 筑紫家紋
五 豊臣家譜 附 淀氏 豊臣太閤辞世の歌 塙九郎右衛門
六 大宮司家茶会式
七 貞子君の詠歌 附 孝門君の小柄
八 揚補之画
九 枕草紙抜萃 附 源氏物語抜萃
十 隠宅の額面
十一 皇学先生の詠歌 附 贈位諡
十二 黄堊の画竹
十三 東照豊国両社
十四 ●(「音」に「市」の頭の点のない字。補助漢字 区点=7179 16進=676F)霊剣
十五 鹿島海道記抜萃
十六 鎌足神社
十七 鹿を神の使いと言説
十八 常陸帯記抜萃
十九 鶴に效て長寿
二十 増田尚賢履歴
廿一 博徒勢力富五郎敬神
廿二 宮中村にて江戸相撲興行
廿三 温泉変方
廿四 桐の木売の心得
廿五 鶏一万羽養法
廿六 色紙短冊掛の図 附 弓袋 馬尾袋の図
廿七 向島梅園
廿八 三度栗の考
廿九 天保七年の凶作
三十 金壱両賭の見せ物
卅一 乞食の義気
卅二 幽霊と劇場を見る
卅三 老狐二条家へ参殿
卅四 伊豆の大鷲
卅五 鶏昇天
卅六 香取社職配当高
卅七 村田権右衛門系図 并由緒
卅八 明智光秀王并四王天
卅九 徳川家康堺浦より伊勢に遁る
四十 豊臣秀頼誕生 附 薩州に下る 嶋津家久伏水に至る 徳川家康書牘

第8冊
桜斎随筆 五下

第9冊
桜斎随筆 六上
桜斎随筆巻
目録
壱 正親町実豊卿女作松陰日記抜萃
弐 慶徳麗女の著書抜萃
参 井関たか子の日記抜萃 附 略系図 江戸邸絵図
四 松平吉里は常憲公の落胤と云説
五 川北自然斎の歌 附 佐川田昌俊の歌
六 戸田茂睡 附 武家秀逸の歌
七 播州加茂山の三大字
八 江戸遊覧花暦抜萃 附 上野の桜植添 秋色女
九 本居大平翁の文集
十 嘉多比沙志抜萃 斎藤彦麻呂翁随筆
十一 鷺草の図
十二 剣太刀の説 附 普請 かたひさしの抜萃
十三 幕府へ進上の玉串寸法 水戸家同
十四 鹿島神宮僧侶特高勤務調 貞享天明 附 惣大行事当禰宜
十五 浅野吉良大石の遺跡見聞記
十六 元禄宝永間珍話
十七 則敦君の内室

第10冊 桜斎随筆 六下

第11冊 桜斎随筆 七
桜斎随筆巻七
目録

壱 大鰻魚の毒人を害ふ
弐 もみぢ茸の毒
参 大蜂大黒の木像を授く
四 独婦石塊を産
五 珍物数品
六 白鹿と尾長の鹿
七 幕府より施米
八 和宮御行状 附 御詠和歌
九 京師よりの来状
十 朝政一新に付御達
十一 慶応三年米金江戸相場 附 諸所失火
十二 青木氏所蔵石川丈山翁の和歌 附 近松門左衛門狂歌 十万堂発句
十三 同氏邸内網かけの古松
十四 駅路の鈴
十五 明暦の大火焼死の数十万二千百余人にあらず
十六 勢州一志郡星合の里の和歌
十七 北畠の家臣星合具泰
十八 樺太地方に鹿島神宮建設
十九 同御霊代送り
二十 十二ひとへ 附 女房の奉書
廿一 旧幕府奥女中の書状 附 旧幕府世子誕生に付玉串献ず
廿二 是に似たる非正に似たる邪
廿三 為朝の鏃を幕府の槍と為す
廿四 背わり羽織
廿五 狐つき 附 小年の剛胆狐妖去る
廿六 たのしみの興歌
廿七 水雷火を以て沈没艦を破裂す
廿八 鹿島にて鳶を銃猟す
廿九 下総の牧にて野馬捕を見る
三十 海軍端船の競漕 附 水雷火
卅一 狂風 附 颱風中に竜を見る。颶風海水を巻あげる。浪逆江に颶風河水をまき揚げる
卅二 純金の色を山吹色と云ふ説
卅三 蕎麦の大食
卅四 水虎
卅五 芸妓刺繍か祢吉 附 御東幸に付御酒下賜
卅六 妖火の偽物
卅七 早稲田の別荘四季の景
卅八 妖火出現
卅九 走倉六右衛門羅馬国に使す
四十 鹿島神山の鹿晴雨を前知す
四十一 日本橋魚市場古今変革
四十二 父子夫婦の楽み
四十三 富興行
四十四 蚊●(「巾」に「廚」。補助漢字 区点=2832 16進=3C40)売

第12冊 桜斎随筆 八
桜斎随筆巻八
目録
壱 光り物飛行 諸国
弐 浅間山の噴烟烈し
参 西京の光怪
四 地震強し 東京及横浜越中
五 諸国光怪
六 地震にて家屋損害多し 附 大島及浅間山噴火
七 東京市中大火 数度 附 箱館大火 宮中村中村所々失火
八 落雷にて河汽船中狼狽
九 十二年冬より十三年三月迄の季候
十 根本寺逓減禄返上
十一 摸掏捕縛
十二 妖光空中より降る
十三 山陽道筋大雨地震
十四 東京の降雪 二月の初雪
十五 信州の季候
十六 東京大雪
十七 妖児を産
十八 脱欖 附 懲役場失火 附 宮中村所々失火
十九 越後にて川汽船破裂
二十 陸中にて三輪の日昇るを見る 附 石川県下の地変
廿一 雷鳴早し
廿二 汽船破裂の詳報
廿三 但馬に隕石あり
廿四 皇大神宮近傍山焼
廿五 怪児を産 附 老翁肉角を生ず
廿六 越中の光怪 附 地震 旋風 支那にて東方に光怪を見る 横浜にて大光物出現
廿七 大阪の季候
廿八 石川県下鳴動
廿九 鹿嶋大雨雷鳴
三十 信州及北海道季候
卅一 十三年三月四月鹿島の風雨表
卅二 異形の虫
卅三 東北諸国季候
卅四 妖光 附 隕石届書
卅五 利根川にて汽船衝突
卅六 米価表 附 一厘銭相場騰貴
卅七 根室の海氷厚し
卅八 猪苗代湖の大鯉魚
卅九 大珊瑚
四十 諸国泥雨降る
四十一 東京出火表
四十二 大風
四十三 埼玉県下野の大火 附 諸国野の大火
四十四 魚の骨鰭等にて刺したる時の薬 附 温泉変方 人命の長短を計る法 肉を貯ふ法 草木の治療法
四十五 里見家略系図
四十六 第十三国立銀行 鴻池善右衛門
四十七 清原武則及藤原経清略系図 附 吉彦秀武
四十八 全地球上多数の妻妾を有する人
四十九 獣類統計表
五十 鴉の戦争
五十一 米国より償金返還
五十二 痔疾治療法 附 栗実貯法
五十三 美婦人競妍研会

第13冊 桜斎随筆 九
桜斎随筆巻九
目録
壱 旧幕府の美事
弐 旧幕府の臣脱走して宮中村に止宿す
参 明治元年晴雨表 鹿島の分
四 長崎の大竹
五 鹿島浦鰹の大漁獲
六 明治元年厳寒
七 中島父子戦死
八 赤気乾の方にあらはる
九 正月元旦光り物飛行 附 西方赤くして如火 暴風雨
十 葉室光子神葬行列
十一 北総神崎河中より水牛出現 附 大樟
十二 諸国洪水
十三 桜町失火
十四 津田蓮光院 附 徳川世子孝恭院
十五 松平外記西域にて刃傷
十六 一日の内に四の変事
十七 秋元但馬守の家臣発狂
十八 妖童寅書物語 附 牝鷄昇天
十九 幕府より鹿と鳩を放す 附 田野辺谷の蜃気楼
二十 九十九里浜鰯大漁獲 九年
廿一 鹿島浦鰯大漁獲 十二年
廿二 同上 十三年 附 海苔の景況
廿三 大相撲興行中無降雨 附 札の売高 不漁
廿四 物に誓て謎のことば
廿五 寒水石
廿六 聖上弓馬御稽古
廿七 十二年常州作割表
廿八 老媼児を産
廿九 騎射法式奏上
三十 蓮月尼
卅一 三男児を産
卅二 鮫の種類
卅三 桜田にて大老を殺害の時狂句
卅四 米国人日本の練兵を賞与
卅五 珍草発見
卅六 皇城御新築 附 皇大神宮遥拝所落成
卅七 米国にて日本の物品流行
卅八 長寿の人
卅九 桜東雄の歌
四十 岐阜県下にて駆犬流行
四十一 旧幕府の頃の落首
四十二 十四年中食金銀貨幣の相馬
四十三 欧米各国にて日本の扇子及諸物品流行
四十四 文政より嘉永迄流行の拳 附 維新後流行物品
四十五 弘化より嘉永まで流行の拳 附 予が若年の時所持の物品
四十六 大宮司伝来什物
四十七 鹿島神宮権殿引移
四十八 同数石落成 附 寄金ニ付木盃下賜
四十九 太郎事則泰と改名
五十 鹿島の気候 十五年
五十一 鹿島近郷歳末の景況 同上
五十二 大阪歳末の景況
五十三 十六年一月鹿島の季候
五十四 同二月鹿島降雪
五十五 同一月鹿島及東京地震
五十六 同月大阪の季候 附 霞浦の堅氷
五十七 尾濃両州にて妖虹を見る
五十八 東京及佐倉不景気
五十九 漁船八手綱の名儀

第14冊 桜斎随筆 十上
桜斎随筆巻十上
目録
壱 活たる法螺貝鰒の図
弐 俗に優曇花と云ふ物の図 実は虫の卵
参 ハブ草 附 狂犬に噛れたる時の薬方
四 鍼治の効にて長生
五 孝門君の書牘 附 実父母の履歴 外祖父の記念物品
六 千羽の鶴を放す 附 彦根にて老鶴を銃獲す
七 怪光飛行
八 同鹿島にても見たる説
九 大陽鋼色に変ず 附 鹿島迅雷北海道暴風
十 長歌を賞美す 附 外国幼稚園の歌
十一 諸芸人并娼妓の員数 十四年 十五年
十二 日本全国町村の数 十六年
十三 常陸国の湖周囲里数
十四 七十三国茶畑段別
十五 宮中邨戸数
十六 川汽船の賃表
十七 北海道の狼馬を害す
十八 戸田忠至建碑の地所
十九 十六年諸国寒暖調査
二十 蛇の合戦
廿一 忠臣贈位
廿二 王子の里避暑繁昌
廿三 独乙の婦人日本の物品を賞翫す
廿四 仏京巴里府にて日本の物品を賞翫す
廿五 狩野土佐両家の絵価騰貴 并 撃剣器、茶器、盆栽 飼鳥類同
廿六 九月十三日東京及西国筋暴風
廿七 大陽の黒点
廿八 十六年八月より九月迄宮中村天気の模様 附 大陽の鋼色、落雷、二百十日穏、秋作豊熟、東京及東海道筋暴風
廿九 大阪不景気
三十 奇怪の婦人
卅一 中野梧一自殺 附 履歴
卅二 八丈島の赦免蘇鉄
卅三 和歌山県下各村節倹規約
卅四 大阪兵庫酒造家減高
卅五 十六年九月中の天気模様 附 大阪の観月
卅六 大阪及紀州辺旱魃 附 蜜柑樹枯る
卅七 東京深川の材木問屋小北彦七名刀奉納
卅八 不景気 附 物品の価下落
卅九 五穀豊熟
四十 金環蝕
四十一 鰹大漁獲
四十二 大陽光線微弱の論
四十三 米国の女新聞記者
四十四 陸軍の総人員調査 附 全国人員総計
四十五 西方の空赤く火の如し
四十六 富田光知君の和歌
四十七 大阪の席貸商不景気
四十八 別林府人民の倫理道徳壌頽
四十九 教道職総計
五十 暴風の為電信線路損害多し 附 水害
五十一 武内宿禰の真筆
五十二 札幌地方の初雪
五十三 宮中村の季候 附 風雨
五十四 金環蝕霧にて見えず 宮中村
五十五 鹿児島県下田畑宅地の価格低落
五十六 東京及大阪府下にて呉服太物并古書類売れず
五十七 金環蝕見えず 東京及宮城県
五十八 暴風にて大椴倒る
五十九 紅葉観の便り
六十 大阪暴風
六十一 九年中全国戸数人口調査
六十二 金環蝕新潟県下にては見えたり
六十三 外客の窮難を憐みて治療を施す
六十四 英国人癩病の治療を受けて全癒す
六十五 青森県下より良馬を献ず
六十六 小鳥の剥製もの輸出多し
六十七 仏国人首を切断せられて後記憶力を存す
六十八 大阪商家歳の景況
六十九 鹿島郡秋の景況
七十 上総東金町の大火
七十一 隠れ家の冬籠
七十二 品川御殿再建築無し
七十三 芭蕉蔵
七十四 首を切断せられて記憶力を存す
七十五 古人の歌詩 附 幼女の書画
七十六 無類の大杉
七十七 笠森の観音堂

第15冊(桜斎随筆 十下)(欠巻、47~77欠)

第16冊 桜斎随筆 十一上
桜斎随筆巻十一上
目録
壱 徳川将軍史編の注意 谷干城演説
弐 同天朝へ不忠
参 同史編の注意追加
四 同天朝へ不忠
五 外国船渡来に付武家伝奏より御達 附 男山八幡宮へ勅使参向
六 日光門主を迎下せしは天海の姦謀 附 徳川慶喜謹慎
七 同門主下向の発端
八 京都所司代の心得
九 徳川氏の末世
十 輪王者法親王千住駅着
十一 東叡山戦争諸説
十二 東照宮の古簾は芝の神宮の御簾と成る
十三 楠公の書牘 附 小楠公新田公書牘 楠公墓碑 同旗 同書牘 同遺物 北畠公書牘 新田公願書 小楠公歌
十四 藤田東湖正気歌 同和歌 附 蒲生秀実山稜志
十五 高山正之蒲生秀実御追贈
十六 閑院典仁親王太上天皇尊号御追贈
十七 中山愛親卿位階御追贈
十八 源義公の歌及び書牘
十九 源烈公の長歌  附 水戸弘道館碑文幕府の嫌疑 義公烈公退隠
二十 烈公の書牘 附 将軍家慶公水戸邸へ御立寄 義公烈公幕府の嗣立諌言 同公贈位神号を賜
廿一 後光明天皇
廿二 水戸藩士二田二虎
廿三 水戸浪士桜田事件
廿四 外国の事に付著書
廿五 菊池寂阿 同妻の歌

第17冊 桜斎随筆 十一下

第18冊 桜斎随筆十二
桜斎随筆巻十二
目録
壱 正月元旦葩煎売 附 宝船 から皮其他 新年の景物
弐 なめ魚 附 鯨
参 元日の発句
四 旧幕府の頃の衣服
五 炮碌調煉
六 男女髪の沿革
七 旗下の士不品行 附 火煙 渡り仲間
八 物品の古色を失ふ過 附 慾情より損失
九 渡り侍士の貧窮 附 鹿島神宮品行沿革
十 三笠山内にて夜中の響 附 浪逆江の妖火
十一 大鳶の怪 附 猟師天狗に遇ふ 狐の嫁入
十二 鹿島大宮司家新年の繁忙
十三 五歳童の詠歌
十四 疱瘡中の怪
十五 旧幕府の殿中厠の不潔
十六 諸侯及び旗下の臣供連の図 附 火消役。使番。火事場見廻。等出馬供連。火見櫓。其他諸物品図。城中庭
十七 鹿島大宮司将軍謁見の席
十八 諸侯より献上物の高価
十九 旧幕府の通用金銀貨数種 附 銭
二十 同時代世上一般贅沢
廿一 色紙掛の図
廿二 書画宴会に芸妓を聘すは亀田鵬斎より始る
廿三 宮本水雲翁の確言
廿四 旧幕府にて為朝の箭鏃の鑓所持由緒
廿五 頼政籐の弓
廿六 真田大助の実名
廿七 水野十郎左衛門并於伝の方
廿八 狐の新婦入り

第19冊 桜斎随筆 十三
桜斎随筆巻十三
目録
壱 神童憑談略記 平田篤胤天狗小僧寅吉問答
弐 伊勢度会郡高の宮岩窟の怪異
参 神宮司庁にて夜中皷ケ岳の音楽を聞く
四 東山の麓のクモ火
五 樵夫大蛇に投らる 附 朝熊岳の大池
六 松葉犬女の和歌
七 布谷の●(「樗」の右側。補助漢字 区点=7090 16進=667A) 附 神隠し 朝熊岳白蛇の怪
八 田中良助妻の異病
九 福島兄弟某寺田某と間の山に闘ふ
十 割烹店の下婢変死
十一 土中より宝石を掘出す
十二 古市町娼家騒動 演劇福岡責の実録
十三 落魂の説
十四 文明東漸史抜萃

第20冊 桜斎随筆 十四
桜斎随筆巻十四
目録
壱 外国へ金魚の輸出
弐 西京にて百歳以上の者調 附 天色赤原因
参 品川駅の大火
四 大阪大火
五 一月東京の景況
六 陸前国にて古鏡剣発見
七 人口戸数調査
八 柳亭種彦谷文晁 附 江戸六大家合作
九 英国人ハムプソン宅中奇妖
十 維新以後贈位官の神社
十一 笠置山
十二 東京芸娼妓及芸人調査
十三 鹿島郡徴兵適齢人員
十四 旧会津藩士戦死総計
十五 烟草好きの老人
十六 勝下村の颶風
拾七 水戸下市大火
拾八 忠臣贈位
拾九 磯浜村大火
二十 皇城炎上の節献金に付御賞与
廿一 宮中村戸数調査
廿二 大塔宮及八宮御遺跡
廿三 四辻氏杉氏の狂歌 附 杉氏の詩
廿四 日本紀の仮名書
廿五 患難痛苦は身体の禍に非ず 附 掌勃烈翁の金言
廿六 塙仲顕復姓願 附 大宮司系図抜萃
廿七 柳橋新橋芸妓の景況
廿八 日本及各国都下の人口調査
廿九 富田村東金町辺白蝶群飛す
三十 東京及諸国暴風雨
卅一 東京と札幌の季候差違
卅二 鹿島郡暴風雨
卅三 東京中暴風雨被害の概況
卅四 上総暴風雨
卅五 東国諸州出水
卅六 維新以来強震表
卅七 強震
卅八 勢州一志郡の山崩る
卅九 大阪暴風雨
四十 鹿島郡の人気不穏
四十一 加波山暴徒事件
四十二 鹿島年末の景況
四十三 東京年末の景況
四十四 滋賀県下大雪

第21冊 桜斎随筆 十五
桜斎随筆巻十五
目録
壱 一箇年間月を賞翫す
弐 則泰の和歌
参 朝熊山に登る
四 北山に遊記 附 南山観紅葉
五 重盛楠
六 二見の浦に遊
七 伊勢の初雪 附 滋賀県下大雪
八 東京菊と紅葉の景況
九 御苑内観菊の御宴
十 王子辺の紅葉
十一 大櫃川の中島に松楓を植させらる 附 森寛斎嵐山を画く
十二 大阪府下紅葉の景況 附 山形県下の季候
十三 伊勢宇治の山々の色冬を催す
十四 王子滝の川観楓記
十五 伊勢の雪 附 江州東京の雪
十六 尾濃遊歴
十七 鹿島の佐助参宮
十八 東京大雪 附 諸国大雪
十九 鹿島の景況 附 東京及京都の余寒 銚港大雪
二十 東京及近郊梅花の景況
廿一 諸国春の大雪
廿二 梅花の景況 附 春雪
廿三 余寒強し 附 飛鳥山の桜花
廿四 宇治山田梅桜の花 附 上野公園 宇治山田 月瀬の景況
廿五 山田の観梅
廿六 蒲桜
廿七 音無山
廿八 京都の桜と楓
廿九 宇治の観紅葉
参十 東京の雪
卅一 皇居御苑の模様
卅二 松茸狩
卅三 投網の遊 附 鯊釣
卅四 教院の能楽狂言
卅五 宇治の初雪
卅六 全国戸数人口 附 鉢植梅
卅七 西京道中雪の模様 附 谷鉄臣翁の話
卅八 牡丹の古木

第22冊 桜斎随筆 十六
桜斎随筆巻十六
目録
壱 新年宴会祝詞 附 答辞
弐 宇治山田花暦 附 京都東京大坂及外三ケ国同 月瀬梅信 金梅 神花梅
参 色紙の歌作者絵画者姓名
四 宇治山田繁盛
五 神宮賽物金高 附 両宮へ献備物
六 歳末の門飾り其他諸式
七 宇治山田の景況 附 季候風土雑事産物
八 一月二月の寒気 附 関東諸国
九 宇治山田に無き物品 附 いせおなど 鷺草 農家の棒
十 おかげ参りの年間
十一 浦田町寓居
十二 伊勢の人気 附 初鰹を賞翫す 名産物
十三 参宮者質素 附 琴平神社景況
十四 宇治山田及在方女の風体 附 蚊の出る早し
十五 月の瀬の梅及畿内の桜景況 附 観花道中雑記
十六 京都淋し 附 火水の難
十七 京阪洪水
十八 勢州燕蛤柳蠣鰹の売人
十九 古市町太田光照履歴
二十 神号の木目 附 鶏卵盃
廿一 セコと称す町名
廿二 本居宣長翁の先祖
廿三 伊勢国司紀略
廿四 七月一日大雨にて洪水 附 東西諸国同
廿五 北畠信雄父子
廿六 宇治山田両郷の豪商二幅対七本鎗の見立
廿七 伊勢三郎物見の松

第23冊 桜斎随筆 一あすか川 十七
第24冊 桜斎随筆 一あすか川 十八
第25冊 桜斎随筆 一あすか川 十九
第26冊 桜斎随筆 一あすか川 二十
第27冊 桜斎髄筆 一あすか川 廿一
第28冊 桜斎随筆 一あすか川 廿二
第29冊 桜斎随筆 一あすか川 廿三
第30冊 桜斎随筆 一あすか川 廿四
第31冊 桜斎随筆 一あすか川 廿五
第32冊 桜斎随筆 一あすか川 二十六
第33冊 桜斎随筆 一あすか川 二十七
第34冊 桜斎随筆 一あすか川 二十八
第35冊 桜斎髄筆 一あすか川 二十九
第36冊 桜斎随筆 一あすか川 三十
第37冊 桜斎随筆 一あすか川 三十壱

第38冊 桜斎随筆 古歌抄出 三十二
鹿島名所の和歌
柳沢里泰の文
近世名家の和歌

第39冊 桜斎随筆 旅日記 三十三
南総道之記
羇旅の日記・日光筑波両山紀行
二十年の観花
勢州度会郡野後村阿曽村観花の記

第40冊 桜斎随筆 観花日記 三十四

第41冊 桜斎随筆 三十五
三輪物語抄抜萃(熊沢蕃山)
南遊紀行(貝原篤信)
続諸州めくり七 摂州より京都洛外
菅笠の日記(本居宣長)
ゑ夫くろの日記(本居大平)

第42冊 桜斎随筆 三十六
桜斎随筆巻
目録
壱 桜田事件 附 米艦始て浦賀入港幕府養君紛議
弐 政権返上に付慶喜公及土越両藩主の意見
阪下門外事件
井伊久世安藤等御咎

第43冊 桜斎随筆 三十七
桜斎随筆巻
目録
桜田事件
水戸浪士鹿島市中止宿等の件 附 水戸藩士始末

第44冊 桜斎随筆 三十八
桜斎随筆巻
目録
壱 三月の頃鈴虫松虫の高価
弐 松葉屋の娼妓瀬川の伝 附 島原のよし野の発句
参 吉原廓中の花 附 娼妓の発句 ちり塚於松の伝 権堂の住の江の和歌 其他婦人の句
四 高安●(「戸」の下に「巾」。補助漢字 区点=2806 16進=3C26)杖翁の発句
五 磁石の功能
六 古今高名の角觝
七 長岡是容の和歌
八 甘露降
九 興良親王の墳墓
十 幽霊の説
十一 婦人同志の交情
十二 富士見宝蔵の盗賊
十三 親族を忌疑して宗家衰ふ
十四 勢州虎烈剌病流行
十五 松阪の屠牛
十六 浅間山の景況
十七 十九年九月廿四日宇治辺暴風雨 附 東西京及諸国同
十八 神宮奉仕官員月俸及職員官等改正
十九 練雀の図
二十 要石の謡曲
廿一 神功后宮御服帯
廿二 星の数
廿三 春日杜境内に棲息せる鹿の実数
廿四 帝国大学文科古典科生徒より溺死遺族へ施与金
廿五 神馬御牽進の式
廿六 司庁内へ庭を造る
廿七 皷ケ岳へ登る
廿八 日本全国田面総反別
廿九 緋色の鰌
三十 銀盃下賜
卅一 松原神社へ祭資金を賜ふ
卅二 管轄下の貧富に因て県庁に幸不幸あり
卅三 正宗の刀献上の由来
卅四 十九年中東京花紅葉の評
卅五 孝明天皇の御製 附 源烈侯詠歌 米艦初て入港の時落書
卅六 大藩主へ正月元日家老共より伺
卅七 支那人の苦学
卅八 天樹院入輿
卅九 松平光政池田良臣を扶持せらる
四十 長寿の人
四十一 藤原惺窩先生江戸に下る 附 和歌 四日京
四十二 金子を并べ楽しみたる人
四十三 小金井村へ桜の苗を栽らる 附 碑を建る
四十四 同所の花観は寛政の頃より始る 附 加藤千蔭の詠歌
四十五 薩州下邸へ琉球の竹を栽らる
四十六 江戸にて菊花の形物造り始る
四十七 右につき抱一上人の発句
四十八 画工花隠江戸に下る 附 諸大人姓名
四十九 抱一上人逝去
五十 諸侯の隠居梵論に紛して出行
五十一 水野越前守姦謀諸人を欺く
五十二 星多く空中を飛ぶ
五十三 十二世将軍家慶公下総国小金原にて鹿狩せらる
五十四 江戸大塚にて鷹巣をくむ
五十五 炮碌調練
五十六 江戸中花紅葉の名所

第45冊 桜斎随筆 三十九
桜斎随筆巻
目録
壱 沙漠中の蜃気楼
弐 海気現蜃楼 附 国々にて其称異なる事
参 肥前の天火
四 楼上看怪ヲ
五 夜鬼清石墳
六 洩れものの小唄
七 歩兵吉原遊廓及所々乱妨
八 薩藩士所々にて金子及武器等強借乱妨狼藉
九 江城二ノ丸焼亡
十 薩藩三田邸戦闘 右ニ付諸説
十一 天女雲上に舞ふ
十二 神戸横浜間航海記
十三 鹿島郡長
十四 長崎奉行家臣を試る
十五 文政年間江戸中外邪流行 附 狂歌
十六 天保十二年江戸大雪
十七 嘉永六年正月江戸及鹿島大雪
十八 鼠山感応寺興廃 附 下総中山村知仙院
十九 河童の図
二十 梅園
廿一 桜の名目
廿二 吉野山と嵐山の花便
廿三 梅香寺の観藤
廿四 夜鷹蕎麦の名 附 街端の雪駄直し 下等売淫女の名
廿五 外国人来攻の説に付幕府より遠陬へ立退の達あり
廿六 挿花に時節相当ある事
廿七 数多の星空中を飛ぶ 附 光り物空中を飛
廿八 定則君の筆記 附 跡部光海翁の書牘
廿九 定則君の詠歌
三十 筑紫従門君の書牘
卅一 伊能穎則翁長歌短歌

第46冊 桜斎随筆 四十
桜斎随筆巻
目録
壱 後光明天皇
弐 宗長親王詠歌 附 南北南朝の武臣
参 尊王略 附 皇威の衰弱及武将の衰弱
四 武将歴世
五 大老井伊直弼政治 附 徳川氏将軍職を失ふ原因 安政の大獄
六 豊太閤の父異説区々 附一族
七 豊太閤の詠歌
八 英雄は人の国家を奪ふ 附 惺窩先生の評
九 大谷派本願寺の怪異
十 馬夢に玉を授く
十一 琵琶笛流行 附 図
十二 春日姫神考
十三 武家諸姓
十四 百児斉国より駱駝渡る
十五 廿一年一月中下総常陸火災多し
十六 同年の雪 附 拙吟発句
十七 同年参宮人多し
十八 豊受神宮神馬牽進式
十九 廿一年鹿島の景況
二十 蛞蝓の戦争
廿一 貧者の寄附金
廿二 旧通用金奉納
廿三 安永元年江戸大火
廿四 火の玉飛ぶ
廿五 勝伯爵の感慨
廿六 大石良雄の定紋二ツ巴 附 笠間大石邸
廿七 文化三年江戸大火
廿八 丸山作楽外国の話
廿九 太平記は虚構多し
三十 山岡鉄太郎と覚王院との談判 附 天海が皇子を招待は東西両朝の企下心なり
卅一 日暮里の十二景
卅二 享保中武相の界怪異

第47冊 桜斎随筆 四十壱
桜斎随筆巻
目録
壱 先哲和歌
弐 蝮草
参 諏訪湖の水
四 戸隠山の老猿
五 谷中将の演説
六 同氏の履歴
七 万機沿革
八 安政二年江戸大震
九 同三年暴風雨
十 幕府の閣老不仁 附 家慶公仁慈
十一 伊勢台に遊ぶ
十二 甲冑現神霊
十三 旧幕の小臣等商売を始む
十四 花かつみ
十五 江戸及近郷大橋の掛始
十六 安永元年江戸大火
十七 安政五年同所大火
十八 琉球人の和歌
十九 西山遺事抜萃 附 常陸記抜萃
二十 カン/゛\ノーキウレンスと云唄踊流行
廿一 光格天皇御製和歌
廿二 源烈侯尊王 附 久昌寺等の事
廿三 鹿島にて鹿を神の使と云説
廿四 蜀山人の狂歌
廿五 一富士二鷹三茄子は駿河の名物なり
廿六 英一蝶画系
廿七 墨水消夏録抜萃
廿八 馬怨を報ふ
廿九 神罰
三十 盲女山中に妖声を聞
卅一 盲人雪中に狼を殺す
卅二 田野村竹田。三熊露香女
卅二 二十年の秋深楓
第48冊 桜斎随筆 四十二
桜斎随筆巻
目録
壱 二十年度・廿一年度社入金増減表 附 別宮其他廿年・廿一年四月分
弐 雨宮域内大樹調査
参 鏡台山の観月
四 三重県へ転籍 附 大宮司旧記
五 大宮司分家
六 桜花帖題跋
七 文政年間流行の物品
八 島津久光公の伝
九 尊号美談
十 新井白石翁太平記の評
十一 木下家に太平記の稿本ある事
十二 西条山と妻妾山との説
十三 高台寺の怪事
十四 源平両家の盛衰論
十五 三世の説
十六 世治て功臣殺さる
十七 板倉重昌辞世の和歌
十八 鄭芝龍授兵を乞し時加州侯の書牘
十九 皇学者と僧と問答
二十 赤穂義士仇討に付白石翁の意見 附 幕府の臣両国橋にて義士を遮きる
廿一 右義士に付将軍綱吉公苦慮 附 明治元年大石以下に金を賜ふ 寺阪吉右衛門の事 多門氏堀内氏覚書 外数件
廿二 鹿島神宮へ鳳凰来儀
廿三 鸞の剥製
廿四 枸杞は養生の仙薬
廿五 天保政府
廿六 顕官の人々本国
廿七 梅林変して桑園となる
廿八 徳川幕府は世々閨門無締
廿九 頼三樹三郎辞世の和歌
三十 勝安芳伯の艱苦
卅一 林羅山翁上野の別荘に十二景を定む
卅二 朝廷に対し徳川氏の跋扈 附 松平正之及惺窩先生井伊直亮松平容保の事
卅三 旧会津藩士の問答
卅四 上杉謙信の詩歌 附 武田信玄の歌並家康呪咀の句

第49冊 桜斎随筆 四十三
桜斎随筆巻
目録
壱 元禄十六年江戸大震
弐 寛政十年星多く飛ぶ
参 小菅御殿 附 日々の松 浅草海苔
四 文化十三年の奇怪
五 松前の海嘯
六 名立崩
七 信州の大震
八 文化十三年五月江戸にて所々変事あり
九 江戸にて夜中人を突事流行
十 越後の大震
十一 江戸及近在洪水
十二 同所怪異
十三 京都大震
十四 伊勢ダリの怪
十五 仏法の盛衰は耶蘇教に因る
十六 鬼役
十七 篠塚伊賀守は畠山重忠六世の孫
十八 海防貢献上の者へ位階の褒賞を賜ふ
十九 易義翁の長寿

第50冊 桜斎随筆 四十四
桜斎随筆巻
目録
壱 高倉山の怪異 附 岩戸山近辺同内宮々域内の怪 六日中狼市中に出る クモ火
弐 則文大滝を見る 附 大淀の古松
参 野後村の香魚
四 文化三年及弘化三年江戸大火
五 二十年水戸及太田の景況 附 鹿島同
六 男女徳義の検査
七 七百五十名の婦人溺死
八 鯱と鯨の争闘
九 鹿島沖の鯱
十 阿曽村の鉱泉
十一 古市町の産土祭ねり物
十二 板倉景山両女子の書牘
十三 四条派の画価騰貴
十四 墨陀の公園設立
十五 日蝕の話 附 図 嘉永五年の日蝕
十六 越後の大震
十七 東京大雷雨
十八 神宮皇学館
十九 古今画伯十傑
二十 皇学館
廿一 弦巻形古鈴の図
廿二 釣り玉の図
廿三 古代の鎌の図
廿四 同枝折の図
廿五 汐合橋の間数
廿六 所得金高
廿七 神
廿八 神宛会
廿九 岳飛四字 附 文天祥三十二字
三十 吉野山中の池
卅一 暴風雨 二十年十月八日 附 腕車修復 駐車場設立
卅二 塊炎空を渡る
卅三 大蘿蔔 大蕪
卅四 松浦翁の書牘
卅五 勢州暴風雨
卅六 娼妓の数
卅七 東京不穏
卅八 島津久光君の辞世
卅九 米人大神楽奉納
四十 有志東京退居に付勝伯の話 附 詠歌
四十一 孝行なる娼妓

第51冊 桜斎随筆 四十五
桜斎随筆巻
目録
壱 慶光院旧記
弐 伊勢国司北畠紀略 抜萃
参 宝永二年伊勢参宮之事 世俗 おかげ参と云

第52冊 桜斎随筆 四十六
桜斎随筆巻
目録
壱 十九年一月一日参宮人の景況
弐 鰡の大漁獲
参 日本全国の田数
四 鹿島及伊勢新年の花
五 僧月僊の陰徳
六 有栖川幟仁親王薨去
七 十九年一月以降降雪
八 同年陰暦正月元日大々神楽小神楽供に多く奉納
九 画伯米僊来遊
十 梅花及春雨
十一 久邇宮懇親会御催
十二 宇治山田辺の上等料理店の下物
十三 十九年鹿島の景況
十四 東京火災の惨状
十五 重三の雪
十六 鹿島及佐倉火災
十七 氷魚に飯蛸交る
十八 元禄の頃の簪 附 宮崎文庫溝川の怪虫の図
十九 キンコウジユ
二十 古金銀奉納者
廿一 十九年伊勢の観花
廿二 天保会
廿三 孝子万吉の子孫江州に在り
廿四 東京地形沿革
廿五 鹿島神宮の景況
廿六 製暦局増築
廿七 独逸人大々神楽奉納
廿八 牛馬の闘争
廿九 千草村の温泉
三十 京都の地積及町数溝梁調査
卅一 黒金葛の杖奉納
卅二 神苑設立に付総神官より金円寄附
卅三 第一教院部長
卅四 延命草
卅五 宇治橋の間数
卅六 富士山の測量
卅七 年中休暇日
卅八 諸国旱魃
卅九 狐狗狸

第53冊 桜斎随筆 四十七
桜斎随筆巻
目録
壱 二十年一月一日より三日迄の天色 附 支那 同東京及諸国降雪
弐 鹿島大祭日毎降雨
参 水戸大火の詳報
四 同 附 常総所々大火
五 鹿島大祭日降に付不景気
六 支那陰暦元日より十日迄雨雪
七 天候の嘆声 東京附下
八 神宮参詣人早し
九 支那上海寒気強し
十 神社仏閣保存費下賜 附 官国幣社改正
十一 髭の流行
十二 当世女の骨格
十三 茨城県下十傑
十四 芝区の大火
十五 野狐音曲を聞 附 野狐投真金聞長唄三絃
十六 鹿島神宮の景況 附 市中の景況
十七 同文学の地名も国々にて読方に替りあり
十八 弘化四年三月信州大震
十九 世に云ふ白柄組は椶櫚柄の誤なり
二十 一家内の共和政治
廿一 千葉茨城両県より東京へ輸入の家禽水禽惣数 附 山鷄の味
廿二 欧洲戦争の数及其原因
廿三 食用鳥類 附 内外の飼鳥種類
廿四 雌燕姦通の冤罪に斃る 附 貴頭の夜会不品行の説
廿五 英人日本の活花を賞す
廿六 慶喜公と勝伯と贈答の和歌
廿七 政府の景況
廿八 本夫の為に謝罪
廿九 毎年強風暴風ある時候
三十 皇子御命名式
卅一 祭典費減少に付大谷氏より来状
卅二 儲君の御筆
卅三 大阪の実況
卅四 蛇の幽霊
卅五 東京人が田舎の食物を譏るは不心得
卅六 縊死せし人の魄を靖める法 附 人魄を捕ふ
卅七 古市町の幻灯会を看る
卅八 東叡山内戦闘実況
卅九 関東の士民天朝を怨む
四十 歩兵吉原廓中及所々乱妨
四十一 毛利邸 上中 破却
四十二 慶応二年江戸中強盗跋扈 附 島津邸焼討
四十三 奸徒等神仏の玉串札を降らす
四十四 毛利氏の藩士必死を極むる原因
四十五 毛利邸破却人数配り 附 長井雅楽辞世詩歌
四十六 同家破却詳細記

第54冊 桜斎随筆 四十八
桜斎随筆巻
目録




第55冊 桜斎随筆 四十九
(目録ナシ)
第56冊 桜斎随筆 五十
(目録ナシ)
第57冊 桜斎随筆 五十一
(目録ナシ)
第58冊 桜斎随筆 五十二
(目録ナシ)
第59冊 桜斎随筆 五十三
(目録ナシ)
第60冊 桜斎随筆 五十四 止
明治二十年三月 皇太后御参拝記
同年二月 有栖川宮御参拝記

出版は趣味か

出版は趣味か

  • 2019.08.09 Friday
出版は趣味か

●私は、鹿島則孝の、幕末維新に関する記録『桜斎随筆』に出会い、その公刊という事に3年間を消費した。そのために、リコーの最新型の複写機をリースで導入し、3年間、朝から晩まで、原稿づくりに取り組んだ。その結果が、本の友社版『桜斎随筆』である。

●そんなある日、昭和女子大の近くの喫茶店で、ある国語学専攻者とコーヒーを飲んで雑談をした。その御仁は、私の行動に対して、「先生は、本を出すのが趣味ですね」と申された。私は返す言葉を失った。

●〔出版〕は〔生み出す〕という原義を持つ。優れた言説も、ただ、頭の中に抱えていたのでは、外に影響は与えられない。本にして出しておけば、著者とは、全く無関係の多くの人々が、その本を読んで活用してくれる。

●鹿島則孝の、資料から、一歩さがった姿勢で、出来るだけ客観的に記そうとした、幕末維新の膨大な記録は、必ず後世に益する。そのように、私は思っている。

●横山重先生も、事実を、つぶつぶと書きなさい、と申された。


本の友社版『桜斎随筆』の概要

本の友社版『桜斎随筆』の概要

  • 2019.08.09 Friday
本の友社版『桜斎随筆』の概要 

『桜斎随筆』全18巻 

               鹿島則孝 編著 
               鹿島則良・村上直・深沢秋男 編 
               本の友社発行 

 第1回配本 1巻~6巻(原本・1冊~22冊)2000年11月10日発行 
 第2回配本 13巻~18巻(原本・38冊~60冊)2001年11月10日発行 
 第3回配本 7巻~12巻(原本・23冊~37冊)2002年11月10日発行 
       B5判・上製本・各配本全6巻セット定価12万円+税(全18巻、合計36万円+税) 

 第1巻(第1冊~第4冊)目次 
  鹿島則孝略伝 ………………………………………………  3 
  鹿島則文略伝 ……………………………………………… 13 
  『桜斎随筆』書誌 ………………………………………… 27 
  凡例 ………………………………………………………… 32 
  第1巻 判読未詳部分等の注記 ………………………… 33 
  第1巻 本文目録 ………………………………………… 35 
  第1巻 本文複製 ………………………………(1~416) 
  付記 ……………………………………………………… 418 

 第2巻(第5冊~第8冊)目次 
  凡例 …………………………………………………………  4 
  第2巻 判読未詳部分等の注記 …………………………  5 
  第2巻 本文目録 …………………………………………  7 
  第2巻 本文複製 ………………………………(1~370) 

 第3巻(第9冊~第11冊)目次 
  凡例 …………………………………………………………  4 
  第3巻 判読未詳部分等の注記 …………………………  5 
  第3巻 本文目録 …………………………………………  7 
  第3巻 本文複製 ………………………………(1~326)

 第4巻(第12冊~第14冊)目次 
  凡例 …………………………………………………………  4 
  第4巻 判読未詳部分等の注記 …………………………  5 
  第4巻 本文目録 …………………………………………  7 
  第4巻 本文複製 ………………………………(1~300)

 第5巻(第16冊~第19冊)目次 
  凡例 …………………………………………………………  4 
  第5巻 判読未詳部分等の注記 …………………………  5 
  第5巻 本文目録 …………………………………………  8 
  第5巻 本文複製 ………………………………(1~390) 

 第6巻(第20冊~第22冊)目次 
  凡例 …………………………………………………………  4 
  第6巻 判読未詳部分等の注記 …………………………  5 
  第6巻 本文目録 …………………………………………  8 
  第6巻 本文複製 ………………………………(1~328) 

 第7巻(『あすか川』第23冊~第25冊)目次 
  凡例……………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記………………………………………   5 
  本文目録………………………………………………………   9 
  「あすか川」解説・内容(村上直)………………………  13 
  本文複製………………………………………………(1~308) 

 第8巻(『あすか川』第26冊~第28冊)目次 
  凡例…………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記……………………………………   5 
  本文目録……………………………………………………   9 
  本文複製………………………………………………(1~566) 

 第9巻(『あすか川』第29冊~第30冊)目次 
  凡例…………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記……………………………………   5 
  本文目録…………………………………………………  10 
  本文複製……………………………………………(1~380) 

 第10巻(『あすか川』第31冊~第32冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記…………………………………   5 
  本文目録……………………………………………………  14 
  本文複製………………………………………………(1~386) 

 第11巻(『あすか川』第33冊~第35冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記…………………………………   5 
  本文目録………………………………………………   9 
  本文複製…………………………………………(1~514)

 第12巻(『あすか川』第33冊~第35冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  判読未詳部分等の注記…………………………………   5 
  本文目録…………………………………………………   7 
  本文複製…………………………………………(1~360) 
  あとがき(深沢秋男)……………………………… 361 

 第13巻(第38冊~第41冊)目次 
  凡例……………………………………………………   4 
  第13巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第13巻 本文目録…………………………………   7 
  第13巻 本文複製……………………………(1~450)

 第14巻(第42冊~第45冊)目次 
  凡例……………………………………………………   4 
  第14巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第14巻 本文目録……………………………………   8 
  第14巻 本文複製………………………………(1~448) 

 第15巻(第46冊~第49冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  第15巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第15巻 本文目録……………………………………   8 
  第15巻 本文複製……………………………(1~436)

 第16巻(第50冊~第53冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  第16巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第16巻 本文目録……………………………………   8 
  第16巻 本文複製………………………………(1~396) 

 第17巻(第54冊~第56冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  第17巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第17巻 本文目録……………………………………   7 
  第17巻 本文複製……………………………(1~394) 

 第18巻(第54冊~第56冊)目次 
  凡例………………………………………………………   4 
  第18巻 判読未詳部分等の注記……………………   5 
  第18巻 本文目録……………………………………   7 
  第18巻 本文複製………………………………(1~454)

 

鹿島則孝との出会い

鹿島則孝との出会い

  • 2019.08.09 Friday
鹿島則孝との出会い

●鹿島則文のコレクション「桜山文庫」は、鹿島神宮関係を含む歴史的資料と国文学関係・文化史関係の2つに大別され、前者は茨城県歴史資料館に移管され、後者は昭和女子大学に移管された。これ以外の漢籍の一部は、水戸の徳川家の彰考館にも保存されている。

●平成2年10月、鹿島町(鹿嶋市)宮中の鹿島氏宅を伺った折、第69代・鹿島則幸氏から、鹿島家に関する資料のある事を知らされ、閲覧を許された。鹿島家歴代の歌集や記録、絵画など、軸を広げて見せて下さった。中で、私の注目したのは、第66代・則孝の著作であった。『桜斎随筆』全60冊、3500丁、7000ページ、幕末・維新の膨大な記録である。

●この則孝自筆の写本にめぐり会って、私の関心は、3000石の旗本・筑紫佐渡守孝門の三男・則孝に集中した。以後、則孝の伝記研究と、『桜斎随筆』の公刊という、途轍もない闘争に突入したのである。30年前になる。

東大地震研究所 『桜斎随筆』を利用

東大地震研究所、『桜斎随筆』を利用

  • 2019.08.09 Friday
東大地震研究所『桜斎随筆』利用

●東大地震研究所の研究論文「首都圏での中小地震と大地震との発生過程の関係の解明」で、鹿島則孝の『桜斎随筆』の記録が引用されている。この『桜斎随筆』は膨大な記録であり、これから、もっともっと活用されるものと思う。かなり前に、京都大学の研究者から問合せがあった。そうして、利用して下さった。このような、具体的な記録は、歴史の内実を解明する、一つの要素として、大変役立つものであろう。

●19年前に、私は、この鹿島則孝の膨大な記録を後世に伝えたいと、3年間をかけて、ようやく出版したものである。法政大学名誉教授の村上直先生に御指導、御協力を頂き、ようやく完結した。

。。。。。。。。。。。。。。。

3.1.3 首都圏での中小地震と大地震の発生過程の関係の解明

(1)業務の内容

(a)業務の目的

関東の太平洋沖で進行している平成 23 年東北地方太平洋沖地震の余効滑り等により活 発化した中小地震を含めた最近の中小地震の震源の決定、類型化を図る。また、古地震・ 古津波記録すなわち計器観測記象、歴史資料、津波堆積物等の記録を収集し、分析するこ とで、南関東で過去に発生した大地震の地震像を明らかにし、新たな時系列モデルを構築 する。これらをもとに中小地震と大地震の発生過程の関係を解明する。

(b)平成 28 年度業務目的

これまでに決定した中小地震の震源・発震機構解の整理を行い、大地震によるクーロン 応力変化と近年の中小地震との関係を解明する。南関東で過去に発生した大地震に関する 古地震記録の収集ならびにデジタルデータ化・校訂作業を継続し、データベースを作成し 公開する。収集した歴史資料を活用し、1855 年安政江戸地震等の歴史地震の新しい地震像 を提示する。業務の円滑な遂行ならびに他課題と連携し、成果を纏めるための検討会を開 催する。

(c)担当者

所属機関       役職     氏名
東京大学地震研究所  教授    佐竹健治
東京大学地震研究所  特任研究員  村岸純
東京大学地震研究所  特任研究員  中村亮一
東京大学地震研究所  特任研究員  五島朋子

(2)平成 28 年度の成果

(a)業務の要約

【中略】

『桜斎随筆』(鹿島則 孝編,200042))は、鹿島神宮の宮司家の鹿島則孝の編著による史料である。『桜斎随筆』(安政二年十月二日条)では「夜四ッ時大震昨寅年よりも甚しく近年に覚無き震也」と、安政 東海地震よりも安政江戸地震の方が揺れが強かったと述べている。また「鹿島にてハ斎垣 内右ノ方石灯籠弐棊倒テ楼門西面多額此方□ニ而水戸領ゟ奉納釣り糸切れ又御饌殿前鉄の 用心水の器乃水溢れたり燈火ゆり消ゆるほとにては無し」と鹿島神宮内の安政江戸地震で の被害を報告している。鹿島では安政江戸地震の方が強かったという。

【以下略】
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

都立中央図書館の『桜斎随筆』

都立中央図書館の『桜斎随筆』

2019.05.07 Tuesday


●都立中央図書館の〔深沢秋男〕で検索すると『桜斎随筆』は、第1巻、第7巻~第18巻、は表示されるが、第2巻~第6巻 は表示されない。第1巻~第18巻、まで全て、私が原稿を作って出版社に渡した本である。では、何故、第2巻から第6巻までが、表示されないのか。それは、奥付に、〔深沢秋男〕の表示が無いからである。

●第1巻~第6巻が発行された後、私は、現物の奥付を見て、驚いて、このような表示では、以後、出版は許可しない、と本の友社に抗議した。そこで、出版社は、第7巻以後〔深沢秋男〕を表示したのである。都立中央図書館は、第1巻だけ採録しているが、それは、奥付には〔深沢秋男〕が表示されていないけれど、本の内容から判断して、私の編書と見たのであろう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。

33. 33
[ 和図書 ] 桜斎随筆 第1巻
[鹿島 則孝/編著] — 本の友社 — 2000.11 —

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

▲桜斎随筆 第2巻  欠
▲桜斎随筆 第3巻  欠
▲桜斎随筆 第4巻  欠
▲桜斎随筆 第5巻  欠
▲桜斎随筆 第6巻  欠

・・・・・・・・・・・・・・・・・

20. 20
[ 和図書 ] 桜斎随筆 第7巻
鹿島 則孝/編著 — 本の友社 — 2002.11 —

【中略】

31. 31
[ 和図書 ] 桜斎随筆 第18巻
鹿島 則孝/編著 — 本の友社 — 2001.11 —
。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●鹿島神宮、第66代大宮司・鹿島則孝の『桜斎随筆』は、幕末・明治の記録として、大変貴重な内容であるが、全60冊3500丁、7000頁という大部なものである。鹿島則孝の、この大作の出版は、容易ではなかった。長年にわたって、数社の出版社に提案して、ようやく、本の友社が引き受けてくれたのである。

●私は、リコーの最新型の複写機をリースで導入し、鮮明で原寸の原稿を作成した。原本と、1丁1丁、1頁1頁、1字1字、確認して版下原稿を作成した。1年間に6巻作成、3年かけて完成したのである。

●全18巻、定価・総額360000円+税。発行は、少部数であったが、この貴重な記録を後世へ伝える、という、私の目的は達せられた。ちなみに、今日、【日本の古本屋】検索したけれど、出ていなかった。